インドネシア研究と地域振興・地域づくりの二本柱

私自身は、元々、35年前からインドネシア地域研究を仕事としてきましたが、その途中で、25年前から地域振興や地域づくりについても自分なりに経験と専門性を深める努力をしてきました。
ですから、専門は何ですか、という質問に対しては、インドネシア地域研究と地域振興・地域づくりの二本立て、と答えるようにしてきています。
地域振興・地域づくりを強く意識するようになったのは、1995年に、インドネシア東部地域開発政策アドバイザーを務めてからでした。
それ以前の1993年から2年間は、日本の産業政策が東南アジア諸国の産業発展にとって有効かどうか、という課題に取り組んでいました。ちょうど、世界銀行から『東アジアの奇跡』(East Asian Miracle)という報告書が出て、市場原理主義だった世銀が日本型の産業政策に一定の評価を与えたことが注目されました。日本の産業政策のなかで、数社による寡占的な業種でいかにコンテストベースの競争政策を持続的に進めるか、という適切な政府介入、政府=民間の関係というものが議論されました。
その後、全く意識していなかった地域開発政策という分野へ入っていきます。それまでに行ってきた研究は、中央省庁よるマクロな政策が主であり、一国研究として「インドネシアは」というアプローチでした。
ところが、地域開発では、対象の地域が主語になります。それまで、日本の産業政策をサーベイするなかで、産業再配置政策の歴史的展開については調べていたのですが、インドネシアの各地域の状況については、一国という単位のなかで大まかにしか把握していませんでした。
実際にスラウェシ島最大の都市であるマカッサルに赴任して、インドネシア東部地域の各地や農漁村、離島部などの現場を歩きました。そこで地域開発政策の観点で重要なのは、政府と民間(住民)とがどのような関係をつくり、民間(住民)がイニシアチブをとれる環境をどう作っていくのか、それを促すための適切な経済的刺激をどのようにうまく入れて活用するのか、といった点であることを実感しました。それは、程度の差こそあれ、日本の産業政策における政府介入や政府=民間関係の在り方などとある意味共通するものであったことに気づきました。
地域開発政策アドバイザーとしてのメインの相手は地方政府であり、彼らの見解や考えが民間(住民)レベルでのニーズや意識を反映しているかどうか、どのように両者の適切な関係をつくることができるのか、それを彼ら自身が納得して自分たちでつかみ取れるか、といったことを考えながら仕事をしていました。
そして、アドバイザーであるから当然の提言や助言を出さず、彼らの気づきを促し、彼ら自身が作り出したと認識できるような、敢えて教えない、ファシリテーター的な政策アドバイザーを目指しました。
インドネシアでも、日本から来た専門家に対しては、すぐに効果の上がる、手っ取り早い解決策を求める傾向が強いものです。しかし、私は自分がその土地に馴染みの深くない「よそ者」であることを強く意識しました。解決策が必要であれば、それは、「よそ者」から与えられるものではなく、その土地の人々が自らのものとして編み出すものである、という態度で通しました。
インドネシアでのべ5年間の地域開発政策アドバイザー業務を終えて帰国し、派遣元のJICAで帰国報告を行ったときに、ある方から言われた言葉を忘れることができません。
曰く、あなたのやったことは評価できない。あなたが助言したから先方の政策に生かされたという検証ができない。何月何日に発した助言が何月何日にこのように政策に反映された、それは日本のおかげだ、というのがないと評価できない、と。
実際、私が提言した内容を地元政府高官が発言する現場には、何度も出くわしました。でも、それは借り物ではない彼の言葉でした。彼なりに私の提言を咀嚼し、自分の言葉で発言したのでした。それを「私がインプットしたからそう言った」と主張することは、自分にはできませんでした。
私は、ポリシーペーパーを書いてその通りやりなさい、と助言する政策アドバイザーにはなりませんでした。「よそ者」としてその土地に長くいる彼らと一緒に考え、ときには彼らからすれば頓珍漢なアイディアさえ入れつつ、議論の流れを見ながら再度私なりの意見を入れ、というプロセスを繰り返しました。
「よそ者」である自分が、その土地の未来に対して責任を取ることはできません。その責任を取るのはそこに暮らす人々であり、地元の地方政府です。ある意味、私なりの無責任を貫くことにしました。
それから今に至るまで、彼らとの関係はずっと続いています。ときには、アドバイスを求められることもあります。ただ、自分が果たしてどの程度彼らにとって役に立てたのかについては、胸を張って「これだけ役に立った」ということはできずにいます。
ただ、あのとき、あの時代を共有していた、一緒に課題の解決策を真剣に議論し合った、そんな経験が今も彼らを信頼する基盤になっているような気がします。おかげさまで、インドネシアでは、34州中28州を訪問し、地域振興等について真剣に議論してきました。
世間的にはこれでよいのかどうかは疑問ですが、これが自分のスタイルなのだ、と思うことにしています。
以上のような経緯を経て、今では、インドネシアでも日本でも、中央省庁と仕事をすることはあまりなくなり、地方自治体や地域コミュニティと一緒に何かをするほうへ比重が移ってきています。インドネシアへの出張も今や、ジャカルタではなく、ほとんどが地方への出張となりました。
果たして、日本でも上記のようなやり方や考え方は有効なのか、といつも自問しています。そのときに、参考になるのは、論文を多数書いた研究者ではなく、日本中の地域という地域を歩いてきた宮本常一氏のアプローチです。インドネシアの地方をまわる際にも、彼のやり方は本当に参考になりました。
そして、今、インドネシアの地域も、日本の地域も、その直面する根本課題が「地域アイデンティティをどのように持続・発展できるか」という共通課題であることを意識するようになりました。地域振興・地域づくりについて、インドネシアの地域と日本の地域とをパラレルに見ながら、この2国以外の地域についても同様ではないかと考えるようになりました。
国境を越えて、ローカルの視点から、地域と地域をパラレルに、あるいは複層的にみていくことで、国家単位では見落とされてしまいがちな、より本質的に課題に迫れるのではないか、という意識が自分には年々強まってきています。
というわけで、インドネシア地域研究(とくに政治経済の現状分析)は継続していきますが、それにプラスして、国家という枠組みを超越した地域振興・地域づくり(とそれが創る新しい未来像)を意識した活動を続けていきたいと考えていきます。
数え切れないぐらい堪能したインドネシア・マカッサルの夕陽。
自分にとって最も重要な景色の一つ。

