急遽、一時帰国

8月6日までインドネシア出張中なのですが、急な家族の事情があり、7月16〜21日に一時帰国することとなりました。

この期間、前々から楽しみにしていたカカオツアーのコーディネーターを務めることになっていたのですが、やむなく断念することになりました。

このツアーには、企業などの環境配慮・CSRなどの専門担当者の方々が参加することになっており、ツアーの現場の様々な事象から、面白くてユニークな意見交換や議論ができると、とても期待していたので、本当に残念です。また、今後、エコツーリズムを意識したインドネシアでのより深い学びのツアーを作っていきたいと考えていたので、今回のツアーを主催した方々と協働できないかとも考えていました。

自分勝手かもしれませんが、今回の件でそうした今後のお付き合いの種が無くなってしまわないことを祈るばかりです。皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

こうして、グダグダとブログを書いて、読んでくださる方々がいるということを感じられるのも、今ここに生きているからこそ、なのだということを改めてかみしめています。

クアラルンプールKLIA2空港にて

(インドネシア・バンドン南部の山間部で栽培されているアジサイの花)

アンゴラ、ブラジル、福島を結ぶサウダージ

7月8日、友人である渋谷敦志氏の写真展を見てきました。渋谷氏とは昨年、ダリケー株式会社主催のカカオ農園ツアーをご一緒して以来のお付き合いです。

今回は「Saravá~Brazilian Journey~」と題する写真展でした。1990年代半ばから20年以上、ブラジルと付き合ってきた渋谷氏の軌跡を感じさせるような写真が展示されていました。

写真展は7月14日まで、新宿コニカミノルタプラザで開かれています。詳しくは以下のサイトをご覧ください。

 渋谷敦志 写真展「Saravá~Brazilian Journey~」

合わせて、渋谷敦志写真集「回帰するブラジル」も購入しました。この写真集、アンゴラから始まり、そのすぐ後からは、ブラジル各地で過去20年間に撮影した写真の数々が続き、最後は福島で終わる、というものでした。

この写真集を貫くキーワードは、サウダージというポルトガル語です。

渋谷氏によると、サウダージとは、過ぎ去った時間への懐かしさ、何かが満たされない寂寞、心にはあるのに触れることのできない哀切、それらをぎゅっと詰め込んだ言葉にならない思いを表すようです。

渋谷氏は、彼自身の20年を超えた付き合いをしてきたブラジルに対するサウダージを抱きながら、写真の対象としての人々それぞれのサウダージに思いを馳せ、それを写真の中に表現しようとしてきたのかもしれません。

彼の写真の中の人々は、今を懸命に明るく生きているとともに、それぞれの人生の過去と今後を思いながら生きている、そんな様子を垣間見せています。それは、写真の中の人々の表情、とくにその目に表れているような気がしました。たまたま出会った被写体の彼らに対して、渋谷氏は、人間としての尊敬をもって、彼らの人生を映しだそうと誠意を持って向き合っている様子がうかがえる写真でした。

彼自身の、そしてブラジルでの被写体の人々の、サウダージが溢れ出してくる写真。そして、最後にそれが、東日本大震災の時に津波で家を流され、家族を失いながらも、前へ進もうとされている福島・南相馬の男性をめぐる写真で終わるところに、サウダージという言葉の持つ深さを感じたのでした。

渋谷氏は次のように書いています。

ーブラジル、アフリカ、そして福島。異なる三つの大陸をまたぎ、海を越え、サウダージは、ぼくを「いま、ここ」に連れてきた。そこから見える光景はかつての自分が思い描いていたものとはずいぶん違う。悲しい到達地と言えるかもしれない。失われた風景はもう戻らないかもしれない。でも、そこには心が残っていた。それは、人間が根源的に持つ生きる意志を確かめさせてくれるような何かでもあった。そんな心のよりどころのような場所に幾重にも立ち返り、生命の在り処にカメラを向けることで、未来を光で照らし出す可能性を探求しようとしているのだと思う。

渋谷氏の写真の真ん中には必ず人間とその人の人生がある、と思いました。サウダージを大切に大切にしながら、未来の光を映しだそうとする、真摯なカメラマンの姿がそこにはありました。

渋谷氏に教えていただいた、このサウダージというポルトガル語を、私も大事にしながら、前へ進んでいきたいと思いました。そして、これまで出会った人々やこれから出会う人々の未来に対して、もう一つ教えていただいたポルトガル語、サヴァーレ(祝福あれ)を送っていきたいと思いました。

