【インドネシア政経ウォッチ】第149回 テロ対策の光と陰(2016年3月25日)

1月14日に首都ジャカルタの中心部でテロ事件が起こってから、2カ月余りが過ぎた。社会は平穏を取り戻したかに見えるが、その裏で、テロ対策警察特殊部隊(Densus 88)がテロリスト掃討作戦を強化している。

その標的の一つは、サントソ・グループである。サントソは、国内で唯一、過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う「東インドネシア・ムジャヒディン」という名の組織を率い、2012 年12 月から中スラウェシ州ポソ県の山岳地帯グヌン・ビルでゲリラ活動を行っている。

今年3月、警察は軍と合同で2,200人を投入し、サントソの逮捕を目的とした「ティノンバラ作戦」を実行した。この作戦で爆弾などの証拠品を押収したほか、中国籍のウィグル族の男性2名が射殺された。彼らは15年に合流したとみられ、ISへの共鳴の広範な国際化を示唆する。

世界で最大のイスラム人口を抱えるインドネシアはISを敵視し、テロリスト・ネットワーク細胞の摘発などの成果を上げてきた。Densus 88 の貢献度は極めて高い。しかし、その一方で、Densus 88 のテロ対策が行き過ぎであるとの批判も根強い。

3月8日、中ジャワ州クラトン県で、モスクで夕方 の礼拝をしていたシヨノ氏がDensus 88 に拘束された。 彼はテロ組織ジュマア・イスラミア(JI)のメンバ ーで、火器製造の役目を果たしたとの容疑だった。当初は従順だったが、その後、急に反抗したため、3月 11 日、Densus 88 のメンバーが正当防衛として彼を殺 害した。

シヨノ氏の容疑は検証されず、誤認だった可能性が あるとして、中ジャワ州の学生らが抗議行動を起こした。国家人権委員会や国会もシヨノ氏殺害事件に注目 し、Densus 88 による行き過ぎを非難するとともに、人権侵害の可能性を危惧する声明を発した。警察は、シヨノ氏の扱いに不備があった可能性を示唆しつつも、テロ容疑者に対する処置で人権侵害ではないとの立場 を示している。

Densus 88 を軸とするテロ対策は不可欠だが、一歩間違うと、それが逆にISへの共感を強めてしまう可能性もあることに留意する必要がある。

 

(2016年3月25日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第145回 ジャカルタ・テロ事件の黒幕は誰か(2016年1月28日)

2016 年1月14日の白昼に首都ジャカルタの中心部、サリナデパートやスカイラインビル周辺で起きた爆弾テロ事件は、市民に大きな衝撃を与えた。

警察は当初、シリア在住で過激派組織「イスラム国」(IS)に合流したとされるバフルン・ナイム氏を首謀者と断定し、シリアからテロ資金が送金されていたとも発表した。東南アジアでは「ハティバ・ヌサンタラ」というISの下部組織が活動を始めており、ナイム氏はそのトップの座をフィリピン・グループと競っているという話だった。

ところが、その後の捜査で、ヌサカンバンガン刑務所に収監されているアマン・アブドゥルラフマン服役囚が事件の黒幕として浮上してきた。今回の実行犯の4人が昨年12 月にヌサカンバンガン刑務所でアマン服役囚と面会し、テロを実行すべき時期などに関して指示を仰いだというのである。

アマン服役囚は、2004 年にデポック市の自宅で爆弾事件を起こした後、10 年にアチェでの軍事訓練に関与した疑いで禁固9年の刑を受けた。彼自身が実際にテロを実行したことはないが、彼の教えを受けた信奉者が細胞ネットワークを作ってきた可能性がある。各地での自爆テロ事件では、実行犯の指導者として彼の名前が頻繁に上がった。

警察によると、アマン服役囚は14 年4月にオンラインでIS指導者へ忠誠を誓った。中東では、ISはアルカイーダ系のヌスラ戦線と対立するが、インドネシアでは必ずしも両者は峻別されない。これまでジュマア・イスラミヤなど国内イスラム過激派の支柱とされてきたアブバカル・バワシル師もIS支持を明言している。ただし、アマン服役囚とバワシル師は面識がないようである。