貧困の津波

アートへのアクセスを民主化させたい

新型コロナウィルス感染拡大は、私たちに様々な困難を強いている。自分も含め、多くの人々が日々の生き残り策に集中し、自分以外の人々になかなか関心を向けられない状況になっているのかもしれない。

そんななかで、今日、自分に突きつけられた言葉。
それは・・・「貧困の津波」
2020年5月3日付『朝日新聞』の国際面のその言葉があった。

新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。

インドで起こった突然のロックダウンで、解雇などで失職し、交通機関も途絶えるなか、故郷へ、何十キロも、何日も、昼の炎天下、食べ物もお金も尽きても、無言のまま歩き続ける人々。
故郷の村まであと150キロのところで息絶えた12歳の少女は、そんな数百万人の人々の一人だった。
彼女の12年の人生を思う。インドは豊かになったのではなかったのか。

法外な料金を払い、荷台にぎゅうぎゅう詰めのまま、運よくトラックに乗れても、故郷へ向かう途中で警官の検問に出くわし、首都デリーへ強制的に戻らされる。避難所に収容されればラッキーなのだが、故郷へは戻れぬまま。ロックダウンのなかでどうやって生きていくのか。

人口14億人のインドを「貧困の津波」が襲う。
南アフリカでも、ケニアでも。インドネシアでも。そして日本でも。
自分ではもうどうにもならない、でも誰も助けてくれない、世界も国も金持ちも。
貧困の津波は、寄せては返し、寄せては返しを繰り返し、起こり続けていく。そして、寄せては返すたびに、貧困は深まり、そして広がる。
成長重視から分配重視へ生き方を変えよう、などと言える余裕はもうない。
感染で亡くなる。そして、感染しなくとも、貧困で亡くなってしまう。
富める先進国も、自国のことで手一杯で、「貧困の津波」が世界中で起こっていくことに頭が回らない。自分たちの生活が第一であることは当然である。でも、同時に、世界中に「貧困の津波」が押し寄せていることにも心を留めておきたい。
この種の「津波」の予知が難しいのなら、せめて、金銭的な施しや人道支援はもちろんだが、それだけでなく、「津波」の力をどう緩められるか、どう乗り越えていけるか、世界中で皆が知恵を出し合い、行動していかなければならないだろう。
自分がもしも彼らだったら・・・・。「かわいそうなひとたち」で片付けている間は、人々が思い合う新しい世界は造れない。どうすればいいのか、簡単に答えは出ないが、しっかりと心に留めておきたい。

