マラン・ムハマディヤ大学を訪問(2019年3月14日)
ブラウィジャヤ大学を訪問した後、マラン・ムハマディヤ大学を訪問し、日本との協力可能性について議論しました。議論はミニセミナーの形式で行われ、政治社会学部長が司会を務めました。
議論は有意義で印象的な内容で、大学側の日本との協力への意欲を改めて感じました。大学側は、日本へのスタディツアーや私を客員講師として招聘することなどを検討したいという話でした。
ブラウィジャヤ大学を訪問した後、マラン・ムハマディヤ大学を訪問し、日本との協力可能性について議論しました。議論はミニセミナーの形式で行われ、政治社会学部長が司会を務めました。
議論は有意義で印象的な内容で、大学側の日本との協力への意欲を改めて感じました。大学側は、日本へのスタディツアーや私を客員講師として招聘することなどを検討したいという話でした。
2019年3月14日、東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部を訪問しました。
同学部は現在、自大学講師、民間人、外国人の三者が1セメスター16コマの講座に関わる、三位一体プログラムを実施しています。
今回、この三位一体プログラムに関わる外国人講師になるよう求められました。早ければ、断食月前の来月4月に集中講義を行う可能性があります。
この申し出に対して、当方は感謝を表明するとともに、関心のあるトピックとして、一村一品運動を含む地域開発政策、日本経済社会の現状、コミュニティ・ファシリテーション手法とフィールドワーク、の3つを提案しました。
この機会に、インドネシアの大学生に対して、何らかの有意義な貢献ができることを願っています。
先週(2017年9月25〜29日)、インドネシア・東ジャワ州のスラバヤとマランを訪問しました。
今回は, インドネシアから日本を含む海外への研修生派遣についての現状を学んだほか、現地の実業高等学校がかなり革新的な取り組みを行っていることを知りました。
日本からインドネシアへ援助する時代は確実に終わりつつあることを改めて確認するとともに、日本とインドネシアが対等なパートナーとして一緒に学び合い、具体的に協働する時代が来ていることを確信しました。
2017年8月1-2日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の5人の先生方が福島市と東京を訪れました。
彼らは、来年、福島において、自らの学生向けの海外フィールドスタディ・プログラムを実施できるかどうか、その可能性を検討するために来訪されました。
松井グローカル合同会社は,、福島やマランの学生たちによる新たな学び合いや地元社会との連携が進められるように、関係者とともに、彼らの計画や準備へのお手伝いをしていきます。
JICA案件の関係で、福島市の皆さんをお連れして、7月26〜28日、インドネシアの東ジャワ州マラン市とバトゥ市へ行ってきました。
この案件では、農業部門において、日本の地方自治体とインドネシアの地方政府とが官民連携できる可能性を探ることを目的としています。
福島市とマラン市・バトゥ市をつなげるものは、果物です。今回の出張では、マラン市・バトゥ市の現場を実際に視察しながら、果物の生産・加工において、両者で協力・提携できるものがあるかどうか、ありそうな場合にはどのように協力・提携を進めていくか、といったことを話し合いました。
日本でよく言われる6次産業化という観点からすると、マラン市では、農民と果物集荷業者と加工・販売業者が密接な関係を結ぶなかで果物加工が進められている一方、バトゥ市では、観光を刺激として、農民(または農民グループ)が加工と販売へ乗り出す形が生まれてきており、2つのタイプの異なる6次産業化の端緒が見られるのが興味深いです。
福島市はこれまで桃、梨、リンゴなどの生食用の果物を中心に生産してきましたが、今後は、規格外品を使った加工にも力を入れていく方向を示しています。
原発事故で被った放射性物質への極めて厳しい対策の経験を踏まえた、安全安心な農産物出荷への福島市の取り組みは、今後、インドネシアや東南アジアの他地域の農産物との差別化を進めるという文脈で、マラン市やバトゥ市も大きな興味を示していました。
9月には、今度は、マラン市とバトゥ市の農業局長が福島市を訪れ、農業システムの現状を視察し、協力・連携の可能性をさらに探る予定です。
マラン市やバトゥ市が福島市から学ぶことは大いにありますが、実は福島市がマラン市やバトゥ市から学ぶことも色々ありそうで、今後の展開が楽しみになってきました。
