ふくしま「ふるさと写真の日」展オープニング

2月6日の夜、都内で開かれた、ふくしま「ふるさと写真の日」展オープニングパーティーに参加してきました。

私の懇意にしている福島市のコーヒー店・椏久里のマスターがこのイベントの実行委員となっていて、お会いしたいと思ったのが直接の理由です。

東日本大震災後6年が経過しようとしている中、長い避難生活によって祖父母世代、親世代、子孫世代で大きく認識が変わりつつある「ふるさと」。そうした「ふるさと」という記憶の深い場所での大切なものたちとのつながりを「写真」を通して掘り起こし、その思いを根付かせ、育み、伝えていくプロジェクトの一環として、ふくしま「ふるさと写真の日」展が開催された、ということです。

このプロジェクトは、「親子の日」を提唱して親子の写真を34年間撮り続けてきた写真家のブルース・オズボーン氏に依頼し、相馬市、南相馬市、飯舘村、葛尾村、川内村において写真を撮影してもらい、その作品をそれぞれの人々の物語とともに展示しています。

このイベントは、東京(2/6〜2/12、Glocal Cafeにて)、郡山(2/14〜2/19、福島コトひらくにて)、福島(2/21〜2/26、コラッセふくしまにて)で順次開催されます。詳細は以下のサイトをご覧ください。

 ふくしま「ふるさと写真の日」展

実は、行ってみたら、椏久里のマスター以外に知っている方が一人もいない会でした。知り合いがいないので、マスターにくっついて、後ろの方でおとなしくしていましたが、だんだんに声を掛け合い始めると、高校の後輩や小学校の後輩などが次々に現れ、不思議な縁を感じました。

実は、今日、このイベントへ行ったのにはもう一つの目的がありました。会場の名前がGlocal Cafeという名前だったからです。どんなところだろう、という好奇心でした。Glocal Cafeのサイトは以下のとおりです。

 Glocal Cafe

なかなか素敵な空間でした。単なるカフェではなく、いわば公民館的な役割を果たせることを目的としていて、今回のようなイベントはまさにその目的に合致している、ということでした。

このGlocal Cafeを運営している会社の方々とも名刺交換をしましたが、私が「松井グローカル」の名前で活動していることを知ると、興味津々の様子。グローカルの定義は全く同じではありませんでしたが、目指している方向は同じでした。

語学書籍を出版している三修社も運営に関わっているとのことで、インドネシアやアジアのことにも精通している様子でした。同じグローカルを目指す者どうし、いろいろと協力してやっていけたらいいですね、という話になりました。

時々は、このGlocal Cafeに顔を出そうかと思いますし、ここで勉強会のようなイベントの開催も考えてみたいと思います。

企業メセナ協議会のイベントに出席してみた

先週は、公益社団法人企業メセナ協議会の主催する2つのイベントに出席しました。友人であるインドネシアの都市研究専門家のマルコ・クスマウィジャヤ氏が出ているので、彼に会いに行くというのも一つの目的でした。

1つ目は1月24日、「文化拠点と地域・コミュニティ:ケーススタディ&ワークショップ」というイベント。出席者が3つのグループに分かれて議論し、「過疎・高齢化の進んだ地方小都市で元庄屋の古民家を生かしてどのようなコミュニティ再生が可能か」というお題で、グループごとにアイディアを出し合う、というワークショップでした。

議論中に、マレーシアの都市コミュニティ開発機関シンクシティのディレクターであるダンカン・ケンプ氏と前述のマルコ氏がグループを回ってアドバイスを行い、議論終了後、各グループから出されたアイディアに対して2人からコメントをもらう、というものでした。

私の属したグループは5人と少人数で、ゆっくり話し合いをすることができました。メンバーは文化・芸術及びその振興活動に関わっている方々でしたが、驚いたのは、全員が地域・コミュニティの再生・活性化のための芸術・文化の役割について真剣に考えていらしたことでした。

よそ者が芸術や文化を外から持ち込んでも一過性のものにしかならない。それが何らかの持続的な変化を地域・コミュニティに起こしていくためには、何が必要になるのだろうか。現実の話として、地元の方々は自分達に負担がかからない限りにおいて、よそ者が文化イベントをやることは拒まないけれども、積極的によそ者の行事に関わるわけでもないのです。

今行われているビエンナーレやトリエンナーレは、それをやり続けている間に何か新しいものが生まれ、地元の方々にもその必要性が理解されて、持続性がいずれ確保されていくだろう、という根拠なき希望のもとに行われている、という指摘も出ました。