アートへのアクセスを民主化させたい

真の技能実習のイニシアティブは送り出し側にある

6月にインドネシアのパダン、マカッサルを訪問し、技能実習や特定技能をめぐる現地での状況や反応を色々と見てきた。そして、技能実習の一番基本的なところが間違っていることを痛感した。それは何か。
すなわち、本当の技能実習を行うならば、そのイニシアティブは送り出し側になければならない、ということである。
西スマトラ州パダン市内のある日本語研修センター(LPK)にて
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公益財団法人国際研修協力機構(JITCO)が記すように、技能実習制度の目的・趣旨は、我が国で培われた技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の開発途上地域等への移転を図り、当該開発途上地域等の経済発展を担う「人づくり」に寄与するという、国際協力の推進である。
これは、常に強調されることではあるが、実態とはかけ離れている。
文字通り読めば、日本側で移転したい技能・技術又は知識があり、それを学びに開発途上地域等の人材に移転を図り、人づくりに貢献する、ということになる。
これを読む限りでは、外国人材にどこで技能・技術又は知識を移転するかは特定されていない。従来の経済協力のように、日本人専門家を派遣して当該開発途上地域等で移転してもよいし、日本に来てもらって移転してもよい。
日本は、どんな技能・技術又は知識を移転したいのか。それならば、日本に技能実習のイニシアティブがある。従来の経済協力ではそれが明確だった。
日本が移転したい技能・技術又は知識のなかで、日本に来てもらわないと移転できないものは何か。本当ならば、それも吟味しなければならない。
現状からすれば、そうした日本から移転したい技能・技術又は知識とは、たまたま偶然に、日本で人手不足となっている職種の技能・技術又は知識、ということなのだろうか。
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まやかしもいい加減にしてほしい。
インドネシアで、技能実習生がどのように募集されているのか。インドネシアでは、労働省が決めた人数を各州に割り振り、各州の労働局が窓口となって割り当てられた人数を満たすことに躍起になっている。
筆者も西スマトラ州労働局と最初にコンタクトした際、「日本では何人必要なのだ?」といきなり聞かれた。州労働局がその人数を用意するというのだ。
大事なのは人数なのだ。溶接の仕事をしていた人が日本で溶接を学ぶ、という風にいちいち丁寧に人を探していたのでは、人数を満たすことなどできない。まして、鳶(とび)といった職業はインドネシアでは見かけない。
現実には、そうした前職経験のない、仕事が見つからない失業青年たちの応募が想定されている。若者の失業対策として、日本への技能実習は有益なプログラムと受け止められているのだ。
では、誰がインドネシア労働省に必要人数を求めているのか。日本は政府としては行っていないはずである。それを行っているのは、インドネシアにおける送り出し+日本における受入れの過半を扱っている某団体である。
技能実習制度は、本来ならば、もともと持っている技能・技術又は知識を高めるために、日本で研修を行うという制度である。それが形骸化していることは、誰もが知っている公然の事実である。
インドネシアで話を聞くと、日本へ行く前に、日本で何を学ぶのか、どこで研修するのか、了解して日本へ向かう技能実習生はごく少数であり、ほとんどは、日本に着いてはじめて、どこで研修するのかがわかる、という。
でも、彼らのビザは発給されている不思議・・・。えっ、履歴書や前職経験は問題ないのか・・・。
そこには深い闇がある。
その深い闇について、ここでは触れないが、技能実習のそもそも論のところから誤っていて、その誤りが訂正できないほど、闇が深くなっているということ。
つまり、もし、その誤りをすべて本気で正したら、もしかすると日本経済は動かなくなるかもしれない、という状態なのだと察する。だから、闇は闇のまま放置される・・・というのだろう。開き直りなのだ。
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学ぶというイニシアティブと教えるというイニシアティブは、本来、どちらが最初なのか。今の技能実習は、教えるというインセンティブが先にある、と読める。でも、教わる(学ぶ)側がその技能・技術又は知識を教わる動機が強くなければ、教えるという行為は有効にならない。
筆者は、学ぶ側のイニシアティブが最初だと考える。何を学びたいかが明確ならば、それを教える相手を的確に探すことができる。技能実習生の研修への取り組みはずっと熱心になり、教える側もその熱意を受けて、それが彼らの帰国後に生かされると信じて、一生懸命に教える。
自分が日本で何を学ぶのか、どこで学ぶのか、分からない者は、日本で技能実習を受ける動機が「いくら稼げるか」以外にはなくなる。それでも、自分の適性と何の関係もなかった技能・技術又は知識を身につけ、技能国家試験に合格する者さえいる。それは、この技能実習制度の成果ではなく、実習生個人の類まれなる努力によるものでしかない。
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筆者は、学ぶ側のイニシアティブをまず重視したい。日本へ何を学びに行くのか、その認識を明確にしたいと考える。日本へ行く動機が明確になれば、日本語の勉強により集中できるはずである。
日本へ行って学ぶ動機としては、個人の持つ動機以外に、インドネシアの地域が自らの地域をどのように開発していくか、その開発のためにどのような人材が必要か、という観点から、地域から期待される人材を技能実習へ送り出す、ということが考えられる。
たとえば、今回訪問した西スマトラ州パヤクンブ市の副市長は、インドネシア料理として名高いルンダン(牛肉のココナッツ煮)で地域おこしを試みながら、他の農産物などの食品加工業を起こしたい、パヤクンブ市を商人の町からものづくりの町へ変えていきたい、という明確な方向性を示した。
こうした地方政府の意向を受けて、将来の食品加工業を担える人材を育成したい、インドネシアで学べるもの・マレーシアで学べるもの・日本で学べるものを峻別し、日本で何を学ぶかを明確にする。それが明確になれば、筆者が学ぶ目的に適した日本の受入先を懸命になって探すことになる。
探した後、受入先に対して、単なる人手不足対策ではなく、送り出す地方政府がこのような意図をもって学ばせに来る人材であることを懇切に説明し、納得してもらったうえで、受け入れてもらう。目的を達成するための綿密な実習計画を受入先と策定し、その進捗をモニタリングする。実習終了後、インドネシアの当該地方へ戻った実習生が今度は地域でどのように活用されるかを地方政府と協議し、その活動状況をずっとモニタリングしていく。
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こうしたプロセスならば、本当の技能実習にだいぶ近づくのではないか。
このプロセスはとても面倒で手間がかかる。でも、人材育成とは本来そういうものであろう。筆者の目が黒いうちは、帰国実習生をずっと追いかけていきたいと考えている。
もちろん、目的意識を持った彼らを日本の企業が受け入れることが、その企業の立地する日本の地方にとっても有益なものとなるように努めていかなければならない。すなわち、インドネシアの実習生を送り出す地域にとっても、彼らを受け入れる日本の地域にとっても、どちらもプラスになる形を目指さなければならない。
外国人材を日本の地方活性化のための戦力としてどのように活かすのか。
この点については、別途、しっかりと論じてみたい。

