2014年最低賃金(11/2時点、速報)

11月1日は、2014年州別最低賃金(月額)を各州一斉に発表する日だったが、発表に至ったのは一部の州のみに留まった。

東ジャワ州のように、州内の地域によって賃金水準格差がかなりあり、まずは県・市レベルでの最低賃金を確定し、その後でないと州レベルでの最低賃金を発表できない、といった理由が背景にあるようである。

日系企業にとって気になる州としては、ジャカルタ首都特別州が244万1000ルピア(2013年は220万ルピア、10.95%増)、バンテン州が132万5000ルピア(同117万ルピア、13.25%増)であった。

政府が示した基準は、物価上昇率+5〜10%だったので、予想に反して、意外に低い数字に抑えられたという印象がある。

ほかに11月1日に発表された各州の2014年最低賃金(月額)は以下の通り(カッコ内は2013年)

<スマトラ>
西スマトラ州:149万ルピア(135万ルピア)
ジャンビ州:150万2300ルピア(130万ルピア)
ブンクル州:135万ルピア(93万ルピア)
バンカ・ブリトゥン州:164万ルピア(126万5000ルピア)

<カリマンタン>
西カリマンタン州:138万ルピア(106万ルピア)
中カリマンタン州:172万3970ルピア(155万3127ルピア)
南カリマンタン州:162万ルピア(133万7500ルピア)
東カリマンタン州:188万6315ルピア(175万2073ルピア)

<東インドネシア>
東南スラウェシ州:140万ルピア(112万5207ルピア)
西ヌサトゥンガラ州:121万ルピア(110万ルピア)
パプア州:190万ルピア(171万ルピア)

5Sと5R

日本での5S。5Sといえば、最近はアイフォンの最新機種を指すが、それ以前から、職場の現場で言われてきた5Sは、もちろん、「整理、整頓、清掃、清潔、しつけ」である。

インドネシアでは、この日本の5Sがかなり普及しており、日系企業以外、インドネシアの地場企業においても一般に適用されている。

もっとも、インドネシアでは通常、5Rと称している。すなわち、インドネシア語では、Ringkas, Rapi, Resik, Rawat, Rajinとなっている。若干、日本語とニュアンスは異なるが、基本的には同じものである。

ところで、先日、ある国営企業を訪問した際に、5Rではなく、下の写真のような5Sに出会った。

意訳すると、「微笑、尊敬、挨拶、丁寧、礼儀」とでもなるのか。他の企業ではこれと同じ5Sを見たことはないので、おそらくオリジナルのものだと思う。

「うちの5Sは日本のとは違うよ。はっはっは」と国営企業の職員が教えてくれた。

ともかく、日本の5Sが5Rとしてインドネシアの企業へ一般的に受け入れられ、独自の5Sさえ現れている。これもまた、「日本」がインドネシアでしっかりと受け入れられていることの表れである。

 

バントゥル県の水田に突如現れた工場

ジョグジャカルタ滞在中、友人の案内で、バントゥル県をまわり、水田地帯に突如現れた工場を見にいった。

話によると、工場が建設され始めたのは3年ぐらい前からで、それまでは見渡す限りの水田地帯だった。

村人もいきなりの工場建設でびっくりしたとのことだが、その後の変容はもっとびっくりしたものだったろう。工場ができると、その周りに軽食堂やワルンができる。主に、工場で働く従業員向けで、すでに5軒以上が軒を並べていた。

