オンライン講義用の動画を作成してみた

今年は、大学教師の友人からの依頼で、母校で2回、ゲスト講義を行う予定です。
ただし、このようなご時世なので、すべてオンライン講義に切り替えられました。このため、オンライン講義用の動画を初めて作ることになりました。
私としては、学生と直に対話したり、議論したりするのがとても好きなので、Zoomで授業をとも考えていたのですが、友人からZoomのセキュリティ上の問題が指摘され、また予想できない、様々な技術的なものを含むハプニングが起こるので、パワポ作成後、動画を録り、動画ファイルにして送ってほしい、ということになりました。オンディマンドでの配信となるようです。
きっと、大学などで授業を持っている友人たちはすでに当たり前となっていることに過ぎないのでしょうが、私自身は初めてだったので、ちょっと戸惑いがあり、なかなか作業に取り掛かれずにいました。
でも、オンライン講義を配信する日時が迫ってきていて、もうこれ以上放置するわけにもいかないと思い、ともかく、やってみることにしました。
動画で使った映像。講義内で説明しませんでしたが、バティックを着てみました。
ちなみに、今回の講義はインドネシアの話ではなく、地域振興の話でした。
実際には、取り掛かる前に思っていたよりも容易でした。
パワポで作ると、1つのスライドごとに動画を録り、それをつなげる形になるので、失敗しても、そのスライドだけを納得いくまで録り直せるし、後から特定のスライドだけピックアップして録り直すことで、全体の時間調整もできます。
ただし、パワポに入れたアニメーションは効かなくなるので、アニメーションを活かすのであれば、コマ送りのように、アニメーションの一つ一つをスライドに一つ一つ落としていく、ちょっと手間のかかる作業を入れなければなりません。
そして、そのスライドの一つ一つをナレーション入りで録画するので、ナレーションを簡潔にするなどの工夫もいります。アニメーション入りのスライドをそのように処理してみたのですが、意外にうまくいきました。
今回、ハンドセットなしのパソコンだけでやってみたのですが、幸運にもけっこうマイクが音声を拾ってくれました。ただし、スライドごとの録音を始めるときの最初の言葉の音が明瞭に出ないので、そこは敢えてゆっくりはっきりと発音するように心がけたほうがいい、と少し反省しました。
すべての作業を終えて保存すると、けっこうな重いファイルになってしまい、保存が終わるまでに時間がかかりました。そして、それをさらに動画ファイル(mp4)へエクスポートしてやるのですが、インターネット用の中画質でも、ずいぶんと長い時間がかかりました。
あとは、動画ファイルをデータ便で友人宛に送るだけ。実際に配信されるのは明後日ですが、何だかもう、授業は終わってしまったような、不思議な気持ちです。
作業自体は、コツを呑み込めばそれほど苦痛を感じるものではありませんでしたが、スライドごとに録画状態をいちいち確認しながら進んだりするので、長い時間がかかりました。
膨大な時間が費やされるだけでなく、直接の講義よりも、内容に正確さや論理性が求められるので、手を抜くことができない怖さがあります。
また、話が脱線したり、思いもかけない展開になったりすること(それが思わぬ気づきを教える側と教わる側に与えたりすることもあるはず)も、まずないと思います。臨場感はなくなります。ここでちょっと息抜き、というのも難しく、何だか一本調子での講義になってしまうなあ、と思いました。
大学教師の友人たちは、この作業を何本も何本も作っているのかと思うと、頭の下がる思いがします。本当にご苦労さまです。
ただ、自分なりに、まだまだ講義のつくり方に改善の余地があるとも思いました。それでも、学生と直接対面しての真剣勝負がしたい、とも思いました。

自由大学の講義を受け始める

東京の表参道に「自由大学」という場所がある。大学という名はついているが、文科省認可の大学ではない。

 自由大学

教えてみたい人が講座をつくり、学びたい人が集う。カルチャーセンターとも違う。5~6回程度の連続講義で、けっこうしっかり学べる。

でも、入学試験や資格試験に合格するために学ぶのでもない。就職を考えて受ける講義ではない。

自由大学」の受講生には、年齢も性別も、何の制限もない。学びたい人なら誰でも集えるのである。

教えてみたい人は、講義計画を作って、「自由大学」のなかでのレクチャー・プラン・コンテストでプレゼンし、その審査を経て、講義として魅力的であれば採用され、「自由大学」で教えることが可能になる。

