バントゥル県の水田に突如現れた工場

ジョグジャカルタ滞在中、友人の案内で、バントゥル県をまわり、水田地帯に突如現れた工場を見にいった。

話によると、工場が建設され始めたのは3年ぐらい前からで、それまでは見渡す限りの水田地帯だった。

村人もいきなりの工場建設でびっくりしたとのことだが、その後の変容はもっとびっくりしたものだったろう。工場ができると、その周りに軽食堂やワルンができる。主に、工場で働く従業員向けで、すでに5軒以上が軒を並べていた。

さらに、女性向けの下宿屋がたくさんできている。下宿屋はすべてが女性向けなのである。

この工場は、女性用下着(ブラジャー)を生産しているという話だった。だから、従業員はすべて女性なのだ。
今回は工場の中には入らず、外から見ただけだった。工場の正門前には怖い顔をした守衛が何人も立っており、工場名を確認することはできなかった。おそらく、インドネシア国内に4つのブラジャー工場を持つ企業の一つのようだ。この企業は、ジョグジャカルタに3つ工場を持ち、そのうちの2つがバントゥル県にある。今回、見たのはそのうちの一つだったようだ。
友人の話によると、ジョグジャカルタでは、2006年のジャワ島中部地震やその後のムラピ火山の噴火などにより、住んでいた場所を追われて、仕事が無くなってしまった者が少なくなかった。そうした者への雇用機会として、こうした工場が役割を果たしている、ということであった。
ということは、地元バントゥル県の女性たちだけでなく、遠くから仕事を求めてやってきた女性たちのために下宿屋が繁盛しているという構図なのだろう。
バントゥル県政府自体は、地場産業保護の立場を採っており、よそから来た企業が地元企業を駆逐するような事態を避けようとしている。実際、ジョグジャカルタのすぐ南にあるにもかかわらず、コンビニの一つ、インドマレは2軒しかないそうだ。
この工場は、地場産業を駆逐することなく、雇用機会を増やすという観点からウェルカムなのだろう。
しかし、ジョグジャカルタ周辺の農村は、こうした工場の進出によって大きく変わっていくことだろう。ジャワ島といえば豊富な労働力、低い労働コスト、という話が未来永劫変わらないという保証はない。
経済発展とともに、インドネシアにおける農村を含めた社会変動・社会変化にも、十分に目を向けていく必要があるだろう。

ガジャマダ大学の学生たちと面接

先週は、10月15日〜20日まで、5泊6日でジョグジャカルタへ行っていた。

ジョグジャカルタは日本の京都に相当する古都で、実際、京都府とジョグジャカルタ特別州は姉妹関係にある。ジョグジャカルタのキャッチフレーズは「永遠のアジア」(Never Ending Asia)、インドネシアの他の都市よりもネーミングのセンスが断然によい。

前半は某日系企業関連の仕事だったが、後半は、ガジャマダ大学の学生20名との面接であった。これは、日本の某大学のプログラムで、日本語科以外で学ぶ優秀な学生のうち、かつて日本語を勉強したものの、今は日本語を学ぶ機会のない学生に再教育の機会を与え、その後の進路について、簡単なカウンセリングを行う、というものである。私は、この「簡単なカウンセリング」の部分を面接という形で受け持った。

18日午前中に、ガジャマダ大学で「日本の企業文化は今:インドネシアにおける日系企業」と題して公開授業を行った後、1人30分ずつ、20名の面接に突入した。

20名のほとんどがIPK/GPAが3.3以上の成績優秀者で、今回の再教育で日本語検定N-3を目指すぐらいのレベルに達していた。とても勉強熱心で、面接が終了した午後3時過ぎから夕方まで、彼らの日本語の勉強を追加で見ることにもなった。

面接では、彼らの将来の夢を聞いた。自分の専門を生かした職業に就きたい、日本語を生かせる職業に就きたい、といった声が多かったが、なかには、いずれインドネシアを変えてみたい、インドネシアの農業を守るために農民に土地を提供できる立場に就きたい、といった話をする者もいた。

彼らの描くキャリアパスは、まず学部を卒業してから数年間は企業で働き、その後、大学院で勉強する機会を得て、それから先の企業に戻るか、または次のステップへ移る、というものであった。

なかには、どうしても日本へ行きたい、という者もいた。しかし、多くの学生は、鉱業部門の多国籍企業で働きたいと考えていた。花形企業なのだ。賃金水準が高く、福利厚生も整い、安定している。日本語を学んでいるからといって、どうしても日本企業で働きたいという者は少なかった。

日本企業で働いたり、日本で働いたりすることを希望する者は、規律正しさや清潔さなど、日本の良さを自分で身につけたいという動機が多い様子であった。日本に対するあこがれやステレオ・タイプは、彼らにも健在であった。

彼らの多くは、高校時代に日本語を学び、友人たちと日本愛好グループを勝手に立ち上げて、彼らなりのやり方で日本を楽しんできた者たちであった。大学に入って日本語を学ぶ機会が乏しくなっても、日本愛好グループの仲間同士の付き合いは続き、日本語学校に通ったり、日本語の自主的な勉強会に参加したりしている者もいた。

どうして日本が好きなのかを何人かに聞いたが、そこで出てくるのはやはり規律正しさや清潔さなど。でも、話しているうちに、彼らはなぜ日本が好きかを冷静に説明するというよりは、うまく説明できないがとにかく好きなのだ、ということが体中からあふれてくるような印象だった。

たとえ彼らが日本企業に就職しなくとも、彼らの日本好きは簡単には消えないだろう。我々の知らないところで、こうした日本好きの若者たちがインドネシア社会のメジャーな部分に増えていくのは、やはり好ましいことである。

彼らに卒論のテーマも聞いたが、数人が「東電福島第一原発事故をめぐる日本の政治経済」をテーマにしたいといっていたのが印象的だった。しかし、彼ら曰く、情報ソースのほとんどが日本語で情報収集が難しく、かつ指導教官から対応できないと言われ、別テーマを検討しなければならないとのことだった。

むずがゆかった。「彼らの指導教官になりたい」と思わずにはいられなかった。彼らにとっても、原発事故後の日本は、関心の高いテーマであることを改めて認識した次第である。

彼らとの面接は、私にとっては至福のひとときだった。そして、自分の心に素直に従えば、学生を指導するということがやはり自分の天職のひとつだったのだということをしみじみと思った。しかも、こんな優秀な学生たちの指導ができたら、どんなに面白く、将来が楽しみになることだろう、と。彼らとこれからもずっと付き合っていければと願う。

今後、インドネシアの大学で現代日本事情(政治経済社会)を教える、という選択肢も考え始めている。そして同時に、日本の学生のことも気になって仕方がない。何とか、両方で教えられる手立てはないものか。しばらく、欲張って考えてみよう。

インドネシアの鉄道の旅、なかなかよい

先月、ジョグジャカルタからスラバヤへ戻るときに鉄道を利用して以来、インドネシアの鉄道での移動のよさを改めて感じ始めている。

10月15日、「サンチャカ」号でスラバヤを朝8時に定刻通り出発し、ジョグジャカルタに12時52分、定刻通りに到着した。前回、ジョグジャカルタからスラバヤまで乗った「ビマ」号は、ジョグジャカルタを出発するときに30分遅れていたが、スラバヤには15分遅れで到着した。

