【スラバヤの風-46】ボヨラリは牛乳の町から繊維の町へ

中ジャワ州南東部、ソロ市のすぐ西隣の高原地帯、ムラピ火山の東側にあるボヨラリ県は「牛乳の町」として知られる。牛乳生産は1980年代に始まり、2013年時点で、ボヨラリ県の乳牛頭数は8万8,430頭、年間牛乳生産量は4万6,906トンであり、頭数で全国の約14.5%、牛乳生産量で同約8%を占める。たしかに、ボヨラリの街中には牛乳を売る店があちこちに見られ、牛乳を使ったドドール(羊羹の一種)も売られている。

 

一見するとのどかなボヨラリの風景だが、ここ数年、繊維・縫製を中心とした投資が急増している。投資調整庁(BKPM)のホームページでも、繊維・縫製産業の投資先としてボヨラリ県を紹介している。

ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局によると、2006年時点で、同県の国内投資実績は6件、4,073億ルピアに過ぎなかった。ところが、2008年に460件が一気に進出した後は、2009年に621件、2010年に767件、2011年に859件、2012年に1,056件、2013年に938件、そして2014年に804件の国内企業が新たに進出し、2014年時点で計5,513件、1兆1703億9400万ルピアとなった。ただし、国内企業の投資件数は増えたが、その多くは比較的小規模の投資だったことが分かる。

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ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局にて

ボヨラリ県への外国投資は、1995年に2件、2001年に1件進出して以降、2007年まで全くなかった。それが2008年、2010年、2012年、2013年に1件ずつ進出した後、2014年になって一気に4件へ増加した。その結果、外資系企業は現在11社となり、そのほとんどが韓国系などの繊維・縫製である。このように、ボヨラリ県は投資ラッシュとなっているが、工業団地はまだなく、投資企業は県の空間計画で定められた工業ゾーンに立地することになる。

実は、2013年から、韓国政府による援助の下、ボヨラリ県に繊維・縫製を主とする敷地面積約500ヘクタールの工業団地を建設する計画があった。しかし、計画が公になるとすぐに地価が上昇し始めた。2010年頃は1平方メートル当たり2万ルピア(約180円)だったのが、2014年には 50万ルピア(約4,630円)へ急騰した。このため、地権者がなかなか用地買収に応じず、結局、韓国政府は協力の継続を断念するに至った。ボヨラリ県政府は、韓国政府に代わる新たな事業者を探して、工業団地建設を継続する意向である。

ボヨラリ県は投資許認可のワンストップ・サービスを完備し、建築許可(IMB)と妨害法許可(HO)以外の許認可手続は無料化した。ボヨラリ県への繊維・縫製企業進出はまだ続くだろうが、一部ではすでに、ボヨラリ県から周辺のスラゲン県などへ工場を再移転する動きも見られる。ボヨラリ県とその周辺県との投資誘致競争は熱を帯びている。

 

(2015年3月29日執筆)

 

【スラバヤの風-45】中ジャワ州の一村一品

先週、地方投資環境調査のため、中ジャワ州へ出張した。まず、州都スマランにて、新任の中ジャワ州投資局長を訪ねた。近年、中ジャワ州は、ジャカルタ周辺地域からの工場の移転・増設が急増しており、もちろん、その辺の話もしたのだが、彼の話に熱がこもったのは、前職の協同組合・中小事業局長時代に手がけた一村一品についてだった。

一村一品とは、1970年代初頭に当時の平松守彦大分県知事が名づけた地域おこし運動であり、自分たちが誇れる産品を最低一つ作り上げ、その価値を高めながら自分たちの地域の価値を高めていくことを目的とする。現在、世界中の国々で一村一品を取り入れようという動きがあり、インドネシアでも1990年代半ばから様々な試みが行われてきた。

中ジャワ州では、協同組合・中小事業省の指導の下、2003年3月から一村一品に取り組み始め、すでに、各県のいくつかの工芸品を一村一品対象に指定した。それらは、たとえば、ジェパラ県のトロソ織、クラテン県の縞状のルリック織、プマラン県のゴヨール織、ソロ市のバティックなどである。中ジャワ州はプカロンガン、ソロなどバティックの産地が多く、そのイメージが強いが、実は、織機を使わない手織物の宝庫でもある。

