マカッサル国際ライターズ・フェスティバル2013

私のマカッサルのRuma’taの仲間たちが、昨日からマカッサル国際ライターズ・フェスティバル(Makassar International Writers Festival: MIWF 2013)を開催している。

今年でたしか3回目となり、年々、規模も大きくなってきた。今年はずいぶんと協賛企業が増えたようで、資金的にも少し余裕ができた様子である。

最初の頃は、企業回りをして資金提供をお願いしても断られることが多く、かなり苦労していた。きっと、来年、再来年と、軌道に乗るにつれて、運営はよりスムーズに行くようになるだろう。

もともと、バリ島のウブド国際ライターズ・フェスティバルに刺激を受けて始めたものだが、昨年のフェスティバルに行った際、参加者からは、ウブドのよりも参加者間の距離が近く、濃厚な議論ができて有益だった、というコメントを聞いた。たとえ規模が大きくなっても、その良さを活かせるような運営をしていって欲しいものだと思う。

マカッサル国際ライターズ・フェスティバルのウェブサイト(英語)は以下の通り。

Makassar International Writers Festival 2013: My City My Literature

いまでは、学生デモなど暴力的なイメージで有名になってしまったマカッサルだが、実はこうしたクリエイティブかつ地域文化に根ざした活動がしっかりと根づいてきている。

新しい文化の生まれる場所として、マカッサルがもっと世に知られるようになって欲しいし、そうなっていくことへ自分も関わっていきたいと思っている。

マカッサル国際ライターズ・フェスティバル2013は、6月25日から29日まで。うーん、何とかして行きたい・・・。

石油燃料値上げがようやく実施

先週金曜、インドネシア政府は石油燃料値上げを正式に発表し、土曜日午前零時をもって実施された。プレミアムガソリンがリッター当たり4500ルピアから6500ルピアへ、軽油が4500ルピアから5500ルピアへの値上げである。

たしかに、石油燃料値上げは他の物価上昇へ影響する。すでに、公共交通機関の料金は全国各地で15%程度上昇した。この土日にジャカルタへ出張してスラバヤへ戻ってきたら、スラバヤの空港タクシーの料金が、これまでの87,000ルピアから100,000ルピアへ一気に上がっていた。窓口に手書きで「新料金」と書かれていた。

断食月を前に、便乗値上げが横行することだろう。しかし、これまで何年も石油燃料値上げがなかったにもかかわらず、物価は常に上がり続けてきた。それがなぜか消費者物価上昇率の公式発表数字に反映されてない印象がある。

おそらく、わりと農業生産が好調だったため、消費者物価を支える食料価格が比較的落ち着いた動きをしているためだろう。しかし、輸入製品のあふれる都市部では、物価上昇が抑えられているという実感を得たことはほとんどない。

最低賃金も大幅に上昇する中で、この数年、インドネシアの人々は豊かさを実感しているはずだが、ずっとインドネシアをみてきた身からすると、物価上昇への不満はずっとあったように思える。でも、石油燃料値上げによってそれが国民的反政府運動へ向かう気配はない。

本来もっと早くすべき政策が先延ばしとなり、ようやく今になって実施した、という感じである。将来が見通せるようになったインドネシアは、駄々っ子のような刹那的な反対デモや暴力に訴えなくなって行くプロセスに入ってきたのだろうか。

【スラバヤ】台湾お粥 @ Yung Ho

ワニ子さんのブログによると、最近、スラバヤにもバリの有名お粥店Laota(老大)の支店ができた様子だが、それ以外にも、私の好きなお粥屋がご存じYung Hoである。

6月15日は、魚粥(Rp. 12,000)に高菜炒め(Rp. 13,000)と叉焼(Rp. 23,500)を加え、自家製リャンティー(Rp. 8,000)の組み合わせで夕食とした。

この店では、たくさん並んだおかずから好きなものを好きなだけ取れるのが面白い。 台湾お粥屋なので、豚肉のメニューも揃っている。

魚粥は、細かく切ったピータン、白身魚、エビ、揚げ玉が入っていて、油条を入れる通常のものとは若干異なっていた。お粥はあっさりしていて食べやすいし、量もさほど多くはない。

お客さんには台湾人もけっこういる様子。その日も、中国語が飛び交っていた。

Yung Hoは、お粥の店とシーフードの店が30メートル離れて建っているが、ほどなく、シーフードの店のほうへ統合される様子である。そうそう、ここは豆乳もおススメである。

Yung Ho
Jl. HR Muhammad No. 385, Surabaya

学生と「ハウルの動く城」を観る

6月15日、スラバヤ市内の私立ドクトル・ストモ大学で、日本語科の学生さんと一緒に日本映画を観ながら語り合う会、に行ってきた。

今回、彼らが観たいといってきたのは、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」。おっと、これは日本人監督の作った日本映画ではあるが、ストーリーには日本が何も出てこないではないか。この映画を観て日本を語ろうとしているなら、ちょっと認識不足ではないか、などと思いながらも、とにかく出かけてみた。

真面目な日本語科の学生さんなのだ。映画を観る前に、映画の中に出てくる日本語の台詞から単語を抜き出し、その意味を確認している。でも、あまりにも機械的な訳なので、黙ってみていられなくなり、大げさなジェスチャーを交えて、意味を説明してみた。すると、「初めて知りました」という反応で学生の目が輝きだした。あー、彼らは生きた日本語に触れていないのだな、と思った。

いよいよ映画上映。「ハウルの動く城」は前にも何度か観ているが、やはりいいものはいい、という感じがする。ソフィーの声を吹き替え分ける倍賞千恵子はさすがだなと感心しながら観ていたら・・・。

隣のモスクからアザーンが。学生は何の躊躇もなく、キリのいい場面かどうかも何も考えず、映画を途中で止めた。アザーンが終わると、何事もなかったかのように、再び映画を再生した。