以前、インドネシアの鉄道といえば、時刻表はあってなきがごとし、などと言われたものだが、どうしてどうして、ほぼ定刻で走れるではないか。

スラバヤを発車する際、車内にはそれを告げる放送は一切なく、いきなりガタンと動き出した。というか、車内放送は一切ないのである。到着駅の案内など何もない。どこに着いたか、自分で確認するしかないが、車内放送がないので、とても静かなのである。

車内には車掌が検札にやって来る。その際、2名の鉄道公安員風の警備員(警察官なのだろうか)が同伴する。おそらく、不正乗車が見つかった場合に、すぐに摘発するためだろう。でも、この2名、銃器を携えるような物々しさはない。

検札のほかには、サンドイッチやナシゴレンや飲み物の売り子が頻繁にやって来る。日本の車内販売のような、車を押してくるのではなく、プレートの上に食べ物や飲み物を乗せて持ってくる。すべてプラスチックやラップに包まれている。必要な客はまず食べ物や飲み物を取り、飲食が終わったころに、別の係員が代金の徴収にやって来る。

今回乗ったエクゼクティブ車両はエアコン付きだが、冷房がこれでもかというぐらいに効きすぎていた。係員が毛布を持ってくるので、必ず受け取ったほうがよい。体中がキンキンに冷えてくる。そんななかでナシゴレンを取っても、すぐナシゴレンが冷えてしまいそうな気がして、食べる気になれなかった。

スラバヤからモジョクルトに近づくにつれ、車窓にはサトウキビ畑が広がってくる。ジョンバン付近にはプサントレン(寄宿制イスラム学校)の建物がいくつか見える。ンガンジュックに至る頃には、サトウキビ畑と水田の景色。ンガンジュックからマディウンの手前までは多くの土地が乾燥していて、一部、灌漑のあるところに水田が見られる。マディウンを過ぎてしばらく走ると、工場が目に入ってきていつの間にかソロに到着。ソロからジョグジャカルタまでは複線区間で、のどかな田園風景が広がる。車窓から見えるジャワ島中東部の農業の土地利用は、次々に様相が変わるので、見ていて飽きることがなかった。

もともと鉄道好きということもあるが、やはり、鉄道の旅はなかなかよい。20日にジョグジャカルタからスラバヤへ戻るが、これも、ジョグジャカルタ夕方発の鉄道で戻ることを考えている。

食の輸入依存度上昇と遺伝子組換え

インドネシアは資源豊富な豊かな国である。まだ農業が重要な産業である。そんなインドネシアで、気がつかない間に、食料における輸入依存度の増大、遺伝子組換え飼料・食材の既成事実化が進んだ。これからこの状態を変えるのは困難かもしれない。

インドネシア料理に欠かせないのはニンニクである。 筆者の記憶が正しければ、1980年代の自給率は50%以上、それが今では10%台に落ちた。中国産のニンニクのほうが粒が大きく、いつの間にか、輸入ニンニクの市場シェアが大半になってしまった。

インドネシアの従来からの重要なタンパク源は大豆である。テンペ菌で大豆を発酵させたテンペや豆腐は、安価でタンパク質を容易に摂ることのできる必需食品である。この大豆は、1990年代初めにインドネシアは自給を達成したのだが、いつの間にか自給率は下がり、今では2割程度に落ち込んだ。テンペ・豆腐業者によると、輸入大豆のほうが粒が大きくて味がよいので、もう国産大豆には戻れないとのことである。

この輸入大豆は、主にアメリカからのもので、遺伝子組換え大豆なのである。そう、我々はインドネシアにおいて、テンペや豆腐を食べ、豆乳を飲んだりしているが、知らないうちに遺伝子組換え大豆を食べているのである。

遺伝子組換え製品のインドネシアへの流入は、まず、棉花が最初だった。1990年代半ばから、南スラウェシ州南部などに遺伝子組換え棉花が導入された。このときには、「人間の口に入るものではない」との理由で導入が進められた。

その次が飼料用トウモロコシである。これも直接人間の口に入るわけではないが、家畜を通じて人間の口に入ることになる。「遺伝子組換えトウモロコシは農家所得を2倍にする」という触れ込みで政府が喧伝し、危険性を一切省みることなく、政府は導入を進めた。しかしその後、農家の技術的能力の問題と政府側の指導不足のためか、農家所得は2倍になるどころか逆に費用負担が増えて収入が減り、「約束が違う」と農家が怒り出すこととなった。遺伝子組換えトウモロコシの普及に努めていた米国系モンサントは、後に農業省へ多額の贈賄を行っていたことが明るみになった。それでも、遺伝子組換えトウモロコシが全面禁止になったという話は聞かない。

インドネシアは舐められていたのかもしれない。一般国民レベルでの遺伝子組換え食品に関する無知を逆手に取られ、国民が知識を得て気づく前に、もうすでに既成事実が出来上がってしまったのである。今さら、輸入大豆抜きのテンペや豆腐へ転換するのは困難である。

スハルト政権が倒れ、民主化とともに経済効率化政策が採られるなかで、コメ、大豆、トウモロコシなど基幹食糧の流通管理を行ってきた食糧調達庁の役割が否定され、市場化されていった。市場メカニズムに任せることで、国産品よりも価格が安く、品質のよい輸入ニンニクや輸入大豆が一気に市場へなだれ込み、市場シェアを高めていった。

政府にとって重要なのは市場での需給確保である。先のニンニク輸入一時禁止措置の時に見られたように、国内生産からは市場状況に適応した柔軟な供給ができず、価格が急騰するという事態が起こった。輸入によって、スムーズな需給調整が可能になる側面がある。

輸入ニンニクや輸入大豆をめぐっては、輸入業者によるカルテルの存在が頻繁に指摘される。現在、牛肉輸入業者の選定をめぐって、特定政党の政治資金捻出のために、国会議員が口利きをした事件が大問題となって、福祉正義党はその清廉イメージを失ってしまったが、輸入業者と政治家の癒着が大きな問題となっているのである。

しかし、そこで輸入された大豆の大半が遺伝子組換え大豆だったのは、背に腹は替えられないということだったのか。世界的には、西欧や中国などで遺伝子組換え食材の輸入を避ける方向が 有力となっており、輸出国としては、インドネシアのような国は大変にありがたいはずである。

こうした農産物の国産化比率を上げなければ、という議論はないわけではないが、その多くがナショナリズムの観点からであり、食の安全という観点がほとんど見えてこない点がやはり気になる。インドネシアの食のマーケットは、ようやく安心・安全への意識が出始めているとはいえ、大豆などに見られるように、ある意味、それではもう遅すぎるのではないかという懸念を持ってしまう。アメリカが大丈夫だというのだから大丈夫、ということで済ませているのだろうか。

こうしたインドネシアの状況を日本の今に重ね合わせてみると、 いろいろな点で興味深い。農家と消費者がどうつながれるか、という点が鍵になるのではないかと思う。インドネシアでも日本でも、根本の問題は同時進行しているように思える。

