奥会津をまわりながら考えたこと

先週、奥会津の只見、金山、三島、柳津とまわりましたが、それぞれに個性が違っていて、とても興味深いものがありました。

東京23区よりも広い面積の只見町は、「自然首都」と宣言し、ユネスコエコパークの認証を得て、全国有数規模のブナの原生林をも生かしたまちづくりを進めています。

只見ブナセンターが運営する「ただみ・ブナと水のミュージアム」(下写真)は、只見の自然を理解するのにとても有用な場所で、展示もなかなか見ごたえのあるものでした。なかでも、熊などの狩猟具や昆虫標本、生活民具などの展示は本当に充実していました。

金山町は、天然炭酸水が湧き出す町で、全国有数の炭酸泉の温泉がいくつもあります。この炭酸水は瓶詰めにして売られていて、飲むと微炭酸のとても美味しいものでした。今回は行けませんでしたが、大塩地区には炭酸水が湧き出す井戸があり、そこで汲んだ炭酸水の美味しさは言葉にできないほどだそうです。

三島町の中心にある会津宮下駅を降りると、下のようなボードがありました。

2017年12月以来の外国人観光客がつけたシールですが、台湾からの観光客が圧倒的に多く、その次が香港、そしてタイが続きます。こんなに来ているんですよ!びっくりです。

三島町宮下地区では、町おこしの一環として、屋号サインボード・プロジェクトが行われ、町並み保存に貢献しています。

会津宮下駅のすぐそばには、宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩の文面を題材にした壁面アートも。

三島町では、「山村社会に革命を。人とものが集まる拠点が福島県三島町にOPEN」と題するReady Forのクラウドファンディングを行っているSAMPSON株式会社の佐藤綾乃さんに会いに行きました。私も少額ながら協力したのですが、どんな人がやっているのか、一度、会ってみたかったのです。

まだ準備中でしたが、とても素敵な空間を製作中でした。そもそも、近所の知り合いの高齢の農家さんが農作物を作りすぎて、多くを捨ててダメにしているのが忍びなく、その有効活用を考えたかったという話から始まり、地元のおじいさんやおばあさん、若者、よそ者などがゆるく集まれる場作りへ発展していった様子。

地域おこし協力隊員としての任期を終えた後、三島町に残って、しっかりじっくりと活動していく彼女をますます応援したくなりました。

そして、三島町でどうしても会いたかった人がもう一人。アポなしダメもとで、向かったのは奥会津書房。奥会津で地道に良質な出版活動を行っている出版社です。15年以上前、「会津学」シリーズで知った出版社は、素敵な三角屋根の建物にありました。

お会いしたかったのは、奥会津書房の遠藤由美子さん。突然の訪問にもかかわらず、お時間を作っていただき、色々とじっくりお話をうかがうことができました。お話を聞きながら、奥会津の人々の生活とインバウンド観光とが違う次元で進んでいるような感じを持ちました。

遠藤さんは、これまでに様々な聞き書き活動を通じて、奥会津の人々が継承してきた生活文化や伝統技術を書き残してきましたが、近年は、子供たちによる祖父母からの聞き書きに力を入れていらっしゃいます。その聞き書きは通常の大人による聞き書きとはずいぶん違う効果をもたらすと言います。

すなわち、その聞き書きを通じて、地域を継承してきた祖父母に対する子供たちの尊敬や敬愛の気持ちが強まってくるのです。おそらく、それがまた、地域を大事に思い、それを次の世代が継承していく力になっていくのだと思います。

ところが、遠藤さんは最近、この子供たちによる聞き書きの中に見られる変化に危機感を抱いているとおっしゃいます。すなわち、祖父母への聞き書きを通じて、昔と今との比較、その事実の理解で終わってしまい、かつてのような聞き書きを通じた祖父母への尊敬や敬愛の気持ちが見られなくなってしまった、というのです。

