【ぐろーかる日記】インドネシアの独立宣言記念日にあたって

今日8月17日は、私がお付き合いしてきたインドネシアの独立が75年前に宣言された日である。インドネシアでは、この日をもって、インドネシア共和国として独立したとしている。

ただ、実際には、この後、旧宗主国オランダとの独立戦争が続き、実際上の意味で国際社会から独立したと見なされるのは、1949年12月のハーグ円卓会議において、インドネシア共和国以外の国・自治国を含めたインドネシア連邦共和国が承認され、オランダから主権移譲されたことによる。その後、1950年8月、国・自治国がインドネシア共和国に合流して、単一国家としてのインドネシア共和国が名実ともに成立した。

というわけなので、1945年8月17日に独立は宣言したが、その後の幾重もの困難を乗り越え、5年の年月を経て、独立国家としての体裁が整えられたのである。

巷では、「日本軍によってインドネシアは独立できた」という言説が聞こえてくる。これは正確ではない。たしかに、日本軍がオランダ領東インド領内へ侵攻したことで、最終的にオランダの植民地支配に終止符が打たれた。だが、日本軍が侵攻する前から、オランダ領東インド内では独立を志向する動きがすでにあった。

日本軍の侵攻の目的は資源の確保であり、そのための手段として、オランダ領東インドをオランダから独立させて大東亜共栄圏の一部に組み込もうとしたのである。日本軍の侵攻がオランダ領東インドに独立の機運を高めた面はあったが、主体性を持った真の自立的な国家としてオランダ領東インドを独立させる意図は日本軍にはなかった。

日本軍はマレー語を広めたが、それが、結果的に、後のインドネシア語につながった面はある。しかし、それは一直線ではない。ジャワ島などで日本軍に対する住民蜂起が起こると、日本軍はマレー語の使用を禁止し、日本語を強制する方針へ転換した。このこと一つとっても、日本軍が本当にマレー語を広めて独立後の国語にしようとしていたとは到底考えられない。

大東亜共栄圏で、日本と旧オランダ領東インドは「兄弟」ではなかったのか。兄が弟に日本語を強制する、ロームシャなどとして強制労働を強いる、というのは、当時の言葉でいえば教育なのかもしれないが、今の言葉でいえば、虐待ではないか。

もちろん、個々人ベースでみれば様々な日本人がいたはずである。現地の人々に農業技術を教えた人、常に親切丁寧に接した人、現地の人々から慕われた日本人も少なくなかったはずである。その一方で、日本人に殴られた、罵声を浴びせられた、強制労働させられた、日本人が本当に怖かった、という現地の人々もいたはずである。現地の人々に対して、乱暴で差別的な態度をとった日本人も少なくなかったはずである。

どんな人でも、自分の過去を振り返ったとき、他者から責められたくはない。自分の過去を傷つけられたくない。自分の過去の行為を正当化したい。そう思うのは、人間の常である。

だから、様々な日本人がいたにもかかわらず、自分にとって好ましい日本人の事例をとりあげて、それで「日本は」と一般化しようとする。たとえば、かつて現地に赴いていた人物の思い出話を真に受けて、「日本人は皆いい人たちだった」という言説を作ってしまう。もちろん、本当にその人物がいい人だったかもしれない。でも、だから日本人全員がいい人だったと結論づけることはできない。その人はいい人だった、というのがせいぜいである。

もっとも、その人物は本当のことを言っていないかもしれない。自分の過去を傷つけたくはないからだ。その人物が戦後要職に就いていたりすれば、なおさらである。しかし、えらい人が言うのだから間違いない、という根拠のない思い込みも現れてくる。

インドネシアの人々は我々に会うと、多くの場合、日本が好きだと言う。あたりまえである。我々が見知らぬ外国人に会ったとき、いきなり「お前の国は嫌いだ」と面と向かって言うだろうか。嫌韓・嫌中の人が、韓国人や中国人に会ったときに直接そう言えるだろうか。

逆に、我々が外国へ行ったときに、初対面の人から「日本人は嫌いだ」と言われたらどうだろうか。たとえ嫌いだとしても、面と向かって「嫌い」とは言わないのではないか。

面白い経験がある。あるとき、ジャカルタで、韓国人のふりをしてタクシーに乗ったときのこと。タクシーの運転手に日本人について訊いたら、「俺は韓国人のほうが好きだ。日本人はケチで物事をはっきり言わない」と答えるのだ。日本人から韓国人について訊かれれば「日本人のほうがいい。韓国人は乱暴で粗野だ」と答えるのだ。彼らは、お客に合わせて言っているだけなのである。それを真に受けて、インドネシアでは日本人のほうが韓国人よりも好かれている、という言説が日本人社会でなんと多かったことか。

何を言いたいかと言えば、誰かが言うことをきちんと吟味せずに、「日本軍は礼儀正しく、現地民に愛された」とか「インドネシア人は日本が好きだ」とか、簡単に一般化すべきではない、ということである。そういう人もいた、という程度に抑えておくべきではないか。日本人が皆、そうではないし、インドネシア人が皆、そうではない。その当たり前のことを忘れてはならない。

もう一つ。これは以前、ブログにも書いたが、インドネシアが親日かどうかを気にする日本の人々は、親インドネシアだろうか。日本は相手からの親日を求める一方で、相手に対する親近感を深めているだろうか。多くは、インドネシアに親日であってほしいけれども、自分は親インドネシアなどということを考えてもみていないのではないか。それで、本当に真の信頼関係が築けるのか。

自分にとって都合のいいときには相手に信頼関係を求める一方、自分からは相手との信頼関係を築く努力をしているとはいえない。これが今の日本なのではないか。

前に、国家ではなく地域、と書いた。国家間で軋轢が起こったら、国民はそれに引きずられるのか。個人と個人、地域と地域、そうした関係のなかでこそ、相手からの信頼と相手への信頼を醸成し、国家間の利害対立を超えた関係づくりをしていく必要があるのではないか。それがなければ、我々の生活を国家が脅かす事態を招く恐れがあり得る。

インドネシアが親日かどうかより、一人でも多くの日本人がインドネシア人と知り合い、普通の人間どうしで友だちになり、仲よくなっていく、そういう話を進められたらと思う。国家とは関係なく、日本人が好きなインドネシア人とインドネシア人が好きな日本人が増えていくことのほうが大事だと思う。

私の主宰する「よりどりインドネシア」は、そんな関係性を増やしていく流れを作ることを目的としている。

ともかく、75年目のインドネシア独立宣言記念日をお祝いしたい。インドネシアの数え切れない友人・知人たちの具体的な顔を思い浮かべながら。

12年前、南スラウェシ州トラジャで出会った子どもたち(2008年8月7日撮影)

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