【インドネシア政経ウォッチ】第149回 テロ対策の光と陰(2016年3月25日)

1月14日に首都ジャカルタの中心部でテロ事件が起こってから、2カ月余りが過ぎた。社会は平穏を取り戻したかに見えるが、その裏で、テロ対策警察特殊部隊(Densus 88)がテロリスト掃討作戦を強化している。

その標的の一つは、サントソ・グループである。サントソは、国内で唯一、過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う「東インドネシア・ムジャヒディン」という名の組織を率い、2012 年12 月から中スラウェシ州ポソ県の山岳地帯グヌン・ビルでゲリラ活動を行っている。

今年3月、警察は軍と合同で2,200人を投入し、サントソの逮捕を目的とした「ティノンバラ作戦」を実行した。この作戦で爆弾などの証拠品を押収したほか、中国籍のウィグル族の男性2名が射殺された。彼らは15年に合流したとみられ、ISへの共鳴の広範な国際化を示唆する。

世界で最大のイスラム人口を抱えるインドネシアはISを敵視し、テロリスト・ネットワーク細胞の摘発などの成果を上げてきた。Densus 88 の貢献度は極めて高い。しかし、その一方で、Densus 88 のテロ対策が行き過ぎであるとの批判も根強い。

3月8日、中ジャワ州クラトン県で、モスクで夕方 の礼拝をしていたシヨノ氏がDensus 88 に拘束された。 彼はテロ組織ジュマア・イスラミア(JI)のメンバ ーで、火器製造の役目を果たしたとの容疑だった。当初は従順だったが、その後、急に反抗したため、3月 11 日、Densus 88 のメンバーが正当防衛として彼を殺 害した。

シヨノ氏の容疑は検証されず、誤認だった可能性が あるとして、中ジャワ州の学生らが抗議行動を起こした。国家人権委員会や国会もシヨノ氏殺害事件に注目 し、Densus 88 による行き過ぎを非難するとともに、人権侵害の可能性を危惧する声明を発した。警察は、シヨノ氏の扱いに不備があった可能性を示唆しつつも、テロ容疑者に対する処置で人権侵害ではないとの立場 を示している。

Densus 88 を軸とするテロ対策は不可欠だが、一歩間違うと、それが逆にISへの共感を強めてしまう可能性もあることに留意する必要がある。

 

(2016年3月25日執筆)

 

【スラバヤの風-46】ボヨラリは牛乳の町から繊維の町へ

中ジャワ州南東部、ソロ市のすぐ西隣の高原地帯、ムラピ火山の東側にあるボヨラリ県は「牛乳の町」として知られる。牛乳生産は1980年代に始まり、2013年時点で、ボヨラリ県の乳牛頭数は8万8,430頭、年間牛乳生産量は4万6,906トンであり、頭数で全国の約14.5%、牛乳生産量で同約8%を占める。たしかに、ボヨラリの街中には牛乳を売る店があちこちに見られ、牛乳を使ったドドール(羊羹の一種)も売られている。

 

一見するとのどかなボヨラリの風景だが、ここ数年、繊維・縫製を中心とした投資が急増している。投資調整庁(BKPM)のホームページでも、繊維・縫製産業の投資先としてボヨラリ県を紹介している。

ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局によると、2006年時点で、同県の国内投資実績は6件、4,073億ルピアに過ぎなかった。ところが、2008年に460件が一気に進出した後は、2009年に621件、2010年に767件、2011年に859件、2012年に1,056件、2013年に938件、そして2014年に804件の国内企業が新たに進出し、2014年時点で計5,513件、1兆1703億9400万ルピアとなった。ただし、国内企業の投資件数は増えたが、その多くは比較的小規模の投資だったことが分かる。

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ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局にて

ボヨラリ県への外国投資は、1995年に2件、2001年に1件進出して以降、2007年まで全くなかった。それが2008年、2010年、2012年、2013年に1件ずつ進出した後、2014年になって一気に4件へ増加した。その結果、外資系企業は現在11社となり、そのほとんどが韓国系などの繊維・縫製である。このように、ボヨラリ県は投資ラッシュとなっているが、工業団地はまだなく、投資企業は県の空間計画で定められた工業ゾーンに立地することになる。