さらに、女性向けの下宿屋がたくさんできている。下宿屋はすべてが女性向けなのである。

この工場は、女性用下着(ブラジャー)を生産しているという話だった。だから、従業員はすべて女性なのだ。
今回は工場の中には入らず、外から見ただけだった。工場の正門前には怖い顔をした守衛が何人も立っており、工場名を確認することはできなかった。おそらく、インドネシア国内に4つのブラジャー工場を持つ企業の一つのようだ。この企業は、ジョグジャカルタに3つ工場を持ち、そのうちの2つがバントゥル県にある。今回、見たのはそのうちの一つだったようだ。
友人の話によると、ジョグジャカルタでは、2006年のジャワ島中部地震やその後のムラピ火山の噴火などにより、住んでいた場所を追われて、仕事が無くなってしまった者が少なくなかった。そうした者への雇用機会として、こうした工場が役割を果たしている、ということであった。
ということは、地元バントゥル県の女性たちだけでなく、遠くから仕事を求めてやってきた女性たちのために下宿屋が繁盛しているという構図なのだろう。
バントゥル県政府自体は、地場産業保護の立場を採っており、よそから来た企業が地元企業を駆逐するような事態を避けようとしている。実際、ジョグジャカルタのすぐ南にあるにもかかわらず、コンビニの一つ、インドマレは2軒しかないそうだ。
この工場は、地場産業を駆逐することなく、雇用機会を増やすという観点からウェルカムなのだろう。
しかし、ジョグジャカルタ周辺の農村は、こうした工場の進出によって大きく変わっていくことだろう。ジャワ島といえば豊富な労働力、低い労働コスト、という話が未来永劫変わらないという保証はない。
経済発展とともに、インドネシアにおける農村を含めた社会変動・社会変化にも、十分に目を向けていく必要があるだろう。

ガジャマダ大学の学生たちと面接

先週は、10月15日〜20日まで、5泊6日でジョグジャカルタへ行っていた。

ジョグジャカルタは日本の京都に相当する古都で、実際、京都府とジョグジャカルタ特別州は姉妹関係にある。ジョグジャカルタのキャッチフレーズは「永遠のアジア」(Never Ending Asia)、インドネシアの他の都市よりもネーミングのセンスが断然によい。

前半は某日系企業関連の仕事だったが、後半は、ガジャマダ大学の学生20名との面接であった。これは、日本の某大学のプログラムで、日本語科以外で学ぶ優秀な学生のうち、かつて日本語を勉強したものの、今は日本語を学ぶ機会のない学生に再教育の機会を与え、その後の進路について、簡単なカウンセリングを行う、というものである。私は、この「簡単なカウンセリング」の部分を面接という形で受け持った。

18日午前中に、ガジャマダ大学で「日本の企業文化は今:インドネシアにおける日系企業」と題して公開授業を行った後、1人30分ずつ、20名の面接に突入した。

20名のほとんどがIPK/GPAが3.3以上の成績優秀者で、今回の再教育で日本語検定N-3を目指すぐらいのレベルに達していた。とても勉強熱心で、面接が終了した午後3時過ぎから夕方まで、彼らの日本語の勉強を追加で見ることにもなった。

面接では、彼らの将来の夢を聞いた。自分の専門を生かした職業に就きたい、日本語を生かせる職業に就きたい、といった声が多かったが、なかには、いずれインドネシアを変えてみたい、インドネシアの農業を守るために農民に土地を提供できる立場に就きたい、といった話をする者もいた。

彼らの描くキャリアパスは、まず学部を卒業してから数年間は企業で働き、その後、大学院で勉強する機会を得て、それから先の企業に戻るか、または次のステップへ移る、というものであった。

なかには、どうしても日本へ行きたい、という者もいた。しかし、多くの学生は、鉱業部門の多国籍企業で働きたいと考えていた。花形企業なのだ。賃金水準が高く、福利厚生も整い、安定している。日本語を学んでいるからといって、どうしても日本企業で働きたいという者は少なかった。

日本企業で働いたり、日本で働いたりすることを希望する者は、規律正しさや清潔さなど、日本の良さを自分で身につけたいという動機が多い様子であった。日本に対するあこがれやステレオ・タイプは、彼らにも健在であった。

彼らの多くは、高校時代に日本語を学び、友人たちと日本愛好グループを勝手に立ち上げて、彼らなりのやり方で日本を楽しんできた者たちであった。大学に入って日本語を学ぶ機会が乏しくなっても、日本愛好グループの仲間同士の付き合いは続き、日本語学校に通ったり、日本語の自主的な勉強会に参加したりしている者もいた。

どうして日本が好きなのかを何人かに聞いたが、そこで出てくるのはやはり規律正しさや清潔さなど。でも、話しているうちに、彼らはなぜ日本が好きかを冷静に説明するというよりは、うまく説明できないがとにかく好きなのだ、ということが体中からあふれてくるような印象だった。

たとえ彼らが日本企業に就職しなくとも、彼らの日本好きは簡単には消えないだろう。我々の知らないところで、こうした日本好きの若者たちがインドネシア社会のメジャーな部分に増えていくのは、やはり好ましいことである。

