1年前はバングラデシュでユヌス教授に会っていた

新自宅へ移るのはのんびりと

毎日、東京の自宅で過ごしていると、常に新しいことやハッとすることが現れるとは限らない。

作業をしながら、初めて、あんみょんという歌手の歌を聴いたり、アップル・ミュージックのオススメのままに、知らなかったジャズ・ミュージシャンに出会ったりと、刺激は色々あるのだが、物理的に動きの少ない日々。
そんななかで、1年前のことを思い出してみた。バングラデシュへ行っていたのだった。

たまたま知り合いになった若手実業家の方のお誘いで、「事業構想ツアー」というイベントに参加し、2019年5月5〜8日、バングラデシュに滞在した。初めてのバングラデシュだった。
このツアーは、その若手実業家の企業とバングラデシュのグラミン・グループとの共同開催で、実際にグラミン銀行やその他のグラミン・グループの様々なソーシャル・ビジネス企業を訪問できるというのが魅力で、参加したのだった。グラミン銀行から小口融資を受ける女性グループの集まりも覗かせていただいた。
そして、2019年5月8日、グラミン・グループを率いてきたモハマド・ユヌス教授と直に面会するという、貴重な機会を得ることができた。このツアーで一番実現したいことだった。
建設中のグラミン・グループのメインビルでマイクを握るユヌス教授
このツアーでは、ソーシャル・ビジネスとは何かを、グラミン・グループの実践から学ぶことが目的だった。
学んだことの一つは、ソーシャル・ビジネスでは、利益を企業内部に溜め込むのではなく、それを社会的に有用な活動へ再投資する、ということであった。社会投資のためには利益を上げなければならないから、それを織り込んだ上での企業経営が求められる、ということになる。
すなわち、社会投資を行うためには、利益を上げるだけではなく、社会投資を行うのに十分なさらなる利益を上げ続けていかなければならないということ。そのため、費用・便益をより厳しく考えなければならない、ということなのだった。
グラミン・グループは、そのノウハウを長年にわたって培ってきたという。そのノウハウの一端でも学びたい、と思ったが、1年前のツアーではそこに至る前の段階で終わってしまった。
グラミン・グループは、グラミン銀行の顧客となっている貧困者の子弟を対象に、ビジネス・スタートアップを支援する事業「ノビン・プログラム」というのを行なっていて、そのノウハウの一部は海外へも移転している。
今年は当初、それを集中的に学ぶためのツアーに参加する予定で、本来ならちょうど今頃、そのツアーを終えて、バングラデシュから帰国している頃だった。新型コロナウィルス禍が落ちついたら、再度、バングラデシュへ行って、それを学びたいと思っている。
面会の際にユヌス教授が何度も強調していたのは、現場からの学びだった。ソーシャル・ビジネスの種は、すべて現場にあり、その課題をどう解決するかを考えていくなかで、ビジネスを通じた解決の方法が見えてくる、ということだった。
その意味でいうと、現在の新型コロナウィルス禍は、まさにそうしたソーシャル・ビジネスを生み出すような社会的課題だらけの状況といってもよい。そして、ユヌス教授は、今後のビジネスの主流はソーシャル・ビジネスになる、とまで予言している。
それ以来、自分なりにソーシャル・ビジネスのことを考えてきた。具体的な事業が思いついたわけではないが、ユヌス教授が予言したような、ビジネスが社会的な課題の解決を目指す方向性は1年前よりも顕著になってきていると感じる。
私たちは、どんな未来を創っていくのか。
ビジネスセンスにはあまり自信のない自分だが、現場からつぶさに考え、自分なりの社会的な課題解決モデルが創っていけたら、という気持ちは持ち続けたいと思う。いつかそれが結実できることを願う。
そのために日本から持参したご著書へのユヌス教授の自筆サインは、自分のかけがえのない宝物となった。

新自宅へ移るのはのんびりと

食品加工業振興に関するスラバヤ出張

11月26~30日、スラバヤへ出張してきました。今回は、JICAによる「東ジャワ州の中小食品加工業振興に向けた食品加工技術普及・実証事業」の一環で、日本の中小企業による食品加工技術普及・実証のお手伝いでした。

