お詫び:5月9日付ブログの訂正

5月9日付ブログは、「国内唯一の産業廃棄物処理施設」というタイトルで書きましたが、その後、同企業の方から、「国内唯一の産業廃棄物向け最終処分場」というのが正しい、とのご指摘を受けました。インドネシア国内には、焼却や(廃油等の)再利用施設ほか、中間処理施設は複数存在するとのことです。

このご指摘に従って、5月9日付ブログのタイトルと中身を訂正しました。読者の皆様に謹んでお詫び申し上げます。

T様、ご指摘をいただき、誠にありがとうございました。

日本側の思い込み病

5月8日、ジャカルタで日経BP社とKompas Gramedia Groupの主催による「第1回日本インドネシア経営者会議(The 1st Indonesia-Japan Business Forum)」に出席した。

会議は日本語・インドネシア語の同時通訳で行われ、会場のケンピンスキーホテルには、多くの方々が集っていたが、残念ながら、日本側に比べて、インドネシア側の出席者の数が大幅に少なかった。一つのテーブルに6人いると、インドネシア人の出席者は1人、という感じだった。

タイトルは「生活革命」。インドネシアの消費市場に大きな変化が起きており、それをうまく取り込んで業績をどのように上げていくか。果敢に攻めるいくつかの日本企業のトップにお話をうかがうというのがメインであった。

一言でいうと、いかにインドネシア市場の現実を知るか、ということにつきる。よそから来た者が自分に都合のいい現実を探し、それに合わせるようにマーケットへ強要しても、マーケットがそれに反応するとは限らない。一度、真っ新な気持ちになって、インドネシア市場の現実から学ぶ姿勢が重要であろう。

日本でうまくいったものが、インドネシアでうまくいくとは限らない。それは、日本国内で、関東でうまくいったものが関西で必ずしもうまくいかないのと同じである。基本中の基本である。しかし、日本とインドネシアの関係になると、なぜか、日本でうまくいったものはインドネシアでも必ずうまくいくはず、だって日本のほうが製品の品質が優れているから、という話が聞こえてくる。それは、単なる思い込みにすぎない。

思い込み病は日本企業に限らない。私が研究所に勤めていた頃、理論に基づいて論文を書いた方に「現実はこうなっている」といくら説明しても、「そうなるはずがない」とわかってもらえなかった。私のような地域研究者は理論面が弱い、というのは認めるにしても、だからといって現実を見ないというのは、たとえ理論研究者であっても、許されることではないと思ったものだ。

また、援助専門家として働いていたときに、「インドネシア側はこのように変わった」といくら担当者に言っても、「あいつらがそんな風に変わるはずがない。うそだよ」と相手にされないどころか、担当者から疎まれた。「あいつら」という言葉にもびっくりしたが、せめて、その人には、自分が経験したインドネシアの実際の話をしてもらいたかった。ほとんどインドネシアの方とはお付き合いのない方だったからである。

思い込み病の患者さんたちは、その予備軍ともいえる方々に同意を求め、患者さんたちで閉じられたグループを作る傾向がある。そして、事あるごとにそれが「正しい」ことを、彼らの狭い世界で確認し合う。その間に、現実はどんどん変わっていく。早く気がつけば、現実に向き合って修正することもできるが、遅くなってしまうと、間違った認識を持ってきたことを素直に認められなくなり、逆に意固地になってしまうことさえある。

ビジネスの世界は正直である。意固地になったところに対して、現実は寛容に対応してはくれない。インドネシアは寛容だといわれるが、ビジネスの世界で甘めに見てもらえることはない。思い込み病が悪化した日本企業は、「こんなはずじゃなかった」状態に陥ってしまうだろう。

思い込み病は、実は、インドネシアでの自分たちの外の世界へ向けての発信力不足にも関わってくる。「第1回日本インドネシア経営者会議」で発言した数少ないインドネシア側スピーカーの一人、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長が何度も強調していたのが、「日本企業よ、発進力を強化せよ」だった。

これについては、別のブログで改めて論じたいと思う。

【ジャカルタ】ジャワ化した中華 @ Restoran “Rendezvous”

1973年に開業したこの店は、ジャカルタの古き良き時代の庶民的な中華料理の味を今も守っている。名前の通り、この店で出会ったり、デートをしたりしたジャカルタっ子も多いことだろう。

私もここ数年、よく通っていた店である。何回かに一度、何度かインドネシアに赴任して馴染んでいる知り合いの邦人の方にお会いするのである。まさに、ランデブー。

今回のジャカルタ出張中、5月7日の夜に友人夫婦と一緒に夕食をとった。お目当てのシウマイ(Siumai Komplit)は、ニガウリもキャベツもないとのことで見送り。今回食べたのは以下の料理である。

Gohiong Udang Saus Mentega: Rp. 70,000
(エビ肉詰め揚げのバターソース)
 Lindung Fumak: Rp. 60,000
(ウナギの野菜辛味炒め)
Babi Cah Brokoli: Rp. 55,000
(豚肉とブロッコリーの炒め物)
Sup Kimlo Ayam: Rp. 50,000
(鶏肉入りのキムロスープ)

この店の中華料理は、本場風でとても美味しい、という感じではない。本物と比べると、どこか何となく抜けていて、逆に親しみを持ってしまうような味である。中華料理がジャカルタにやってきて、しっかりとこの土地に馴染んだ、そんなジャワ化した中華の味わい、といってよいかもしれない。

以前、この店で Lo Mie(あんかけそば)を頼んだとき、コシのない麺にドロッとした餡のかかった麺が出てきたときは、中華料理とは認めたくない気持ちがした。でも、食べているうちに、これも有りかもしれないと妙に納得した記憶がある。

そう、この古っぽい店でゆったりと食事をしていると、それだけで何となく落ち着いた気分になってくるのである。いつも、若い頃はここでランデブーだったのだろうと思われるお年寄りのカップルを見かけるのだが、なかなか微笑ましい。ふっと、20年前のジャカルタにタイムスリップできるような空間である。

Restoran “Rendezvous” (Pertemuan)
Jl. Johar No. 2B-C, Jakarta Pusat
Tel: 021-3905973, 31923784, 31923468