久々のパフェ、今回は桃パフェ

ここ数日、ちょっと真面目にブログを書いてしまって、本来、思っていたような、ゆる〜いブログでなくなってきて、窒息してしまいそうです。

というのとはあまり関係ありませんが、今日は久々に、2人でパフェを食べに行きました。娘が甘いものが嫌いなので、私が海外に行っていると、妻は大好きなパフェを一人で食べには行かないようなのです。

今日のは、池袋東武の高野で桃のパフェでした。

昨年までは、帰国すると必ず2回はパフェを食べに行くので、フェイスブックにずいぶん写真をアップし、それを見るのを楽しみにしているらしい友人たちもいたようですが、このところ、日本でも地方へ出かけることが多く、なかなか2人で食べに行けずじまいだったので、本当に久しぶりでした。

そういえば、ジャカルタではパフェを見かけないですよね。他のアジアの主要都市でも、日本のようにパフェが食べられるようなところはないのでは、と思います。台湾デザートも大好きですが、ちょっと傾向が違いますよね。

もしかしたら、このパフェもまた、外来食文化を日本流に育てた、日本発の西洋風デザートなのかもしれません。和食の「和」の部分が時代とともにどんどん変化し、多様化していき、今度は世界各地に、和食文化由来の新しい「おいしいもの」が生まれてくるかもしれない、なんて考えると、ワクワクしてきてしまいます。

変わり行く季節の中で味わう桃とサクランボ

日本でもインドネシアでもそうなのですが、最近は季節の様子がだいぶ変わってきているように感じます。気候変動や温暖化の影響なのでしょうか。

たとえば、日本の梅雨は、雨がしとしと何日も降り続く、というイメージでしたが、最近の梅雨は、しばらく雨が降らないのに、降ると集中豪雨、という、なんだか熱帯の雨に様相がずいぶん似てきたような気がします。

他方、すでに乾季に入ってもおかしくないはずのインドネシアでは、ジャワ島を中心に相も変わらず雨が降って、洪水や鉄砲水まで起こっています。

こうした季節の様子の変化は、風情というものも時とともに変えてしまうのかもしれません。「梅雨の長雨」が消えて、「梅雨の豪雨」となる日が来るかもしれません。

そんななかで、四季を愛でる我々日本の人々は、これからどんなところに季節を感じていくのでしょうか。季節を感じる対象が変わってくると、季節感というものも自ずと変わってくることでしょう。

幸運にも、私自身は、このところ、初夏を感じさせる果物を味わうことができました。

福島の実家で食べた、品種はわかりませんが、おそらく早生の桃。でもこれが思った以上に美味しくて、びっくりしました。これから8月にかけて、赤みを帯びたあかつきや川中島を楽しめることでしょう。

こちらは、東京の自宅で食べたサクランボの佐藤錦。まだちょっと早いような気がしないでもないですが、赤く色づいたものは甘みが強く、美味しくいただきました。山形から送られてきたものですが、以前、福島がサクランボの大産地だったことがあったのです。

桃や佐藤錦で初夏の匂いや味を堪能して、さて、これから7月4日まで、またインドネシアへ出かけてきます。行先は、スラウェシ島、久々のゴロンタロ州ボアレモ県です。

「支持政党なし」という政党

昨晩、福島から東京へ戻って、最寄駅の前の参議院議員選挙のポスター掲示板を見て、一瞬、目を疑いました。

「支持政党なし」と書かれたポスターが4枚、並べて貼られていました。候補者個人の名前ではなく、「支持政党なし」「政策一切なし」とデカデカと書かれています。

最初は、既存の政党に対する批判や風刺か。もしかしたら、既存政党に対する嫌がらせなのかもしれない、と思いました。きっと、翌朝には剥がされていて、ニュースで「悪質な選挙妨害」などと報じられるのではないか、と思いました。

ところが、家でインターネットで検索すると、「支持政党なし」という政治団体が存在し、党として選挙に出ていることを知りました。私の選挙区には4人も立候補しています。でも名前は分からないし、政策は一切ない、と言っています。

ホームページを見ると、「支持政党なし」党の党員は使者であり、議案や法案ごとに一つずつインターネット等を通じて国民に議決に参加してもらう、そこで賛成多数なら賛成へ、反対多数なら反対へ、議決権を行使する、とか書かれています。