映画を観終わった後、学生たちと感想を述べ合った。やはり思った通り、学生たちは表面的なあらすじを追うのに精一杯で、表現の裏にある作者の意図などまでは思いが至らない様子だった。それでも鋭い質問があった。「なぜ、最後は、戦争を終わらせようというハッピーエンドになるのですか」という質問である。たしかに、そこがこの映画のちょっと?マークの部分ではある。

学生たちと一緒に考えてみようということにして、意見を出してもらった。「サリマンの敵国の王子が案山子にされていた魔法が解けてしまったから」とか「対立するどちら側にも立たなかったハウルが生き残ったから」とか、いろんな意見が出た。この点については、私も確たる答えを持っていなかったので、その辺で話を終わらせた。

しばらく映画の議論をインドネシア語で続けた後、学生たちから「日本語で話をしたい」というリクエストがあったので、日本語に切り換えて話を進めようとした。日本語を勉強するインドネシア人の学生からは、もっと日本語で日本人と会話する機会を増やしたい、という希望があったので、これはいい機会だと思った。

しかし、学生たちから日本語での話しかけが出てこないのである。だって、彼らが日本語を話す機会を欲しているんでしょ、と心の中で思いながら。どうやら、ほかの友達の前で、自分が間違った日本語を話しているのを見られたくない、恥ずかしい、という気持ちがある様子である。この辺り、英語で悪戦苦闘している日本の学生にも共通するかも、と思うような態度であった。

我々日本人ネイティブからすると、インドネシア人にとって日本語は外国語なんだから間違って当たり前、恥ずかしく思えるほど日本語はまだできないだろうから、どんどん話してみたらいいのに、と思ってしまう。せっかく、日本人ネイティブと接触できる時間なのに。私としてはちょっと残念だったが、ヒトのことはいえないと思った。

なぜなら、日本人が英語やインドネシア語を学ぶときの態度にも、彼らと同じような部分があるのではないかと思ったからだ。大してできもしないのに、あるいはだからこそ、よそ様にその様子を見せるのがはばかれる、という態度である。日本人の場合には、英語と比べてインドネシア語を下に見たり、あるいはインドネシア(人)を見下しするような態度だと、なおさら、インドネシア語を学ぶという話にはなりにくくなってしまうかもしれない。

それにしても、こんな形の映画鑑賞会で、彼らには何か役に立ったのだろうか。その点については、私はあまり自信がない。でも、時々、こんな会があって、日本語を勉強したいという学生に何かやる気を感じさせるきっかけ作りになるのなら、そのお手伝いは是非したいと思うのである。

【スラバヤ】Nasi Goreng Jawa @ Depot Gang Jangkrik

我が家の近くのDepot Gang Jangkrik(「コオロギ横丁の軽食堂」とでもいうか)は、味の良さでいつも重宝している常連店である。何を食べても外れがない。

私にとっては、夜、ちょっと遅くまで仕事をして、クタクタでも、我が家に着く前に「コオロギ横丁の軽食堂」があると思うだけで、どんなにか、心がホッとすることか。そんな店が我が家の近くにあるという安心感がある。

6月9日の昼食に食べたのは、Nasi Goreng Jawa、すなわちジャワ風ナシゴレンである。

ジャワ風と聞いてすぐ思いつくのは、ドロッとした甘いソースのケチャップ・マニスで味をつけたナシゴレン。ジャカルタでもどこでも、普通よく見かける茶色っぽい色のナシ・ゴレンである。

ところが、ここのジャワ風ナシゴレンは、違うのである。味付け自体は、揚州炒飯ほどあっさりはしていないが、通常の中華系炒飯の味付けに似ている。「ジャワ風」という所以は、実は、少量の麺がナシゴレンのなかに入っていることにある。

ジャワ島の小食堂やワルンで定食「ナシ・ラメス」を頼むと、肉や野菜とともに、必ずご飯の上に麺が少量のってくる。普通の家に招かれても、大抵、ご飯のほかに、おかずとしてインスタント麺を茹でたものが振る舞われる。

ジャワの食事で、麺はどのように位置づけられているのだろうか。ご飯の代わりなのか、ご飯と一緒に食べるおかずなのか。それとも両方ありなのか。

余談だが、ここの豚飯(Nasi Babi)も秀逸なおいしさである。5月19日の昼食に食べた。ただし、Depot Purnamaのとは違って、豚レバー・ハツなど内臓系は入っていない。それ故に、日本の中華丼と全く同じ趣である。

 

好き好んでインドネシアへ来た訳ではない方々へ

昨日、友人と話をしていて気づいたことがある。私のこのブログを読んでいる方々は、ある程度、日本とインドネシアとの関係について、それをどのようにしていったらよいか、考えている人であろう。しかし、今、日本からインドネシアにやって来る方々のなかには、自らのことで頭がいっぱいで、インドネシアのことを考える余裕のない方々もかなりいるのではないか。

好き好んでインドネシアに来た訳ではない、会社の方針で仕方なく来た、という方も少なくないと聞いた。多少言葉は悪いが、「来てやったんだ」という気持ちでインドネシアにおられる方もいるだろう。そして、彼らに対しても、「業績を上げよ」というプレッシャーが日本から矢のように飛んでくる。心静かでいられるわけもなく、イライラせざるを得ないことだろう。

そんな方々は、自分より下のもの、弱いものに対して強い態度を示すことによって、自分の不安定な心持ちやストレスを発散させなければ、やっていけないかのような気持ちに陥る。日系企業であれば、インドネシア人スタッフに対して居丈高に振る舞ったり、見下したりするような場面もあるかもしれない。

