初めての小湊鐵道、味のあるローカル線

1月11日に市原湖畔美術館での「宮本常一から学ぶ」のイベントに参加するため、五井から高滝まで、初めて小湊鉄道に乗った。市原湖畔美術館への最寄駅は高滝で、高滝駅から市原湖畔美術館までは徒歩で約20分だった。

JR内房線で五井駅につき、跨線橋上で、JRの改札を出ることなく、そのまま真っすぐ進むと小湊鐵道の乗換口。世話好きな小湊鐵道のおばさんが案内してくれる。

自動販売機で切符を買う。今回買ったのは、五井~高滝間の往復割引券。上総鶴舞と高滝の間が乗り降り自由の切符で、往復1420円。通常運賃は片道930円なので、往復で400円程度お得になる。

きっぷを買って跨線橋を降りると、小湊鐵道のプラットフォームだ。列車はすでにプラットフォームに待機、気動車だ。

車体にはKTKの文字。Kominato Tetsudo Kabushikigaishaの略なのか。キハ207。

台風19号の影響で、この日は五井から上総中野までは行かず、養老渓谷での往復運転だった。五井駅のプラットフォームには、なぜかイノシシの像が。その言われについて書かれたものは見当たらなかった。

五井駅の小湊鐵道の車庫には、少なくとも3編成が待機していた。

列車は定刻通りに発車。2両編成で、後部車両に車掌が乗っている。

車両内の天井には扇風機があり、中央部に排気筒、その脇に冷房用のエアコンが設置されていた。つり革は丸い輪がストレートにぶら下がっている。乗降口は一車両に前後2ヵ所のみである。

列車は、40~50キロ前後のゆっくりした速度で、左右にけっこう揺れながら、単線を走っていく。

車窓の外は、冬の農業地帯。水田はもちろんのこと、野菜畑なども広がる。現時点で耕作中のところはほとんどなく、枯れた草が放置されたままのところが多かったが、一部で耕作へ向けての準備をしているところも見られた。

途中の上総牛久周辺は商業・住宅地区となっていて、この沿線では最もにぎやかな地域だった。

他方、台風19号などの影響で、光風台駅前など、数ヵ所に倒壊したままの建物が残されていたほか、瓦屋根の一部が飛ばされた部分を青色のビニールシートで覆い、その上に土嚢などを置いて、風で屋根が飛ばないようにしている住宅も点々と見受けられた。

そうした家々は、五井から上総牛久までの間により多く見られたが、内陸の高滝の周辺でも見られた。それらの家の方々は、この正月をどんな気持ちで迎えられたことだろうか。

五井を出て40分ほど揺られながら、高滝に到着。高滝駅は小さな駅だった。

ちょうど、市原高滝湖マラソンが行われていて、高滝駅の手前の加茂公民館にたくさんのジャージ姿の老若男女の姿が車内から見えた。思ったよりもにぎやかな印象だったが、それはこのときだけだった。

イベントが終了し、市原湖畔美術館を後にした午後5時半頃には、もうすっかり辺りは暗くなっていた。昼食を食べる時間がなかったので、途中の寿司屋で空腹を満たした後、高滝駅へたどり着いたのは午後6時半過ぎ。駅には誰もいなかった。

プラットフォームへ出ると、線路にいた野良犬がギャンギャン吠えてくる。近寄ってくるでもなく、遠巻きにしながら、いつまでも吠え続けていた。

定刻通りに五井行の列車が到着。乗客は私一人だった。2両目の車両の唯一人の乗客。

乗客がいないせいなのか、列車の揺れが来たときよりもずいぶん大きく感じる。途中の上総山田駅から1人乗り、2両目の乗客は2人になって、そのまま五井に着いた。

小湊鐵道は、実に味のあるローカル線だった。乗降客数は年々減少しており、歌声列車やトロッコ列車など、ユニークなイベントも試みているが、間違いなく、存続の是非も問われてくる。

小湊鐵道をめぐる沿線の様々な物語をどのように様々な人々から手繰り出し、また新しい物語を作っていけるか、注目していきたい。

SQでもやはり無理なことはある

10月30日ジャカルタ20:20発、シンガポール23:05着。シンガポール23:55発、成田10月31日7:30着。定刻通りならこのように乗り継ぐ、シンガポール航空で、今回のインドネシア出張から帰国しました。

実際には、ジャカルタ→シンガポール便の出発が20分ほど遅れ、それでも挽回して、シンガポール到着は10分弱の遅れで到着しました。

到着したのは第2ターミナルの一番端。成田便は第3ターミナルなので、スカイトレインに乗って移動です。

ジャカルタでチェックインしたときに、係員が気を利かせて、できるだけ出口に近い席を取ってくれたので、エコノミークラスとしては早く機外へ出ることができたのですが、ともかく小走りに速足でひたすら第3ターミナルへ向かいました。

成田便の搭乗口に着いたのは23:30過ぎ。すでに搭乗はほとんど終わっていました。高速歩行で大汗をかきましたが、何とか滑り込みで無事乗り込むことができました。

ふと、気になったのは預入荷物。でも、世界一という評判のシンガポールのチャンギ空港だから、きっと大丈夫、と思い込みました。

成田到着。ブリッジを進んだ先に掲示板があり、そこに私の名前が出ています。なぜ?