何かのために政治的に結社するのではなく、また、そのために独自に議案や法案を出すこともしない、あくまでも現状に対して賛成か反対か、多数のほうへなびくという、徹底的に受け身の立場の政治団体と見受けました。

このような政治団体も選挙に参加できるのですね。この団体の中身を知らない人が、政治の現状への不満から、投票用紙に「支持政党なし」と書くのを期待しての行動なのかもしれません。

本当の意味で支持政党なしならば、「支持政党なし」党も支持しないのではないでしょうか。「支持政党なし」党の出現は、ほの暗い将来への動きをさらに象徴するもののようにも感じられました。

未来の祀りカフェに参加

6月26日(日)は、午後から福島銀行ビル12階で行われた「未来の祀りカフェ第1回」に参加してきました。

この「未来の祀りカフェ」は、8月に行われる「未来の祀りふくしま」に並行して行われる行事で、「ふくしまに学ぶ、ふくしまで学ぶ」をモットーに、福島の伝統や文化を福島の地でより深く学び、これからの福島の未来を創っていくための礎の一つにしようという意気込みを感じるイベントでした。

8月の「未来の祀りふくしま」は、「昨年に引き続き、東日本震災の現実を伝え、鎮魂と再生の祈りを込め、伝承していく新しい表現としての現代の神楽「ふくしま未来神楽」第三番を創作し、福島の総鎮守である福島稲荷神社に奉納、発表する」(ホームページより引用)ものです。

今日のカフェでは、まず第1部で、福島の神楽について学びました。福島県文化財保護審議会委員の懸田弘訓氏が神楽の基礎知識をユーモアを交えて分かりやすく教えてくださった後、市内にある金沢黒沼神社の十二神楽のうち、剣の舞、猿田彦(四方固め)、三人剣の3神楽が演じられました。

この金沢黒沼神社の神楽は、福島県内で最も古く(元禄10年頃)伝わったものらしいです。猿田彦の舞で使われた面は、鎌倉時代に彫られたもののレプリカで、オリジナルは大切に保管されているそうです。鎌倉時代にはまだここに神楽はなく、後に神楽を舞う際に猿田彦の面を流用したのだろうという解釈でした。

金沢黒沼神社には、蝦夷征伐という神楽があります。蝦夷征伐に来たヤマトタケルを酔わせてやっつけようとした村人たちが返り討ちにあう、というユーモラスな内容で、この神社にしか見られない珍しい神楽だそうです。

金沢黒沼神社はほぼ毎月のように神事や祭礼があり、地元の人々の信仰の厚さが偲ばれますが、他の神社と同様、氏子数の減少や後継者不足の問題に直面しているようです。

続く第2部では、福島県立博物館長の赤坂憲雄氏と詩人でこのイベントの仕掛け人である和合亮一氏との対談でした。

様々な内容がとめどなく話されましたが、言葉とは言葉に置き換えられないものがあることを理解するために存在するものであり、だからこそ言葉は大事にされなければならないのに、今は言葉が蔑ろにされているという危機感が示されました。言葉を大切にし、言葉を取り戻し、言葉へ戻っていく文化を新たな福島の文化として育てていく必要性が提示されました。和合氏は「人づくり、まちづくり、言葉づくり」を福島で取り組むべきものとまとめました。

第3部では、仙台を中心に、アートによるまちづくりに取り組んできたMMIX Labの村上タカシ氏が仕掛けてきた様々な取り組みが紹介されました。震災後にお年寄りがゆるく集える場所としての「おしるこカフェ」、津波が到達した学校に桜を植えていく桜3・11プロジェクトなどのほか、88歳の女性タツコさんがラップで歌う「俺の人生」も紹介されました。

88歳の新星ラッパーTATSUKO★88「俺の人生(HIP-HOP ver.)」

村上氏は、モノではなくコトのアート、建築型のアート、行為のアートがこれからますます必要になっていくという見解を示しました。イベント終了後に本人とも話しましたが、建物を建てない建築家としてコミュニティ・デザインを提唱する山崎亮氏に近いスタンスのように感じました。

この機会に、前からお会いしたかった赤坂憲雄氏や和合亮一氏とお会いできたのは良かったし、伝統芸能などを含めた形で、新しい福島を作っていくための本質的な部分に触れる良い機会になったと思いました。これから回を重ね、各回の内容を蓄積していくことで、このカフェが新しい何かを生み出す機会を創っていくような予感がありました。