インドネシア人スタッフは、表面上はそれに従うかのように振る舞う。「どうしてこの日本人は怒りっぽいのだろう」と疑問に思いつつ。でも、実は内心では、居丈高に振る舞ったり見下したりする日本人を「残念な人」とシニカルに見ている。積極的に彼へ協力はしないが、何らかの危害を加えない限りは、それなりにお付き合いはする。このような表向きと裏の異なる状態がずっと続き、インドネシア人スタッフは、会社への貢献よりも給料を上げてくれることのみを求める方向へ動いていく。いつか爆発しそうな状況を保ちながら。

こうした日本人に、「もっとインドネシアのことを学んだほうがいい」と言っても、なかなか聞き入れられない。ここは他所の国で、日本ではないという基本認識はあっても、「日本」から出られない。「日本」を何とか維持しようとして、居丈高に振る舞ったり見下したりしながら、インドネシア人の日本人への信頼感や尊敬を失わせていく。

そんなことを、友人と話しながら思った。でも、本当にそんな日本人がインドネシアにたくさんいるのだろうか。にわかには信じられないが、日本企業の進出が増えれば増えるほど、そうした日本人が増えてくるということは想像できる。インドネシアについての事前準備なしに来てしまうケースもあるだろうからである。

そうした方々は、おそらく、私のこの拙いブログを読んでいただくことはないのかもしれないし、私の講演やワークショップやニュースレターにも関心を持っていただけないことだろう。いくらこちらから発信しても、そこにはなかなか届かない。こちらの届かないところで、そんな動きが増殖していないことを祈るばかりである。

でも、今からでもかまわないので、もしも、インドネシアのことをもっと知りたい、彼らの本音を知りたい、と思うことがあったら、いつでもいいので、私までコンタクトしてきて欲しい。時間の許す限り、そうした方のところへ飛んでいこうと思う。

ジョブローテーションの誤解

ある日系企業に勤めるインドネシア人の方とたまたま話をする機会があった。聞くと、転職を考えている様子だった。

さらに聞くと、企業のなかでいろいろな部署を数年でどんどん替わっている様子。「自分は仕事ができないから部署を替わらされているのではないか」という本音がホロッとその人の口からこぼれ出た。

話を聞いて、これは典型的なジョブローテーションだと思った。日本の企業では、様々な部署を経験して、会社全体が見渡せ、部署間の有機的関係が理解できる人材を育てるために、ジョブローテーションは普通に行われている。そうだとするならば、その日系企業はその人を管理職候補として育てるために、ジョブローテーションをさせているに違いない。

転職したいと言うその人に、「今までに、仕事がうまくいかなかったり、上司とトラブルになったことがあった?」と優しく問いかけてみた。「そういえば、そんな心当たりはない」という答え。「もしかしたら管理職候補生として期待しているのではないかな?」と続けると、しばらく間が空いた後、ハッと気がついたような表情をして、その人の目が潤んだ。

その人は、ずっと、自分は能力がないから部署をどんどん替えられたのだと信じていた(実際、インドネシアの国内企業ではそんな状況だという話を私は聞いたことがある)。けれども、もしかすると、企業側はそんな風には思っていなかったのかもしれない、ということに気づいた。企業のために役に立っていないと思い込んでいたその人が、実は期待されていたのかもしれない、と思えた瞬間の涙だった。

その人と話をしながら私も気づいた。日系企業で中堅幹部職員の人材育成が難しいという話の原因の一つは、このジョブローテーションの誤解にあるのではないか、と。日系企業側は、日本流にジョブローテーションをしながら幹部候補生に育てようとするが、当人たちにその意図が伝わっておらず、部署を替わるたびに企業から認知されていないという思いを当人たちが持ち、給料以外の評価基準を意識できなくなって、転職へ向かってしまうのではないか、と。

前に会ったインドネシア人の方は、仕事に給料以外の価値観を持っていなかった。果たして、日系企業で働くインドネシア人従業員たちは、自分たちの作っている製品がどのような社会的価値を持ち、いかに重要な仕事をしているのか、という意識を持てているのだろうか。

たとえば、ネジを作る工場で、そのネジがないと二輪車が完成しない重要な部品であること、そうした部品を作っていることを通して、従業員に誇りを持たせる。中堅幹部職員は、重要な役割を果たす現場従業員がいなければ企業や自分の存在が成り立たないことを理解して、従業員を適切な形でリスペクトする。企業や中堅幹部職員は、それを言葉で伝えるのではなく、一生懸命働いて結果を出したときに、従業員にそっと飲み物やスナックを振る舞う。そんな間接的な振る舞いを通じて、従業員たちは「自分たちがきっちりと見られている」「分かってくれている」と自ら認識するだろう。こうした、さりげない対応は、実はインドネシア人(とくにジャワ人)の得意とするところのはずである。

社員を大切にする、というのは、ほとんどの日系企業が日本で行ってきたことである。そして、インドネシアでもまた、社員を大切にしているというメッセージを、さりげない対応を含めながら、シグナルとして発信していくことが重要になると思う。

果たして、ジョブローテーションの誤解が解けた先のインドネシア人の方は、これからどのようになっていくだろうか。「月曜日の朝会で今日の話を仲間にしてみます」といって、その人は去っていった。

スラバヤの新交通システム計画

ジャカルタでは地下鉄(MRT)建設がいよいよ始まりそうだが、スラバヤでも新交通システムの導入、すなわちモノレールと路面電車の導入へ向けて動き始めた。

スラバヤに来て感じたことの一つは、320万人もの人口を抱えた大都市にもかかわらず、バスや乗合などの公共交通機関が極めて脆弱なことである。もちろん、乗合は何路線もあり、ジョヨボヨ・ターミナルというものもある。しかし、ジャカルタのビスコタ、メトロミニ、コパジャ、ミクロレットのような頻繁に走っている公共交通がほとんどない。バイクと自家用車が圧倒的である。

