5年単位で人生を振り返る~新年を迎えて

新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年(2018年)も、色々なことがありました。楽しかったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。辛かったこと。様々な出会いととても悲しい別れがありました。そして、おめでとうと心からは言えない人々のことを思いました。

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これまでの人生を振り返ってみると、おおよそ、5年ぐらいの単位で区切りがあり、その次のステップへ繋がってきたような気がします。

大学を卒業した後、研究所に入所した後の5年間は、研究者の卵としての修業期間でした。毎日、インドネシア語の新聞・雑誌と格闘していました。

その次の5年間は、2年間のジャカルタ滞在を経て、社会からは一人前の研究者と見なされていく期間でした。インドネシア研究者として必要なインドネシア語と日本人とほとんど接触を持たない現地生活体験を積み、帰国後は日本の産業政策を学ぶ機会を得ました。

その次の5年間は、研究所を休職し、JICA専門家(地域開発政策アドバイザー)としてインドネシアのマカッサルへ。地方の現場を歩き回り、関係者と議論する日々でした。研究者としての自分と実務家としての自分とが両立し始めました。

その次の5年間は、日本の地域おこしや地域づくりについて学ぶ期間となりました。インドネシアの地域開発政策に関わったことで、日本の地域を知らなければならないと痛感したためです。地元学やファシリテーションともこの頃に出会えました。

その次の5年間は、再びマカッサルに滞在し、マカッサルの地元の若者たちに家を解放して彼らとともに皆で使える公共空間を造りました。この公共空間から前衛芸術、パフォーマンス・イベント、作家養成講座など様々な活動が生まれていきました。

その次の5年間は、研究所を退職してフリーになり、日本とインドネシアに複数拠点を置き、両者をつなげる活動を試み始めました。この間に東日本大震災が発生し、故郷である福島のことを思いつつ、何ができるかを試行錯誤しました。

その次の5年間は、いったん日本へ拠点を戻し、福島での活動を模索しながら、個人事業主だったのを一人会社として法人化し、福島に登記しました。東京の自宅、福島のオフィス、インドネシア各地を行き来しながら仕事するスタイルができ始めました。

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そんな歩みをしながら30年以上が経過しました。

振り返ってみて、こんな人生で本当によかったのだろうか、という思いがしばしば浮かびます。

自分の後ろ盾になってくれるようなしっかりした組織や大立者がいるわけではありません。自分の言動や行動は、すべて自分の責任で行わなければなりません。

でも、裏を返せば、自分がまだ自分でいられる、ということでもあります。何事も、自分の頭で考え、自分で責任をとっていかなければならない、自立していなければならない、ということでもあるわけです。

今さら言うほどでもない、あたりまえのことなのですが。

社会的名誉や地位や肩書とは縁遠い世界で、自分らしさではなく、自分をどうつくり続けていくか。頼れるものは、自分を信頼してくださる方々との関係以外ないのですから、一つ一つの関わりをできる限り丁寧に大事にしていくことが肝要なのだと実感しています。

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世界のどこかでそこの人々と一緒になって新しい何かを創りたい。

研究所に入所するときに抱いた、この漠然とした初心は、今も忘れることはありません。これまでの人生を振り返ると、それが可能な場所に自分がいる状況へ、少しずつ動いてきたようにも思えます。そのために必要な知識や経験を積む機会を得ながら。

でも、初心は少し変わったのかもしれません。

今は、私が何かを創るのではなく、そこの人々が自ら創ることを一緒になって促し、そこで新たな価値が生まれるプロセスに関わり、その価値がそこの人々によって大事にされ、高められるようになったら、私はそことの関わりを終えて、次の場へ移っていく。

化学反応における触媒。目指すものは、それです。

私は私。

これからも、自分の人生が終わるまで、5年ぐらいの区切りで、新たな展開が続くのでしょうか。ただのごく普通の人間ではありますが、人間として少しでも深化していければとは思っています。

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