佐伯で再びMALTA

9月22日、さいきミュージック・アートクラブ主催のMALTAコンサートのため、大分県佐伯市に来ました。

同クラブは昨年11月にMALTAコンサートを開催しましたが、今回は、MALTA氏の2度目の佐伯でのコンサートです。

筆者は、なぜか同クラブの会員にされてしまっており、今回のコンサートでも、会場でのポスター貼りやコンサート終了後の跡片付けなどに関わりました。

今回のMALTAコンサートですが、1回目よりも演奏する姿が元気で、ずいぶんノッていたように見えました。この1年で、佐伯がだいぶ気に入った様子で、演奏自体も、なかなか熱いものを感じる、とても充実したものでした。MALTA氏のほかの6人の演奏のレベルの高さも、改めて感じられたひとときでした。

観客の反応も昨年よりもずっとよく、楽しめたコンサートでしたが、観客数自体は昨年より少なかったのが残念でした。

今回の目玉は、コンサート終了後の「晩餐会」。会場を移し、MALTA氏とメンバー6人を招いて、彼らに対する慰労会のような催しです。

佐伯在住・出身、あるいは佐伯にゆかりのある声楽家、サックス奏者、ビオラ奏者、女性ダンサー・グループ、大分の有名な変面パフォーマーなどが次々に演じていき、それをMALTA氏やその他この会に出席した方々が一緒に楽しむ、という趣向でした。

下の写真は、会の終了時に、挨拶をするMALTA氏です。最後は、MALTA氏による三本締めでした。

おんせん県の大分県で温泉のない佐伯市は、市民有志が音楽で街を元気にする「音泉」都市を標榜して、昨年、任意団体である「さいきミュージック・アートクラブ」を立ち上げました。

佐伯は大分県の一番南端に位置して交通も不便なので、コンサートをしたアーティストは必ず1泊せざるを得ません。このため、それを逆手に取り、コンサートが終わった後に、地元のファンとの懇親の機会を作り、アーティストにとって思い出に残る場所として記憶に残したいという狙いがあります。

前回の佐伯での寺田尚子さんのコンサートの後も、懇親会があり、寺田さんが懇親会の場でいきなりバイオリンを弾き始め、ちょうど誕生日だった友人の前でハッピーバースデーを奏でる、といったハプニングも起こりました。アーティストにとっても、地元の方々にとっても、単に音楽を楽しむだけでない、一緒に触れ合える機会が作れるのは、地理的に悪条件だからこそなのかもしれません。

MALTA氏は本当に佐伯が気に入った様子で、コンサートのアンコール終了後、ステージから「佐伯に来年も来るよ!」と叫んでいました。

商業的な興行に留まらない、心と心のふれあいが生まれ、アーティストに愛着を持ってもらえるような街になることも、これもまた、一つの地域づくりの在り方だろう、と思い、支持していきたいです。何よりも、それは楽しいから。アーティストも地元の人々も楽しくなって愛し合えるような、佐伯がそんな街へ育っていく可能性を見つめています。

明日(9/23)は午前4時半の高速バスで大分空港へ発ち、羽田経由でスラバヤまで飛びます。今月3回目のインドネシア出張です。

福島~浜通り~宮城県南部をまわる(3)

3月9日は、相馬市を朝出発し、宮城県に入って山元町、亘理町、名取市閖上、仙台市荒浜、仙台市中心部、とまわりました。

山元町では、みんなのとしょかん山元を訪問しました。雨風が強い中、みんなのとしょかんの隣にある大きなビニールハウスの中では、大勢の方々が3月11日に灯す竹灯籠の準備をされていました。この竹灯籠は、今回のツアーを企画したまち・コミュニケーションが神戸での経験をもとに山元町へ伝えたものだそうです。

こちらがみんなのとしょかんです。図書館をコミュニティ再生の起点にしていく運動の一環で、同様のみんなのとしょかんは各地にできています。

ここでは、バーテンダーとG7にお会いしました。バーテンダーというのは10人の女性たち(婆10ダー)、G7は7人の男性たち(爺7)を意味します。震災前は知らない同士だった彼らは、震災後、ここに集うなかで知り合いになり、今や、一緒に地域のつながりを作り、発展させていく同志となって、活動しています。誰もがいつでも立ち寄れる場所、でした。