でも、スラバヤはもともと公共交通機関のあった街なのである。オランダ時代の1925年頃から1975年頃まで、蒸気で走る路面電車と電気で走る路面電車が走っていた。 料金は当時の額で3セン、オート三輪が25セン、タクシーが50センだったという。路面電車はバスに取って代わられた。しかし、そのバスも廃れて、本数が少なくなった。

スラバヤ市の道路延長距離は1426キロメートルで、個人所有二輪車・自動車の台数は2008年の140万9360台から2011年には699万3413台へ急増した。ところが、その一方で、バスの台数は250台から167台へ、乗合の数も5233台から4139台へと大幅に減少している。

当然、道路の渋滞は激しくなってくる。5年以内に、スラバヤの渋滞はジャカルタ並みになるという見方が強い。

そこで、スラバヤ市は、モノレールと路面電車を組み合わせたMRTを導入し、2015年に運転を開始したい意向である。両者の概要は以下の通りである。

<モノレール>(SUROTREM)
延長距離:16.7km
操車場駅:Joyoboyo
停車駅数:29
駅間距離:500-1,000m
年間予想利用客:2793万6900人
投資額:1.2兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:200人
車両編成:2両連結
経済的な料金:8,000-10,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:21台

<路面電車>(BOYORAIL)
延長距離:23km
操車場駅:Kenjeren, Joyoboyo
停車駅数:23
駅間距離:500-2,000m
年間予想利用客:4371万7742人
投資額:8.5兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:400人
車両編成:4両連結
経済的な料金:37,000-40,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:18台

予想されるのは、建設工事により渋滞がよりひどくなる、ということである。また、公共交通期間に乗り慣れていない人々が、果たして整然と乗り降りできるだろうか、という点も懸念材料である。

そもそも、民間が資金を出さなければ実現しない話だが、本当に資金を出す民間が出てくるのだろうか。実現できたらいいけれど、そう簡単ではないだろう。スラバヤと同時期にモノレール導入を予定していたマカッサル市は最近、計画の延期を発表している。

スラバヤのモノレールと路面電車については、友人のブログに詳しい情報が載っているので、そちらも参照して欲しい。

スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その1
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その2
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その3
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その4
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その5
スラバヤにもモノレールだって!!

(参考)TEMPO, 2 Juni 2013.

ハイ・アンド・ロー

昨日(6月1日)は、久々にブログ更新やインドネシア語ブログの開設など、けっこう前向きにハイな気分でいられたが、今日は逆に、一気にローな気分で落ち込んでしまった。

友人と楽しく昼食をした後、買い物をし、路上でタクシーを待っていた。ちょっと疲れを感じてボーッと立っているところに、1台の乗合バス(コパジャ)が私の前に停まった。なぜか分からないが、私はコパジャに乗るそぶりをした。判断力が希薄だったのかもしれない。

その時、私の前に誰かが立ち、ふわっと私の肩掛けカバンが上に舞い上がった。そして気が付くと、カバンの左ポケットに入れてあったはずの愛用のデジカメ(リコーCX3)がなくなっていた。コパジャのコンダクターは、「向こうに逃げて行ったやつがいる」と後ろを指差したが、ボーッとした私にはなんだかよく分からない。誰かがいたようには見えなかった。コパジャは走り去っていった。

コパジャのコンダクターが盗んだのではないか。我に返ってよく考えると、おそらくそうなのだ。コパジャの中にデジカメがまだあったかもしれなかった。でも、それを追いかける気力は沸いてこなかった。怒りを感じるよりも、へなへなと茫然自失の状態になった。

幸い、隣のポケットに入れてあった携帯電話も、その他の財布もパスポートもすべて無事だった。

リコーCX3はいいカメラだった。とくに、マクロ撮影に優れていて多用した。でも、このカメラはインドネシアで売られていないし、チャージャーもないし、説明は日本語にしてあるから、きっと、盗人の役に立たずに、捨てられてしまうのだろう。これを運命と受け入れてしまう私は、相当にインドネシア化しているといっていいのだろうか。

数日前のワークショップで撮った参加者との記念写真も、今日の昼食で食べた料理の写真も、すべて消えてしまったのが残念である。昨日は、デジカメを持たずに夕食に出かけたので、今日は持っていこう、と確認して出発したのが、リコーCX3との別れとなってしまった。

何となく、今日はやばいのではないか、と感じていた。そういう時に限って何かが起こるのだ。そう、過去もそうだった。

土日も休まずに、原稿を書き続けたこの数ヵ月、休暇らしい休暇を取っていないし、原稿の締切が次から次に来る生活では、休むわけにもいかない。そういう生活にしたのは自分自身だから、もちろん自己責任。今日の事件は、自業自得というしかない。

楽あれば苦あり。自分がうまくいって得意になっているときほど、細心の注意を払わなければならないのだ。

自分の恥をさらすような話を書いている自分にも嫌気がさすが、ともかく、書かないと何となく落ち着かない気分になってしまったので、こうして恥をさらしてしまった。不愉快な気分にさせてしまったとしたら、大変に申し訳ない。

 

インドネシア語版のマイ・ブログ

本日6月1日より、本ブログに加えて、インドネシア語での個人ブログを書き始めた。以前から、インドネシア人の友人に「インドネシア語でブログを書かないのか?」と言われていたこともある。

もっとも、2009年まではインドネシア語ブログ「Kabar dari Daeng KM」というのを書いていた。しかし、長い間、休眠状態となっていた。今回、改めてインドネシア語版ブログを書いてみようと思った次第である。

インドネシア語版新ブログは以下のとおりである。まだ1本、自己紹介しか書いていない。

Indonesia Campur

Campurというのは、インドネシア語で「混ざる」「混じる」の意味。沖縄料理のチャンプルーや、長崎のチャンポンと同じ意味の言葉である。

インドネシア政治・経済・社会、日本との関係、自分なりに出会った面白いこと、などを自由に、私なりの考えやコメントを付け加えながら、インドネシアの知人・友人たちに投げかけていきたいと思っている。

