軽油不足と大渋滞

昨日(4/24)は、スラバヤからマランへ日帰り出張した。マランにある国立ブラウィジャヤ大学の日本文学科を訪問するためである。

スラバヤを出発したのは午前8時。午前10時のアポで間に合うと思ったのが浅はかだった。スラバヤ市内からグンポルまで高速道路を走って、快調に進んでいたのだが、パンダアンの手前付近から大渋滞になった。何台ものトラックが延々とガソリンスタンドへ向けて列を作っていた。

新聞報道にもある通り、軽油が不足気味なのである。多くのガソリンスタンドでは、軽油のストックが無くなっていた。まだ軽油のあるガソリンスタンドへ、トラックやバスなどが集中して押しかけてきたという図である。

5月から、補助金付きのガソリンと軽油の値段が二重になる。すなわち、公共交通機関用とバイク用は現在と同じ1リッター4500ルピアのまま値段が据え置かれる一方、それ以外については同6500〜7000ルピアへ値上げとなることが告知されている。政治的な理由から、石油燃料向け補助金の明示的な削減が難しいので、二重価格制をとることで、少しでも補助金負担を減らそうという政策である。

いつものことだが、価格引き上げが見越されれば、その商品は市中で品薄になる。値上げ前に少しでも買っておこうとする消費者心理とともに、値上げ期待で売り惜しみをする生産者・販売者も存在する。

2014年総選挙・大統領選挙を控えて、石油燃料向け補助金の削減・石油燃料値上げは、極めて政治的な意味を持つ。2年前、国会予算委員会では政府提出の値上げ案をすべての政党が承認していたが、各地で値上げ反対デモが起こり、しかもそれが暴力性を伴って展開したため、事態を沈静化させる必要と人気取りを優先した政党が前言を翻し、国会本会議で揃って反対へ転じた。結局、石油燃料価格は値上げできなかった。

政府はそれを学習し、かつ、石油燃料補助金の恩恵を受けているのが実は高額所得者ではないかという議論も踏まえて、今回のような二重価格制の導入を試しにやってみようとしているのだろう。

補助金支出が財政上の大きな負担となり、インフラ整備などへ予算を配分できない状態が指摘されて久しい。政治的理由から石油燃料補助金を一気に削減することは難しく、二重価格制のような小細工を使いながら、実質的な補助金削減を少しでも果たそうとするのは、苦肉の策ではある。

5月に上記が実施され、7月から断食に突入、8月初めの断食明けまでの物価上昇の季節である。経常収支も赤字傾向が続き、通貨ルピアは安含みで展開、輸入減少は期待できないので、輸入品価格も上昇となる。雨季作の米の作柄がそれほど悪くないとして、それがどれぐらい物価を安定させるかが鍵になるが、やはり物価上昇傾向はより鮮明になる。

そういえば、最近は「市場操作」(Operasi Pasar)という言葉をあまり聞かなくなった。以前のインドネシアでは、市中で米や灯油が足りなくなると、政府が「市場操作」でそれらを注入し、価格を安定させようとした。今は、市場メカニズムに委ねるという方向なのだろう。政府が「市場操作をやる」と表明するだけで、売り惜しみをしている側がストックを放出するというデモンストレーション効果も期待できるはずだが、最近はあまり聞かれない。

2013年第1四半期の投資は依然好調

4月22日にインドネシア投資調整庁(BKPM)から発表された2013年第1四半期(1〜3月)の投資実施額は、前年同期比30.6%増の93兆ルピア(約95億ドル、約1兆円弱)となった。投資実施総額の70%を外国投資が占めた(65.5兆ルピア)が、伸び率では国内投資が前年同期比39.6%増となり、外国投資(同27.2%増)を上回った。

カティブ・バスリBKPM長官によると、国内投資の急伸は旺盛な外国投資の影響を受けている。すなわち、外国投資が増えるとともに、その外国投資へモノを供給する、あるいは外国投資による製品に関係する国内投資が増える構造になる。カティブ長官は、自動車産業への部品サプライヤーの例を挙げて、外国投資の増加が国内投資へスピルオーバー効果をもたらしていると解釈する。

国内投資の大きかった業種は、鉱業(6兆ルピア)、倉庫・通信業(6兆ルピア)、金属・機械・電機(1.8兆ルピア)、電気・ガス・水道(1.7兆ルピア)であった。

国内投資の大きかった地域は、東ジャワ(9兆ルピア)、東カリマンタン(4.8兆ルピア)、南カリマンタン(3.4兆ルピア)、北スマトラ(2兆ルピア)、ジャカルタ(1.9兆ルピア)の順である。

一方、外国投資の大きかった業種は、鉱業(14億ドル)、化学・薬品(12億ドル)、金属・機械・電機(10億ドル)、輸送機器(9億ドル)、製紙・印刷(6億ドル)であった。

外国投資の大きかった地域は、西ジャワ(13億ドル)、バンテン(11億ドル)、パプア(8億ドル)、東ジャワ(6億ドル)、リアウ(6億ドル)の順である。

外国投資の大きかった国は、シンガポールを抜いて日本(12億ドル)がトップになった。
日本に続くのがアメリカ(9億ドル)、韓国(8億ドル)、シンガポール(6億ドル)の順である。

やはり、日本からの投資、とくに自動車関連の投資がここに来て、投資全体のなかで相当に大きな地位を占めていることが改めて分かる。なお、日本からの自動車関連投資については、別稿として考察してみたいことがある。

BKPMによる2013年通年の投資実施額の目標は390.3兆ルピア。その意味では、幸先のよいスタートを切ったといえるかもしれない。しかし、これが第2四半期にも続くかどうかは、決して楽観はできない。

たとえば、2013年2月の投資財の輸入は前月比 1.59%減となった。カティブ長官は、投資財輸入減少が今後も続くようならば、投資実施にも影響が出てくると懸念する。

APEC貿易大臣会合の会場前にて

4月20日、APEC貿易大臣会合が開催されているスラバヤのGrand City Convention Centerの前にいた。というのは、隣がGrand City Mallになっていて、そこへ行ったついでにConvention Centerの前にいた、というわけだ。決して、貿易大臣会合に何か関係があったわけではない。

Convention Center前にずらっと並んだ警察の白バイ。なかなか圧巻である。

スターバックスで警察官や会合関係者が談笑したりしていて、けっこう和やかな雰囲気だった。ちょうど4月20日は「カルティニの日」。隣のGrand City Mallでは、おそろいの制服を着た軍人・警察官・役人の奥様方が集まって、歌や踊りのイベントをしていた。

けっこう和やかな雰囲気のAPEC貿易大臣会合の現場だったが、実は、スラバヤ市内のJl. Basuki RachmatでAPEC会議開催に反対する学生たちのデモがあり、3人が拘束されたことを後で知った。

Demo Tolak APEC Dibubarkan Polisi, 3 Pendemo Diamankan
(インドネシア語記事)

デモをした学生たちは、APECを資本主義や帝国主義の観点から批判したのだろうか。搾取する側、される側という話なのか。学生も、そろそろ埃をかぶったイデオロギーを持ち出して、イメージでデモをするのを止めたほうがよい。今、ここで議論すべきは、たとえばTPP協議への参加が是か非か、といった議論になるのではないだろうか。

インドネシアでは、まだTPPに関する議論はほとんど表面に現れていないが、一部の識者から「TPPへインドネシアも参加すべきだ」との議論が出てきている。もし、今、TPPに関する議論が公に行われれば、来年の大統領選挙へ向けて大きな議論となり、おそらく現状ではTPPに反対する候補が勝つ可能性が高い。インドネシアをTPPへ引き入れたい側は、今はその議論をそっとしたままにしておきたいだろう。