とはいえ、テンペや豆腐のないインドネシアの食生活はあり得ない。

上記の問題とどこかでつながるかもしれないが、最近よく聞くのは、ジャワの農村部で若い世代が農業を継がず、後継者問題が意外に大きな問題として現れているということである。インドネシアは人口が多いから、と軽視している間に、インドネシア・ジャワでも3チャン農業が主流となり、機械化の必要が出てくるかもしれない。ASEAN自由貿易化で、輸入農産物の比重が益々増え、食糧自給への意欲が薄れてくるのではないか。

程度の差こそあれ、これもまた、インドネシアと日本の現実とを重ね合わせて見ることができるのではないか。

憲法裁判所長官の汚職と逮捕

この1週間、体調がすぐれず、発熱、悪寒、下痢と戦っていた。そのため、恥ずかしながら、ブログの更新を怠ってしまった。

8〜9日にジャカルタへ出張し、ワークショップなどをこなしたが、急遽、10日にジャカルタで用事が入ってしまった。9日のスラバヤへの帰り便(LCCなのでキャンセルが利かず)をどぶに捨て、10日の便を取り直したが、連休前しかも直前ということもあって軒並み満席、値段も通常のLCCの3倍だった。

何とかスラバヤに戻ったものの、体調がいまいちで、昨晩、日本料理屋KAYUの鍋焼きうどんを食べ、ゆっくり寝たことで、ようやく復活、さあブログ、となったわけである。

先週から今週にかけて、インドネシアのメディアは、憲法裁判所のアキル・モフタル長官が汚職で現行犯逮捕されたニュースであふれている。10月2日、情報をキャッチして張り込んでいた汚職撲滅委員会(KPK)捜査官が現場に踏み込み、アキル長官らを逮捕、贈収賄用の現金(28万4040シンガポールドル及び2万2000米ドル)をその場で押収した。

今回の事件は、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙をめぐるものである。すなわち、同選挙で現職が再選を果たしたが、敗れた候補側が選挙に不正があったと主張し、憲法裁判所に選挙結果に関する異議申立を行った。当選した現職側は、憲法裁判所がこの異議申立を受け入れないようにと願い、アキル長官へ贈賄を行い、長官側もそれを収賄しようとしていた、というものであった。

憲法裁判所は通常、法律等の違憲審査を行うが、それ以外に、異議申立のあった選挙結果についての判断を下したり、地方政府分立の是非に関わる判断を行ったりもする。裁判は1回のみで、憲法裁判所の判断が最終決定になる。インドネシアでは、汚職撲滅委員会(KPK)と並んで、民主化を担う信頼できる機関と見なされてきた。

しかし、よく考えてみると、それは幻想に過ぎなかったことが後付けで分かる。第1に、裁判が1回のみで最終判断ということは、第三者によるモニタリングの利かない機関ということである。審議内容はオープンにされているとはいえ、チェックアンドバランスが制度的に弱かったといわざるを得ない。第2に、政治家出身者が裁判官や長官にさえなる構造である。アキル自身もゴルカル党所属国会議員で、しかも、現役のままだったというから驚く。本当に政治から独立した判断がなされていたのだろうか。

アキルには、これまでも汚職の噂が何度かあったが、それは今回と同様、地方首長選挙結果への異議申立をめぐる案件だった。今回も、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙以外に、バンテン州レバック県知事選挙絡みでも贈収賄があったとしてKPKが捜査中である。過去にも、アキルが裁判官の時に、北スマトラ州シマルングン県知事選挙などで同様の疑惑が出たが、当時は証拠不十分で不問に付された。

また、アキルは、地方政府分立の是非についても多数案件に関与してきた。アキルの判断で分立が正当化された地方政府も少なくないようである。

贈収賄によって生まれた地方首長や分立地方政府はいったいどれぐらいあるのだろうか。今さら、「我々がそうでした」とは言えないだろうが、 KPKの監視は地方へも広がっており、戦々恐々としている者たちはかなりいるのではないか。また、今後、過去のそういった話が蒸し返されて、混乱する可能性もあり得る。彼らの正統性の危機が内在する。

コンパス紙によると、アキルに依頼する場合の相場がすでに存在し、その額は1件当たり30億ルピアだったとのことである。今回の現行犯逮捕の際に押収された金額もそれに相応する。また、アキルには他人名義の隠し口座に1000億ルピアあることが明らかになった。KPKは、マネーロンダリングの可能性もあるとして追及している。

さらには、アキルの執務室から麻薬や覚醒剤が見つかり、そのなかには市中に出回っていない物も含まれていたということである。

果たして、これらは、アキルを糾弾し、憲法裁判所の評判を貶めるためのヤラセなのだろうか。インドネシアで国民が最も信頼するKPKによる捜査であることからして、世論はその見方に否定的である。

アキルは貧困家庭の出身で、子供時代は貧しい生活のなかにあった。ゴルカル党に入るのは1998年、スハルト政権崩壊後であった。国会議員としては主に地方政府分立などに尽力したといわれる。憲法裁判所裁判官は国会承認が必要で、後付けでしかないが、アキルのような人物を憲法裁判所へ送るということ自体、明らかに、政党が憲法裁判所を利用するという意図がそもそもあったとしか考えられない。

日本の大手メディアではあまり報道されていないが、今回の事件はインドネシアの汚職事件の中でも最も影響の大きい事件だったといっても過言ではない。憲法裁判所以外にも、最高裁判所裁判官の選出をめぐる国会議員と最高裁との贈収賄の疑惑も浮上している。

ここで本格的に司法関連の汚職へメスが入るのか、そして、2014年総選挙を間近に控えて、本当に信頼できる汚職フリーの議員をどのように国民が選ぶのか、国会議員を監視する何らかの仕組みができるのか。誰が当選するかよりももっと重要なシステムの話がクローズアップされてくることを願っている。

インドネシア人とラーメン

このことろ、スラバヤで、豚肉を食べないムスリムのインドネシア人を対象にしたラーメン店が相次いでオープンしている。10月4日、5日と連続して、それらの店に行ってラーメンを食べてみた。その様子は、以下の食べものブログに書いた。

【スラバヤ】インドネシア人向けラーメン店の熱い戦い

日本からラーメン店が進出する場合、人口の9割近くがイスラム教徒であるインドネシアで成功するのかという疑問が当初出されていた。実際には、とんこつ味を前面に打ち出すラーメン店が繁盛しているという結果が出ている。非ムスリムの華人系にターゲットを絞り、彼らをリピーターとして足繁く通わせることで、マーケットを確立したのである。

そして、インドネシアでのラーメン店の展開は第2段階に入り、ムスリムが食べられるラーメンをどう提供するかがチャレンジとなってきた。インドネシアでは、インドミーをはじめとするハラールのインスタント麺が広く深く浸透し、麺を食べる文化はしっかり根づいている。

