インドネシア元技能実習生からの問い合わせが増えた


このところ、インドネシア在住の元技能実習生たちからWhatsAppなどで問い合わせが来ます。そのほとんどは、「特定技能ビザはどうなりましたか」というものです。
彼らはかつて、日本で技能実習を経験しました。昨年(2019年)、日本は「特定技能」というステータスを新設しました。この特定技能に対して、すでに帰国した元技能実習生がビビッと反応しました。同じ業種に限るという条件で、日本での受け入れ先があれば、彼らは「特定技能ビザ」によって、再び日本で就労できるからです。
正確・公式にいうと、技能実習は就労ではなく技術・技能習得のための研修という性格が強いのに対して、特定技能は、同じ業種に限るとしながらも、就労という性格が強いのです。特定技能での就労は、日本の労働者とほぼ同じ権利を行使でき、同じ業種ならば、他者への転職も認められ、労働条件も日本人と同じでなければなりません。
実は技能実習も、労働条件は日本人と同じでなければならないのです。でも、多くの場合は、「就労ではない」という理由で最低賃金ギリギリしか支払われず、またその他の福利厚生コストも省かれてしまっているのが実情です(説明がきちんとなされず、技能実習生自身がそのことを理解していない場合もあります)。研修だから実習生は3年間動けない(3年間の労働力は確保できる)、研修だから労働者と同じ賃金や条件は支払われない(ただし、実際は監理団体に対する支払いや受入開始前の準備費用などがあるため、企業の全体的なコストとしては必ずしも安くならない)、といった状況が生じてしまいます。
こうした事情から、日本では、特定技能よりも技能実習のほうを選好する傾向が強いように見受けられます。日本政府が想定していたほど、特定技能は企業側に受け入れられていないのが現状だと思います。
昨年の今頃は、インドネシアで特定技能に関する正しい知識が広まらず、様々な嘘の情報によって詐欺まがいの行為が横行する状態になっていました。その状況を看過できず、私もインドネシアへ行って、各地で特定技能に関する情報提供のセミナーを行ったり、フェイスブックの法人ページで連日、彼らからの数え切れないほどの相談にのっていました。
下の写真は、2019年4月、中ジャワ州の州都スマランで、特定技能の説明を行ったときの様子です。
2019年6月には、西スマトラ州の州都パダンで、州労働局主催のセミナーで、特定技能について説明しました(下写真。私の左隣が州労働局長)。
私自身、2019年4月、弊社が特定技能に関わる登録支援機関の資格を取るべく、出入国管理局へ申請したのですが、7月、却下されてしまいました。どれだけたくさんの活動をしてもボランティア・ベースではダメで、請求書ベースのカネのやり取りがなければ認められない、ということのようでした。申請時に支払った高額の登録申請料は泡と消えました。
これを受けて、私宛に相談を寄せてくれた何人ものインドネシア人の方々に対して、登録支援機関に認められなかったことを詫びました。その後、怪しげな登録機関の話を聞くたびに、心を痛めていました。
自分の能力不足なのだ、と思うことにしました。そして、労働者として扱われる特定技能は他のより優れた登録支援機関に委ね、自分はむしろ、技能実習を本来の意味での技能実習へ変えさせることを目指そうと思いました。
そんななかで起きた新型コロナウィルスの感染拡大。仕事のなくなった企業が技能実習生を一方的に解雇したりするという情報や、農業の現場で作業するはずの技能実習生が来日できなくなって困っているという情報などがたくさん流れてきました。日本経済の裾野を彼らがしっかり支えてくれていること、それに対して日本側がどのような扱いをしてきたのかということが、図らずも浮かび上がってきたのでした。
そして、今、インドネシアにいる元技能実習生から「特定技能ビザはどうなったのか」という問い合わせがよく来るようになりました。想像するに、これまで以上に、彼らもインドネシアの国内での仕事がなくなったり、仕事を探すのが難しくなったりして、苦しんでいるに違いありません。そんな彼らが一縷の望みをかけて、日本へ行けば大丈夫だろう、特定技能があるはずだ、と、こちらへすがってきたのだと思います。
そこで今日、フェイスブックの法人ページに、今の日本の実情について説明を書きました。日本も経済が落ち込んで失業や解雇が増えていること、現実にインドネシアから日本へ入国するのが無理な状態で特定技能ビザが発出される可能性は低いこと、そもそも日本企業は特定技能よりも技能実習を選好する状況であること、などの内容を書きました。