彼らに卒論のテーマも聞いたが、数人が「東電福島第一原発事故をめぐる日本の政治経済」をテーマにしたいといっていたのが印象的だった。しかし、彼ら曰く、情報ソースのほとんどが日本語で情報収集が難しく、かつ指導教官から対応できないと言われ、別テーマを検討しなければならないとのことだった。

むずがゆかった。「彼らの指導教官になりたい」と思わずにはいられなかった。彼らにとっても、原発事故後の日本は、関心の高いテーマであることを改めて認識した次第である。

彼らとの面接は、私にとっては至福のひとときだった。そして、自分の心に素直に従えば、学生を指導するということがやはり自分の天職のひとつだったのだということをしみじみと思った。しかも、こんな優秀な学生たちの指導ができたら、どんなに面白く、将来が楽しみになることだろう、と。彼らとこれからもずっと付き合っていければと願う。

今後、インドネシアの大学で現代日本事情(政治経済社会)を教える、という選択肢も考え始めている。そして同時に、日本の学生のことも気になって仕方がない。何とか、両方で教えられる手立てはないものか。しばらく、欲張って考えてみよう。

インドネシアの鉄道の旅、なかなかよい

先月、ジョグジャカルタからスラバヤへ戻るときに鉄道を利用して以来、インドネシアの鉄道での移動のよさを改めて感じ始めている。

10月15日、「サンチャカ」号でスラバヤを朝8時に定刻通り出発し、ジョグジャカルタに12時52分、定刻通りに到着した。前回、ジョグジャカルタからスラバヤまで乗った「ビマ」号は、ジョグジャカルタを出発するときに30分遅れていたが、スラバヤには15分遅れで到着した。

以前、インドネシアの鉄道といえば、時刻表はあってなきがごとし、などと言われたものだが、どうしてどうして、ほぼ定刻で走れるではないか。

スラバヤを発車する際、車内にはそれを告げる放送は一切なく、いきなりガタンと動き出した。というか、車内放送は一切ないのである。到着駅の案内など何もない。どこに着いたか、自分で確認するしかないが、車内放送がないので、とても静かなのである。

車内には車掌が検札にやって来る。その際、2名の鉄道公安員風の警備員(警察官なのだろうか)が同伴する。おそらく、不正乗車が見つかった場合に、すぐに摘発するためだろう。でも、この2名、銃器を携えるような物々しさはない。

検札のほかには、サンドイッチやナシゴレンや飲み物の売り子が頻繁にやって来る。日本の車内販売のような、車を押してくるのではなく、プレートの上に食べ物や飲み物を乗せて持ってくる。すべてプラスチックやラップに包まれている。必要な客はまず食べ物や飲み物を取り、飲食が終わったころに、別の係員が代金の徴収にやって来る。

今回乗ったエクゼクティブ車両はエアコン付きだが、冷房がこれでもかというぐらいに効きすぎていた。係員が毛布を持ってくるので、必ず受け取ったほうがよい。体中がキンキンに冷えてくる。そんななかでナシゴレンを取っても、すぐナシゴレンが冷えてしまいそうな気がして、食べる気になれなかった。

スラバヤからモジョクルトに近づくにつれ、車窓にはサトウキビ畑が広がってくる。ジョンバン付近にはプサントレン(寄宿制イスラム学校)の建物がいくつか見える。ンガンジュックに至る頃には、サトウキビ畑と水田の景色。ンガンジュックからマディウンの手前までは多くの土地が乾燥していて、一部、灌漑のあるところに水田が見られる。マディウンを過ぎてしばらく走ると、工場が目に入ってきていつの間にかソロに到着。ソロからジョグジャカルタまでは複線区間で、のどかな田園風景が広がる。車窓から見えるジャワ島中東部の農業の土地利用は、次々に様相が変わるので、見ていて飽きることがなかった。

もともと鉄道好きということもあるが、やはり、鉄道の旅はなかなかよい。20日にジョグジャカルタからスラバヤへ戻るが、これも、ジョグジャカルタ夕方発の鉄道で戻ることを考えている。

