【インドネシア政経ウォッチ】第62回 暴力的社会団体の復権(2013年11月7日)

暴力的社会団体を政府・軍高官が擁護する発言が相次いでいる。たとえば、10月24日、ガマワン内務大臣が「イスラム擁護戦線(FPI)は国家の財産である」と発言して政府との協力関係を促して以降、FPIの活動が活発化している。それまで、暴力的社会団体は社会悪として取り締まる方向だったのが、急反転した印象である。

10月27日は、インドネシア独立の源泉である「青年の誓い」が発せられた記念日である。この日、陸軍戦略予備軍(コストラッド)のガトット司令官は、パンチャシラ青年組織(プムダ・パンチャシラ=PP)に対してパンチャシラ(建国5原則)擁護の前線に立つよう求めた。同時に「多数意見が常に正しいとは限らない」として現行の民主主義への疑義を示し、「軍は政治に口を出さず」という原則を破ったとして物議を醸している。

PPは1981年にスハルト大統領(当時)と国軍の後押しで設立された自警武闘集団である。愛国党という自前の政党を持つ一方で、組織の上層部はゴルカル党幹部でもある。

PPは早速、事件を起こした。「青年の誓い」の日の数日後、EJIP工業団地で最低賃金引上げを求める金属労連のデモ隊と衝突し、8人が負傷、バイク18台が破壊される事態となった。工業団地では、エスカレートする労働組合デモに対抗する自警団を企業側が組織しており、そこへPPが入ってきた。廃棄物処理業者の多くはPPに属しており、デモによる工場の操業停止は彼らにとって死活問題となるのである。

組合側は経営者側がPPを用心棒にしたと批判するが、そう言われても仕方がない。実際、労働組合連合体のひとつ、全インドネシア労働組合(SPSI)は分裂し、その一方のトップをPPのヨリス議長が務める。ヨリスは「SPSIはインドネシア経営者協会(Apindo)と協調し、過激な労働組合デモに対抗する」と2012年11月に宣言している。

ゴルカル党はPPを通じてSPSIの動員力を手に入れた。来年の総選挙・大統領選挙を前に、暴力的社会団体の利用価値が再認識されている。

【インドネシア政経ウォッチ】第54回 国軍司令官の交代(2013年9月12日)

ユドヨノ大統領は8月30日、退役する国軍司令官アグス・スハルトノ空軍大将の後任にムルドコ陸軍参謀長を任命した。国軍幹部人事は、国会承認を得ることが義務付けられており、今回の人事も8月27日に国会承認を受けた。

国軍司令官ポストは、陸・海・空の参謀長が交代で就くのが慣例として10数年前から定着しており、今回、陸軍トップが国軍司令官となるのも順当な人事である。しかし、ムルドコが陸軍副参謀長から陸軍参謀長に就任したのが今年5月22日であり、陸軍参謀長を実質わずか3カ月務めての国軍司令官就任は、異例の速さと言える。

ムルドコ新国軍司令官は1957年、東ジャワ州クディリの貧しい家庭に生まれた。1981年に国軍士官学校を優秀な成績で卒業後、ジャヤ陸軍区(ジャカルタ)参謀長、陸軍戦略予備軍第1部隊司令官、タンジュンプラ陸軍区(西・中カリマンタン)司令官、シリワンギ陸軍区(西ジャワ)司令官、国軍防衛研修所(レムハナス)副所長、陸軍副参謀長などを歴任した。

先週号の週刊誌『テンポ』は、ムルドコ新国軍司令官の持つ資産について報じている。それによると、総資産額は321億8,522万3,702ルピア(約2億8,900万円)と45万米ドル(約4,500万円)であり、ユドヨノ大統領の76億1,600万ルピア(2009年)、前任のアグス・スハルトノ国軍司令官の37億ルピア(2010年)と比べても、破格に多い額である。ムルドコの説明では、建設労働者から成り上がった義父の所有するさまざまな土地の相続、公務で海外勤務した際の手当を貯めたもの、ということである。

かつて、インドネシア政治を分析する際には、国軍幹部人事を抑えるのが鉄則で、陸軍特殊部隊や陸軍戦略予備軍、および東ティモールなどでの野戦経験の有無、軍高官との上下関係・ネットワークなどを細かく見ていた。しかし、もはや軍の政治介入はなく、国軍幹部人事を分析する重要性は薄れてきた。メディアはむしろ汚職の匂いを嗅ぎ回っている。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130912idr019A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第48回 FPIと住民の衝突事件(2013年 7月 25日)

