米国のトランプ新大統領の就任演説を聴いて

1月20日深夜、眠い目をこすりながら、アメリカのトランプ新大統領の就任式をテレビで観ていました。就任式やその前後の行事には全てしきたりがあり、それに則ってすべて進んでいくのは興味深いものでした。

画面を通して観ると、やはりそこに現れる人々の様々な表情が観てとれて面白いです。オバマ前大統領夫妻の大役を終えた安堵感溢れる表情とは対照的に、トランプ新大統領夫妻や家族たちはやや緊張した面持ちのように見えました。

世界が注目した新大統領の就任演説。でも、トランプ新大統領の演説は、自国民だけへ向けたものでした。

当然といえば当然ですよね。新大統領を選んだのは自国民なのですから。自分を選んでくれた自国民に対しての演説なので、「アメリカ第一」を繰り返すのは当然のことでしょう。「偉大なアメリカを取り戻そう」と世界へ向けて訴えたわけではないのです。

もちろん、世界中の人々がこの就任演説を観ていることを意識してのパフォーマンスであり、アメリカがより自国優先主義を強める、と解釈されるのは誤りではなく、懸念が深まるのももちろんのことと思います。

でも、日本も含めたどの国でも、自国優先主義を採っていない国など、国家である以上ないはずです。我々は、どこかで、世界最強の国であるアメリカには、自国だけでなく、世界のことをもっと考えて行動してほしいと思っているように見えます。そして、そのアメリカに自分たちが付いていく、だからアメリカはしっかりしてよ、と思っている国さえあるのです。

自分たちは自国優先主義でもアメリカはそうであって欲しくない、というのは、少々身勝手ではないかという気もします。世界のことをもっと考えて行動するのは、たとえば、日本もどこの国も同じなのではないでしょうか。

アメリカが自国優先主義になると、世界中がバラバラに自国のことしか考えなくなる、という意見もあるでしょうが、アメリカにだけ「世界のことを考える」ことを求めてきたことのほうが誤りであったのではないでしょうか。

そうではなくて、自国優先主義はすべての国の大前提として、それと並行して、世界のことをすべての国が考える、そのような世の中を作っていく。戦争を回避しながら、国家間の利害関係を交渉し調整するにはものすごいエネルギーや時間やコストがかかりますが、それをすべての国が覚悟してやっていかなければならないのではないでしょうか。アメリカだけに任せるのではなく・・・。

そのためには、自国外の世界をもっと知っていかなければならないのではないでしょうか。よその世界を知ることなく自国内だけに留まる態度こそが、利害関係の交渉や調整を難しくしていくことでしょう。「自国優先主義」と「自国さえ良ければいい主義」は大きく異なるはずです。

個人レベルでも、自分以外の人や世界の存在を認め、それを知ろうとしないと、それらに対する勝手な妄想、偏見、イメージが作られ、場合によっては、それがヘイトや排斥や差別につながります。知らないから恐れ、怖がり、それに対する妄想や偏見を勝手に強め、だからこそ、相手を威嚇したり、やられる前に力でやっつけてしまおうとする。戦争やテロはそんなことの繰り返しであり、我々はまだそれらから十分に学べていないような気がします。

トランプ政権の発足で、アメリカがよりナショナリズムに走り、社会の分断はより大きくなりだろうというコメントを聞きます。おそらく、そうなるのでしょう。反論するには、現状はあまりにも厳しいです。

でも、国家におけるナショナリズムが強まることを懸念したり悲観したりしてそれを呆然と見ているよりも、我々一人一人が自分以外のよその人や世界を知る行動を起こしていくことのほうが大事なのではないでしょうか。

傍観している我々もまた、社会の分断に結果的に加担していることになるのですから。

自分以外の人や世界の存在を認めてそれらをもっと知る。他者への想像力を高める。そして社会の分断を少しずつ溶かしていくために自分でできる範囲の行動をする。微力ながら、自分の身の回りから、そんな方向へ少しでも促せるような活動を進めていかなければならない。トランプ新大統領の就任演説を聴きながら、改めてそう決意しました。

マレーシアから羽田へ向かうエアアジア機から見た夕暮れ
(本文とは関係ありません)

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