さっそく、インドネシアの友人たちが「読むよー」と言ってくれている。どんな反応があるか、楽しみである。

インドネシアの人々へ日本を伝える、ということも一つの役目と考えている。日本語での発信に加えて、インドネシア語でも発信していく。

ブログに加えて様々な媒体への原稿執筆で、1週間、毎日締切という状態になるかもしれないが、これも私なりの使命と心得て、チャレンジしていきたい(今日は、1時間ほど昼寝したせいか、ずいぶんと元気になった)。

【スラバヤ】豚飯 @ Depot Purnama

スラバヤで重宝している食べ物はNasi Cap Cai、すなわち肉野菜あんかけ炒めご飯、早い話が「中華飯」である。簡単に肉や野菜が食べられ、それなりの満腹感もある。

スラバヤに来てからしばらくNasi Cap Caiを食べていたのだが、中華料理屋のメニューに載っている「牛飯」(Nasi Sapi)、「鶏飯」(Nasi Ayam)、「海老飯」(Nasi Udang)、「豚飯」(Nasi Babi)に興味をそそられた。

「鶏飯」(Nasi Ayam)といえば、普通は、海南鶏飯を想像する(日本では、大分の「吉野の鶏めし」も思い出すが・・・)。「牛飯」は牛めしではないだろうし・・・。

「豚飯」は、刻まれたチャーシューなどの入ったNasi Campurとは別のもののようだし・・・。いったいどんなものが出てくるのだろう? そう思って、試しに頼んでみた。

出てきたものは、Nasi Cap Caiのようなあんかけご飯。野菜の種類は2~3種類と少なく、豚肉、それもハツやレバーも入っている。この店では、ご飯の上に薄い目玉焼きがのっていた。

食べ始めてすぐ、味に懐かしさを感じた。日本の中華丼の味、なのだ。個人的に豚レバーが入っているのがとても良かった。これは、外食の定番になりそうである。

しかし、ジャカルタでもマカッサルでも、このような名前のメニューはみたことがなかった。どこにでもありそうな料理だが、この名前はスラバヤにしかないのだろうか。今度、行く先々で調べてみたい。

Depot Purnamaは、かつてJl. Pahlawanにあった店が移ってきたようだ。Jl. Pahlawanといえば、このブログの最初に書いた海南鶏飯屋さんのある通りでもある。この店、夜遅くまで、華人系の家族連れなどで賑わっている。我が家のすぐ近くにあり、重宝しそうだ。

Depot Purnama
Jl. Mayjend Sungkono, Surabaya

 

【スラバヤ】Nasi Sayur @ Depot Pak Djo

5月15日に、職場の友人に連れて行ってもらったのがここ。Nasi Sayur、すなわち「野菜ご飯」の店。安くてうまい、というので試してみることにした。

ところが、メニューが下の写真の通りになっていて、なんだかよくわからない。

店員に尋ねると、次のような説明。

「Nasi Sayur Ayamには麺がつき、Nasi Ayam Sayurには麺がつかない」。

でも、ほかに、Nasi Mie Ayam Sayurというのがある。これって、Nasi Sayur Ayamと同じではないか。いや、麺の量が違うのか。というのは、ジャワの屋台でNasi Rames(皿の真ん中にご飯、その周りにおかず、という定食)を頼むとほぼ必ずインドミーの麺だけが乗ってくるから。

謎は尽きないが、とりあえず、今回食べたのは、Nasi Ayam Sayur、麺がつかないバージョンである。

思い出したのは、昔、子供のころに食べた大根飯。大根に付いている緑色の葉・茎の部分を細かく切って、ご飯に混ぜて食べた大根飯。

このNasi Ayam Sayurの葉っぱは大根ではないけれど、茎の食感がよく似ている。これに細かく切った鳥肉が絡む。

決して凝った味とは言えないが、サンバル(チリソース)を加えれば、よりおいしさが引き立つ。

これこそ、スラバヤの屋台で食べる庶民の味、である。でも、味付けにはもっともっと工夫が必要な気もした。

Depot Nasi Sayur Pak Djo
Jl. Embong Blimbing, Surabaya
(Jl. Baski Rahmatの英雄の像から左に入った屋台街のちょっと奥、右側)

 

「笑うな。黙れ」の日本イメージ

人間の本性というのは、意識的に隠すことはできても、無意識に表れてしまうものである。日本という国がいくらよいイメージを作れたとしても、国際会議の場での個人の無意識の態度によって、日本という国の本当の姿が露わになってしまうことになる。

国際会議の場で「笑うな。黙れ」と言った日本人の外交官は、日本という国を背負っていることを忘れたのか、あるいは相当重荷に感じていたのか。下記を参照されたい。

‐ 日本の刑事司法は『中世』か

または、無意識のうちに、日本は上、アフリカの小国なんぞは下、という個人の持つ差別意識が思わず無意識のうちに出てしまったのか。相手への尊敬があったのだろうか。

3月にジャカルタで出席した国際会議で、日本の外務省の方がインドネシアとのパートナーシップについて話をされた際に、日本が黒子役となって、一緒に調和のとれた新しいアジア社会を作っていきたいという趣旨のことを発言されていた。韓国や中国の代表が「教えてあげる」という上から目線だったこともあり、「日本は一皮むけて円熟した」と思った。新しい日本のアジア外交が始まる兆候さえ感じた。

それだけに、「笑うな。黙れ」はとても残念でならない。

でも、それは、国際会議での当の日本人外交官個人に帰せられる問題だろうか。

私自身、これまでにそういうことが一度もなかったかといえば自信がない。

たとえば、ずっと昔に、インドネシア語がまだよく話せず、いつもインドネシアの方々に笑われ、間違いを指摘されるたびに、自信をなくしたものだった。とくに小さな子供に笑われたときに、爆発しそうになった。