【スラバヤ】マカッサルの麺 @ Depot Hongkong

ジャカルタからスラバヤへ移って感じるのは、インドネシアで一番馴染んでいるマカッサルに近くなったという気分である。ジャカルタからマカッサルまでは飛行機で2時間、スラバヤからマカッサルは1時間。スラバヤにはマカッサル出身者のコミュニティももちろんあり、我が家の近くにもマカッサルの焼き魚屋がある。

でも、マカッサルで最も舌に馴染んでいたのは、やはり麺である。スラバヤの麺は美味しいにしても、やはりマカッサルの麺を食べたい、と無性に思うことがある。そんなときのために、スラバヤでマカッサルの麺が食べられる店を知っておきたい。

ということで、4月27日に、友人が連れて行ってくれた店が Depot Hongkong である。

まずは、揚げ焼きそば。マカッサルでは Mie Kering、またはMie Goreng Kantonと呼ぶが、この店の呼び名は、Mie Goreng Kwangtong、微妙に違う。Rp. 29,000だった。

マカッサルでいうと、カニで有名なSurya Super Crabの揚げ焼きそばによく似ている。カリカリの揚げ細麺の上に豚肉入りのあんかけが乗っている。細麺のパリッとした感触が何ともいえず心地よい。でも、マカッサルでは必ずレモンをかけ、サンバル・クニンと一緒に食べるのだが、ここにはそのどちらもないので、マカッサルの味に慣れた身としては若干物足りない感じがしないでもない。

これだけでもそれなりに満足なのだが、やはり、マカッサルの麺といえば、ワンタン麺(Mie Pangsit)を頼まずにはいられない。ここでは、Pangsit Mie Ujung Pandang Biasaを頼んだ。やはり名前が微妙に異なる。Rp. 24,000、けっこう高い。

ちなみに、Ujung Pandangとはマカッサル(Makassar)の旧名である(というか、もともとマカッサルという名の都市だったのを1971年にウジュンパンダンに改名し、1999年にマカッサルへ戻したのである)。

ゆで鶏、叉焼(豚)、青ネギの乗った太めのシコシコゆで麺の下に、茹でたワンタンが2個隠れている。これに別添のスープを適宜かけて食べる。

マカッサルのMie Pangsitを食べるときの重要なコツは、ゴマ油をかけて食べることである。ゴマ油はスープに入れても、麺にかけてからスープを加えても、どちらでもよい。これをすると、風味が一層増して、スープにコクが出る。

麺のゆで加減はさすがスラバヤ、という絶妙の加減。しかし、ワンタンが茹でワンタン2個だけというのはちょっと物足りない。マカッサルだと、さらに揚げワンタン1個が乗り、さらに豚の内臓が少し乗るのである。

これもまた、サンバル・クニンがないのが淋しい。といっても、これをそういうものだと思って食べれば、もちろん、それなりに美味しいのではあるが。なお、ワンタン麺には、レモンをかけることは、マカッサルのおいても、ない。

この店のHongkongという名前がちょっとひっかかった。というのは、マカッサルには、かつて行きつけだった中華料理レストランにHongkongというのがあったからである。その店で、私たち家族は、ナマコやカエルなどに目覚めて、病みつきになってしまったのである。

店番の女性に尋ねると、予想通り、「知らない」との答え。でも、この店を経営しているのはマカッサル出身の華人とのことだった。何か関係があるかもしれない。その調査は次回に。

Depot Hongkong
Jl. Kedungdoro B-36-46, Blok B 31, Surabaya
Tel: 031-5315529

支店が以下にもある。
– Jl. Waspada No. 74, Surabaya
– Jl. Karet No. 73, Surabaya
– Jl. Manyar Kertoarjo (Resto Park), Surabaya
– Pasar Atom前のCarrefur ITC内、Surabaya
– Jl. Sungai Ampal Blok AB 4 No. 27, Balikpapan

国内唯一の産業廃棄物向け最終処分場(訂正済)

ジャカルタ出張中の5月8日、午後から日経BPのシンポジウムに出席する前に、西ジャワ州ボゴール県チルンシにあるPT. Prasadha Pamunah Limbah Industri (PPLI) を訪問した。この企業は、日本のDOWAエコシステムの関連会社である。

企業自体は1994年に設立され、元々はアメリカのWMI社の子会社だった。それが2000年にMAEH社にとって代わり、2009年にはそれをDOWAエコシステムが買収し、日系企業となった。

このPPLI社は、産業廃棄物処理を行う企業である。産業廃棄物は、石油ガスなどのプラント現場や工場などから出る金属や化学物質など有害な廃棄物であり、家庭ごみなどの一般廃棄物よりもはるかに危険で有害な物質を含んでいる。このため、特殊な処理を施して無害化して最終処分場に埋めたり、一部は燃料化するなどしている。

インドネシアの都市部では近年、ゴミ問題が深刻な問題となっているが、それは一般廃棄物の問題であり、より有害な産業廃棄物についての関心はまだ大きくないのが現状である。

実際、インドネシアには産業廃棄物処理施設が何ヵ所あるのか。焼却や(廃油等の)再利用施設ほか、中間処理施設は複数存在するそうだが、最終処分場は、このPPLI社1ヵ所なのである。

ちなみに、日本での産業廃棄物処理施設は、中間処理施設が1万9417ヵ所、最終処分施設が2047ヵ所あるとされる(こちらを参照)。

PPLI社には、処理される物質の有害度に応じて2種類の最終処分場がある。さらに、ブカシのMM2100工業団地、スラバヤ、ラモンガン、バタムに産業廃棄物を収集する中継基地を設け、このPPLI社の最終処分施設へ産業廃棄物を搬送する専門のトラック部隊を持っている。

顧客のほとんどは、日系企業を含む外資系企業で、インドネシアの地場企業は少ない。有害物質を扱う企業は自社内で産業廃棄物処理をしている。しかし、少なからぬ企業が産業廃棄物として区別することなく、一般廃棄物として処理している可能性が高い。知らぬ間に、有害な産業廃棄物が一般ごみに交じって処理されている可能性が高いということである。

その背景には、PPLI社での廃棄物処理費用が相当に高いこととともに、産業廃棄物の有害性に対する企業や市民の認識がまだ高くないという事情もある。これは筆者の予感であるが、インドネシア各地で、実は産業廃棄物のまずい処理によって健康被害を被り、身体に異常をきたしている人々は少なからずいるはずだろう。しかし、彼らの多くはそうした知識もなく、それが普通の状態だと思っている可能性がある。そのため、いわゆる公害問題として表面化してこない。