(インドネシア人の元技能実習生からの弊社ファイスブックページへの書き込みやシェアが止まりません。5月20日午前1時時点で5,758人が上記メッセージを見ています。びっくりです!)
日本で技能実習を経験した彼らには、私たちが思う以上に、日本を「すごい」と崇拝する気持ちが強いのです。そのため、今のような状況になっても、日本経済は大丈夫だ、という不思議な思い込みがあるようです。今の日本経済の現状をちょっと率直に書いただけで、「情報をありがとう」と感謝されるのです。
受入企業では決して良い思い出ばかりではなかったにもかかわらず、日本はすごい、素晴らしいと思ってくれている彼らは、インドネシアの対日感情を好意的なものにしてくれている一つの要素でもあります。これまで我々は、そのうえに胡座をかいて、彼らの「幻想」を放置してきたのかもしれません。
私が彼らに日本の現実を伝えることは、果たして反日的な行為でしょうか。自分が抱いてきたすごい日本像が仮に崩れたとしても、それでも日本が好きだと言ってくれるような彼らになってもらうことのほうが、ずっと重要なのではないか。そのための付き合い方は、決して、日本はすごい、インドネシアはまだまだ、と思わせるような、日本側の上から目線では決してないはずです。
そうした普通の付き合いのできる関係を目指して、これからも活動していきたいと考えています。

真の技能実習を目指す教育訓練機関と協力したい

このブログでもたびたび書いてきましたが、日本の現在の技能実習プログラムを本物にしたいという願いを共有できる、インドネシアの教育訓練機関(LPK)を見つけ出し、協力関係を作り始めています。

これらのLPKは、何年も経験のある機関ではなく、割と新しく始めた機関で、従来の常識や慣習にまだ染まっていない、理想を語り合える相手でもあります。

日本へ技能実習生を送り出すためには、LPKは送り出し機関(SO: Sending Organizaiton)の認可を受けなければなりません。今、お付き合いを始めているLPKは、まだ新しく、実績を作るのはこれからです。SOになるには、日本の監理団体との間でMoUを結ばなければならないのですが、既存の監理団体との間では、なかなか関係を作れないのが現状です。

まあ、まだ実績がないわけですから、いきなりMoUというのも、難しいのはもちろんのことです。

パダンで協議したLPKのチームメンバー(2019年6月25日)

今回、パダンで協議したLPKは、日本で実習を受けた技能が帰国後にインドネシアで生かされていないことをとても残念に思っていました。何とかして、その技能をインドネシアで生かせる人材育成を実現したいと強く願っています。

そこで、今回、彼らから、ある面白い考えが出されました。

そのLPKは、別にもう一つLPKを作り、そのLPKは「溶接」に特化させるというのです。

溶接に特化させたLPKを傘下に置く民間企業を作り、溶接工場を備えて、溶接をビジネスとして行いながら、そこで実習生候補者の事前研修を行う。溶接に技能自体は様々に応用が利くので、独立することも可能と考えています。

今回、国立パダン職業訓練校(BLK Industri Padang)も訪問しましたが、ここで力を入れている技能の一つが溶接でした。もっとも、まだそのレベルは高くなく、国家予算上は3G溶接工レベルまでと想定されていました。高度な溶接技能者の育成は、バンドンにある職業訓練校がそれに特化して行っている、ということです。

溶接といっても、アーク溶接、ガス溶接、ステンレス鋼溶接など、様々な種類があり、日本ではその資格認定基準も細かく定められています。これらを吟味して、現在、そして今後、インドネシアでどの種類の溶接が必要になってくるかを検討し、それを担える人材を作っていくことが求められてくるでしょう。

インドネシアのLPKも、それぞれの特色が求められる段階に入りつつあるかもしれません。パダンのこのLPKは、まずは溶接技能者の育成に傾注し、それがある程度軌道に乗ったら、さらにべつの技能者の育成へ向かいたいと考えています。

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パダンのこのLPKとは別に、ジャカルタのLPKで、パダンのある西スマトラ州のパヤクンブ市に支所を持つLPKは、自らのLPK修了者の日本語能力の標準をN-3にすることを目標に定めました。独自のノウハウを蓄積し、教科書も自前で編纂する予定です。

このジャカルタのLPKも活動を開始してまだ間もないのですが、日本語教育にはかなりの自信を持っており、他のLPKの日本語教育部分を請け負うことも検討しています。得意分野を活かした、LPKどうしの横の連携もこれから大事になってくると思いました。

