Lecture on OVOP to Trainees from the Maldives, 17 October 2019
I had a chance to give a lecture titled “One Village One Product (OVOP) Movement and Local Development” in a JICA training course for 4 officers from the Maldives in JICA Tsukuba.
I had a chance to give a lecture titled “One Village One Product (OVOP) Movement and Local Development” in a JICA training course for 4 officers from the Maldives in JICA Tsukuba.
We visited Cianjur, West Java, in 8-9 October 2019 with mission from local government of Minakami town, Japan, to prepare JICA Grass-root Cooperation Project on agro-tourism next year.
Kami mengunjungi Kabupaten Cianjur, Jawa Barat, pada tanggal 8-9 Oktober 2019 bersama rombongan Pemkot Minakami, Jepang, untuk persiapan Proyek Kerjasama Akar Rumput tentang agrowisata yang akan mulai tahun 2020..
2020年度実施を検討しているアグロツーリズムに関するJICA草の根協力事業(地域活性化枠)の準備のため、みなかみ町職員2名とともに、2019年10月8~9日、西ジャワ州チアンジュール県を訪問しました。
In 4 October 2019, we gave a guest lecture in Southeast Sulawesi University with the title “Business for Social Welfare”.
Pada tanggal 4 Oktober 2019, kami kasih kuliah tamu di Universitas Sulawesi Tenggara, Kendari, dengan judul “Kewirausahaan untuk Kesejahteraan Masyarakat”.
2019年10月4日、クンダリの東南スラウェシ大学にて、「社会福祉のためのビジネス」と題した特別講義をインドネシア語で行いました。
We visited Bada Valley in Central Sulawesi Province, 29 September to1 October 2019, with Dr. Isamu Sakamoto, a specialist of paper making technique. This time we wanted to see current situation about barkcloth or paper/cloth made from tree skin in Bada.
Barkcloth making technique in Bada and its surrounding areas have been kept since about 3,000 years ago until now, even if its technique succession might be more difficult after modernization drive became stronger with easier transportation access. It took about 10 hours from Tentena to Bada with jeep when we visited here in 1991, and now only 2 hours by Avanza.
We visited Palu in 28-29 Sep 2019 to watch current situation after 1 year from the disaster (earthquake, tsunami, and liquefaction). Visited Talise beach, Jono Oge, Vatumonju, Wani port etc.
ブログに書きたいことは色々あるのですが、この約1カ月近く、ブログを更新できずにいます。
このブログ自体、書きたいときに気ままに書く、という方針で書いており、定期的に更新するという形になっていません。
今晩(9/27)からまた、10月11日まで、インドネシアに行っています。何か、また書きたくなって、余裕ができれば、また書きたいと思っています。
どうか、気楽に、見守っていただければと思います。
In 15-21 September 2019, we had a business trip to Aceh and Medan in the name of the JICA grass-roots Project for Sixth Industrialization (cultivation, processing and promotion) of Citrus Resources in Central Aceh District Utilizing Knowledge of Ochi Town. We mainly stay in Takengon, capital city of Central Aceh District.
Maaf, kami tidak menjadi Toroku Shien Kikan.
Beberapa hari yang lalu, kami menerima Surat Penolakan Registrasi Toroku Shien Kikan dari Kantor Imigrasi Sendai. Alasannya, kami dianggap belum siap menjadi instansi tersebut, menurut UU Pengelolaan Imigrasi Pasal 19 (26) -1 – 14.
先日、仙台入管より登録支援機関登録拒否通知書が届きました。
登録支援機関とは、2019年4月の出入国管理及び難民管理法の改正によって新設された在留資格「特定技能」に関して、特定技能労働者を雇用する日本企業のサポートをする機関です。
