ガジャマダ大学で特別講義、学生面談

毎日午後、大雨の降るジョグジャカルタに来ています。

愛知県立大学とガジャマダ大学との共同プログラムの一環で、11月22〜24日、ガジャマダ大学で特別講義と学生面談を行いました。

11月22日は、午前中、約30名の学生を相手に、「日本経済の変容、日本企業におけるキャリアの傾向と人材育成」と題して、講義を行いました。学生たちは、いまだに高度経済成長の頃の日本のイメージを強く持っていたようで、低成長時代の日本経済とそれに伴う企業の人材育成戦略の変化について、興味深く聴いてくれました。

11月23日と24日は、インドネシアの日系企業へインターンする予定の計9名の学生との面談を行いました。一人当たり1時間の面談でしたので、けっこうじっくりと話し合うことができました。学生時代どんなことをしてきたか、日本や日本企業に対してどんなイメージを持っているか、これからどんなキャリア・パスを描いていきたいか、などを色々と話してくれました。自分の考えをそれなりにしっかりと持っている学生達でした。

というわけで、無事にガジャマダ大学での用務を果たすことができました。彼らは1月頃から日系企業でインターンとして関わりますが、その経験が彼らの今後の人生にとって有意義なものとなることを願っています。

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ガジャマダ大学の学生たちとバソ(肉団子)スープのランチ。大学構内のカンティンにて。

 

日系企業でワークショップ実施

一週間前になるが、9月2日、ジャカルタから少し離れた日系企業で、インドネシア人従業員を対象にした1日ワークショップを実施した。

参加したのは、同企業のスーパーバイザークラスの中堅職員24名。同社の日本人幹部からは、近い将来、日本人職員に代わって会社の中核を担ってもらいたい人材である。

今回のワークショップでは、会社経営の観点から自分たちは何をすべきか、それをどう行っていくかというテーマで進めた。

いつものように、会社のなかのよい点とよくない点を挙げてもらって、取り組むべき課題を明らかにしたうえで、その課題解決のために何をするかを具体的に議論する方向で進めようとした。

ところが・・・。というか、予想どおり・・・。

よくない点を挙げてもらったら、結局、会社への不平・不満が噴出した。そのほとんどは、日本人職員の存在に対する不満であった。

しかし、ちょっと議論を促すと、果たしてそうした日本人への不平・不満が事実に基づいたものであるのか、単なる彼らの思い込みによるものなのではないか、ということに参加者が気がついた。彼らが良くないと考える根本が事実でなかったら・・・。そして、事実かどうかを確かめるためには、日本人側とのコミュニケーションを取らなければならないことに気がついた。

ではどうするか。日本人側への要求ではなく、自分たちがどうするか。それを議論してもらった。その結果、彼らは一つのあるプロポーザル案を作り始め、それを人事部を通じて日本人幹部へ提出することになった。

ずいぶんと議論し、整然としたワークショップにはならなかったが、彼ら自身が自分たちで考えたこの時点でのプロポーザル案をまとめられたことで、ワークショップとしての一つの形を保つことができた。

後は、彼らのプロポーザルが社内でどう扱われるか、である。個人的に楽しみである。

2015-09-02 17.06.19

 

ワークショップ進行役(2015.1.28)&バンコク(2015.1.29-1.31)

今週は私の誕生日から始まりましたが、怒涛のような一週間でした。ふーっ。

1月27日に某日系企業でインドネシア人職員を相手に、インドネシア語で午前午後2回の講演&ワークショップを行なったことは、一つ前の活動報告で書きました。

翌28日は、経済産業省主催の「インドネシア日本、新たなパートナーシップ」(知日派セミナー)と題するワークショップで、午後の経済分科会のパネルディスカッションにおいて、日本語とインドネシア語で進行役を務めました。

パネルディスカッションなので、台本はなく、パネリストがどんなことを話すかも予め分からず、出たとこ勝負。果たして、3時間の間にうまくまとまるのかどうか、ハラハラのし通しでした。