今後、こうした特色のあるインドネシアのLPKと協力関係を保ち、真の技能実習を目指す仲間との関係を少しずつ増やしていきたいと考えています。

こんな夜更けにプテ入りナシゴレンかよ

7月22日のよりどりインドネシア第50号発行、7月25日締切の原稿、7月28日締切の某法令のインドネシア語→日本語翻訳、7月30日夜の福島でのバングラデシュ訪問に関するミニ講演と諸々を何とか片付け、7月31日朝、羽田を出て、ジャカルタ経由で、31日深夜にパダンに到着しました。

出迎え無用と何度も言ったのに、どうしても出迎えたいと空港までやってきた友人の車で、ホテルへ向かったのですが、途中で、立ち寄り。プテ入りナシゴレンを食べていこう、というのです。

プテというのは、独特の臭いにおいのする豆のことで、インドネシアではよく食べるのですが、嫌いな人もけっこういるようです。

夕飯を食べ、パダン行きの飛行機のなかでもパンが出たので、少なめにしてもらって、プテ入りナシゴレンをいただきました。

プテは小さく切ってあって、食べたときに「たしかにプテが入ってるな」と感じる程度。ナシゴレンの味付けにジャワのような甘辛さがなく、どちらかというと、やや塩気があって辛い、という、ちょっと異なる味付けでした。

