椏久里珈琲で美味しいコーヒー&お菓子と突然の弾き語り

6月1・2日は、福島市で東北絆まつりが開催されて、多くの観客でにぎわったようです。友人の話だと、市内は交通規制がかかっていて、メイン会場の市役所へ行くのも大変だった様子。

というわけで、常にメジャー路線を避けて行動する、あまのじゃくな私は、絆まつり見物には行きませんでした。その代わり、6月1日は、友人からの誘いを受けて、今月のケーキとコーヒーを味わうため、椏久里珈琲へ行きました。

椏久里珈琲には、毎月変わるケーキをいただくため、最低でも、1ヵ月に1回は顔を出すようにしているのですが、今回は、それに加えて、友人が「紹介したい人がいる」ということで、いそいそと出かけたのでした。

その方は、福山竜一さんという、シンガーソングライターでした。これまでにも、椏久里珈琲で何度かミニコンサートを開いている方です。

今回は演奏が目的ではなかったようですが、やはりギターは担いで来られており、椏久里珈琲のマスターご夫妻からの要請により、急遽、生の弾き語りをしていただきました。

いきなり「やれ」と言われたせいか、最初はあまり声が出ていませんでしたが、徐々に声が出始め、とくに高温のファルセットがとてもきれいで、やさしい感じの素敵な歌い方でした。

椏久里珈琲のマスターご夫妻をイメージして作った「アグリの大地で」、福山さんの故郷をイメージして作った「トマト色の黄昏」、どちらも、歌とともに歌詞がジーンと来ました。

福山さんを紹介してくれた友人のために歌った「ケセラセラ」、実は、私にとっても、歌ってもらってよかったと思えるものでした。歌に救われた気分でした。

福山さんのCDを1,000円で購入しました。もちろん、サイン付きで。

CDは、椏久里珈琲の店内、またはオンラインショップで購入できます。オンラインでの購入はこちらから。

福山さんのブログはこちら → ヤングの秘密の小部屋

福山さんの歌を聴いていたので、うっかり食べ忘れそうになったのが、椏久里珈琲の今月のケーキ。今回のセレクションは、コンヴェルサシオン。

曰く、「サクッ」とバターの甘い風味、「しっとり」とアーモンドのかぐわしい香り。異なる食感と風味が一つになった完成度の高いフランス菓子です。

あまり奇をてらっていない、庶民的なお菓子ですが、香ばしくてコーヒーにぴったりの美味しさでした。

いつもなら、満席で座れないのが椏久里珈琲の土曜の午後なのに、絆まつりのためか、珍しく、店内はお客さんもまばらで、マスターご夫妻も交えて、ゆったりと過ごすことができました。生の弾き語りも堪能できて、なんだか、思いがけず、ちょっと贅沢な土曜の午後になりました。

福山さん、ありがとうございました。そのうち、また、歌を歌いにいらしてください。もっとたくさんの人に聴いてもらいたいです!

佐伯で再びMALTA

9月22日、さいきミュージック・アートクラブ主催のMALTAコンサートのため、大分県佐伯市に来ました。

同クラブは昨年11月にMALTAコンサートを開催しましたが、今回は、MALTA氏の2度目の佐伯でのコンサートです。

筆者は、なぜか同クラブの会員にされてしまっており、今回のコンサートでも、会場でのポスター貼りやコンサート終了後の跡片付けなどに関わりました。

今回のMALTAコンサートですが、1回目よりも演奏する姿が元気で、ずいぶんノッていたように見えました。この1年で、佐伯がだいぶ気に入った様子で、演奏自体も、なかなか熱いものを感じる、とても充実したものでした。MALTA氏のほかの6人の演奏のレベルの高さも、改めて感じられたひとときでした。

観客の反応も昨年よりもずっとよく、楽しめたコンサートでしたが、観客数自体は昨年より少なかったのが残念でした。

今回の目玉は、コンサート終了後の「晩餐会」。会場を移し、MALTA氏とメンバー6人を招いて、彼らに対する慰労会のような催しです。

佐伯在住・出身、あるいは佐伯にゆかりのある声楽家、サックス奏者、ビオラ奏者、女性ダンサー・グループ、大分の有名な変面パフォーマーなどが次々に演じていき、それをMALTA氏やその他この会に出席した方々が一緒に楽しむ、という趣向でした。

