(ルワンダ南部ムランビの虐殺現場にはフランス軍が駐留。しかし虐殺は放置された)
昨日、友人のFBでルワンダ虐殺20年に関するBBCの放送に対して、ルワンダ政府が反発し、ルワンダ内で放送を聴けなくする措置をとったことを知った。
Rwanda bans BBC broadcasts over genocide documentary
放送では、ルワンダ虐殺の真実を追求する調査プロジェクトを実施している2名のアメリカ人研究者により、ルワンダ虐殺で殺害された人数はトゥツィよりもフトゥのほうが多いという見解が紹介された、という。
ルワンダの現カガメ政権はトゥツィ主体の政権で、国民和解を進めているが、現政権がともすると取りがちな「虐殺の首謀者はフトゥで、自分たちトゥツィがそれを正して国家を救った」という見解に沿わないと政権側に判断されたようである。
アメリカ人研究者の調査内容についての詳細は未読だが、ウェブ上で、彼らの見解の幾つかをざっと見ることはできる。
What Really Happened in Rwanda?
彼らは「虐殺の否定者」とレッテルを貼られたりするようだが、上記のウェブを読む限り、虐殺を否定しているわけではないように読める。
虐殺はあった。でも、多数派のフトゥが一方的に少数派のトゥツィを殺害したのではなく、双方が殺し合った。虐殺が起こった場所と20年前の当時のフトゥ側・トゥツィ側の支配勢力地図とを照らし合わせると、トゥツィ側の支配地域でも虐殺は起こっている。
カガメがトップだったルワンダ愛国戦線がウガンダからルワンダ国内へ侵攻した後、虐殺がひどくなった。カガメは当時、フトゥ側の政権の軍の上層部と関係があり、大統領機の撃墜にカガメが関わっている可能性がある、などという話である。
これらを読む限り、アメリカ人研究者は、決して、「実はフトゥのほうが正しい」と主張しているわけではない。ただ、フトゥだけが非難されるのではなく、トゥツィもまた非難されるべきだ、というニュアンスは読み取れる。
彼らは、ルワンダ国内で調査中に、ルワンダ政府から何度かお咎めを受けたようである。おそらく、そこで感じた強権性への反発も、彼らの見解に影響を与えている可能性はあるだろう。
ルワンダ政府は現在、フトゥ政権を支えたとしてフランスに対して厳しい態度を示している。とくに、フトゥ政権に対して軍事援助を行っていたこと、フランス軍が虐殺の現場にいながらそれを放置したこと、などを非難している。
筆者は、ここで彼らの見解が正しいかどうかを論じるつもりはない。それよりも、研究者がインタビューなどを通じて明らかにしようとしている「真実とは一体何か」「真実を追求することは何よりも貴いことなのか」ということを問いかけてみたいのである。
上記のアメリカ人研究者2名は、ルワンダに100日間滞在し、各地で住民にインタビューをした。その結果、ルワンダ政府見解とは異なる様々な「事実」が発見された、ということのようである。
しかし、果たして、それは本当に事実なのだろうか。
筆者は以前、FASID主催の海外フィールドワーク・プログラムで、日本の大学院生を連れてインドネシアの南スラウェシ州のある農村で10日間を過ごした。そのなかで、参加者と一緒に、モスクで説教師のおじさんから村の歴史について話を聴く機会があった。
この村のある地域は、1950年代、中央政府に反発して反乱を起こしたダルル・イスラームの支配地であった。説教師のおじさんによると、村は「政府」軍に守られ、近くの町に迫ってきた敵を倒してくれた、政府が助けてくれた、という。史実では、町に迫ってきたのが政府軍で、この地域は反政府軍が支配していたはずである。
話を聴くうちに、村を守っていたのは反政府軍だったはずが、どこでどう変わったのか、説教師のおじさんは、その反政府軍を政府軍と認識していることが明らかになった。参加者の一人が説教師のおじさんの語りを遮り、「おかしいではないか」と言おうとしたが、筆者はそれを止めた。まずは話を聞こうではないか、と。
説教師のおじさんは史実を誤解している。おそらく、その史実を住民たちへ説いてきている。しかし、そのお蔭で、この村は、反乱軍の村だったという理由で政府から弾圧を受けることはなかった。村はそのまま存続できた。政府軍の高官か誰かは知らないが、村の人々に嘘の史実を伝え、それを人々が誤解して信じたことで、村の人々は自分たちの村を今までつつがなく存続させることができた。そういうことではないかと察した。
研究者が真実を追い求めることは重要である。しかし、この村の人々に真実を伝え、誤解していることを認知してもらうことは、果たして良いことなのだろうか。むしろ、安らかな村の状況に波風を立たせ、人々の間に疑心暗鬼を呼び起こしはしないだろうか。真実を告げる研究者は、その村の将来に責任を持てるのか。データだけを集めて、その村から去ってしまうのが普通なのではないか。
もしかすると、インドネシアはこうした多くの村という末端での様々な誤解によって、国としての統一を保たせているのではないかとさえ思った。
たとえ、その統一にヒビを入れてでも、真実を村の人々が知ることのほうが重要だと、我々外部者が言えるものだろうか。その真実を受け入れられるとしても、それまでには長い時間が必要とされるのではないか。あるいは、長い時間が経っても、真実を受け入れないほうが平和であったりするのではないか。
ルワンダに話を戻そう。果たして、ルワンダの人々はアメリカ人の研究者に「事実」を話しているだろうか。あのときに虐殺に関わった人々がまだ近辺に存在するとしたら、あの忌まわしい出来事をそのまま客観的に話すことは難しい。今の自分たちの生活を守ることこそが重要である。
カガメ政権のBBCへの反応は、そうした20年前の傷がまだ皮膚のすぐ下でうずいていることを示している。研究者が真実を明らかにしようとすることは貴いかもしれないが、それがルワンダの人々の何をプラスにするのだろうか。
カガメ政権を決して全面的に擁護するわけではないが、今は、生活を落ち着かせ、傷のうずきを減らすために皮膚を厚くすることが第一のような気がする。
決して、ルワンダ虐殺の真実を追求する研究者の活動を中止せよと言っているのではない。しかし、外部者としては、その調査内容の提示の仕方に、当事者への配慮があって然るべきだと思う。そうでなければ、たとえそうは意識していないとしても、何らかの政治的意図を持って、BBCを利用したと捉えられてもしかたがない。
それにしても、ルワンダ虐殺は、美しき誤解を作れないほど、国民に深い傷を与えてしまっているような気がしてならない。カガメ政権は、そうした美しき誤解を「真実」とするだけの時間を確保する長期政権となるのだろうか。
それはそうと、誤解がいつの間にか「真実」「事実」になるというのは、日本を含めて、どこの世界にもある話だろう。それは、思い込みというものと紙一重なのである。
誤解したままのほうが望ましい、と言っているわけではない。我々は、そうした「真実」「事実」に対してその真偽や意義付けを自ら判断できる、自ら考える頭を持っていなければならないのである。その判断のなかには、むしろ美しき誤解のままのほうがそこの人々にとっては望ましいのではないか、という判断もあり得るということである。