それでも、中身のある議論をしたいと思ったので、パネリストの話した内容を咀嚼しながら、議論を深めようと努めた結果、「インドネシアの製造業競争力強化のために、インドネシアと日本が協力して人材をどのように育てるのか」という一点に絞った議論とならざるを得ず、他の想定トピックは割愛せざるを得ませんでした。いったい、会場の200名以上の出席者の方々には、どのように受け止められたのでしょうか。

これだけでもうヘロヘロで、終わった途端にどっと疲労感が溢れかけていたのですが、すぐに気を取り直し、休みもとれないまま、ワークショップのレセプションでも進行役を続けました。パネルディスカッションと比べれば、こちらはずいぶんと気が楽。

2人の友人に登壇してもらい、TEDx風にプレゼンをしてもらいました。2人ともインドネシア人と日本人のハーフで、両者の架け橋になるという思いをプレゼンに込めてもらいました。これからの新しいインドネシアと日本との関係の拡大・深化のなかで、彼らのような両者を体現する方々にどんどん活躍していただきたいと願いました。そして、進行役の私は「彼らこそがインドネシア=日本の未来そのものです」と叫んでしまいました。

28日のワークショップとレセプションが終わったら、もうダメでした。27日から連日の疲労がどっと押し寄せ、ベッドの上に横たわったら、翌朝まで眠り続けてしまいました。

29日はジャカルタからバンコクへ移動。同乗したジャカルタの英国国際学校の生徒たちが機内で大騒ぎしていたため、ゆっくりと休むこともできないまま、バンコクに到着。

夜は、束の間の楽しみでした。以前の職場の後輩や知人たちと久々に再会し、沖縄料理屋で飲んで語り合いました。私も含めて、以前の職場を離れてから様々なことがありました。でも、こうやって集まると、あたかも昨日も会ったかのような気分になれるのは、本当に嬉しいことです。ただし、疲労困憊の身に泡盛はちょっと辛かったです。

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30日は、バンコクで朝から夕方まで会議。アジア各国で活動するジェトロの中小企業海外展開現地支援プラットフォーム・コーディネーターが一同に会した会議でした。会議の内容はともかく、素晴らしい方々に出会えて、とてもよい刺激になりました。

さて、今日(31日)は、バンコクからジャカルタへ向かいます。今晩はジャカルタで1泊し、明日、来客アポを1本こなしてから、夜便でスラバヤへ戻ります。その後は、少しゆっくりしたいです。本当に。

 

日系企業での連続講演(2015.1.27)

1月27日は、ジャカルタから車で2時間のチレゴンへ行き、某日系企業に依頼された講演を午前・午後2回にわたって行なってきました。

内容は、どのようにして社内のコミュニケーションを改善して働きやすい職場を創っていくか、というテーマで、午前中は管理職・マネージャー、午後は一般職員を相手に、ほぼ同じ内容でインドネシア語での講義を行いました。

内容については差し控えますが、一方的な講義ではなく、参加者とやりとりをしながらの講義、というかワークショップに近いようなやり方で進め、参加者の気づきを促そうと努めました。

ただし、午前と午後ではテーマに対する反応が異なり、企業における責任の所在、帰属意識の大小の違いが現れたものと理解しました。

たとえば、事例討議で、「ある職員の子どもが産まれそうなのだが、その職員は、会社にとって必須の会議に必ず出席するように社長から命じられている。その職員は妻の出産に立ち会えないことに憤っている。このケースの場合、社長の命令は間違っているか」という問いを投げかけました。

管理職・マネージャーは「それはやむを得ない。その職員は妻に了解してもらって会議に出るべき」と答えましたが、一般職員は「その職員がかわいそうだ。社長は間違っている」と答えました。その後、色々議論を深めて、社長は最後まで代替案を探そうと努めること、妻には納得してもらうこと、出産に立ち会えずに必須の会議に出てほしいと言われたその職員は会社にとって不可欠な人材であることを認識すること、などが事前の解決策として出されました。

実は、この日は、3時間ぐらいしか寝ておらず、午前・午後、集中して参加者と議論を進めるのはかなりきついものがありました。実際、午後は、ちょっと気を許すとボーっとしてしまいそうな状態で、何とか最後まで緊張感を持ち続けられたのは本当にラッキーでした。