もっとも、麺の食べ方は種族によって一様ではない。華人系はもちろん、日本人のように麺として独立に食べる。ジャワのナシ・ラメスでは、ご飯の上に麺が乗って出てくる。麺はご飯のおかずなのである。スラバヤの中華小食堂でナシゴレン・ジャワを頼むと、なかに麺が入っていたりする。スラウェシの農村に泊まって朝食をいただいた際にも、ご飯にインドミーをかけて食べたことがある。ジャカルタにはソト・ミーというのがあり、ソト・アヤムのなかに麺が入る。

今のところ、ラーメンは一般のミー・アヤムとは違ったものとして認識されている様子である。しかし、我々がラーメンの残りスープにご飯を入れたりするように、ラーメンがインドネシアに受容されるにつれて、ラーメンとご飯との新たな関係が生まれてくる可能性がある。スラバヤや東ジャワでは、ソト・アヤムやラウォンに最初からご飯が入った形で出されることも多いので、ラーメンライスは一般化するのではないかという気がする。

まずは、ラーメンは日本から来たラーメンそのものとして食されるだろう。そして、ディンタイフォンの小籠包のように、豚肉を使わず鶏肉だけでどこまで味をよくできるかが追求されることになろう。さらに、インドネシア人自身がラーメンを独自にうまく受容していく段階に至るかもしれない。

日本でも、様々なラーメンの展開型が現れている。たとえば、筆者も大好きな「太陽のトマト麺」は、ラーメンとイタリアンが出会うとどうなるかを工夫したものであり、麺を食べた後のトマトベースの濃厚スープにご飯を入れる「ラアリゾ」を考案している。余談だが、8月に台北で「太陽のトマト麺」の支店に出くわした。

ラーメンがインドネシアにどう定着していくのか、楽しみになってきた。

【スラバヤ】インドネシア人向けラーメン店の熱い戦い

日本からの飲食店の進出、とくにラーメン店のインドネシアへの進出が始まって久しい。スラバヤにも、とんこつラーメンの博多一幸舎や希(のぞみ)ラーメンが進出し、けっこうな人気を集めている。

そんななか、チキン味をベースにし、インドネシア人の味覚に合わせたラーメン店が相次いでオープンした。

10月4日に行ったのは「食べるラーメン」という店。メニューは醤油ラーメンと味噌ラーメンの2種類のみ。独自の調査を行い、日本と同じではなく、インドネシア人の舌に合うように仕上げたという。

実際に食べてみた。

まず、お勧めに従って醤油味。麺は最初インスタントかと思ったが、自家製麺とのこと。インドネシア人の嗜好に合わせているらしく、コシはほとんどない。固い麺は好みでないそうだ。スープは意外にいける。鶏肉のチャーシューは今ひとつ。

次に、みそ味を食す。白味噌を使ったスープは、味噌汁のようで、味が薄い。日本のみそラーメンとは趣が違い、むしろ塩ラーメンに味が近い。彼らの調査では、インドネシア人には赤味噌は評判がよくなく、白味噌(インドネシアでは黄味噌tauco kuningと呼ぶようだ)のほうがいいのだという。うーん、どちらかといえば、醤油味のほうがまだましか。

たしかに、日本人としてこれらのラーメンを食べると、かなりの違和感がある。しかし、インドネシア人向けとしてはどうなのだろうか。今後、味は進化するのだろうか。

食後の何ともいえない不足感は、満腹でも何かを食べずには収まらない衝動にかられた。何でもよかった。1万ルピアのペチェル(野菜をピーナツ甘辛ソースで合えたもの)を食べて、ようやく不足感が収まった。ふーっ。

Taberu Ramen
Jl. Ngagel Jaya Selatan No. 30A, Surabaya

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さて、翌10月5日、今度は、ロイヤルプラザ3階のフードコート奥にオープンした「ラーメン将軍」の開店に合わせて行ってきた。何と、開店第1号の客となった。

この店は、日本人がインドネシア人の味に合うようなラーメンを提供しようとしている様子。お勧めに従って、オリジナルスープに鶏肉照り焼きをトッピングしてみた。

麺はある程度コシがあり、あっさり味のスープにうまくなじむ。鶏肉の照り焼きは、チャーシューを思わせるような柔らかくて軽く味が付いている。

特筆すべきは、赤っぽい特製シークレットスープの素。これを少しずつスープに溶かしながら食べる。さっきまでのチキン味のあっさりスープが、コクのあるピリッと辛みの利いたスープへ変身していくのが、個人的にはなかなかいける。

しかし、ジャワ人の舌にはこの辛さはどうだろうか。むしろ、赤っぽい特製シークレットスープの素はお好みに応じて入れるようにし、毎度おなじみケチャップ・マニス(甘い味のドロッとした醤油のようなソース)を好みに応じて入れられるようにするといいのではないか、と思った。

さすがに、前日の「食べるラーメン」との差は歴然だったが、それは私が日本人で「ラーメンとはこういうものだ」という先入観があるからそう思うのである。インドネシア人の客がどう判断するかは、しばらく見てみないと分からないだろう。

Ramen Shogun
Royal Plaza 3rd Floor, Food Court
FB: Ramen Shogun
Twitter: @RamenSHO-GUN

スラバヤへのラーメン店の出店はまだ続く。トゥンジュンガン・プラザに山小屋がオープン予定だし、グランドシティにも下の写真のような表示があった。

スラバヤのインドネシア人向けラーメン店の熱い戦いは続く。

ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市

ビジネス情報誌『SWA』の2013年8月15-29日号は、ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市ランキングを発表した。SWAは毎年、このランキングを発表しているが、満足度指数、推奨度指数という2つの指数で数値化している。

サーベイは2013年6月に行われ、全国のすべての県・市のうち、GRDP(Gross Regional Domestic Products)の上位20位までの県・市を対象に、それぞれの県・市で各90名の実業家・企業を対象にアンケート調査を行った。

満足度指数については、インフラ、許認可・地域政策、税金・利用者負担金、政府の支援について「とても満足」「満足」の2つを合わせたパーセンテージで示した。

また、推奨度指数は、NPS(Net Promoter Score)指標を使い、「この県・市を奨めたいか」という問いに対して1〜10の10段階で調査し、プロモーター(段階9〜10)の比率(%)からデトラクター(段階1〜6)の比率(%)を引いたNPS指標を用いる。NPS指標が高ければ、その県・市を推奨する度合い、すなわち推奨度が高いと判断される。

ぐちゃぐちゃ書いてしまったが、要するに、そこでビジネス活動を行っている実業家の自己満足度の高い県・市はどこか、という話が、「ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市」という話になる、というわけである。

そして今年のランキングは、以下の通りである。

●総合(満足度+推奨度)
第1位:パレンバン市(南スマトラ州)
第2位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第3位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第4位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第5位:ボゴール県(西ジャワ州)
第6位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第7位:バタム市(リアウ群島州)
第8位:スマラン市(中ジャワ州)
第9位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第10位:ジャカルタ首都特別州
第11位:プカンバル市(リアウ州)
第12位:タンゲラン市(バンテン州)
第13位:クタイ・カルタヌガラ県(東カリマンタン州)
第14位:バンドゥン県(西ジャワ州)
第15位:チラチャップ県(中ジャワ州)
第16位:デリ・スルダン県(北スマトラ州)
第17位:メダン市(北スマトラ州)
第18位:クディリ市(東ジャワ州)
第19位:ブカシ県(西ジャワ州)
第20位:カラワン県(西ジャワ州)