中ジャワ州で2003年3月に一村一品の開始が宣言されたのは、州内でもあまり目立たない南東部、東ジャワ州と接するスラゲン県であった。スラゲン県の特産品であるゴヨール織とバティックも中ジャワ州の一村一品に指定された。

実は、手描きバティックの下請け作業の多くはスラゲン県内で行われている。それがソロやジョグジャカルタでバティックの有名ブランドとなり、ジャカルタで売られる際には、スラゲン県から搬出されるときの10倍ぐらいの価格に跳ね上がるのである。

手描きバティックや手織りの織物を制作するには、単調な細かい作業に長い時間を費やす。これらを担うのはほとんどが女性労働力であり、この点からも、中ジャワ州の女性労働力は忍耐強く、細かい作業を長時間集中して行う能力に長けているとみなされる。ジャカルタ周辺地域の労働集約型工場を支えているのも、彼女たちであるとよく言われる。

中ジャワ州の一村一品を受けて、スラゲン県は2014年11月、県内のすべての村を対象とする一村一品を宣言し、産品でも芸能でも、最低一つの誇れるモノを生み出すよう求めた。そして県は、それらを様々な機会に他所へプロモーションすることを約束した。

インドネシアでもようやく、プロジェクトではなく地に足をつけた運動としての一村一品が、地元レベルで起こり始めたようである。

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スラゲン県投資局のワンストップ・サービス・デスク。

 

(2015年3月13日執筆)

 

【スラバヤの風-44】中国のスラウェシへの投資攻勢

中国はインドネシアへの投資よりも貿易を選好する。筆者はそんな印象を持っていたが、昨年後半から様相が変わり始めた。2014年第4四半期の中国からの投資額は5億ドルとなり、シンガポール、マレーシア、日本に次いで4番目、初めてトップ5に顔を出した。

とりわけ、スマトラ、カリマンタン、スラウェシといったジャワ島以外の地域への製錬、セメント、電力などインフラ関連投資が目立ち、投資調整庁は2015年には中国からの投資がさらに伸びると見ている。地方への投資分散を掲げるジョコウィ政権は大歓迎である。

2015年に中国からの大型投資が見込まれるのは、スラウェシ島である。まず、中国の徳龍ヴァーチュー・ニッケル公司は、東南スラウェシ州コナウェ県に50億米ドルを投じてニッケル製錬工場を建設する。第1期は年産60万トンだが、第2期で120万トン、第3期で120万トンを追加し、最終的に年産300万トン体制を目指す。

また、南スラウェシ州バンタエン県には、中国企業8社がニッケルやマンガンなどの製錬工場を各々建設する予定で、投資額の合計は40億米ドルになるものとみられる。スラウェシ島はニッケルの主産地であり、中国からのこれら巨大投資は、政府の未加工鉱石の輸出を禁止し、国内での製錬を奨励する政策に沿った動きである。

一方、2015年1月、北スラウェシ州政府は中国交通建設公司との間で、ビトゥン特別経済地域(KEK)開発に関するMOUを締結した。インドネシアのなかで地理的に最も東アジアに近いビトゥンは、国内外物流のハブ港としての役割を期待されるほか、州都マナドとを結ぶ高速道路建設、及びその沿線での工業団地開発が計画されている。ビトゥン特別経済地域に対する中国からの投資額は、インフラ、海洋、薬品など少なくとも3兆ルピア(約23万米ドル)が見込まれている。

中国はなぜスラウェシや東インドネシアを重視するのか。それは、南シナ海から南太平洋へ抜けるルートを確保するためである。実際、そのルートの先にある東ティモールでは、政府庁舎の建設などを中国が丸抱えで進めている。東インドネシアでのプレゼンスを高める同様の戦略は、韓国やロシアも採っていたが、中国が一歩先んじたようである。

