福島第2原発を視察した

12月4日、福島第2原発を視察するという貴重な機会があった。

今回も、先週と同様、福島イノベーション・コースト構想推進機構の第2回ツアー「リスクマネジメント・コース」(12月3~4日)に参加してきた。

そのメインが、福島第2原発の視察だった。そして、福島第1原発の事故の際の経験をもとにした避難者による避難所運営に関わるマネジメントや、福島第2原発が事故を防げた理由を学びながらリーダーがどのようなりリスクマネジメントをすべきか、について、ワークショップが行われた。

福島第2原発は、富岡町と楢葉町にまたがって立地する。東京電力は、2019年7月31日、福島第2原発1~4号基のすべてを廃炉とする決定をした。もちろん現在は稼働していない。ただし、燃料棒はまだ残っているため、高い値になることはないにしても、放射線に関する管理は厳格に行われていた。

福島第2原発を視察する意味は、実際に原子炉建屋の中、燃料棒などのある圧力容器の下へ入ることができたことである。事故のあった福島第1原発の視察では、線量が高いため、実際に中へ入ることはできない。内部がどうなっているかを見るには、福島第2原発の視察でその機会があることが有用である。

視察では、携帯、カメラ、メモ道具など何も域内へ持ち込めない。ポケットのなかのハンカチも持ち込めない。

案内の東京電力の方々の指示に従い、赤い来客者カードをぶらさげる、白い入館者カードをぶら下げる、ベストを着る、ヘルメットを持つ。原子炉建屋に入ると、線量計を渡される、靴下を履き替える、靴を履き替える、オーバーオールを着る、白い手袋をはめる。白い手袋の上からビニール手袋をはめる。圧力容器の下へ向かう前に、もう一度靴下を履き替え、もう一度別の靴を履き替える。

とにかく、放射線量の高低に応じて、次から次への身に付けるものが変えられる。肌がむき出しにならないように身につける。夏場は確実に蒸して暑くなるだろう。

原子炉建屋内を歩く際、床に手をつかないように気をつける。床についた手で顔を触ると顔が汚染される可能性があるからとのこと。

原子炉建屋内での視察を終えると、それまでとは逆に、身につけたものを脱いでゆく、原子炉建屋の中を歩いてきた靴下を脱ぐ際には、放射線域で脱ぎ、脱いだ後の素足をそこへ降ろさず、非放射線域へとまたぐ必要がある。

一通り終わって、係員へ線量計を返す。係員が線量計の値を読み上げる。「0.000ですね」とのこと。

原子炉建屋の圧力容器の下は、様々なコードや棒が飛び出ており、体をかがめる必要があった。福島第1原発では、この部分が高熱で溶けてしまい、網状の足元のからさらに下へ落ちていってデブリになったのだ、とリアルに納得できた。福島第1原発では今、自分たちがいるのと同じ場所へ人間が入ることはできず、ロボットを使って内部の状況を確認しようとしているのだ。

福島第1原発の原子炉建屋の内部を見ることはできないが、福島第2原発のそれを見学することで、ある程度リアルにその様子を想像することができる。

また、放射線管理がいかに細かく、最新の注意が払われているかを、様々なものを身に着けたり、ボディチェックを繰り返すなど、面倒なプロセスに時間をかけることも、実際に体験することで納得できる。

写真にもメモにも残せず、ただ自分の五感の記憶に頼らざるを得ないのが難点だが、機会があれば、できるだけ多くの方々に福島第2原発を視察していただければと思う。

上野駅から富岡駅へ

上野駅から特急「ひたち」に乗り、終点のいわき駅(昔は平駅だった)で乗り換え、富岡駅まで来た。

いわき駅から富岡駅までは普通列車だが、車輌は、昔の「スーパーひたち」の旧特急車輌で、乗り心地抜群。いわきと富岡の間を1日に2往復しているというが、それに乗れてラッキーだった。

富岡駅から見る風景には感慨深いものがある。

この写真は、2015年9月19日に撮影した、富岡駅の様子。ホームは残っているが、その向こうには、フレコンバッグの山が積まれているだけだった。

富岡駅の周辺もきれいに整備されていた。崩壊した建物はなくなり、新しい建物が立っていた。当時、駅すぐの場所にあった慰霊碑は、見当たらなかった(下の写真は2015年9月19日)。

常磐線は、富岡駅=浪江駅の間がまだ不通。来年2020年3月には全線復旧・開通となるばく、工事が進められている。それに合わせて、あの夜の森の桜並木も、避難困難区域を解除して、観られるようにしたいそうだ。

現在、夜の森の桜並木の一部は、まだ通行できないままだ。