●満足度
第1位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第2位:パレンバン市(南スマトラ州)
第3位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第4位:ジャカルタ首都特別州
第5位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第6位:プカンバル市(リアウ州)
第7位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第8位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第9位:タンゲラン市(バンテン州)
第10位:スマラン市(中ジャワ州)

●推奨度
第1位:ボゴール県(西ジャワ州)
第2位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第3位:パレンバン市(南スマトラ州)
第4位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第5位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第6位:バタム市(リアウ群島州)
第7位:スマラン市(中ジャワ州)
第8位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第9位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第10位:ジャカルタ首都特別州

ちなみに、昨年の総合順位の1〜3位は、ボゴール県、タンゲラン県、ブカシ県で、いずれも首都ジャカルタの周辺の県だった。それに対して、今年の総合1〜3位はパレンバン市、シドアルジョ県、東クタイ県と、すべてジャカルタから離れた県・市であった。とくに、日系企業の進出が集中するブカシ県やカラワン県は全20県・市中19位と20位に留まっている。

昨今、ジャカルタ周辺の投資環境が悪化して来ている様子だが、今回のランキングの変化はそれを反映したものといえるだろうか。

もっとも、インドネシアの実業家にとってビジネスのしやすい都市は、日系にとってもビジネスのしやすいところとは限らないのはもちろんである。これは、あくまでも参考程度に留めておけばいい話であろう。

それでも気になるのは、インドネシアの地方都市(県・市)がお互いを意識し合い、ビジネス環境の改善に意欲を見せ始めているからである。こんなことは、中央集権のスハルト時代には起こらなかった。いろいろと面倒になった部分もあるが、これも地方分権化の産物といえる。

現場を見ることもせず、地方をすべてダメな存在と一般化するのではなく、インドネシアの実業家が「ビジネスがしやすい」と考える地方都市の魅力を探ることも必要なのかもしれない。まだまだ我々の知らないインドネシアがそこにある。

インドネシアでダイビングを思う存分しながら生きていきたい人へ

今朝、あるインドネシア人の知人と朝食をしながら、前々から温めてきた夢の一つを語り合った。それは、インドネシアで、ダイビングを思う存分しながら生きていく、という生き方の選択についてであった。

以前、何かの時に、こんな話を聞いた。夢のような話かもしれないけれど、1年中ダイビングができて、その合間に時々仕事をする、なんていう生き方はできないものか、という話である。本当にそれを実現できないものか、という話をした。

誤解のないように言うが、私自身がそうしたいと思っている訳ではない。

(ワカトビ上空)

その知人が提案してきた内容はこうだ。

・デラワン、アロール、ワカトビ、ラジャ・アンパットなどのダイビングで有名な場所に長期滞在できる、ダイビング免許を持った外国人(できればダイビングを他人に教えられる人)

・メインの仕事は、ダイビングをすること。そして、ダイビングの話やその場所の出来事などを、英語と最低もう一つの外国語で、写真を使って、ブログ、フェイスブック、ツイッターなどへ頻繁に発信する(毎日、または1週間に3~4回、など)こと。

・宿舎や食事、インターネット接続、ダイビングに必要な機材等はそれぞれの場所でインドネシア側が用意する

・ダイビング客をよそから連れてきた場合にはその紹介料が支払われる

・必要に応じて、地元の若者や子供たちにダイビングを教えたり、外国からの客の通訳をしたり、パンフなどの翻訳も行う(それぞれについて謝礼が支払われる)

・毎月、若干の賃金が支払われる(日本円で5万円ぐらいか)

以上のような条件で、インドネシアに住んで、上記のような活動してみたいという人は、いるだろうか。

興味のある方は、私(matsui@matsui-glocal.com)まで、是非ご連絡いただきたい。

 

【お知らせ】日本人経営者のためのワークショップジャパン・フィードバックセミナー(10/9)

日系企業で働くインドネシア人スタッフは、日本や日本人や日本企業に対してどんな意識を持っているのか。その本音の部分を知ることで、日本側とインドネシア側とのコミュニケーションが大きく改善することが期待できます。

そこで、下記のセミナーを10月9日に開催予定です。私が講師を務めます。ふるって、ご参加ください。

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日本人経営者のための
ワークショップジャパン・フィードバックセミナー

JACインドネシアでは、日系企業で働くインドネシア人管理職・マネージャーを対象に、日系企業内でのコミュニケーション能力を高めるための「ワークショップ・ジャパン」を開催してきました。

「ワークショップ・ジャパン」では、参加者間の討論や経験交流を通じ、親密なコミュニケーションを実現するためにインドネシア側・日本側双方がどのような努力が必要かを考えてきました。そのなかで、インドネシア人側の日本人経営者に対する見方や態度の本音の部分が明らかになり、それを日本人側へフィードバックする必要性を感じました。

本セミナーでは、インドネシア人側が持つ日本人や日系企業へのイメージを示した後、ワークショップ・ジャパンで出された具体的なミスコミュニケーションの事例を取り上げ、インドネシア人側と日本人側との認識の相違を考えます。そして、インドネシア人側から出された日本人経営者側への改善提案をもとに、両者間の良好なコミュニケーションの作り方について、参加者と一緒に考えていきます。皆様のご参加をお待ちしております。

講師  : 松井和久(JACシニアアソシエイト)

日時    : 2013年10月9日(水)17:00 – 19:00(受付開始 16:30)

場所    : スカイビジネスセンター
Menara Cakrawala 19th Floor., Jl. M.H. Thamrin No.9, Jakarta

参加費:  500,000 ルピア + VAT 10 %

定員: 30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)

お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)
申込先: JACビジネスセンター(担当:田巻) tamaki@jac-bc.co.id または松井(matsui01@gmail.com)まで

なお、当日は、9:30〜16:30に同じ会場で、日系企業で働くインドネシア人スタッフを対象としたコミュニケーション能力養成ワークショップ「ワークショップ・ジャパン」も開催します。参加ご希望のインドネシア人スタッフがおりましたら、上記と同じ要領で、JACビジネスセンター(担当:タタ) tata@jac-bc.co.id または松井(matsui01@gmail.com)までお申し込みください。

「日本」が人々の胃袋の中へ広がる

ジョグジャカルタの「こてこて」と「わざわざ」の話を前回書いた。そこでは、「日本」がインドネシアの若者たちに、肩肘張らずに自然にすんなりと、受け入れられている様子があった。最近の日本からの企業進出、とくに日本というものを意識した日本側からインドネシア側へのアプローチとの対比で、少し考えてみたい。

たとえば、日本からラーメンなどの飲食業の進出がジャカルタやスラバヤなどで見られるようになって久しい。そこでは、多くの場合、日本的なものを前面に出して、日本を売りにするケースがほとんどである。