ユニークな講義がたくさんある。昆虫食学、穴学、未来の仕事、20年履ける靴を育てる、自分の本をつくる方法、などなど、実にユニークだ。

教わる人にとって、魅力的な講義とはなんだろう。

こうしたことを考えて、実際に講義計画を作ってみる、という目的をもった、Lecture Planning学というのを今回受講している。

一般の大学だと、講義計画は大学の教師が作る。それもOKだろう。だが、この自由大学では、こんな講義をしたいという発想はむしろキュレーターから生まれ、その発想に合う教師を見つけてくる、という感じである。講義を作るにあたっては、キュレーターの役割がずっと重要なのだ。

そういえば、昔、研究会を組織したときに、誰を研究会の委員にしてみたいか、それはなぜか、なんていうことを考えたものだ。自分が主査の研究会で、自分の人選した委員と一緒に研究会を進め、成果物を一緒に出す、といった作業は、とてもやりがいのある、楽しい仕事だった。

自分は、その意味で、教師よりもキュレーターのほうが向いているのかもしれない。

そして、自分が講義を作るだけでなく、講義を作るノウハウをより確実に身につけたうえで、日本中・世界中のどこででも、そうした学びの場が生まれるような、お手伝いができるようになるのではないか、と思い始めた。

社会教育というのともちょっと違うかもしれないが、それを包含できる。フリースクールというのともちょっと違うかもしれないが、それも包含できる。とくにローカルな場でこそ、そんな学びの場づくりを促していけるのではないか。

コミュニティ再生の場として、従来の公民館はどのような役目を果たすようになるのだろうか、といったことも頭に浮かぶ。友人のなかには、もっとゆるい市民による場づくりにCO-MINKANという名をつけて、広げていこうとしている動きもあり、自分も個人的に賛同している。

来年以降の方向性が少し見えてきた。中世のボローニャで、学びたい者が集まって自然に生まれていったのが、「大学」の源泉の一つだとするなら、損得や利害とは無縁な、小さな学びの場づくりを少しずつ広げていくことに意味があるのではないか。

いろいろなことを考えながら、2月初めまで、表参道でLecture Planning学の講義を5回受けてみる。そして、その先も構想している。

面白くなってきた。

天理を初めて訪問した

6月11日、天理大学でゲスト講義を行うため、初めて、天理を訪問しました。

大阪から近鉄で、大和八木と平端で乗り換えて、平端から近鉄天理線に乗り、終着が近鉄天理駅。ホームが4本もある、立派なターミナル駅でした。

ときにはきっと、天理教の信者さんたちでホームに人が溢れるのでしょう。とにかく、大きくて立派な終着駅でした。

駅を降りて、少々町歩き。と、不思議な町の案内図がありました。おやさと案内図、とあります。

地図の中に、「水口」「名東」「兵神」といった名前の書かれた広い区画があります。これらは、信者の方のための宿泊施設である詰所のある場所のようです。

通りの両側にこうした詰所がいくつもあり、かなり古い建物もあれば、回収して綺麗な建物もあります。
ちょうどお昼時だったので、何か食べたかったのですが、天理の名物というものが分かりません。とりあえず、良さそうと思って入ったのが、とんかつ屋のとんよし本店。名物というカツ丼を食べました。

一番少ない「並」でこのボリューム。ご飯の上にサクサクのカツが2枚のっています。これに中、大とあるのですが、店のいたるところに貼られた色紙などを見て納得しました。

いうまでもなく、天理大学や天理高校の御用達の店だったのです。スポーツで有名な彼らを支えているのがこの店、なのでした。

近鉄天理駅の前では、誰も立ち止まって聴く人がいないのに、ひたすら自分の身の上話をし続ける信者や、踊るように祈りを捧げる信者がいました。

さて、天理大学のO先生が迎えに来てくださって、キャンパスへ向かいました。授業まで時間があるので、入ったのが、天理大学参考館。ここの展示は、なかなか面白いものでした。