そして、スラバヤでのAPEC貿易大臣会合と並行した別の交渉で、すでにTPP協議に参加している国々の同意によって、日本のTPP交渉への参加が認められた。日本での新聞報道によると、日本側が積極的に、日本のTPP協議参加への同意を既参加国へ働きかけていたということである。

TPP、世界GDPの4割 日本の交渉参加を正式承認

日本のTPP加盟へ向かう一歩は、事実上、このスラバヤで始まったのである。

美味しいソト・アヤムと出会う

私の最も好きなインドネシア料理といえば、それはナシ・ソト・アヤムである。ナシはご飯。ソト・アヤムは、鶏肉の入った実だくさんの野菜スープである。

ソト・アヤムは地方ごとに味付けや中に入れる野菜の種類などが異なる。独断と偏見でいえば、大きく、東ジャワ系と中ジャワ系に分かれる。東ジャワ系(ソト・マドゥラ、ソト・アンベガンなど)は全般に黄色っぽいスープで、ターメリックが若干入っているようである。一方、中ジャワ系(ソト・クドゥス)は全般に黒茶っぽい色のスープである。

ソト・アヤムのなかにご飯を入れて、雑炊のようにして食べるのは、東ジャワと中ジャワだが、多くの場合、ご飯を一緒に入れるか、ご飯をソト・アヤムと分けるか、と聞かれる。

ちなみに、ジャカルタでは、ほとんどの場合、ご飯とソト・アヤムは別々に運ばれてくる。そして、筆者が観察した限りでは、ソト・アヤムのなかにご飯を入れて食べている人を見かけたことはない。ご飯のうえにソト・アヤムをかけて食べている人が大多数である。

日本でも、味噌汁にご飯を入れて食べたりすると「猫マンマ」などと言われて、あまりしない方がいいように言われていたように思うが、ジャカルタでは、ソト・アヤムにご飯を入れるのも、そのような感覚で捉えられているのだろうか。

ソトにはソト・アヤム以外にもソト・ダギン(牛肉のソト)などがあり、スラウェシにはソトがないこと、スープ(ソプ)とソトはどう違うかなど、ほかにも色々と書きたいことはあるが、別の機会に書くことにして、4月20日に食べた美味しいソト・アヤムの紹介に移る。

場所は、スラバヤ市内のJl. Indragiriの薄汚れた名もないワルンである。市の中心部からJl. Dr. Sutomoを通ってJl. Mayjend Sungkonoへ抜ける手前の左側、ワルンが並んでいるところの一角である。

暗いワルンのなかでフラッシュをたかないで撮影したので、ちょっとはっきりしないかもしれない。ここのソト・アヤム、ソトのうえに細かい揚げ玉のようなものがふんだんにかけられている。これがアクセントになって、口の中に入れると何ともいえずいい。余談だが、インドネシアでナシ・ゴレンやガドガドにクルプック(揚げせんべい)が付いてくるのは、口の中にアクセントを求めるジャワ人のテイストなのではないかと思っている。

次にスープ本体だが、ややドロッとしたスープで、鶏の味が出ていて、しっかり煮込んである感じがする。極細の素麺らしきものとキャベツなどの野菜のバランスも良い。鶏肉は最初から煮込むのではなく、後から切って入れられる。これに、好みに応じてレモンやサンバルを加える。

筆者はナシ・ソト・アヤム、すなわち、ご飯がすでに中に入っているのを頼んだので、スープの下からご飯が現れる。ややドロッとしたスープとご飯との相性がまた格別である。

カウンター席の前には揚げ豆腐、揚げテンペ、ウズラの煮卵の串刺し、鶏の腸の串刺しなどがあり、それを適当につまみながらソト・アヤムを食べる、という形式である。

ナシ・ソト・アヤムが1杯7000ルピア、ウズラの煮卵の串刺し1本500ルピア、冷たいお茶2000ルピアで、しめて9500ルピアだった。普通のワルンでの食事に比べるとちょっと高めかとも思ったが、十分に経済的な値段である。

ワルンの前に置かれている屋台からすると、ラモンガン出身者のようである。ラモンガンはスラバヤから西へ車で2時間弱の地方都市で、ソト・アヤムが有名である。また、出稼ぎ者も多く、筆者がかつて住んでいたマカッサルでは、海岸沿いのジャワ人のやっている屋台のほとんどがラモンガン出身者だった。

この名前のないワルンは、昼間しか営業していない。おそらく、初めての人はなかなかたどり着けないだろうが、心配はいらない。タクシーの運転手ならみんな知っているからである。

ジャカルタと比べるとスラバヤは・・・

4月17日、日帰りでスラバヤからジャカルタへ出張してきた。今週は、締切原稿が月〜水で通常より1本多い3本だったこともあり、ブログの更新を怠ってしまった。

実は、新たに、インドネシアで発行されている日本語媒体4誌に連載を書くことになった。ほとんどがスラバヤについて書くことになっており、このブログも含めると、少なくとも5つの媒体でスラバヤのことを書くことになる。当然、同じ内容は書けないので、日夜、アンテナを張りながら、書く内容のネタ探しに勤しむことになる。それはそれで楽しいのだが、けっこうしんどいかもしれない。5つの媒体で各々中心テーマを定めながら、重複しないように書いていくことになる。

と、ここ数日、更新できなかった言い訳めいたことを書いた後で、スラバヤに来てから思っていたジャカルタとの「感覚的な」違いを少しメモしておく。今回、ジャカルタへ日帰り出張したことで、さらにその違いを実感した部分もある。

その1。渋滞である。ジャカルタの渋滞は、ノロノロ流れていればいいほうで、多くの場合はスタックして停まってしまう。本当に動かなくなるのがジャカルタの渋滞だ。一方、スラバヤでもタクシーの運転手が「スラバヤでも渋滞が最近多くてねえ」という話をするが、ノロノロでも車が流れている。スラバヤの渋滞はまだ車が動いている。

その2。ジャカルタでは空港高速に西のタンゲラン方面へ行くトラックやトレーラーが混在するので、渋滞があちこちで起きる。一方、スラバヤの空港への高速はガラガラである。これは、空港高速がほかの高速と一緒になっている部分が少ないためである。たしかに、タンジュン・ペラッ港と南のグンポルまでの区間はトラックやトレーラーが多く走り、時間によっては速度が落ちるが、分岐点から空港高速に入った途端、車がほとんど無い。ちなみに、我が家からは30分である。

その3。セキュリティーチェックについて。ジャカルタでは、爆弾テロ事件が頻発したことで、オフィスビル、ホテルやショッピングセンターでのセキュリティーチェックが今も行われている。以前に比べれば形式的になったとはいえ、それは続けられている。一方、スラバヤではそうした検知器を配したセキュリティーチェックにほとんど出会わない。スラバヤのほうがのんびりした雰囲気を感じる一因は、セキュリティーチェックのものものしさが無いことにもあるように思える。

ちなみに、ジャカルタでセキュリティーチェックがけっこうな数の雇用機会を生み出しているだろう。安全になったからといって、一度創った雇用機会をなくすわけには行かないという事情もある。たまたま、スラバヤではジャカルタのような爆弾テロが起こらなかったというだけに過ぎない。

その4。スラバヤでの地元の簡単な食事の値段がジャカルタよりずっと安い。これは体感的なもので、統計的に調べたものではない。しかし、ジャカルタでは1食に付き5万ルピアぐらいは覚悟するのに対して、スラバヤでは3万ルピアぐらいで済んでしまうという実感がある。道端の小さなワルンでナシ・ラウォン(ご飯にラウォンをかけたもの。ラウォンは牛肉を煮込んだ黒っぽいスープ料理)食べれば、コーヒーも入れて5000ルピアだったりする。