実は、2013年から、韓国政府による援助の下、ボヨラリ県に繊維・縫製を主とする敷地面積約500ヘクタールの工業団地を建設する計画があった。しかし、計画が公になるとすぐに地価が上昇し始めた。2010年頃は1平方メートル当たり2万ルピア(約180円)だったのが、2014年には 50万ルピア(約4,630円)へ急騰した。このため、地権者がなかなか用地買収に応じず、結局、韓国政府は協力の継続を断念するに至った。ボヨラリ県政府は、韓国政府に代わる新たな事業者を探して、工業団地建設を継続する意向である。

ボヨラリ県は投資許認可のワンストップ・サービスを完備し、建築許可(IMB)と妨害法許可(HO)以外の許認可手続は無料化した。ボヨラリ県への繊維・縫製企業進出はまだ続くだろうが、一部ではすでに、ボヨラリ県から周辺のスラゲン県などへ工場を再移転する動きも見られる。ボヨラリ県とその周辺県との投資誘致競争は熱を帯びている。

 

(2015年3月29日執筆)

 

【スラバヤの風-45】中ジャワ州の一村一品

先週、地方投資環境調査のため、中ジャワ州へ出張した。まず、州都スマランにて、新任の中ジャワ州投資局長を訪ねた。近年、中ジャワ州は、ジャカルタ周辺地域からの工場の移転・増設が急増しており、もちろん、その辺の話もしたのだが、彼の話に熱がこもったのは、前職の協同組合・中小事業局長時代に手がけた一村一品についてだった。

一村一品とは、1970年代初頭に当時の平松守彦大分県知事が名づけた地域おこし運動であり、自分たちが誇れる産品を最低一つ作り上げ、その価値を高めながら自分たちの地域の価値を高めていくことを目的とする。現在、世界中の国々で一村一品を取り入れようという動きがあり、インドネシアでも1990年代半ばから様々な試みが行われてきた。

中ジャワ州では、協同組合・中小事業省の指導の下、2003年3月から一村一品に取り組み始め、すでに、各県のいくつかの工芸品を一村一品対象に指定した。それらは、たとえば、ジェパラ県のトロソ織、クラテン県の縞状のルリック織、プマラン県のゴヨール織、ソロ市のバティックなどである。中ジャワ州はプカロンガン、ソロなどバティックの産地が多く、そのイメージが強いが、実は、織機を使わない手織物の宝庫でもある。

中ジャワ州で2003年3月に一村一品の開始が宣言されたのは、州内でもあまり目立たない南東部、東ジャワ州と接するスラゲン県であった。スラゲン県の特産品であるゴヨール織とバティックも中ジャワ州の一村一品に指定された。

実は、手描きバティックの下請け作業の多くはスラゲン県内で行われている。それがソロやジョグジャカルタでバティックの有名ブランドとなり、ジャカルタで売られる際には、スラゲン県から搬出されるときの10倍ぐらいの価格に跳ね上がるのである。

手描きバティックや手織りの織物を制作するには、単調な細かい作業に長い時間を費やす。これらを担うのはほとんどが女性労働力であり、この点からも、中ジャワ州の女性労働力は忍耐強く、細かい作業を長時間集中して行う能力に長けているとみなされる。ジャカルタ周辺地域の労働集約型工場を支えているのも、彼女たちであるとよく言われる。

中ジャワ州の一村一品を受けて、スラゲン県は2014年11月、県内のすべての村を対象とする一村一品を宣言し、産品でも芸能でも、最低一つの誇れるモノを生み出すよう求めた。そして県は、それらを様々な機会に他所へプロモーションすることを約束した。

インドネシアでもようやく、プロジェクトではなく地に足をつけた運動としての一村一品が、地元レベルで起こり始めたようである。

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スラゲン県投資局のワンストップ・サービス・デスク。

 

(2015年3月13日執筆)

 

【スラバヤの風-43】最低賃金から見る地方経済

過去3年間のジャワ島内の最低賃金の変化を県・市レベルで眺めてみる。一般に、経済活動が活発化すると最低賃金が大きく上昇し、停滞するところでは上昇率が低いと考えられる。最低賃金の算出には、当地での物価水準や家計の消費行動が反映されるので、最低賃金をみることは、地方経済の活況度合いを計ることにもつながる。

ざっと見て、ジャワ島の地方経済に起こっている現象には2つのポイントがある。

第1に、最低賃金の上昇トレンドの継続である。なかでも、2015年最低賃金の上昇率でとくに注目されるのは、そろって20%以上上昇した東ジャワ州のスラバヤ市とその周辺4県で、すでにジャカルタ周辺地域と遜色ないレベルに達した。「労働コストの低いスラバヤ周辺へ」とはもはや言えない。その一方で、中ジャワ州は全般に10%台の上昇に留まる。

