スラバヤの3教会自爆テロに思うこと

滞在先の東ジャワ州バトゥ市で5月13日朝、同州の州都スラバヤ市の3つの教会で自爆テロがあったとの報道を知りました。その後も、用務の合間、報道を追いかけていました。

5月13日は日曜日で、日曜の朝のキリスト教の教会と言えば、もちろん日曜礼拝があります。たくさんの信者が集まる日曜礼拝の時間を狙った事件でした。

警察発表によると、3つの自爆テロは、ISに合流してシリアから戻った一家族による犯行だったとのことです(注:後に、警察は、「シリアへは行っていなかった」と訂正しました)。父親、母親と二人の幼児、息子2人が別々の教会を襲い、多数の人々を巻き添えにして、自爆しました。

この事件で注目される点が3点あります。

第1に、複数箇所への同時多発自爆テロだったということです。同時多発テロを行うには、複数のテロリストが連絡を取り合いながら犯行するものですが、どこかでその兆候を治安当局に見つけられると、中止となるか単発で終わります。同時多発テロは、それが起こればテロへの恐怖は一気に増します。治安当局は、テロリスト間の情報の傍受でそれを未然に防いできたものと思われます。

でも、今回は、同時多発テロが起こりました。それは、第2に、犯行が一家族によって行われたためです。

一つの思想に染まった家族が、実行してしまった今回のケースは、幼児や10代の子どもを引き連れて実行された点で、世界に大きな衝撃を与えています。なぜ、この家族はこのような犯行を行うに至ってしまったのか、そこへ至るまでに何かできなかったのか。社会からの疎外感が彼らを過激思想・カルトへ走らせたとしたら、それはなぜなのか。

過激行為を未然に防ぐためにも、社会が考えなければならない課題のようにも思えます。

そして第3に、場所がスラバヤだったということ。スラバヤの治安の良さは、警察の能力の高さと評価されてきました。ジャカルタで何か事態が起こると、スラバヤから警察が応援に派遣されることが常でした。スラバヤの治安状況がインドネシアのそれのバロメーターともみられてきました。

そのスラバヤで今回の事件が起こったということは、治安面を見ていくうえで大きな意味を持ちます。すなわち、スラバヤがバロメーターであるという前提が正しければ、この種の事件はインドネシアのどこでも起こり得ることになるからです。その意味で、スラバヤの警察のプライドを大きく傷つける事件でもありました。

筆者が危惧するのは、こうした流れを利用しようとする政治勢力が現れてくることです。とりわけ、現段階で再選が有望と見られる現大統領を追い落とすためには、どんな手段でも活用したい勢力が、このような事件を利用して世間に恐怖心を煽って自分たちへの支持を半ば強制するのではないか、という危惧です。

もっとも、現時点では、活動禁止処分を受けたHTIも含め、自爆テロを厳しく批判する声明が次々に出されています。他方、SNS上でテロを支持・擁護するような発言を見かけたら警察へ告発する、というような動きが早くも始まっています。

こうした自由で公正な発言や議論を妨げるような動きは、政治的に対立するどちらからも現れてくるものと見られます。

スラバヤの悲劇に対して、インドネシア各地で連帯の表明が相次いでいます。それは、亡くなった方への追悼、負傷者への献血に駆けつける市民、宗教の違いを超えた集会の実施など、またたく間に広がっていきました。

今日、一連の動きを追いかけながら、時々泣きそうになる自分が居ました。そして、3年間住んだスラバヤのことが、自分にとっても大切な場所になっていたことに改めて気づきました。

友人や知人の安否を確認し、無事の知らせにホッとしている自分。そして、友人から送られてきた、まったく客のいないギャラクシーモールの写真に、今回の事件の市民へ与えた心理的影響の大きさを感じずにはいられませんでした。

筆者はスラバヤを信じています。スラバヤが今回の事件で揺らぐことはない。スラバヤはスラバヤであり続ける、と。今後も、スラバヤの友人や知人を信じ続け、彼らと会うためにスラバヤに行き続けること、を誓います。

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