それは子供たちの変化というよりも、子供たちへ聞き書きを促す学校の先生や親たちの態度に基づくものではないか、という話でした。大人の問題ではないか、というのです。

何かを行うときに、机上で想定できる範囲内で目標を達成できればそれでよい、ということなのでしょうか。机上では想定できなかった、むしろその想定自体を根幹から問い直すような展開にさえなることを許容できない、ということなのか。

遠藤さんと別れた後、そんなことを考えながら、中心街を無効に見ながら、只見川沿いの道を歩いて行きました。

もう一度中心街へ戻る前に、中心街側の対岸へ渡る橋の近くにある小さなカフェ「ハシノハシ」に立ち寄りました。温かいはちみつラテをいただきました。おいしい!

この店を経営する方は、よそから来た方かと思いきや、地元の若い女性で、夜になると、地元の顔なじみのおじさんたちがお酒を飲んだりもするそうです。

彼女もまた、地元の人たちがふらっと集まれる場所を作りたかったとのこと。前述のSAMPSON株式会社の佐藤綾乃さんとはお友達だそうです。学校時代の友人たちは皆他所へ通勤していて、ここには昼間は地元の人はあまりいないそうです。そのため、三島町によそからきた佐藤さんらとのつながりのほうが今は身近に感じているのだとか。

こうやって、三島町でも、ふらっと訪れるよそ者が、自然に地元の方々と交われる場所を作る動きがいくつか見られましたが、これまで訪れたいくつもの日本の地域で、同様の動きがありました。素敵な場所が全国の地域に続々と出現しているように感じます。

只見、金山、三島とまわってきて、それぞれ程度や状況の差はあるにせよ、よそ者やUターン組が静かに地域で根を張り始めている様子がうかがえました。そこで求められているのは、地元と外だけでなく、地元の中でも、関係人口や交流人口、というよりも、人々の関係や交流の機会をどう作り、それをどう広げていくか、ということのように思えました。

誰かが誰かを助ける、という、ともすると上から目線になりがちな関係ではなく、互いが互いの存在を認め、尊敬し合い、信頼し合い、その互いに認められているという関係づくりから、様々なモノやコトが、それに関わる方々の波長やペースに応じて生まれてくる。その基底には、奥会津の地域を継承してきた人々の分厚い生活文化や民族技術の蓄積があることを認識する。

実はただただ当たり前な、そんなことが、奥会津では自然と可能な状況になっているのではないか、と思いました。でもそれは、今の組織や都会のなかでは、なかなか感じられない、作れない状況になっているのではないか。そんな気がします。

そんな奥会津でも、役場などで働いている若者で、精神的にまいってしまう者が意外に多いという話も聞きました。地方創生といった名の下に、行政で上から降ってくる仕事の処理が間に合わないからのようです。彼らの地元への思いが自分を殺すことにならなければ良いのですが。彼らは地元にとって大事な人材だからです。

こうしたことを感じ入りながら、会津柳津の花ホテル滝のやで、「グローカルに奥会津・只見線を考える」という講演を行いました。どんな講演だったのか、ご興味のある方は、以下のサイトでご視聴可能です。

 グローカルに奥会津・只見線を考える

奥会津にはまり始めたかも

3月20日に会津柳津の花ホテルで講演する前に、同じ奥会津の只見町、金山町をまわっています。主催者から、講演のテーマに只見線のことを入れてほしいと言われており、まずは、只見線に乗らなければ、と思った次第です。

そこで、3月18日、まず、小出から只見まで、只見線に乗りました。今回の車両は2両編成、1両は「縁結び」をテーマとしたラッピング車両でした。

この日は東京から新幹線を使わず、在来線乗継で小出まで来たのですが、水上あたりから雪が見え始め、清水トンネルを過ぎたら、本当に雪国でした。小出駅でも、除雪した雪が高く残っていました。

小出=只見間は、1日に3本しか走っていません。その2本目に乗車。車内は、4人掛け椅子の進行方向窓側に一人ずつ、明らかに乗り鉄または撮り鉄の人たちが座っています。その多くは、青春18きっぷで乗車している様子でした。