日本は何によって外国人労働者に選ばれる国になるのか

●外国人が日本を選ぶ理由が議論されていない

「日本は、外国人労働者によって選ばれる国にならなければならない」という文言をよく聞く。韓国や台湾など、他のアジア諸国との外国人労働者争奪競争を意識したもので、そのためには、外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることが必要、といった論調がみられる。

しかし、重要なことが一つ抜けている。すなわち、外国人労働者は何をもって日本を選ぶのか、その理由についての議論が全く見られないのである。

このこと一つとっても、昨今の外国人労働者をめぐる議論が、日本側、彼らを活用する側からの視点からしか行われていない、極めて一方向的な議論に終始していることが分かる。そう、政府も民間も、誰も外国人労働者側のことなんか本気で考えていないのだ。自分たちの人手不足が解消すれば、誰でもいいというような状況なのである。

なぜ外国人労働者は日本に来たいのか。他国ではなく、日本を選ぶのか。あるいは逆に、何を売りにすれば、彼らは自分たちの就労先として日本を選ぶのか。この辺りを、しっかりと調査した形跡はうかがえない。

外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることは、もちろん重要である。その場合には、どれだけ他国よりも法的保護を強めるのか、働きやすい環境を整えるのか、ちゃんとアピールする必要があるのではないか。

地域おこしの一環で新産品開発・販売促進を試みる際、どこもかしこも同じような饅頭や漬物を作ってしまう、という批判をよく聞く。そのときに、他の類似製品と何が違うのか、同じ種類であればどのように他より優れているのか、説明できなければ、その新産品はアピールできない。お客さんから選ばれる商品にはならない。

もし政府が、選ばれる国になるために外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えるというなら、他国よりも優れている点をきちんとアピールすべきなのである。

もっとも、外国人労働者が、そういった点を重視して日本を選ぶかどうかは、やはり確認しなければ分からない。ただ、昨今のメディア報道や私自身のインドネシア人技能実習生・元実習生らとの関わりのなかから、見えてきたことがある。

高い賃金を理由に日本を選ぶ者もたしかにいる。でも、それ以上に、彼らが日本にあこがれる理由があるのだ。

それは、日本の高い技術・技能を学びたい、という理由である。

●日本で技術・技能を学びたい

彼らの頭のなかには、1970~1980年代の高度経済成長を成し遂げた日本のイメージがあり、それを体化させた日本製品の高品質への尊敬がある。彼ら自身、そうした日本製品を手にし、あるいは手にできなくとも、羨望のまなざしで日本製品を見ながら育ってきた。

時代は変わり、我々日本にいる者たちは、彼らのあこがれたそれは過去の日本であり、実際には多くの技術や技能における熟練が失われ、技の継承が難しい時代になっていることを知っている。家電製品を見るまでもなく、韓国や台湾や中国がもはや世界市場で重要な地位を占め、日本もそれら市場プレーヤーの一つに過ぎなくなったことは、国家としては悲しく寂しいことであろうが、急速に変化する時代のなかで、その現実をきちんと受け入れなければならない。

そこで、過去の日本にまだあこがれを抱き、それを学べるのではないかと思って日本を選ぶとするならば、受入側はどうすべきなのか。

もはや後継者はいないと思って継承を諦めていた技術や技能を、もう一度、引っ張り出してきて、彼らに教え込むことはできないだろうか。

発展を急いだ国々では、釘やネジを正確に造ったり、ハサミをきちんと研いだり、道具や工具や産業機械を自前で製造・管理したり、建築の際に安全に作業する手順など、そうした基礎的な部分が疎かなまま、最先端技術やIT/AIへ一気に飛びつこうとしている様子がある。何かあったときに、ベーシックへ戻って自前で問題を解決できる技術や技能が求められているはずである。

もっとも、それは外国人労働者だけでなく、日本人労働者でも同様なのだが・・・。しかし、日本人労働者がそうした現場に来たがらないという現実もある。日本人が見つからないから外国人、という安易だが背に腹は代えられない状況がある。

日本で技術や技能を学びたい、という外国人労働者が来たなら、受入側は彼らにきちんと教えてくれるだろうか。そうあってほしいと思うのだが。

●日本で学んだ技術や技能を活かすために

日本へ行ったら技術や技能が学べる、としても、日本で学んだ技術や技能が、外国人労働者の祖国や地元で生かされなければ意味はない。

そこで、外国人労働者が日本へ来る前に、できれば地元の政府や企業の関係者を交えて、日本でどのような技術や技能を学んでくるのが帰国後に地域への貢献になるのかを話し合い、適任な候補を選抜し、彼に地域からの期待を背負う形で日本の受入企業で学んでもらう、という道筋をつけるべきだと考える。

