サンバルはどこへ行った?

8月5日早朝、ジャカルタからロンボクへガルーダで飛びました。所要時間は2時間弱、数日前に起こったリンジャニ山の一部からの噴火の影響もなく、スムーズに中ロンボク県プラヤのロンボク国際空港に到着できました。

ガルーダでは、所要時間が1時間を超えると機内食が出るのですが、今朝のチョイスは、オムレツまたはナシゴレン。私はナシゴレンを選んで、食べ始めてすぐ、気づきました。

サンバルが付いていない!!!

サンバルというのはちょっと甘めのチリソースで、インドネシアの食にはなくてはならない調味料です。昔から、人々は何にでもサンバルをつけるので、ほとんどの食べ物の味がサンバル味になってしまい、「インドネシア人は味盲だ」などという人さえいました。

このサンバルの味、慣れるとこれがないと落ち着かなくなるような、ちょっと中毒になるような性質も持っていて、私にとっても、フライドチキンやフライドポテトを食べるときには、このサンバルが必需品になっています。

そのサンバルが機内食に付いていないのです。以前は、どんな機内食のときも必ず付いていたのに。ガルーダは、いつからサンバルを機内食に付けなくなったのでしょうか。

付けなくなったのには理由があるはずです。おそらく、機内食に付けていたサンバルが、だんだんにたくさん未使用のまま残されるようになったのかもしれません。経費削減に迫られてきたガルーダは、残されるサンバルもまた、見直しの対象になったのでしょう。

でも、もしそうだとするならば、それは、インドネシアの人々の間に味覚の変化が現れていることの証左かもしれません。サンバル味よりも、徐々にそれぞれの素材のもつ味へ嗜好が移り始めたのかもしれないのです。

そう考えると、普通のレストランでも、こちらからリクエストしないとサンバルを持ってこなかったり、ナシゴレンに最初から唐辛子が入っていたり、サンバルが前提の出し方から変わってきている印象があります。おそらく、健康ブームで、サンバルの取りすぎが良くないという認識も出てきていると思われます。

ここでいうサンバルとは、市販の大量生産によるサンバルのことです。この製品は、インドネシアに現れてから、マーケットの絶大なる支持を受けてきました。なぜか。それは、料理ごとに異なるサンバルを作る手間を省いてしまったからです。

実は、サンバルは本来、料理ごとに違うのです。フライドチキン用のサンバル、ソト・アヤム(実だくさん鶏スープ)用のサンバル、ソト・パダン(実だくさんのパダン風スープ)用のサンバル、茹で野菜用のサンバル。それぞれの料理にはそれぞれのサンバルを作らなければならなかったのです。

本来は別々なのに、何にでもそこそこ合う市販のサンバルで済ませてしまうようになると、市販のサンバルの味が何となく標準になっていったのでした。便利な市販のサンバルがインドネシアを「味盲」にさせていたのかもしれないのです。

それが今、市販のサンバルが付いてこないというのは、本来の料理の味へ戻り始めたことを示しているということになるでしょうか。

過去30年以上、インドネシアの食を実体験しているものから見ると、インドネシアの食は明らかにだんだん辛くなくなり、かつ甘くなくなっています。そして、素材の美味しさや香辛料の組み合わせの妙を感じさせるような方向に進んできたと思います。

明らかに、30年前よりもインドネシア料理は美味しくなっていると感じます。プロの料理人を目指す若者も増えているように見えます。

それは、経済発展に伴い、人々の生活の質や嗜好が変化していることとも関係があるはずです。

レトルト食品などの普及など、効率化の進行による食品の味の画一化、ファーストフード化がますます進行するでしょうが、その一方で、地方でのローカルフードの復活・食べ歩きの隆盛、などに見られるような、手間暇かけた料理への関心も高まっています。

これからさらにどのようにインドネシア料理が進化していくのか、ますます楽しみになってきました。それでも、あの市販のサンバルの味が時々恋しくなってしまうのは、やはり中毒なのでしょうか。

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