よりどりインドネシア第4号を発行

よりどりインドネシア第4号を発行しました。今回は、カソワミ、カーニバル、海の高速と我らの家、そして、よりどり情報サーチ法の4本です。

▼ワカトビ列島のカレドゥパ島でカソワミを食べました。どんな食べ物なのでしょうか。▼娯楽が少ないと言われたインドネシアで、カーニバルを活かしたまちおこしが広まりつつあります。それは地方都市ジュンブルから始まりました。▼国内物流コストを下げるための「海の高速」と「我らの家」、いったいどんなものなのでしょうか。少し解説しました。▼中央統計庁とインドネシア銀行のサイトで統計情報を探す方法をお教えします。

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【スラバヤの風-40】ジュンブルといえば枝豆

東ジャワ州ジュンブル県にしかないものには、前回お知らせしたジュンブル・ファッション・カーニバルのほかにもう一つある。枝豆である。インドネシアで生産される枝豆のほとんどは、ジュンブル県で生産されている。

ジュンブル県で枝豆を生産・冷凍しているのはミトラタニ27という民間企業で、国営第10農園会社と民間企業の合弁会社である。1995年に設立され、ジェトロ専門家の指導に基づいて、枝豆生産・冷凍を開始した。生産量は年間6,500トンで、85%が冷凍枝豆として輸出される。輸出のうちの85%が日本向けで、残りは米国向けである。

しかし、日本の枝豆需要は6万トンあり、インドネシア産はその1割程度しか供給していない。輸入枝豆のシェアでも、インドネシアは5%程度であり、インドネシアと同じ頃に枝豆生産・冷凍を開始したタイ(25%)を大きく下回っている。同社からの日本向けの冷凍枝豆は、東京・銀座の料亭やレストランへ高級枝豆として提供され、タイ産よりも品質がよいとされているが、国内での生産量が伸びていないのが現状である。

枝豆はわずか70日で生育し、ほぼ毎日収穫できる。通常の大豆と同様、地力を高めるため、8〜11月はオフとし、連作は行わない。作付面積は1,000〜1,200ヘクタールだが、なかなか広がらない。枝豆の栽培は通常の大豆よりも様々な注意が払われ、ミトラタニ27社が農家に対して細かに品質管理を指導する。とくに輸出向けのために540の殺虫成分に関する検査をクリアする必要がある。

このため、枝豆の栽培コストは通常の大豆よりもはるかに高くなり、インドネシア国内市場での枝豆は高級食材となる。農家としては、通常の大豆よりも面倒な枝豆栽培を敬遠する傾向がある。

枝豆の種苗は台湾から輸入していたが、2008年に台湾が種苗輸出を禁止したため、現在は、かつて輸入した種苗を国内で増やしている。このため、ミトラタニ27社は枝豆の新品種導入などに不安を感じている。

このように、枝豆の栽培面積がなかなか増えず、新品種の導入が難しい状況のなかで、ミトラタニ27社自体も工場の生産能力を拡大させるタイミングを測りかねている。

枝豆は、ジュンブル県にしかない地域おこしの格好の対象産品であるが、国内での認知度が低く、高級イメージの強い現状では、県政府も積極的に枝豆をプロモーションする姿勢を見せていない。ミトラタニ27社も、枝豆だけに頼らず、オクラや他の野菜の生産・冷凍輸出の比重を高める方向性を探り始めている。

 

(2015年1月4日執筆)

 

【スラバヤの風-39】ジュンブル・ファッション・カーニバル

→ 2015年のジュンブル・ファッション・カーニバルの動画サイト

日本ならば、あちこちの地方で毎週のようにお祭りがある。インドネシアでは、宗教行事を除いてあまりお祭りを見かけない。それがちょっとつまらないと思っていた。ところが、今や全国23都市でカーニバルが催され、インドネシア・カーニバル協会が設立されるところまで来ていたことに気がついた。インドネシアは、いつの間にか、お祭りに満ちあふれる国へ変わっていたのである。

その発端は、2001年に始まり、2014年で14回を数える東ジャワ州ジュンブル県のジュンブル・ファッション・カーニバル(JFC)である。総合プロデューサーを務めるディナンド・ファリズ氏がJFCを提唱したのには理由があった。

ジュンブル県は農業県で、とくに葉タバコ栽培の中心地である。近年の禁煙運動の影響でタバコへの需要が減少し、県内のタバコ工場が閉鎖されて失業が広がった。とくに失業した若者たちは懐疑的かつ非生産的となり、加えて、インターネットやテレビなどのメディアが彼らをより受動的にした。

ファリズ氏は、こうした状況をジュンブル県の未来への危機と認識した。彼は、ファッションを通じて若者たちにライフスキルを学ばせることで、創造性を促し、協力を構築し、自信をもたせ、リーダーシップを発揮させる機会としてJFCを考案したのである。

JFCは毎年異なるテーマで様々なファッションを提示する。過去には、バリ爆弾事件やスマトラ沖地震・津波などがテーマとなった。参加する若者たちは、これらテーマを通じてグローバルな現象を学び、コスチュームのデザインや音楽を創造し、表現していく。JFCでは、各チームがカテゴリー別に競い、優勝チームには奨学金が送られる。クライマックスは、参加者のデザインしたコスチュームをまとった総勢400人以上の路上パレードで、沿道には約10万人以上の観客があふれる。

JFCは地域経済に多彩な恩恵をもたらす。デザイナーはもちろん、地元の仕立屋、アクセサリー屋、ハンディクラフト屋などが動員され、新たなファッション・デザイン産業が生まれる。飲食店、ホテル、露天商(カキリマ)も潤うことは言うまでもない。

その後、2008年、中ジャワ州ソロ市では、ジョコウィ市長(当時。現大統領)の下で、初めてのソロ・バティック・カーニバル(SBC)が開催されたが、ファリズ氏率いるJFCの52名が参加し、先導役を務めた。SBCは、「ソロがイスラム強硬派の本拠地」というイメージを払拭する目的で開始され、今ではJFCと並ぶ規模のカーニバルへ成長した。こうして、インドネシアの地方都市で、カーニバルを活かした街づくりが静かに広まりつつある。

 

 

(2014年12月19日執筆)