下の写真は、会の終了時に、挨拶をするMALTA氏です。最後は、MALTA氏による三本締めでした。

おんせん県の大分県で温泉のない佐伯市は、市民有志が音楽で街を元気にする「音泉」都市を標榜して、昨年、任意団体である「さいきミュージック・アートクラブ」を立ち上げました。

佐伯は大分県の一番南端に位置して交通も不便なので、コンサートをしたアーティストは必ず1泊せざるを得ません。このため、それを逆手に取り、コンサートが終わった後に、地元のファンとの懇親の機会を作り、アーティストにとって思い出に残る場所として記憶に残したいという狙いがあります。

前回の佐伯での寺田尚子さんのコンサートの後も、懇親会があり、寺田さんが懇親会の場でいきなりバイオリンを弾き始め、ちょうど誕生日だった友人の前でハッピーバースデーを奏でる、といったハプニングも起こりました。アーティストにとっても、地元の方々にとっても、単に音楽を楽しむだけでない、一緒に触れ合える機会が作れるのは、地理的に悪条件だからこそなのかもしれません。

MALTA氏は本当に佐伯が気に入った様子で、コンサートのアンコール終了後、ステージから「佐伯に来年も来るよ!」と叫んでいました。

商業的な興行に留まらない、心と心のふれあいが生まれ、アーティストに愛着を持ってもらえるような街になることも、これもまた、一つの地域づくりの在り方だろう、と思い、支持していきたいです。何よりも、それは楽しいから。アーティストも地元の人々も楽しくなって愛し合えるような、佐伯がそんな街へ育っていく可能性を見つめています。

明日(9/23)は午前4時半の高速バスで大分空港へ発ち、羽田経由でスラバヤまで飛びます。今月3回目のインドネシア出張です。

著名なジャズサックス奏者MALTA氏をインドネシア大使に紹介(動画付)

ひょんなことで、4月12日、日本の著名なジャズ・サックス奏者であるMALTA氏を在日インドネシア大使に紹介する機会を得ました。

MALTA氏と言えば、1970年代から活躍してきたサックス奏者であり、間もなく70歳になる今も、もちろん第一線のプレイヤーとして、各地を飛び回って意欲的な演奏活動を行っています。同時に、東京芸術大学や大阪芸術大学で教鞭をとる一方、全国各地で若手演奏家や子供たち向けにジャズ・サックスを指導して回ってもいます。

 MALTA Official Website

その意欲的な活動を見ていると、頭が下がる思いです。生涯現役を地でいくかっこいい先輩の一人と位置づけました。

筆者はMALTA氏自身を以前から存じておりましたが、実際にお近づきになったのは、昨年11月11日、大分県佐伯市での彼のコンサートでした。そのときの模様は、過去に本ブログの以下の記事で書きました(よろしければご一読ください)。

 音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

佐伯では昨年、さいきミュージックアートクラブという市民団体ができ、音楽を通じてまちおこしを進めているのですが、その第1回コンサートの演者として、MALTA氏が登場したのでした。

大分県の一番南端、宮崎県との県境にある佐伯で、MALTA氏の知名度もさほど高くない場所にもかかわらず、コンサートは大いに盛り上がり、成功裏に終えることができました。

MALTA氏のサックスを聴いて体が元気になった、という方がいるという噂も聞きましたが、本当に、体中がスイングしながらどんどん元気になっていくような、そんなMALTA氏の演奏でした。

ちなみに、MALTA氏も佐伯が気に入った様子で、今年9月22日、再び、さいきミュージックアートクラブ主催でMALTA氏のコンサートが実現するそうです。

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そんなMALTA氏が今、インドネシアに興味を持ち始めています。とくに、新しい若手ジャズ・ミュージシャンが続々と頭角を現し、アジア有数のジャズの盛んな場所として、注目されています。

MALTA氏は佐伯でのコンサートをきっかけに、さいきミュージックアートクラブの中心メンバーの一人である山中浩氏と親交を重ね、インドネシアに日系工場を持つ山中氏からインドネシアの魅力を教えられ、さらに興味を深めたようです。

そこで、MALTA氏側から「インドネシア大使館へご挨拶にうかがいたい」という相談を筆者が受け、今回の訪問につながったのでした。

在日インドネシア大使館のアリフィン大使は我々を大歓迎してくださいました。

大使ご自身もジャズがお好きとのことで、ご自分のスマホを取り出し、昔の級友らが結成して活動しているセミプロのジャズバンドや、史上最年少でグラミー賞を獲得したインドネシア人ジャズ・ピアニストのジョイ・アレクサンダー氏(15歳)などの映像をMALTA氏にお見せしては、楽しそうに英語で会話が弾んでいました。