もしそうならば、今回のテロ事件は、国内のISシンパが独自に引き起こし、それをISが後追いで称賛したものかもしれない。今後、国内のISシンパとシリアへ渡ったインドネシア人ISメンバーとの接点がどのような形で現れてくるのか。警察は、シリアからの帰国者への監視強化と国内の細胞ネットワーク摘発に全力を尽くすことになる。

 

(2016年1月28日執筆)

 

ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない

どうしても、これを言わなければならない。

1月14日に起こったジャカルタのテロ事件。実家のある福島と友人との面会がある郡山とをJR普通電車で移動する合間に、事件の速報をiPadで追いかけていた。

かつて私は、事件の起こったスターバックスの入るビル内のオフィスに通い、毎日のようにあの付近を徒歩で歩き回っていた。仕事の合間、知人との待ち合わせのため、あのスタバで何度時間を過ごしたことか。向かいのサリナは、地下のヘローで毎日の食料品を買ったり、フードコートで食事をしたり、お気に入りの南インド料理屋でドーサを食べたり、本当に馴染みの日常的な場所であった。あの界隈の色々な人々の顔が思い浮かんできた。

断片的な情報を速報的にまとめたものは、ツイッターとフェイスブックで発信した。犯人がBahrun Naimだとすると、思想・信条的なものもさることながら、かつて警察にひどい拷問を受け、その恨みを晴らすことが動機の一つとなっていることも考えられる。

2002年10月に起こったバリ島での爆弾テロ事件のときのことを思い出す。犯人がイスラム過激派であることが知られたとき、インドネシアのイスラム教徒の人々のショックは計り知れないものだった。まさか、自分の信じている宗教を信じている者がこんな卑劣な事件を起こすとは、と。ショックが大きすぎて、自分がイスラム教徒であることを深く内省する者も少なくなかった様子がうかがえた。

今にして思うと、当時のインドネシアのイスラム教徒にとっては、一種のアイデンティティ危機だったのかもしれない。しかし、自己との辛い対話を経て、インドネシアの人々はそれを乗り越えていった。

そのきっかけは、2004年から10年間政権を担当したユドヨノ大統領(当時)の毅然とした態度だったと思う。ユドヨノ大統領は、宗教と暴力事件とを明確に区別したのである。テロ事件は犯罪である。宗教とは関係がない。そう断言して、テロ犯を徹底的に摘発すると宣言した。そして、国家警察にテロ対策特別部隊をつくり、ときには人権抑圧の批判を受けながらも、執念深く、これでもかこれでもかと摘発を続けていった。

余談だが、かなり昔に、上記と同様の発言を聞いたことがある。1997年9月、当時私の住んでいた南スラウェシ州ウジュンパンダン(現在のマカッサル)で反華人暴動が起こった。経済的に裕福な華人に対して貧しいイスラム教徒が怒ったという説明が流れていたとき、軍のウィラブアナ師団のアグム・グムラール司令官(後に運輸大臣、政治国防調整大臣などを歴任)が「これは華人への反発などではない。ただの犯罪だ!」と強調した。ただ、今に至るまで、暴動の真相は公には明らかにされず、暴動を扇動した犯人も捕まっていない。

その後も、ジャカルタなど各地で、爆弾テロ事件が頻発した。インドネシアの人々はそれらの経験を踏まえながら、暴力テロと宗教を明確に分けて考えられるようになった。かつてのように、アイデンティティ危機に悩む人々はもはやいない。誰も、たとえテロ犯が「イスラムの名の下に」と言っても、テロ犯を支持する者はまずいない。インドネシアでテロ事件を起こしても、国民を分断させることはもはや難しい。この15年で、インドネシアはたしかに変わったのである。

テロ犯は標的を間違えている。イスラム教徒を味方に引き付けたいならば、インドネシアでテロ事件を起こしても効果はない。個人的なストレスや社会への恨みを晴らそうと暴力に走る者がいても、それは単なる腹いせ以上のものではない。政治家などがこうした者を政治的に利用することがない限り、彼らはただの犯罪者に留まる。