食の輸入依存度上昇と遺伝子組換え

インドネシアは資源豊富な豊かな国である。まだ農業が重要な産業である。そんなインドネシアで、気がつかない間に、食料における輸入依存度の増大、遺伝子組換え飼料・食材の既成事実化が進んだ。これからこの状態を変えるのは困難かもしれない。

インドネシア料理に欠かせないのはニンニクである。 筆者の記憶が正しければ、1980年代の自給率は50%以上、それが今では10%台に落ちた。中国産のニンニクのほうが粒が大きく、いつの間にか、輸入ニンニクの市場シェアが大半になってしまった。

インドネシアの従来からの重要なタンパク源は大豆である。テンペ菌で大豆を発酵させたテンペや豆腐は、安価でタンパク質を容易に摂ることのできる必需食品である。この大豆は、1990年代初めにインドネシアは自給を達成したのだが、いつの間にか自給率は下がり、今では2割程度に落ち込んだ。テンペ・豆腐業者によると、輸入大豆のほうが粒が大きくて味がよいので、もう国産大豆には戻れないとのことである。

この輸入大豆は、主にアメリカからのもので、遺伝子組換え大豆なのである。そう、我々はインドネシアにおいて、テンペや豆腐を食べ、豆乳を飲んだりしているが、知らないうちに遺伝子組換え大豆を食べているのである。

遺伝子組換え製品のインドネシアへの流入は、まず、棉花が最初だった。1990年代半ばから、南スラウェシ州南部などに遺伝子組換え棉花が導入された。このときには、「人間の口に入るものではない」との理由で導入が進められた。

その次が飼料用トウモロコシである。これも直接人間の口に入るわけではないが、家畜を通じて人間の口に入ることになる。「遺伝子組換えトウモロコシは農家所得を2倍にする」という触れ込みで政府が喧伝し、危険性を一切省みることなく、政府は導入を進めた。しかしその後、農家の技術的能力の問題と政府側の指導不足のためか、農家所得は2倍になるどころか逆に費用負担が増えて収入が減り、「約束が違う」と農家が怒り出すこととなった。遺伝子組換えトウモロコシの普及に努めていた米国系モンサントは、後に農業省へ多額の贈賄を行っていたことが明るみになった。それでも、遺伝子組換えトウモロコシが全面禁止になったという話は聞かない。

インドネシアは舐められていたのかもしれない。一般国民レベルでの遺伝子組換え食品に関する無知を逆手に取られ、国民が知識を得て気づく前に、もうすでに既成事実が出来上がってしまったのである。今さら、輸入大豆抜きのテンペや豆腐へ転換するのは困難である。

スハルト政権が倒れ、民主化とともに経済効率化政策が採られるなかで、コメ、大豆、トウモロコシなど基幹食糧の流通管理を行ってきた食糧調達庁の役割が否定され、市場化されていった。市場メカニズムに任せることで、国産品よりも価格が安く、品質のよい輸入ニンニクや輸入大豆が一気に市場へなだれ込み、市場シェアを高めていった。

政府にとって重要なのは市場での需給確保である。先のニンニク輸入一時禁止措置の時に見られたように、国内生産からは市場状況に適応した柔軟な供給ができず、価格が急騰するという事態が起こった。輸入によって、スムーズな需給調整が可能になる側面がある。

輸入ニンニクや輸入大豆をめぐっては、輸入業者によるカルテルの存在が頻繁に指摘される。現在、牛肉輸入業者の選定をめぐって、特定政党の政治資金捻出のために、国会議員が口利きをした事件が大問題となって、福祉正義党はその清廉イメージを失ってしまったが、輸入業者と政治家の癒着が大きな問題となっているのである。

しかし、そこで輸入された大豆の大半が遺伝子組換え大豆だったのは、背に腹は替えられないということだったのか。世界的には、西欧や中国などで遺伝子組換え食材の輸入を避ける方向が 有力となっており、輸出国としては、インドネシアのような国は大変にありがたいはずである。

こうした農産物の国産化比率を上げなければ、という議論はないわけではないが、その多くがナショナリズムの観点からであり、食の安全という観点がほとんど見えてこない点がやはり気になる。インドネシアの食のマーケットは、ようやく安心・安全への意識が出始めているとはいえ、大豆などに見られるように、ある意味、それではもう遅すぎるのではないかという懸念を持ってしまう。アメリカが大丈夫だというのだから大丈夫、ということで済ませているのだろうか。