日本の受入企業側も、そうした使命をもって受け入れた外国人労働者を手荒に扱うことはできないはずだ。なぜなら、受入企業が長年培ってきた技術や技能を尊敬し、それを学ぼうとする稀有な人材は、いまや日本のなかで探し出すことが難しいからである。だったら、受入企業を敬う外国人労働者に対して、それを託し、たとえ日本でなくとも、世界のどこかで匠の技が伝承され、世の中に役立てるような形で伝承されていくことを望むはずだと思うからである。

もしこれが実現できるならば、技能実習制度は本当の意味での技能実習となり、技能実習生を受け入れて育てた企業は、収益や利潤だけではない、技術・技能教育機関として、日本の地域のなかに存続していく価値を持つことになる。地域に企業が残っていくための一つの方策として、本来的な意味での技能実習制度が活用できるのではないか。そうした企業を表彰し、指導者企業という称号を与えて行政が存続を支援する政策を採ることも有用である。

そしてまた、受入企業が当たり前だと思っている日常的な作業を再評価し、それが技術・技能修得プロセスをきちんと踏んでいることを「見える化」させることも重要であろう。それによって、作業の意味付けがより深まり、本当の意味での技能実習と意識できるようになるはずである。

●本当の技能実習で、日本を人材育成のコアに

私自身は今後、以上のようなことを実現させたい。技能実習制度を本当の意味での技能実習にする。そのことが、日本を他国から差別化し、技術や技能を学びに来る人材を引き付けたい。技能実習を通じて、アジアにおける人材育成のコアとしての役割を日本が果たすように促したい。

インドネシアの地方の現場と日本の地方の現場の両方を知る自分だからこそ、その両者のニーズをつなぎ合わせ、両方の地方にとってウィン=ウィンになるような仕組みづくりを試みたい。

地方政府や地元企業家と一緒に、技術や技能を学ぶ意欲と使命感を持った人材を発掘・選抜。その技術・技能を教え人を育てられる日本の受入企業を見つけてつなぐ。日本での技能実習プロセスをしっかりモニタリング。祖国へ帰国後、その人材が地域の現場で何をするのか、学んだ技術や技能はどのように活かされているのかについて、地方政府や地元企業家と一緒にずっとモニタリングしていく。

●だから私はインドネシアの地方へ行く

だからこそ、私はインドネシアの地方へ行く。自分たちの地方をどうしていきたいのか、真剣に考え、行動しようとしている地方へ行く。その地方が直面する様々な課題は、日本の地方のそれと本質的に変わるものではない。その課題を解決・緩和するためにどのような人材をどのように育成していくか。

それは、単なる数合わせではない。日本側で不足する人数を揃えて調達すればいい、という話ではない。地方の期待を背負った大事な人材を日本でしっかり育てる、ということなのである。前にブログで触れた、固有名詞で捉える世界なのである。

技能実習制度を本当の技能実習にする。これは、かつて日本の専門家が海外へ出て行って人材育成を行ったこととは逆に、外国から来た研修生に対して日本の受入企業が指導し、日本で人材育成を行う、ということである。これまでに海外での様々な人材育成のノウハウを蓄積してきたJICAやAOTSなどの政府機関が、技能実習制度を本当の技能実習とすることに役割を果たせる可能性があるのではないか。

●介護・看護でも、農業でも必要な人材育成

以上の話は製造業をイメージしていたが、介護・看護や農業でも同様である。

急速な高齢化が進むアジアでは、遠くない将来、多くの介護・看護人材が必要になる。日本は、そうした介護・看護人材を量的に育成するだけでなく、いずれ各国で介護・看護人材を育成できる指導者的人材を育てて輩出することを考えるべきである。今、日本で受入れている介護・看護人材をそのような目で育てていくことが求められてくる。

農業でも、技能実習では単なる労働力ではなく、農業経営のできる人材育成と位置づけるべきである。農業労働者ではなく農業経営者となった彼らは、帰国後、自分の農村でのリーダー的存在となり、村づくりや産品振興の先頭に立って、地域のために活躍できる人材となっていくはずである。

●特定技能は「労働者」、技能実習と明確に分ける

2019年4月から始まった特定技能は、研修生ではなく「労働者」という色彩が濃い。単純労働も可能という解釈であり、単に高賃金を求める外国人労働者は、こちらのカテゴリーに含まれていくことだろう。

ただ、少なからぬ企業は、特定技能では転職が認められることから、3年間縛り付けられる技能実習を選好するものとみられる。だとするならば、ここではっきり、技術や技能を教えて人材育成するならば技能実習、人手不足解消のための労働者として雇うならば特定技能、と分けるべきと考える。

そして、技能実習をきちんと行う企業は、たとえ経営が厳しくとも、人材育成企業として行政が称え、政策的な優遇措置を採って地域に存続させる。一方、労働者として特定技能ビザで雇った外国人労働者は、日本人労働者と同様の権利を認め、転職もやむなしとする。