そんなことを思いながら、福島の実家でテレビ・ニュースを見ていた。イスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか、的を得た説明はなかった。そして相変わらず、イスラムだからテロが起こる、インドネシアは危険だ、とイメージさせるような、ワンパターンの処理がなされていた。初めてジャカルタに来たばかりと思しき記者が、現場近くでおどおどしながら、東京のデスクの意向に合わせたかのような話をしていることに強烈な違和感を覚えた。

なぜイスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか。理由は明確である。テロ犯にとってインドネシアは敵だからである。それは、テロ犯の宗教・信条的背景が何であれ、インドネシアがテロ犯を徹底的に摘発し、抹消しようとしているからである。それはイスラムだからでもなんでもない。人々が楽しく安らかに笑いながら過ごす生活をいきなり勝手に脅かす犯罪者を許さない、という人間として当たり前のことをインドネシアが行っているからである。

とくに日本のメディアにお願いしたい。ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない。我々は、テロを憎むインドネシアの大多数の人々、世界中の大多数の人々と共にあることを示さなければならない。

 

【スラバヤの風-29】大統領選挙とNU内部の分裂

東ジャワ州は、西ジャワ州に次ぐ全国第2位の3066万4958人の有権者を抱える大票田である。今回の大統領選挙では、これら2州の結果が勝敗を決するとも言われる。

東ジャワ州は、初代大統領スカルノの出生地ブリタールを含むことから、スカルノの娘メガワティが党首を務める闘争民主党(PDIP)の牙城である。他方、インドネシアで最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の本拠地であり、キアイと呼ばれる高僧を通じて農村に至る津々浦々へ影響力を誇る。大統領候補にとっては、NUの支持をどれだけ取れるかが勝敗の分かれ目となるが、そのNUが今回は事実上分裂した。

その要因は、NU関係者を主体とした民族覚醒党(PKB)の政治的駆け引きである。当初、PKBは元憲法裁判所長官のマフド、国民的人気ダンドゥット歌手のロマ・イラマ、元副大統領でNU重鎮のユスフ・カラを独自に大統領候補としていたが、PDIPと連立してジャカルタ首都特別州知事のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)を大統領候補とし、先の3名をジョコウィと組む副大統領候補とした。

ところが、最終段階でPKBのムハイミン党首が副大統領候補に名乗りを上げたことから、NU関係者の一部がムハイミンと彼の率いるPKBに反旗を翻した。結局、ジョコウィはユスフ・カラを副大統領候補としたが、副大統領候補になれなかったマフドとロマ・イラマは、傷心のなか、プラボウォ=ハッタ陣営へ寝返り、同選対の中心人物となった。

こうした経緯から、大統領候補支持に関するNU内部は分裂した。NUは組織として特定大統領候補を支持しないと言明したが、ムハイミンPKB党首のやり方に否定的なサイドNU議長はプラボウォ=ハッタ組への支持を表明し、各地のキアイへ影響を与えた。

実際、プラボウォ=ハッタ、ジョコウィ=カラの両陣営の草刈場となったのは、NU地盤のマドゥラ島や東ジャワ州北海岸部であり、ここで両陣営とも「キアイの支持を取り付けた」との報道合戦を繰り広げた。しかし、マドゥラ島パムカサン県出身のマフドの影響力は予想以上に大きかった。ジョコウィを誹謗・中傷するタブロイド紙『オボール・ラクヤット』、SMS、モスクでの説教などを通じて、地元出身の実力者マフドが選対を務めるプラボウォ=ハッタ組への支持が広まった。

スラバヤなどの都市部ではジョコウィ=カラ組が圧勝だが、NU地盤のマドゥラ島や東ジャワ州北海岸部ではむしろプラボウォ=ハッタ組が勝ちそうである。だが、そこでは騒乱の起こる可能性が高いとして、治安当局は厳戒態勢を敷いている。

 

(2014年7月12日執筆)

 

 

【インドネシア政経ウォッチ】第125回 IS共感者の伸長を警戒(2015年3月26日)

3月初め、インドネシアからトルコへのツアー客のうち16人が行方不明となり、その後、シリア国境で彼らがトルコ警察に拘束されるという事件が起こった。16人はトルコからシリアへ入国し、過激派組織「イスラム国(IS)」に合流する計画だった疑いが強いと報じられた。