山元町から隣の亘理町浜吉田にある海蔵寺というお寺に立ち寄りました。このお寺も、住職が亡くなるなど津波の被害を受けましたが、本堂は無事で、他の建物も少しずつ再建されました。

海蔵寺の前は公園になっており、築山が造られていました。

その一角には、親子の地蔵像がありました。

海蔵寺前の公園は、無数の太陽光パネルで囲まれ、それは海岸沿いに延々と広がっていました。

しばし、太陽光パネルを見ながら走り続け、名取市閖上へ行きました。閖上さいかい市場で昼食をとりましたが、ここはカナダの支援で建てられた場所でした。

昼食後、閖上の仮設住宅にある集会場へ。この時は、某テレビ局のクルーが取材で同行していました。

このクルーは、「7年間も仮設住宅に入っているのは間違っている」という結論先にありきで、番組を作ろうとしていました。そこで、集会場で、仮設住宅の自治会長さんから話を聞く際に、その様子を収録していました。

自治会長さんは、被災して仮設住宅へ移る際に、できる限り、昔の隣近所がそのまま仮設住宅の隣近所に入れるように、行政と掛け合ってそれを実現させ、今後、仮設住宅から被災者向け復興公営住宅へ移る際にも、抽選ではなく、隣近所をそのまま維持する形で入居できるよう、行政へ働きかけていました。

集会所は、某建設会社が意を汲んでしっかりした建物として建ててくれたため、今でも、様々な行事で使われていて、すでに閖上を離れた人でも、この集会所があるから集まってこれる、という面が強いそうです。そして、ここの仮設住宅もまた、プレハブのペラペラな建物ではなく、断熱材の入った建物で、自治会長さんの働きかけで、追い炊き機能のついたお風呂が各家に設置され、居心地は決して悪くないということでした。

自治会長さんは、法律の不備や復興公営住宅への入居を抽選で行う行政の怠慢を批判し、特に政府のしさい者への対応の不備を強く批判しました。このため、結局、テレビ局のクルーは、当初の彼らの結論に沿うような映像を撮ることはできずに終わりました。

自治会長さんは、住民を上から目線で見がちな行政に対して、むしろいろいろ教えて手なずけ、住民側の意向を受けとめてもらえるよう、配慮しています。それは、自治会長さんが現市長の選挙顧問だからというオチがありました。

閖上の後は、震災遺構となっている仙台市立荒浜小学校を訪れました。

構内の1階は、瓦礫は取り除かれたものの、あの時のままの状態で残されていました。2階はあの時起こったことの克明な時系列展示があり、3階は閉鎖され、4階は小学校のある荒浜地区の過去の記憶を残すための展示がなされていました。

4階から屋上に出てみました。冷たい強い風が吹き付けて、とても寒い状態でした。7年前、子供たちと先生、地域住民の方々は、眼下に荒れ狂う津波を見ながら、この寒さに震えていたのだと、勝手な解釈ではありますが、ほんの少し追体験をしたような気分になりました。

屋上から見ると、学校の北側では、マツの植樹が始まっていました。荒浜に再び松林を復活させる計画なのでしょうか。

荒浜小学校から荒浜海岸へ出てみました。震災前は仙台随一の海水浴場だった荒浜は、その面影を失ったままでした。

荒浜を後にし、地下鉄東西線の荒井駅にあるせんだい3・11メモリアル交流館に立ち寄り、常設展を見学しました。そして、夜は、仙台弁護士会の勉強会に出席し、弁護士会による「在宅被災者調査結果を踏まえた提言」などを拝聴しました。提言では、在宅被災者向けに災害時に弁護士が戸別に住宅を回り、適切な補助金の申請などを手伝えるよう法整備が必要という意見が出されました。

勉強会終了後、宮定さんらと別れて、仙台駅前から高速バスに乗り、福島へ向かいました。

今回の3日間の「ツアー」は、私にとって得るところの大きい有意義な機会でした。置かれた状況や立場によって、思いや意見は異なりますが、皆、自分たちの日常生活を取り戻すことで懸命でした。そして、自分だけよければいいのではなく、誰もが排除されない、気軽に集まれる場づくりを営んでいることがいかに重要かということも理解できました。

「ツアー」で出会った人々とのお付き合いは、私にとって、まさに今、始まったところと言えます。自分なりの付き合い方や寄り添い方を考えながら、じっくりとお付き合いをしていけるよう、努めていきたいと念じています。