寒冷な地方で育つリンゴが熱帯のインドネシアでも栽培されているのをご存知だろうか。国内で唯一、リンゴ栽培の行われているのが東ジャワ州バトゥ市周辺である。
バトゥ市は面積202平方キロメートル、人口約20万人。標高2000メートル以上の山々の裾に位置する、平均海抜827メートルの高原都市である。市内には洞窟、温泉、プール、動物園、観光農園、遊園地などのほか、ホテルや別荘が多数あり、週末や祝休日には多くの観光客が訪れる。その数は年間約300万人、国内有数の観光都市でもある。
バトゥ市は2001年にマラン県から分立した。このため、バトゥで栽培されるリンゴは、今も「マラン・リンゴ」(Apel Malang)と呼ばれることが多い。
バトゥでリンゴが栽培され始めたのは植民地時代の1930年代で、涼しい気候に目をつけたオランダ人が苗木を持ち込んだ。その後、リンゴ栽培は拡大し、リンゴを使ったドドール(日本の羊羹に似た菓子)、クリピック(スナックせんべい)、リンゴ酢などが作られ、リンゴを自分で摘める観光農園も広がった。
しかし、1980年代頃から、他の果物や高原野菜、花卉など、より儲かる産品への転換が急速に進んだ。たとえば、ブミアジ郡では、最盛期に約300ヘクタールあったリンゴの栽培面積が今では60〜70ヘクタールへ減少し、ミカンへ15〜20ヘクタール、サトウキビへ約20ヘクタールと転換し、10年前から宅地化も進行した。
バトゥで栽培される野菜には有機肥料を使うのが一般的で、リンゴもそうだった。しかし成果が上がらず、リンゴだけは再び化学肥料へ戻ってしまった。リンゴの木は剪定されずに空高く伸び、果実は直径約5〜6センチと小さい。価格はキロ当たり2500ルピア(約22円)程度と安く、甘みが少ないため、質でも量でも輸入リンゴに対抗できない。
リンゴはもうダメだ、と地元の人は言う。大量のリンゴ輸入のせいだとする声もある。しかし、厳しい言い方をすれば、これは、付加価値を上げる栽培・加工上の工夫を追求できなかった結果である。国内唯一のリンゴは、果たして復活できるのだろうか。
(2014年5月10日執筆)
「ゴミで貯金しよう」「ゴミで日用必需品を買おう」「ゴミで電気代を払おう」。マラン市のゴミ銀行のオフィスを訪ねると、そんな標語があちこちに掲げられている。
マラン市のゴミ銀行は、ゴミ処理場への家庭ごみの削減を目的に、市政府が2011年10月に設立した。オフィスは市内の墓地管理事務所にあり、オランダ植民地時代には遺体安置所だった。ゴミ銀行とゴミ処理場を同一視した市民が猛反対したため、ゴミ銀行の立地場所を決められず、結局、墓地管理事務所にオフィスを置くことになったのである。
ゴミ銀行で扱う家庭ごみはプラスチック、紙類、金属、ガラス瓶など70種類に分類され、その各々に引取価格が設定されている。ゴミを持ち込んだ顧客は、現金または貯金の形で対価を得るが、貯金のほうが現金よりも高く対価が設定される。たとえば、カップ麺の空カップは現金だと300ルピアだが、貯金だと400ルピアになる。
ゴミ貯金には普通貯金、教育資金用貯金、レバラン用貯金のほか、現金ではなく現物で引き出す日用必需品貯金、奨学金やモスク建設補助のための社会義援貯金、リサイクル関連の設備購入のための環境貯金、健康保険料を支払うための健康保険貯金がある。
ゴミ銀行の顧客には、直接ゴミを持ち込む個人顧客と、ゴミ銀行が出向いてゴミを引き取るグループ顧客の2つがある。グループ顧客には町内会、学校、パサール(市場)などがあり、それぞれ最低でも住民20人、生徒40人、商人5人の会員で構成する。
グループ顧客は1〜2週間に1回、重量50キロ以上になるようにゴミを収集し、計量・分類する。そこへゴミ銀行の職員が出向いて再度計量・分類し、梱包した後、軽トラックでゴミ銀行へ運ぶ。収集したゴミの内訳・重量・預金額などはゴミ銀行で集計・記録し、グループ顧客の通帳にも口座情報として細かに記録される。現在までに個人顧客が約400人、グループ顧客が約320グループ、うち参加学校は175校である。
ゴミ銀行の収益は、収集したゴミを廃品回収業者へ売ることで得られる。現在、毎月2億ルピア程度の売り上げと2000万ルピア程度の収益がある。マラン市のゴミ銀行の1日当たりの収集量は約2.5トンで、市全体から見ればまだごくわずかであり、家庭ごみ処理に関する市民への啓蒙の役割を果たす段階といってよい。
しかし、ゴミをお金に変える試みは珍しく、マラン市のゴミ銀行の動きは全国の地方政府から注目を集めていくことだろう。
(2014年3月28日執筆)