イスラム教の聖なる断食月を迎えて、巷では飲酒やカラオケなどを控えるムードが広がっている。毎年のように、白装束の集団が、断食月を尊重しないと見なすナイトクラブやバーなどを襲撃する事件が起こるが、その先頭に立つのがイスラム防衛戦線(FPI)である。この集団の暴力性は以前から問題視されており、先般成立した社会団体法も、こうした団体を法的に規制することを目的のひとつとしている。

そして今年も、断食月にFPIによる暴力事件が起こった。7月17日、中ジャワ州クンダル県スコレジョへFPIが現れ、トゲル(Togel)と呼ばれる賭け事を行っている現場や、陰で女性を斡旋するワルン(warung remang-remang)の摘発を行なおうとしたが、地元住民側が立ちはだかった。そこで翌18日、FPIは、より大勢の人員を動員し、再度現場へ向かったところ、あらかじめ警備していた住民と衝突した。衝突のさなかに、FPI側の運転する車にはねられて住民1人が死亡したことで、住民の怒りが爆発し、逆にFPIを襲い、住民をはねた車を焼打ちにした。結局、地元警察によってFPIは現場から引き離された。

この事件で注目すべき点がある。第1に、FPIは軍や警察と関係を持ち、左翼思想など治安上問題視される勢力へ圧力をかける役目を果たしてきた。また、イスラム教を政治的に使いたい政治家もFPIを擁護してきた。第2に、断食月にもかかわらず、トゲルや女性斡旋を自粛させるべき立場の警察がそれらを見逃していた。実は、トゲルや女性斡旋を仕切る地元のならず者集団と警察とが裏でつながっており、結果的に警察はそれらを擁護する立場にいるからである。すなわち、今回の事件は、警察と関係する異なるグループ同士の争いという側面がある。

民主化したインドネシアでは、結局、襲撃を繰り返すFPIが常に批判される。しかし、トゲルや女性斡旋の広がりもまた、地元のならず者集団を拡張することにつながる。暴力が社会に広まる傾向は、それを擁護する警察や政治家の存在と無関係ではない。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130725idr021A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。

【インドネシア政経ウォッチ】第47回 軍にクーデターの伝統はない?(2013年 7月 18日)

7月3日、エジプトで軍の絡む政権交代劇が起こった。合法的な選挙で選ばれたモルシ大統領が政権の座を追われ、軍主導の新政権が発足した。一部報道では「軍によるクーデター」とされるが、日米とも「クーデター」という言葉を注意深く避けている。

このエジプト政変に対して、7月4日、インドネシアのユドヨノ大統領がいち早くツイッターでつぶやいた。ユドヨノは「エジプトにおける軍の役割はインドネシアのそれと同じく、民主化を支持するということだ」「民主化への移行期には軍の役割が決定的に重要であるとオバマ米国大統領に語った」「劇的な政治変化を経験した民族は和解を進めなければならない。反対勢力を一掃すべきではない」などとつぶやき、今回のエジプト政変では民主化を進めるために軍が動いたと肯定し、国民和解への期待を示した。

しかし、インドネシアの民主化運動家やイスラム指導者などは、軍による事実上のクーデターとみなし、民主主義を否定する動きとしてエジプト新政権樹立を批判的にとらえた。ユドヨノ大統領のつぶやきは、あたかも民主化のためならば軍事クーデターを肯定するかのようにインドネシア社会で受け止められる可能性が出ていた。

こうした空気を察知したのか、7月8日、ムルドコ陸軍参謀長は「インドネシア陸軍にクーデターの伝統はない」「合法政権をクーデターのような非合法な手段で陸軍が覆すことはない」と発言した。実際、退役軍人の一部にはユドヨノ大統領への強い不満があり、彼らが軍と結んで政権打倒へ動くことをユドヨノ周辺が恐れる様子もあったのである。

果たして、インドネシアの軍にはクーデターの伝統が本当にないのか。この国には、1965年9月30日事件やアブドゥルラフマン・ワヒド政権末期など、軍が政権交代に関わった歴史があるが、軍のクーデターとはみなされていない。民主化で政治に口出しすることのなくなった軍だが、本当に民主化を進める役割を果たすのだろうか。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130718idr019A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。