基本は、日本で食べるのと同じものをインドネシアにも提供したい、という姿勢である。そして、それは日本好きであったり、物珍しさを好むインドネシアの人々に受け入れられていく。在留邦人も、日本食が恋しくなって、そうした店へ出かける。そうして、日本というものがインドネシアへ広がっていく。

一方、「こてこて」や「わざわざ」のように、日本人がほとんど関与せずに、インドネシア側のイニシアティブで、日本人が知らないところで、勝手に「日本」が広まっていく現象がある。彼らのやっていることは、日本人の我々から見れば、日本の真似事に過ぎないかもしれない。「ちょっとそれは違うんじゃないかなあ?」と首をかしげたくなるような面もある。

そうしたビジネスを行っているのは、留学や研修でかつて日本に滞在した経験のある人だったり、アニメやオタク文化に触れて日本にはまってしまった人だったり、あるいは、ちょっとビジネスをするのに「日本」を借りただけの人だったりする。

これら両者の違いは、日本をどう扱っているかである。日本から進出した企業は、日本をインドネシアの中へ持ち込み、その日本たるものを維持することでビジネスを展開させようとする。その際、最初は物珍しさから注目を集めても、すぐにインドネシア側に飽きられてしまう可能性がある。

気をつけないと、「日本のものだから素晴らしいんだ」「どうしてインドネシアの人々はそれを理解してくれないのか」という話に陥りかねない。もちろん、そして利益を上げなければならないというプレッシャーがかかる。

「こてこて」や「わざわざ」は、インドネシアの若者が、日本が好きで勝手に始めたものである。もちろん、利益を上げることが前提だが、日本礼賛!というように力が入っているわけではない。日本をそのまま伝えなければならないという使命感などない。彼らが最もなじむ形で「日本」あるいは「日本的なもの」が受け入れられていく。そこでは、容易にインドネシアやインドネシア的なものと融合していく。当然、日本的なものを求める日本人や日本通の関心の対象にはならない。

しかし、どうやら、我々の目に見えないところで、この「こてこて」「わざわざ」現象は静かに広まっている様子なのである。

昨晩、スラバヤ郊外の住宅地の細い道路を走っていたら、ワルンのような赤ちょうちんを発見。ちょっと覗いてみると、机一つだけの「ラーメン屋」だった。いかにも、インドネシアの方が試しに始めてみたスモール・ビジネスという感じで、日本人の私の眼から見て、どう見ても美味しそうなラーメン屋には見えなかった。機会があれば、今度、取材をかねて、味を試してみたいと思う。

クールジャパンなどを通じて、日本食をビジネスとする日本企業のインドネシア進出を支援することにも意味があるだろう。

それとともに、いやそれ以上に、インドネシアの人々や世界の人々の胃袋に日本食あるいは「日本食」をなじませ、広めていくこと、日本が世界の人々の胃袋から離れられなくなる(する)ことが、日本が世界のなかで生きていくに当たって、とても重要なのではないかと思える。それは、日本企業だけでできる話ではない。「こてこて」や「わざわざ」のような、現地の人々が勝手に広めてこそ、「日本」が人々の胃袋の中に根づいていくのではないか。

こうした、勝手に「日本」を広げていく動き、とくに胃袋を通じて「日本」が広がっていく動きを、我々日本人は、「本物ではない!」などと目くじらを立てずに、温かい目で見守っていきたいものである。

【スラバヤ】南昌飯店 Rumah Makan Nam Cheong

前から気になっていた南昌飯店へ行ってきた。南昌といえば、中国・江西省の省都。インドネシアで南昌の名前はあまり聞かないだけに、どんな料理を出すのか、興味津々。

店の中に入ると、そこはいたって庶民的な雰囲気のお店。気軽に入れる感じである。また、メニューもさほど多くなく、そっけなさを感じるほどである。とくに、南昌料理を銘打つわけでもなく、ごくごくフツーの中華食堂、といった趣であった。

よくある料理ばかりが載っているメニューから、「しいて言えばお勧めは何?」と聞いて、若いウェイトレスのレコメンに従って頼んだのは、次の5品である。

Nasi Goreng Kepiting (カニ炒飯)
Cintu Baikut(スペアリブ)
Hay Hap (ハイ・ハップ)
Cap Cay Goreng Merah (赤い野菜炒め)
Udang Ham (エビのハム風)

今回、初めて食べたのが、Hay Hap と Udang Ham の2つ。いずれも、練り物を揚げたようなものだが、Hay Hap はエビ、豚、魚(タラ)をすり身にしたもののようで、中は下の写真のようになっている。

Udang Ham はエビ味のやはり練り物のようだが、独特の歯ごたえがあり、うーん、ハム風と言われればそんな感じがしないでもない。

Hay Hap も Udang Ham も初めてだったが、他では食べたことのない食感とあっさりした味が印象的だった。

意外にいけたのが赤い野菜炒め(チャプチャイ)。これを白いご飯と食べる人が多いと聞いて納得。

スペアリブも味がしっかりついていて、濃厚だった。

とくに変わったメニューはないと見せて、実は、他にはないメニューを出してくるところなど、なかなか侮れない「食堂」である。

この店は、午後9時半になると、どんどん閉店のしたくを進めるので、夜遅くまで飲むには適していない。

Rumah Makan Nam Cheong
Jl. Pahlawan 58, Surabaya
Phone: 031-5454446, 5454447

 

「こてこて」と「わざわざ」

7月に「中小企業海外展開支援プラットフォームコーディネーター」という長い名前の職務を拝命し、日本の中小企業がインドネシアへ進出する際のコンタクトポイント、あるいはすでにインドネシアへ進出した中小企業の相談窓口、のような役割を果たしている。

昨晩から出張でジョグジャカルタに来ているが、今回はそのプラットフォームがらみの仕事である。

仕事の話はちょっと置いておいて、今回、ジョグジャに来てあらためて思うのは、日本というものがジョグジャの風景の中に溶け込み始めているということである。すなわち、日本に留学したり、日本について学んだりした学生たちが、自分のフツーの感覚で、肩ひじ張ることなく、遊び感覚も兼ね備えながら、ちょっとしたビジネスなどを行なっている光景である。

最初は「こてこて」。これは、広島風と大阪風のお好み焼きを出す小さな店である。ワルン・オコノミヤキと称している。注文すると、お兄ちゃんがお好み焼きを焼いてくれる。ムスリムのお客さんを考慮して、すべてがハラル。お好み焼きのソースも、自分たちで工夫してハラルにしている。しかも、小・中・大とサイズの分かれたお好み焼きは、大でもトッピングなしで3万ルピアと手頃な値段だ。これで十分に元が取れているという。

次は「わざわざ」。「こてこて」からすぐのところに、赤いのれんをかけた屋台があった。ガジャマダ大学日本語科の学生?が始めたビジネスで、まさに屋台をイメージして始めたようだ。ご飯に鶏肉または牛肉のそぼろをかけ、お好みで目の前の春巻、チキンカツ、サテ、サラダなどをトッピングする。あれ、これってジャワでよく見かけるワルンやソトアヤム屋と同じシステムではないか。