さて、今日(1月28日)は、午後に「日本=インドネシアの新パートナーシップ・シンポジウム」(知日派セミナー)で、日本語・インドネシア語でのバイリンガル進行役を務めます。昨晩は6時間ぐらいは眠れたので、何とか、最後まで持ちこたえられるといいのですが。

 

Alfa Martの赤い端末

一昨日(5月27日)、近所のAlfa Mart(インドネシア地場のコンビニ)へ行ったら、ATMの脇に赤っぽい箱のようなものが置いてあった。よくみると、赤い端末である。

ちょうど、スマラン行きの鉄道の切符を買いたかったので、操作してみた。端末の指示に従って、出発日や行先を入れていき、最後に支払いのところまで来た。

けっこう、いけるじゃん。と思ったら、最後が難所だった。自分のID番号を入れるのである。それがすべて数字。

私のKITAS(外国人一時滞在証)IDにはアルファベットが混じっており、入力できない。というか、一般の旅行客はこの端末で鉄道の切符は買えないのだ。パスポート番号にもアルファベットが交じるからである。もちろん、インドネシア国籍で住民登録番号を持っている人ならば買えるのだろう。

しかたないので、レジに行き、店員にKITASを渡して登録してもらい、無事に鉄道の切符を買うことができた。

今日(5月29日)は、来週、マカッサルへ行くライオン航空のチケットを買ってみた。まず、自分のパソコンでインターネット予約し、それをAlfa Martで買えるように指示。3時間以内に購入せよとのメッセージが出る。

Alfa Martへ出向いて、再び赤い端末へ。ライオン航空のところをタッチし、インターネット予約で出されたAlfa Mart用の予約数字番号(ブッキングコードではない)を入力。すると、「あなたの待ち合わせ番号は21番です」といった表示が画面に出る。でも、日本のようにレシートのようなものが出てくるわけではない。

しかたないので、レジのお姉さんに「ライオン航空の待ち合わせ番号21番ですよ」と告げると、「はい」と答えがあって、レジの横の端末で購入のための処理をしている。「あ、番号が消えちゃった!何番でしたか?」とお姉さんの声。もう一度、赤い端末に入力してやり直すと、待ち合わせ番号は22番になった。

今度は大丈夫。と思ったら、「もう一度入力番号を教えて」と言われて再々度伝える。待つこと5分、代金を支払うと、ようやくレシートが印刷された。そして、ほどなく、メールで電子チケットが送られてきた。

日本のコンビニに比べれば、とても質素な感じの赤い端末。でも、これでまだ十分なのかもしれない。インドネシアでの展開を模索している日本のコンビニは、こうした状況にどう切り込んでいくのだろうか。

ウォノギリ県の熱血県知事

4月3日、ある企業の方と一緒に中ジャワ州ウォノギリ県へ行った。

ウォノギリ県はソロ(スラカルタ)市から南東へ車で約1時間半、山がちの地形で、出稼ぎの多い貧しい地域として有名だった。若い女性は、ジャカルタなどで家事手伝いやベビーシッターとして働き、男は工事現場などで単純労働力を提供した。経済が発展する現在、ジャカルタ周辺の工場労働者となる者が増えたという。

実際、ジャカルタ=ウォノギリ間には直行バスが何本もある。地元では雇用機会が少なく、夜行バスでジャカルタへ出て働き口を探す。ウォノギリ出身者は、人口圧の高く、雇用機会の乏しいジャワの農村からジャカルタなどの都会を押し出されていく典型的な労働力とみなされていた。

それでも昨今、渋滞や洪水、賃金上昇など、ジャカルタ周辺の投資環境が悪化するなかで、低い最低賃金を求めて中ジャワ州へ企業移転を図るケースが増えてきた。それでも、昔のイメージが強かったからか、ウォノギリ県は取り残されているのではないかと思っていた。