熱帯に属するインドネシアは、日本など温帯産の農作物の栽培には適さないと考えられがちだが、それは一面的である。標高差を生かすと、温帯に近い高山気候のような環境で農作物の栽培が可能になる。しかも四季がないので、年間を通じて栽培できる。
ジャワ島の高原地帯の多くは火山灰地帯であり、肥沃な土壌を生かして高原野菜が栽培されている。キャベツ、白菜、ニンジン、トマトなどが畑でトラックに積まれ、夕方から夜明け前頃までに大都市へ毎日運ばれてくる。ジャカルタではクラマット・ジャティ市場、スラバヤではクプトゥラン市場がそうした野菜の一大集積地である。
東ジャワでは、国内市場向けだけでなく、輸出向けの野菜生産・冷凍も行われている。最も有名なのは、ジェンブル県を中心に生産される枝豆で、その8割以上が日本向けである。中心となる国営合弁企業では、年間約5500トンの枝豆を生産するほか、オクラ、ナス、サツマイモ、大根、インゲンなども日本向けに生産している。
いくつかの日本企業も、東ジャワの高原地帯で野菜の委託生産を試みている。昨年9月に訪問したマラン市の野菜加工工場では、長ネギ、マッシュルーム、サツマイモ、ニラ、大根などを扱い、契約栽培された野菜を水洗いした後、乾燥、冷凍、チルド、水煮などの状態にして、日本及びシンガポール向けに出荷する。野菜加工工場の指導員が栽培農家を回り、圃場で野菜作りや農薬の使用方法などを細かく指導している。
たとえば、日本企業のスペックに合わせてカットされた野菜は、大腸菌の発生を防ぐため殺菌液に浸けられた後、急速冷凍され、半製品として日本へ輸出される。日本市場に受け入れられるよう、日本で味付けをしたり衣をつけたりしたものが、おでんセットの大根や、駅の立ち喰い蕎麦屋のイモ天となって市場に出る。インドネシアからの輸入量はまだわずかだが、すでにインドネシア産野菜が日本食材の一部となっているのである。
しかし、すべての日本向け野菜生産が成功している訳ではない。低コストを狙って委託生産を試みたある日本企業は、昨年初めに東ジャワから撤退した。品質管理や圃場管理の難しさに加え、5年契約で借地代の一括払を要求するといった、農民レベルでの拝金主義の横行も近年目立つという。そして、日本市場が要求する安全・安心への保証をどう確立するかが極めて重要な課題となるだろう。果たして、東ジャワは日本向け野菜生産の聖地となるのだろうか。
(2014年1月17日執筆)
先ごろ、日本の大学へのインドネシア人留学生を選抜する文部科学省の国費留学生試験が実施され、1次・2次の合格者が決まったようである。
複数の人から聞いたところによると、インドネシア国内で合格者が最も多かったのは、東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学で、8人が合格したという。この8人という数字、1校あたりの合格者としてはかなりの合格率ではないだろうか。もしかすると、世界的に見ても、最も多い合格者だったかもしれない。
そのほか、東ジャワ州スラバヤ市にある国立アイルランガ大学から3人、日本語教師養成コースを持つスラバヤ国立大学からも2人が合格、そのほか同じスラバヤ市内の私立ストモ博士大学からも合格者が出た可能性がある。
一方、西ジャワ州デポック市にある国立インドネシア大学からの合格者は1人、ジョグジャカルタ特別州の国立ガジャマダ大学からは合格者がいなかった様子である。
すなわち、今回の国費留学生試験の合格者の大半は東ジャワ州から出た、ということになりそうである。
国立ブラウィジャヤ大学の日本語科では、大学学部卒業までに日本語能力試験のN2に合格することを目標に、日本人のI先生を筆頭に、N1を持つインドネシア人の先生たちが懸命に日本語を教えている。
昨年5月、筆者は、国立ブラウィジャヤ大学で「インドネシアの日系企業と日本の企業文化」と題して特別講義をしたことがあったが、約200人以上の学生が集まり、質疑応答に1時間以上を費やすほど、学生たちは熱心だったのが印象に残っている(下写真)。そのときに、「N2をとれれば日系企業に就職できるだろう」という話をした際に、がぜん盛り上がったのを覚えている。
私の知り合いの方は、国立ブラウィジャヤ大学の日本語科の優秀な学生たちを活用し、スカイプを使ったインドネシア語学習プログラムを試みている。興味のある方は、以下のサイトにアクセスして詳細を見て欲しい。
国立アイルランガ大学は、日本研究科であって必ずしも日本語科ではないが、学生たちが熱心で、すでにN2を取ってしまった者もいるため、先生たちの目が覚めた。毎週、時間を決めて、先生方が自主的に日本語能力を高めるための勉強会を行い、N1合格を目指すということである。