それじゃあどうするのか、と議論していてもなかなかいいアイディアは出てきません。そこで、原点に戻って、まず地元の人の話を丁寧に聞くことから始めるしかない。その話を聞いている中からその人が地域で生きてきた様々な知恵や生きざまや特技などが見えてくる。

その地元の人自身が気づかなかったり、忘れてしまっていたりしたものも、話を聞く中でいろいろと引き出されてくるかもしれない。そうやって、その人の生きてきた人生を敬い、肯定しながら、その人の持っている大事なものをもう一度認識する。そのようなプロセスを経ると、地元の人たち一人一人が、実は広い意味でのアーティストになるのではないか。

よそ者がアートを持ち込んで何かやるのもいいけれども、そこにいる地元の人たち一人一人が「アーティスト」であることを発見し、それを地域・コミュニティの中で生かしていくことが、アートが地域に根ざすという意味で有益なのではないか。

私のグループでは、そんな議論をゆるゆると続けていました。マルコ氏は「再発見」という言葉を使い、アートが地域の中で何かを始めるときに決定的に重要である、とコメントしてくれました。

私自身は、故郷の福島市で、古民家を生かした場づくりに関わることを考えており、このワークショップのお題に違和感は感じませんでした。今回のメンバーは、わずか1時間の議論では話し足りない、もっとずっと話をしていたいね、と言い合いました。素敵なメンバーに恵まれて、とても気持ちのよいワークショップでした。

2つ目は、1月26日の東京フォーラム「芸術・文化を振興する企業理念とは:インドネシア・マレーシア企業における展開に向けて」というシンポジウムへの出席でした。

このシンポジウムには、前述の2人に加えて、マレーシアからパフォーマンスアート協議会のアズミー氏、インドネシアから芸術振興財団代表のリンダさん、フィランソロフィー・インドネシアのレスマナ氏が出席し、各国における企業と芸術活動との関係について、話し合いを行いました。

それぞれの国の状況紹介がありましたが、やはり、観客動員数や認知回数といった短期的な成果を求める企業側と、芸術活動の社会への受容を長い目で見たい芸術家側との認識ギャップがなかなか埋まらず、日本の一部民間企業が行ってきたような長期的な企業メセナの視点がまだ十分に育っていない、という評価でした。

そういう日本にしても、かつての高度成長期とは逆の状況の中で、これまでのような形で民間企業が芸術振興にじっくり関わっていける余裕が少なくなってきているようにも見えます。これからメセナを高めていきたいマレーシアやインドネシアと、企業メセナをより成熟した社会の中で定着させたい日本との間で、どのような有意義な相互学習関係が生まれてくるのか、個人的にはなかなか興味深く聴かせてもらいました。

日本の芸術家のほとんどは民間企業の支援によって育てられた、とも聞きました。少なくともインドネシアでは、まだそのような状況にはありません。しかし、自分たちで何とか資金を工面し、小規模ながらコツコツと芸術活動を続けている小集団が全国各地に存在しており、その中には、目を見張るような技術を持った者たちも存在します。

地方政府は行事などの折に彼らを招いてパフォーマンスをさせたりしますが、あくまでも行事に彩りを添えるものであり、パフォーマンス自体を芸術的に評価して深めさせようという意識はまだ低いと言わざるをえません。

それでも、民間企業が少額ながら寄付をし、それらをかき集めて、地方政府からの支援なしで実施するようなイベントも現れました。その一つが、私の仲間がインドネシア・マカッサルで毎年開催しているマカッサル国際作家フェスティバル(MIWF)です。今年も5月17〜20日に開催されます。このMIWFでは、実は私も、5年前から、インドネシア東部の若手有望作家を発掘するセッションのスポンサーを個人的に続けています。

今回のイベントは、東京オリンピックを前に、マレーシアやインドネシアなどの文化活動の勢いを日本へも取り込み、日本の地域をアートで元気にしたい、それを企業が支援していけるようにする、という目的があると感じました。

私としては、その対象を日本だけでなく、外国と結びつけることで、日本の地域だけでなく外国の地域でも、新たなアートが生まれ、それがきっかけとなって日本のローカルも外国のローカルも一緒に活性化し、再生していくという動きが生まれる、という方向性もぜひ考えてほしいと思いました。

そう、もっともっと、国境を越えた、地域に根ざしたアートの結合と新たなアートの様々な創造が起こってほしいし、起こしてみたい、と思いました。

ポレワリで出会ったこんなモノ

今回のカカオツアー中、滞在先のインドネシア、西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県で、こんなモノに出会いました。

ポレワリ・マンダール県のウォノムルヨ市場で見たのですが、頭の上にリボンの付いたヒジャブが2体並んでいます。
リボン付きを見たのは初めてで、しかも、右のはキティちゃん(偽物?)の柄です。
「見てるんじゃないわよ!」とでも言いたげな眉毛のマネキンさんも、ちょっとした迫力です。
リボン付きのヒジャブを身につけた女性をまだ見たことはありません。もし、街中で見かけた方がいらしたら、私にもお知らせください。