こうしたインドネシアの状況を日本の今に重ね合わせてみると、 いろいろな点で興味深い。農家と消費者がどうつながれるか、という点が鍵になるのではないかと思う。インドネシアでも日本でも、根本の問題は同時進行しているように思える。

とはいえ、テンペや豆腐のないインドネシアの食生活はあり得ない。

上記の問題とどこかでつながるかもしれないが、最近よく聞くのは、ジャワの農村部で若い世代が農業を継がず、後継者問題が意外に大きな問題として現れているということである。インドネシアは人口が多いから、と軽視している間に、インドネシア・ジャワでも3チャン農業が主流となり、機械化の必要が出てくるかもしれない。ASEAN自由貿易化で、輸入農産物の比重が益々増え、食糧自給への意欲が薄れてくるのではないか。

程度の差こそあれ、これもまた、インドネシアと日本の現実とを重ね合わせて見ることができるのではないか。

憲法裁判所長官の汚職と逮捕

この1週間、体調がすぐれず、発熱、悪寒、下痢と戦っていた。そのため、恥ずかしながら、ブログの更新を怠ってしまった。

8〜9日にジャカルタへ出張し、ワークショップなどをこなしたが、急遽、10日にジャカルタで用事が入ってしまった。9日のスラバヤへの帰り便(LCCなのでキャンセルが利かず)をどぶに捨て、10日の便を取り直したが、連休前しかも直前ということもあって軒並み満席、値段も通常のLCCの3倍だった。

何とかスラバヤに戻ったものの、体調がいまいちで、昨晩、日本料理屋KAYUの鍋焼きうどんを食べ、ゆっくり寝たことで、ようやく復活、さあブログ、となったわけである。

先週から今週にかけて、インドネシアのメディアは、憲法裁判所のアキル・モフタル長官が汚職で現行犯逮捕されたニュースであふれている。10月2日、情報をキャッチして張り込んでいた汚職撲滅委員会(KPK)捜査官が現場に踏み込み、アキル長官らを逮捕、贈収賄用の現金(28万4040シンガポールドル及び2万2000米ドル)をその場で押収した。

今回の事件は、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙をめぐるものである。すなわち、同選挙で現職が再選を果たしたが、敗れた候補側が選挙に不正があったと主張し、憲法裁判所に選挙結果に関する異議申立を行った。当選した現職側は、憲法裁判所がこの異議申立を受け入れないようにと願い、アキル長官へ贈賄を行い、長官側もそれを収賄しようとしていた、というものであった。

憲法裁判所は通常、法律等の違憲審査を行うが、それ以外に、異議申立のあった選挙結果についての判断を下したり、地方政府分立の是非に関わる判断を行ったりもする。裁判は1回のみで、憲法裁判所の判断が最終決定になる。インドネシアでは、汚職撲滅委員会(KPK)と並んで、民主化を担う信頼できる機関と見なされてきた。

しかし、よく考えてみると、それは幻想に過ぎなかったことが後付けで分かる。第1に、裁判が1回のみで最終判断ということは、第三者によるモニタリングの利かない機関ということである。審議内容はオープンにされているとはいえ、チェックアンドバランスが制度的に弱かったといわざるを得ない。第2に、政治家出身者が裁判官や長官にさえなる構造である。アキル自身もゴルカル党所属国会議員で、しかも、現役のままだったというから驚く。本当に政治から独立した判断がなされていたのだろうか。

アキルには、これまでも汚職の噂が何度かあったが、それは今回と同様、地方首長選挙結果への異議申立をめぐる案件だった。今回も、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙以外に、バンテン州レバック県知事選挙絡みでも贈収賄があったとしてKPKが捜査中である。過去にも、アキルが裁判官の時に、北スマトラ州シマルングン県知事選挙などで同様の疑惑が出たが、当時は証拠不十分で不問に付された。

また、アキルは、地方政府分立の是非についても多数案件に関与してきた。アキルの判断で分立が正当化された地方政府も少なくないようである。

贈収賄によって生まれた地方首長や分立地方政府はいったいどれぐらいあるのだろうか。今さら、「我々がそうでした」とは言えないだろうが、 KPKの監視は地方へも広がっており、戦々恐々としている者たちはかなりいるのではないか。また、今後、過去のそういった話が蒸し返されて、混乱する可能性もあり得る。彼らの正統性の危機が内在する。