環境問題を取り上げるNGOや市民団体は存在する。しかし、その多くは、科学的な調査に基づくデータ準備力が弱く、それが公害問題であることを立証できていない。一部には、住民をネタにして、政府に圧力をかけたり、個人的な政治的利害の材料に使ったりする場合もあり得る。

グローバル化の中で、企業はコスト競争力の強化を求められ、コスト削減を至上命題としている。市民の安全性への関心が低いことに助けられて、本来考えるべき産業廃棄物処理コストが無視される状態をいつまで続けることができるだろうか。そこにこそ、実は政府の役割があるはずなのだが、インドネシア政府は、民間顔負けの短期的な費用対効果重視の姿勢を見せ、民間にできないことを政府でという姿勢が薄い。それは、インフラ整備を民間資金に頼ろうとする姿勢にもつながる。

インドネシアが産業化していく中で、産業廃棄物処理の問題は益々重要性を持ってくる。社会が豊かになるコストを、関係ステークホルダーが適切に分かち合える方向性を明確にすることが求められてくる。

【スラバヤ】東ジャワ料理各種 @ Handayani

スラバヤにお客さんをお招きして接待する際に、「地元の料理を食べてみたい」といわれたら、この店にお連れするのがよいだろう。東ジャワ料理と銘打ち、代表的な地元料理を存分に味わうことができる。

5月5日に友人2人と昼食を食べた。その際に注文したメニューは以下の通り。

Sate Sum-Sum: Rp. 30,000
(骨の中の髄のサテ)
 Rujak Cingur: Rp. 22,500
(牛の口や鼻の肉を入れた辛めのフルーツサラダ)
 Cah Buncis Teri Medan: Rp. 18,000
(メダンの小魚入りインゲン豆の炒め物)
Udang Sambal Goreng Pete: Rp. 37,500
(プテ豆入りエビのサンバル炒め、ウズラ卵入り)
Lele Sambal Penyet: Rp. 35,000
(ナマズの唐揚げサンバルあえ)

これらに白いご飯、というのが今回のメニュー。もし、スープを取るならば、Sop Buntut(オックステール・スープ)がお薦めである。

お好みに応じて辛さの加減を注文することもできる。たとえば、Rujak Cingurを注文する際に、「普通」はトウガラシ2個なので、辛くしたくなければトウガラシ抜き、あるいはトウガラシ1個、という形で注文できる。

店内は広く、生演奏もあり、貸し切りでパーティーや結婚披露宴などにも利用できる。また、個室もあり、今回行ったときには、ちょうど個室でセミナーか何かを行っていた。

この店は、スラバヤが本店らしく、スラバヤ市内に2店、シドアルジョに1店、ジャカルタにも1店支店がある。ジャカルタ支店は、Jl. Matraman Rayaにある。

昔、ジャカルタ支店でKambing Gering(ヤギの丸焼き)をよく食べたが、今もまだあるのだろうか。スラバヤではお目にかからないのだが。

Handayani Restaurant
Jl. Kertajaya 42, Surabaya
Tel: +62-31-5014900
Fax: +62-31-5028502

【スラバヤ】カニ炒飯 @ Depot Restu

4月30日夜、我が家の近くの、一見何の変哲もない中華小食堂で食べたカニ炒飯(Nasi Goreng Kepiting, Rp. 25,000)。これが予想に反して美味しかった。

若干味を濃くした中華風の揚州炒飯のうえにふわふわのカニと玉子がのっている。いつもは赤いサンバルで食べるのだが、これはそのままいける感じの味の濃さである。また、ご飯がちょっとねちっとしていて、何ともいえぬ噛み心地である。

そういえば、最近のインドネシアのナシゴレンは、パラパラしているものよりも、やや粘り気のあるものが多くなってきたような気がする。

タイやシンガポールの炒飯は長粒米のためにパラパラしているが、インドネシアのはやや短粒米で、日本米に近い。いや、最近はうまい米を求める動きが強く、日本米の食感にかなり近いローカル品種も現れている。

我が家の近くにある中華小食堂、今まで行ったところはどこも実力派だった。

Depot “Restu”
Jl. Mayjend Sungkono 243 D, Surabaya
Tel. 031-5624108

貧乏人は政治家になれない?

政治にはカネがかかる。政治家になるにもカネがかかる。これは、日本でもインドネシアでもある意味、同じかもしれない。民主主義を標榜し、国民主権を掲げ、政治家は国民の代表なのだが、誰もが国民の代表になれるわけではない。

「貧乏人は政治家になれない」というのが現実である。

インドネシア闘争民主党(PDIP)幹部のPramono Anung国会議員の博士論文からの引用という数字が先週の『TEMPO』に載っていた。曰く、以下の人々が議員候補になるために必要な金額はおおよそ以下の通りである。

・アーティスト、スポーツマン、宗教家:2.5〜8億ルピア
・活動家・政党活動家:6〜14億ルピア
・官僚・ 退役軍・警察高官:10〜20億ルピア
・実業家・プロフェッショナル:15〜60億ルピア

100ルピア=1日本円とすれば、最低でも2500万円の資金を用意しないと、議員候補にはなれないということになる。この額は、日本の衆議院議員選挙に出る場合に用意する費用とほぼ同じ額になるようである。

そんな大金をインドネシアのフツーの人が用意できるものだろうか。いろいろ話を聞くが、家や土地や不動産や財産を売却し、親類・縁者から借金をして、苦労して、それでも資金が足りなくて、といった話を聞く。

だから、いったん選挙に出て、勝てば、その借金や費用の回収にどうしても励まざるを得ない。汚職への強い誘因にもなる。 そして負ければ、すべてを失い、貧困生活に陥る場合さえある。

政党は、資金調達のために、できるだけ金持ちの大企業家を取り込みたいのである。資金力が選挙での勝敗の鍵を握るのは明らかである。

それにしても、日本円で数千万円の住宅を購入するために住宅ローンを組み、勤勉に働きながらせっせと返済しているサラリーマンや、急上昇したとはいえ、1ヵ月2万円前後の最低賃金で家族を養っている人々から見れば、選挙に出て議員になるために積まれる大金は、全く別世界のものであろう。