実際は違っていた。貧しくて可哀想なウォノギリ県の姿は影を潜め、企業移転を積極的に受けようとする姿が印象的だった。

企業の方は、ウォノギリ県知事のダナル・ラフマント氏とアポを取ったということだったが、実際に行ってみると、アポは全く取られていなかった。急遽、10分でもいいから会えるようにと、企業の方の知り合いの方が動いて、県知事と会えることになった。

指定場所へ行くと、先客がいた。韓国系企業の方々だった。西ジャワ州かスバンからウォノギリへ工場を移転するという。彼らはすでに3回、ウォノギリ県を訪れており、今回で用地取得の青写真がほぼ決まったようであった。

彼らとの会合を終えた県知事が我々に会ってくれることになった。10分と思っていたが、30分大丈夫とのこと。「韓国系企業は5社程度が頻繁に訪れている」とのことだった。

県知事によると、人口120万人のウォノギリ県のうち、20%が出稼ぎで出ているが、彼らは、「もしウォノギリ県に工場のような雇用機会があればウォノギリで働きたい」という。5月に女性下着を製造する工場、7月に合板工場が操業を開始し、合わせて4000人以上の雇用機会が生まれる予定である。

県内には石灰石が豊富で、セメント工場ができる予定であり、インド洋側にできるそのセメント会社のジェッター付きの港を他企業も利用できるようにする。

ウォノギリ県政府は投資誘致のためにどれぐらい協力的なのか。筆者自身のスラウェシなどでの経験からすると、発展から取り残された投資の来ない地域では、企業投資は役人や地元有力者にとっての格好のたかりの対象になる。ウォノギリ県もそんな要素があるのではないか。色眼鏡で見てしまっている自分がいた。

しかし、次のような県知事の答えにびっくりした。

投資を予定している企業とは、県知事が投資局はじめ関係する県政府機関のトップを一同に集め、投資に必要な許認可や手続についてプレゼンをさせ、それらが何日で終わらせられるかをその場で明言させる。それ以後は、県知事が先頭に立って、許認可や手続などで不都合が出てくればそれを責任をもって解決していく。

ここまでは、威勢のいい県知事ならどこでも言いそうな話だ。でも、一番問題になるのは、用地の取得である。通常は、地権者と企業との間で交渉しなければならない。ところが・・・。

ウォノギリ県では、県知事が前面に立って地権者である住民を説得するというのである。県知事が挙げた事例によると、16ヘクタールの土地を用地として取得したいが、36人の地権者がいる。そう聞いただけでちょっと絶望的な気持ちになるが、県知事が地権者を説得し、わずか2週間ですべての地権者を同意させたのだという。

これは、通常ではあり得ない話ではないか。インドネシアではどこでも、用地買収が困難でインフラ整備が進まない。地権者は地価の値上がりを期待して、なかなか土地を手放そうとしない。

県知事は、工場が来ることで従業員の下宿屋ができ、食事をするワルンが栄え、地域経済への様々な乗数効果が上がることを具体的な数字で示したという。別の事例では、最初は1平方メートル当たり30万ルピアと地権者が言ってきた地価が、このような県知事の説明で地権者が納得し、なんと同11万ルピアへ下がったというのである。

県知事は、我々を前に、30分どころか、1時間以上も熱弁を振るった。そこには、貧しい出稼ぎの地と言われたウォノギリのイメージを変えてやるという、「熱血」県知事の強い意思が現れていた。

県知事は、自ら村々を回って、「工場で働かないか?」とリクルート活動までやった。

そしてまた、ジャカルタなどへ働きに出ている出稼ぎ者に帰ってきてもらうことで、ジャカルタの都市問題の解決にも役立ちたいとも言うのである。彼はジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事とも親しいが、彼が大統領になったら、各地方に産業を起こすことを提案したいと言った。

実は、県知事と会った後、別の筋から、ウォノギリ県では800ヘクタールの工業団地建設構想があることを知った。すでに民間が用地を確保しているらしい。

筆者は、ウォノギリ県知事だけが突出しているわけではないことを知っている。中ジャワ州南部は、11月末に訪れたプルバリンガ県なども含めて、ジャカルタ周辺からの繊維関連企業などの工場移転ブームに呼応しようとしている。いい意味での自治体間での投資誘致競争が起きているといってもよい。

