多様性、まずは存在を認めることから
日本へ一時帰国して、いやーな感じの内容を取り上げたブログを読みました。ちなみに、このブログの執筆者の姿勢には強く共感しており、このようなことが起こってほしくないという気持ちです。
このブログでは、参院選の際に、安倍総理の選挙演説の周辺で、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性が、大勢の人々によってその場から排除される様子が描かれています。おそらく、相当に度胸のある女性の覚悟を決めた行為なのでしょう。少しも怯まぬこの女性に対して、ちょっとびっくりするような言葉さえも投げつけられています。
おそらく、逆の場面、すなわち、安倍政権を批判する人々が大勢の場で、一人で政権を支持するプラカードを掲げる人がいたら、やはり同じように取り囲まれ、排除されるのだろうな、と思いました。
こうした選挙演説の場は一般に開放された場所であり、政権を支持する人も批判する人もいることは容易に想定できます。でも、演説している人の気分を害さないようにするためなのか、主張の異なる人を排除することが行われています。
「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性に対して、なだめるように「あなたのためだから」という声が聞こえましたが、それはどういう意味なのでしょうか。放置すると暴力を振るわれるかもしれないから、お引き取りいただいたほうがよい、という意味なのでしょうか。その女性はきっと、それをも覚悟して、自分の主張を示し続けたのかもしれません。
こうした同調圧力は、選挙演説に限りません。日々の生活の中で、他と違うことをしようとしたときに、「悪いことは言わないから、やめておいたほうがあなたのためだよ」と親切に忠告されることは、珍しいことではないと思います。
あなたのため、とは何でしょうか。(あなたが)いじめられたり、差別を受けたり、場合によっては暴力を振るわれたりしないように、でしょうか。(あなたの)進学や就職に不利になる、という理由でしょうか。と同時に、騒ぎを起こされて波風立ったら困る、という自分の立場を守るため、でもあるのではないでしょうか。「そのへんのこと、わかってくれよ」というのが本音だったりするかもしれません。
日本では、警察がイスラム教徒を監視しているという話を聞きますが、真面目に暮らしているイスラム教徒がそれを心底支持するとは思えません。それは、今も「外国人監視部」(POA: Pengawasan Orang Asing)が警察にあるインドネシアで暮らした経験のある自分には、よく分かります。
「多様性の中の統一」をモットーとするインドネシアでは、通常、他人に危害を加えない限りは、その人の存在を認め、放置します。しかし、いったん危害を加えたならば、徹底的に摘発します。
そうした姿勢は、日本から見ると生ぬるく見えるかもしれません。でも、様々な宗教や種族からなる人々がいるインドネシアでは、そうしなければ国としての統一は維持できないのです。
自分と意見の異なる人がいるのは当たり前です。「そういう人もいるよね」とまずは存在を認め、たとえ目障りであっても、温かく見守り、拡声器などで騒いで演説の妨害をするような行為に至れば、しかるべき措置をとればよいと思うのです。