ここに挙げられた政治家になるために必要な資金額が本当ならば、普通に真面目にコツコツ働いてお金を貯めて政治家になる、ということはもはや現実的に困難である。普通の国民が政治家の世界を別世界と感じ、きらびやかなセレブリティの世界と同一視し、政治家に対する期待も関心も失う理由となるだろう。

余談だが、官僚や軍人・警察官になるためには、試験の成績だけでなく、いくらカネを払えるかが暗黙の条件になっており、採用されるためには、ここでも大金を払わなければならない。そのために、田畑や家や家畜や財産を売り払って資金を作っている人々が相当数いるのである。

貧乏人が政治家になれない国、それでも民主国家、共和国、である。

【スラバヤ】海南鶏飯 @ Rumah Makan “Hay Nan”

5月4日昼、スラバヤで美味しいという話の海南鶏飯屋へ行った。英雄の像(Tugu Pahlawan)の近く、ということで、Jl. Pahlawanへ。

一方通行の通りの右側に2軒あり、1軒目がまだ閉まっていたので、2軒目に入る。

昼間から華人系のオヤジたちがビールや黒ビールをガンガンに飲みながら、ガヤガヤ楽しそうに話をしている。この後、魚やら肉やら、どんどんごちそうが彼らの席へ運ばれていった。

お目当ての海南鶏飯はこちら。

特徴このゆで鶏のゆで加減が絶妙で、鶏皮がプリプリし、肉はパサパサしておらず、やや固めである。スープはネギのみのチキンスープで、大根などは入っていない。

今回は、海南鶏飯(Nasi Ayam Hainan)が Rp. 32,000、パパイヤジュース(Juice Papaya)が Rp. 15,000、だった。

Rumah Makan “Hay Nan”
Jl. Pahlawan 73, Surabaya
Tel. 031-5341224, 5349640

Jl. Mayjend Sungkono Darmo Park II に支店がある(Tel. 031-5685143)。

<余談>

前日の5月3日は、ジャカルタで海南鶏飯を食べた。シンガポールのマンダリン・オーチャードにあるChatter Boxの支店がPlaza Senayanの紀伊國屋の隣にある。

さすがに、シンガポールでも有名な海南鶏飯である(Hainan Chicken Rice Rp. 48,000)。

ジャカルタではほかに、セントラルパークにChatter Boxの支店がある。

ジャカルタで5月2日のワークショップを終えて

5月1日夜からジャカルタに来ている。

5月2日の日系企業で働くインドネシア人スタッフを対象としたワークショップを何とか終了した。ほぼ予定通りに終わったとはいえ、主催側としては、ワークショップの進め方や手法について、まだまだ修正すべき点が多いことを痛感した。参加者アンケートの文面もきちんと読んで、しっかり反省したいと思う。

同時に、今回、参加者には、日本人とインドネシア人とのコミュニケーションをよりよくしていくために、日本人に対して求めるものと同時に、自分たちインドネシア人がどうしていく必要があるかについても議論し、書面に書いてもらった。まだ読み終わっていないが、その内容についても、いずれ、皆さんに日本語で公表したいと考えている。

昨日は、ワークショップの後、インドネシアの民間コンサルタント会社と、夜6時から別件での打ち合わせがあり、終わったのが夜8時過ぎ、さすがにどっと疲れてしまった。

今朝は5時半起きして、スラバヤに関する短い締切連載原稿を1本仕上げた。今夜の便でスラバヤへ戻る前に、また別の連載原稿の打ち合わせを関係者と行う予定である。こうした連載原稿やこのブログを通じて、スラバヤやいくつものインドネシアがもっと伝えられるように努めていきたいと思う。

来週も、5月8~9日にジャカルタへ出張する予定である。

5月2日のワークショップ・ジャパンを前に

明日(5/2)、日系企業で働くインドネシア人向けのコミュニケーション能力向上を目的としたワークショップを実施するため、今日(5/1)の夜から3日夜までジャカルタへ出張する。「ワークショップ・ジャパン」と名付けたこのワークショップを実施するのは今回が3回目、基本的な内容は同じだが、一部内容と構成を変えて実施してみる。

昨今の日系企業のインドネシア進出ブームの陰で、日本人経営者・管理者とインドネシア人中堅管理職・スタッフとのコミュニケーションのあり方が重要視されてきている様子がうかがえる。お互いに「相手はこう思っているだろう」という一種の思い込みを持ったまま、それを確認することもなく、物事を進めてしまう。しばらくは何も起こらないので、一種の思い込みが正しかったと錯覚しがちになる。

インドネシア人中堅管理職・スタッフの側からそれを確認しようとするのは難しい。彼らはこれまで、言われたことを忠実にその通りにやるように仕向けられてきたからである。その背景には「相手を喜ばせる」「相手を決して傷つけない」「相手が思うように自分を合わせる」という態度にも表れている。そうしている間、とくに問題が起こらなければそれでよい、のである。

実はそうでなかった、ということに気づいて、「すまん」「すみません」といって済ませられる状況で済ませられればよいのだが、それが放置されたまま、「実はそうでなかった」が幾重にも重なっていくと、ある日突然、何かのきっかけでそれが表面化する。表面化は、必ずしも、いきなり暴力的行動に出るアモック、日本流に言えばキレる、という形になるとは限らない。通常、それは最後の手段である。

その前に、欠勤したり、モノが無くなったり、誰かの悪口や変な噂が流布されたり、些細だがおかしなことが起こる。表面的には、全く関係のないことが多いので、それが見過ごされがちになるが、コミュニケーションがうまくいっていないことへの不満のサインであるケースも少なくない。

こうした状況を是正することは、実は企業内部の当事者同士では意外に難しい。なぜなら、彼らは日々接し、互いに分かっていると思いながら仕事をしているので、「まさか」という事態を想定していないし、それを期待もしていない。両者の本当の気持ちが表れるようにするためには、第三者による適切な働きかけが必要になってくる。

それは、その第三者が日本人経営者・管理者よりもインドネシア人中堅管理職・スタッフのことを良く知っている、あるいはインドネシア人中堅管理職・スタッフよりも日本人経営者・管理者のことを良く知っている、という意味では全くない。そんなことはあり得ない。しかし、両者がお互いにもっと本当の気持ちを知ろうとするきっかけ作りを起こすことはできる。それだけの話である。