そうしているうちに、大使から「今、ここでサックスを吹かれないんですか」という呼びかけがあり、なんと、MALTA氏は、大使の前で生のサックス演奏までしてしまうのでした。これには、大使も本当に大喜びの様子で、書記官にサックス演奏の様子をスマホで動画に撮らせ、すぐに友人たちへ動画を送るのでした。

わずか30分の面会ではありましたが、初対面にもかかわらず、アリフィン大使に大変歓迎していただき、ここに改めて感謝の意を表する次第です。

MALTA氏は、これまでの経験に基づいた自分の演奏を通じて、日本とインドネシアのさらなる友好関係深化に寄与したいと考えており、インドネシアで演奏の機会があることを願っています。

そして、演奏の機会があれば、併せて、インドネシアの子どもたちや若者たちにサックス演奏のレッスンなどもしてみたいそうです。

MALTA氏は縁やつながりをとても大切にされる方で、一度、インドネシアで演奏できたら、次からは毎年、インドネシアで演奏を続けていきたいとのことです。実際、佐伯には、昨年に続き、今年もコンサートを開催し、「毎年佐伯へ来る」とおっしゃっています。

たとえば、9月8~9日に予定されているジャカルタ・ジャパンまつり(JJM)などに出演できたらいいのではないか、と、元JJM関係者の一人だった筆者としては、個人的に思うのですが、いかがなものでしょうか。

このような機会を通じて、日本とインドネシアをつなげようとする方々のお手伝いができることをとても嬉しく思っています。まだまだ、つなげていきますよ!

(本ブログの内容は近日中にインドネシア語ブログでも発信する予定です)

7年目の3月11日、佐伯で寺井尚子コンサート

3月7~9日は、神戸の震災復興を支援してきたNPO法人の友人らとともに、福島から浪江、小高、相馬、山元、閖上、荒浜、仙台とまわりました。3月10日に福島でのシンポジウムに出席した後、11日は大分県佐伯市へ飛びました。

友人らとまわった話は、別途、このブログに書きたいと思います。

そう、今年の3月11日は、東北で過ごしませんでした。大分県佐伯市へ行った目的は、さいきミュージック・アートクラブが主催する「寺井尚子コンサート」に出席するためでした。

高速バスで佐伯に着いたのが午後2時。ホテルへチェックインし、午後2時46分、ホテルの部屋で黙とうしました。これまで毎年、インドネシアにいるときは時差を考慮しながら、この時間に必ず黙とうしてきました。

部屋で黙とうしようとすると、突然、サイレンが鳴り始め、それは1分間続きました。東北から遠く離れた佐伯市でも、サイレンが1分間の黙とうを市民へ促しているのでした。

街中を歩くと、地元の高校に掲げられた国旗は半旗でした。

東日本大震災を忘れまい、という気持ちは、まだそれなりに強くあるのかもしれない、と信じたくなりました。

寺井尚子コンサートですが、さいきミュージック・アートクラブが昨年、招聘を計画してから、このジャズ・バイオリニストの名前を知りました。そして、何曲か聴いて、はまってしまいました。

とくに、「トワイライト」というアルバムの1曲目の「ブエノスアイレスの冬」を聴いて衝撃を覚え、そのメロディーが頭の中から離れなくなってしまいました。

その後、しんしんと雪の降るとある日に、さいきミュージック・アートクラブの友人が薦める「カッチーニのアヴェ・マリア」を聴いて、鳥肌が立ってしまいました。

そんな寺井尚子を生で聴く機会なのでした。自分では、彼女の音楽のなかに、震災で亡くなられた方々への鎮魂や残された方々への励ましを勝手に感じていたのです。

実際のコンサートは、すごくパワフルなものでした。佐伯という地方都市だから手加減するということはなく、彼女の超絶技巧のバイオリンが、ピアノやベースやドラムと掛け合いながら、アドリブが際限なく続く、まさに真剣勝負のセッションでした。