【インドネシア政経ウォッチ】第34回 コパススのたそがれ(2013年 4月 11日)

陸軍参謀本部は4月4日、3月23日に起きたジョクジャカルタ特別州チュボンガン刑務所への武装勢力による襲撃事件は、陸軍特殊部隊(コパスス)の軍人による犯行だったと発表した。彼らの上官がジョクジャカルタ市内のカフェで残虐に殺害されたことへの報復として、犯人の収容されている刑務所を襲撃したのである。

識者の多くは、今回の無法な刑務所襲撃を「民主主義の危機」と厳しく批判した。しかし同時に、暴力を是認する「ならず者(プレマンと呼ばれる)主義」に対する批判も高まりを見せている。特に、政治家がプレマンを用心棒のように使い、政治の世界に暴力を持ち込んだことへの批判が強い。今回、コパススの上官もプレマンに殺害された。

もっとも、コパススも警察も、これまでプレマンを情報源としても活用してきた。だが、民主化の進展に伴う法治主義の徹底により、治安維持やテロ対策の役割が警察へ移され、コパススの活躍の場は限定的になった。それにより、コパススとプレマンとの関係も相対的に希薄になった。また、民主化で情報開示が進められ、コパススが過去に関わった闇の部分が明かされ始めると、精鋭部隊の輝きは大きく失われていった。

赤ベレーのコパススといえば陸軍の最精鋭エリート部隊である。歴代の陸軍幹部のほとんどはコパスス出身者だった。その任務は、ハイジャックや人質事件への高度な対応、テロ対策などが中心だったが、1980年代半ばの「ミステリアス・シューティング(ならず者一掃作戦)」や、1990年代後半の反政府活動家誘拐事件など、闇の作戦も担ってきた。

有力大統領候補の1人、グリンドラ党のプラボウォ党首はかつてコパスス司令官を務め、東ティモール、パプア、アチェなどでの工作活動を仕切った。1998年5月のジャカルタ暴動へのコパスス絡みでの関与も取り沙汰される人物である。コパススの負のイメージはプラボウォと密接につながる。コパススのたそがれは、プラボウォに対する間接的ダメージにもなる。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130411idr021A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。

【インドネシア政経ウォッチ】第30回 軍人が警察署を襲撃(2013年 3月 14日)

3月7日、南スマトラ州オガン・コメリン・ウル県で、陸軍砲兵部隊に所属する75人の軍人が同県の警察本署を襲い、建物を焼失させた。軍人らは、さらに他の警察署も次々に襲撃していった。今回の軍人による警察への攻撃は、1月27日に砲兵部隊の軍人が交通警察に射殺されたことへの報復とされている。

軍人らは警察本署周辺の道路をあらかじめ封鎖し、車両の通行を止めてから襲撃を開始。事前に知らされていたためか、周辺にある学校は休校し、商店も早々と閉店していた。この襲撃によって、警察本暑に拘置されていた30人が逃走した。3月8日、国軍第2軍区シリワンギ師団のヌグロホ司令官は警察に対して謝罪し、「組織としての国軍と警察の間には何も対立はない」と強調した。

1998年5月のスハルト政権崩壊後、それまで国軍の一部だった警察は軍から切り離され、軍は国防、警察は治安を担うことになった。テロ対策やデモ対応も、今や警察の仕事である。独立か否かで揺れたアチェでも和平が実現し、かつてのような、国内紛争地域で業績を上げた軍人が出世する時代は終わった。地方軍区の数を増やしたり、国境警備の予算を手厚くしたりするのは、軍人の雇用機会確保という意味もある。爆弾テロ事件を契機に、ホテルやショッピングモールの警備員の数も増えた。軍人であることがもはやステータス・シンボルではなくなったのである。今回の軍による警察への襲撃事件の背景には、こうした軍人の将来への不安があったのではないかと想像する。

だが、実際は、もっと些細で感情的な話に過ぎないのかもしれない。以前、南スラウェシ州マカッサルにいた頃、陸軍戦略予備軍(Kostrad)の兵士と警察官が女性をめぐってトラブルになり、両者が自分の仲間を引き連れてきて一触即発の事態となったことがある。おそらく、これまでにも軍人と警察官の些細な喧嘩が、種族や宗教などのニュアンスを伴い、住民を巻き込んだ暴動へ発展したケースが少なからずあったに違いない。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130314idr021A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。