国家テロ対策庁によると、ISへ合流したインドネシア人はすでに514名を数え、うち7人は死亡、十数人はインドネシアへすでに帰国している。国家警察テロ対策特殊部隊は、先週までに、ISへの渡航をほう助した疑いでジャカルタ、南タンゲラン、ボゴール、ブカシで5人を逮捕したほか、国内の19団体をIS支持団体とみなしている。警察によると、彼らは中スラウェシ州ポソ県を訓練場所とし、2月23日にデポックのショッピングセンターで起きた爆発事件などテロ行為を引き起こし始めた。

ISへ合流する者のなかには、過去にインドネシアでのイスラム国家樹立を目指した反政府主義者の子孫が含まれる。彼らは、2000年代前半にジュマー・イスラミヤ(JI)などの名称で呼ばれたイスラム過激派グループにも関わったが、テロ対策の強化で活動が下火となった後、その代替としてISへの共感を高めた。JIの指導者とされるアブ・バカル・バシル受刑者やポソを拠点とするサントソ・グループなどもIS支持を表明した。

金融取引分析報告センター(PPATK)によると、15年2月時点で、IS関連資金とみられる数十万米ドルの海外資金が中東やオーストラリアから流入したと見られるほか、国内でも、IS支持者のビジネスにより約70億ルピア(約6,500万円)が流れているとみられる。フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を活用した巧みな勧誘も盛んである。

政府は、IS共感者が急速に増える傾向があるとして、警察による取り締まりを強化するとともに、IS合流者の旅券取り消しを含むテロ対策法の代用執行政令を準備中である。経済の低迷、所得格差の拡大、揺さぶられるジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権という状況下で、IS共感者の伸長を注意深く見ていく必要がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第103回 宗教をめぐる新たな動き(2014年10月9日)

ジョコウィ次期大統領がジャカルタ特別州知事を辞任し、規定に従って同州のアホック副州知事が州知事に昇格する。しかし、イスラム擁護戦線(FPI)などイスラム強硬派の一部が、アホックの昇格に反対するデモを繰り返している。彼のこれまでの言動が過激で思慮を欠くということのほか、華人でキリスト教徒ということを反対の理由としている。

先のジャカルタ特別州知事選の際にも、FPIなどはジョコウィと組んだアホックに対して同様の批判を行ったが、選挙結果を左右することはなかった。アホック自身、かつて9割以上の住民がイスラム教徒であるバンカブリトゥン州東ブリトゥン県知事を務め、在任中に多数のモスクを建設したことで大きな支持を得ていた。

しかし、FPIなどの行動には一貫性がない。FPIはアホックを批判する一方で、新たに選出されたゴルカル党のスティヤ・ノバント国会議長(キリスト教徒)はむしろ歓迎している。イスラム教を建前にしているが、ただ単に「アホックが嫌いだ」という感情的な理由で動いていることの証左である。FPIなどがアホックを批判するのは、彼が地方首長選挙法に反対して、所属していたグリンドラ党を離党したことも関係があるはずである。

アホックは「身分証明証の宗教欄をなくすべき」とも主張し、それを支持する知識人らも現れた。ジョコウィ新政権構想でも、一時、宗教省を廃止する案が有力視されたが、時期尚早として見送られた。宗教欄や宗教省の廃止論の背景には、宗教の政治利用だけでなく、アフマディヤなどイスラム教少数派への多数派からの迫害を防ぐ意味がある。

他方、政府内には、宗教の定義自体を緩めようという見直し論も出ている。宗教省は、規定の6宗教以外の地方宗教についても、信仰ではなく宗教として認める可能性を探るため、実態調査を開始する。「唯一神信仰」という建国五原則(パンチャシラ)の第一原則との食い違いの問題はあり得るが、注目すべき動きである。

【インドネシア政経ウォッチ】第62回 暴力的社会団体の復権(2013年11月7日)

暴力的社会団体を政府・軍高官が擁護する発言が相次いでいる。たとえば、10月24日、ガマワン内務大臣が「イスラム擁護戦線(FPI)は国家の財産である」と発言して政府との協力関係を促して以降、FPIの活動が活発化している。それまで、暴力的社会団体は社会悪として取り締まる方向だったのが、急反転した印象である。

