30代のご夫婦の遺志をどう継いでいけるか

昨日のNHKスペシャルでは、村の再生のために頑張っていた30代のご夫婦が自ら命を絶つという選択をしたという話が、まだ心に刺さったままの状態です。

彼らのところへは、当初、震災ボランティアがたくさんやってきて、一緒に汗を流し、米づくりを始めたという話でした。しかし、時が経つにつれて、ボランティアは少なくなり、ほとんど来ないような状態になったということでした。

その話を見ながら、よそ者が寄り添うというのはどういうことなのか、どこまで寄り添えばよいのか、私自身も関わることの多い外国援助の現場のことと重ね合わせて考えていました。

30代のご夫婦にとって、ボランティアの方々が来てくださるのは、本当に嬉しかったのだと思います。と同時に、いつまでもボランティアの方々が来続けるわけではないこともわかっていたと思います。むしろ、いつまでもボランティアに来てもらっている間はまだ本当の復興ではない、と思っていたかもしれません。

でも、徐々にボランティアの来訪数が減るにつれて、自分たちの支持者が減っていくような、寂しさも感じていたことでしょう。でも、きっと、それでも頑張らなければ、と頑張ったのだと思います。

ボランティアで来ていた方の中には、昨日の放送をご覧になった方もいたことでしょう。そして、ずっと30代のご夫婦のところへ行き続けなかったご自分を責めていらっしゃる方もいるかもしれません。自分がもしそのボランティアだったら、きっとそうするだろうなと思います。

ボランティアなんだから気にする必要はない、という考え方もあるでしょう。でも、そうやって本当に割り切れる人はいないと思います。

かわいそうだから行ってあげるボランティアから、好きで面白いから行くボランティアへの転換が進まなかった、ということでしょうか。

でも、亡くなられた30代のご夫婦にとって、一番辛かったのは、自分たちの同世代の仲間で、一緒に村へ戻って、ともに農業で再生を果たそうとする仲間が、ほとんどいなかった、増えなかったということではないかという気がします。

かつて村で農業を生業としていた人々が村へ戻らない、戻れない中で、よそ者のボランティアに定住して一緒に農業をするように促すこと、お願いすることは現実的ではなかった、のでしょう。

日本中、一部を除いて、ほとんどの山村で人口が減少し、若者の多くが都会へ行ってしまっています。一部では、都会の若者が山村へ移住し、新しい生き方を始めているケースもあります。

それに加えて、原発事故による風評の消えないところへ、わざわざ行く、移住するというのは、とても勇気のあることです。そんな動きが少しでも現れれば、30代のご夫婦の遺志も生かされるのではないか。希望はほんの少しでも、そんな動きが起こるきっかけを作ることに自分も微力ながら関わっていきたい。そんな風に思います。

そんななか、この30代のご夫婦が生きてきた川内村に、昨年11月、タイ最大の珈琲店チェーンである「カフェ・アマゾン」の日本1号店が開店したというニュースを聞きました。このことが、これから川内村の風評イメージを反転させ、どんな変化を創り出していくのか、興味を惹かれます。

全村避難となった飯舘村には、椏久里(あぐり)というスペシャリティ・コーヒーの名店がありましたが、震災後に閉店を余儀なくされ、福島市で開店、再出発しました。

福島でのコーヒーをめぐる動きが、新しい福島を創り出すストーリーの一つになれば、と祈っています。

よそ者の自分が軽々しく言うべきではないとは思いますが、コーヒーがきっかけとなって、小さな希望が生まれ、それが少しずつ膨らんでいくことを願いつつ、それを膨らませる一人に自分もなれれば、と思います。