エドワード・ゴーリーは面白い

今回の福島への帰省の目的の一つは、福島県立美術館で開催されている「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密展」を観に行くことでした。前から観に行きたいといっていたのは娘で、家族3人と東京から帰省中の姪の4人で観に行きました。

左側が福島県立美術館。右側は福島県立図書館

観る人を不安にさせる絵。無表情な人物の顔。シュールな話。ナンセンス。脈絡のなさ。作品から何かポジティブなものを無理やり読み取ろうとすると、それは軽く肩透かしを食らう。

何にでも意味を見い出そうとする人は、何のための作品なのか分からない、と思うかもしれません。でも、作品を作品として純粋に楽しめばよいのであって、むしろ、何にでも何かしらの意味を見出さなければならないという態度のほうが、時には実は意味がないのかもしれない、なんてことを思わせるようなひとときでした。

とりわけ、招かざる客として描かれたうろん君の、食事だけでなく皿まで食べてしまう姿はとても気に入りました。

うろん君!

展示されていた作品は比較的サイズが小さく、近寄ってみることで、絵の中にいろいろと面白い発見がありました。ゴーリーはどんな表情で、どんなことを考えながら、作品を作っていたんだろうか、なんてことが、クスッと思い浮かびました。

エドワード・ゴーリーはなかなか面白い! 予想していたほど、不安で暗い気持ちにはなりませんでしたが、あの乾いた面白さは得難いものでした。

福島県立美術館での「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密展」は8月28日までで、そのあとは、下関市立美術館で9月8日〜10月23日に開催されます。2年間、日本国内の各地で巡回展を行う予定だそうです。

アンゴラ、ブラジル、福島を結ぶサウダージ

7月8日、友人である渋谷敦志氏の写真展を見てきました。渋谷氏とは昨年、ダリケー株式会社主催のカカオ農園ツアーをご一緒して以来のお付き合いです。

今回は「Saravá~Brazilian Journey~」と題する写真展でした。1990年代半ばから20年以上、ブラジルと付き合ってきた渋谷氏の軌跡を感じさせるような写真が展示されていました。

写真展は7月14日まで、新宿コニカミノルタプラザで開かれています。詳しくは以下のサイトをご覧ください。

 渋谷敦志 写真展「Saravá~Brazilian Journey~」

合わせて、渋谷敦志写真集「回帰するブラジル」も購入しました。この写真集、アンゴラから始まり、そのすぐ後からは、ブラジル各地で過去20年間に撮影した写真の数々が続き、最後は福島で終わる、というものでした。

この写真集を貫くキーワードは、サウダージというポルトガル語です。

渋谷氏によると、サウダージとは、過ぎ去った時間への懐かしさ、何かが満たされない寂寞、心にはあるのに触れることのできない哀切、それらをぎゅっと詰め込んだ言葉にならない思いを表すようです。

渋谷氏は、彼自身の20年を超えた付き合いをしてきたブラジルに対するサウダージを抱きながら、写真の対象としての人々それぞれのサウダージに思いを馳せ、それを写真の中に表現しようとしてきたのかもしれません。

彼の写真の中の人々は、今を懸命に明るく生きているとともに、それぞれの人生の過去と今後を思いながら生きている、そんな様子を垣間見せています。それは、写真の中の人々の表情、とくにその目に表れているような気がしました。たまたま出会った被写体の彼らに対して、渋谷氏は、人間としての尊敬をもって、彼らの人生を映しだそうと誠意を持って向き合っている様子がうかがえる写真でした。

彼自身の、そしてブラジルでの被写体の人々の、サウダージが溢れ出してくる写真。そして、最後にそれが、東日本大震災の時に津波で家を流され、家族を失いながらも、前へ進もうとされている福島・南相馬の男性をめぐる写真で終わるところに、サウダージという言葉の持つ深さを感じたのでした。

渋谷氏は次のように書いています。

ーブラジル、アフリカ、そして福島。異なる三つの大陸をまたぎ、海を越え、サウダージは、ぼくを「いま、ここ」に連れてきた。そこから見える光景はかつての自分が思い描いていたものとはずいぶん違う。悲しい到達地と言えるかもしれない。失われた風景はもう戻らないかもしれない。でも、そこには心が残っていた。それは、人間が根源的に持つ生きる意志を確かめさせてくれるような何かでもあった。そんな心のよりどころのような場所に幾重にも立ち返り、生命の在り処にカメラを向けることで、未来を光で照らし出す可能性を探求しようとしているのだと思う。