この店はパダン市内に3店舗ぐらい支店があるそうですが、プテ入りナシゴレンで昔から有名な店ということです。

BOFETというのは、小食堂ぐらいの意味だそうで、ビュッフェという用語と関係がありそうな気がします。Mienおばさんのビュッフェ、という感じでしょうか。

夜更けのナシゴレンで始まった今回のインドネシア出張。やはり、ワクワクしてきます。

真の技能実習のイニシアティブは送り出し側にある

6月にインドネシアのパダン、マカッサルを訪問し、技能実習や特定技能をめぐる現地での状況や反応を色々と見てきた。そして、技能実習の一番基本的なところが間違っていることを痛感した。それは何か。
すなわち、本当の技能実習を行うならば、そのイニシアティブは送り出し側になければならない、ということである。
西スマトラ州パダン市内のある日本語研修センター(LPK)にて
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公益財団法人国際研修協力機構(JITCO)が記すように、技能実習制度の目的・趣旨は、我が国で培われた技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の開発途上地域等への移転を図り、当該開発途上地域等の経済発展を担う「人づくり」に寄与するという、国際協力の推進である。
これは、常に強調されることではあるが、実態とはかけ離れている。
文字通り読めば、日本側で移転したい技能・技術又は知識があり、それを学びに開発途上地域等の人材に移転を図り、人づくりに貢献する、ということになる。
これを読む限りでは、外国人材にどこで技能・技術又は知識を移転するかは特定されていない。従来の経済協力のように、日本人専門家を派遣して当該開発途上地域等で移転してもよいし、日本に来てもらって移転してもよい。
日本は、どんな技能・技術又は知識を移転したいのか。それならば、日本に技能実習のイニシアティブがある。従来の経済協力ではそれが明確だった。
日本が移転したい技能・技術又は知識のなかで、日本に来てもらわないと移転できないものは何か。本当ならば、それも吟味しなければならない。
現状からすれば、そうした日本から移転したい技能・技術又は知識とは、たまたま偶然に、日本で人手不足となっている職種の技能・技術又は知識、ということなのだろうか。
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まやかしもいい加減にしてほしい。
インドネシアで、技能実習生がどのように募集されているのか。インドネシアでは、労働省が決めた人数を各州に割り振り、各州の労働局が窓口となって割り当てられた人数を満たすことに躍起になっている。
筆者も西スマトラ州労働局と最初にコンタクトした際、「日本では何人必要なのだ?」といきなり聞かれた。州労働局がその人数を用意するというのだ。
大事なのは人数なのだ。溶接の仕事をしていた人が日本で溶接を学ぶ、という風にいちいち丁寧に人を探していたのでは、人数を満たすことなどできない。まして、鳶(とび)といった職業はインドネシアでは見かけない。
現実には、そうした前職経験のない、仕事が見つからない失業青年たちの応募が想定されている。若者の失業対策として、日本への技能実習は有益なプログラムと受け止められているのだ。
では、誰がインドネシア労働省に必要人数を求めているのか。日本は政府としては行っていないはずである。それを行っているのは、インドネシアにおける送り出し+日本における受入れの過半を扱っている某団体である。
技能実習制度は、本来ならば、もともと持っている技能・技術又は知識を高めるために、日本で研修を行うという制度である。それが形骸化していることは、誰もが知っている公然の事実である。
インドネシアで話を聞くと、日本へ行く前に、日本で何を学ぶのか、どこで研修するのか、了解して日本へ向かう技能実習生はごく少数であり、ほとんどは、日本に着いてはじめて、どこで研修するのかがわかる、という。
でも、彼らのビザは発給されている不思議・・・。えっ、履歴書や前職経験は問題ないのか・・・。
そこには深い闇がある。
その深い闇について、ここでは触れないが、技能実習のそもそも論のところから誤っていて、その誤りが訂正できないほど、闇が深くなっているということ。
つまり、もし、その誤りをすべて本気で正したら、もしかすると日本経済は動かなくなるかもしれない、という状態なのだと察する。だから、闇は闇のまま放置される・・・というのだろう。開き直りなのだ。
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学ぶというイニシアティブと教えるというイニシアティブは、本来、どちらが最初なのか。今の技能実習は、教えるというインセンティブが先にある、と読める。でも、教わる(学ぶ)側がその技能・技術又は知識を教わる動機が強くなければ、教えるという行為は有効にならない。
筆者は、学ぶ側のイニシアティブが最初だと考える。何を学びたいかが明確ならば、それを教える相手を的確に探すことができる。技能実習生の研修への取り組みはずっと熱心になり、教える側もその熱意を受けて、それが彼らの帰国後に生かされると信じて、一生懸命に教える。
自分が日本で何を学ぶのか、どこで学ぶのか、分からない者は、日本で技能実習を受ける動機が「いくら稼げるか」以外にはなくなる。それでも、自分の適性と何の関係もなかった技能・技術又は知識を身につけ、技能国家試験に合格する者さえいる。それは、この技能実習制度の成果ではなく、実習生個人の類まれなる努力によるものでしかない。
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筆者は、学ぶ側のイニシアティブをまず重視したい。日本へ何を学びに行くのか、その認識を明確にしたいと考える。日本へ行く動機が明確になれば、日本語の勉強により集中できるはずである。
日本へ行って学ぶ動機としては、個人の持つ動機以外に、インドネシアの地域が自らの地域をどのように開発していくか、その開発のためにどのような人材が必要か、という観点から、地域から期待される人材を技能実習へ送り出す、ということが考えられる。
たとえば、今回訪問した西スマトラ州パヤクンブ市の副市長は、インドネシア料理として名高いルンダン(牛肉のココナッツ煮)で地域おこしを試みながら、他の農産物などの食品加工業を起こしたい、パヤクンブ市を商人の町からものづくりの町へ変えていきたい、という明確な方向性を示した。
こうした地方政府の意向を受けて、将来の食品加工業を担える人材を育成したい、インドネシアで学べるもの・マレーシアで学べるもの・日本で学べるものを峻別し、日本で何を学ぶかを明確にする。それが明確になれば、筆者が学ぶ目的に適した日本の受入先を懸命になって探すことになる。
探した後、受入先に対して、単なる人手不足対策ではなく、送り出す地方政府がこのような意図をもって学ばせに来る人材であることを懇切に説明し、納得してもらったうえで、受け入れてもらう。目的を達成するための綿密な実習計画を受入先と策定し、その進捗をモニタリングする。実習終了後、インドネシアの当該地方へ戻った実習生が今度は地域でどのように活用されるかを地方政府と協議し、その活動状況をずっとモニタリングしていく。
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こうしたプロセスならば、本当の技能実習にだいぶ近づくのではないか。
このプロセスはとても面倒で手間がかかる。でも、人材育成とは本来そういうものであろう。筆者の目が黒いうちは、帰国実習生をずっと追いかけていきたいと考えている。
もちろん、目的意識を持った彼らを日本の企業が受け入れることが、その企業の立地する日本の地方にとっても有益なものとなるように努めていかなければならない。すなわち、インドネシアの実習生を送り出す地域にとっても、彼らを受け入れる日本の地域にとっても、どちらもプラスになる形を目指さなければならない。
外国人材を日本の地方活性化のための戦力としてどのように活かすのか。
この点については、別途、しっかりと論じてみたい。