この部分を放置したまま、表面的な友好関係を続けているうちに、インドネシア人は親日的だ、日本人はインドネシアと仲良くやっていける、と互いに思い込んだまま、表面的な友好関係で終わってしまうのではないか、という危惧を最近とくに感じている。

大きな話かもしれないが、こうしたことが日本とインドネシアの今後にとっても重要になるのだと思っている。

そんな気持ちを持ちながら、ささやかな試みではあるが、このワークショップを実施していくつもりである。

5月2日の次は、ジャカルタで6月3日、スラバヤで6月12日に実施することを予定している。定員はいずれも30名である。 企業向けの出張ワークショップも承っている。

もっとも、ワークショップをやりながら、この問題は決して日系企業や日本=インドネシア関係だけでなく、どこにでも起こっている問題だと感じている。インドネシア人同士の間でも、勝手な思い込みで会話がなされ、互いに誤解したまま話が進んでしまうケースが少なくない。言語が通じるからコミュニケーションがうまくいく訳ではないのである。

家の近くの福建麺

4月24日の夕食は、前から気になっていた家の近くの福建麺の店に行った。

この周辺には、メダンを冠する小さな料理屋が何軒かあり、米粉の平たい麺のクエティアウ(Kwetiaw)、蜂蜜漬けチャーシューなどを食べさせてくれる大衆的な店である。

皆、メダン出身の華人の店なのだろうか。何軒か行ってみたが、皆、それぞれに美味しい。レベルはけっこう高い。家の近くに手軽に入れるこんな店がいくつもあるのが嬉しい。

さて、この福建麺の店、Hok Kien Mie Akiatも、店の前にKweitiaw Medanと大きく書かれている。しかし、まずは福建麺を食べなければ。メニューを見ると、汁麺、焼きそばで麺の種類がMie、Bihun、Kwetiaw、Tamieといろいろあり、そのすべてが「福建麺」であった。ちなみに、Tamieというのは、玉子麺を油で揚げた麺である。

注文したのは、Hok Kien Mie Rebus。汁麺である。いつも食べる福建麺と同じようなもの。 出てきた福建麺は、ボリュームたっぷりだった。

このなかに、麺が見えないほどの量の海老、豚肉、豚耳、チャーシュー、もやし、青菜、魚団子などいろいろな具が入っている。途中まで食べて、次の写真のような感じである。

また、この福建麺のスープが何ともいえぬいい味を出している。 太い玉子麺とスープの絡みも絶妙である。

すっかり満足したここの福建麺。おそらく、インドネシアでは、私がよく通ったジャカルタの福建麺を凌駕していると思う。思わず、「最強の福建麺」とツイートしてしまった。

この店、実が創業が1932年。そんな昔からスラバヤにあったのだろうか。あるいは、メダンで創業したということなのか。

Hok Kien Mie Rebusは34,000ルピア。近所のワルンで1万ルピア程度で食べられることを考えれば、決して安い食べ物ではないが、たぶん、ジャカルタに比べれば安いだろう。

スラバヤ西部地区であれば、出前配達もしてくれるようだ。この店の常連になりそうな気がする。

Hok Kien Mie Akiat / Kwetiaw Medan
Jl. Mayjend Sungkono, Surabaya
出前注文:031-6031-5910, 031-838-77-168

 

バティックにロゴマーク

バティックといえば、インドネシアが誇るユネスコの世界無形文化遺産の一つである。

工業省は、インドネシア国産のバティック(蝋纈染め)に対してロゴマークを付けることを明らかにした。近年、中国など他国でバティックの生産が盛んになり、それとインドネシア国産とを区別する必要が出ていたことが背景にある。

もともと、工業省には国産バティックにロゴを付けることを決めてはいた。バティックマークの使用に関する工業大臣令2007年第74号、及びその実施規則である中小工業総局長令2009年第71号である。

バティックは大きく、手書きバティック(Batik Tulis)、型押しバティック(Batik Cap)、印刷バティック(Batik Printing)の3つがあり、価格も大きく異なる。もちろん、最も安いのが印刷バティックである。

工業省によると、手書きバティックはゴールド、手書き+型押しバティックはシルバー、型押しバティックはホワイトのロゴが付く。これらのロゴを使うためには、ジョグジャカルタにある国立工芸品・バティック研究所(Balai Besar Industri Kerajinan dan Batik)が行う認証試験にパスしなければならない。

どんなロゴなのかを探していたら、以下のページにそのサンプルらしきものが見つかった。

The simplest way to determine Indonesia original Batik

ここで注目されるのは、印刷バティックにはロゴがないことである。すなわち、印刷バティックはインドネシア国産バティックとして政府が認証しないのである。なぜなら、それは蝋纈染めではなく、バティックの模様を印刷したにすぎないので、バティックとは見なさないのである。

ところが、バティックが世界無形文化遺産に制定されてからというもの、インドネシア国内各地でご当地バティックが大流行となった。もともと、バティックを作ったり着たりする習慣がないところでも、地元産のバティックが作られ始めた。しかし、それを作る素地がないところは、デザインは地元風でも、実際の作成はジャワ島のジョグジャカルタやバンドンへデザインを送って作ってもらうという体制になった。

もともと、バティックの本拠はジャワである。ご当地バティックの背景には、政府が毎週金曜日、政府職員にバティック着用を求めたこともある。それまで、絣など地元の伝統服を着ていた地方でもバティックを着用するようになった。いつの間にか、ジャワ由来のバティックをその伝統がない地方でも着用し、しかもデザインは地元風でも、作る場所はジャワ、という状態が広がった。

今のところ、こうした状況への反発が地方で生まれているという話は聞かない。スハルト時代には、地方がジャワ風の押しつけに反対し、「ジャワ化」(Jawanisasi)への反発が強かったが、今とは対照的である。

ご当地バティックについては、以下の拙稿も合わせてご覧いただければと思う。

バティック・パプアについて

バティック・バンテン

リアウのバティック

ブンクルのバティック

マランのウベホテル

4月24日にマランへ行った際に、午後2時からウベホテルというホテルで面会者と待ち合わせをした。それまで、国立ブラウィジャヤ大学で用事があるので、その近くのホテルということで、ウベホテルで人と会うことになった。

マランのホテルといえば、1985年に始めてマランへ行ったときに泊まったスプレンディッド・インと、その後何度か泊まった、コロニアルな作りのホテル・トゥグが頭にすぐ浮かぶが、ウベホテルというのは知らなかった。