係員から、預入荷物がまだシンガポールにあることを告げられました。この短い乗継時間でも可能だから、この便の乗り継ぎをブッキングできるようにしているはずだ、と勝手に信じていたのは私です。

でもすぐに、やっぱり、無理だったんだね、SQ、無理してるんだね、と思いました。

地上係員の女性はANAの方で、ひたすら平謝りされてしまい、かえって恐縮してしまいました。別にこの係員がミスったわけでもないのに。でも、きっと、このような場合、激怒して怒鳴り散らす乗客が少なくないのでしょう。

預入荷物は、SQが費用負担して、東京の自宅まで送ってくれるということで、ゴロゴロ引いていく必要がなくなってラッキーでした。でも、この段階では、どの便に乗ってくるのかが分かりません。「31日の昼便に乗ってくる」という連絡があったのは、31日の午後でした。

また、税関で中を開けられるかもしれないということで、鍵の番号も教えなければなりませんでした(教えないと私が成田まで出向くことになるのでしょう)。念のため、税関で荷物を開けられた場合には、その場で私に連絡するようにお願いしました。万が一、中身が紛失した場合のことを考えたのです。

とりあえず、手ぶらで東京の自宅へ戻りました。午後、「31日の昼便に乗ってくる」という連絡とともに、11月1日の午前中に東京の自宅へ配送される、ということが告げられました。その後、何も連絡はなく、税関で荷物も開けられることはなかったのだなと思いました。

11月1日の午前中、荷物が来るのを自宅で待っていました。約束の正午を過ぎても、荷物は届きません。連絡も何もありません。少しゆっくり間をとり、午後1時半過ぎに、今回担当してくれている成田空港のANA手荷物サービスセンターに電話をし、事情を聴きました。荷物が確かに成田に届いたのかどうか、成田から配送されたのかどうか、を確認したかったのです。

しばらくして、ANA手荷物サービスセンターから電話があり、荷物は成田から配送されたこと、その荷物が1日の午前9時に東京の自宅の近くにある最寄りの営業所にあったことが分かりました。となると、今度は配送会社で何が起こっているのか、どうしてすぐそこなのに配達されないのか、が気になります。

すると、ANA手荷物サービスセンターから連絡があり、配送会社の仕訳ミスで荷物が違う場所へ送られたことが判明しました。それでも現在配達中とのことで、配送車のドライバーから連絡が来るという話でした。

その電話を終えて5分も経たないうちに、荷物は無事に届きました。中身もすべてそのままで、まずはめでたし、めでたし。

なのですが、SQでもやはり無理なことはある、というのは認めなければなりません。乗継時間が1時間未満の場合には、「乗継できる」と表示しないようにしてほしいものです(現段階でもまだ表示されています)。もっとも、私たち利用者のほうで、乗継時間を2時間程度とるようにすべきなのかもしれません。SQもちょっと無理をしているのではないか、と思います。

それと、配送会社のミスについてですが、ANA手荷物サービスセンターが状況を説明してくれたからいいものの、配送会社からは何の説明も謝罪もありません。事情の良く分かっていない配送ドライバーが、ともかく謝ればいいという感じで謝るのみです。

「午前指定」が午後2時過ぎに配送されたのですよ。直接、会社へ抗議してもいいのですが、「またクレーマーかよ」と真摯に受け取ってもらえないような気がするし、実害もとくにないので、まあこれで済ませることにします。これもまた、日本の様々な劣化を助長することになってしまうのかもしれませんが。

ともかく、真摯に対応してくださった、成田空港のANA手荷物サービスセンターの係員の方に、感謝申し上げます。

4日間乗り放題パスはすごいパスだった

今回の9月5〜8日の石巻、気仙沼、福島の移動には、JR東日本4日間乗り放題という切符を使いました。この切符は、本当にすごいものでした。

それは、大人の休日倶楽部パスというもので、JR東日本のエリアならば、連続した4日間が乗り降り自由(新幹線自由席を含む)、さらに計6回まで新幹線指定席の指定を、追加料金なしで受けられる、というものです。

 大人の休日倶楽部パス

このパスを使いたいがために、今回、大人の休日倶楽部ミドルというのに加入しました。駅のびゅうプラザで申し込んだのですが、その場で仮会員証を発行してもらえ、それを使ってすぐに大人の休日倶楽部パスを購入できたのでした。インターネット登録だと、仮会員証の発行がないので、正式の会員証が届くまで約2週間ほど待つ必要があります。