コンパス紙によると、アキルに依頼する場合の相場がすでに存在し、その額は1件当たり30億ルピアだったとのことである。今回の現行犯逮捕の際に押収された金額もそれに相応する。また、アキルには他人名義の隠し口座に1000億ルピアあることが明らかになった。KPKは、マネーロンダリングの可能性もあるとして追及している。

さらには、アキルの執務室から麻薬や覚醒剤が見つかり、そのなかには市中に出回っていない物も含まれていたということである。

果たして、これらは、アキルを糾弾し、憲法裁判所の評判を貶めるためのヤラセなのだろうか。インドネシアで国民が最も信頼するKPKによる捜査であることからして、世論はその見方に否定的である。

アキルは貧困家庭の出身で、子供時代は貧しい生活のなかにあった。ゴルカル党に入るのは1998年、スハルト政権崩壊後であった。国会議員としては主に地方政府分立などに尽力したといわれる。憲法裁判所裁判官は国会承認が必要で、後付けでしかないが、アキルのような人物を憲法裁判所へ送るということ自体、明らかに、政党が憲法裁判所を利用するという意図がそもそもあったとしか考えられない。

日本の大手メディアではあまり報道されていないが、今回の事件はインドネシアの汚職事件の中でも最も影響の大きい事件だったといっても過言ではない。憲法裁判所以外にも、最高裁判所裁判官の選出をめぐる国会議員と最高裁との贈収賄の疑惑も浮上している。

ここで本格的に司法関連の汚職へメスが入るのか、そして、2014年総選挙を間近に控えて、本当に信頼できる汚職フリーの議員をどのように国民が選ぶのか、国会議員を監視する何らかの仕組みができるのか。誰が当選するかよりももっと重要なシステムの話がクローズアップされてくることを願っている。

インドネシア人とラーメン

このことろ、スラバヤで、豚肉を食べないムスリムのインドネシア人を対象にしたラーメン店が相次いでオープンしている。10月4日、5日と連続して、それらの店に行ってラーメンを食べてみた。その様子は、以下の食べものブログに書いた。

【スラバヤ】インドネシア人向けラーメン店の熱い戦い

日本からラーメン店が進出する場合、人口の9割近くがイスラム教徒であるインドネシアで成功するのかという疑問が当初出されていた。実際には、とんこつ味を前面に打ち出すラーメン店が繁盛しているという結果が出ている。非ムスリムの華人系にターゲットを絞り、彼らをリピーターとして足繁く通わせることで、マーケットを確立したのである。

そして、インドネシアでのラーメン店の展開は第2段階に入り、ムスリムが食べられるラーメンをどう提供するかがチャレンジとなってきた。インドネシアでは、インドミーをはじめとするハラールのインスタント麺が広く深く浸透し、麺を食べる文化はしっかり根づいている。

もっとも、麺の食べ方は種族によって一様ではない。華人系はもちろん、日本人のように麺として独立に食べる。ジャワのナシ・ラメスでは、ご飯の上に麺が乗って出てくる。麺はご飯のおかずなのである。スラバヤの中華小食堂でナシゴレン・ジャワを頼むと、なかに麺が入っていたりする。スラウェシの農村に泊まって朝食をいただいた際にも、ご飯にインドミーをかけて食べたことがある。ジャカルタにはソト・ミーというのがあり、ソト・アヤムのなかに麺が入る。

今のところ、ラーメンは一般のミー・アヤムとは違ったものとして認識されている様子である。しかし、我々がラーメンの残りスープにご飯を入れたりするように、ラーメンがインドネシアに受容されるにつれて、ラーメンとご飯との新たな関係が生まれてくる可能性がある。スラバヤや東ジャワでは、ソト・アヤムやラウォンに最初からご飯が入った形で出されることも多いので、ラーメンライスは一般化するのではないかという気がする。

まずは、ラーメンは日本から来たラーメンそのものとして食されるだろう。そして、ディンタイフォンの小籠包のように、豚肉を使わず鶏肉だけでどこまで味をよくできるかが追求されることになろう。さらに、インドネシア人自身がラーメンを独自にうまく受容していく段階に至るかもしれない。