10月27日は、インドネシア独立の源泉である「青年の誓い」が発せられた記念日である。この日、陸軍戦略予備軍(コストラッド)のガトット司令官は、パンチャシラ青年組織(プムダ・パンチャシラ=PP)に対してパンチャシラ(建国5原則)擁護の前線に立つよう求めた。同時に「多数意見が常に正しいとは限らない」として現行の民主主義への疑義を示し、「軍は政治に口を出さず」という原則を破ったとして物議を醸している。

PPは1981年にスハルト大統領(当時)と国軍の後押しで設立された自警武闘集団である。愛国党という自前の政党を持つ一方で、組織の上層部はゴルカル党幹部でもある。

PPは早速、事件を起こした。「青年の誓い」の日の数日後、EJIP工業団地で最低賃金引上げを求める金属労連のデモ隊と衝突し、8人が負傷、バイク18台が破壊される事態となった。工業団地では、エスカレートする労働組合デモに対抗する自警団を企業側が組織しており、そこへPPが入ってきた。廃棄物処理業者の多くはPPに属しており、デモによる工場の操業停止は彼らにとって死活問題となるのである。

組合側は経営者側がPPを用心棒にしたと批判するが、そう言われても仕方がない。実際、労働組合連合体のひとつ、全インドネシア労働組合(SPSI)は分裂し、その一方のトップをPPのヨリス議長が務める。ヨリスは「SPSIはインドネシア経営者協会(Apindo)と協調し、過激な労働組合デモに対抗する」と2012年11月に宣言している。

ゴルカル党はPPを通じてSPSIの動員力を手に入れた。来年の総選挙・大統領選挙を前に、暴力的社会団体の利用価値が再認識されている。

【インドネシア政経ウォッチ】第48回 FPIと住民の衝突事件(2013年 7月 25日)

イスラム教の聖なる断食月を迎えて、巷では飲酒やカラオケなどを控えるムードが広がっている。毎年のように、白装束の集団が、断食月を尊重しないと見なすナイトクラブやバーなどを襲撃する事件が起こるが、その先頭に立つのがイスラム防衛戦線(FPI)である。この集団の暴力性は以前から問題視されており、先般成立した社会団体法も、こうした団体を法的に規制することを目的のひとつとしている。

そして今年も、断食月にFPIによる暴力事件が起こった。7月17日、中ジャワ州クンダル県スコレジョへFPIが現れ、トゲル(Togel)と呼ばれる賭け事を行っている現場や、陰で女性を斡旋するワルン(warung remang-remang)の摘発を行なおうとしたが、地元住民側が立ちはだかった。そこで翌18日、FPIは、より大勢の人員を動員し、再度現場へ向かったところ、あらかじめ警備していた住民と衝突した。衝突のさなかに、FPI側の運転する車にはねられて住民1人が死亡したことで、住民の怒りが爆発し、逆にFPIを襲い、住民をはねた車を焼打ちにした。結局、地元警察によってFPIは現場から引き離された。

この事件で注目すべき点がある。第1に、FPIは軍や警察と関係を持ち、左翼思想など治安上問題視される勢力へ圧力をかける役目を果たしてきた。また、イスラム教を政治的に使いたい政治家もFPIを擁護してきた。第2に、断食月にもかかわらず、トゲルや女性斡旋を自粛させるべき立場の警察がそれらを見逃していた。実は、トゲルや女性斡旋を仕切る地元のならず者集団と警察とが裏でつながっており、結果的に警察はそれらを擁護する立場にいるからである。すなわち、今回の事件は、警察と関係する異なるグループ同士の争いという側面がある。

民主化したインドネシアでは、結局、襲撃を繰り返すFPIが常に批判される。しかし、トゲルや女性斡旋の広がりもまた、地元のならず者集団を拡張することにつながる。暴力が社会に広まる傾向は、それを擁護する警察や政治家の存在と無関係ではない。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130725idr021A

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【インドネシア政経ウォッチ】第45回 新社会団体法が成立(2013年 7月 4日)