大人の休日倶楽部JIR東日本全線乗り放題の4日間パスの値段は、15,000円です。

筆者がよく利用する、新幹線自由席での東京=福島往復が計16,440円ですので、それだけでも元が取れてしまいます。

今回は、東京=仙台(新幹線はやぶさ指定席)、仙台=石巻、石巻=気仙沼(途中の前谷地からBRT)、気仙沼=一関=福島、福島=東京、と使いました。ちなみに、新幹線利用で東京=気仙沼往復だと26,420円程度かかります。

なお、この大人の休日倶楽部パスは、発売期間と利用期間が年3回に限定されています。次回の発売期間は2017年12月18日(月)~2018年1月25日(木)、利用期間は2018年1月18日(木)~1月30日(火)です。

これからも、このパスに何度もお世話になりそうです、おそらく。

石巻から気仙沼まで乗ったBRT

今回、石巻から気仙沼へ移動する際、途中の前谷地から乗ったBRTというのは、Bus Rapid Transitの略で、鉄道で結ばれていた路線をバスで繋ぐものです。東日本大震災で普通となった気仙沼線は、鉄道による本格復旧を諦め、BRTで代替しました。JR東日本が運行しています。

上写真は前谷地駅前、下写真は気仙沼駅のBRTバスです。気仙沼駅では、ホームの脇で発着します。

BRTは途中、かつてあった気仙沼線の線路跡を舗装した道路を走ります。それは、バス専用道路となっています。

元鉄道トンネルへ入っていく様子は、なかなか珍しいものです。バス専用道路なので菅 祥行、一般道路と繋がる場所には遮断機があって、一般車両はバス専用道路を通行できないようになっています。

現在、BRT気仙沼線は、日中はおおよそ1時間に1本の割合で前谷地と気仙沼を結んでいますが、途中の本吉までの便も入れると、本数は意外に多いようでした。
基本的に、かつての鉄道駅でしか乗り降りできないのが難ですが、駅(バス停)の新設も行われているようで、地域の人々の足としての役割をしっかりと果たしている印象を受けました。
明らかに、鉄道を復旧させるよりも、BRTのほうがコストが低く、かつ利便性も高いと感じました。
BRTは、気仙沼からさらに陸前高田、大船渡を通って盛まで走る大船渡線もあり、盛からは、三陸鉄道南リアス線で釜石まで行くことができます。
鉄道廃線後、廃線跡をバス専用道路として活用した例としては、福島県の白河駅と磐城棚倉駅をJRバスで結ぶ白棚線というのがあります。東北本線の松川駅と川俣駅を結んでいた川俣線は、廃線後、その路線としては継承されず、福島駅から川俣高校前までをJRバスで結ぶという形へ変わりました。
BRTが地域の人々の足として、さらなる発展を続けていくことは、震災からの復興と生活を取り戻していく一助になる、ということを期待したいと思います。

台風の最中に涼を求めて長野へ(3)

今回の長野への旅の番外編は、乗り物、バスと鉄道です。

志賀高原で便利だったのは路線バスでした。蓮池を中心に、白根火山方面と奥志賀高原方面へ、日中で1時間ないし1時間半おきに路線バスが来るので、一つの場所でゆっくり回ることができました。

重宝したのは、「志賀高原得トクキップ フリー1日乗車券」です。サンバレーから志賀高原内の白根火山方面と奥志賀高原方面への路線バス停留所を自由に乗り降りできて、1日1000円。蓮池から白根火山まで1050円、蓮池から奥志賀高原まで890円、すぐに元が取れてしまいます。

今回は8月9日に利用したのですが、奥志賀高原まで乗ったので、フリー乗車券でない場合と比べて2分の1以下の運賃で済んでしまいました。

バスといえば、長野駅東口から志賀高原へ直行する急行バスも便利です。蓮池停留所に停まっていた急行バスの車体には、「えのたんとキノコフレンズ」が描かれていて、台湾から来た女の子二人連れが盛んに写真を撮っていました。

奥志賀高原からは路線バスで湯田中駅まで直行しました。所要時間は約1時間。途中に通った渋温泉はなかなかの渋さでした。

湯田中駅は、昭和の面影を残す、風情のある終着駅でした。

湯田中駅から長野電鉄の普通電車で信州中野へ向かい、信州中野で長野行きの普通電車に乗り換えます。

長野電鉄は、様々な車輌の第2の人生の舞台でもあります。途中駅で、隣のホームに、あれ、ロマンスカーが・・・。

乗客はみんなビールを飲みながら楽しそう。どうやら、この日は、ビール電車の運転日だったようです。ロマンスカー車輌を使っているのがなんとも。1000系ゆけむり、という名で、長野電鉄では10年目を迎えたようです。

長野駅に着くと、元・成田エクスプレスを発見。

NERの文字が入り、車体にはSnow Monkeyの名前がありました。

他にも、東急で使っていた車輌や東京メトロ日比谷線で使っていた車輌なども見かけました。長野電鉄で彼らの第2の人生を見守るのも楽しいものです。

けっこうな地方都市で自動改札のない駅、というのもなかなか味わいのあるものです。

乗り物にもずいぶん楽しませてもらいました。