日本でも、様々なラーメンの展開型が現れている。たとえば、筆者も大好きな「太陽のトマト麺」は、ラーメンとイタリアンが出会うとどうなるかを工夫したものであり、麺を食べた後のトマトベースの濃厚スープにご飯を入れる「ラアリゾ」を考案している。余談だが、8月に台北で「太陽のトマト麺」の支店に出くわした。

ラーメンがインドネシアにどう定着していくのか、楽しみになってきた。

【スラバヤ】インドネシア人向けラーメン店の熱い戦い

日本からの飲食店の進出、とくにラーメン店のインドネシアへの進出が始まって久しい。スラバヤにも、とんこつラーメンの博多一幸舎や希(のぞみ)ラーメンが進出し、けっこうな人気を集めている。

そんななか、チキン味をベースにし、インドネシア人の味覚に合わせたラーメン店が相次いでオープンした。

10月4日に行ったのは「食べるラーメン」という店。メニューは醤油ラーメンと味噌ラーメンの2種類のみ。独自の調査を行い、日本と同じではなく、インドネシア人の舌に合うように仕上げたという。

実際に食べてみた。

まず、お勧めに従って醤油味。麺は最初インスタントかと思ったが、自家製麺とのこと。インドネシア人の嗜好に合わせているらしく、コシはほとんどない。固い麺は好みでないそうだ。スープは意外にいける。鶏肉のチャーシューは今ひとつ。

次に、みそ味を食す。白味噌を使ったスープは、味噌汁のようで、味が薄い。日本のみそラーメンとは趣が違い、むしろ塩ラーメンに味が近い。彼らの調査では、インドネシア人には赤味噌は評判がよくなく、白味噌(インドネシアでは黄味噌tauco kuningと呼ぶようだ)のほうがいいのだという。うーん、どちらかといえば、醤油味のほうがまだましか。

たしかに、日本人としてこれらのラーメンを食べると、かなりの違和感がある。しかし、インドネシア人向けとしてはどうなのだろうか。今後、味は進化するのだろうか。

食後の何ともいえない不足感は、満腹でも何かを食べずには収まらない衝動にかられた。何でもよかった。1万ルピアのペチェル(野菜をピーナツ甘辛ソースで合えたもの)を食べて、ようやく不足感が収まった。ふーっ。

Taberu Ramen
Jl. Ngagel Jaya Selatan No. 30A, Surabaya

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さて、翌10月5日、今度は、ロイヤルプラザ3階のフードコート奥にオープンした「ラーメン将軍」の開店に合わせて行ってきた。何と、開店第1号の客となった。

この店は、日本人がインドネシア人の味に合うようなラーメンを提供しようとしている様子。お勧めに従って、オリジナルスープに鶏肉照り焼きをトッピングしてみた。

麺はある程度コシがあり、あっさり味のスープにうまくなじむ。鶏肉の照り焼きは、チャーシューを思わせるような柔らかくて軽く味が付いている。

特筆すべきは、赤っぽい特製シークレットスープの素。これを少しずつスープに溶かしながら食べる。さっきまでのチキン味のあっさりスープが、コクのあるピリッと辛みの利いたスープへ変身していくのが、個人的にはなかなかいける。

しかし、ジャワ人の舌にはこの辛さはどうだろうか。むしろ、赤っぽい特製シークレットスープの素はお好みに応じて入れるようにし、毎度おなじみケチャップ・マニス(甘い味のドロッとした醤油のようなソース)を好みに応じて入れられるようにするといいのではないか、と思った。

さすがに、前日の「食べるラーメン」との差は歴然だったが、それは私が日本人で「ラーメンとはこういうものだ」という先入観があるからそう思うのである。インドネシア人の客がどう判断するかは、しばらく見てみないと分からないだろう。

Ramen Shogun
Royal Plaza 3rd Floor, Food Court
FB: Ramen Shogun
Twitter: @RamenSHO-GUN

スラバヤへのラーメン店の出店はまだ続く。トゥンジュンガン・プラザに山小屋がオープン予定だし、グランドシティにも下の写真のような表示があった。

スラバヤのインドネシア人向けラーメン店の熱い戦いは続く。

ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市

ビジネス情報誌『SWA』の2013年8月15-29日号は、ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市ランキングを発表した。SWAは毎年、このランキングを発表しているが、満足度指数、推奨度指数という2つの指数で数値化している。