(終わり)

会津バスの粋な計らい

昨日、1月11日から福島県会津に来ています。

同じ福島県といっても、福島市出身の自分にとって、会津はあまりよく知らない世界です。これまで、何度か来たことはありますが、土地勘が全くない場所です。

今回は、東京から会津バスの高速バスで会津若松駅前まで乗車しました。快適なバス旅で、所要時間は4時間弱。郡山まで雪はほとんどなく、車窓から見える枯れ木林が夕日に映えてとてもきれいでした。

郡山からいくつものトンネルを経て山を越え、猪苗代に入ると、そこはもう一面の銀世界。かなりの雪が積もっていました。会津若松市内は猪苗代ほどではないにせよ、それでもまだ道には雪がけっこう残っていました。

道中、会津バスの運転手から、乗継タクシーの割引券をもらいました。系列の会津タクシー限定ですが、会津バスで到着後、会津タクシーに乗り継ぐと、タクシー料金から500円割引となる券です。

途中のサービスエリアで、会津タクシーに電話をし、迎えに来るように頼むと、ちゃんと会津若松駅前で待っていてくれました。市内のホテルまで780円でしたので、280円の支払いで済んでしまいました。

タクシー以外に、喜多方方面などへの会津バスの路線バスに乗り継ぐ場合にも、割引券が提供されます。

会津観光には、2,670円で、2日間、指定域内の鉄道・バスが乗り放題となる「会津ぐるっとカード」というのもあり、利用しない手はありません。

もっとも、今回は、会津坂下の友人が案内してくれているので、私はまだ使っていませんが。

巷では「明治維新150年」とか言っていますが、会津では「戊辰戦争150年」という言葉をよく聞きます。あまり知られていませんが、会津は今、地域活性化の面白い取り組みが色々行われているところです。今回は、その一端に触れることができそうです。

高速バスでの移動に慣れたけれど

昨日今日と、1泊2日、東京から福島へ高速バスで往復しました。

昨日の東京→福島は、初めてウィラー・エクスプレスを使ってみました。例のピンクのバスです。

バスタ新宿を午前10時半に出発。福島と山形を経由し、天童温泉が終着でした。運転手さんは、キビキビした素敵な女性でした。
首都高速が渋滞で15分程度遅れましたが、「遅れは挽回しませんのでご容赦ください」とのアナウンス。安全運転を堅持するという姿勢に好感が持てました。

500円プラスで隣の席もキープできるので、そうしました。これで福島駅西口まで3200円。今回はしかも、楽天ポイントで全額支払ったので、タダで乗りました。

席はちょっと幅が狭いですが、座り心地はなかなかよく、快適でした。
途中休憩は、佐野サービスエリアと安達太良サービスエリアの2箇所で、佐野では30分、安達太良では15分の休憩でした。
佐野サービスエリアに着いたのは12時で、30分あるので、昼食をとりました。佐野と言えば、やはり佐野ラーメン、です。
うーん、まずくはありませんが、普通のラーメンでした。
安達太良サービスエリアでは、見つけました、酪王カフェオレ・ソフトクリーム。
食べているうちに気がつきました。酪王カフェオレ・ソフトクリームは、下り線でしか食べられない、のだそうです。
こうして、雨の降りしきる福島駅西口(駅からちょっと離れた東邦銀行の脇)に定刻より15分遅れで到着しました。
今日の福島から東京への帰りは、JRバス東北の「あぶくま号」。夕方5時過ぎに福島駅東口を出発し、夜10時過ぎに池袋駅東口に着きます。6月に入って、乗るのは3回目です。
こちらは、那須高原サービスエリアと羽生サービスエリアで15分ずつ休憩。食事をとるという感じではないし、時間が遅いので、店も閉まっていて、見るべきものはほとんどない、と学習しました。
6月はけっこう頻繁に東京と福島を往復したので、交通費を抑えるために高速バスを使ってみたのですが、意外に快適で、退屈もしませんでした。だいぶ慣れた気がします。時間的に余裕があるときには、高速バスを使う機会が増えそうです。
でも、今回は、昨晩、知人と深酒をしてしまい、今日は、けっこうつらい一日になってしまい、バスの中では、ひたすら寝ていました。くたびれました。