なお、インドネシア出張と重なってしまったため、昨年に引き続き、今年も自分は8月の福島稲荷神社での「ふくしま未来神楽」の奉納を見ることができないのが残念です。まだ少し早いですが、今年の奉納の成功と盛会を心から祈念する次第です。

福島をダイバーシティ尊重の先進県に

昨晩、高知から東京の自宅へ戻ったのですが、今日は午前中に歯医者へ行った後、そのまま新幹線に乗って、再び福島へ舞い戻りました。

午後から訪ねたのは、「ふくしまダイバーシティシネマ&トーク」という催しです。22日に福島へ日帰り出張した際に知人から勧められ、急遽、参加を決めた催しでした。

まずは、「パレードへようこそ」というBBC制作の映画を鑑賞しました。1984年サッチャー政権下のイギリスを舞台に、性的マイノリティの若者たちがストライキを続ける炭坑労働者たちの支援へ動いた実際の話を描いた作品で、彼らに対する根強い社会の偏見とそれが少しずつ克服されていく可能性が映し出されている映画でした。

映画を観た後、アフタートークで性的マイノリティに関する基礎知識を確認し、感想を語り合う場が設けられました。

日本では、虹色で表現される「ダイバーシティ」は、一般に、性的マイノリティ(略して「セイマイ」というらしいことを知りました)を尊重することを指すようですが、性別だけでなく、宗教、種族、出自など様々な要素もダイバーシティの中に含まれてくると思われます。

セイマイは、本人がそうと打ち明けない限りは周囲が分からないので、それがしやすいような環境を作っていくことが求められるという特質があります。もっとも、それは、見た目ではなかなか分かり難い種族や出自や過去など、打ち明けた途端に差別や色眼鏡の対象となりうるようなものとも共通しているかもしれません。

たとえその人がどんな人であっても、性的マイノリティであっても、実は日本国籍を持っていなくとも、差別にさらされてきたコミュニティの出身だったとしても、忘れられないような屈辱や虐待を受けた過去を持っていたとしても、そうした方々が安心して暮らせる、安心して受け入れられる、そんな社会を作っていこうというのが、ダイバーシティの目指すところなのだと思います。

頭の中でダイバーシティを勉強し、「そのような社会にすべきだ」と言っても、上記のような方々を受け入れる社会にはなりません。一人一人が、この世の中には様々な人々が存在し、もしかしたら今、自分が接している人がそうなのかもしれない、という想像力をできる限り豊かにする努力を常に続けることが重要なのではないかと思います。そして、「なるほどね」「そういうのもアリだよね」と、多様な人々の存在を当たり前のこととしてフツーに受け入れられる能力や寛容性を自分で高めていくことなのだと思います。

そしてその能力は、マジョリティと思っている人だけでなく、マイノリティと思っている人にも必要なものです。でも、まずはマジョリティと思っている人から動く必要があることは言うまでもありません。

ふと、親を喜ばせたい一心で好きでもない勉強を無理やり頑張ってしまう子どもや、空気を読まなければならないと思い込んでいる会社人間や、何かのために過度な我慢を自分に強いている人たちのことが頭をよぎりました。彼らはマイノリティではないし、差別の対象にもならないだろうけれども、本当の自分を打ち明けられないという意味では、ある程度は同じなのかもしれません。彼らが本当の自分を安心して表現できる社会もまた、ダイバーシティの目指す方向に包含され得るのではないでしょうか。

だとするならば、ダイバーシティ社会というのは、様々な他者を尊重しながら、自分らしさを安心して表現できる社会ということになるのかもしれません。それは、特定の思想や考え方に染まり、それに合わない人々を排除していく社会(誰にも要求されないのに率先して自らをそれに合わせようとする人々さえ出現します!)とは正反対の、インクルーシブな社会、ということになるでしょう。

多様性の中の統一。人と違うということが力になる。そんなことを日常的に見聞きする、ごった煮の国「インドネシア」のことを思い出していました。そんなインドネシアでも、国家の名の下に、ある一定の方向へ人々を向けさせようとする動きはしっかりと存在しているのです。

今回の催しを主催したダイバーシティふくしまは、福島を多様性(ダイバーシティ)尊重の先進県にし、その重要性を全国へ発信していくことを目標に活動を行っています。東日本大震災や原発事故の後、福島は様々な入り組んだ差別や偏見の対象となり続けています。そんな福島だからこそ、ダイバーシティが大事だということを発信していかなければならないという気持ちが感じられます。