これまで、日本語人材といえば、日本研究センターを持つ国立インドネシア大学や国立ガジャマダ大学などの出身者に定評があるとされてきた。しかし、国費留学生試験の結果だけから見れば、ジャカルタ周辺ではまだあまり知られていない、東ジャワ州の大学が従来の有名大学を凌駕し始めている。
もちろん、東ジャワ州における日本語学習者の裾野も着実に広がっているし、自分の日本語能力を高めるために、日本人の方と接する機会を持ちたいと思っている学習者は相当な数で存在する。
今年は、スラバヤ市でも、ジャカルタ・ジャパン祭りのような、ジャパン祭りをやってみようではないかという意見が出ている。当地の日本語学習者を巻き込んで、むしろ、インドネシア側の意向を取り込んでいきながら、面白いイベントが出来ないものかと思っている。機会があれば、私なりの色々なアイディアを出してみたいし、各大学の関係者と話し合ってみたい。
ジャカルタ周辺で日本語人材の確保に努めていらっしゃる方は、この機会に、東ジャワ州の国立ブラウィジャヤ大学や国立アイルランガ大学などの関係者に、どんな様子なのか、聞いてみてはいかがだろうか。東ジャワ州には、意外に優秀な人材が留まっているかもしれない。そして、チャンスが有れば、彼らはジャカルタ周辺で働くことも厭わないことだろう。
いや、いっそのこと、投資環境が悪化してしまったジャカルタから、東ジャワへの企業移転またはビジネス機会の拡大を図ってみてはどうだろうか。ジャカルタ周辺と比べてもそこそこのレベルの日本語人材を活用することができるはずである。
3月1日、たまたま国際会議でスラバヤを訪れていた、前の職場の後輩研究者にお願いして、マランへのフィールド・トリップに同行させてもらった。彼はバンドン工科大学のエンリ教授からの誘いで、マラン市のゴミ銀行(Bank Sampah Malang: BSM)を見学に行くことになっていた。
マラン市のゴミ銀行の話は、2013年11月30日のジャワ・ポス・グループによる「地方自治賞」受賞式の際に、経済発展部門でマラン市が最優秀賞を取った際の受賞理由の一つに挙げられていた。いずれは見に行きたいと思っていたので、今回はまたとないチャンスと思ったのである。
マラン市のゴミ銀行は2011年に設立されたが、市民からはゴミ処理場を勘違いされて、最初は設立反対の声が多かった。市内に適当な場所が見つからず、結局、市営墓地の管理事務所に設立することとした。この管理事務所は、以前、オランダ植民地時代には遺体安置所だったということだが、ここを改修して、事務所として使うことになった。
ゴミ銀行は70種類のゴミに分別し、それをいくらで買い取るかの価格表が用意されている。ゴミ銀行の利用者は、ゴミ銀行に直接ゴミを持ち込むこともできるようだが、一般的には、ゴミ銀行の職員が出向いた際、そこへゴミを持ってくることになる。ゴミは、できれば予め、70種類のゴミ分別表に基づいて分別したうえで持参し、そこでゴミ銀行員の係員が帳簿をつける。そこでの記録に基づいて、各預金者のゴミ預金通帳に記載が行われ、「どんなゴミをどれだけ持ち込んだことでいくらお金に代わったか」が一覧表になって示される。
このゴミ銀行の預金を使って、コメや食用油などスンバコと呼ばれる生活必需品を購入したり、電気料金を支払ったりすることができる。「スンバコを買って、ゴミで支払いましょう」と書かれている。
一般には、地域ごとに預金者個人をひとまとめにしたグループが作られ、預金者個人の通帳に加えて、グループ全体の通帳も作られる。グループ全体の通帳に記載される額は、各預金者個人の通帳に記載された額の合計額になる。1グループは20人以上の預金者で構成される。
現時点で、320グループ、175の学校、グループに属さない400人、30の組織がゴミ銀行の顧客となっている。
ゴミ銀行は、預金者から集めたゴミを業者や工場などへ売って利益を得る。昨年の年間売上額は2億ルピア、純利益は2000万ルピア程度出ている。
ゴミ銀行では、ゴミを使ったバイオガスの実験も試みている。
また、ミミズを増やす試みもしている。
ゴミ銀行の裏は、様々なゴミの分別場となっていた。
ゴミ銀行の連絡先は以下のとおり。
Bank Sampah Malang (BSM)
Jl. S. Supriyadi No. 38A, Malang
Tel. 0341-341618, Fax. 0341-369377
Email: banksampahmalang@yahoo.com
Contact Person: Bapak Rahmat Hidayat, ST (Direktur BSM),
0812-3521-4545, 0341-7779912.