まさに、「日本」がすんなりと入っているのだ。ジョグジャの持ついい意味での脱力感とともに。

日本とインドネシアの交流イベントを大々的にやるのもよい。でも、ジョグジャカルタの若者たちは自分たちのアイディアとセンスで、日イ友好などと力を入れることなく、楽しみながら「日本」を自然に自分たちの中に取り込んでいる。そんな動きが自然に広がっていくのがいい。日本人は、「本当の日本とは違う」などと目くじらを立てないほうがよい。

夜だったせいもあり、うっかり、写真を撮るのを忘れた。失敗。

スラバヤ郵便局本局

スラバヤには、落ち着いた古い建物がたくさん残っている。時間を見つけて、写真をたくさん撮りたいと思っているが、本当に、どの建物にも歴史を経た風格と何とも言えない風情がある。

先日、スラバヤ郵便局の本局へ行く機会があった。これがなかなかの建物だった。

スラバヤ郵便局の建物はオランダの建築家ボルシウス(G.J.P.M. Bolsius)によって設計され、1926年から1928年にかけて建設された。

この建物が建設する前、この場所にはオランダ人子弟や特定のエリートが通う中等学校(Sekolah HBS, 1881-1926)があり、植民地政庁副総督を務めたファン・モーク(H.J. van Mook)が1906-1913年に、初代インドネシア大統領のスカルノも1916-1923年に通っていたという。

建物だけではない。サービスが実にスムーズだった。入口で番号札を取り、銀行にあるような番号表示板(上写真)を見ながら、後は呼ばれるのを待つだけ。

普通ならば切手、普通郵便、速達、 EMSなどと窓口が分かれているものだが、ここは、どの窓口でもすべてのサービスに対応している。

今回はEMSを出しに行ったのだが、対応していただいた女性職員の方はテキパキとこなし、あっという間にEMSの手続が終わった。

これまでの郵便局での対応とは雲泥の差。インドネシアにおけるこうしたサービスの質が着実に向上しているのか。それとも、スラバヤがそうなのか。

【スラバヤ】Kwetiau Silam @ Apeng Kwetiau Medan

前から行ってみたいと思っていたクウェティアウの名店Apeng Kwetiau Medanへ、9月4日に行ってきた。そして、大満足した。

今回注文したのは、あんかけクウェティアウ(Kwetiau Silam)の小(Rp. 33,000)。 このあんだが、意外にあっさり味で、タラッとかかったゴマ油が何とも言えぬ香ばしさを醸し出す。あんは溶き卵でトロッとしており、中にはシーフードがクウェティアウとともに入っていた。

うーん、一言でいうと、滑らかなおいしさ。あんかけクウェティアウは、ジャカルタにも良く行く店が数軒あるが、スラバヤのは全般にあんが滑らかで、クウェティアウが見えないほどたっぷりとかかる。クウェティアウはジャカルタに比べるとちょっと幅広で、柔らかい。これは、これまで食べたクウェティアウの中でも、最高に美味しい部類に入る。

クウェティアウと合わせて注文したのが、この水餃子(Pangsit Kuah)。8個入りでRp. 24,000。この水餃子、皮の包み方がちょっと変わっていて、具を包んだ両端が中央でクロスする形になっている。その食感が、普通の餃子とは違って面白い。もちろん、水餃子自体の完成度は高い。

厨房でクウェティアウを料理するコックたち。

会計ではタッチパネルのパソコンが使われていた。

店内風景。

Apeng Kwetiau Medan
Jl. Kedungdoro 265-267, Surabaya
Phone: 031-5345778

中銀レートは7.25%へ引き上げ

9月12日、中銀理事会は中銀レートを7.25%へ引き上げた。中銀レートは、8月29日の臨時中銀理事会で6.5%から7.0%へ引き上げたばかりである。中銀によれば、インフレ率の抑制、通貨ルピアの安定、経常収支赤字の改善を目的とした措置であり、それは前回から引き続いている。

中銀による中銀レート引き上げの説明(9月12日、インドネシア語)

おそらく、タイミングを重視したのだろう。筆者は、9月末が一つのヤマになると見ている。2013年第3四半期末に当たるが、通常でも、四半期末にはドル需要が増大し、ルピアは軟化する。インドネシア政府や中銀がルピア防衛に対して毅然たる姿勢を示せなければ、9月末にはさらなるルピアの下落が起こることになる。

8月29日の中銀レート引き上げ後も、ルピアはやや下落傾向を見せているが、市場に大きな混乱をもたらしている様子はあまり見られない。政府は緩やかなルピア安を容認していると受けとめられており、現状でもそれに大きな変更はないと見られるが、何よりも、急激な変化ではなく、ソフトランディング的な展開へ持っていこうという意図が見える。

この度重なる中銀レートの引き上げを受けて、中銀は、2013年のGDP成長率予測を5.8〜6.2%から5.5〜5.9%へと再び下方修正した。同時に、2014年のGDP成長率目標も6.0〜6.4%だったのを5.8〜6.2%へ下方修正した。

雇用機会拡大の観点からすれば、今後、インドネシアでは毎年最低でも6%後半以上、7〜8%の成長が必要となり、5%台の成長では力強さに欠ける。

しかし、現在のアジア経済全体を見ても、5%台後半の経済成長はまずまずの値であり、決して低い数字ではない。経済減速ではあっても、失速ではない。やはり、今年はとくに、耐える経済運営をインドネシア政府は行っていかざるを得ない。

中銀の見通しでは、インフレ率は徐々に落ち着きを見せていくものの、2013年通年では9.0〜9.8%となる見込みである。もっとも、2014年は4.5%前後に落ち着くとしている。

中銀は同時に、金融システムの安定性は維持されていると強調する。2013年7月時点で、CARは最低基準の8%を大きく上回る18%と十分高く、NPLも1.9%と低い。貸付も2013年7月に前年同月比22.3%増、同年8月に同22.0%増と力強い。もっとも、今後、この傾向が維持できるかどうかは予断を許さない。

政府は、中銀と日銀との二国間通貨スワップ協定に基づく最大調達可能額120億ドルを含めた300億ドルの外貨を調達可能とし、それにはチェンマイ・イニシアティブ分は含まれていないと説明している。外貨準備高は現状で輸入の5ヵ月分相当を確保していることも強調し、十分な対策を行っているとアピールしている。

今日の中銀レート7.25%への引き上げは、さらに市場を安心させるためのダメ押し的な効果が期待されるのだろう。

とはいえ、やはり9月後半から月末にかけての動きは、注意深く見ていく必要がある。

「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」発言

インドネシアと直接関係ない話で申し訳ない。

2020年の五輪開催都市に立候補している東京。東京電力福島第一原発からの高濃度汚染水の漏洩・海洋排水の問題が世界的に注目されるなかで、当選へ向けてなりふりかまわぬ姿勢を見せた。

東京が安全であることをアピールするため、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」とプレゼンしたと報じられている。筆者は、科学的な安全性について、客観的にみて、本当に東京が安全なのかを判断する確かな知識を持ち合わせているわけではないので、安全かどうかを問題にすることはしない。