ウォノギリ県の2014年最低賃金は月額95万4000ルピア、まだ1万円にも満たない。ウォノギリ県への企業移転に絡む話で日本人が県知事に会いに来たのは今回が初めてとのことである。

インドネシア、とくにジャワ島の地方は動いている。首都ジャカルタは、このダイナミズムを知らない。いや、もしかしたら、「知ろうとしない」のではないか。それは言い過ぎかもしれないが。

外資参入は緩和される方向へ(2013.11.10改訂)

11月7日付コンパス紙によると、インドネシア政府は12月末までに投資ネガティブリストの改訂を終える予定。従来の予定より数カ月遅れとなっており、外資参入条件の緩和を目指す経済調整大臣府と各省庁との間で、調整に手間取っている様子がうかがえる。

ネガティブリスト改訂に当たっての原則は以下4点とのことである。すなわち、

(1) 目的は投資促進。
(2) 改訂前より制限的なものにしない。
(3) 1つの分野は1省庁による規定とする(複数省庁にまたがるのを避ける)。
(4) 零細中小企業分野、農業分野は国内向け保護対象として確保。

まだ議論の最中でファイナルではないが、現段階で、以下のような外資規制緩和を計画していることが明らかにされている。

(1) 空港管理運営、港湾管理運営、空港サービス管理運営は100%外資可能(資産ではなく、管理運営のみ)。
(2) 陸運旅客・貨物ターミナル管理・運営は49%まで外資可能(以前は外資参入不可)。
(3) 自然を生かした観光事業の外資比率は49%までから70%までへ。
(4) 被覆付通信業の外資比率は49%までから65%までへ。
(5) 製薬業の外資比率は75%までから85%までへ。

<投資調整庁長官発言>(2013.11.09 追加)
・水産業の外資比率は30%まで
・広告業の外資比率は51%まで(ASEAN企業優先)
・ベンチャーキャピタルなど金融業への外資参入規制緩和
・自動車状態点検業への外資参入規制緩和
・映画配給業、病院業への外資参入規制緩和
(出所)Bisnis Indonesiaより

(2013.11.10 追加)
・映画配給業は外資比率は49%まで。

これらの外資緩和の背景として、政府は、単にインドネシア国内市場だけを目的に来る投資ではなく、インドネシアを生産拠点として、海外へ輸出するための投資を歓迎するとの意向を示している。

一方、同じ記事の中で、銀行業や農園業における外資の支配が高まっているとの警告も発している。今回の外資規制緩和が明確な産業発展戦略に基づいて議論されているものなのかどうか、という疑問も呈している。

筆者としては、上記の議論の方向が国際収支改善・マクロ経済安定との接点を意識したものであり、必ずしも場当たり的なものではないとの印象を受ける。とくに、外資に対して、経済ナショナリズムの風潮が高まる印象を与えないように気を使っている点が注目される。

とはいえ、来年の総選挙・大統領選挙を控えて、人気取りのために、経済ナショナリズム意識の高揚を図ろうとする動きは出てくることになろう。インドネシアは、ここにきて急速に自信を持ち始めている。もう自分たちでできる、という過信さえ首をもたげ始めている。

ただし、以前と違うのは、それをイデオロギー的に進めようとしても、自分の本当の実力を省みる冷静さも持ち合わせていることである。外国支配、という意識の裏に、被植民地意識の根強さを感じる。外資もまた、「インドネシアを支配するのではない」というアピールをもっとするために、現場で現実にインドネシア人・社会との接点をもっともっと持ち、インドネシアでインドネシアのためになる、という姿勢を見せていく必要があると考える。

 

好き好んでインドネシアへ来た訳ではない方々へ

昨日、友人と話をしていて気づいたことがある。私のこのブログを読んでいる方々は、ある程度、日本とインドネシアとの関係について、それをどのようにしていったらよいか、考えている人であろう。しかし、今、日本からインドネシアにやって来る方々のなかには、自らのことで頭がいっぱいで、インドネシアのことを考える余裕のない方々もかなりいるのではないか。