東ジャワ州は、インドネシアのなかでも、中小企業レベルでの食品加工業の一大中心地であり、州政府の開発目標においても、農林水産品加工による産業発展を重視しています。この普及・実証では、とくに油を使用しない食品加工機械の技術普及に焦点が当てられています。

ご承知の通り、インドネシアでは、食品製造における油の使用量が多く、とくに、スナック菓子などではほぼすべてに使われていると言っていい状態です。しかも、その油のほとんどはパーム油であり、しかも同じ油を何度も使うことが一般的です。このため、油の摂取量が必然的に多くなり、健康的な食品がなかなか出回らない状態にあります。

そこで、日本で食品加工機械を製造している中小企業が、自身の持つノンオイルでの菓子製造技術をインドネシアで普及・実証したいという熱意を持ち、1年間、本案件で機械と技術の紹介・普及活動を行ってきました。

機械が設置された東ジャワ州食品・飲料・包装工業支援所では、ワークショップもたびたび開かれ、たくさんの中小企業者が参加し、ノンオイルでの菓子製造の実際を体験することができました。なかには、トウモロコシや米などの材料を持参し、試作した参加者もいました。また、東ジャワ州内だけでなく、他州からも視察者が相次ぎました(今回の滞在中に、南カリマンタン州商工局から視察団が来ていました)。

こうしたなかでの、私の役目は、東ジャワ州商工局職員に対して、11月29日の午前中、食品加工業との関連で日本の地域産業振興の事例を紹介する、インドネシア語での講義を行うことでした。

食品加工業の振興に当たっては、原材料を供給する農林水産業や、製品を販売する商業・マーケティングとの関係を常に意識することが重要であるというメッセージを伝えるために、日本の地域振興の歴史、地域おこしの事例、農商工連携の事例、6次産業化の事例などを紹介しました。

食品加工機械の導入や施設の整備に関して、日本では様々な政府からの補助金や助成制度があることを紹介したうえで、参加者には、インドネシアでの現状についても議論してもらいました。

制度上は、一定の審査を経たうえで、中小企業が購入した機械・機器に関して、国内産機械価格の30%、輸入機械価格の25%を補填するという制度が工業省にあるのですが、その予算総額が2017年度はわずか110億ルピア(約1億円)程度しかないということで、活用するのがなかなか難しい現状があります。

この手の案件で日本の技術や機械を紹介しても、結局、コストがかかるという理由で、案件終了後、次の展開へ向かわずに技術や機械が放置される、という話をよく聞くので、そのような話をあえてしたのです。

東ジャワ州商工局は、幸いにも、今回の技術や機械を何とかして活用したいという意欲を強く持ち、モチベーションも高い様子でした。日本側も、引き続き、価格低下への努力を続けると言明し、インドネシア側も、機械・機器の購入を促す政策的措置を検討していくことを相互に確認できました。

今回は珍しく、滞在中に体調を悪くしてしまい、万全の状態での講演とならなかったのですが、他のチームメンバーの皆様の助けを受けて、何とか用務を果たすことができました。

それにしても、食品加工業振興の議論をしながら、「インドネシアでは、まだ機械をどう使うかのレベルにとどまっている」ことを痛感しました。本当に食品加工業を振興させたいのなら、食品加工機械を製造する工業をどう作っていくかを考える必要があるからです。

日本の食品加工機械メーカーは、大企業だけでなく、中小企業が有力な担い手となってきました。今のインドネシアは日本の1970年代に似ていると思われますが、その頃の日本には、数多くの中小食品加工メーカーが存在し、日本の食品加工業を支えていました。

今のインドネシアにも、食品加工機械メーカーは存在しているといいますが、機械ユーザーのニーズに合わせて、オーダーメイドで機械を造れるメーカーはほとんどありません。そんな企業が増えていったら、インドネシアの食品加工業は自ずと発展していけるようになるのではないか。もしかしたら、たとえば、同じ東南アジアのタイは、もうそのレベルに来ているのかもしれません。