どんなホテルなのか楽しみにしていたら、そこはブラウィジャヤ大学にあまりにも近いところにあった。

なぜなら、ブラウィジャヤ大学のキャンパス内にあったからである。

ウベホテルというのは、ウーベーホテル(UB Hotel)だった。ウーベーはUB、Universitas Brawijayaの略称だったのだ。大学がホテルを経営しているのである。

たしかに、ジョグジャカルタの国立ガジャマダ大学も、バンドンの国立バンドン工科大学も、ホテルを持っている。当初は、大学への来訪者向けだったゲストハウスや宿泊施設をホテルに変えていったのだろう。

このウーベーホテルの「スアサナ・カフェ」(Suasana Cafe)には、ユニークなジュースがたくさんある。「ヘルシージュース」の項目に、ビタミン繊維ジュース、 スタミナ・ジュース、アスパラガス・セロリジュース、人参セロリジュース、尿酸値を下げるためのレモングラスと蜂蜜など、いろいろである。

私が頼んだのは、こちら。

緑キャベツ・パンチである。説明は英語で、「尿酸値を下げるためのチコリーとからし菜とオレンジとリンゴをブレンドした飲み物」とある。さっぱりしてとても美味しい飲み物だった。

ブラウィジャヤ大学の有名学部の一つが農学部で、ヘルシージュースのラインナップにその一端を見ることができた。

1泊の宿泊料金は以下の通りである(下記の料金に税・サービスが含まれているかどうかは要確認)。

Superior: Rp. 500,000
エアコン、テレビ、電話、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、新聞、ツインベッド

Deluxe: Rp. 600,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド

Junior Suite: Rp. 700,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド
コネクティングルーム可

Executive Suite: Rp. 800.000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー付きバスタブ、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド

宿泊のほか、会議、結婚パーティー、テーブルマナーのパッケージもある。

連絡先は以下の通りである。

UB Hotel
Jl. MT Haryono 169, Malang 65145
Phone: +62-341-558585
Fax: +62-341-575810
Email: info@ubhotelmalang.com
URL: www.ubhotelmalang.com
Hotline Service: +62-81-252-11-222-5

なお、余談だが、ブラウィジャヤ大学は日本の様々な大学と協定を結んでおり、最近では日本語教育でも注目されている。現在、日本人ネイティブの日本語教師を募集中。詳細は当方までご連絡されたい。

軽油不足と大渋滞

昨日(4/24)は、スラバヤからマランへ日帰り出張した。マランにある国立ブラウィジャヤ大学の日本文学科を訪問するためである。

スラバヤを出発したのは午前8時。午前10時のアポで間に合うと思ったのが浅はかだった。スラバヤ市内からグンポルまで高速道路を走って、快調に進んでいたのだが、パンダアンの手前付近から大渋滞になった。何台ものトラックが延々とガソリンスタンドへ向けて列を作っていた。

新聞報道にもある通り、軽油が不足気味なのである。多くのガソリンスタンドでは、軽油のストックが無くなっていた。まだ軽油のあるガソリンスタンドへ、トラックやバスなどが集中して押しかけてきたという図である。

5月から、補助金付きのガソリンと軽油の値段が二重になる。すなわち、公共交通機関用とバイク用は現在と同じ1リッター4500ルピアのまま値段が据え置かれる一方、それ以外については同6500〜7000ルピアへ値上げとなることが告知されている。政治的な理由から、石油燃料向け補助金の明示的な削減が難しいので、二重価格制をとることで、少しでも補助金負担を減らそうという政策である。

いつものことだが、価格引き上げが見越されれば、その商品は市中で品薄になる。値上げ前に少しでも買っておこうとする消費者心理とともに、値上げ期待で売り惜しみをする生産者・販売者も存在する。

2014年総選挙・大統領選挙を控えて、石油燃料向け補助金の削減・石油燃料値上げは、極めて政治的な意味を持つ。2年前、国会予算委員会では政府提出の値上げ案をすべての政党が承認していたが、各地で値上げ反対デモが起こり、しかもそれが暴力性を伴って展開したため、事態を沈静化させる必要と人気取りを優先した政党が前言を翻し、国会本会議で揃って反対へ転じた。結局、石油燃料価格は値上げできなかった。

政府はそれを学習し、かつ、石油燃料補助金の恩恵を受けているのが実は高額所得者ではないかという議論も踏まえて、今回のような二重価格制の導入を試しにやってみようとしているのだろう。

補助金支出が財政上の大きな負担となり、インフラ整備などへ予算を配分できない状態が指摘されて久しい。政治的理由から石油燃料補助金を一気に削減することは難しく、二重価格制のような小細工を使いながら、実質的な補助金削減を少しでも果たそうとするのは、苦肉の策ではある。

5月に上記が実施され、7月から断食に突入、8月初めの断食明けまでの物価上昇の季節である。経常収支も赤字傾向が続き、通貨ルピアは安含みで展開、輸入減少は期待できないので、輸入品価格も上昇となる。雨季作の米の作柄がそれほど悪くないとして、それがどれぐらい物価を安定させるかが鍵になるが、やはり物価上昇傾向はより鮮明になる。

そういえば、最近は「市場操作」(Operasi Pasar)という言葉をあまり聞かなくなった。以前のインドネシアでは、市中で米や灯油が足りなくなると、政府が「市場操作」でそれらを注入し、価格を安定させようとした。今は、市場メカニズムに委ねるという方向なのだろう。政府が「市場操作をやる」と表明するだけで、売り惜しみをしている側がストックを放出するというデモンストレーション効果も期待できるはずだが、最近はあまり聞かれない。

2013年第1四半期の投資は依然好調

4月22日にインドネシア投資調整庁(BKPM)から発表された2013年第1四半期(1〜3月)の投資実施額は、前年同期比30.6%増の93兆ルピア(約95億ドル、約1兆円弱)となった。投資実施総額の70%を外国投資が占めた(65.5兆ルピア)が、伸び率では国内投資が前年同期比39.6%増となり、外国投資(同27.2%増)を上回った。

カティブ・バスリBKPM長官によると、国内投資の急伸は旺盛な外国投資の影響を受けている。すなわち、外国投資が増えるとともに、その外国投資へモノを供給する、あるいは外国投資による製品に関係する国内投資が増える構造になる。カティブ長官は、自動車産業への部品サプライヤーの例を挙げて、外国投資の増加が国内投資へスピルオーバー効果をもたらしていると解釈する。