とはいえ、中国からの投資がすべて順調なわけではない。西スラウェシ州では、スラウェシ島全体の電力需要を賄える規模の水力発電事業に中国が参入したが、ダム建設をめぐって地元住民の反対にあい、撤退を余儀なくされた。

日本はこれまで、人材育成などの経済協力をスラウェシや東インドネシアで地道に続けてきたが、日系企業の大半がジャワ島内のジャカルタ周辺に立地することもあり、中国に大きく遅れを取ってしまったことは否めない。

 

(2015年2月28日執筆)

 

【スラバヤの風-43】最低賃金から見る地方経済

過去3年間のジャワ島内の最低賃金の変化を県・市レベルで眺めてみる。一般に、経済活動が活発化すると最低賃金が大きく上昇し、停滞するところでは上昇率が低いと考えられる。最低賃金の算出には、当地での物価水準や家計の消費行動が反映されるので、最低賃金をみることは、地方経済の活況度合いを計ることにもつながる。

ざっと見て、ジャワ島の地方経済に起こっている現象には2つのポイントがある。

第1に、最低賃金の上昇トレンドの継続である。なかでも、2015年最低賃金の上昇率でとくに注目されるのは、そろって20%以上上昇した東ジャワ州のスラバヤ市とその周辺4県で、すでにジャカルタ周辺地域と遜色ないレベルに達した。「労働コストの低いスラバヤ周辺へ」とはもはや言えない。その一方で、中ジャワ州は全般に10%台の上昇に留まる。

ジャワ島全体の116県・市で最低賃金が100万ルピア未満だった県・市の数は、2013年が58だったのが2014年に11へ減り、2015年はゼロになった。反対に、200万ルピア以上は、2013年の12から2014年が20、2015年は24へ増えた。ちなみに、2015年最低賃金の最高は西ジャワ州カラワン県の295万7,450ルピア(これにさらに業種別課金が加わる)、最低は中ジャワ州バニュマス県の110万ルピアであった。約3倍の差である。

第2に、最低賃金が大きく上昇した県・市がジャワ島の北海岸に集中する一方、それ以外は上昇率が総じて低いことである。すなわち、ジャワ島全体で北部の大都市周辺が豊かになる一方、中南部は停滞気味という「南北問題」の色彩が強まっている。

なかでも、西ジャワ州南東部(パガンダラン県、チアミス県など)と中ジャワ州南西部(バニュマス県、プルバリンガ県、バンジャルヌガラ県など)、及び中ジャワ州南東部(ウォノギリ県、スラゲン県など)と東ジャワ州南西部(マゲタン県、パチタン県、ポノロゴ県、トレンガレック県など)といった州境付近の県・市の最低賃金は、まだ110〜120万ルピア程度である。これらは人口の多い貧しい農業地域で、これまでジャカルタ周辺などへ工場労働者や家事労働者などを供給してきた。

日本側で一般的に知られるジャカルタ周辺やスラバヤ周辺では、安い労働コストを求める事業展開はもはや限界に来つつある。そこでは地場中小企業でさえ、機械化・自動化を検討している。他方、ジャワ島中南部の最低賃金はまだジャカルタ周辺の2分の1以下であり、手先が器用で従順な女性労働力などを活用する労働集約企業が生き残れる余地は大いにある。そこでは、ほどなく工場進出による農村社会の大きな変貌が起こることだろう。

ジャワ島内の地域格差問題を視野にいれると、1970年代の日本の変化がどうしても重なって見えてくる。

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中ジャワ州ソロ市の地場縫製工場にて

 

(2015年2月15日執筆)

 

【スラバヤの風-42】ユニークな開発を目指すバニュワンギ

ジャワ島の東端、バリ島を目の前に臨む東ジャワ州バニュワンギ県は、ユニークな立ち位置にある。ここでは、車で6時間以上かかる東ジャワ州の州都スラバヤとの関係よりも、むしろ、フェリーを使ってわずか30分の、海を隔てたバリ島との関係を意識している。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