ジャワ島全体の116県・市で最低賃金が100万ルピア未満だった県・市の数は、2013年が58だったのが2014年に11へ減り、2015年はゼロになった。反対に、200万ルピア以上は、2013年の12から2014年が20、2015年は24へ増えた。ちなみに、2015年最低賃金の最高は西ジャワ州カラワン県の295万7,450ルピア(これにさらに業種別課金が加わる)、最低は中ジャワ州バニュマス県の110万ルピアであった。約3倍の差である。

第2に、最低賃金が大きく上昇した県・市がジャワ島の北海岸に集中する一方、それ以外は上昇率が総じて低いことである。すなわち、ジャワ島全体で北部の大都市周辺が豊かになる一方、中南部は停滞気味という「南北問題」の色彩が強まっている。

なかでも、西ジャワ州南東部(パガンダラン県、チアミス県など)と中ジャワ州南西部(バニュマス県、プルバリンガ県、バンジャルヌガラ県など)、及び中ジャワ州南東部(ウォノギリ県、スラゲン県など)と東ジャワ州南西部(マゲタン県、パチタン県、ポノロゴ県、トレンガレック県など)といった州境付近の県・市の最低賃金は、まだ110〜120万ルピア程度である。これらは人口の多い貧しい農業地域で、これまでジャカルタ周辺などへ工場労働者や家事労働者などを供給してきた。

日本側で一般的に知られるジャカルタ周辺やスラバヤ周辺では、安い労働コストを求める事業展開はもはや限界に来つつある。そこでは地場中小企業でさえ、機械化・自動化を検討している。他方、ジャワ島中南部の最低賃金はまだジャカルタ周辺の2分の1以下であり、手先が器用で従順な女性労働力などを活用する労働集約企業が生き残れる余地は大いにある。そこでは、ほどなく工場進出による農村社会の大きな変貌が起こることだろう。

ジャワ島内の地域格差問題を視野にいれると、1970年代の日本の変化がどうしても重なって見えてくる。

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中ジャワ州ソロ市の地場縫製工場にて

 

(2015年2月15日執筆)

 

【スラバヤの風-37】牛乳後進国インドネシア

インドネシアで入手に苦労したものの一つが牛乳である。国内メーカーの牛乳は輸入生乳を使い、様々な薬品や保存料を加えているとされ、地元の人でも敬遠する人が少なくなかったため、輸入ロングライフ牛乳を購入せざるを得なかった。今も、日本のように、新鮮な牛乳が毎日大量に手に入る状況はまだ確立されていない。

インドネシア国内での乳製品生産向けの牛乳の需要は年間約330万トンあるが、国内生産で供給できるのは69万トンに留まり、全体の8割を占める残りは、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、EUなどからの生乳や粉乳の輸入に依存している。インドネシアは、これまでにホルスタイン種の乳牛輸入や人工授精による繁殖などを何度も試みてきたが、熱帯という気候の問題もあり、画期的な成功を収めることは難しかった。

現在、国内における牛乳生産の中心地は東ジャワ州であり、そのほとんどがパスルアン県やマラン県の高原地帯に立地する。東ジャワ州では8万6,000人の酪農家が29万6,350頭の乳牛を飼育しており、全国の乳牛飼育頭数の8割近くを占める。東ジャワ州には外資系のネスレやグリーンフィールズ、国内食品最大手インドフードの子会社インドラクトなどの大企業が立地し、地元の酪農協同組合などとの契約に基づいて、比較的規模の大きい牛乳生産を行っている。

しかし近年、牛乳価格が低迷する一方、飼料などの価格が値上がりしているため、末端の乳牛飼育業者の生産意欲が減退している。実際、乳牛の飼育頭数は、全国で2012年に42万5,000頭だったのが、2014年5月時点で37万5,000頭へ大きく減少した。このままでは結局、乳製品生産の輸入原材料に依存する状況は当面続かざるを得ない。

インドネシアにおける牛乳の一人当たり年間消費量はわずか11リットルである。これはマレーシアの22リットル、インドの42リットルなどと比べてかなり少ない。現在のインドネシアの領域を植民地化したオランダは牛乳を生産していたが、それは主にオランダ人用であったため、マレーシア、インドといったイギリス植民地のように、牛乳を嗜好する食文化を根付かせることは叶わなかった。