録音された同じ曲でも、実際に生で聴くと、そのセッションの激しさがガンガンに響いてくるのでした。

後半になって、それまでのアップテンポな激しいセッションが続いた後、突然、静かに、そしてしんみりと、「カッチーニのアヴェ・マリア」が始まりました。

最初のバイオリンの入りの絶妙さ。単なる悲しさや寂しさや苦しさとは違う、いや、むしろそれらが複雑に被さり合い、混ざり合い、折り込み合っているような、何とも言葉に表せないような音色。

聴きながら、頬を涙が伝って落ちていきました。びっくりしました。初めての経験でした。

いろんなものやことを思い出していました。それは映像で観たものもあれば、かつて2012年に自分の目で見たもの、つい数日前に現場でお会いした方々と彼らが話してくれたお話、そして震災の前年に亡くなった父のことも。そしてそれらが混じっていきました。

コンサートでこんな気分になるなんて・・・。自分でも信じられない経験でした。

コンサートが終わった後、寺井尚子さんを囲んでの懇親会・ご苦労さん会が小さな洋食店でありました。ちょうど、今日11日が誕生日の出席者がいたのですが、寺井尚子さんはいきなりバイオリンを取り出し、ハッピーバースデーを弾き始め、弾きながら席の合間を歩き始めました。本人にとっては、超感激な誕生祝となりました。

私はどうしても寺井尚子さんに訊ねたいことがありました。3月11日に行うコンサートのどこかに、3・11への思いが込められていたのか、と。

幸運にも、彼女から直接答えがありました。3・11とあえて口には出さなかったけれども、震災の日だということに思いを込めて演奏していた、と。

彼女の音楽のなかに、震災で亡くなられた方々への鎮魂や残された方々への励ましを勝手に感じていた自分でしたが、それは寺井尚子さんに通じていたのでした。

魂を揺さぶる音楽。自分が最も大事にしている奥底に触れてくるのでした。それは、彼女の超絶技巧のバイオリンだからなのでしょうか。

生で聴いた彼女の「カッチーニのアヴェ・マリア」の衝撃を、当分、忘れることはないでしょう。5月の新アルバムのリリースが待ち遠しくなりました。

音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

おんせん県とも自称する大分県は、超有名な別府や湯布院(由布院+湯平)をはじめ、数々の名湯を抱えており、日本国内有数の温泉の数と量を誇ります。

しかし、県内のすべての市町村に温泉があるわけではありません。今回訪問した県南端の佐伯市には温泉がありません。その佐伯が今、もう一つの「おんせん」を掘り当てたようです。

温泉がないけん、音泉を目指す! 佐伯は、音楽で街を魅力的にしようと、市民有志が活発に動き始めています。その原動力となっているのが、佐伯ミュージック・アート・クラブという、結成後わずか半年にも満たない団体です。

この団体の催し物に参加した時の記事を、以前、このブログにも書きました。参考までにリンクを貼っておきます。

 音楽を愛する人々に満たされた佐伯での夜

11月11日は、佐伯ミュージック・アート・クラブの今年の活動のメイン・イベントとも言える、サックス奏者マルタのコンサートが佐伯市民会館で開催されました。

マルタ・コンサートにて(吉良けんこう氏撮影)

マルタ氏にとってはもちろん始めての街です。しかも、コンサートの冒頭で「街中に誰も人影がなく、静かな街だなあという印象でした」という語りがありました。きっと、このような田舎町で、果たしていいコンサートができるのだろうか、という不安もあったかもしれません。

実際、少なからぬ観客は、「マルタって誰や?」「ジャズというものを聴いたことない」「孫と一緒に来てみた」という方々のようで、マルタ氏が不安に思ったとしても不思議ではなかったのです。

実は、私も初めてマルタのコンサートに来たのでした。

マルタ・コンサートにて(吉良けんこう氏撮影)

午後6時に開演。そして午後8時半に終演するまで、休憩は一切なし。70歳になろうというマルタの驚異的な体力と演奏力に、ただただ圧倒されました。

さらに、一緒にセッションを組んだトランペット、ドラム、ベース、アコースティックギター、ピアノ、トロンボーンの演者たちの質の高さ。

最初はちょっと探りを入れる感じだった演奏でしたが、中盤の「チュニジアの夜」あたりから演奏にノリが加速度的につき始め、最後は、演者全員がノリにノッた演奏を見せてくれました。

終演してもなかなか鳴り止まない拍手。アンコールの異様な盛り上がり。少なからぬ観客が今日初めてマルタを知ったいうことを考えただけでも、このレベルのコンサートを佐伯で聴いているということの意味の大きさを感じずにいられませんでした。