観光地であるバリ島では環境アセスメントが厳しく、新規の製造業投資が制限される。家具、工芸品、縫製品などの新規・拡張投資は難しい。バニュワンギはそれらの受け皿としての役目を果たそうとしている。バニュワンギ県の2015年最低賃金は142万6000ルピアと定められ、バリ州各県の162万2000ルピア〜190万5000ルピアを下回る。実際、バニュワンギからバリ島へ多くの職工が家具製造などに出かけていたが、今後は地元で働くことが期待される。

合わせて、バリ島からの観光客の誘致も図ろうとしている。コーヒーや果物などの体験型観光農園やアグロリゾート構想などがあり、国内外の投資家の関心を集めている。古いジャワ文化とバリ文化の混じった独特の文化があり、黒魔術のような神秘主義の要素も色濃く残る。バニュワンギ県は年間イベントカレンダーを毎年発表するが、ほぼ毎月様々な観光イベントが催されている。色鮮やかな衣装に身を包んだバニュワンギ・エスノカーニバルは盛大に開催されるほか、全身を真っ黒に塗った男たちが水牛の形相で練り歩いて収穫を祝うケボケボアンという伝統的な奇祭もある。

バニュワンギは、バリ島との間が深い海底で区切られるため、ジャワ島では珍しい水深18メートルのコンテナ港の建設が計画されている(スラバヤのタンジュンペラッ港は水深7メートル)。この港の近くに複数の工業団地開発が予定され、2015年中にマスタープランを完成させ、2017年の入居開始を目指す。民間のウォンソレジョ社が開発する約500ヘクタールの工業団地には、すでに小麦粉製粉、食料品、二輪車などの企業が進出の意向を見せている。原材料を外から持ち込み、工業団地で生産して外へ輸出・移出する製造業のほか、製鉄などの重化学工業の進出も想定している。

バニュワンギ県知事は、インドネシアで最も投資しやすい県となることを宣言している。中央政府による全国ブロードバンド化事業の第一号として、他県に先駆けて光ファイバーが敷設された。県統合許認可サービス局は、すでにジャカルタの投資調整庁とオンラインで結ばれ、スムーズな許認可プロセスを実現している。投資家には会議用の部屋を用意し、空港出迎えを行うという熱の入れようである。ここしばらくは、ユニークな開発を目指すバニュワンギから目が離せなさそうである。

 

(2015年1月31日執筆)

 

【スラバヤの風-41】バニュワンギのブランドコーヒー

インドネシアは知られざるコーヒー大国である。2014年のコーヒー生豆の全世界の生産量・日本の輸入量のいずれでも、ブラジル、ベトナム、コロンビアに次いで第4位を占めている。日本で知られるトラジャ、マンデリンなどはインドネシア産コーヒーである。

日本でのインドネシア産コーヒーは、缶コーヒーやインスタントコーヒー用にブレンドさせる豆として輸入される。メディアでは、ジャコウネコの糞から豆を取り出す、高価なルワック・コーヒーが有名になった。今回注目するのは、インドネシア国内での産地別コーヒーのブランド化である。

日本で珈琲店に行くと、ブレンド以外に、モカ、ブラジル、コロンビア、ブルーマウンテンなど、世界中の産地別のコーヒーを味わうことができる。インドネシアは、それを国内産地別にやり始めたのである。全部のカフェではないが、アノマリ・カフェなどの一部ではアチェ・ガヨ、スマトラ・マンデリン、フローレス、パプアといった産地別のコーヒーを味わえる。ガルーダ・インドネシア航空のビジネスクラスでも、スマトラ・リントンやトラジャ・カロシなどのインドネシア産コーヒーを香り高く出してくれる。

これらの産地別コーヒーのほとんどは、標高800メートル以上の高地で栽培されるアラビカ種であり、それ以下の標高で栽培されるロブスタ種に比べると生産量は少なく、価格も高い。日本の缶コーヒーやインスタントコーヒー用の多くは廉価のロブスタ種である。