2017年のインドネシア出張は今回で最後になると思います。次回のインドネシア出張は、2018年1月末に、別の案件でジャカルタ1週間の予定です。

技能実習制度を本物にする

以前から気になっているのは、外国人技能実習制度の問題です。

この制度は、本来、技能実習生へ技能等の移転を図り、その国の経済発展を担う人材を育成することを目的としており、日本の国際協力・国際貢献の重要な一躍を担うものと位置づけられています。

しかし、こんな立派な建前があるにもかかわらず、現実に起こっていることは、メディアなどで取り上げられているとおりです。すなわち、日本の受入企業側は労働力の不足を補ってくれる者として外国人技能実習生を受け入れ、外国人技能実習生は3年間日本にいて得られる収入を目当てにやってきます。

ときには、日本の受入企業は、コスト削減圧力のなかで、相当に厳しい条件を強制して外国人技能実習生を受け入れ、それに耐えられなくなった実習生はいつの間にか姿を消してしまう、という話さえ聞こえてきます。

ここで大きな問題となるのは、日本でどのような技能を身につけるのか、実習期間を終えてそれがどれだけ身についたのか、に関する明確な評価とモニタリングが見えないことです。あるいは、形式的にそれがあったとしても、誰がどう評価・モニタリングしたのか、送り出し国へ正確に伝える仕組みが整っているのか、という問題です。


そもそも、日本の受入企業にとっては人手不足が最大の問題です。日本人よりも賃金が安くできるから外国人技能実習生を使っているのでは必ずしもなく、日本人でも働き手がいない、あるいはいても長く働いてくれない、という実態があります。ある工場では、1ヵ月ぐらいでどんどん辞めていくそうです。また、少し注意しただけで、キレる日本人の若者もよくいるそうです。

そんな状況になれば、1~3年という長期にわたって、ずっと作業をしてくれる外国人技能実習制度は、とてもありがたい制度に違いありません。工場などの人員配置計画が立てられるので、安心して生産することができるからです。そうであれば、日本人のアルバイトよりも高いコストを払ってでも、外国人技能実習生を使おうという気になります。

他方、インドネシア人技能実習生にとって、日本は今でも憧れの国です。たくさん稼げる国というイメージが根強く、難民申請でも何でも、どんな手段を使ってでも、何度も行きたいという人が少なくありません。

しかし帰国後、日本で得た技能を生かして何かを始める者はいても、それは多数派ではありません。日本滞在中に得た収入をもとに、日本語を生かせる事業を行ったり、元手をあまり必要としない食堂を開いたり、様々です。

もちろん、自ら会社を起業し、日本で学んだ技能を生かして、かつての日本の受入企業と取引を行っている者もいます。彼らは成功者として、技能実習生OB組織であるインドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)という団体を自ら立ち上げ、後輩たちの活動を積極的に支援しています。IKAPEKSIの立ち上げには、日本政府もインドネシア政府も何も関わっていませんが、今では両者は積極的に協力関係を構築しています。

ちなみに、私は、2015年から、このIKAPEKSIのアドバイザーを務めています。なぜか、彼らから請われて、承諾したものです。

IKAPEKSI総会にて(2015年3月8日、ブカシ)

日本の多くの中小企業では、後継者の不在により、これから廃業せざるを得ない企業がかなり出てくるものと思います。そうなると、それらの企業がこれまでに培ってきた技能、技術、ノウハウなどは当然消えていきます。それら中小企業の立地する地域にとっても、地域産業が衰えていくことになります。

しかし、インドネシアをはじめとするアジア諸国の企業は、日本の中小企業がどのような技能、技術、ノウハウを持っているのか、それらがどのぐらいの水準で、自分たちにとって必要なものかどうか、ということに関心を持っています。日本ではなくなってしまうものでも、日本の外ではまだ必要とされる技能、技術、ノウハウがあるかもしれません。

もし、自分の持っているものがまだ日本の外では役に立つと分かったら、日本の中小企業はどうするのでしょうか。日本からは門外不出なのでしょうか。それとも、世界中のどこかで、自分が手塩にかけて築いてきた技能、技術、ノウハウが伝承され、それが次の展開へつながる、と思えるでしょうか。

