書くことで救われるのかもしれない
2月後半は、ちょっと悶々とした日々を送ってしまい、このブログもすらすらと書けない状況になってしまっていました。
いつも前向きにいきたいと思おうと振る舞っている自分と、その裏で色々ともがいている自分とがいて、表裏のスイッチとバランスが取れなくなりそう気分でした。
あまりにも嘘の多すぎる世の中に対する怒り。本心からかどうかは分からないが、権力や権威に服従しする人々。自分を守るためには、他人を攻撃することも嘘を作り出して広めることも厭わない、自分の地位や名誉や社会的評価を守ろうとしている人々の存在。
保身に走ったり、嘘をついたり、諦めたりすることが成熟する、大人になるということなのか。
それは、本気で人生を生きているということなのか。
青い、でしょうか。ならば、青い、でけっこう。
未熟、でしょうか。ならば、未熟、でけっこう。
世の中を変える、なんて大それたことは言いません。他人に同意や同調を求めたりもしません。
でも、成熟や保身や嘘に安住しない人々が、行動を起こすことで、自ずと、何かが変わっていく。
事実や真実さえも、
嘘で、嘘の連続で、
誰かのために、ではなく、
自分のために、変えてしまおうとする人々。
自分のために、嘘で世の中を変えようとする人々に、
自分は、青く、未熟なまま、
抵抗していきたい。
一人の独立した個人として。
このブログは、誰かたくさんの人々に読んでもらうために書くのではなく、自分のために書いていく、ということもしていきます。
自分のために書いたものは、あえて、フェイスブックやツイッターで拡散はしません。
書くことで救われるのかもしれない。
自分が本当の自分を持ち続けるために。