ところが、そのロブスタ種でもブランド化が行われている。バリ島に面するジャワ島最東端の東ジャワ州バニュワンギ県では、ローカルレベルでブランド化を試みている。県内の産地別に、ラナン、ガンドゥルン、クミレン、レレン・イジェンなど、バニュワンギの産地や地域性を象徴するブランドを付けて提供している。これらのコーヒーはロブスタ種であり、決して高価ではない。

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残念ながら、これらのローカルブランド名をスラバヤで聞いたことはなく、バニュワンギに来て初めて知った次第である。でも、もしこのコーヒーを誰か専門家や著名人が「おいしい」と言えば、一気に有名になる可能性もないわけではない。地産地消により資金が地域内で回るという観点からは、少量生産の地元コーヒーを地元の人や訪問客に味わってもらうというレベルがむしろちょうどよいともいえる。

インドネシアは、国際商品であるコーヒーの産地別ブランド化が一国内で可能な稀有な国であろう。バニュワンギのレアなコーヒーも含めて、本物の美味しいコーヒーを飲むならインドネシアへ、という日がもう来ているのかもしれない。

 

(2015年1月17日執筆)

 

【スラバヤの風-40】ジュンブルといえば枝豆

東ジャワ州ジュンブル県にしかないものには、前回お知らせしたジュンブル・ファッション・カーニバルのほかにもう一つある。枝豆である。インドネシアで生産される枝豆のほとんどは、ジュンブル県で生産されている。

ジュンブル県で枝豆を生産・冷凍しているのはミトラタニ27という民間企業で、国営第10農園会社と民間企業の合弁会社である。1995年に設立され、ジェトロ専門家の指導に基づいて、枝豆生産・冷凍を開始した。生産量は年間6,500トンで、85%が冷凍枝豆として輸出される。輸出のうちの85%が日本向けで、残りは米国向けである。

しかし、日本の枝豆需要は6万トンあり、インドネシア産はその1割程度しか供給していない。輸入枝豆のシェアでも、インドネシアは5%程度であり、インドネシアと同じ頃に枝豆生産・冷凍を開始したタイ(25%)を大きく下回っている。同社からの日本向けの冷凍枝豆は、東京・銀座の料亭やレストランへ高級枝豆として提供され、タイ産よりも品質がよいとされているが、国内での生産量が伸びていないのが現状である。

枝豆はわずか70日で生育し、ほぼ毎日収穫できる。通常の大豆と同様、地力を高めるため、8〜11月はオフとし、連作は行わない。作付面積は1,000〜1,200ヘクタールだが、なかなか広がらない。枝豆の栽培は通常の大豆よりも様々な注意が払われ、ミトラタニ27社が農家に対して細かに品質管理を指導する。とくに輸出向けのために540の殺虫成分に関する検査をクリアする必要がある。

このため、枝豆の栽培コストは通常の大豆よりもはるかに高くなり、インドネシア国内市場での枝豆は高級食材となる。農家としては、通常の大豆よりも面倒な枝豆栽培を敬遠する傾向がある。

枝豆の種苗は台湾から輸入していたが、2008年に台湾が種苗輸出を禁止したため、現在は、かつて輸入した種苗を国内で増やしている。このため、ミトラタニ27社は枝豆の新品種導入などに不安を感じている。

このように、枝豆の栽培面積がなかなか増えず、新品種の導入が難しい状況のなかで、ミトラタニ27社自体も工場の生産能力を拡大させるタイミングを測りかねている。

枝豆は、ジュンブル県にしかない地域おこしの格好の対象産品であるが、国内での認知度が低く、高級イメージの強い現状では、県政府も積極的に枝豆をプロモーションする姿勢を見せていない。ミトラタニ27社も、枝豆だけに頼らず、オクラや他の野菜の生産・冷凍輸出の比重を高める方向性を探り始めている。

 

(2015年1月4日執筆)

 

【スラバヤの風-39】ジュンブル・ファッション・カーニバル

→ 2015年のジュンブル・ファッション・カーニバルの動画サイト

日本ならば、あちこちの地方で毎週のようにお祭りがある。インドネシアでは、宗教行事を除いてあまりお祭りを見かけない。それがちょっとつまらないと思っていた。ところが、今や全国23都市でカーニバルが催され、インドネシア・カーニバル協会が設立されるところまで来ていたことに気がついた。インドネシアは、いつの間にか、お祭りに満ちあふれる国へ変わっていたのである。