後者もありだとするなら、そこで重要なのは、その日本の中小企業が手塩にかけて技能、技術、ノウハウを何年もかけて築いてきたことへの敬意、リスペクトではないでしょうか。その苦労や困難に思いを馳せ、本気で伝承を受ける者による心からの尊敬ではないでしょうか。

それまで見たことも聞いたこともない企業が突然現れて、札束をちらつかせながら、買収を持ちかけてきたら、日本の中小企業はどう対応するでしょうか。どうにもこうにもならないと諦めていた企業にとっては、大歓迎でしょうが、自分のしてきたことへの何の尊敬も示さない相手に対して不信感をもつ場合もあるのではないでしょうか。

では、日本の中小企業は、どういう相手なら、心を許せますか。たとえば、かつて3年間、一生懸命尽くしてくれた元外国人技能実習生が相手だったら、どうでしょうか。

インドネシア人技能実習生は、他国よりも長い歴史を持っており、プラスもマイナスも、様々な経験の蓄積があります。今のところ、帰国した技能実習生を会員とする団体であるIKAPEKSIが存在するのもインドネシアだけです。

IKAPEKSIのメンバーは、自分の仲間が日本の受入企業でどんな仕打ちを受けたか、なぜ日本で姿を消したか、帰国後どのように事業を成功させたか、そういったことをみんな知っています。日本側には報告しません(私にも言いません)が、仲間内ではそうした情報を常に交換・共有しています。

技能実習制度を安易に考えている関係者には、そのことをしっかりと認識してほしいです。IKAPEKSIのメンバーが「日本は素晴らしい」と口々に語るその裏には、幾重もの技能実習制度をめぐる出来事の蓄積が重なっているのです。

こうしたことを踏まえて、私は、技能実習制度を本物にすることに注力したいと考えています。

すなわち、本当の意味での技能、技術、ノウハウ等の移転を図り、それが送り出し国の経済発展につながるためにです。同時に、外国人技能実習生が、技能、技術、ノウハウ等を移転してくれる日本の中小企業のこれまでの軌跡に対して心からの敬意を示せるようにしたいのです。

それが故に、日本のどの中小企業のどのような技能、技術、ノウハウ等がインドネシアのどの地域のどの中小企業にとって有益なのかをあらかじめ意識し、日本側とインドネシア側がそれらの移転に同意したうえで、インドネシアから技能実習生を日本の中小企業へ送り出す。

日本の中小企業は3年間の移転カリキュラムとプログラムを作成し、その進捗を図る。終了時までに移転レベルに達したかどうかの試験を何度か行い、終了時には技能認定証を発行する。後は、その技能認定証をインドネシア側に認知させることで、技能認定証が帰国後の就職の際に効力を発揮する。これにより、インドネシア側に対して、日本側からの具体的な技能、技術、ノウハウ等の移転と人材育成の成果を示すことができる。

インドネシアと30年以上関わり、IKAPEKSIのアドバイザーでもある私は、そうした技能認定証をインドネシア側(中央・地方)に認知させるための働きかけを行うと同時に、帰国後の元技能実習生の活動をIKAPEKSIとともにモニタリングし続けることができます。

また、日本の中小企業での技能実習生の受入に当たっては、前もって、技能実習生に移転されるべき技能、技術、ノウハウ等についての説明や、インドネシア人との接し方やインドネシアに関する基本情報を、事細かくアドバイスすることが可能です。また、受入中も、技能実習生のよろず相談をインドネシア語で対応できます。対象実習生の人数が多くなれば、よろず相談のできる体制を整えます。

このように、インドネシア人専門として丁寧に対応しながら、何としてでも、技能実習制度を本物にしたいと思います。そのために、技能実習生の送り出し・受け入れの双方へ具体的に関わる準備を進めていきたいと思います。

もし、日本にいるインドネシア人技能実習生がインドネシア語で相談できる窓口がなくて困っている方がいれば、とりあえず、私宛にご連絡ください。

おそらく、今後は、中小企業向けの技能実習制度だけでなく、農業や水産業、看護や介護での研修生でもまた、同様のアプローチや活動が必要になってくると思われます。日本にとっても、インドネシアにとっても、ウィンウィンになる形を目指す必要があります。

お仲間になっていただける方々も必要になってくると思います。その際には、よろしくお願いいたします。