【ぐろーかる日記】中スラウェシ州のある親友の訃報

昨日(11/16)、友人のフェイスブック・ページに昨年、インドネシアの中スラウェシ州パルで久々に再会した仲間たちとの写真が掲載されていました。

フェイスブックには1年前の写真などがよく掲載されるので、きっとそれかと思ったのですが、たしか彼らと会ったのは、中スラウェシでの震災(地震、津波、液状化)から1年経った10月2日だったはず。日にちが合わないなあ、と思って、ポスティングを読んでいたら、お悔やみの言葉がたくさん並んでいます。

誰が亡くなったのだろう。ポスティングからは誰なのかが分からず、その時に会った何人かのフェイスブック・ページをたどっていきました。そして・・・

あの時の再会の宴を作ってくれた、25年来の親友S氏が亡くなったことを知りました。

しかも、亡くなったのは、10月末。2週間以上も知らずにいたのです。

すぐに、別の友人I氏に尋ねたところ、様子を知らせてくれました。S氏はサイクリングが趣味のスポーツマンでしたが、体調不良のため、病院に行ったところ、胃炎と診断されました。しかしその後、新型コロナウィルス検査で陽性であることが判明、亡くなってしまったということでした。

家族に見送られることもなく、たった一人で旅立ってしまったのであろう彼。

彼との最初の出会いは、たしか、JICA専門家でマカッサルにいたとき、地域開発政策アドバイザーとして定期的にスラウェシ各州を回っていたときでした。

S氏は中スラウェシ州開発企画局の職員で、中スラウェシ州の開発計画・戦略に関していろいろ議論する重要なパートナーでした。そして、仕事が終わると、よく一緒に食事をしながら、様々な話をしました。

しばらくコンタクトは遠のいていましたが、フェイスブックでいつでもコンタクトできるという安心感がありました。

そんな中、2018年9月末に中スラウェシ州を襲った大震災。すぐにWAでS氏に連絡を入れました。彼以外の友人たちにも安否を尋ねるWAを送り、数日内にほとんどから無事を知らせる返信が届いたのに、S氏からは何の返事もありません。

しばらく経って、ようやく彼から返信があり、家が壊れるなどの被害はあったものの、無事であることが確認できました。

それから1年後、たまたま縁があり、震災1周年を現地・パル市で迎えました。そして、思い切ってS氏に連絡し、仲間を集めて「同窓会」をしようという話になりました。

いつものことですが、約束の時間に決められた場所に出向いたのですが、誰一人来ていません。30分ぐらい遅れて、ようやく一人二人と現れ、結局、店の閉店間際まで一緒に再会を喜び合いました。

彼らと会ったのは、もう10年ぶり以上ではなかったかと思います。でも、すぐに以前と同じ雰囲気になりました。中には、中スラウェシ州社会局長まで出世した友人もいます。S氏も、州開発企画局経済部長(局長のすぐ下)まで出世していました。

1年前、パルでみんなと会えてよかった、S氏と会えていて本当によかった、と思いました。

温厚で誰にでも優しく、ユーモアに富んだ、ゆる〜いキャラだったS氏。

まだまだ一緒に、中スラウェシ州の未来を語り合い、次の世代の活躍を見守りたかった・・・

中スラウェシの大事な親友の一人の突然の旅立ちに、言いようのない悲しさと彼との出会いへの感謝の気持ちが入り混じっています。深く深く故人の冥福をお祈りいたします。

今度パルへ行ったら、墓前でしばしゆるりと語り合いたい・・・

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