コンサート終了後、マルタのCDを買った観客にその場でサインするというサービスもあり、長蛇の列ができました。CDも予想以上に売れたようで、マルタ氏は観客との写真撮影にも気軽に応じていました。

佐伯ミュージック・アート・クラブの関係者の話では、マルタ氏はかなり満足したらしく、「生きていたら来年も来ようかな」と言ってくれたそうです。マルタ氏にとっても、佐伯でのコンサートの記憶が心のどこかに残ってくれるといいなと思いました。

今回のコンサートでは、佐伯ミュージック・アート・クラブのメンバーが、朝から晩までボランティアで懸命に運営していました。何せ初めてのことで、戸惑うことも多く、学園祭のような雰囲気でもあったのですが、無事に終わることができて何より、本当にご苦労さまでした。

そして、メンバーだけでは足りず、他の人にも手伝ってもらったのでした。例えば、開場前に一番に並んでいた延岡から来た見ず知らずの男の子に、受付でのCD売りの手伝いをしてもらい、彼は夜の片付けの最後まで残っていました。中学生たちにもCD売りの呼びこ役をしてもらっていました。そんなことが嫌味なくできる雰囲気というのも、悪くないなあと思いました。

佐伯ミュージック・アート・クラブの活動が始まってから、佐伯市内在住者や出身者で音楽に関わっている人々が次々に発掘されていきました。意外に多くの人が音楽に関わっていることが明らかになり、ジャンルもジャズ、クラシック、その他へと広がりを見せています。

音楽のいいところは、言葉はいらず、とにかくみんなが無条件に楽しくなれること、思惑や企みとは対極にあること、ではないでしょうか。そして、音楽は人を集めます。集まった人が、たとえ知らない同士でも、繋がってしまう。あの、開場一番乗りの初めて会った男の子がボランティアになってしまうように。

そんな力を感じました。

楽しくなければ、音楽ではない。楽しくなければ、まちづくりではない。

次のビッグ・イベントは、2018年3月11日、ジャズ・バイオリニストである寺井尚子のコンサートです。

音泉街を目指す佐伯の挑戦はまだ始まったばかりですが、これからも注目です。応援していきます。

音楽を愛する人々に満たされた佐伯での夜

7月23〜24日は,大分県佐伯市に来ています。23日の夕方から、佐伯の皆さんと音楽を楽しむイベントに参加しました。

場所は、市内のお医者さんのお宅に作られた音楽ホール。

そして、そのお医者さんの中学校時代からの同級生で、現在はドイツを拠点に活動している日野隆司氏のピアノコンサートでした。

プログラムは、モーツァルト、ベートーベン、シューマン、ショパンでした。一般のコンサートホールとは異なり、音だけではなく、わずか数メートルの距離にいる演奏者の息づかいさえ聞こえる、とてもいい空間を感じました。

集まった方々は、地元佐伯の音楽を愛する一般の方々でした。今年3月に立ち上がった、佐伯ミュージック・アート・クラブというグループの皆さんです。このフォーラムは、「おんせん県おおいた」にありながら温泉のない佐伯で、自分たちで楽しみながら音楽をもとにした地域おこしを進めていきたい、という趣旨で始まったものです。

すでに、佐伯出身の音楽家にコンタクトし、今回のように会員のお宅で開催したり、市民会館で開催したり、ホテルでディナーショーのような形で開催したりと、演奏会をかなり活発に計画しています。

日野隆司氏のコンサート、アンコールのシューマンの「子供の情景」が終わっても、しばらく残っていると、会場提供者のお医者さんと日野隆司氏との連弾が始まりました。

このお医者さん、実は日野隆司氏と一緒にピアノを学んだ仲だったのです。彼もまた玄人肌のピアノの腕前で、自分で楽しむために作った音楽ホールを、佐伯ミュージック・アート・クラブのイベントに提供したのでした。
とても楽しそうな連弾でした。きっと、何年かぶりの連弾だったのでしょう。こうした姿に、市民が自分たちで楽しみながら音楽を真ん中に置いた地域おこし、というものの一番大事なものを見たような気がしました。
ひょんな事から参加したイベントでしたが、自分にとっても色々と勉強になったひと時でした。この後の懇親会でも、日野隆司氏や会場提供者のお医者さん、ミュージック・アート・クラブの皆さんとの語らいも、とても楽しいものでした。