そんななか、乳牛を飼育する牧場が自家製の牛乳を都市で直販するだけでなく、オシャレな牛乳カフェを経営する動きが出てきた。2010年、ジョグジャカルタに「カリミルク」というカフェがオープンしたが、その直接の動機は、ムラピ山の噴火による風評被害で牛乳が売れなくなった酪農家を助けることにあった。

「カリミルク」でイチゴ味の牛乳を飲みながら、牛乳後進国インドネシアで国産牛乳がもっと飲まれるようになる日が果たして来るのだろうかと考えこんでしまった。

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(2014年11月21日執筆)

 

 

【スラバヤの風-30】スマラン周辺に2つの工業団地建設

ジャカルタ周辺からの工場移転先として、全国で賃金が最も低い中ジャワ州が注目を集めて久しい。繊維、縫製、その他労働集約関連の工場移転が続いている。

たとえば2014年の同州での最低賃金を見ると、最も高いスマラン市でも142万3500ルピアであり、最も低いプルウォレジョ県(ジョグジャカルタ特別州の西隣)では910万ルピくアである。州内37県・市で最低賃金が100万ルピアに満たないのは9県あり、その多くは州の南部に分布している。

そして、単に賃金が安いだけでなく、労働争議がほとんど起こっていない点が特筆される。一般におとなしく従順な労働力で、現在でもジャカルタ周辺の工場労働者となって働いている者が少なくない。しかも手先の器用な若年女性労働力が多く、それを生かしたカツラ・付け睫毛生産の韓国系企業がプルバリンガ県に20社以上も進出している。

そんななか、州都スマラン周辺で大規模な工業団地建設が開始された。スマランの西のクンダル県に建設中のクンダル・インダストリアル・ パーク(以下「クンダル」)と、東のデマック県に建設中のサユン統合エコ・インダストリアル・パーク(以下「デマック」)である。

「クンダル」は、ブカシで工業団地を運営するジャバベカ社がシンガポール資本と組んで開発中で、全部完成すると2700ヘクタールとなる。スマラン市内のタンジュン・エマス港まで25キロと近いが、さらに工業団地と近接のクンダル港の開発も計画されている。また、許認可手続、労務サポート、警備、物流サービス、工業団地メンテナンスをワン・ストップ・サービスとして提供するとしている。

一方、「デマック」は、携帯電話やタブレットの輸入組立などで台頭したムガン・グループを中心とするジャテン・ランド社が、スマラン市内の既存の国営ジャヤクスマ工業団地と共同開発中で、全部完成すると1600ヘクタールとなる。現在は第1期として300ヘクタールを造成中で、2014年後半までに用地を整備し、2014年末には入居者が工場建設を開始、同時にガスや電力や用水を供給するインフラ整備を進める。

両者とも、スマラン市内から20キロ程度の距離に立地し、交通の便はよいが、近年は大型トラックなどによる渋滞も頻発している。

中ジャワ州知事は、日本企業の誘致を積極的に進めたい強い意向を持っているようである。これら2つの工業団地を始め、中ジャワ州へどれだけの日本企業が進出していくのか。インフラ整備の進行状況とともに、注目していきたいと思う。

 

(2014年8月10日執筆)

 

 

【スラバヤの風-24】出稼ぎ送り出し県からの脱却

中ジャワ州南部のウォノギリ県は、水が乏しく農業にあまり適さない山間部にあり、ジャワ島有数の貧困県と見なされてきた。多くのウォノギリ出身者が、以前から建設労働者や家事労働者として、その後は工場労働者として、ジャカルタなどへ出稼ぎに出ていた。ウォノギリ県の人口は120万人、そのうちの少なくとも2割が出稼ぎ人口である。今でも、ジャカルタとウォノギリとの間にはたくさんの直行バスが運行している。

この貧しい出稼ぎ送り出し県を、今では、毎日のように投資家が訪れている。とくに、韓国系ビジネスマンが熱心に通い詰める。ジャカルタ周辺の賃金高騰の影響で、繊維や縫製などの企業が中ジャワ州南部で工場移転の可能性を探っている。近くのボヨラリ県には、韓国政府の資金で繊維・縫製向けの工業団地の建設が始まっている。ボヨラリ県の2014年最低賃金(月額)は111万6000ルピア、ウォノギリ県のそれはさらに低い95万4000ルピアであり、これが投資家を工場移転に誘う要因となっている。