好き好んでインドネシアに来た訳ではない、会社の方針で仕方なく来た、という方も少なくないと聞いた。多少言葉は悪いが、「来てやったんだ」という気持ちでインドネシアにおられる方もいるだろう。そして、彼らに対しても、「業績を上げよ」というプレッシャーが日本から矢のように飛んでくる。心静かでいられるわけもなく、イライラせざるを得ないことだろう。

そんな方々は、自分より下のもの、弱いものに対して強い態度を示すことによって、自分の不安定な心持ちやストレスを発散させなければ、やっていけないかのような気持ちに陥る。日系企業であれば、インドネシア人スタッフに対して居丈高に振る舞ったり、見下したりするような場面もあるかもしれない。

インドネシア人スタッフは、表面上はそれに従うかのように振る舞う。「どうしてこの日本人は怒りっぽいのだろう」と疑問に思いつつ。でも、実は内心では、居丈高に振る舞ったり見下したりする日本人を「残念な人」とシニカルに見ている。積極的に彼へ協力はしないが、何らかの危害を加えない限りは、それなりにお付き合いはする。このような表向きと裏の異なる状態がずっと続き、インドネシア人スタッフは、会社への貢献よりも給料を上げてくれることのみを求める方向へ動いていく。いつか爆発しそうな状況を保ちながら。

こうした日本人に、「もっとインドネシアのことを学んだほうがいい」と言っても、なかなか聞き入れられない。ここは他所の国で、日本ではないという基本認識はあっても、「日本」から出られない。「日本」を何とか維持しようとして、居丈高に振る舞ったり見下したりしながら、インドネシア人の日本人への信頼感や尊敬を失わせていく。

そんなことを、友人と話しながら思った。でも、本当にそんな日本人がインドネシアにたくさんいるのだろうか。にわかには信じられないが、日本企業の進出が増えれば増えるほど、そうした日本人が増えてくるということは想像できる。インドネシアについての事前準備なしに来てしまうケースもあるだろうからである。

そうした方々は、おそらく、私のこの拙いブログを読んでいただくことはないのかもしれないし、私の講演やワークショップやニュースレターにも関心を持っていただけないことだろう。いくらこちらから発信しても、そこにはなかなか届かない。こちらの届かないところで、そんな動きが増殖していないことを祈るばかりである。

でも、今からでもかまわないので、もしも、インドネシアのことをもっと知りたい、彼らの本音を知りたい、と思うことがあったら、いつでもいいので、私までコンタクトしてきて欲しい。時間の許す限り、そうした方のところへ飛んでいこうと思う。

ジョブローテーションの誤解

ある日系企業に勤めるインドネシア人の方とたまたま話をする機会があった。聞くと、転職を考えている様子だった。

さらに聞くと、企業のなかでいろいろな部署を数年でどんどん替わっている様子。「自分は仕事ができないから部署を替わらされているのではないか」という本音がホロッとその人の口からこぼれ出た。

話を聞いて、これは典型的なジョブローテーションだと思った。日本の企業では、様々な部署を経験して、会社全体が見渡せ、部署間の有機的関係が理解できる人材を育てるために、ジョブローテーションは普通に行われている。そうだとするならば、その日系企業はその人を管理職候補として育てるために、ジョブローテーションをさせているに違いない。

転職したいと言うその人に、「今までに、仕事がうまくいかなかったり、上司とトラブルになったことがあった?」と優しく問いかけてみた。「そういえば、そんな心当たりはない」という答え。「もしかしたら管理職候補生として期待しているのではないかな?」と続けると、しばらく間が空いた後、ハッと気がついたような表情をして、その人の目が潤んだ。

その人は、ずっと、自分は能力がないから部署をどんどん替えられたのだと信じていた(実際、インドネシアの国内企業ではそんな状況だという話を私は聞いたことがある)。けれども、もしかすると、企業側はそんな風には思っていなかったのかもしれない、ということに気づいた。企業のために役に立っていないと思い込んでいたその人が、実は期待されていたのかもしれない、と思えた瞬間の涙だった。