もっとも、特定技能ビザで雇ったとしても、技術や技能の修得を図り、技能国家試験の上級に合格させるなど、人材育成に貢献した企業は、技能実習の場合と同様に、人材育成企業として行政が支え、地域に存続させることを考えるべきであろう。

●人材育成を通じて送り出し国の地方と日本の地方をウィン=ウィンに

日本が外国人労働者に選ばれる国になるために、外国人労働者への法的保護を強めたり、これまでより働きやすい環境を整えることは基本中の基本である。そして、技術・技能を学びたいという彼らも、いつまで過去の日本へのあこがれを抱き続けるかは定かでない。日本が彼らに選ばれる理由をもっと真剣に考える必要がある。

そして、彼らの評価が変わらない今のうちに、送り出し国の地方にとっても、受け入れる日本の地方にとっても、地域活性化の観点からウィン=ウィンとなるような事例・仕組みづくりを始めることに意味がある。

ここに書いたことは、理想論かもしれない。でも、ことインドネシアに関して、インドネシアと日本とをつなぐプロとして、私はそれを実現させたい。興味を持たれた方は、是非、ご連絡いただきたい。

そして、彼ら外国人労働者が単なる人手としてではなく、地域活性化にとっても戦力として生かしていける可能性について、別途、このブログで論じることにしたい。

外国人技能実習関連講習を受講しました

2月12~15日の4日間、福島市で外国人技能実習制度関係者養成講習を受講しました。

今回の講習は4種類。敢えてすべてを受講しました。すなわち、監理団体向けの技能実習監理責任者等講習、技能実習生の受入企業向けの技能実習責任者講習・技能実習指導者講習・生活指導者講習の4種類です。

これらは法令講習で、2020年4月から、技能実習に関わる監理団体の監理責任者・外部役員・外部監査役と、受入企業の技能実習責任者は、講習受講が義務化されるということです。また、技能実習指導者と生活指導者は各事業所(工場など)ごとに配置されますが、この講習を受けていると、優良技能実習実施者として、加点評価になります。

これらの講習は3年間有効で、3年毎に更新する必要があります。

敢えて4種類の講習をすべて受けたことで、技能実習の関係者に対して講習でどのような内容が教えられているか、実際に監理責任者、技能実習責任者、技能実習指導者、生活指導者となる方々はどのような方々なのか、技能実習の現場では何が問題となっているのか、などを知ることができました。

講習を通じて分かったのは、2017年11月に施行された技能実習法は、もしそれをきちんと遵守するとなると、本当は、実に厳しい法律であるということです。

監理団体や技能実習実施者(受入企業)が守るべき内容は、ほぼすべてが法律の条文によって定められています。たとえば、監理団体が定期監査などで受入企業において賃金未払いや残業代の計算間違いなどの不正を発見した場合、法律の条文によると、監理団体はその是正を指導するとともに、労働基準監督署へ通報しなければならないと定められています。

すなわち、監理団体は不正に対して指導するだけでなく、その不正の存在を通報しなければ、法律違反になる、ということです。その内容にも依りますが、法律違反となると、監理団体の認可取り消しになりえます。

技能実習計画と違う実習を行ったことを表沙汰にしたくない場合、どう処理するでしょうか。

まず、監理団体が計画と異なる実習を行っていることを知りながらそれを通報しないと罰せられます。次に、技能実習日誌に実際に行った実習の内容を記載すると、計画とは違うことが明らかになり、罰せられます。あるいは、日誌の内容を計画通りに行ったと記載した場合、嘘の記載をしたことになり、罰せられます。

つまり、どう転んでも、バレたら必ず罰せられる、というわけです。

実際にはどうでしょうか。監理団体と受入企業とが共謀して、不正がバレないように隠蔽することが多いのではないかと想像します。監理団体は、実習生1人当りいくらという形で受入企業から監理費を支払われています。いってみれば、顧客である受入企業に対して、監理団体が厳しく処することは相当に難しいはずです。

政府は、今回の技能実習法を通じて、悪徳監理団体や不良受入企業を技能実習から排除することを目的としていたとも考えられます。基本的に、監理団体や受入企業を信用していないからこそ、このような厳しい法律によって監督しようとしたのだと思われます。

こうして、私自身は今回、技能実習制度について講義できるぐらいになりたいと思って受講しました。そのレベルに達したかどうかは不明ですが、技能実習法を遵守するだけでも、ネガティブ・イメージが蔓延する技能実習は相当に適正化するのではないか、と感じました。

政府は、今年4月から新しい在留資格「特定技能」を創設し、技能実習とは別の労働力としての外国人材を受け入れられるよう、入管法を改正しました。

その中身についてはまだまだ不明点が多いのですが、技能実習を3年終えた実習生の相当部分が「特定技能」1号へ移行することが予想されます。「特定技能」には監理団体は関われませんが、外国人材のリクルート・サポートを行う登録支援機関ができます(新設の出入国在留管理庁の認可が必要)。この登録支援機関が正しく機能できるかどうかが重要になってくると思われます。