その5。スラバヤの公共交通機関は貧弱である。公共バスも乗合も走っているが、その数がジャカルタと比べて圧倒的に少ない。多くの人は自家用バイクや自家用車を使っている様子である。何度か乗合(ジャカルタのミクロレットのようなもの)に乗ったが、短い距離でも3000ルピアだった。この値段はジャカルタより高く、マカッサルとほぼ同じ金額である。反面、ジャカルタのように、道路でジグザグ運転するバスもないので、車は比較的素直にスムーズに流れている印象がある。

まだまだ色々あるが、ネタを常に仕入れる必要もあり、今回のところはこの辺で。

 

謎の赤いバツ・マーク

数日前、我が家の近所を歩いていたら、店の看板に赤いバツ・マークが貼られているのに気がついた。店の人が自分で貼ったとは思えない貼り方だった。

よくみると、「税金未納」と書かれている。

「スラバヤ市条例2009年第10号により、スラバヤ市政府の許可無く剥がしてはならない」と書かれている。おそらく、店が閉まって街が寝静まった夜中に、市職員が密かにやって来て、夜が明けるまでに貼り付けていったのであろう。

2009年以降、毎年やっていることなのだろうか。毎年恒例ならば、税金未納側も何らかの対策を打つと思うのだが。もしかしたら、今回初めてなのかもしれない。

それにしても、スラバヤ市のやり方は大胆だ。これが貼られているということは、市民の誰もがその店が税金を払っていないことを否が応でも知ってしまうからである。当然、税金を払わない店の評判に関わる話になる。

しかし、表通りのスンコノ少将通り(Jalan Mayjen Sungkono)に面した店では、赤いバツ・マークの貼られた店は見当たらなかった。さすがに、貼られたらバツが悪いということなのか。それだけでも、納税促進の効果はあるというものだ。今回、赤いバツ・マークを見たのは、スンコノ少将通りから一歩入ったところにある店である。「大通りに面していないから大丈夫だろう」と店側が高をくくったのではないか。

インドネシアはかつて石油大国だった。今から思うと、1980年代前半までは、ブルネイのように、国民に税金を払わせなくてもやっていける国を本気で目指していたように思える。1980年代前半に石油価格が暴落し、それを見越して世銀などの支援で進めた税制改革の結果、付加価値税など税収を増やして石油収入の減少を補う施策を採ってきた。それからもう30年、石油の純輸入国となったインドネシアはOPEC(石油輸出国機構)からも脱退し、税収増なしには財政をまわしていけない普通の国になった。

スラバヤ市も税収増に躍起になっている地方政府の一つであるが、それにしても、こんなふうに、赤いバツ・マークを付ける強引なやり方を見たのは初めてである。これも、新しいインドネシアの一つの表れなのだろうか。

(追記)その後、スラバヤの大きな通りを注意深く観察していると、やはりいくつかの大通りに面している建物にも赤いバツ・マークが付けられていた。たとえば、我が家の近くでは、ガソリンスタンド、ホテルなどに赤いバツ・マークが付いていた。ただし、排ガスなどの影響だろうか、色が若干薄くなっていた。

家電販売はまだ好調を維持

インドネシアの消費市場の活況の一面は、耐久消費財、とくに家電製品の販売の好調さからみることができる。なかでも、テレビがその主役を担い、電気が通っているところはほぼ100%の家庭にテレビがあるといってもよい状況になっている。

インドネシア電機事業者連合(Gabungan Pengusaha Elektronik: Gabel)によると、2012年の家電販売額は前年比18%増の28.9兆ルピアであった。2013年は2012年よりも15%増を目標としている。増加率はやや低下すると見込んでいる。

2013年1〜2月の家電販売額は前年同期比14%増の5.06兆ルピア。最も販売額の大きいのは依然としてテレビ(9,394億ルピア)だが、前年同期比5.5%増に留まっている。他方、増加率の高いのは、エアコン、冷蔵庫、洗濯機で、この3つを合わせると前年同期比25%増、9,200億ルピアとなっている。

今年に入って、家電価格が約5%上昇したが、これは通貨ルピアの対米ドル為替レートが軟化している影響と見られる。

2013年2月の主な家電販売額は以下の通りである(カッコ内は2012年2月)。

・テレビ:9,394.34億ルピア(8,998.56億ルピア)
・DVDプレーヤー:542.05億ルピア(673.5億ルピア)
・オーディオ:152.79億ルピア(160.32億ルピア)
・冷蔵庫:4,682億ルピア(3,832.03億ルピア)
・エアコン:3,722.46億ルピア(3,015.22億ルピア)
・洗濯機:3,081.82億ルピア(2,365.66億ルピア)

DVDプレーヤーやオーディオの販売額減少は、スマホや携帯機器の普及拡大の影響と考えられる。今では誰でも気軽に動画を携帯電話で見る時代となった。テレビも一家に一台の時代は終わり始めている。インドネシアが豊かになるにつれて、みんなで観る時代から個人で観る時代へ、変化し始めているのかもしれない。

テレビは今も家電の王者で、一日中付けっぱなしの家庭も珍しくない。最近驚くのは、ジャカルタなど都市部の中低所得層の家々にも薄型テレビが普及し始めていることである。さすがに地方の農村などではまだまだだが、見栄を張りたがるインドネシア人の一般的な性向が需要拡大に貢献しているとみられる。

冷蔵庫や洗濯機の普及は、インドネシアでも都市部を中心に核家族化が進み始めていることの表れであろう。たしかに、食事の用意や洗濯をしてくれるメイドの需要が少なくなっているようにみえる。もっとも、メイドたちも、一度洗濯機の便利さを分かってしまうと、もう腰をかがめての手洗いへは戻りたくないだろう。私の前に使っていたお手伝いもそう言っていた。

冷蔵庫の普及は、必ずしも核家族が自前で調理する傾向が増えたことを意味しないと思う。 なぜなら、彼らの多くは自分で調理する環境で育っていないからである。ジャカルタなどの都市部では、日本以上に、出来合いや調理済み製品の需要が大きいと思われる。主な食堂やレストランでは、持ち帰りが可能であり、それを利用して食事を済ませる傾向も以前から根強い。食品加工業やケータリング・サービス(宅配)は今後の伸びが期待できる業種である。

いずれにせよ、家電販売はまだ好調を維持してはいるが、経済発展に伴うとくに都市でのライフスタイルの変化が、家電販売の中身に影響を与え始めていることに注目する必要がある。

(上記データは、2013年4月5日付のBisnis Indonesiaから引用した)

 

Mie Tidar & Mie Babat

スラバヤの食の世界に少しずつ入り始めた。ジャカルタでやっていたと同じように、麺はそのなかでも最も重視している「食」の一つである。

スラバヤで最も有名な麺といえば、Jl. TidarにあるMie Tidarである。何軒もの店が並んでいて、私はそのうちのまだ2軒しか入っていない。いずれも、ジャカルタのコタの麺のようなシコシコ感には今ひとつ欠ける。鶏肉を味付けて細かくしたものが麺の上に乗っており、量はジャカルタのものよりも若干多目である。

4月8日は、昼食にこのMie Tidarを食べたのに、夕食も麺を食べてしまった。我が家の近くにあるMie Babat Jembatan Merahという店である。この店は、いつも閉まっているので、開いていたら食べに行こうと思っていた。運良くこの日、夕方から店が開いていた。

Babatなので、牛の内臓が麺の上に乗っており、それに濃いめの味の黒っぽいスープをかけていただく。多くの場合、内臓は硬くなってしまうので、ちょっと大丈夫だろうかと心配したが、赤みを帯びた牛の内臓は、とても柔らかだった。

黒っぽいスープはコクがあり、ちょっと甘辛い味だが、この臓物と実に相性がよい。ここの麺もシコシコ感は今ひとつだが、とくに違和感はない。臓物の柔らかさと麺とが絡み合って、意外においしい一品だった。これで1杯2万ルピア。