あるいは、25年以上前、ビザの手続がうまく進まなくて、役所の間違いで誤った書類が国家情報庁へ送られてしまったとき、ビザが更新できないことを恐れて役所へ窮状を訴えた際、笑いながら適当にあしらわれ、怒ってしまったことがあった。

今でも、イライラして、ちょっとしたことで笑われると、ムカッと来ることがないわけではない。

インドネシアの人たちの笑いには、純粋な笑いとともに、自分の不備や能力不足を恥じるのを隠す笑いがある。場が悪いので笑ってごまかす、という感じに近い。硬い頭の自分がそれに対して怒ってしまうのは、その時の自分にゆとりがないからだ、と後で気づくのである。

日本国を代表する外交官の傲慢な態度は、日本という国のイメージをよりよくしようとしている人々への冷水である。しかし、我々外国に住む者もまた、広い意味での「外交官」といってもいいかもしれない。

外交官だけでなく「外交官」の日頃の振る舞いが蓄積されて、日本という国の姿やイメージが残っていくのだろう。もちろん、日本の前に、地球上に生きる一人間としての個々人があるわけだが。

また今日から、「笑うな。黙れ」の日本イメージを払しょくすべく、微力ではあるが、ゆとりをもって接していきたい。

 

スラバヤ空港でのGaruda Indonesia職員

5月25日、スラバヤからジャカルタへ日帰り出張した。5月20~22日に一組、5月23~28日にもう一組、視察同行中で、後者については、仏教のワイサックで祝日であることを理由に1日だけあけてもらうことをお願いし、日帰り出張を行った。

25日朝、スラバヤのジュアンダ空港でGaruda Indonesiaのカウンターでチェックイン。通常よりも一人一人のチェックインに要する時間が長いので何かおかしいとは感じていた。自分の番になって、その理由がわかった。カウンターの職員曰く「直前の便がキャンセルになって、その客がお客様の予約した次の便へ振り向けられたため、オーバーブッキングとなり、乗れません。さらに次の便に振り替えます」とのこと。

はあ? 前の便がキャンセルになると後の便に振り替えて、後の便に予約を入れておいた私が乗れないわけ? 午前11時からジャカルタで会議のため、遅れないようにこの便にしたのに、どういうことなのか? これがGaruda Indonesiaの通常のやり方なのか? カウンターの職員に詰め寄ったが、彼女はGaruda Indoensiaではなく空港サービス会社の職員なので、、「Garuda Indonesiaのカスタマーサービスに話してください」と取り合ってくれなかった。

ともかく、次の便に振り向けられ、その搭乗券をもったまま、Garuda Indonesiaのカスタマーサービスへ。同じような運命になったと思われる何人かの乗客がそこにいた。Garudaのネームタグをつけた男性職員に苦情を話す。するとその職員、「ご意見を言っていただいたお客様をとてもありがたく思います」「素晴らしい意見ですね」「ご意見賜ります」と、褒め言葉が並ぶ。それでさらにカチンと来て苦情を言い続けると、今度は何度も「申し訳ありません」を繰り返し始めた。頭にきたが、埒が明かないので、あきらめて、当初乗る予定の次の便を気長に待つことにした。

振り向けられた次の便だとジャカルタ着は10:20、土曜・祝日で空港からジャカルタ市内への高速が空いていたとしても、おそらく間に合わない。会議の相手にお詫びの連絡を入れた。

話はここで終わらなかった。

ジュアンダ空港内のカフェで、中華チマキとコーヒーの朝食をゆったり摂っていると、先ほど私が会ったGaruda Indonesiaのカスタマーサービスの職員が、息を切らせながら私のところへ駈け込んできた。そして言う。「お客様、当初お乗りになるはずだった便ですが、キャンセルが一人出ました。お客様だけ特別にご案内したいのですが」と。

私と同様の運命になった乗客はたくさんいたはず。なぜ私だけなのか。他の乗客にもちゃんと情報を流したのか。病人や急用のある人など、緊急性の高い乗客がいるのではないか。私だけが特別扱いされるのはおかしい。こんな風にまくし立てていると、「もう時間がないんです。1人分だけですから、どうか搭乗してください」と懇願される始末。

2個あった中華チマキを1個だけ食べ、コーヒーを半分以上残したまま、その職員に急かされながら、搭乗口へ向かった。搭乗券の便名やシート番号は手書きで直され、日帰りで手荷物のみだったので、そのまま搭乗。本来、自分が乗るはずだった便に結局乗ってしまった。

便は約30分遅れで出発。最後の乗客である私を待っていたためだろうか。

機内を見ると、同じ柄のバティックを着たウムロ(断食明け以外の時期に聖地メッカへ行くこと)に行くと思われる方々が多数乗っていた。見た感じ、政府高官やその子弟のような方々が多いように見えた。

もちろん、ジャカルタでの会議の時間には間に合った。きっと、素直にラッキーと思えばよいのかもしれない。でも、後味の悪い何かが残る顛末であった。

【マラン】Nasi Bakmoy @ “Yan” Pangsit Mie

5月18日にマランのブラウィジャヤ大学で講義をする前に、朝食を食べたのがこの店。最初は、ワンタン麺(Pangsit Mie)が目当てだったが、Nasi Bakmoyという、見慣れない名前がメニューにあった。写真を見る限り、ご飯に肉などのおかずが乗っている様子だが、ともかく頼んでみた。値段はRp. 12,000である。

実際は、ご飯の上に細かく刻んだネギ、小さく薄く切った油条、味付けした鶏肉、煮玉子が乗り、その上からちょっと鶏だしの利いた汁がかかっている。汁かけご飯の類。お茶漬けに近い感覚である。サラサラッと食べてしまった。