ウォノギリ県では、今年7月までに合板工場と女性下着工場が操業を開始する。いずれもインドネシア地場企業で、両工場を合わせて4100人の雇用機会が生まれる。このうち、700人がジャカルタでの出稼ぎから戻って就職すると見られる。加えて、韓国系の繊維工場やカバン製造工場がウォノギリ県への立地へ向けた最終段階に入っている。

ウォノギリ県ではダナル・ラフマント県知事が先頭になって動く。前述の女性下着工場の用地買収では、36人の地権者を説得し、わずか2週間で用地買収を成功させた。また、県知事自ら村々をまわり、工場で働く女性労働者の募集さえも行なった。

南海岸に建設されるセメント工場と合わせた港湾整備、複数の工業団地建設計画。出稼ぎ送り出し県からの脱却を熱く語る県知事の姿は、まさに、1970年代の日本の高度成長期、企業誘致にかけた地方の熱気を思い出させる。最貧県のイメージを一新するような変化がウォノギリ県で起こり始めている。

 

(2014年4月25日執筆)

 

中ジャワは最も投資しやすい州を目指す

先週、北スマトラ州に続いて、6月18〜19日に中ジャワ州を訪問した。中ジャワ州投資局のスジャルワント長官は、「中ジャワはインドネシアで最も投資しやすい州を目指す」と胸を張った。

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中ジャワ州の特色としては、全国最低レベルの最低賃金、極めて少ない(というかほとんどない)労働争議、豊富な資源ポテンシャル、などが挙げられるが、それらはよく知られた特色である。これら以外に、他州には見られない特色があった。

それは、官民一体となって、投資をサポートする体制を整えていることである。州レベルでは、政府と商工会議所が一緒になって投資対策チームを作り、常に県・市政府とコンタクトし、モニタリングする体制になっている。たとえば、ある県で投資を阻害する問題が起こったら、すぐに州のチームも動くのである。とくに、すでに投資した企業が安心して活動できる環境を維持することが狙いである。

それだけではない。州政府は、州内のすべての県・市を対象としたパフォーマンス評価チームを結成し、毎年、表彰している。この評価チームは実業界・学界・市民代表から構成され、政府関係者が含まれていないのがミソである。チームは、実際に現場で行政サービスや許認可事務の状況を把握し、評価の重要な要素としている。

これによって、中ジャワ州の県・市の間で、行政サービスや許認可事務の簡素化を含む善政競争が起こっている。投資を呼び込むために、許認可に要する期間の短縮やサービスの改善にしのぎを削っている。各県・市の創意工夫で、様々な新しい試みが生み出される。たとえば、従来、多くの県・市政府は自己財源収入を確保するために、わざと許認可を面倒にする傾向さえあったが、競争意識によって、それが大きく改善へと向かっているという。

以前、ジョコウィ大統領がソロ市長だったときに、このパフォーマンス評価でソロ市は3年連続で州内第1位に輝いた。そうした実績を引っさげて、ジョコウィは中央政界へ進むことになったのである。ジョコウィが中ジャワ州から去った後は、各県・市が毎年入れ替わり立ち替わり第1位を占めるようになり、競争状態に拍車がかかっている。中ジャワ州の善政競争マネジメント能力の高さがうかがえる。

このように、州全体での投資へのサポート体制ができており、「インドネシアで一番投資しやすい州になる」という言葉もあながち嘘ではない気がしてくる。

とはいっても、日本人駐在員が中ジャワ州に駐在するには、日本的な要素が少ないことは否めない。中ジャワ州には日系の工業団地はまだない。州都スマランには日本料理店もほとんどない。ゴルフ場はあるが、日本人向けの娯楽施設も限られている。この辺は今後の課題となる。

しかし、中ジャワ州は日本に最もなじみのある州の一つなのである。実は、技能実習生や研修生を日本へ最も多く送り出しているのが中ジャワ州とのことである。中ジャワ州のどこへ行っても、日本での経験を持つ若者たちが存在する。日本企業は、そんな彼らを生かすことができるのではないか。

技能実習生や研修生を単なる低賃金未熟練労働力ととらえず、将来の日本企業のインドネシア投資、あるいはインドネシアでのOEM生産などを念頭に、彼らとの関係を戦略的に作っていくことがこれから重要になってくるだろう。実際、日本の中小企業がインドネシアへ来て、自分たちと一緒に低コストで材料や部品を作ってくれるインドネシアの中小企業を探しているという話もある。もしそうならば、戦略的に技能実習生や研修生を日本で活用して、次のステップへつなげることが有用ではないだろうか。