途中、越後須原と入広瀬で、高校生ぐらいの若者が一人ずつ下りたほかは、車内は鉄道マニアの世界でした。

車内から撮ったのでピンボケですが、1階部分は雪に埋まっても、2階部分で出入りや生活ができるようになっているように見える家。雪の量を見て納得です。

大白川からは、いよいよ山越えです。六十里越という名のかつての厳しい難所は、六十里越トンネルで通過。トンネルに入ってから出るまで約9分もかかりました。

うっかりして、旧田子倉駅を通過したときに写真をうまく撮れませんでした。只見線を語るうえで、この田子倉のことを忘れてはなりません。只見線の敷設は、只見川電源開発における田子倉ダムとそのダム湖である田子倉湖のためでもあったからです。

そうこうしているうちに、只見に到着。

只見町の面積(747.5 km2)は東京23区よりも広い(東京23区は619 km2)のです!この只見町は、「自然首都・只見」を宣言し、ユネスコエコパークに登録されました。国内最大級の面積のブナの原生林があり、自然を生かしたまちづくりで、只見のブランド化を図っています。

只見町ブナセンターという組織があり、「ただみブナと川のミュージアム」や「ふるさと館田子倉」を運営しています。

ミュージアムの展示は、なかなかしっかりしたもので、とくにブナに関する学術的な展示のほか、動植物や昆虫に関するもの、そして民具や道具(とくに熊狩りなどの狩猟用具)と人々の生活に関する民俗的な展示にも見るべきものが多々ありました。調査研究成果が紀要として定期的に刊行されており、それが、只見町が発行する「只見おもしろ学ガイドブック」などにも反映されていました。

ふるさと館田子倉には、田子倉ダムの建設で湖底に沈んだ旧田子倉集落の生活・文化に関する記録や、田子倉ダム建設への反対運動や交渉に関する資料、田子倉ダム問題を題材にした文学作品等の展示がありました。

只見を含む奥会津では、かなり前から、子どもを含めた聞き書き運動が盛んに行われてきており、聞き書きを基にしたたくさんの出版物が残されてきました。その中心的役割を果たしたのが、三島町にある奥会津書房という小さな地方出版社ですが、行政も聞き書きに対する理解を示していたようです。

3月19日は、只見町からお隣の金山町へ移動しました。ここは、地中から炭酸水や炭酸泉が湧く場所で、大塩地区で取れた炭酸水を商品化して販売しています。甘くない微炭酸の炭酸水を味わいました。

今夜泊まっている玉梨温泉では、玉梨温泉の源泉のほかに、炭酸泉の源泉があり、町立のせせらぎ荘という施設でその炭酸泉に長い間浸かってきました。

炭酸泉と言えば、大分県の長湯温泉が有名ですが、東日本では、ここの炭酸泉(八町温泉)が有名なのだそうです。長湯ほど炭酸がバチバチ出てくる感じはありませんでしたが、温度が40度とわりに高い炭酸泉で、体中に粒々の炭酸の泡がたくさんついてきます。炭酸泉の源泉かけ流し、というのは初めて経験しました。

会津川口駅前では、有名な地元ソウルフードのカツカレーミックスラーメンを食べました。これは、ラーメンの上にカツカレーライスが乗っかっている、というものでした。福島県内の地元メディアがたくさん取材に来たということです。

これを出す「おふくろ食堂」の女将さんとは、なんだか色々話しこんでしまいました。20日の講演内容を考えるうえで、参考になる話を聞くことができました。

こうやって、実際に、短時間でも只見や金山を歩いただけで、具体的なイメージが少しずつ現れてきたような気がしています。明日20日は、柳津へ着く前に三島町を訪問しますが、さらに何か有益なインプットがあるのではないかと思っています。

何となくですが、奥会津にもはまり始めたような気配を自分自身に感じています。