おかゆとも雑炊とも違う食感。ラーメンライスよりは洗練された感じがする。もちろん、お腹にもたれる感じはない。煮玉子が何ともいえず相性がよい。

インターネットでNasi Bakmoyを検索すると、けっこう色々載っている。あるサイトには中ジャワが起源と書かれており、Nasi Bakmoyの写真も載っているが、マランで食べたそれとはだいぶ様相が違う。それは汁かけご飯ではないのだ。

J’s Kitchen

お茶漬け感覚でサラサラッと食べられ、しかも美味しく、お腹にもたれない、このマランのNasi Bakmoyは、ほんと、朝食にもってこいだった。

次回、マランへ行ったときには、ここのワンタン麺を食べてみよう。

“Yan” Pangsit Mie Ayam
Ruko Soekarno-Hatta A2, Malang
Phone: 0341-415590

ブラウィジャヤ大学での特別講義

5月18日、朝5時起きして、スラバヤから車で2時間のマランにある国立ブラウィジャヤ大学へ行き、日本語学科の学生を対象に「インドネシアの日系企業」という題で特別講義を行ってきた。

集まった学生は約120人、正直言って、かなりたくさんの学生が日本語を勉強していることに改めて驚いた。聞くと、ほとんどが日本語検定3〜4級程度、2級以上の学生は少ないようだ。2級以上になれば、そのほとんどが日系企業に就職できている。

床に薄いカーペットを敷いて座る形。考えてみれば、日本もそうだが、椅子はもともと外から持ち込まれたもので、床に座って、低い机に向かって学んだり作業したりするのが一般的にみえる。

かつて、マカッサルにいたとき、我が家の4分の3を地元の若者たちの活動に開放した際、彼らの運営する図書館(実はマカッサルで最初の民間図書館といってもよかった)では、床に座って低い机で本を読む形式だった。椅子は夭死していたにもかかわらず、である。

ブラウィジャヤ大学の学生たちは、床に座る形式のほうがリラックスして和やかな雰囲気でよい、という。たしかにそう思う。私の特別講義も、いつもより容易に笑いがとれ、リラックスした気分で行うことができた。

ブラウィジャヤ大学の日本語学科は、日本語検定2級取得を目標としている。講師陣も充実しており、日本人の講師の方が2名活躍されている。大学では4年時点で実地研修(KKN: Kuliah Kerja Nyata)を数ヵ月間行うが、将来の自分の職業に合わせて、学生が自分で探す。日本語学科の学生たちは、日系企業でのKKN受入を希望しており、実際、経験者もいるようだ。

また、ブラウィジャヤ大学は、株式会社ニキサエ・ジャパンと協力して、スカイプによるインドネシア語講座を開設している。最近、じゃかるた新聞などでも取り上げられた。

日本インドネシア語学院

学生は講義をとても熱心に聞いてくれ、質問も活発だった。情報が行き交っているためか、以前に比べると、的外れな質問は本当に少なくなった。日本があこがれの国であることは確かだが、かつてのようなステレオタイプな日本イメージがいい意味で変わっていく様子がうかがえた。

現地視察同行中

昨日と今日はスマランに来ている。日本からのお客様の視察同行中。単なる視察ではなく、今後に何かをつなげられるような、ヒントをつかむためでもある。

その意味で、今回の視察は、スラバヤも含めて3日間という短いものだが、今後の様々な展開を意識させられるような内容になった。お客様も、「こんな方々と会えるとは思わなかった」「新しい発見がいろいろあった」と満足されている様子。

現地視察同行の中身を常に充実させ、お客様の満足度とその後の展開へつなげられるような、質の高い視察同行を行なっていきたいと思う。

インドネシアの、特に地方への視察同行の希望があれば、当方へご連絡いただきたい。

これからまた、スマランでアポ3件、朝食もまだ食べていないのでこの辺で。

 

ジャワ・ポス紙編集部訪問

5月15日、パートナーコンサルタントのM氏の紹介で、スラバヤを本社とする全国日刊紙『ジャワ・ポス』(Jawa Pos)の編集部を訪問し、編集長はじめ編集スタッフと面会してきた。その様子が、さっそく、5月16日付の『ジャワ・ポス』に掲載された。

実は、『ジャワ・ポス』の編集部へ行ったのはもう10年ぶりぐらいだった。あの頃からずっと、ジャワ・ポスの編集ルームはインドネシアで一番広いと言われていたが、どうも今もそうらしい。変わっていなかった。

この『ジャワ・ポス』紙は、全国の地方紙100紙以上にネットワークを持ち、記事を配信している。おそらく、全国をくまなくカバーしている新聞メディアといってよいだろう。

実は、首都ジャカルタに本社を置く新聞社で、『ジャワ・ポス』と同様のネットワークを持っているところはなく、クォリティペーパーとされる『コンパス』が『ジャワ・ポス』を追い上げようとしているが、全国地方紙のカバレッジでは、『ジャワ・ポス』に大きく後れを取っている。

『ジャワ・ポス』は、数は多くはないが、スラバヤがジャカルタを凌駕する事例の一つといってよいかもしれない。

この『ジャワ・ポス』に、定期的に日本=インドネシア関係に関するエッセイをインドネシア語で書いてみたいと考えている。その話を持ちかけると、編集部は大賛成。まずは、こちらで書いたものを読んでもらってから判断する、ということになった。

うまくいけば、この前のブログで呼びかけた「日本企業がインドネシアでどのような役割を果たし、どう貢献しているのか」をインドネシア語で発信する場を確保できそうである。しかも、うまくいけば、系列の地方紙にも転載されるようだ。