高知らしさと言えば・・・

6月24日は、高知で用務がありました。午前中は、越知町役場で会議があり、午後は高知県庁で2件、小さな会議がありました。

会議の中でいろいろな話題が出ましたが、「高知らしさって、なんだろう?」という話が結果的には中心だったような気がします。
例えば、高知の水産業は、多品種少量が特徴だそうで、いろいろな種類の水産物が少量ずつ獲れるということです。でも、県は、水産物の輸出促進を新たな政策として掲げているので、輸出の成果をあげなければならないのです。とすれば、量でかせげないので、個々の水産物の価値を上げるしかありません。
高知らしさを生かすような形での戦略を立てなければならないのに、まずは輸出ありき、成果を出せ、といわれた職員たちのちょっと困った様子がうかがえました。チャレンジ!ではあるのですが。
高知らしさと言えば、今日、お昼を食べたひろめ市場も挙げられるのではないでしょうか。フードコートのように、真ん中に食卓が置かれ、それを囲むように色々な飲食店があって、昼間からアルコールを楽しんでいる、その大らかで楽しい雰囲気がまさに「高知らしさ」ではないか、と思ったのです。
昼食でいただいたのは、鰹のたたき定食。ここのは、醤油ダレではなく、塩たたき。鰹のたたきも高知らしさを表しています。
「高知で一番うまいたたきを食べさせる店」と自分で看板に書いてしまうところも高知らしさかもしれません。でも、ここのは本当に美味かったのです。以前食べた、有名高級割烹のたたきよりも美味しかったのです。
相席になっても、笑顔で応じてくださる方々。ひろめ市場は、飾り気のない、フツーの庶民的な雰囲気にあふれた、人間味のある場所でした。きっと、昼からずっと夜までここで呑んだくれる人たちもいて、そんな様子を店の人たちが温かく見守ってくれているような、そんな場所のような気がしました。
人の温かさ、という意味では、高知龍馬空港で見た電話もそうでした。
これは鏡ではありません。セキュリティチェックを終えて出発ロビーに入った方と、見送りに来た方とが、ガラス越しに話のできる電話なのです。
ちょうど、おじいちゃん、おばあちゃん、小さい子供たちが、これから飛行機に乗る若い男女二人を見送りに来ていました。パパとママなのか、おじちゃんとおばちゃんなのか、それはわかりませんが、電話をとって、名残惜しそうにバイバイを繰り返していたのが、とても微笑ましい光景でした。
些細なことですが、この電話も、何となく高知らしさを表しているなあ、と思いました。

和歌山を発ち、祭ずしを食べながら高知へ

昨日は福島へ日帰り出張、今日は、朝、雨の東京を発ち、和歌山県庁で会議に出て、終了後は、新大阪、岡山経由で、高知へたどり着きました。和歌山からはくろしお、のぞみ、南風を乗り継いで、5時間の旅でした。

この旅程で、今回、密かに楽しみにしていたのが、岡山の祭ずしです。

昔、山陽新幹線に乗ったときに食べて以来、ずっと忘れられなかった祭ずし。その後、岡山駅を通るたびに探すのですが、あるときは売り切れで買えませんでした。今回こそ、と思って、岡山駅の乗り換え10分の間に、駅弁売り場へ。

えっ、ない。売ってない。でも少し歩くと、別の立派なお弁当売り場があり、そこにありましたが・・・。名前が「桃太郎の祭ずし」。たしか「桃太郎の」はなかったような気が。ニセモノ、類似品? それ以外の祭ずしが見当たらないので、とりあえず購入しました。値段は1000円。「箸入り」というのも面白い表現です。

なかを開けると、ピンク色の桃が・・・。

高知行きの特急「南風21号」は岡山駅を発車。在来線のせいか、ずいぶんと揺れます。そして、席のトレイが平らでないので、揺れるたびに動いてずり落ちてきます。

うーん、写真がなかなか撮れないよー。というか、写真を撮っている間に、祭ずしがトレイから床へ落ちてしまわないか、と気になってきました。ともかく、揺れる車内と斜めのトレイの上の祭ずしを何とか写真に撮ることができました。

何となくですが、昔のよりも密度が薄くなったような気がするのは気のせいでしょうか。もっと色々詰まっていたような記憶があるのですが。でも、味は、あの覚えている祭ずしの味でした。うまい!