Mie Babat Jembatan Merahは、市内からJl. Mayjen Sungkonoを西へ向かい、Satelitロータリーを回って市内方向へ戻り、カラオケGalaxyの前を通過して次の角を左へ曲がってすぐ右にある。我が家から歩いて3分、の場所である。

Jembatan Merahという名前からすると、昔はスラバヤの旧市街にあったのだろうか。臓物に舌鼓を打っている間に、女主人に尋ねるのを忘れてしまった。彼女はとても眠そうな顔をしていた。

この辺は、昔から華人が多く住んでいたのか、海南鶏飯や、ハチミツに漬け込んで焼いた叉焼入りのNasi Campur、福建麺、火鍋などを手軽に食べられる店が点在する。店構えを見ると、メダン、タラカン等の看板が見える。我が家は、なかなかいいロケーションにあると再確認している。

スラバヤに来て一週間

スラバヤに住み始めて一週間が経った。4月1日にジャカルタから送った荷物が届き、今日、4月8日にマカッサルから送った荷物が届いた。長いこと、ジャカルタでゲストハウス生活をし、掃除・洗濯をいつでもやってくる環境だったが、今はまだお手伝いなしの一人暮らしで、やはりちょっと勝手が違う。

インドネシア生活に慣れているとはいえ、やはり新しい土地に慣れるのには予想以上に心身疲れてしまうようだ。正直、毎日、疲れを感じる。引越だからといって、連載原稿を休むわけにはいかない。それでも、スラバヤへ引っ越したことで、もっとスラバヤのことを色んな方々に知ってもらいたいと思い、さらに連載原稿を何本も増やしてしまうことになった。来月当たりから、インドネシアで出されているいくつかの日本語媒体にスラバヤのことを書いていく予定である。

部屋に机、椅子、本棚、洋服タンスを揃えたいと思い、昨日までの何日間かで、パクウォン・スーパーモール、チプトラ・ワールド、ストス(スラバヤ・タウン・スクエア)、トゥンジュンガン・プラザなど、スラバヤ市内のショッピングモールのいくつかを見て回った。建物はどこも広くて大きいのだが、中に入ると、意外に店が埋まっていない。空き店舗がけっこうある。また、一ヵ所で全部そろう、ということにはならない。欲しいものがなかなか無い、というのは、マカッサルでもジャカルタでも経験したことだが、スラバヤでもそれは同じだった。また、土日だというのに、客でごった返している感じはなく、ゆったりとすごすことができた。

ショッピングモール以外に、家具屋が集まっているスラバヤのグンブロンガン通り(Jl. Gemblongan)にも行ってみた。さすがに日曜日だったせいか、開いている店は少なく、またその多くは高級ベッド中心の店か一般家庭用家具の店で、事務用家具を扱っているところはあまりなかった。

たしかに、いくつかの店には、よさそうな机や椅子があった。いつ配達してくれるか聞くと、平日の日中しか無理というところがほとんどだった。現在一人暮らしの身としては、ウィークエンド、または夜7時以降に配達してもらいたいところだが、逆に「家に誰かいないのか」と、一人暮らししていることのほうがおかしいような言い方をされる。まあ、インドネシアの標準からいったら、そうなのかもしれない。

そんななか、夜10時までなら配達してくれる、という店があった。ショッピングモールのなかのけっこう有名なチェーン店。4月8日(日)に行ったのだが、何と、当日配達してくれるという。 これは本当にありがたい。そこで机、椅子、小型洋服タンスを購入し、8日の午後7時に配達してもらうことになった。

しかし、午後8時を過ぎても配達が来ない。夕食をとっていなかったので空腹だったが我慢して待っていると、8時半頃にようやくやってきた。

スラバヤに来て感じるのは、頼んだことをきちんとやってくれないケースがまだ多いことだった。家の台所に新しいガスコンロを入れてくれたのはいいが、スイッチ・ノブが最初から壊れたままになっていたので、対処を求めると、新しいガスコンロにすぐ替えるという返事。でも替えてくれたのは5日後だった。インターネット接続も明日、明日、と言い続けて、結局これも5日間かかった。

それに比べると、ジャカルタはこうしたことが割とすぐに対応できる状態になっていたんだなと改めて感じた。でも、そのジャカルタだって、以前は今のスラバヤのような感じだった。ジャカルタからスラバヤへ移って、あの馴染みのインドネシアへ戻ってきたような気さえする。

何やかんやで、疲れを感じる毎日で、まだまだスラバヤで全開の状態にはほど遠い。でもスラバヤに関する連載原稿をもうすぐ書き始めなければならない。徐々に、しかし少しずつ早く、全開モードへ向けて調子を上げていきたいと思っている。

夢を現実に

昨晩は、ひょんなことからスラバヤ出身のIT実業家の友人とその元学友たちらと夕食をご一緒した。ふだんジャカルタに住んでいる彼がなぜ私に会いたいといってきたのだろう、とちょっと不思議に思いながらも、会ってみることにした。

彼が話してくれたのは、彼の夢。まだ詳しくは書けないが、スケールが大きい。相当に大胆な発想である。でも、それができたら、とても楽しく面白いことになるだろう。元学友たちは、投資や資金調達の専門家だった。日本語の堪能な韓国籍の方々だった。話はとても面白かった。

彼らはもちろん、この夢の実現をビジネスとして考えている。その夢も、単にいくら稼ぐか、という話に終わらない。これをどのように、適切なモノやヒトと結びつけて現実化していくか。

その実現を、ジャカルタではなくスラバヤで、という発想も気に入った。何でもジャカルタが一番で、最初でなければならない理由はない。

無理だよ、というのは簡単だ。でも、夢を現実に、という話に大いに興味をそそられる。彼の夢の先が、より広い世界のどんな未来とつながっていくのか。それをいつか語れるように、自分の頭の中にキープしておきたい。

カネ次第の文化は教育の現場から

1998年5月のスハルト政権崩壊以後、15年が経ち、インドネシアの民主化も地に足がついたかのように見える。かつて、言論や表現の自由が制限されていた時代からすると、雲泥の差がある。おそらく、今のインドネシアはアジアでも有数の民主主義を謳歌している国家であろう。

インドネシアの民主化は、憲法によれば、政党中心の政治をもとにする民主化である。議員の選出も、大統領や地方首長の選出も、すべて政党が基本になる。すなわち、政党から選ばれた者が国民の審判を経て議員になり、大統領になり、地方首長になる。

しかし、これら政治家への国民の不満は極めて高い。3月25日付KOMPAS紙が報じた同紙の世論調査によると、回答者の65.8%は政治家が私利私欲または政党の利益のために活動していると認識している。とりわけ、来年2014年総選挙へ向けた各政党の立候補選抜に対して、87.2%の回答者が「カネ次第」と見ている。立候補するためには、その母体となる政党にかなりの金額のカネを払わなければならない、という認識である。

多くの回答者は、政党は知っているが、候補者までは知らないと答えている。総選挙は比例代表制で、政党に投票するものの、各候補者のプロフィールをもっと知りたいという希望も少なくないようである。

候補者になるのもカネ次第、という構図は、実は政治だけに限る話ではない。学校に入学するのも、進級するのもカネがモノをいっている現状がある。警察官になるのも、公務員になるにも、まずはカネが要求される。すなわち、人物の能力や成績、やる気などが評価されるのではなく、まずはカネ、なのである。そしてそれが、学校という教育の現場で再生産され、それに慣れた子供たちが社会へと巣立っていく。

インドネシアの汚職は文化だという人がいるが、私は、こうした構造的なカネ至上主義の再生産構造をどこかでひっくり返さない限り、人物の能力や成績、やる気などで評価される仕組みは、表面上の格好は作れても(表面を取り繕うのはインドネシア人の特技の一つではある)、本当には作れないと考える。