そんな場としても、中ジャワ州はなかなか有望なのではないかと思う次第である。

中ジャワ州に関して、何かお問い合わせになりたい方は、私まで遠慮なくご連絡いただければ幸いである。日本でもっと中ジャワ州を勝手にプロモートしたいと思っている。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第127回 企業移転と地方の投資誘致競争(2015年4月9日)

交通渋滞、洪水、コスト上昇、労働争議など投資環境の悪化を嫌う企業が、ジャカルタ周辺から他の地域への企業移転、工場増設に動いている。

その主力は国内企業である。2014年の州別の国内からの直接投資(DDI)実績で、第1位は、38兆1,320億ルピア(約3,530億円)の東ジャワ州である。東ジャワ州は、実は12年から第1位を占めている。西ジャワ州は海外からの直接投資(FDI)実績で第1位だが、DDIでは東ジャワ州に次ぐ第2位となっている。また、中ジャワ州も13年から投資実績が急増している。

一方、ここ数年のジャワ島における各県・市の最低賃金上昇率を見ると、工業団地の集中する州都周辺・北海岸が高く、それ以外の南部では相対的に低い。州内で「南北問題」とでもいうべき経済格差が拡大する気配がある。その最低賃金水準が低い南部へ労働集約型産業の投資が進出を加速しているのである。

例えば、中ジャワ州南東部のボヨラリ県のDDI実績は、12年は1,056件・2,733億ルピア、13年は938件・1兆1,217億ルピア、14年は804件・1兆1,704億ルピアと急増したが、その大半は繊維・縫製関連投資である。中には、ボヨラリ県から周辺の別の県へ企業移転・工場増設するケースさえ出ている。FDIでも、韓国系のパン・ブラザース・グループが先導する形で、他の韓国系繊維企業が企業移転先を物色している。

こうした状況下で、中ジャワ州や東ジャワ州の各県・市では、首長が率先して用地買収や従業員確保に当たったり、許認可手続きの簡素化を進めたりして、投資誘致競争を繰り広げている。投資許認可手続きのワンストップ・サービスはすでに各県・市が導入しており、各手続きの料金と所要日数は明記され、その低料金化と日数短縮で競い合う。中には、手続きをすべてオンラインで行い、許可証発行の最終手続き時にオリジナル書類を提出すればよいところもある。

各県・市と投資調整庁(BKPM)とのオンライン化も始まり、地方の投資誘致競争にいっそう拍車がかかりそうである。

【インドネシア政経ウォッチ】第66回 韓国系企業が集中するプルバリンガ県(2013年12月5日)

先週、中ジャワ州プルバリンガ県を訪問した。中ジャワ州の南西部、西ジャワ州との境に近い小さな県である。ジャカルタやスラバヤからは、この地域の商業センターであるプルウォクルトまで鉄道などで行き、そこから車で約30分である。

日本では無名なプルバリンガ県には、韓国系企業が20社以上も立地する。そのほぼすべてが、カツラや付けまつげを作る労働集約型企業である。最初の韓国系カツラ製造企業が操業を始めたのは1985年頃で、当時は従業員50人足らずの家内工業であった。それが90年代半ばから進出が相次ぎ、今では第2工場、第3工場を持つ韓国系企業さえ現れた。

でも、なぜカツラや付けまつげがここなのか。単に最低賃金が低いこと(2014年で102万3,000ルピア)だけが理由ではない。プルバリンガ県は、実は1950年代から「サングル」と呼ばれる伝統的な女性用の結い髪の生産地であり、この地域ではプルバリンガ女性の手先の器用さが際立っていた。韓国系企業はそれに目をつけた。しかし、当初はなかなか韓国系企業の思った通りの製品にならなかったようである。

カツラや付けまつげの製造では、細かな部品を家族の副業などで下請けする。下請先は現在290カ所あり、その一部は規模が拡大し、企業化している。これら下請を含め、カツラや付けまつげ製造だけで約5万人の雇用を生み出している。製造に従事するのはほとんどが女性である。このため、家事労働の使用人を見つけるのが難しいという。他方、男性の雇用機会は限られている。

韓国系企業が集中する別の理由は、県政府の投資認可ワンストップサービスである。県知事署名の立地許可以外の許認可は、県投資許可統合サービス事務所(KPMPT)で片付く。工業団地はないが、工場ゾーンでの用地取得に便宜を図ってくれる。労働組合活動は低調で労働争議もない。現地に根を下ろした韓国系企業は、今やプルバリンガ県にとって不可欠な存在なのである。

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