その発端は、2001年に始まり、2014年で14回を数える東ジャワ州ジュンブル県のジュンブル・ファッション・カーニバル(JFC)である。総合プロデューサーを務めるディナンド・ファリズ氏がJFCを提唱したのには理由があった。

ジュンブル県は農業県で、とくに葉タバコ栽培の中心地である。近年の禁煙運動の影響でタバコへの需要が減少し、県内のタバコ工場が閉鎖されて失業が広がった。とくに失業した若者たちは懐疑的かつ非生産的となり、加えて、インターネットやテレビなどのメディアが彼らをより受動的にした。

ファリズ氏は、こうした状況をジュンブル県の未来への危機と認識した。彼は、ファッションを通じて若者たちにライフスキルを学ばせることで、創造性を促し、協力を構築し、自信をもたせ、リーダーシップを発揮させる機会としてJFCを考案したのである。

JFCは毎年異なるテーマで様々なファッションを提示する。過去には、バリ爆弾事件やスマトラ沖地震・津波などがテーマとなった。参加する若者たちは、これらテーマを通じてグローバルな現象を学び、コスチュームのデザインや音楽を創造し、表現していく。JFCでは、各チームがカテゴリー別に競い、優勝チームには奨学金が送られる。クライマックスは、参加者のデザインしたコスチュームをまとった総勢400人以上の路上パレードで、沿道には約10万人以上の観客があふれる。

JFCは地域経済に多彩な恩恵をもたらす。デザイナーはもちろん、地元の仕立屋、アクセサリー屋、ハンディクラフト屋などが動員され、新たなファッション・デザイン産業が生まれる。飲食店、ホテル、露天商(カキリマ)も潤うことは言うまでもない。

その後、2008年、中ジャワ州ソロ市では、ジョコウィ市長(当時。現大統領)の下で、初めてのソロ・バティック・カーニバル(SBC)が開催されたが、ファリズ氏率いるJFCの52名が参加し、先導役を務めた。SBCは、「ソロがイスラム強硬派の本拠地」というイメージを払拭する目的で開始され、今ではJFCと並ぶ規模のカーニバルへ成長した。こうして、インドネシアの地方都市で、カーニバルを活かした街づくりが静かに広まりつつある。

 

 

(2014年12月19日執筆)

 

【スラバヤの風-38】有機農業は広がるか

インドネシア農業の大きな問題の一つが土地の肥沃度である。かつて1970年代の米の自給を目指したいわゆる「緑の革命」では、高収量品種と化学肥料・農薬のセットで単収上昇が図られた。その影響は今も続き、化学肥料を多投する農業が一般化した。必要以上に化学肥料を投入すると、土地が肥料を保持する力が落ち、生産性が低下する。すると農家はさらに化学肥料の投入量を増やす。その連続が農業を支える農地の疲弊を起こす。

東ジャワ州でも、化学肥料に依存した農業からの脱却が図られている。まずは土を作り直すことから始める必要があり、化学肥料から有機肥料への流れが定着しつつある。近年、化学肥料価格が上昇し、農家収入を圧迫していることもその流れを促しており、一部には、価格上昇を理由に、人糞を使ったコンポスト化にも抵抗がない農家さえ存在する。

東ジャワ州南部のルマジャン県の農村でも、すでに有機肥料の利用が行われていた。この農村には、牛糞、鶏糞、山羊の糞をベースとしたコンポスト工場が3年前に建てられ、EM菌や他の菌を混ぜて発酵させて有機肥料を生産する。1袋30キロの有機肥料を毎月約4,000袋生産し、県内の6郡へ販売している。売価は1袋1万2,000ルピア(キロ400ルピア)で、一度に約1,000袋分を製造して5日で売り切る、というサイクルである。