今回は、ゴミ銀行以外に、住民主体で運営しているゴミ分別場や、環境に配慮したゴミ処理場も見学した。
住民主体で運営しているゴミ分別場はムルヨアグン村にあり、住民による1日30立方メートルものゴミのブランタス川への投棄が問題となり、2008年に村長が川へのゴミ投棄を禁止した。そこでの対策ということで、村にゴミ分別場を作り、無機ゴミの食べかすを家畜の餌に、それ以外は処理して業者へ売るほか、有機ゴミをコンポストにするなどの対策をとった。毎朝、ウジ虫を収集して養魚池にまくことで、ハエの発生を95%減少させたという。
政府からは、まず畜産局からヤギが11頭与えられ、糞を堆肥作りに活用する。乳は従業員たちで飲む。水産局からナマズの稚魚が提供され、残飯などを与えて、ナマズを養殖する(写真下)。
このゴミ分別場は、現在、7600世帯からのゴミを1日64立方メートル処理しているが、処理能力に限界があるため、規模の拡大は考えていない。すべての作業は1日で終わらせる。77人が雇用されている。
最後に訪れたのは、マラン県のタランアグン・ゴミ処理場で、ここは観光も兼ねたゴミ活用の学習施設と銘打っている。
実際、ゴミから発生したメタンガスをコンロや電灯などに使っている。空き缶を使ってブロックで仕切った簡易なコンロ「ノナク」(私の彼女、という意味)は面白かった。
ゴミから出た汚水を植物用にまいたりもしており、その成果なのか、発育が良いものがあるということだった。
ゴミ処理場へ向かう道には、様々な植物が植えられ、緑の多い、きれいな公園のようである。前の職場での後輩の研究者は、様々なゴミ処分場を訪問しているが、こんなきれいなところは初めてだと驚いていた。
ゴミ処理場にパイプが引かれ、そこを通じてメタンガスが実験棟へ送られている。
まだまだ改善・改良を余地はあるだろう。もしかしたら、日本の技術を組み合わせると、もっと面白いことが起こるかもしれない。
ともあれ、東ジャワ州には、こうしたゴミを生かす試みが様々に行われている現場がある。インドネシア発の様々な試みをじっくりと注目していきたい。
5月18日にマランのブラウィジャヤ大学で講義をする前に、朝食を食べたのがこの店。最初は、ワンタン麺(Pangsit Mie)が目当てだったが、Nasi Bakmoyという、見慣れない名前がメニューにあった。写真を見る限り、ご飯に肉などのおかずが乗っている様子だが、ともかく頼んでみた。値段はRp. 12,000である。
実際は、ご飯の上に細かく刻んだネギ、小さく薄く切った油条、味付けした鶏肉、煮玉子が乗り、その上からちょっと鶏だしの利いた汁がかかっている。汁かけご飯の類。お茶漬けに近い感覚である。サラサラッと食べてしまった。
おかゆとも雑炊とも違う食感。ラーメンライスよりは洗練された感じがする。もちろん、お腹にもたれる感じはない。煮玉子が何ともいえず相性がよい。
インターネットでNasi Bakmoyを検索すると、けっこう色々載っている。あるサイトには中ジャワが起源と書かれており、Nasi Bakmoyの写真も載っているが、マランで食べたそれとはだいぶ様相が違う。それは汁かけご飯ではないのだ。
お茶漬け感覚でサラサラッと食べられ、しかも美味しく、お腹にもたれない、このマランのNasi Bakmoyは、ほんと、朝食にもってこいだった。
次回、マランへ行ったときには、ここのワンタン麺を食べてみよう。
“Yan” Pangsit Mie Ayam
Ruko Soekarno-Hatta A2, Malang
Phone: 0341-415590
5月18日、朝5時起きして、スラバヤから車で2時間のマランにある国立ブラウィジャヤ大学へ行き、日本語学科の学生を対象に「インドネシアの日系企業」という題で特別講義を行ってきた。
集まった学生は約120人、正直言って、かなりたくさんの学生が日本語を勉強していることに改めて驚いた。聞くと、ほとんどが日本語検定3〜4級程度、2級以上の学生は少ないようだ。2級以上になれば、そのほとんどが日系企業に就職できている。
床に薄いカーペットを敷いて座る形。考えてみれば、日本もそうだが、椅子はもともと外から持ち込まれたもので、床に座って、低い机に向かって学んだり作業したりするのが一般的にみえる。