さあ、これから、である。

【スラバヤ】バッウォン @ Bakwon Kapasari

バッウォン(Bakwon)というのは、ミートボール、肉団子のことである。バソ(Bakso)とよく似ているが、団子の肉のかたまりがややソフトな印象である。

5月11日昼、1931年創業という老舗のバッウォン屋Kapasariに行ってみた。この店は、中華系の店で、漢字で「手作り肉団子」などと書かれている。

初めてだったので、全部入りのソフト・バッウォン(Bakwon Campur, Rp. 48,000)を頼んだ。丸いのが2つ、四角いのが1つ、豆腐にくっついたものが1つ、レタスに包まれたのが1つ入っている。ほかに、揚げたのが2つつく。

ほかの客を見ると、ほとんどがこれにご飯を付けて食べている。これにはちょっと違和感を感じた。マカッサルではよくバソを食べに行ったが、バソだけで食べるのが普通で、好みに応じて麺やビーフンを入れる、という食べ方だったからである。ジャカルタのバソもほぼ同様だと思う。このKapasariでは、ご飯のおかずになっている。

味は、期待ほどではなかった、というのが正直なところ。マカッサルでは、スラバヤ由来といわれるニュッニャン(Nyuk Nyan)という豚肉団子もよく食べたが、あのおいしさはなかった。Kapasariには豚肉団子のメニューもあったので、次回は試してみたい。

Bakwan Kapasari
Jl. Mayjend Sungkono, Surabaya

発信力を強化せよ

5月8日の第1回日本インドネシア経営者会議」で、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長が、「日本企業よ、発進力を強化せよ」と何度も力強く強調していたのが印象的だった。

ソフィヤン会長は、これまで長年にわたり、日本企業のよきパートナーであり、理解者である。彼は日本企業がこれまでのインドネシアの経済発展に多大な貢献をしてきたことを深く理解している。それをもっと、インドネシア社会にアピールすべきではないか、と呼びかけたのである。

何度かお会いし、お話をしたこともあるソフィヤン会長の気持ちは、察するにあまりある。日本に擦り寄るのではなく、かといって日本を利用して自分が、というのでもなく、パートナーとして、互いに確かな信頼を持って、ウィン・ウィンの関係を築きたい、というメッセージと受けとめた。

インドネシアの市場には、二輪車や自動車をはじめ、様々な日本製品があふれている。インドネシアの人々は意外に品質にこだわる。安ければいい、というマーケットでは必ずしもない。しかし、同じ価格帯のモノであれば、品質のよいほうを選び、同じ品質のモノであれば、価格の安いほうを選ぶのは、当たり前のことであろう。

そうやって、たまたま選ばれたのが日本製品だった、ということではないか。日本が好きだから、日本製品を信じているから、インドネシアの人々が日本製品を選んでいるのでは必ずしもないと考える。

しかし、日本製ならば必ず売れる、みんな日本が好きだから、と思い込んでいる向きは決して少なくない。日本を前面に出しているから売れるとは限らない。基本は、いいものを安く、というシンプルな原則である。

実際、日用品や家庭用品でかなりの市場シェアを持っている日本製品について、現場で話を聞くと、人々は必ずしも日本製とは意識していない。日本製と知らないケースも少なくない。彼らは、安くて品質の良いものだから購入しているのである。

フォーラムでは、ユニチャームの高原社長の講演も興味深かった。まず、一般家庭が家計のどれだけを生理用品や紙おむつに支出するかを調べると、わずか5%しか支出しない。一般家庭の平均月収から算出して、その5%内に収まるように製品の価格設定をする。売り方も一回分を小口でバラ売りする。村々までそうやってマーケティングをして、製品を浸透させていく。

しかし、そこで「日本だから」は売り文句にしていない。売り文句にする必要はないし、「日本製品は高い」と思い込んでいる消費者にかえって不信感を与えることになってしまうかもしれない。ユニチャームのやり方は、極めてオーソドックスで、当たり前に思えた。

それでも、日本企業との付き合いもあるであろう同フォーラムの参加者から、「日本企業は閉鎖的でよく分からない」という声を聞いたのは、今さらながら軽い驚きであった。そのイメージこそが、外国(日本)企業はインドネシアにやってきてコストを抑えて生産し、利益はすべて本国へ持ち帰ってインドネシアには何のメリットもない、というステロタイプ化したイメージを植えつけてしまう。

ソフィヤン会長は「日本企業よ、発進力を強化せよ」と訴えた。それは、「日本だから、を強調せよ」という話では必ずしもない。日本からインドネシアに進出して、インドネシアにどのような貢献をしてきたのか、インドネシアの人々にとってどのように役に立ってきたのか、それを淡々と発信すればよいのである。日本というイメージの陰にある、自分の顔を見せて欲しい、ということである。日本で、日本社会にどう貢献してきたのか、日本の人々にとってどのように役立ってきたのか、それを考えてこなかった日本企業はほとんどないと思う。インドネシアでも、それと同じことをすればいいだけの話、ではないだろうか。

日本企業の方々に個人的な提案がある。

日本からインドネシアに進出して、自分の企業はインドネシアにどのような貢献をしてきたのか、インドネシアの人々にとってどのように役に立ってきたのか、を、日本語でよいので、1〜2枚程度書いてみて欲しい。そして、それを私あてに送って欲しい。

それを基に、私は、自分のブログやFacebook、できれば地元新聞コラム等を通じて、インドネシア語でインドネシア社会へ発信する。ささやかながら、日本企業の発進力強化のお手伝いをさせていただきたいのである。

まずは、書いてみて欲しい。そして、それを私の個人アドレス(matsui01@gmail.com)へ送って欲しい。

微力だと思う。しかし、何もしないよりはよいだろう。少しずつ、少しずつ、我々がインドネシアで、インドネシアと何かをよりしていきやすい環境を作ることに関わっていきたい。

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