農家レベルでも、牛糞などを発酵させて田畑へ撒いたりするが、この工場で製造された有機肥料を購入して使うケースも少なくない。あたかも、化学肥料を手軽に購入したように、有機肥料を購入する感覚である。しかし、持ち運びしやすい化学肥料とは違い、大量の有機肥料を圃場へ運ぶのはなかなか至難である。これが化学肥料から有機肥料への転換がなかなか進まない理由の一つとも指摘されており、配送方法に工夫が求められる。

他方、東ジャワ州での最大の有機肥料生産企業は、国営ペトロキミア・グレシック社である。石油化学工場が主であるこの企業は、炭素と窒素の比率であるC/N比、酸性・アルカリ性の度合いを示すpH値、含水率などの一定基準を満たしたうえで、石灰を独自の配合で加えた有機肥料を毎月1,000トン生産している。各県に工場があり、ルマジャン県にも3工場ある。農家にはキロ500ルピアで販売する。

有機肥料の生産が進む東ジャワ州ではあるが、果たして、州政府の望み通りに有機農業は広がっていくのだろうか。バトゥ市のリンゴのように、有機肥料から化学肥料へ戻ってしまったケースもある。後継者不足による農業の持続性の問題も含め、有機農業を広げるための明確な政策支援が必要な気がする。

 

(2014年12月5日執筆)

 

【スラバヤの風-37】牛乳後進国インドネシア

インドネシアで入手に苦労したものの一つが牛乳である。国内メーカーの牛乳は輸入生乳を使い、様々な薬品や保存料を加えているとされ、地元の人でも敬遠する人が少なくなかったため、輸入ロングライフ牛乳を購入せざるを得なかった。今も、日本のように、新鮮な牛乳が毎日大量に手に入る状況はまだ確立されていない。

インドネシア国内での乳製品生産向けの牛乳の需要は年間約330万トンあるが、国内生産で供給できるのは69万トンに留まり、全体の8割を占める残りは、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、EUなどからの生乳や粉乳の輸入に依存している。インドネシアは、これまでにホルスタイン種の乳牛輸入や人工授精による繁殖などを何度も試みてきたが、熱帯という気候の問題もあり、画期的な成功を収めることは難しかった。

現在、国内における牛乳生産の中心地は東ジャワ州であり、そのほとんどがパスルアン県やマラン県の高原地帯に立地する。東ジャワ州では8万6,000人の酪農家が29万6,350頭の乳牛を飼育しており、全国の乳牛飼育頭数の8割近くを占める。東ジャワ州には外資系のネスレやグリーンフィールズ、国内食品最大手インドフードの子会社インドラクトなどの大企業が立地し、地元の酪農協同組合などとの契約に基づいて、比較的規模の大きい牛乳生産を行っている。

しかし近年、牛乳価格が低迷する一方、飼料などの価格が値上がりしているため、末端の乳牛飼育業者の生産意欲が減退している。実際、乳牛の飼育頭数は、全国で2012年に42万5,000頭だったのが、2014年5月時点で37万5,000頭へ大きく減少した。このままでは結局、乳製品生産の輸入原材料に依存する状況は当面続かざるを得ない。

インドネシアにおける牛乳の一人当たり年間消費量はわずか11リットルである。これはマレーシアの22リットル、インドの42リットルなどと比べてかなり少ない。現在のインドネシアの領域を植民地化したオランダは牛乳を生産していたが、それは主にオランダ人用であったため、マレーシア、インドといったイギリス植民地のように、牛乳を嗜好する食文化を根付かせることは叶わなかった。

そんななか、乳牛を飼育する牧場が自家製の牛乳を都市で直販するだけでなく、オシャレな牛乳カフェを経営する動きが出てきた。2010年、ジョグジャカルタに「カリミルク」というカフェがオープンしたが、その直接の動機は、ムラピ山の噴火による風評被害で牛乳が売れなくなった酪農家を助けることにあった。

「カリミルク」でイチゴ味の牛乳を飲みながら、牛乳後進国インドネシアで国産牛乳がもっと飲まれるようになる日が果たして来るのだろうかと考えこんでしまった。

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(2014年11月21日執筆)

 

 

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