友人とスラバヤ街歩き(2)

プネレ墓地周辺を歩いた後、スラバヤ街歩きの友人I氏のバイクにまたがって、スナン・アンペルへ行きました。ここは、アラブ人街として知られているところで、観光地としても人気があります。

まず、スナン・アンペル地区の地区長をすでに30年以上も務めている、町の顔とでもいうべきC氏にご挨拶。普通ならば地区長に型どおりの挨拶をして、すぐに歩き始めるのですが、C氏はとても話好きで、スナン・アンペルに関する話が止まりません。友人I氏ともとても親しい様子です。

しばらく歓談して、友人I氏と歩くのかと思ったら、C氏も一緒について来てくれることになりました。私はスナン・アンペルは2回目の訪問だったのですが、実際、スナン・アンペル地区の主ともいうべきC氏と一緒に歩くと、また違ったものが色々見えてとても面白かったです。

C氏の家がある通りは下の写真のようなのですが。

一つ向こう側の通りに入ると、店が並んで人通りが多くなります。

スナン・アンペル大モスクの裏にも行ってみました。前回は行かなかったところです。人で溢れています。参拝者は24時間訪れ、とくに休息日の金曜の夜はたくさんの参拝者で大にぎわいとなるようです。

モスクの敷地内にあった古い墓は、墓標のみを残して、柵の向こうに新たに移されました。

人々が「聖水」の入った壺に群がっています。でもC氏によると、その聖水たる所以は明らかではなく、飲用に適するのかどうかを計ったこともないので、その辺のただの水ではないか、それを有難がって飲んでいるのはよくわからん、と言っていました。

敷地の隅にチャオ氏の奥さんの家族の墓があります。チャオ氏は華人系でアンペル地区の地主の一人です。

アンペル地区の最大の地主だったのは、アラブ系のバスウェダン一族で、現在、ジャカルタ州知事選挙に出ているアニス氏はその子孫にあたります。

スナン・アンペル大モスクにつながる商店街とその入り口。

この入り口の門の欄干、AMPEL SUCIと書かれた両側を磨いたところ、ジャワ文字が彫られているのが最近発見されたそうです。でも、古代ジャワ文字なので、まだ解読されていないのだとか。

商店街の中にある小さな礼拝所。電光掲示板の数字もアラビア語表記です。ふと見ると、右側にあの人の来訪を告げるビラが貼ってありました。

スナン・アンペル地区も、古い建物が壊され、新しい建物に建て替えられていますが、古い建物もまだ残っています。その一つは、香辛料の販売と調合を行う店でした。香辛料を調合したマサラコーヒー(Kopi Rumpah)も売っています。

実は、私もよく行った、ジャカルタの某有名インド料理店で使うスパイスは、この店から供給されているのだそうです。先代がインド人からスパイスの調合の仕方をじかに習って習得したとのこと。

スナン・アンペル地区を歩いて、最後は、50年以上前からあるという、サルカムという小食堂で緑豆カレー(Gulai Kacang Hijau)。でも豆だけでなく、肉(おそらくマトン)も一緒に入っており、マリヤム・パンと一緒に食べました。C氏は、パンをちぎってカレーの中に入れてから食べよというので、そうしてみました。うーん、美味しい。

C氏にお礼を言い、I氏のバイクにまたがってホテルまで送ってもらい、今回の街歩きは終了しました。スラバヤには、まだまだ自分の知らない面白い場所がありそうで、今後も機会があれば、街歩きを続けたいと思います。

そして本日(4/2)夜、スラバヤまで迎えに来てくれた別の友人の車に乗せてもらって、マランへ到着しました。

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