天理教会が世界で布教活動を行った際に、各地で収集してきた相当に貴重な品々が展示されています。いずれも年代物で、おそらく50年以上前のものが相当あり、そのコレクションはなかなかのものです。

例えば、ニューギニア島のセピック川流域地区の仮面のコレクション。

これもかなり古いものです。こんな大きいものをたくさん収集し、よくここまで運んできたものだ、と思います。

他にも色々と珍しい貴重なものがあり、好奇心がどんどん刺激されてくるのですが、講義を行う時間が迫ってきたので、泣く泣く参考館を後にしました。

たぶん、また来るでしょうな。ここはほんとに楽しい!楽しい!

一般公開されているので、皆さんにもお勧めします!

そして、この後、「キャリアデザイン2」という講座のなかで、インドネシアの社会ビジネスを題材に、援助からビジネスへ、経済ビジネスから社会ビジネスへ、という講義を行いました。内容は割愛します。

インドネシアの大学の先生方を福島へ

8月1日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の先生方5人を福島市へお連れしました。朝、羽田に到着し、そのまま東京駅から新幹線で福島へ来ました。

今回の訪問は、今年4月に私が同大学でゲスト講義を行なった際に話が出ていたもので、福島をテーマとした新しいプログラムを立ち上げる可能性を探るための来訪です。

福島駅近くのホテルへ到着。でも午後3時までチェックできず、一息入れる間もなく、ホテルのカフェでそのままミーティングへ。でも、今回の福島訪問では、実は、このミーティングが一番重要だったのでした。

ミーティングの後、ようやくチェックインし、夜行便でできなかったマンディ(水浴)をした後、どうしても私のオフィスを見たい、ということで、飯坂電車に乗って、オフィスへ向かいました。

私のオフィスの敷地内にある古民家に感嘆し、オーナーの話にいちいち頷く面々でした。オーナーの実家の畑で採れた旬の桃を頬張って、「リンゴより美味しい!」と感嘆の声を上げています。

もちろん、私のオフィスにも来ていただきました。急に強い雨が降り出し、しばらくオフィスで雨が弱まるまで待機せざるを得ませんでした。

先生方の福島訪問は本当にわずかの時間ですが、福島をテーマとした新しいプログラムへのヒントはつかめたようです。うまくいけば、来年の今頃、そのプログラムが実現するかもしれません。私も、その準備に楽しく関わっていくことになりそうです。

立教大学のクリスマスツリー

12月16日は、友人からの依頼で、東京・池袋の立教大学にてゲスト講義を行ってきました。

スーパーグローバル人材育成を目的としている科目らしく、講義は英語で行います。私の講義テーマは「コミュニティ・エンパワーメントと村落開発」、私自身の経歴や活動を踏まえて、自由に講義をしてください、ということでした。

出席者は9名、うち4名は留学生で、ほぼ全員、英語が堪能な様子でした。

私はといえば、色々と詰め込みすぎて、1時間弱ではちょっと足りなくなってしまいました。出席者の自己紹介を聴きながら、立教大学で教えている友人も改めて気づくことが多かったようです。

講義を終えて、キャンパスの出口のほうへ歩いていくと、電飾が施された見事なクリスマスツリーが2本立っていたので、思わず写真を撮りました。

残念ながら、2本一緒は写真に収まらず、1本のみの写真となりました。

この立教大学のクリスマスツリーは有名らしく、外国人観光客もわざわざ見に来るのだそうです。

高さ25メートルの2本のヒマラヤ杉に1150個の色電球が灯っているとのことです。

今流行りの点滅したり、色が変化したりするような電飾ではなく、幾つかの色の明かりが灯っているだけのシンプルなツリーです。そのシンプルさがかえって、見ている自分をホッとさせてくれる、温かな気分にさせてくれるような気がしました。