1月12日、マラッカを歩く(1)

マカッサル滞在もあとわずかですが、少し時間があるので、1月12日のマラッカ訪問の話を半分ぐらい書いておきます。

クアラルンプールからマラッカまでは、意外に近かったという印象があります。高速バスでKLIA2からマラッカ・セントラルまで2時間、マラッカ・セントラルからクアラルンプールのTBSまでも2時間、でした。クアラルンプールからならマラッカは十分に日帰りできる距離で、今回も数時間の滞在でしたが、できれば1泊してゆっくり回りたいものだと思いました。

KLIA2からバスで到着後、マラッカ・セントラルで友人とおちあい、マラッカ・セントラル内にある荷物預り所にスーツケースを預けて出発。まずはバスで市内中心部へ(バスは30分に1本ぐらいしかないようです。料金1リンギット)。
バスを降りて少し歩くと、マラッカ川の橋のところに出ます。ここからマラッカ川沿いの歩道を歩いて行きます。ウォーターフロントをきれいにした様子で、昔に比べると川がずっときれいになったのだそうです。
川沿いの建物には、マレーシアの諸民族の絵が描いてありました。

「ここで写真を撮れ」という看板もありましたが、何が被写体としていい景色なのかは不明です。
「1万歩歩きましょう」という看板もありますが、そのような人は誰も見かけませんでした。
しばらく行くと、1845年に建てられた聖フランシス・ザビエル教会(カトリック)が現れました。
ここには、日本へも布教に来たザビエルの像(下写真の右側)の隣に、やじろうの像(下写真の左側)が立っています。
やじろうは今の鹿児島県の出身で、ザビエルを日本に連れてきたという通訳の人物です。海賊の出身とも言われますが、その生涯は多くの謎に包まれているようです。
聖フランシス・ザビエル教会の内部。

しばらく、赤い色の建物の通りを歩いたその先には、やはり赤い建物のマラッカ教会(オランダ時代の1753年に建立)が建っていました。
このマラッカ教会の脇から小高い丘の上へ登っていきます。
丘の上にもザビエルの像がありました。やじろうと一緒の像とはちょっと趣の異なる感じがします。
丘の上には、破壊されたセントポール教会(ポルトガル時代に建立)の跡がありました。ザビエルがマラッカに到着した1545年頃に建てられた教会で、ザビエルの死後、1553年に遺骸がこの場所に保管されたそうです。その後、イギリス統治下で破壊されましたが、それをラッフルズが批判して途中でやめさせたということです。
ザビエルの遺骸が安置された場所は、金網で覆われていました。
内部には墓碑がいくつもあり、その中には、日本人のものと思われる墓碑もありましたが、上部にはドクロ・マークが。
丘から下ると、オランダ人の墓があります。
坂を下りていくと、やはり破壊された門の跡がありました。
丘の上から見たマラッカ死骸ですが、ポールから向こうは、かつては海だったところを埋め立てて、新しい市街地を作ったということでした。
マラッカの支配者がポルトガル、オランダ、イギリスへと変わっていった様子が残された建物からうかがえます。そして、その眼下には、新しいマラッカの街並みが広がっていて、列強による植民地時代から一気に現実へ引き戻されるような、そんな感覚を持ってしまいます。

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