かつて、マカッサルにいたとき、我が家の4分の3を地元の若者たちの活動に開放した際、彼らの運営する図書館(実はマカッサルで最初の民間図書館といってもよかった)では、床に座って低い机で本を読む形式だった。椅子は夭死していたにもかかわらず、である。
ブラウィジャヤ大学の学生たちは、床に座る形式のほうがリラックスして和やかな雰囲気でよい、という。たしかにそう思う。私の特別講義も、いつもより容易に笑いがとれ、リラックスした気分で行うことができた。
ブラウィジャヤ大学の日本語学科は、日本語検定2級取得を目標としている。講師陣も充実しており、日本人の講師の方が2名活躍されている。大学では4年時点で実地研修(KKN: Kuliah Kerja Nyata)を数ヵ月間行うが、将来の自分の職業に合わせて、学生が自分で探す。日本語学科の学生たちは、日系企業でのKKN受入を希望しており、実際、経験者もいるようだ。
また、ブラウィジャヤ大学は、株式会社ニキサエ・ジャパンと協力して、スカイプによるインドネシア語講座を開設している。最近、じゃかるた新聞などでも取り上げられた。
学生は講義をとても熱心に聞いてくれ、質問も活発だった。情報が行き交っているためか、以前に比べると、的外れな質問は本当に少なくなった。日本があこがれの国であることは確かだが、かつてのようなステレオタイプな日本イメージがいい意味で変わっていく様子がうかがえた。
4月24日にマランへ行った際に、午後2時からウベホテルというホテルで面会者と待ち合わせをした。それまで、国立ブラウィジャヤ大学で用事があるので、その近くのホテルということで、ウベホテルで人と会うことになった。
マランのホテルといえば、1985年に始めてマランへ行ったときに泊まったスプレンディッド・インと、その後何度か泊まった、コロニアルな作りのホテル・トゥグが頭にすぐ浮かぶが、ウベホテルというのは知らなかった。
どんなホテルなのか楽しみにしていたら、そこはブラウィジャヤ大学にあまりにも近いところにあった。
なぜなら、ブラウィジャヤ大学のキャンパス内にあったからである。
ウベホテルというのは、ウーベーホテル(UB Hotel)だった。ウーベーはUB、Universitas Brawijayaの略称だったのだ。大学がホテルを経営しているのである。
たしかに、ジョグジャカルタの国立ガジャマダ大学も、バンドンの国立バンドン工科大学も、ホテルを持っている。当初は、大学への来訪者向けだったゲストハウスや宿泊施設をホテルに変えていったのだろう。
このウーベーホテルの「スアサナ・カフェ」(Suasana Cafe)には、ユニークなジュースがたくさんある。「ヘルシージュース」の項目に、ビタミン繊維ジュース、 スタミナ・ジュース、アスパラガス・セロリジュース、人参セロリジュース、尿酸値を下げるためのレモングラスと蜂蜜など、いろいろである。
私が頼んだのは、こちら。
緑キャベツ・パンチである。説明は英語で、「尿酸値を下げるためのチコリーとからし菜とオレンジとリンゴをブレンドした飲み物」とある。さっぱりしてとても美味しい飲み物だった。
ブラウィジャヤ大学の有名学部の一つが農学部で、ヘルシージュースのラインナップにその一端を見ることができた。
1泊の宿泊料金は以下の通りである(下記の料金に税・サービスが含まれているかどうかは要確認)。
Superior: Rp. 500,000
エアコン、テレビ、電話、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、新聞、ツインベッド
Deluxe: Rp. 600,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド
Junior Suite: Rp. 700,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド
コネクティングルーム可
