13年ぶりに馬路村を訪ねて思ったこと

9月8日から、本邦研修の一環として、インドネシアから招聘した地方政府の役人の方々と一緒に、高知県に来ています。

9月8日は、高知龍馬空港に着いてすぐ、馬路村へ向かいました。私自身、馬路村を訪れるのは、2003年以来、13年ぶりのことでした。

当時、2004年にJICA短期専門家として、日本の地域おこしの事例をインドネシアで紹介するために、馬路村を訪れ、馬路村農協でヒアリングを行い、馬路温泉に1泊しました。ゆず関連商品を2万円ほど買い込み、それをかついで、インドネシアのポンティアナク、マカッサル、メダン、ジャカルタでのJICAセミナーで、馬路村の話をしたのでした。

農地に恵まれない馬路村は、1970年代に主要産業の林業が衰退し、米も野菜もほとんど生産できない状況の中で、地域資源として活用できそうなのは自生のゆずしかなく、ゆずの加工に村の将来を賭ける選択をしたのでした。自生のゆずは不格好で商品価値を見出せないものでしたが、見方を変えれば、無農薬で化学肥料も使っておらず、加工原料として安心安全のものでした。マイナスをプラスに変える発想の転換で、馬路村はゆずの加工を進め、多種多様な加工品を作り上げていきました。

人口わずか1200人の山村がどうやって地域おこしを進めていったのか。馬路村の話は、日本でも、インドネシアでも、多くの村々に希望と勇気を与えるものでした。

今回、13年ぶりに訪問した馬路村は、さらなる発展を遂げていました。前回、1箇所だったゆずの加工工場は5箇所に増え、そのうちの1つは見学コースも備えた立派な施設となっていました。営林署の跡地は「ゆずの森」と呼ばれる素敵な森として整備されていました。13年前、始まったばかりのパン屋はまだあり、より素敵な店になっていました。

しかし、13年経って、村の人口は930人に減っていました。人口は減っているのに、馬路村農協の生産規模・多角化はさらに進んだ様子で、機械化はもちろんのこと、村外からの労働力の受け入れも必要な状態になっているようでした。

馬路村のゆずグッズのファンは日本中に広がり、その評判は揺るぎないものとなっています。その一方で、馬路村がブランド化され、そのファンが増え、需要が拡大すると、馬路村農協の生産体制は、それへの対応を益々進めなければならなくなっているように見えました。村の人口減の中で、機械化を究極まで高め、従業員の生産性も上げていかなければならない、効率性をもっと追求しなければならない・・・。

そんなことを思いながら、ちょっと無理をしているのではないか、と思ってしまいました。通りすがりのよそ者の無責任な感想にすぎないですし、懸命に活動されている方々を決して批判するつもりはないのですが、そんなことを思ってしまったのです。そして、馬路村にそれを強いているのは、マーケットであり、我々消費者の行動なのではないか、と思うに至りました。

村の人口が減り、村の生き残りをかけて、市場需要に呼応して懸命に生産をしているうちに、自分たちのできる能力の限界にまで至ってしまってはいないか。市場の圧力は、それでもまだ馬路村に生産増を強いていくのではないかと危惧します。

「日本全国の心のふるさと」になろうとしてきた馬路村の人々が、市場からのプレッシャーでストレスを感じ、生活の幸福感を味わえないようになってしまったら、やはりまずいのではないか。ワーク・ライフ・バランスは、人間だけでなく、地域にも当てはまるのではないか。

地域おこしの成功事例として取り上げられてきたからこそ、その潮流からはずれてしまうことへの恐怖もあるかもしれません。でも、大好きな馬路村には、あまり頑張り過ぎて欲しくはありません。

村のキャパシティに見合った適正な規模で、市場に踊らされることなく、持続性を最大限に重視しながら、人々が幸せを感じられる悠々とした経済活動を主体的に行っていってほしいのです。

こんなことを言っても、それは、通りすがりのよそ者の、馬路村の現実をおそらく踏まえていない、勝手な感想に過ぎません。何か誤ったことを述べてしまったとすれば、深くお詫び申し上げます。