サーベイは2013年6月に行われ、全国のすべての県・市のうち、GRDP(Gross Regional Domestic Products)の上位20位までの県・市を対象に、それぞれの県・市で各90名の実業家・企業を対象にアンケート調査を行った。

満足度指数については、インフラ、許認可・地域政策、税金・利用者負担金、政府の支援について「とても満足」「満足」の2つを合わせたパーセンテージで示した。

また、推奨度指数は、NPS(Net Promoter Score)指標を使い、「この県・市を奨めたいか」という問いに対して1〜10の10段階で調査し、プロモーター(段階9〜10)の比率(%)からデトラクター(段階1〜6)の比率(%)を引いたNPS指標を用いる。NPS指標が高ければ、その県・市を推奨する度合い、すなわち推奨度が高いと判断される。

ぐちゃぐちゃ書いてしまったが、要するに、そこでビジネス活動を行っている実業家の自己満足度の高い県・市はどこか、という話が、「ビジネスのしやすいインドネシアの地方都市」という話になる、というわけである。

そして今年のランキングは、以下の通りである。

●総合(満足度+推奨度)
第1位:パレンバン市(南スマトラ州)
第2位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第3位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第4位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第5位:ボゴール県(西ジャワ州)
第6位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第7位:バタム市(リアウ群島州)
第8位:スマラン市(中ジャワ州)
第9位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第10位:ジャカルタ首都特別州
第11位:プカンバル市(リアウ州)
第12位:タンゲラン市(バンテン州)
第13位:クタイ・カルタヌガラ県(東カリマンタン州)
第14位:バンドゥン県(西ジャワ州)
第15位:チラチャップ県(中ジャワ州)
第16位:デリ・スルダン県(北スマトラ州)
第17位:メダン市(北スマトラ州)
第18位:クディリ市(東ジャワ州)
第19位:ブカシ県(西ジャワ州)
第20位:カラワン県(西ジャワ州)

●満足度
第1位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第2位:パレンバン市(南スマトラ州)
第3位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第4位:ジャカルタ首都特別州
第5位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第6位:プカンバル市(リアウ州)
第7位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第8位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第9位:タンゲラン市(バンテン州)
第10位:スマラン市(中ジャワ州)

●推奨度
第1位:ボゴール県(西ジャワ州)
第2位:シドアルジョ県(東ジャワ州)
第3位:パレンバン市(南スマトラ州)
第4位:東クタイ県(東カリマンタン州)
第5位:マカッサル市(南スラウェシ州)
第6位:バタム市(リアウ群島州)
第7位:スマラン市(中ジャワ州)
第8位:バンドゥン市(西ジャワ州)
第9位:スラバヤ市(東ジャワ州)
第10位:ジャカルタ首都特別州

ちなみに、昨年の総合順位の1〜3位は、ボゴール県、タンゲラン県、ブカシ県で、いずれも首都ジャカルタの周辺の県だった。それに対して、今年の総合1〜3位はパレンバン市、シドアルジョ県、東クタイ県と、すべてジャカルタから離れた県・市であった。とくに、日系企業の進出が集中するブカシ県やカラワン県は全20県・市中19位と20位に留まっている。

昨今、ジャカルタ周辺の投資環境が悪化して来ている様子だが、今回のランキングの変化はそれを反映したものといえるだろうか。

もっとも、インドネシアの実業家にとってビジネスのしやすい都市は、日系にとってもビジネスのしやすいところとは限らないのはもちろんである。これは、あくまでも参考程度に留めておけばいい話であろう。

それでも気になるのは、インドネシアの地方都市(県・市)がお互いを意識し合い、ビジネス環境の改善に意欲を見せ始めているからである。こんなことは、中央集権のスハルト時代には起こらなかった。いろいろと面倒になった部分もあるが、これも地方分権化の産物といえる。

現場を見ることもせず、地方をすべてダメな存在と一般化するのではなく、インドネシアの実業家が「ビジネスがしやすい」と考える地方都市の魅力を探ることも必要なのかもしれない。まだまだ我々の知らないインドネシアがそこにある。

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