国内投資の大きかった業種は、鉱業(6兆ルピア)、倉庫・通信業(6兆ルピア)、金属・機械・電機(1.8兆ルピア)、電気・ガス・水道(1.7兆ルピア)であった。

国内投資の大きかった地域は、東ジャワ(9兆ルピア)、東カリマンタン(4.8兆ルピア)、南カリマンタン(3.4兆ルピア)、北スマトラ(2兆ルピア)、ジャカルタ(1.9兆ルピア)の順である。

一方、外国投資の大きかった業種は、鉱業(14億ドル)、化学・薬品(12億ドル)、金属・機械・電機(10億ドル)、輸送機器(9億ドル)、製紙・印刷(6億ドル)であった。

外国投資の大きかった地域は、西ジャワ(13億ドル)、バンテン(11億ドル)、パプア(8億ドル)、東ジャワ(6億ドル)、リアウ(6億ドル)の順である。

外国投資の大きかった国は、シンガポールを抜いて日本(12億ドル)がトップになった。
日本に続くのがアメリカ(9億ドル)、韓国(8億ドル)、シンガポール(6億ドル)の順である。

やはり、日本からの投資、とくに自動車関連の投資がここに来て、投資全体のなかで相当に大きな地位を占めていることが改めて分かる。なお、日本からの自動車関連投資については、別稿として考察してみたいことがある。

BKPMによる2013年通年の投資実施額の目標は390.3兆ルピア。その意味では、幸先のよいスタートを切ったといえるかもしれない。しかし、これが第2四半期にも続くかどうかは、決して楽観はできない。

たとえば、2013年2月の投資財の輸入は前月比 1.59%減となった。カティブ長官は、投資財輸入減少が今後も続くようならば、投資実施にも影響が出てくると懸念する。

APEC貿易大臣会合の会場前にて

4月20日、APEC貿易大臣会合が開催されているスラバヤのGrand City Convention Centerの前にいた。というのは、隣がGrand City Mallになっていて、そこへ行ったついでにConvention Centerの前にいた、というわけだ。決して、貿易大臣会合に何か関係があったわけではない。

Convention Center前にずらっと並んだ警察の白バイ。なかなか圧巻である。

スターバックスで警察官や会合関係者が談笑したりしていて、けっこう和やかな雰囲気だった。ちょうど4月20日は「カルティニの日」。隣のGrand City Mallでは、おそろいの制服を着た軍人・警察官・役人の奥様方が集まって、歌や踊りのイベントをしていた。

けっこう和やかな雰囲気のAPEC貿易大臣会合の現場だったが、実は、スラバヤ市内のJl. Basuki RachmatでAPEC会議開催に反対する学生たちのデモがあり、3人が拘束されたことを後で知った。

Demo Tolak APEC Dibubarkan Polisi, 3 Pendemo Diamankan
(インドネシア語記事)

デモをした学生たちは、APECを資本主義や帝国主義の観点から批判したのだろうか。搾取する側、される側という話なのか。学生も、そろそろ埃をかぶったイデオロギーを持ち出して、イメージでデモをするのを止めたほうがよい。今、ここで議論すべきは、たとえばTPP協議への参加が是か非か、といった議論になるのではないだろうか。

インドネシアでは、まだTPPに関する議論はほとんど表面に現れていないが、一部の識者から「TPPへインドネシアも参加すべきだ」との議論が出てきている。もし、今、TPPに関する議論が公に行われれば、来年の大統領選挙へ向けて大きな議論となり、おそらく現状ではTPPに反対する候補が勝つ可能性が高い。インドネシアをTPPへ引き入れたい側は、今はその議論をそっとしたままにしておきたいだろう。

そして、スラバヤでのAPEC貿易大臣会合と並行した別の交渉で、すでにTPP協議に参加している国々の同意によって、日本のTPP交渉への参加が認められた。日本での新聞報道によると、日本側が積極的に、日本のTPP協議参加への同意を既参加国へ働きかけていたということである。

TPP、世界GDPの4割 日本の交渉参加を正式承認

日本のTPP加盟へ向かう一歩は、事実上、このスラバヤで始まったのである。

美味しいソト・アヤムと出会う

私の最も好きなインドネシア料理といえば、それはナシ・ソト・アヤムである。ナシはご飯。ソト・アヤムは、鶏肉の入った実だくさんの野菜スープである。

ソト・アヤムは地方ごとに味付けや中に入れる野菜の種類などが異なる。独断と偏見でいえば、大きく、東ジャワ系と中ジャワ系に分かれる。東ジャワ系(ソト・マドゥラ、ソト・アンベガンなど)は全般に黄色っぽいスープで、ターメリックが若干入っているようである。一方、中ジャワ系(ソト・クドゥス)は全般に黒茶っぽい色のスープである。

ソト・アヤムのなかにご飯を入れて、雑炊のようにして食べるのは、東ジャワと中ジャワだが、多くの場合、ご飯を一緒に入れるか、ご飯をソト・アヤムと分けるか、と聞かれる。

ちなみに、ジャカルタでは、ほとんどの場合、ご飯とソト・アヤムは別々に運ばれてくる。そして、筆者が観察した限りでは、ソト・アヤムのなかにご飯を入れて食べている人を見かけたことはない。ご飯のうえにソト・アヤムをかけて食べている人が大多数である。

日本でも、味噌汁にご飯を入れて食べたりすると「猫マンマ」などと言われて、あまりしない方がいいように言われていたように思うが、ジャカルタでは、ソト・アヤムにご飯を入れるのも、そのような感覚で捉えられているのだろうか。

ソトにはソト・アヤム以外にもソト・ダギン(牛肉のソト)などがあり、スラウェシにはソトがないこと、スープ(ソプ)とソトはどう違うかなど、ほかにも色々と書きたいことはあるが、別の機会に書くことにして、4月20日に食べた美味しいソト・アヤムの紹介に移る。

場所は、スラバヤ市内のJl. Indragiriの薄汚れた名もないワルンである。市の中心部からJl. Dr. Sutomoを通ってJl. Mayjend Sungkonoへ抜ける手前の左側、ワルンが並んでいるところの一角である。