しかし、この発言は、「福島は安全でない」と言ったに等しい。どうしても何かこの種のことを言いたいならば、「(問題となっている)東京電力福島第一原発は東京から250キロ離れており」と言うべきであった。「福島」は福島県全体なのか、他都市よりもまだ相対的に線量の高い福島市なのか。東京並みかそれ以下の線量の会津地方やいわき市周辺も含むのか。この発言からすると、「福島は安全ではない」と受けとめられることになる。

これこそが、いわゆる風評というものではないか。発言者の繊細さに欠ける用語使いで、どんなに印象が変わるか。

この発言を聞いてすぐに思い出したのは、東京の発展を電力で支えてきた福島の歴史だった。奥会津・只見川の電源開発で、巨大水力発電所が建設され、その後、浜通りの相双地区に何基もの原子力発電所が「福島」という名前の下に建設された。それを担ったのは東京電力であり、それらの場所で作られた電気はすべて東京首都圏へ送電された。福島県内の電力は、東北電力による発電所から送電されたのである。

そもそも論として、なぜ東京への電力を福島県に作ったのか。只見川電源開発は、そこに豊富な水資源があったから、という理由で容易に納得できる。

他方、浜通りの 原子力発電所は、そこにウランがあったからではなかった。東京にもっと近いところに作ればいいものを、わざわざ送電コストをかけて流す選択をした。そして、2011年3月に事故が起こって、東京から離れたところに建設した理由が眼前に現れてしまった。やっぱり、実は、最初から「危ない」と分かっていたのである。

「危ない」と言っていたのではどこにも建設できないから、過疎で出稼ぎに頼る貧しかった相双地区が注目され、人口の多い東京首都圏で何か起こるのに比べれば、影響は少ないと勝手に判断され、多額の資金供与を見返りとして、原発が建設されたのである。もしかしたらそこの人々は「騙されている」と分かっていたのかもしれない。でも、生きていかなければならなかった。東京の人たちのような豊かな生活をおくる権利もあるはず。彼らを「金の亡者」と一律に非難するのは難しい。

そして事故が起き、改めて「騙された」ことに気がついたが、それと引き替えに手に入れた自分たちのより良い生活を否定することはできない。けれども、あえて「騙される」ことを選択したことで、間接的にではあっても、事故に荷担してしまった罪悪感が人々の心の一番の奥底でうごめいていることは想像に難くない。単純に「原発反対」などと声を上げられない複雑な気持ち、しかしそれはなかなか理解してはもらえないだろう。

東京オリンピックは、そんな人々を励まし、勇気づけ、復興へ向けて前向きの気持ちにさせる機会になる、と信じて旗を振る人々がいる。たとえ、打ち上げ花火のようなはかないものだとしても、何もないよりは、一時的に気分を高揚できる機会になるかもしれない。何かそれが決定的に復興を継続的に進めていくエネルギーになるとは思えないけれども。線量を気にし、食の安全にピリピリした、日々の生活で精一杯の福島の人々にとって、東京オリンピックとはその程度の位置づけでしかない。

でも、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」という発言がすべてを台無しにした。東京オリンピックが福島の復興のためなんて、嘘だということが明らかになってしまった。東京は福島とは違う世界にあり、東京でオリンピックをやっても、福島の影響は何もない、ということだ。それをいうなら、東京よりも遠い、福岡や鹿児島でやったほうがいいではないか。東京だけでオリンピックをやれればよいのか。

東京首都圏の発展を支えた電力の源の多くが福島県からだったという事実、その見返りは刹那的なカネでしかなかったのか。東京は福島を見ていない。同情はしているかもしれないが、ともに歩んでいこうという姿勢はない。むしろ、東京オリンピックの実現には迷惑な存在と思っているかもしれない。

もっとも、東京オリンピック云々の話題が出たからこそ、世界中のメディアが注目するなかで、東京電力福島第一原発で今本当は何が起こっているかを、東電が騙し続けられない状況が生まれたという面もある。東京オリンピックが実現することで、東京電力福島第一原発の廃炉処理が本当に実質的に進むのならば、それはありがたいことではあるが、そのような説明は政府からも東京都からも東電からも聞こえてこない。

アソシエイトへ変更

本日(9月4日)より、所属先との契約関係を変更しました。基本的に、社員というよりも協力者(アソシエイト)という相対的にゆるいステータスへ変更となりました。

身分や収入はこれまでよりもやや不安定になりますが、自分をより主体化させて動くことができるようになります。私自身の名前で仕事をしていく、という要素が強くできるようになり、所属先を通さずに、直接、仕事を受けることも可能になりました。

これに伴い、これまで使ってきた所属先の名前でのメールアドレス(matsui@jac-bc.co.id)は使用しないことになりました。今後は、matsui01@gmail.com で一本化していきますので、何かあればこちらへご連絡いただければ幸いです。

やりたいことは色々あります。そして、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどを通じた発信は、積極的に行っていきたいと思っています。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

【台北】アゲー

8月、スラバヤへ戻る前に台北に寄って、食べ歩きをした。食べたものは皆美味しかったが、そのなかでも、アゲーという食べ物が興味深かった。

アゲーは漢字で「阿給」と書く。この名前の由来は、食べ物自体にあった。油揚のなかに太めのビーフン?糸こんにゃく?や肉が入っており、それをちょっと辛めの汁と絡めて食べるのである。アゲーとは「揚げー」であり、阿給はその音の当て字なのだった。

アゲーは台北の北部、淡水地区の名物料理で、川の近くには何軒ものアゲー屋が並ぶ。私が友人に連れて行ってもらったのは、その元祖とでもいうべき店だった。

店は大混雑。

アゲーの「使用前」と「使用後」。

 

アゲーが「揚げ」が由来だとすると、この食べ物は、日本と関係があるはず。日本でも油揚の中に詰め物をするが、このアゲーのようなものは見たことがない。油揚を生かした淡水の人々の創作物なのだろう。ほんと、庶民の味、という感じである。

アルファマートでCITILINK

先週に引き続き、9月1〜2日はジャカルタへ出かける。そのための航空チケットをインターネットで購入した。

今回はCITILINK、必要事項の記入を終えて、支払の段。支払い方法はデビットカード、ワンクリック・デビット、ATMなどのほかに、アルファマートで支払、というのがあった。そこで、試しにアルファマートへ行って、チケット代を支払ってきた。

アルファマートのカウンターで予約コードを伝えると、店員が端末で確認し、プリンターで領収証をプリントアウトしてくれる。今回は、端末がなかなかネットワークとつながらない様子で、10分ぐらい待たされたが、ちゃんと領収証が印刷された。

日本のコンビニのような、様々なチケットが買える統合端末はまだ導入されておらず、CITILINK単独の端末であった。

ただし、CITILINKの航空チケットは、インターネットでまずブッキングして、支払のみがアルファマートで可能、という形である。

インドネシアでも、コンビニで電気料金や航空チケット代金が払える時代が来た。これから数年で、コンビニでのこうした利便性が急速に発展すると、コンビニ自体が一気に全国へ広がるような予感がした。

しかし、コンビニの発展は、伝統的な市場(パサール)が衰退へ向かう兆候でもある。この点については、また別に考えてみたい。

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