【ぐろーかる日記】新型コロナ禍のおかげで良かった個人的なこと

こんなタイトルをみたら、不謹慎に思う人もいるかもしれない。

皆んなが苦しいときに、自分だけ楽しかったり、笑ったりしてもいいのだろうか。やっぱり、苦しい気持ちでいなければならないのだろうか。

そんな気持ちになることが、10年前の東日本大震災以来、頻繁にある日々を過ごしてきた。

今回もそうだ。新型コロナ禍で皆んなが大変な状況にある。

実は、自分だってそうだ。予定していた昨年から今年にかけての仕事は次々になくなり、どうやって日々を過ごしていくか、家族を養っていくかで汲々としている。

そんななかで、もしかすると、新型コロナ禍のおかげで良かったのかもしれない、と思えることがひとつあった。

自分は、毎月、かかりつけ医のところで血液検査を行い、コレストロール値を測り、診察を受けている。診察を受けて処方される薬を毎日、ずっと飲み続けてきた。これまで、高脂血症と共生してきたのである。

あれは、1990年8月、前の職場の海外派遣員として、初めてインドネシア・ジャカルタに2年間滞在したときから始まる。初めての長期滞在、インドネシアに居る間にしかできないことは何でもやってみよう、と様々なことを体験してみた。敢えて、一軒家ではなく、ふつうのジャワ人の家庭の「長男」として下宿した。

そのなかで、最も熱心に取り組んだことは、食べることだった。

毎朝、大家さんが用意する朝食は、ブルーバンドというマーガリンを塗った上にチョコレッド・スプレッドのかかったパン2枚、毎朝ボゴールから自転車で配達に来る牛乳屋さんの牛乳を温めたもの(いつもタンパク質の膜が貼っていた)、砂糖がいっぱい入った温かいオレンジ水、それに甘ーいコーヒー。

最初は、全部、完食・完飲できなかった。でも1ヵ月経つと、容易に完食・完飲できるようになった。

昼は外で食べ、問題は夕方。大家さんは必ず、間食を用意してくれる。それは芋を揚げたものだったり、バナナを揚げたものだったり、中に具の入った豆腐を揚げたものだったり、要するに油で揚げたものだった。

出されたものは残さず食べる。これが私のモットー。

夜、友人や知人と外食する予定があっても、大家さんは夕飯を必ず用意している。出かける前に、夕食を食べていかなければならない。そして、外食も決してセーブしない。

下宿に帰ってきて夜中、集落を歩く屋台の声が聞こえる。大家の末娘が屋台を呼んで、ミー・ドクドクという名の面を注文する。「松井も食べるよねー?」と聞かれるので、「もちろん」と返事をする。そして、夜中に食べる。

これで何食になった? 結局、毎日、5~6食を食べる生活になった。

その結果・・・。

1990年8月から2年間のジャカルタ滞在で、体重が20キロ近く増えてしまった。日本からやって来て久々にあった友人・知人が皆、私の変わりように目を丸くしたものだった。一番ビックリしていたのは、1年後にジャカルタで合流した妻だった、かもしれない。

それ以来、食べ物の出会いは一期一会、をモットーに、インドネシアのどこへ行っても、その土地々々の食を求め続け、食べ続けた。新しい美味しさに出会う喜び、美味しく食べられる喜びを感じながら、食べ続けた。

これは、シンガポールでも、マレーシアでも、ベトナムでも、インドでもどこでも、もちろん日本でも、どこでも変わらなかった。自分にとって、食べることは生きること、だった。

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こうして、高脂血症と「お友だち」になった。健康診断では、必ず指摘された。それも、かなりひどい状態だと診断された。ある医者からは、日本人の高脂血症患者の上位5%に入っていて重症、とんでもない、とまで言われた。JICA専門家の派遣前健康診断でも指摘され、それが理由で派遣が中止になるのではないか、といつもビクビクしていた。

これだけ健康診断で指摘されると、自分は何かとんでもなく悪いことをしてしまったのではないか、という罪悪感を抱くようになった。そしてときには自分を責めた。これまで、食べることで幸せを感じてきた自分を責めた。インドネシアで何でもかんでも食べまくった自分を責めた。