以前、下記のブログにも書きましたが、技能実習を本来の意味での技能実習へ正していく必要があると考えています。

 インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います

インドネシアの地域産業人材需要を知り、どのような人材が必要かを考え、それにマッチングできる日本の地域産業の状況を意識したうえで、インドネシアの地方政府の認知の下に技能実習生を日本で受け入れる。実習を終了しインドネシアへ帰国した後、彼らがどのように地域で貢献していくかをずっとフォローする。私自身は、これらを一貫して行なうことが可能です。

併せて、実習生を受け入れた日本の地域産業・企業が今後どのように地域経済振興・地域再生に関わっていけるのか、そうした外国人材を地域づくりのための戦力として生かしていけるかどうか、といったことにも関わることが可能です。

 外国人材を地域づくりの戦力に

インドネシア人の技能実習を行っている監理団体や受入企業などで上記のような助言を行うアドバイザーの必要な団体、外部役員や外部監査役が必要な監理団体などございましたら、matsui@matsui-glocal.com へご連絡ください。

また、新設の「特定技能」に関わるインドネシア人向けの登録支援機関の設立・運営についても、お手伝いできればと思います。インドネシアの現場と日本の現場を知り、技能実習関連講習を受講済、現地語(インドネシア語)で現地地方政府・企業等との適切なやり取りが可能です。インドネシアは全国どの地方ともコンタクト可能です。

関心のある方は、matsui@matsui-glocal.com へご連絡ください。

東京の我が家の庭に、遅咲きの梅の花が一輪咲きました。

インドネシアの大学の先生方を福島へ

8月1日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の先生方5人を福島市へお連れしました。朝、羽田に到着し、そのまま東京駅から新幹線で福島へ来ました。

今回の訪問は、今年4月に私が同大学でゲスト講義を行なった際に話が出ていたもので、福島をテーマとした新しいプログラムを立ち上げる可能性を探るための来訪です。

福島駅近くのホテルへ到着。でも午後3時までチェックできず、一息入れる間もなく、ホテルのカフェでそのままミーティングへ。でも、今回の福島訪問では、実は、このミーティングが一番重要だったのでした。

ミーティングの後、ようやくチェックインし、夜行便でできなかったマンディ(水浴)をした後、どうしても私のオフィスを見たい、ということで、飯坂電車に乗って、オフィスへ向かいました。

私のオフィスの敷地内にある古民家に感嘆し、オーナーの話にいちいち頷く面々でした。オーナーの実家の畑で採れた旬の桃を頬張って、「リンゴより美味しい!」と感嘆の声を上げています。

もちろん、私のオフィスにも来ていただきました。急に強い雨が降り出し、しばらくオフィスで雨が弱まるまで待機せざるを得ませんでした。

先生方の福島訪問は本当にわずかの時間ですが、福島をテーマとした新しいプログラムへのヒントはつかめたようです。うまくいけば、来年の今頃、そのプログラムが実現するかもしれません。私も、その準備に楽しく関わっていくことになりそうです。

マラン・ムハマディヤ大学を訪問

今回のマラン行きは、マラン・ムハマディヤ大学を訪問することが目的です。同大学政治社会学部のT先生の招きで大学を訪問し、先生方や学生らと色々話をしました。

この大学は、インドネシアのイスラム社会団体であるムハマディヤが経営している大学の一つで、全国各地にあるムハマディヤ大学のなかで評価の高い私立大学で、インドネシア政府が認定したAクラス大学(国立29校、私立15校)の一つです。

英語で授業を行う国際クラスにも力を入れていて、ガルーダ・インドネシア航空の機内誌にその広告がよく載っています。学生数は3万人を超え、3つのキャンパスがあり、第3キャンパスはマラン市、マラン県、バトゥ市のちょうど境界に建っています。なかなか学校経営がやり手で、経営が悪化した遊園地を買い取って、教育機能を持った施設へ帰る計画もあるようです。

まず、政治社会学部国際関係学科の先生方と面会し、意見交換をしました。T先生は、私を客員として招聘して授業をしてもらいたいという希望を持っているようで、その話を追って内部で検討するということになりました。

次に、同大学調査・社会貢献局で同局の先生方と面会し、意見交換しました。この局は教員や学生の調査・研究の実施管理や、知の社会還元を意識した実地授業(KKN)の実施運営を行っている部署です。

今後、日本の大学と提携して、学生たちが一緒にフィールドワークを行うプログラムを行いたいという話でした。すでに複数の日本の大学と協力関係を持っており、まずはそこでのプログラムのさらなる発展という文脈で考えてみることをアドバイスしました。そして、必要に応じて、私からも協力することを約束しました。

調査・社会貢献局の方々からは昼食に招かれ、さらに歓談が続きました。

夜は、T先生の友人であるジャーナリスト、華人系団体代表、女性活動家、大学教師などと一緒に、夕食の後、約2時間半、自由に意見交換を行いました。話し合ったトピックは、グローバリゼーションとローカルの対応、インドネシア農業の今後、環境保全、日本との関係など、多岐に渡りました。