とくに、教育の現場で、たとえ成績が良くても、カネやコネがないと進級・進学できないとするならば、そこで、子供たちはどのように世の中を渡っていくかをシニカルに学ぶことになる。そして、そこにこそ、世の中に対する不平・不満、宗教に頼って世の中を変えてやる、といった意識が生まれる温床があると思うのである。

参考までに、昔、翻訳+解説した拙稿を挙げておく。

幼稚園入園狂騒曲(ニ・ニョマン・アンナ・マルタンティ)

 

スラバヤ生活をスタート

3月30日にジャカルタのゲストハウスから引越荷物を出し、31日午後の便でスラバヤに到着。

CitiLinkでただ一つの古いボーイング737-400機で、エアコンが壊れているのか、離陸までの機内は暑くてたまらない状態。空港に着いてから、空港タクシーは珍しく長い列。でも、ジャカルタのスカルノハッタ空港のように、白タクのオヤジたちがしつこく寄ってくることもなく、スムーズにタクシーで新居に到着。

しかし。誰もいない。鍵がかかっている。やむを得ず、この家を紹介してくれた友人を待つことに。友人はイースターを祝う家族の用事が終わってからということで、結局、新居の前で1時間以上たたずむことになった。その間に、雨がざーっと降った。

この家を紹介してくれた友人がようやく到着したが、鍵はこの家の様々な手伝いをしてくれるおじさんが持っているということで、そのおじさん宅へ行き、鍵を受け取って、ようやく中へ入ることができた。

後は、いろいろ買い物。ベッドシーツ、枕などをカルフールへ買い出しに行って、夜8時頃に家へ戻る。

今回はちょっとこぢんまりした一軒家。ふと、庭を見ようと外へ出ると、雨が上がった後だからなのか、ひんやりとした空気で気持ちよい。ジャカルタでゲストハウス暮らしをここ数年していたときには味わえなかった心地よさ。これから生活のなかで馴染んでいくといいなと思った心地よさだった。

私がインドネシアで腰を落ち着けて住む街としては、スラバヤは、マカッサル、ジャカルタに続いて3都市目である。実は、以前からスラバヤに住みたいと思っていた。マカッサルもずっと住みたいと思って住めた街である。明日からどんな日々になっていくのだろうか。不安と同時に、新入生のようなワクワクした気分もある。

明日、4月1日からスラバヤ・新オフィスに出勤。夕方には、3月30日にジャカルタから送った引越荷物が届く。スラバヤ生活のスタートである。

インドネシアの工業団地は民間主導

日本からの企業投資が増えるにつれ、工業団地の用地不足が問題視されている。用地不足に伴い、土地価格も急速に値上がりしている。

政令2009年第24号第7条に基づき、新規製造業投資が立地する場合には必ず工業団地に立地することが定められている。ただし、(1) 原料や生産過程の関係で特別の場所に立地する必要がある場合(セメント、肥料、製紙、造船など)、(2) 中小企業の場合、(3) まだ工業団地のない県・市の場合や工業団地があってもすでに空きがない場合、には、工業団地以外への立地が認められる。

工業省によると、1兆ルピアの投資は通常12.5haの工業団地用地を必要とする。2011年時点での工業団地の販売用地面積は1,247.84haで、外国投資・国内投資の製造業部門への投資額は計99.64兆ルピアであった。

現段階で工業団地の空き用地面積は7,911.98haであり、今後、製造業投資については、2013年中に2,372.59ha、2014年に2,847.10ha、2015年に3,416.53haの新規用地需要が見込まれている。すなわち、今から工業団地を造成・拡張していかないと、ほどなく工業団地は一杯になってしまう。

工業団地の造成・拡張を急いで進めていかなければならないのだが、そのネックとなっているのが、インドネシアの工業団地開発が民間主導であることである。インドネシアでは、国営の工業団地面積は全体のわずか6%にすぎず、残りは民間企業による工業団地である。

他方、他のアジア諸国では、工業団地整備の主役は政府である。工業団地に占める政府系の比率は、(必ずしも年代が同じではないが)台湾90%、シンガポール85%、日本85%、マレーシア78%、 韓国70%、とされている。実は、インドネシアも1989年までは工業団地はほぼすべてが国営だった。その後、工業団地建設が外資を含む民間へ開放され、インドネシアでの工業団地建設は民間主導で進められていった。

そして、かつて建設された国営工業団地の設備が民間よりもはるかに劣っていることが明らかになってしまった。敷地の半分を、工場ではなく、倉庫が占める国営工業団地も存在する。

工業団地は、インドネシアのどこでも同じ訳ではない。先に挙げた工業団地の空き用地面積は、スマトラ、スラウェシ、カリマンタンなどジャワ島以外のものを含めた面積であり、そうしたところへジャボタベックと同様の製造業が投資が行われるわけではない。そう考えると、工業団地の用地の逼迫度はなおさらのこと高まる。

西ジャワ州カラワンなどでは、全国有数の豊かな米作地帯の水田が工業団地に取って代わられたところもある。現状では、水田の単収を上げることで生産量を維持しているが、工業団地の造成とともに、水田面積の減少傾向は否めない。一方、地主は地価上昇を見越して、工業団地用に土地をなかなか手放さない傾向もある。

不動産事業としての側面を強く持つインドネシアにおける民間主導の工業団地建設は、まだしばらくは活況を呈していく。とくに、集中の弊害が懸念され始めたジャカルタ周辺(ジャボタベック)から、東ジャワ州(州都・スラバヤ)や中ジャワ州(州都・スマラン)などへ、工業団地建設の波が広がっていくものと見られる。

中ジャワへの企業移転

渋滞、賃金高騰、労働争議。ジャカルタ周辺で投資環境が急速に悪化しているとの認識が一部企業の間に出てきた。韓国やインドの企業のなかには、インドネシアからバングラデシュやミャンマーへの工場移転を考える企業もあるという。

インドネシア政府としては、何とか企業のインドネシアからの撤退、海外への移転を防ぎたいと考えている。「もはや低賃金労働を売り物にする国ではない」と言いながらも、労働集約型企業を引き留めるには、ジャカルタ周辺以外の場所を移転先としてプロモーションしなければならない。

その一つとして、最近よく名前の挙がるのは、スラバヤを中心とした東ジャワ州と、スマランやソロを含む中ジャワ州である。両州とも人口は約3500万人、豊富な労働力を抱えている。とくに、中ジャワ州は最低賃金がジャカルタ周辺の半分程度、最高のスマランでも1ヵ月120万ルピア程度であり、場所によっては同80〜90万ルピアの県・市もある。メディアを通じて、労働集約型企業には、「海外へ移るよりも中ジャワへ」というメッセージを流し始めている。

中ジャワ州投資局によると、2012年中に投資申請をした企業は40社あるが、そのうちの60%が拡張投資で、ジャカルタ周辺の既存工場に付加したものが大半だった。実際に投資を実施したのは40社中19社に留まる。

移転を計画している企業の多くは繊維産業で、中ジャワの人材は手先が器用で根気強く、しかも労働コストが安い、というのが魅力のようである。実際、ジャカルタ周辺の繊維計の工場で多くの中ジャワ出身者が働いているという。

変わったところでは、韓国系のカツラ・付け睫毛を製造する工場が中ジャワ州ボヨラリ県などに集積し始めている。工業団地がないところへの進出だが、集積し始めたことで、韓国政府の支援で、工業団地建設計画が進められている。もっとも、まだ韓国系だけで工業団地を埋めることは難しいので、韓国貿易公社(Kotra)関係者は「今後は日系企業にも立地して欲しい」と呼びかけている。

注目される中ジャワだが、州内で工業団地がまだ6ヵ所しかないことがネックである。うち5ヵ所は州都スマラン周辺、1ヵ所は南岸のチラチャップにある。しかも、スマラン周辺はすぐに入れる空き区画が工業団地にない状態である。このため、スマランの西側のクンダルと東側のデマックに新工業団地の造成が進められている(いずれもスマランから車で30分圏内)。