炭水化物を一切食べない、食べる量を半分にする、毎日縄跳びを1,000回する、といったことを続けたこともあった。それまで堪能してきた大好きなインドネシア料理も食べずに我慢した。すると、1週間も経たないうちに、体に異常が発生した。

手でペンが持てなくなったのである。ペンで文字を書こうとすると、手が震えて書けないのだ。手の震えが止まらなくなったのだ。

これはさすがにビックリした。インターネットで調べると、かなりまずい状況になる可能性のあることが分かった。

そして、炭水化物をとった。久々の炭水化物はとても美味しかった。翌日、手の震えは止まっていた。ペンも普通に持てるようになった。

インドネシア在在中も、定期的にコレステロール値は病院で測っていた。でも、バタバタしていたので、ちょっと値が良くなると、行かなくなった。そして、また、元の木阿弥になった。そんな状況を何度も繰り返した。

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2016年からもう一度日本を拠点に活動するようにしてから、東京の自宅近くのクリニックに毎月通い、血液検査をしてコレステロール値を測り、かかりつけ医の診察を受けるようになった。かかりつけ医は、念のため、動脈硬化が起こっているかどうか、X線写真を細かく撮って調べるように勧めてくれた。そこで、指定された医療機関で撮った。そこで言われた。「毛細血管までこんなにきれいに撮れているとは・・・。動脈硬化の様子はうかがえないです」と。

かかりつけ医に毎月通いながら、細かな血液検査の結果データを蓄積していった。日本に拠点を移したと言っても、頻繁にインドネシアへは出張していた。インドネシアに出張して戻ってきてすぐに血液検査、ということがよくあったが、そうしたときは、概してコレステロール値の値は悪かった。でも、2~3ヵ月に1回のペースで出かけていたので、日本で摂生するとどうなるか、ということが検証できないまま時間が過ぎていった。

そんななかで起こったのが、新型コロナ禍。

2020年3月1~11日のインドネシア出張の後、今日に至るまで、全く出張ができなくなった。海外どころか、弊社を登記した福島市にも行けていない。先方から暗に来ないでほしい、というメッセージを受け取っているからだ(福島から見ると東京は汚染地域で、東京から来る人間はとても怖い存在らしいし、狭い世界なので、何か起こったら先方が色々大変な目にあってしまう恐れもあった)。

それ以来、今に至るまで、東京の自宅と自宅から歩いて10分のレンタルスペース(仕事場として借りている個室)を行き来しながら、毎日を過ごしている。あんなに動くことに命をかけていた自分だが、動かないことに慣れ、動かないからこそできること、見えることに気づき始めた気さえしている今日このごろである。

そう、インドネシアへ出張しないまま、日本にずっといるなかで、毎月のコレステロール値がどうなるか、わかる環境になったのだ。

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少し前、かかりつけ医は、毎月のデータを見ながら、ここで一気に悪玉コレステロール値を下げるためにより強めの薬を処方し始めた。問題は、変動の大きい中性脂肪の値だった。血液検査の前の日に大食いすれば、その結果、一気に中性脂肪の値が急上昇する。

そして、今週、かかりつけ医の診察で示された血液検査の結果は・・・。

なんと、正常だった。

信じられない。これまでも、悪玉コレステロールと中性脂肪の値以外は正常、ということはたまにあったのだが。

きっと、別人のデータが間違って出されたのだろう、と、私はかかりつけ医に言った。しかし、かかりつけ医からは、他のデータの連続性などを詳しく説明され、明確に否定された。

1990年8月のインドネシア赴任以降、ずっとずっと30年以上、高脂血症と、戦ってきたというよりは共生し、それが日常だった人生のなかで、コレステロール値が正常と判断された、私にとっては歴史的な出来事となった。

これが、もしかしたら、新型コロナ禍のおかげでよかった個人的なことなのではないか、と思ったのである。

かかりつけ医の指示に従い、まだしばらくは薬を飲み続け、来月の検査で、今回と同様の結果が出れば、薬の処方を変える、とのことである。

コレステロール値が正常でも、また悪くなっても、食との出会いは一期一会のモットーを変えることはない。食べることは生きること。食を楽しみ続け、探求していくことに変わりはない。そして、早くインドネシアでまた食べまくりたい。ずっと禁断症状なのだ!!

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