スハルトを知らない若者たち

昨日、シンガポール・チャンギ空港で、華人系インドネシア人の若者が西ヌサトゥンガラ州知事を汚い言葉で罵った話を書きましたが、それを読んでくれた友人から「あのジャカルタ暴動を知らないのだな」というコメントをもらいました。

あのジャカルタ暴動というのは、1998年5月半ば、ジャカルタの街中で広範囲に起こった暴動のことで、その標的は華人系でした。読者の皆さんのなかには、きっとまだあの時の様子を鮮明に記憶されている方も少なくないと思います。

話は変わりますが、先日4月4日、インドネシア・東ジャワ州マランのムハマディヤ大学で学生と議論した際、彼らがスハルト大統領の時代を知らないという現実を目の当たりにしました。それはそうですよね。彼らはまだ20歳前後、ジャカルタ暴動やその後のスハルト政権崩壊といったインドネシアの激動の時代には、まだ乳幼児だったのですから。

30年以上もインドネシアを追いかけてきた自分にとっても、当たり前ではあっても、まさに新鮮な驚きでした。あの時代を知らないインドネシアの若者たちにも、日本の方々に話すときと同じように、インドネシアの歴史を話さなければならないということを改めて理解しました。

私自身は、1998年5月のジャカルタ暴動の前に、1997年9月、当時、JICA専門家として、家族とともに滞在していたマカッサルで、反華人暴動に直面しました。

いつもは穏やかな人々が、あの暴動のときには人が変わったように、華人系住民を罵り、投石や放火を繰り返したのでした。邦人も華人系に間違えられやすいので、マカッサルでは、数人の邦人の家も投石の被害にあいました。今思い出すとありえないような、ものすごい量や内容のデマや噂が飛び交い、それに右往左往される日々でした。

マカッサルの反華人暴動は、貧富格差の拡大に怒った非華人系(一般にプリブミと呼ばれることもある)の人々が、富を握っているとみなされる華人系を襲ったという、社会的格差が背景にあるという解釈が一般的になっています。

しかし、渦中にいた私には、それが後付けに過ぎず、真相は別なところにあると言うことができます。その内容については、今回は詳しく述べませんが、一つ言えることは、時間が経つにつれて、様々な要素が後付けされ、真実はどんどん覆い隠され、その真相を述べることがはばかれる雰囲気が出てくる、ということです。

もっと言うと、最初は嘘だとわかっていても、その嘘が嘘に塗り重ねられていくと、嘘が本当になってしまう、歴史的にそのような解釈になってしまう、ということが言えるのかもしれません。

スハルトを知らない若者たちは、その時間を経た歴史を他人事として学び、その「事実」をもってインドネシアを知ろうとするのです。一度、国家や政府によって認定された「事実」は、覆すことが難しくなってしまいます。別の言い方をすれば、歴史とは勝者の歴史であって、敗者の歴史では決してない、ということです。

これは何もインドネシアの若者に限ったことではありません。嘘が嘘を重ねて本当になっていく、同じような現象は、世界中どこでも、そして日本でも起こっているということを改めて認識したいです。

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