中ジャワについてはまだまだいろいろな話題があるが、引き続き、このブログで紹介していきたい。

とりあえず、さらば「緑の館」

3月22日に、初の試みとして、SMSを使ったアンケート調査ノウハウを持つハローG社と一緒に消費市場セミナーを実施し、夜は東北6県出身者の集まりである「みちのく会」の夕食会に顔を出した後、3月23・24日の土日は再びマカッサルへ行き、引越荷物の整理をしてきた。

先のブログにも書いたように、マカッサルにずっと借りていた家「緑の館」の契約が3月31日で切れ、今回は諸般の事情で契約を更新しないことにした。2006年にアジ研の海外調査員として国立ハサヌディン大学の客員研究員になって以来、2008〜2010年の在マカッサルJICA専門家(地域開発政策アドバイザー)の時代を経て、今に至るまでずっと置きっぱなしの本、資料、その他様々なものを、今回は仕分けして、整理してきた。

本は本棚4本分+据置棚2本分、資料は据置棚2本分あって、これをどう処分するか、頭が痛かった。結局、日本語の本(本棚1本分)はスラバヤへ送ることにし、残りは、地元の友人たちが主宰している図書館カンプン・ブク(Kampung Buku)に全部引き取ってもらうことにした。さっそく、24日にトラックと一緒に本の回収にやってきて、全部持っていってくれた。

南スラウェシに関する海外の研究者は、マカッサルに来ると必ずカンプン・ブクに立ち寄る。そこには、スラウェシに関する様々な書籍が集まっているからである。また、カンプン・ブクは、南スラウェシに関する海外の研究書をインドネシア語翻訳して出版するイニンナワ出版(Penerbit Ininnawa)が運営しており、マカッサルの本好きの若者が集まる場所でもある。私も、6年以上前からイニンナワ出版の活動を支援している。

こうした出版活動や書籍収集活動を通じて、自分たちの地元であるマカッサルや南スラウェシを見つめ直す活動を地道に行っている彼らの元に、私がこれまでに収集してきたマカッサルやスラウェシに関する書籍コレクションが加わり、地元の若者たちに活用されるならば、それは私にとっても大きな喜びである。

彼らはまた、「マカッサル0km」というサイトも持っており、マカッサル地元学とでもいうべき活動を進めている。これについては、いずれ別途、書いてみたい。

机、椅子、本棚などは、私の友人たちが立ち上げたコミュニティ・ファシリテーションを進めるファシリテーター集団COMMITに引き取ってもらった。彼らの活動についてはこちらのサイトを見て欲しい。COMMITについても別途書いてみたい。

テレビ、洗濯機、オーディオスピーカー、自転車などは、お手伝いのティニさんとイナさんらでうまく配分して引き取ってもらった。

こうして、何とか2日間で、スラバヤへ送る本などが段ボールで11箱となり、ティニさんにお金を渡してマカッサルからスラバヤへ送ってもらうことにした。

昨晩、23日の夜は、マカッサルの日本人の友人たちを招いて、ティニさんの最後の晩餐を楽しんだ(メインがトンカツだったもので・・・)。友人の一人があらかじめ我が家の冷蔵庫に缶ビールを1ダース冷やしておいたのにはびっくりした。ビールの酔いと疲れからか、たびたび睡魔に襲われつつも、夜11時近くまで、マカッサルに関わる様々な話題が途切れず、楽しいひとときを過ごせた。

ちなみに、23日の昼はMie Masak(チャンポンのような肉や野菜の入った汁そば)、24日の昼はナシゴレン、そして24日の夜は豆のスープ(下写真)、焼き魚、野菜の炒め物だった。

お手伝いのティニさんやイナさんに3月分の給料と退職手当を払い、やっと来たタクシーに苛立ちながら、「緑の館」を後にした。ティニさんの息子のワフユ君が「もう会えないのかなあ?」とちょっと寂しそうだった。

大丈夫だよ、ワフユ君。君も良く知っている友人の結婚式に顔を出すため、4月にまたマカッサルへ来るよ。君が中学生になり、高校生になり、大学生になっていくのを、私はずっと見守っていくよ。ティニさんが私の娘のことをずっと思い続けてくれているように。昔、私がHさんから買った白い自転車を大切に使ってね。

とりあえず、さらば「緑の館」。

 

南ジャカルタ・マンパンのジンピタン

3月17日の日曜日、南ジャカルタ・マンパン地区の知り合いの家を家庭訪問した。一通りいろいろ話を聞いた後、ふと軒先を見ると、つり下げられたプラスチックのカップに米が少し入っていた。

「これは何か」と知り合いに聞くと、ジンピタン(jimpitan)だという。この町内会では、各家の軒先に米を入れるカップがつり下げられている。この米は集められてお金に換えられる。当初は、町内会の警備・夜警をする人向けに想定されたものである。すなわち、警備や夜警をしてくれる人は昼間は肉体労働で働いており、その労をねぎらう意味で、お米を分けたり、お米を売って換えたお金を使ってもらったりするように考えられていた。

しかし、傍目にはコミュニティの雰囲気で満ちあふれているこの町内会でも、そういった人々による警備や夜警が機能しなくなっていた。やむを得ず、町内会の男たちが当番で警備や夜警をすることになる。彼らは、警備や夜警をするときに、軒先につり下げられた米を回収して歩く。だから、軒先にまだ米が残っているということは、当番の住民が警備や夜警をしなかったことを意味する。

各家庭から出される米は1日にスプーンで2さじ、それでも町内会全体だと1日に2キロぐらいになる。すなわち、1ヵ月で約60キロの米が集められる。1キロ当たりの米の値段は約7000ルピアなので、約42万ルピアの資金ができる。これらの一部は町内会の貧しい家庭に配られ、残りは街灯を直したり、警備用の詰め所をきれいにしたり、緑化活動に使ったりしている。

さすが、伝統的コミュニティの知恵だな、と少し感心していると、どうもそうではないことが分かった。このジンピタンを考案したのは私の知り合いで、3ヵ月ぐらい前から始めたということである。ほかの町内会ではやっていないそうだ。そういえば、10ヵ月前にここを訪れたときには、ジンピタンはなかったような気がする。

各家庭で1日にスプーン2さじの米なら、さほど大きな負担ではないだろう。お金ではなく米を使って町内会の活動用のささやかな資金を生み出しているのである。

インドネシアは親日、日本は親インドネシア?

インドネシアは、世界でも有数の親日国といわれる。実際、いくつかの世論調査でもその傾向は際立つ。例えば、ある調査でも、「大好き」「好き」を合わせると回答者の90%を超える。

私自身も、インドネシアの人たちが「本当に日本が好きなんだ」と思う瞬間によく出くわす。ディシプリン、清潔、礼儀正しい。日本人と接したり、日本を旅したりしたインドネシアの方々の話だけでなく、インドネシアのメディアもまたそのようなイメージ形成に寄与してきた。最近の若者は、アニメや漫画のなかに描かれた「日本」からそのようなイメージを勝手に作っているのかもしれない。

私たち日本人にとって、こうした自発的な親日意識は大変ありがたいことであり、素直にうれしく思う。翻って、私たちはどれぐらいインドネシアのことを思っているだろうか、と思ったりもする。

しかし、インドネシアが親日国だという認識で、「だから日本のものは何でも受け入れられるはず」「日本が何をやっても大丈夫」と考えるならば、それは浅薄である。「日本が好き」というのと「日本がいい」というのは違うのである。

