米国でも中国でもなくインドネシア?
私の友人のフェイスブックページに、「未来は米国でも中国でもなくインドネシア」という英語記事が紹介されていました。以下のサイトがそれです。
Indonesia: Country of the Future
これは、今後の経済成長の話を言っているのではありません。たしかに、15〜64歳の生産年齢人口の増加があと10年以上は続くインドネシアは、成長市場として、日本のビジネス界も有望市場として力を入れています。そういう文脈で、日本では「成長著しいインドネシアで儲けよう」というような紹介がけっこうされています。
でも、ここで取り上げるのは違います。
だいたい、掲載されているのはArtists & Climate Changeというサイトで、経済やビジネスとはあまり関係がありません。いったい、芸術や環境問題に関連してそうなサイトがどうして「未来は米国でも中国でもなくインドネシア」などと言っているのでしょうか。
興味のある方は、ぜひ、この内容を直接読んでいただきたいのですが、ここでのキーワードは「コモンズ」です。コモンズとは、コミュニティが共同で管理する資源のことであり、誰か個人の所有権の集合体というよりも、コミュニティが所有するという形です。言い換えると、所有ではなく共有(シェア)を重視するアプローチになります。
今や、世界中のアーティスト、都市プランナー、環境保護活動家などが、資本主義や商業主義に対するアンチテーゼとして、このコモンズの考え方に親近感を抱き、コミュニティと協働しようとしています。
そうした彼らから見ると、インドネシアのゴトンロヨン(相互扶助)といった根強い考え方のなかにコモンズ的なものを強く感じるようです。
インドネシアでも商業主義の影響は村落部にまで広まり、都市ではゴトンロヨンが形骸化しつつある状況も見受けられます。このサイトの書き方はちょっと過大に高評価しているようにも思えます。でも、先日、ジョグジャカルタ市の隣のスレマン県の村へ行った際、農民が村の決まりごとを皆んなで決めて皆んなで守る、本当の意味でのゴトンロヨンがまだしっかりと機能しているのを確認しました。
そのジョグジャカルタなどでは、建築家がコミュニティのイニシアティブや助言を基にして制作活動を行う動きもあるようです。アーキテク・コミュニタスという建築家グループは、地元の人々を信じること、コミュニティとの相互信頼が必要条件である、と明言しています。
インドネシアでのアーティストのユニークな創造性、連帯意識、豊かな資源といったものに加えて、コモンズに関わるローカル・ナリッジ(地元の知恵)が息づいていて、それが持続的な社会を作っていく。とするならば、我々は、気候変動や環境悪化の最前線にあるインドネシアの彼らからもっと学ばなければならないのではないか、とここでは主張しています。
このサイトでは、2016年の流行語「ポスト真実」から、2017年は「コモンズ」へ、というメッセージも込められていました。
日本でも、越後妻有トリエンナーレや瀬戸内芸術祭にもそれらと共通した動きを見ることができるし、それらのイベントをコミュニティとともに作り上げる努力を長年続けてきた北川フラム氏らの活動からも、同様の意識を読み取ることができます。
そう、こうした動きは、インドネシアでも、日本でも、世界でも、同時代的に起こっているのです。とするならば、日本でもまた、「ポスト真実」から「コモンズ」への動きが起こってほしいし、起こしていきたいと思うのです。