渋谷氏の写真の真ん中には必ず人間とその人の人生がある、と思いました。サウダージを大切に大切にしながら、未来の光を映しだそうとする、真摯なカメラマンの姿がそこにはありました。

渋谷氏に教えていただいた、このサウダージというポルトガル語を、私も大事にしながら、前へ進んでいきたいと思いました。そして、これまで出会った人々やこれから出会う人々の未来に対して、もう一つ教えていただいたポルトガル語、サヴァーレ(祝福あれ)を送っていきたいと思いました。

未来の祀りカフェに参加

6月26日(日)は、午後から福島銀行ビル12階で行われた「未来の祀りカフェ第1回」に参加してきました。

この「未来の祀りカフェ」は、8月に行われる「未来の祀りふくしま」に並行して行われる行事で、「ふくしまに学ぶ、ふくしまで学ぶ」をモットーに、福島の伝統や文化を福島の地でより深く学び、これからの福島の未来を創っていくための礎の一つにしようという意気込みを感じるイベントでした。

8月の「未来の祀りふくしま」は、「昨年に引き続き、東日本震災の現実を伝え、鎮魂と再生の祈りを込め、伝承していく新しい表現としての現代の神楽「ふくしま未来神楽」第三番を創作し、福島の総鎮守である福島稲荷神社に奉納、発表する」(ホームページより引用)ものです。

今日のカフェでは、まず第1部で、福島の神楽について学びました。福島県文化財保護審議会委員の懸田弘訓氏が神楽の基礎知識をユーモアを交えて分かりやすく教えてくださった後、市内にある金沢黒沼神社の十二神楽のうち、剣の舞、猿田彦(四方固め)、三人剣の3神楽が演じられました。

この金沢黒沼神社の神楽は、福島県内で最も古く(元禄10年頃)伝わったものらしいです。猿田彦の舞で使われた面は、鎌倉時代に彫られたもののレプリカで、オリジナルは大切に保管されているそうです。鎌倉時代にはまだここに神楽はなく、後に神楽を舞う際に猿田彦の面を流用したのだろうという解釈でした。

金沢黒沼神社には、蝦夷征伐という神楽があります。蝦夷征伐に来たヤマトタケルを酔わせてやっつけようとした村人たちが返り討ちにあう、というユーモラスな内容で、この神社にしか見られない珍しい神楽だそうです。

金沢黒沼神社はほぼ毎月のように神事や祭礼があり、地元の人々の信仰の厚さが偲ばれますが、他の神社と同様、氏子数の減少や後継者不足の問題に直面しているようです。

続く第2部では、福島県立博物館長の赤坂憲雄氏と詩人でこのイベントの仕掛け人である和合亮一氏との対談でした。

様々な内容がとめどなく話されましたが、言葉とは言葉に置き換えられないものがあることを理解するために存在するものであり、だからこそ言葉は大事にされなければならないのに、今は言葉が蔑ろにされているという危機感が示されました。言葉を大切にし、言葉を取り戻し、言葉へ戻っていく文化を新たな福島の文化として育てていく必要性が提示されました。和合氏は「人づくり、まちづくり、言葉づくり」を福島で取り組むべきものとまとめました。

第3部では、仙台を中心に、アートによるまちづくりに取り組んできたMMIX Labの村上タカシ氏が仕掛けてきた様々な取り組みが紹介されました。震災後にお年寄りがゆるく集える場所としての「おしるこカフェ」、津波が到達した学校に桜を植えていく桜3・11プロジェクトなどのほか、88歳の女性タツコさんがラップで歌う「俺の人生」も紹介されました。

88歳の新星ラッパーTATSUKO★88「俺の人生(HIP-HOP ver.)」

村上氏は、モノではなくコトのアート、建築型のアート、行為のアートがこれからますます必要になっていくという見解を示しました。イベント終了後に本人とも話しましたが、建物を建てない建築家としてコミュニティ・デザインを提唱する山崎亮氏に近いスタンスのように感じました。

この機会に、前からお会いしたかった赤坂憲雄氏や和合亮一氏とお会いできたのは良かったし、伝統芸能などを含めた形で、新しい福島を作っていくための本質的な部分に触れる良い機会になったと思いました。これから回を重ね、各回の内容を蓄積していくことで、このカフェが新しい何かを生み出す機会を創っていくような予感がありました。

なお、インドネシア出張と重なってしまったため、昨年に引き続き、今年も自分は8月の福島稲荷神社での「ふくしま未来神楽」の奉納を見ることができないのが残念です。まだ少し早いですが、今年の奉納の成功と盛会を心から祈念する次第です。

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