まず第1に、インドネシアの方々は「国」で商品を見ているわけではない。中低所得層であっても、品質と価格とのバランスをよく見ている。日本製品が受け入れられるのは、このバランスがとれているとインドネシアの消費者に認識された製品である。意外なことだが、インドネシアで広く知られている製品でも、それが日本製だと認知されていないケースもかなりある。「日本」だから売れるとは限らないのである。なぜなら、インドネシアの消費者はいい製品だから買うのである。日本製の自動車が圧倒的シェアを占めるのは、それが燃費の優れたいい製品だからである。

第2に、インドネシアの方々は、日本に対する感謝の気持ちをいつも持っているわけではない。日本側からすると「第2次大戦で日本が植民地から解放した」「戦後賠償から始まってたくさんの援助を供与した」というこれまでのいきさつから、「インドネシアから感謝されて当然である」という気持ちが垣間見える。日本企業にとって不利となるような政策的要求をインドネシアがしたときに、「恩を仇で返すのか」という吐露さえ聞いたことがある。日本に対する感謝の気持ち、というのは、日本側の思い込みに過ぎないのではないか。

第3に、インドネシアの方々は相手に合わせるのが天才的に上手なのである。インドネシアの在留邦人の間では、インドネシアの方々からの日本人への悪口はまず聞こえてこない。むしろ、韓国人など他に比べて「日本人はより好かれている」という話が支配的である。本当にそうなのかと思って、私は以前、韓国人のフリをしてタクシーの運転手と会話したことがある。そのとき、運転手は「日本人ははっきりとした態度を示さない。細かいことばかり言う。カネの払いもケチだ」といった悪口を言うのである。

インドネシアの方々が「日本が好き」という言葉に嘘はないと思う。しかし、「だから日本の製品は受け入れられるはず」「だから日本が何をしても大丈夫」というのは、事実というよりも期待に近い面が大きいのではないか。そして、日本人の間では「日本に対して感謝の気持ちがある」「日本人は好かれている」という話が増幅され、それで、何となく安心している面があるように見える。

もう一度基本に立ち返ることが大事なのかもしれない。すなわち、「日本」というフィルターをいったん外して、よい製品を適正な価格で提供すること、人々と真摯にお付き合いをすること、という基本である。

インドネシアが親日国であることは、日本にとって大変にありがたいことではある。しかし、それですべてが動く訳ではない。

そして、日本は親インドネシア国であるか、という問いを我々自身に投げかけてみたい。我々はインドネシアのことを好きなのかどうか、どこまでインドネシアのことを分かろうとしているのか、と。

この問いにまだ「イエス」と答えられないならば、我々は自分に都合のいいようにインドネシアに好いてもらいたい、と一方的に思っているだけに過ぎないのではないか。

インドネシア側は、そこを見透かしている。それを忘れないようにしたい。

インドネシアで開催される見本市・展示会

ジェトロの以下のサイトに、インドネシアでこれから開催される見本市・展示会の情報が掲載されていて、参考になる。

http://www.jetro.go.jp/j-messe/?action_fairList=true&type=v2&v_2=009&v_3=004

たとえば、3月に開催されるものは以下の通り。

CphI South East Asia (2013年3月20~22日: Jakarta International Expo, Kemayoran, Jakarta)
API(原薬、医薬有効成分) / 中間物 / 天然抽出物 / 生物薬剤 / カスタム製造 / 精製化学製品 / 添加剤, 製剤 / 一般

P-MEC South East Asia (2013年3月20~22日: Jakarta International Expo, Kemayoran, Jakarta)
製剤機器、実験装置、分析的テクノロジー

InnoPack Southeast Asia (2013年3月26~29日: Jakarta International Expo, Kemayoran, Jakarta)
包装、薬品配達システム、ラベル・トラッキング・トレース

INAPA 2013: The Indonesia International Auto Parts, Accessories and Equip Exhibition & Conference 2013 (2013年3月26~29日: Jakarta International Expo, Kemayoran, Jakarta)
自動車部品、アクセサリー、技術、設備:タイヤ、バッテリー、工具、ホイール、デジタル・ソフトウェア・システム、カーオーディオ・ビデオ・システム、エンジン部品、その他の関連製品およびサービス

本ブログでも、こうした見本市・展覧会に関する情報をできる限り提供することとしていきたい。

2013年の経済成長見通し

インドネシア政府関係者は、2013年のインドネシアの経済成長率について、現段階でどのような見通しを持っているのか。

公式の政府による2013年経済成長率目標は、今のところまだ6.6〜6.8%である。識者によれば、ポイントは対米ドルレートが1米ドル=9700ルピアよりも下がるかどうか、という点にある。政府内ではもちろん、レートがさらにルピア安に振れることを想定したシナリオもあるようだ。バンバン・ブロジョヌゴロ大蔵省財政政策庁長官代行は6.3%というシナリオがあることを認めているほか、アルミダ国家開発企画庁長官は6.4%程度が現実的という見方をしている。

日本についていうと、対円のルピア・レートは、円安の進行にともなって、大幅なルピア高に転じている。昨年は1円=120ルピア前後で動いていたのが、本日朝時点では1円=102ルピア程度となっている。昨年、実行された投資が今年、原材料や設備を日本から輸入する、というケースならば、円高から円安への転換をうまく活用できるかもしれない。しかし、これからの日本からの投資は、昨年よりもコストがかかるため、相対的に不利にならざるをえない。

インドネシア国内で懸念されるのは、前に本ブログでも述べた輸出減・輸入増による経常収支赤字、ガスも含めたエネルギー供給に加えて、ここ数ヶ月顕著となっているインフレ傾向である。ここ数年安定してきた消費者物価上昇率が、かなり上昇へ転じてきているからである。経常収支赤字、ルピア安、インフレ懸念。これらは、長年にわたって、インドネシア経済の構造的問題とされてきたものだが、かつて懸念することのなかったエネルギー問題がこれらに加わっているのが今の特徴である。

さらに、日本についていうと、このようなインドネシアに対して円は多くの場合、対ルピアで円高だったのが、今は円安となっている。

国内消費需要は、まだある程度の勢いは維持しており、政府は、今年は昨年以上の投資流入を期待している。とくに、近い将来に輸出向け生産を計画している製造業投資を歓迎している。これによって、国際収支上の輸入圧力を抑え、ルピア安にある程度の歯止めをかけたいのである。

2015年のASEAN市場自由化を控えて、インドネシアは製造業における競争力強化に赤信号が灯り始めており、政府は性急に何らかの方策を採らなければと焦っている様子がうかがえる。

2013年のインドネシア経済は、経済成長率の数字以上に、新たな制約事項も加味しながら、インドネシアが本当に経済構造上の問題を克服するきっかけをつかめるかどうかが問われる試練の年となる。

そして、実は、日本からの製造業投資のパフォーマンスがその点に関わる一つの大きなカギを握るような気がしている。投資実施における外国投資の比重が高く、その製造業が二輪車や自動車など、労働集約型ではない次の高付加価値製造業への橋渡し役を果たすものだからである。

日系の製造業投資は、その意味でインドネシア経済における「お客さん」ではなく、「当事者」「アクター」の一つであるという意識をもってもらうとともに、そのような観点から、インドネシア政府に対して、投資環境改善要求を行なっていく必要があると考える。

日系企業インドネシア人中堅管理職の声

3月15・16日は、日系企業の経営者・管理者を対象とした人材開発ワークショップを開催している。15日に参加していただいた方々の議論を聞きながら、昨年10・11月に日系企業で働くインドネシア人中堅管理職向けのワークショップでの議論を思い出していた。

率直にいって、その両者の溝は、私が想像していたものよりも大きいと感じた。

昨年10・11月に行なった日系企業で働くインドネシア人中堅管理職向けワークショップでは、終了後、参加者を送っていただいた日系企業宛に、日本語で議論の簡単なフィードバック書簡をお送りした。 以下、その抜粋を紹介する。

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<2012年10月分>

(前部分省略)