インドネシアにある全社会団体を規定する社会団体法が、7月2日に成立した。国家による監視強化を懸念するナフダトゥール・ウラマ、ムハマディヤといった有力イスラム団体による反対を押し切った形だ。

実は、この社会団体法は、スハルト絶頂期の1985年に成立した社会団体法の新版である。1985年法は、国内のすべての組織の存立唯一原則にパンチャシラ(建国5原則)を置くことを定めた。イスラム教を存立原則とするイスラム団体は、パンチャシラの下にイスラム教が置かれるこの法律の成立に猛反対した。成立前後には銀行爆破事件やボロブドゥール爆破事件など暴力的行為さえも頻発し、スハルトによってイスラム過激派が一掃される契機ともなった。

スハルト退陣後、民主化が進むなかでも、社会団体を規定する1985年法はそのまま温存されてきた。しかし、民主化のなかで、パンチャシラを存立唯一原則としない多数の社会団体が生まれ、1985年法は有名無実化した。相当に遅ればせながら、インドネシアも民主化時代の新しい社会団体法の成立へと動いている訳である。今回も、パンチャシラを組織の存立唯一原則とするかどうかが激しく議論されたが、結局、原則化は見送られた。

新社会団体法の目的のひとつは、アナーキーな活動を行う社会団体への監視である。たとえば、バーなどへの襲撃事件を起こすイスラム擁護戦線(FPI)といった団体をどう規制するかが課題になる。言論・表現の自由との兼ね合いも問題となり、日本でのヘイトスピーチをめぐる動きを彷彿とさせる。

また、外国人・団体が単独またはインドネシア人・団体と一緒に設立する社会団体についても監視の対象となる。政府に批判的な社会団体には、外国資金が入っているとの疑いがかけられるのがこれまでの常だった。

新社会団体法に対する反対運動はしばらくくすぶりそうだ。新法が新たな社会団体監視のための道具とならないことを祈るばかりである。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130704idr023A

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【インドネシア政経ウォッチ】第25回 「純潔」を守れなかったイスラム政党(2013年 2月 7日)

1月31日、福祉正義党(PKS)のルトゥフィ・ハサン・イサック党首が汚職撲滅委員会(KPK)に逮捕された。牛肉輸入枠の設定に関連して、国会議員である同党首が便宜を図り、特定業者が有利になるよう具申した見返りに金銭を受け取ろうとした収賄の疑いである。KPKは、輸入業者のインドグナ・ウタマ社の重役2名が同党首に近いアフマド・ファタナ氏に現金10億ルピア(約950万円)を手渡したことを突き止め、これがルトゥフィ党首へわたると見て収賄罪を適用したのである。

福祉正義党といえば、政党カラーは白で、汚職に対して最も厳しい「純潔」の政党として勢力を伸ばしてきた経緯がある。「イスラムの教えを正しく教え広める役割を担う政党」を標榜し、学生や若者を中心に支持層を広げてきた。汚職まみれの既存政治とは一線を画す「希望の星」として、国の将来を担う彼らの期待を集めてきたのである。

イスラムには、汚職の対極にある「清潔」のイメージがある。2000年代前半、「汚職をなくすには、イスラム法に基づく国家を目指すしかない」という気運が高まり、イスラム法適用運動が脚光を浴びた。地方レベルでイスラム法に基づく地方政令が連発され、イスラム政党は支持を伸ばした。その一躍を担っていたのが福祉正義党(あるいはその前身の正義党)であった。同時に、それは「インドネシアがイスラム国家になるのではないか」と欧米諸国が危惧(きぐ)した時期でもあった。04年のバリ島爆弾テロ事件はその最中に起こり、治安当局は、テロ対策の名の下に、イスラム強硬グループの摘発に躍起となった。

あれから約10年、イスラム法適用運動は下火となり、イスラム強硬グループは力を失い、イスラム政党は国民の支持を減らした。イスラム政党の国会議員も汚職に関与し、今や最後の砦(とりで)と見られた福祉正義党の党首が汚職で逮捕された。イスラムの「純潔」イメージはすでに政治の世界で守れず、イスラム政党がインドネシアで政治的に力を持つ可能性はなくなった。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20130207idr020A

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