中国正月に寄せて:華人>プリブミの時代は終わった
今日は中国正月(イムレック)。私は東京ですが、インドネシアでも、各地で爆竹が鳴り、花火が上がり、獅子舞が繰り出し、賑やかにお祝いをしているようです。
スハルト時代から30年以上、インドネシアを見てきた自分にとっては、このお祝いをしていること自体が信じられないことのように思えます。
なぜなら、1998年5月のスハルト大統領辞任までの時代は、基本的に中国との対決姿勢をとってきており、中国正月を祝うどころか、漢字の使用も禁止されていました。華人系の人々は、身内だけでひっそりと、人目を避けながら中国正月を祝っていたのでした。
スハルト政権が崩壊し、後継のハビビ大統領の後のアブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル)大統領の時代に中国正月を祝日とすることが決まり、その後のメガワティ大統領の時代に正式に祝日となりました。中国正月が祝日となってから、まだ10数年しか経っていないのです。
そんな歴史を感じさせる様子もなく、街中のショッピングモールでは中国正月向けのセールが行われ、中国正月を祝う赤い色で埋められています。
華人はインドネシア国籍を持つインドネシア人の一部、という認識が定着してきました。華人系の人々も、祖先の出身国である中国よりもインドネシアへの帰属意識が強くなり、華人系だから中国共産主義の手先、という見方も随分と薄れました。
スハルト時代には認められなかった華人系の政治・国防治安への進出も進み、華人系の政治家や軍人・警察官も、一般には特別視されるような状況でなくなりました。
漢字交じりの看板はあまり見かけませんが、中国語の新聞や雑誌などはけっこう出版されています。テレビやラジオでは、中国語ニュースの時間がレギュラーであり、中国語の歌謡曲やポップスも流れます。
スハルト時代に政治・国防治安への参入を禁じられていた華人系は、ビジネスの世界で生きていかざるをえず、その結果として、ビジネスは華人系企業グループが牛耳っている、という状況は、マクロで見ればあまり変わっていませんが、ミクロで見ると変化が起こっています。
すなわち、30〜40代の経営者を見ると、華人系だから優秀で、プリブミ(非華人系)だからダメ、ということはほとんど言えなくなりました。華人系でもそうでなくとも、彼らの多くは海外で教育を受けた経験を持ち、アジア全体に目を向けて英語でビジネスをし、経営手法も、かつてのような政治家と癒着したり特別扱いしてもらうことを前提としない、スマートな経営を行っています。
日本では今だに「華人系でないとパートナーとしてはダメ」といった話をよく聞きます。しかし、何を根拠にそう言えるのか(おそらく話者の幾つかの経験に基づくのかもしれませんが)、疑問に感じます。
華人系とか非華人系といったレッテルで見るのではなく、個々の経営者が優れているかどうかを見極めて、判断する眼力が求められていると痛切に感じます。
そして、華人系を中国と常に結びつける見方も適切ではなくなっています。たしかに、彼ら華人系は中国の政府や企業とビジネスを行っていますが、それは人種的な親近感に基づくのではなく、純粋にビジネスとして有望かどうかを判断して行なっているのです。非華人系でも、同じように中国の政府や企業とビジネスを行っている者が少なくありません。
スハルト時代の末期には、スハルト・ファミリーのビジネスを非華人系の代表として優先的に拡大させることを暗黙の目的として、華人系をディスる傾向が見られましたが、現在は、非華人系が政治家と結託して華人系をディスるような傾向は見られません。その意味で、何の根拠もなく、「華人系のほうがプリブミよりも優れている」といえる時代はもはや終わったのだ、と思います。
ただし、昨今の中国人労働者の大量流入や中国企業の進出を背景に、中国ファクターを政治的に使って現政権に揺さぶりをかけたがっている勢力が存在する様子もうかがえます。
ジャカルタ首都特別州知事選挙に立候補しているアホック現知事(休職中)への攻撃も、華人系でキリスト教徒であるという点を執拗に攻めている形です。これは、あくまでもアホックへの個人攻撃とみなせるものですが、これが制御を失って、政治的に中国批判という形になってしまうとまずいです。
現に、現政権の与党・闘争民主党やジョコウィ大統領が中国を利しているとして、共産党との関係を疑うような話題も出始めており、中国ファクターを政治的に使って政権批判を行う可能性がないとは言い切れません。そして、国際政治にそれが連結した場合、今の微妙な日中関係を背景に、インドネシアにおける日本や日本人の立ち位置が難しくなりかねません。
もっとも、今のインドネシア社会では、(インドネシア人である)華人系と(外国である)中国とを区別するという態度が一般的になってきています。ですから、それほど過度に心配する必要はないのですが、一応、気をつけて見ていく必要はありそうです。
少なくとも、「華人系だから」といった色眼鏡でインドネシアのビジネスを見ることなく、経営者やそのビジネスの中身で判断する時代となっていることを理解して行動してほしいと思います。