Executive Suite: Rp. 800.000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー付きバスタブ、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド
宿泊のほか、会議、結婚パーティー、テーブルマナーのパッケージもある。
連絡先は以下の通りである。
UB Hotel
Jl. MT Haryono 169, Malang 65145
Phone: +62-341-558585
Fax: +62-341-575810
Email: info@ubhotelmalang.com
URL: www.ubhotelmalang.com
Hotline Service: +62-81-252-11-222-5
なお、余談だが、ブラウィジャヤ大学は日本の様々な大学と協定を結んでおり、最近では日本語教育でも注目されている。現在、日本人ネイティブの日本語教師を募集中。詳細は当方までご連絡されたい。
昨日(4/24)は、スラバヤからマランへ日帰り出張した。マランにある国立ブラウィジャヤ大学の日本文学科を訪問するためである。
スラバヤを出発したのは午前8時。午前10時のアポで間に合うと思ったのが浅はかだった。スラバヤ市内からグンポルまで高速道路を走って、快調に進んでいたのだが、パンダアンの手前付近から大渋滞になった。何台ものトラックが延々とガソリンスタンドへ向けて列を作っていた。
新聞報道にもある通り、軽油が不足気味なのである。多くのガソリンスタンドでは、軽油のストックが無くなっていた。まだ軽油のあるガソリンスタンドへ、トラックやバスなどが集中して押しかけてきたという図である。
5月から、補助金付きのガソリンと軽油の値段が二重になる。すなわち、公共交通機関用とバイク用は現在と同じ1リッター4500ルピアのまま値段が据え置かれる一方、それ以外については同6500〜7000ルピアへ値上げとなることが告知されている。政治的な理由から、石油燃料向け補助金の明示的な削減が難しいので、二重価格制をとることで、少しでも補助金負担を減らそうという政策である。
いつものことだが、価格引き上げが見越されれば、その商品は市中で品薄になる。値上げ前に少しでも買っておこうとする消費者心理とともに、値上げ期待で売り惜しみをする生産者・販売者も存在する。
2014年総選挙・大統領選挙を控えて、石油燃料向け補助金の削減・石油燃料値上げは、極めて政治的な意味を持つ。2年前、国会予算委員会では政府提出の値上げ案をすべての政党が承認していたが、各地で値上げ反対デモが起こり、しかもそれが暴力性を伴って展開したため、事態を沈静化させる必要と人気取りを優先した政党が前言を翻し、国会本会議で揃って反対へ転じた。結局、石油燃料価格は値上げできなかった。
政府はそれを学習し、かつ、石油燃料補助金の恩恵を受けているのが実は高額所得者ではないかという議論も踏まえて、今回のような二重価格制の導入を試しにやってみようとしているのだろう。
補助金支出が財政上の大きな負担となり、インフラ整備などへ予算を配分できない状態が指摘されて久しい。政治的理由から石油燃料補助金を一気に削減することは難しく、二重価格制のような小細工を使いながら、実質的な補助金削減を少しでも果たそうとするのは、苦肉の策ではある。
5月に上記が実施され、7月から断食に突入、8月初めの断食明けまでの物価上昇の季節である。経常収支も赤字傾向が続き、通貨ルピアは安含みで展開、輸入減少は期待できないので、輸入品価格も上昇となる。雨季作の米の作柄がそれほど悪くないとして、それがどれぐらい物価を安定させるかが鍵になるが、やはり物価上昇傾向はより鮮明になる。
そういえば、最近は「市場操作」(Operasi Pasar)という言葉をあまり聞かなくなった。以前のインドネシアでは、市中で米や灯油が足りなくなると、政府が「市場操作」でそれらを注入し、価格を安定させようとした。今は、市場メカニズムに委ねるという方向なのだろう。政府が「市場操作をやる」と表明するだけで、売り惜しみをしている側がストックを放出するというデモンストレーション効果も期待できるはずだが、最近はあまり聞かれない。