便利屋にはならない、ともう一度言う
もう一度、言ってしまいたいのですが、やはり、自分は便利屋にはなりません。お人好しにもなりません。仕事師として生きていきたい、と改めて思います。
インドネシアと関わって30年経ち、地域づくりの勉強やファシリテーションに関わってからも10年以上経つのですが、自分はまだまだ未熟だといつも思っています。
インドネシアは関われば関わるほど分からなくなってくるし、地域づくりやファシリテーションもテクニックで済ませずにやろうとするとどんどん深みにはまってきます。
組織や地位に関わりのない状況となると、それに応じ、世間体を気にして演じる必要もないので、いつまで経っても、フツーの人の感覚で行動することになります。歳相応の態度、というのも分からないし、ある意味、まだ「子ども」のままなのかもしれません。貫禄ってなんだろう、なんて思います。
それでも、やはり、軽く扱われていると思ったり、タダで(あるいは安く)情報を取ろうとする人たちが私に接近してきます。「あなたの宣伝をしてあげるからタダで」と、なんだか心配してくださる方もいます。そういう方々と接していて、なんだか私を使い捨てのように見ていると感じたことがよくありました。実際、そういう方々は、必要なくなれば、私には何もコンタクトをしてこなくなります。
今年も様々な経験をし、学んだのは、仕事として割り切るべき時は割り切る、ということでした。
誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くして何かを創ったとしても、その成果を他人が掠め取って、自分の手柄にしてしまう、ということが色々あることがよくわかりました。その他人にとっては、私はただの便利屋に過ぎなかったのです。
はい、あなたの仕事はこれでおしまい、と退場を促され、この後、自分の作ったものがどうなるかも分からずじまいになる、ということが起こってくるでしょう。そして、そこでは、そのような仕事のしかたで構わないのでした。
私は力の入れ方を間違っていたようです。誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くす必要など、実はなかったのです。誰かが成果を掠め取っていくということが分かっていれば、最初からテキトーに仕事をしていればよかったのだ、と後悔してもいます。
自分が本当にやるべき「務め」は忘れてはならないのですが、それと収入や報酬を得るためにする「仕事」とは明確に分けて、「仕事」はその収入・報酬額を満たす分だけやればよく、それ以上の価値を生む余計なことはしない。
「いい人ですね」などとおだてられても、報酬なしの(下請け)仕事は基本的に断る、というのを基本にし、その濃淡を明確にしていく。ただし、「仕事」については、必要ならば、依頼主様のご希望には頭を下げて従うように振る舞う(これがなかなか難しい)。
そういったメリハリをつけて割り切って、「務め」の遂行のために「仕事」をする、ということが大事だと学びました。
2回前のブログでお知らせしたように、インドネシアに関する分析記事をノートというSNSを使って有料で書き始めたのは、その情報と分析は、皆さんにお金を払って読んでいただきたいからです。
でも、1本100円という価格設定が適切かどうかがまだ分かりません。それでも、お金を払って読んでくださった方がいたのは大変ありがたいことで、これからも、そこでしか読めないインドネシアの分析記事を(不定期ですが)書いていきたいと思います。
松井さん、ご無沙汰しています。
お気持ち察します。とても理解できます。
今、記事を読んでびっくりです。
私もマカッサルからバリ島に移ってからは、仕事柄なのか同じことで悩みました。現地の情報欲しさで、ただただ利用されるのです。バリ島生活が14年目になり、完全ではありませんが、だいぶあしらい方がうまくなりました。
これからも応援しています。