その人と話をしながら私も気づいた。日系企業で中堅幹部職員の人材育成が難しいという話の原因の一つは、このジョブローテーションの誤解にあるのではないか、と。日系企業側は、日本流にジョブローテーションをしながら幹部候補生に育てようとするが、当人たちにその意図が伝わっておらず、部署を替わるたびに企業から認知されていないという思いを当人たちが持ち、給料以外の評価基準を意識できなくなって、転職へ向かってしまうのではないか、と。

前に会ったインドネシア人の方は、仕事に給料以外の価値観を持っていなかった。果たして、日系企業で働くインドネシア人従業員たちは、自分たちの作っている製品がどのような社会的価値を持ち、いかに重要な仕事をしているのか、という意識を持てているのだろうか。

たとえば、ネジを作る工場で、そのネジがないと二輪車が完成しない重要な部品であること、そうした部品を作っていることを通して、従業員に誇りを持たせる。中堅幹部職員は、重要な役割を果たす現場従業員がいなければ企業や自分の存在が成り立たないことを理解して、従業員を適切な形でリスペクトする。企業や中堅幹部職員は、それを言葉で伝えるのではなく、一生懸命働いて結果を出したときに、従業員にそっと飲み物やスナックを振る舞う。そんな間接的な振る舞いを通じて、従業員たちは「自分たちがきっちりと見られている」「分かってくれている」と自ら認識するだろう。こうした、さりげない対応は、実はインドネシア人(とくにジャワ人)の得意とするところのはずである。

社員を大切にする、というのは、ほとんどの日系企業が日本で行ってきたことである。そして、インドネシアでもまた、社員を大切にしているというメッセージを、さりげない対応を含めながら、シグナルとして発信していくことが重要になると思う。

果たして、ジョブローテーションの誤解が解けた先のインドネシア人の方は、これからどのようになっていくだろうか。「月曜日の朝会で今日の話を仲間にしてみます」といって、その人は去っていった。

ブラウィジャヤ大学での特別講義

5月18日、朝5時起きして、スラバヤから車で2時間のマランにある国立ブラウィジャヤ大学へ行き、日本語学科の学生を対象に「インドネシアの日系企業」という題で特別講義を行ってきた。

集まった学生は約120人、正直言って、かなりたくさんの学生が日本語を勉強していることに改めて驚いた。聞くと、ほとんどが日本語検定3〜4級程度、2級以上の学生は少ないようだ。2級以上になれば、そのほとんどが日系企業に就職できている。

床に薄いカーペットを敷いて座る形。考えてみれば、日本もそうだが、椅子はもともと外から持ち込まれたもので、床に座って、低い机に向かって学んだり作業したりするのが一般的にみえる。

かつて、マカッサルにいたとき、我が家の4分の3を地元の若者たちの活動に開放した際、彼らの運営する図書館(実はマカッサルで最初の民間図書館といってもよかった)では、床に座って低い机で本を読む形式だった。椅子は夭死していたにもかかわらず、である。

ブラウィジャヤ大学の学生たちは、床に座る形式のほうがリラックスして和やかな雰囲気でよい、という。たしかにそう思う。私の特別講義も、いつもより容易に笑いがとれ、リラックスした気分で行うことができた。

ブラウィジャヤ大学の日本語学科は、日本語検定2級取得を目標としている。講師陣も充実しており、日本人の講師の方が2名活躍されている。大学では4年時点で実地研修(KKN: Kuliah Kerja Nyata)を数ヵ月間行うが、将来の自分の職業に合わせて、学生が自分で探す。日本語学科の学生たちは、日系企業でのKKN受入を希望しており、実際、経験者もいるようだ。

また、ブラウィジャヤ大学は、株式会社ニキサエ・ジャパンと協力して、スカイプによるインドネシア語講座を開設している。最近、じゃかるた新聞などでも取り上げられた。

日本インドネシア語学院

学生は講義をとても熱心に聞いてくれ、質問も活発だった。情報が行き交っているためか、以前に比べると、的外れな質問は本当に少なくなった。日本があこがれの国であることは確かだが、かつてのようなステレオタイプな日本イメージがいい意味で変わっていく様子がうかがえた。

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