今日お会いした皆さんは、私の話を真剣に聞いてくださり、議論も前向きのものが多く、有意義な内容でした。今後、何らかの形で、マラン・ムハマディヤ大学と日本の大学などとの交流とそこからのさらなる展開を生み出していけるよう、引き続き、彼らとコンタクトを取りながら話を進めていきたいと思いました。

今日のお昼のお弁当が美味しかったので・・・

今日から、JICA中小企業海外進出支援事業の一環で、大阪の中小企業の皆さんと一緒に、食品加工機械のデモンストレーションのためのワークショップに関わっています。

主催は東ジャワ州飲食品・包装研修センターで、今回の私の役目は、機械の内容と研修の様子を理解し、5月の最終セミナーの運営に役立てる、というところです。

開会式の後、すぐに実地での機械の説明に入るはずなのですが、昨日の雨で電線が切れたため、機械が据え付けてある棟が停電となってしまい、機械を動かせなくなってしまいました。復旧するのは昼過ぎ、ということで、時間が余ってしまいました。

そのとき、急遽、チームから私に、「ワークショップ参加者に対して何か話をしてほしい」と言われ、まあ、そういうのは慣れているので、漫談のような「講演」をしました。それでも時間が余るので、「参加者の自己紹介をしてはどうか」と提案し、自己紹介でようやく間が持ち、続いて、包装面での特別授業が加わり、何とか、お昼までの時間を潰すことができました。

お昼になって、昼食は研修センターが用意してくれるのですが、今日のは下の写真のような弁当でした。

ご飯(左上)、鶏肉の辛味煮付け(左下)、パパイヤの葉の炒め物(右上)、キャッサバチップ(右中)、ゆで卵のカレーソース和え(右下)、これにミカン(地物か輸入物かは不明)が付きます。

最近のランチボックスは、写真のように、仕切りがあって、そこにおかずがいくつか入るようにできています。以前のように、真ん中にご飯があって、その脇に鶏の唐揚げと野菜が入っている、汁物と果物はビニールに入っている、という感じのものはあまり見なくなりました。

さらに昔は、バナナの葉にご飯とおかずが一緒に包まれていましたが、それも最近昼食ではあまり見かけません。

今のものは食べやすくていい感じなのですが、あのご飯とおかずのソースが入り混じり、なんとも言えない美味しさを醸し出していた、というのは、オフィスなどでの昼食には出てこなくなるのかもしれません。街中では、屋台などでまだバナナの葉やその代替品である(裏地に油よけコーティングした)紙で包むのがまだ主流ですが・・・。

そして、今日食べた弁当のおかずの味付けがなかなか良く、ご飯によく合うのです。インドネシアのいろいろなところを食べ歩きしましたが、ジャワの普通のこうした「定食」系のおかずは、意外にどこでも美味しく、田舎へ行ってもレベルの高さを感じます。

インドネシアの食べ物はナシゴレンとミーゴレン、などと単純化する話も聞きますが、それ以外のフツーの人々の食べているものの美味しさを発見する喜びを何度感じたことか。

自分たちが食べている普通のものを、よそから来たお客さんになんか出すのは恥ずかしい、という気持ちがあるのかもしれません。ナシゴレン、ミーゴレン、鳥の唐揚げをどこでも食べられるのは、その表れとも言えるでしょう。でも日本だって、どこへ行ってもラーメンとカレーがあるし、同じ感覚なのかもしれません。

そんな普通のものがよそ者には信じられないぐらい美味しい、ということをそので普通に食べている人は認識していないのです。食べ物も立派な地域資源であり、そこの人にとって普通のものがすごいものであることを、そこの人とよそ者が交わることで認識する。

と考えると、食べ歩きもまた、そこの地域資源掘り起こしの第一歩になるかもしれない、楽しい営みなのかもしれないです。そう思って、食べ歩きは続くのです。

2月26日〜3月4日はスラバヤ出張

1週間後となりましたが、2月26日〜3月4日は、JICA中小企業海外進出支援事業の外部アドバイザーとして、インドネシア・スラバヤへ出張します。

今回は、大阪の中小企業による食品加工機械のデモンストレーションに関するワークショップのお手伝いです。主に、シドアルジョにある東ジャワ州商工局の訓練センターでの業務となる予定です。

スラバヤを州都とする東ジャワ州は、農産品加工による付加価値向上を州開発政策目標の最上位としており、日本からの食品加工機械の導入には大変熱心に取り組んでくださっています。とりわけ、健康ブームの影響で、油をできるだけ使わない加工食品の開発・生産への関心が高まっています。

日本でも、ノンオイルのおせんべいなど、ヘルシー志向の食品が増えていますが、高血圧や高コレステロールが蔓延するインドネシアでも、経済発展に伴う生計向上のなかで、そうした食品の健康化が大事な時代になってきたと言えるでしょう。

スラバヤはちょうど日本祭りが終わった頃だと思いますが、うまく日程が合えば、日本祭りにも顔を出したかったところです。以前、スラバヤに住んでいたときに楽しめたので、ちょっと思い入れがあります。

というわけで、来週、スラバヤでお会いできそうな方は、別途、ご連絡いただければ幸いです。