動く動く移動図書館ほか
マカッサル国際作家フェスティバル3日目。私は午前中の”Book and Activism: Indonesia’s Moving Library”と題するセッション、すなわち、インドネシアの移動図書館について討論するセッションに、3つ目のパネラーとして参加しました。
一緒にパネラーとなったのは、馬に本を積むなどして辺境地へ本を届ける活動をしているNirwan Ahmad Arsuka氏、主に西スラウェシ州などで船やトラックやベチャ(輪タク)に本を積んで離島や農村を回る活動を続けているRidwan Alimuddin氏、西パプア州で辺境地へ本を届ける活動をしているグループNoken PustakaのSafei氏で、なぜか私もパネリストになっていました。
併せて、夕方には、パネラーの一人であるRidwan氏による3隻目の図書館船が披露されました(下写真)。
パネリストたちは、自分たちの活動とそこで遭遇したエピソードについて語りました。
たとえば、当初、本を運び込もうとしたら刃物を持った村人に行く手を阻まれそうになったこと。本を運び込むと子どもたちが群がって本に夢中になり、大人の言うことを聞かなくなるので、大人たちからは来ないように言われたこと。村人が理解してくれた後は、本を持ってきたお礼だと言ってたくさんの芋やガソリン代のお金などをもらったこと。
彼らは、単に本を運び込んで、子どもたちの読書意欲を高めることはもちろん、それから派生して、何かものを書く方向へ向かわせることも意識していました。
Nirwan氏とRidwan氏は先週、ジョコウィ大統領と面会する機会があり、大統領から移動図書館の活動を高く評価され、毎月17日は、郵便局からNirwan氏やRidwan氏の移動図書館宛に送るものはもちろん、その他、一般から辺境地へ本を送る郵便料金を無料とすることを決定したそうです。
私は、日本の公共サービスとしての移動図書館と紙芝居の話をしました。本へのアクセスを国民の権利と考えて、日本では行政が移動図書館を運営しているが、インドネシアでは今回紹介するような民間ボランティアが動いている点が異なること、紙芝居のように、本の内容を簡潔にして絵本化するような動きが必要になってくるのではないか、というような話をしました。
移動図書館で扱う本の内容や種類も考えていく必要があります。現在は、古本や不要な本を送ってもらっていますが、もちろん、それで量的にも質的にも十分とは考えていないようです。と同時に、移動図書館のような体裁をとって、特定の教えや政府に敵対するような思想が広まることを懸念する向きもあることでしょう。
1970年代のインドネシアでは「新聞が村へ入る」(Koran Masuk Desa: KMD)という政府プログラムがあり、政府検閲を受けた新聞を村へ流通させ、それが唯一の読書媒体となった村レベルでの情報統制に大きな役割を果たしました。今は時代が違いますが、読書によって人々が批判的な思考を身につけることをまだ警戒する状況はあり得ます。
また、ユネスコによれば、「インドネシアでは1000人に1人しか本を読まない」と報告されています。しかし、Nirwan氏もRidwan氏も、村へ本を持ち込んだときの子どもたちの本へ群がってくる様子からして、ユネスコのデータは過ちではないか、という感触があるとのことです。おそらく、都市の子どもは、携帯ゲームなどの他の楽しみがあるため、本を読まないということを想像できますが・・・。
この移動図書館のセッションは、私が今回もスポンサーを務めた”Emerging Writers 2017: Discovering New Writing from East Indonesia”のセッションと重なってしまい、今回の「有望若手作家たち」の話を聞くことができませんでした(どうしてこういう日程調整をしたのか、とも思いますけど)。それでも、午後、有望若手作家たちから声がかかり、一緒に写真を撮ることができました。
こういうのは、本当に嬉しいです。松井グローカル合同会社名でのスポンサーとしての金額は大した額ではありませんが、これまでにこのセッションから巣立った若手作家たちは、今回のフェスティバルでも大活躍しており、この写真の彼らの今後の活躍ぶりが本当に楽しみです。
夜の部は、大して期待もしていなかったのですが、バンドンの新しい劇団POEMUSEの公演があり、これがなかなか良くてびっくりしました。
インドネシアの様々な有名詩人の詩を音楽(発声はオペラ風、ピアノはクラシック+現代音楽)に乗せ、さらに踊りを加えた幻想的な世界が広がりました。昨年立ち上げたばかりで、今回は2作目の公演ということですが、個々の演者の技術レベルはかなり高く、今後の活動を注目したいです。