インドネシア元技能実習生からの問い合わせが増えた
このブログでもたびたび書いてきましたが、日本の現在の技能実習プログラムを本物にしたいという願いを共有できる、インドネシアの教育訓練機関(LPK)を見つけ出し、協力関係を作り始めています。
これらのLPKは、何年も経験のある機関ではなく、割と新しく始めた機関で、従来の常識や慣習にまだ染まっていない、理想を語り合える相手でもあります。
日本へ技能実習生を送り出すためには、LPKは送り出し機関(SO: Sending Organizaiton)の認可を受けなければなりません。今、お付き合いを始めているLPKは、まだ新しく、実績を作るのはこれからです。SOになるには、日本の監理団体との間でMoUを結ばなければならないのですが、既存の監理団体との間では、なかなか関係を作れないのが現状です。
まあ、まだ実績がないわけですから、いきなりMoUというのも、難しいのはもちろんのことです。
今回、パダンで協議したLPKは、日本で実習を受けた技能が帰国後にインドネシアで生かされていないことをとても残念に思っていました。何とかして、その技能をインドネシアで生かせる人材育成を実現したいと強く願っています。
そこで、今回、彼らから、ある面白い考えが出されました。
そのLPKは、別にもう一つLPKを作り、そのLPKは「溶接」に特化させるというのです。
溶接に特化させたLPKを傘下に置く民間企業を作り、溶接工場を備えて、溶接をビジネスとして行いながら、そこで実習生候補者の事前研修を行う。溶接に技能自体は様々に応用が利くので、独立することも可能と考えています。
今回、国立パダン職業訓練校(BLK Industri Padang)も訪問しましたが、ここで力を入れている技能の一つが溶接でした。もっとも、まだそのレベルは高くなく、国家予算上は3G溶接工レベルまでと想定されていました。高度な溶接技能者の育成は、バンドンにある職業訓練校がそれに特化して行っている、ということです。
溶接といっても、アーク溶接、ガス溶接、ステンレス鋼溶接など、様々な種類があり、日本ではその資格認定基準も細かく定められています。これらを吟味して、現在、そして今後、インドネシアでどの種類の溶接が必要になってくるかを検討し、それを担える人材を作っていくことが求められてくるでしょう。
インドネシアのLPKも、それぞれの特色が求められる段階に入りつつあるかもしれません。パダンのこのLPKは、まずは溶接技能者の育成に傾注し、それがある程度軌道に乗ったら、さらにべつの技能者の育成へ向かいたいと考えています。
パダンのこのLPKとは別に、ジャカルタのLPKで、パダンのある西スマトラ州のパヤクンブ市に支所を持つLPKは、自らのLPK修了者の日本語能力の標準をN-3にすることを目標に定めました。独自のノウハウを蓄積し、教科書も自前で編纂する予定です。
このジャカルタのLPKも活動を開始してまだ間もないのですが、日本語教育にはかなりの自信を持っており、他のLPKの日本語教育部分を請け負うことも検討しています。得意分野を活かした、LPKどうしの横の連携もこれから大事になってくると思いました。
今後、こうした特色のあるインドネシアのLPKと協力関係を保ち、真の技能実習を目指す仲間との関係を少しずつ増やしていきたいと考えています。
7月22日のよりどりインドネシア第50号発行、7月25日締切の原稿、7月28日締切の某法令のインドネシア語→日本語翻訳、7月30日夜の福島でのバングラデシュ訪問に関するミニ講演と諸々を何とか片付け、7月31日朝、羽田を出て、ジャカルタ経由で、31日深夜にパダンに到着しました。
出迎え無用と何度も言ったのに、どうしても出迎えたいと空港までやってきた友人の車で、ホテルへ向かったのですが、途中で、立ち寄り。プテ入りナシゴレンを食べていこう、というのです。
プテというのは、独特の臭いにおいのする豆のことで、インドネシアではよく食べるのですが、嫌いな人もけっこういるようです。
夕飯を食べ、パダン行きの飛行機のなかでもパンが出たので、少なめにしてもらって、プテ入りナシゴレンをいただきました。
プテは小さく切ってあって、食べたときに「たしかにプテが入ってるな」と感じる程度。ナシゴレンの味付けにジャワのような甘辛さがなく、どちらかというと、やや塩気があって辛い、という、ちょっと異なる味付けでした。
この店はパダン市内に3店舗ぐらい支店があるそうですが、プテ入りナシゴレンで昔から有名な店ということです。
BOFETというのは、小食堂ぐらいの意味だそうで、ビュッフェという用語と関係がありそうな気がします。Mienおばさんのビュッフェ、という感じでしょうか。
夜更けのナシゴレンで始まった今回のインドネシア出張。やはり、ワクワクしてきます。