瀬戸大橋を渡る前に祭ずしを食べ終えてしまい、夜7時だというのにまだ日の落ちない瀬戸内海を眺めながら、高知へ向かったのでした。

<余談>
祭ずしに関連した以下のページを見ると、昔からこの包装だったようです。でも、私が食べたのは、塗り箱入りのほうだったかもしれません。

岡山駅の祭ずし

椏久里のケーキとお気に入りの蕎麦屋

6月22日、福島市に日帰り出張しました。

肝心の福島市役所での会議は午前中で終わり、昼食を摂ってから、知人と椏久里(あぐり)でコーヒーを飲み、活動拠点とする予定の古民家の様子を見に行って、実家で夕食を食べてから、新幹線で東京へ戻ってきました。

椏久里でコーヒーを飲みながら、知人から「福島に活動拠点を作ってやるといったのに、全然福島に来ないじゃないの!」と追及され、「言わなきゃよかったのにね」などと諭され、今週末に強制的にまた福島へ来る予定が入ってしまいました。

インドネシア関連案件が11月ぐらいまであり、物理的になかなか福島に腰を落ち着けられない後ろめたさを感じつつ、でもマイペースで進めていくしかないよね、なんとかなっていくものさ、とちょっと呑気に構えてしまう今日この頃です。

椏久里の今月のケーキを2個も食べ、2つともとても美味しかったので、写真だけでも載せておきます。もちろん、椏久里の美由紀さんに聞いて、それぞれのケーキに合うコーヒーを勧めてもらい、満喫しました。

別にケーキを売り物にしている店ではないけれど、とにかく美味しいのです。ヨーロッパ、とくにウィーンのケーキ菓子に造詣が深く、研究熱心なのです。世界中のコーヒーから選りすぐったコーヒーはもちろん、ケーキもお忘れなく。

椏久里の店主・市澤秀耕さんの記事がありました。以下のリンクをご覧ください。

 (リレーおぴにおん)カフェより:3
  語り合い、苦しみ分かちあう 市澤秀耕さん

椏久里に行く前に昼食をとったのは、手打ち蕎麦屋のよしなり。福島市のパセオ通りにあるこじんまりとした店なのですが、店内の雰囲気がとてもよくて、居心地が抜群に良いのです。軽めのジャズ系の音楽が流れるなか、茹で加減が素晴らしい蕎麦が出てきます。

今日食べたのは、Cセット。ミニせいろ+ミニ天丼です。

店員さんの対応も気持ちがよく、今回が2回めですが、すっかり気に入ってしまいました。

昔ながらの蕎麦屋といえば、福島市内では喜多屋、喜多八、峰亀など、私が子どもの頃からある老舗の有名店があります。その後、他に何軒も新しい蕎麦屋ができています。

でも、よしなりは何といっても居心地が本当によくて、私の福島での大事な場所になるかもしれません。

今日は珍しく一緒に記念日

私たちが家族となって、今日が二十何回目かの記念日でした。

振り返ってみると、この日に一緒にいたことがほとんどありませんでした。たいていの場合、私はインドネシアにいたり、国内出張に出かけていたり・・・。そういえば、お互いの誕生日も一緒にいたことはあまりなかったような気がします。

今日は、たまたま、久々に一緒にいるので、娘と、東京で学校に通っている姪も誘って、4人でロシア料理を食べに行ってきました。

銀座にある渋谷ロゴスキー本店。大昔、この店がまだ渋谷にあった頃、何度か家族で行ったことがあります。娘はここの肉の串焼きが大好きで、今日も堪能していました。

これは「毛皮のコートを着たニシン」というサラダ。ミルフィーユ風に重ねられ、一番上にビーツが乗り、一番下にニシンの酢漬けが隠れていました。4人で分けましたが、ロシアではこれを一人で食べてしまうのが普通なのだとか。

串焼きは、豚と羊の2種類。昔と同様、美味しくいただきました。

もちろん、ボルシチも。満足の味でした。

東京で慣れない独り暮らしの姪も、大学でロシア語を勉強し始めた娘も、じっくりたくさん食べられて満足の様子。我々も和やかで楽しいひと時を過ごすことができました。

さて、来年の記念日は一緒に過ごせるのかどうか。今のところはまだ分かりませんが、こうやって一年一年が積み重なっていくのだなあと思いつつ、日々のあたりまえの尊さを大事にしていきたいと改めて思いました。

これからもよろしくお願いします、という気持ちを込めて。

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