暗いワルンのなかでフラッシュをたかないで撮影したので、ちょっとはっきりしないかもしれない。ここのソト・アヤム、ソトのうえに細かい揚げ玉のようなものがふんだんにかけられている。これがアクセントになって、口の中に入れると何ともいえずいい。余談だが、インドネシアでナシ・ゴレンやガドガドにクルプック(揚げせんべい)が付いてくるのは、口の中にアクセントを求めるジャワ人のテイストなのではないかと思っている。

次にスープ本体だが、ややドロッとしたスープで、鶏の味が出ていて、しっかり煮込んである感じがする。極細の素麺らしきものとキャベツなどの野菜のバランスも良い。鶏肉は最初から煮込むのではなく、後から切って入れられる。これに、好みに応じてレモンやサンバルを加える。

筆者はナシ・ソト・アヤム、すなわち、ご飯がすでに中に入っているのを頼んだので、スープの下からご飯が現れる。ややドロッとしたスープとご飯との相性がまた格別である。

カウンター席の前には揚げ豆腐、揚げテンペ、ウズラの煮卵の串刺し、鶏の腸の串刺しなどがあり、それを適当につまみながらソト・アヤムを食べる、という形式である。

ナシ・ソト・アヤムが1杯7000ルピア、ウズラの煮卵の串刺し1本500ルピア、冷たいお茶2000ルピアで、しめて9500ルピアだった。普通のワルンでの食事に比べるとちょっと高めかとも思ったが、十分に経済的な値段である。

ワルンの前に置かれている屋台からすると、ラモンガン出身者のようである。ラモンガンはスラバヤから西へ車で2時間弱の地方都市で、ソト・アヤムが有名である。また、出稼ぎ者も多く、筆者がかつて住んでいたマカッサルでは、海岸沿いのジャワ人のやっている屋台のほとんどがラモンガン出身者だった。

この名前のないワルンは、昼間しか営業していない。おそらく、初めての人はなかなかたどり着けないだろうが、心配はいらない。タクシーの運転手ならみんな知っているからである。

ジャカルタと比べるとスラバヤは・・・

4月17日、日帰りでスラバヤからジャカルタへ出張してきた。今週は、締切原稿が月〜水で通常より1本多い3本だったこともあり、ブログの更新を怠ってしまった。

実は、新たに、インドネシアで発行されている日本語媒体4誌に連載を書くことになった。ほとんどがスラバヤについて書くことになっており、このブログも含めると、少なくとも5つの媒体でスラバヤのことを書くことになる。当然、同じ内容は書けないので、日夜、アンテナを張りながら、書く内容のネタ探しに勤しむことになる。それはそれで楽しいのだが、けっこうしんどいかもしれない。5つの媒体で各々中心テーマを定めながら、重複しないように書いていくことになる。

と、ここ数日、更新できなかった言い訳めいたことを書いた後で、スラバヤに来てから思っていたジャカルタとの「感覚的な」違いを少しメモしておく。今回、ジャカルタへ日帰り出張したことで、さらにその違いを実感した部分もある。

その1。渋滞である。ジャカルタの渋滞は、ノロノロ流れていればいいほうで、多くの場合はスタックして停まってしまう。本当に動かなくなるのがジャカルタの渋滞だ。一方、スラバヤでもタクシーの運転手が「スラバヤでも渋滞が最近多くてねえ」という話をするが、ノロノロでも車が流れている。スラバヤの渋滞はまだ車が動いている。

その2。ジャカルタでは空港高速に西のタンゲラン方面へ行くトラックやトレーラーが混在するので、渋滞があちこちで起きる。一方、スラバヤの空港への高速はガラガラである。これは、空港高速がほかの高速と一緒になっている部分が少ないためである。たしかに、タンジュン・ペラッ港と南のグンポルまでの区間はトラックやトレーラーが多く走り、時間によっては速度が落ちるが、分岐点から空港高速に入った途端、車がほとんど無い。ちなみに、我が家からは30分である。

その3。セキュリティーチェックについて。ジャカルタでは、爆弾テロ事件が頻発したことで、オフィスビル、ホテルやショッピングセンターでのセキュリティーチェックが今も行われている。以前に比べれば形式的になったとはいえ、それは続けられている。一方、スラバヤではそうした検知器を配したセキュリティーチェックにほとんど出会わない。スラバヤのほうがのんびりした雰囲気を感じる一因は、セキュリティーチェックのものものしさが無いことにもあるように思える。

ちなみに、ジャカルタでセキュリティーチェックがけっこうな数の雇用機会を生み出しているだろう。安全になったからといって、一度創った雇用機会をなくすわけには行かないという事情もある。たまたま、スラバヤではジャカルタのような爆弾テロが起こらなかったというだけに過ぎない。

その4。スラバヤでの地元の簡単な食事の値段がジャカルタよりずっと安い。これは体感的なもので、統計的に調べたものではない。しかし、ジャカルタでは1食に付き5万ルピアぐらいは覚悟するのに対して、スラバヤでは3万ルピアぐらいで済んでしまうという実感がある。道端の小さなワルンでナシ・ラウォン(ご飯にラウォンをかけたもの。ラウォンは牛肉を煮込んだ黒っぽいスープ料理)食べれば、コーヒーも入れて5000ルピアだったりする。

その5。スラバヤの公共交通機関は貧弱である。公共バスも乗合も走っているが、その数がジャカルタと比べて圧倒的に少ない。多くの人は自家用バイクや自家用車を使っている様子である。何度か乗合(ジャカルタのミクロレットのようなもの)に乗ったが、短い距離でも3000ルピアだった。この値段はジャカルタより高く、マカッサルとほぼ同じ金額である。反面、ジャカルタのように、道路でジグザグ運転するバスもないので、車は比較的素直にスムーズに流れている印象がある。

まだまだ色々あるが、ネタを常に仕入れる必要もあり、今回のところはこの辺で。

 

お詫び:スラバヤ市の姉妹都市は高知市と北九州市

3月15日付「4月からスラバヤへ」のブログの前のバージョンで「スラバヤ市と大阪市は姉妹都市」と書きましたが、誤っておりました。

スラバヤ市の姉妹都市は高知市と北九州市です。すでに、上記ブログを訂正いたしました。読者の皆様に謹んでお詫び申し上げます。

4月からスラバヤへ(訂正済み)

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