日本人トップがインドネシア人ミドルを飛ばして直接現場を視察し、状況次第でインドネシア人ミドルが日本人トップに叱責される例。あるいは、インドネシア人ミドルとの間で合意していた決定事項を一方的に変えてインドネシア人ミドルへ押し付けるケース。

インドネシア人ミドルは、その日本人トップの行為が自分たちを信頼していないことの表れではないかと思っている。たとえ、日本人トップが単純に現場を知りたいと思って視察しても、インドネシア人ミドルは自分たちが監視されているように感じてしまう(しかし、インドネシア人ミドルとインドネシア人ワーカーとの間のコミュニケーションもよく取れていないことに気づいていく。インドネシア人ミドル、スーパーバイザー、チーフ、オペレーターという上下関係がそのコミュニケーションを形式化している面がある)。

そして、コミュニケーションを阻む原因が、「過ちを認められない」「間違いを上司へ報告できない」ということにあることが明らかになっていく。参加者になぜそれができないかを尋ねていくと「恥ずかしい」「上司に叱られる」「上司に能力がないと思われたくない」という反応。報連相の「報告」の一つである「過ちや誤りがあれば報告する」ができないのである。

そこで「会社としてはそれでよいのか」と問うと、「それはまずい」という答え。「では自分が社長になったとしてどうしたら過ちを報告できるような会社にできるのか」と尋ねてみた。彼らからの提案は、「日本人トップのインドネシア人ミドルに対する叱り方に工夫が必要。多数の面前で怒らない。別室で1対1。最初は褒めてから叱る。インドネシア人ミドルの信頼感を高めるためにあらかじめ業務上のターゲットを設定する、など。しかし、インドネシア人ミドル側がどのように自分を変えるかについて妙案は現れず。

ほかに、以下のような事例や意見も出された。

・任期ごとに交代する日本人上司の性格、態度、能力が大きく変わって対応しにくい。
・一度決めた決定事項が容易に変えられてしまう。
・上司から意見を求められて意見を言って取り入れられても、悪い結果になると、意見を述べた者が後で非難される。
・インドネシアだと間違った報告をしても3日もすれば許されるが、日本だと絶対に許されないのではないかと思っている。
・「何か異常があった場合には誰でもいいから上司へ報告せよ」と言われているが、自分の担当以外の場合でも報告していいのか不安。どの部署が報告すべきか、結果的にみんなが待っている状態ができてしまう。
・様々な余暇活動などで従業員の家族にも留意してくれていてありがたい。

日本人側とインドネシア人側とのコミュニケーション問題の根本は、両者の信頼関係にある。インドネシア人側は、日本人側から「信頼されている」というシグナルが欲しいのかもしれない。日本人側のちょっとした行動がインドネシア人側に「自分は信頼されていない」という感情を生み出させる可能性は少なくない。

インドネシア人側への接し方だが、彼らと議論をしていて感じたのは、彼らのメンタリティや態度が現代の日本の若者たちのそれによく似ているということである。彼らは怒られることに慣れておらず、場合によっては逆ギレする。自分を否定された、信頼されていない、という気持ちを起こしやすい。自分を他人と比較しがち。上司から常に目をかけられているという証が欲しい。日本の若者たちと接するように、インドネシア人側と接してみると、いろいろと共通する面が見えてくるのではないか。

参加者たちへのアンケートでは、「今後どのように日本人側とコミュニケーションを図っていきたいか」についても書いてもらった。彼らの多くが「日本人はそう思っているのか」という新しい気づきをいくつか得た様子で、「彼らのインドネシア人の同僚に話をして自分の気づきを広める」「実際に日本人上司と話し合いをしてみる」といった前向きの内容が多かった。

(以下省略)

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<2012年11月分>

(前部分省略)

●報告すると責任を取らされる恐怖
自分の担当ではないことに関して問題があったので、まずいと思って上司へ報告したら、「お前が責任を取れ」と言われ、責任者にされた。

●決定や判断が不明確
日本人側によって、根拠や背景が明確でない決定や判断がなされる場合がよくある。そしてインドネシア人側から何か提案しても受けつけてもらえない。

●日本人側から信頼されているのか疑問
インドネシア人側が日本人側に十分な説明をしても、日本人側が同じ内容を外部コンサルタントに「正しいかどうか」を聞いている。自分たちは信頼されているのか。

●日本人駐在員の交代ごとに指示や態度が変わる
日本人駐在員が交代するたびに、仕事のやり方や物事の進め方が変わることに戸惑いを感じている。インドネシア人側は交代前後の日本人駐在員を比較している。

●日本人側の管理職としての適性への疑問
日本人側は、日本で管理職の経験がなくても、ここでは管理職としてふるまわなければならない。このため、殊更に見栄を張ってインドネシア人側を叱責するようにみえる。

●日本流の押しつけへの反発
インドネシア人側は「日本とインドネシアは違う」という意識を強く持ち、日本流の押しつけに批判的。「むしろ優秀なインドネシア人に任せるべき」と思っている。

(途中省略)

以下は、筆者の所感である。

第1に、今回の出席者は彼らなりに日本人側を理解しようと努めている様子だった。しかし、全面的に日本側の言い分ややり方を受け入れたいのではなく、自分たちもよりよい企業にするために貢献したいという意志が見えた。

第2に、日本人側にもっと話を聞いてもらいたい、もっとインドネシアのことを理解してもらいたい、という声が多かった。話を聞くだけでなく、きちんと議論をしたいという出席者も多かった。

そして第3に、日本人側と本当に信頼関係を築けるのかという気持ちさえ吐露された。出席者は、社内でのイベントや家族行事などをもちろん大歓迎しているが、実際の現場仕事のなかから信頼関係構築のヒントを見つけ出したい様子だった。

彼らとの議論を振り返りながら、1960~1970年代の日本企業の姿を思い起こした。社長が従業員とその家族のことを思い、彼らを宝としながら会社一体となって豊かになっていこうとした姿を。インドネシア人マネージャーは決して賃金のためだけに働いているわけではない、という気概がワークショップの議論で伝わってきた。成長続くインドネシアで、我々はもう一度、そんな一体感を彼らと共に作っていけないだろうか。

前回のワークショップでも感じたが、日本人側とインドネシア人側とのコミュニケーション問題の根本は、両者の信頼関係にある。インドネシア人側は、日本人側から「信頼されている」というシグナルが欲しいのではないか。日本人側のちょっとした行動がインドネシア人側に「自分は信頼されていない」という感情を生み出させる可能性は少なくない。

また、インドネシア人側への接し方だが、彼らと議論をしていて感じたのは、彼らのメンタリティや態度が現代の日本の若者たちのそれによく似ていることである。彼らは怒られることに慣れておらず、場合によっては逆ギレする。自分を否定された、信頼されていない、という気持ちを起こしやすい。自分を他人と比較しがちで、上司から常に目をかけられているという証が欲しい。日本の若者たちと接するように、インドネシア人側と接してみると、いろいろと共通する面が見えてくるかもしれない。

出席者からは、日本人側を対象に、インドネシア人についての理解を深める機会を設けてほしいという要望が出された。当方としても手法等をいろいろ検討してみたい。

(以下省略)

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日系企業における日本人経営者・管理者の思いと、インドネシア人中堅管理職の思いとをクロスさせながら、両者の信頼関係を高め、深め、一体感を持った企業経営が行えるようになって欲しいと私は願っている。それがまた、日本とインドネシアとの関係を現実レベルで強め、深めていくことにつながると考えるからである。

その一助となるべく、今年は、昨年以上に、日本人経営者・管理者向け、インドネシア人中堅管理職向け、そしてできればその合体版も含めて、ワークショップを頻繁に行なっていきたいと考えている。工業団地や個別企業への出張ワークショップも、喜んでお引き受けしたい(ご希望の方は、matsui@jac-bc.co.id までご連絡ください)。

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