たとえば、現地事情に疎い日本企業に代わって現地で候補者を見つけ、候補者に対する面接やオリエンテーションなどの事前準備を行ったり、雇用後の日本での生活支援を行うことが業務とされています。
弊社(松井グローカル合同会社)は、2019年4月に仙台入管へ申請し、申請料金の支払も行いました。その後、4月下旬、インドネシア出張時に、「実績が乏しいので登録は難しい」との連絡がありました。
私自身は5年前から、インドネシア人元研修生の組織であるインドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)のアドバイザーを務めており、折に触れて、インドネシア人技能実習生の相談にあたってきました。
また、「特定技能」が新設された後は、特定技能にまつわる詐欺行為が横行するインドネシアへ出向いて、各所で「特定技能」についての正しい情報の供与に努めてきました。弊社のフェイスブックページは、5万件以上の訪問者があり、100件以上の問い合わせに応じてきました。
ただ、それらはすべてボランティア・ベースで行ったものでした。
仙台入管によれば、実績というのは、請求書ベースの金銭のやり取りを伴ったものを指すので、弊社の場合、いくらボランティアベースで行っても、実績とは見なされない、ということのようでした。
出入国管理及び難民認定法第19条の26第1項第14号該当、すなわち「支援業務を的確に遂行するための必要な体制が整備されていない者」に該当するということでした。
実績という点から見れば、特定技能に関わる登録支援機関の多くが、これまで技能実習を担ってきた監理団体によって占められていることも納得できます。志を持って、外国人の方々を支援しようと思っても、過去の実績がなければ、登録を拒否されるのでした。逆に、技能実習の監理団体ならば、その中身に問題が見られなければ、実績として認められるのでしょう。
4月に「難しい」という話を聞いた後、登録支援機関になることのプラスとマイナスを色々と考えてきました。そして、むしろ、登録支援機関に登録されなくてよかったのではないか、と思うことにしました。
持論ですが、技能実習と特定技能ははっきりとわけるべきだと考えます。技能実習は本当の意味での技能人材育成とし、特定技能は労働者向けの機会とし、日本へ出稼ぎに来る外国人は特定技能のみにすべきである、と考えます。
事実上労働者として受け入れているのに、技能実習だから3年間職場を離れられない、というのは間違っています。3年間同じ場所にいるのは、技能を習得する人材育成のためです。
労働者として雇うならば、日本人の場合と同じように、職場を移る権利を持つのは当然でしょう。外国人だから転職できないというのは、人権問題です。
そもそもの始まりから、嘘とごまかしが横行する技能実習でうまく摘発を逃れてきた監理団体からすれば、特定技能も同じようにうまくやれると思っていることでしょう。
4月に仙台入管へ登録支援機関の登録申請に出向いた際、担当職員の方と技能実習の現況について意見交換したのですが、担当職員の方は手続をきちんとやることに集中していらして、今後の外国人受入れの在り方等について、何らかの意見を示すことはありませんでした。意見表明を避けたというよりも、組織の示す方向性に従う、というニュアンスだったと記憶しています。
日本政府から見て、インドネシアと30年以上深くかかわってきた自分よりもふさわしいと考える登録支援機関が、非の打ちどころのないインドネシア人特定技能労働者のサポートをすることを切に願っています。
8月23日、ダリケーのカカオツアーの最後は、参加者と一緒に、マカッサルで夕陽を見ました。この日はやや曇り気味で、水平線に落ちる夕陽は期待薄だったのですが・・・。
日が落ちる前、日が落ちる瞬間、そして日が落ちてしまった後、その移り変わりをじっくりと味わうことができました。
手前味噌で恐縮ですが、筆者が毎年コーディネーターとして関わっている、ダリケー主催のカカオツアーが単なるツアーではない理由について、説明したいと思います。
カカオの会社ということで、チョコレートを製造・販売することはもとより、他者とコラボして、カカオ油脂を活用したリップクリーム、カカオ茶などの商品を開発・販売するほか、カカオのさらなる可能性を探って、カカオから味噌を作る試みなども行ってきました。
インドネシアは、西アフリカのコートジボアール、ガーナに続く世界2~3位のカカオ生産国であるにもかかわらず、日本ではほとんど知られていません。その理由は、インドネシア産カカオの大半が未発酵カカオだからです。なぜそうなのかの話は今回は置いておいて、ダリケーは、スラウェシ島のカカオ農家グループと組んで、発酵カカオ生産の拡大を図り、それを自社の商品に生かしています。
毎年8月に実施されるカカオツアーは、そのカカオ農家グループを訪ね、交流するツアーなのです。ツアー参加者の多くは、カカオやチョコレートが好きな方々で、家族で参加される方、大学生、お菓子業界の方、新規ビジネスを考えている方など、様々な方が参加されます。今年は、8月18~25日の日程で、20名が参加されました。
ダリケーのカカオツアーは、ただのツアーではありません。その理由は、たとえば、以下のようなものが挙げられると思います。
チョコレートが大好きな方々も、その材料のカカオがどんなものなのか、すぐには想像できないのではないでしょうか。カカオ豆は、大きなカカオのなかに入っていて、それを割った、白い果肉のなかの種です。白い果肉はどんな味がするか、どうやってカカオを割るのか、そんなことを実際に経験してもらえます。
そのカカオ豆がどのようにして発酵されるのか、発酵するとどれぐらいの温度になるのか、発酵されたカカオはどのように乾燥され、最終的にチョコレート原料になるのか、そのプロセスを現場で見ることができます。
理由2.参加者はカカオの苗木を植える!
参加者はそれぞれ、1本ずつカカオの苗木を植えてもらいます。カカオは3~5年ぐらいで成長して実をつけます。自分の植えたマイ・カカオがどう育っているか、ずっと楽しみに待つことができます。
理由3.カカオ農家と直接対話できる!
実際に、ダリケー向けにカカオを作っているカカオ農家さんと直接会って、対話する機会があります。参加者からの質問に、カカオ農家さんが誠実にお答えしてくれます。逆に、カカオ農家さんからツアー参加者に質問が出ることもあります。
カカオ農家さんとチョコレート消費者が直接出会う、というのがこのツアーの醍醐味なのです。生産者と消費者がお互いの存在を確認し、相互に信頼と尊敬をし合うこと。消費者であるツアー参加者は、自分たちが大好きなダリケーのチョコレートの大本を担っているカカオ農家さんに感謝の意を示す。すると、カカオ農家さんは、自分たちの作っているカカオを認めてくれたツアー参加者に感謝して、さらにより良いカカオを作るモチベーションを上げる。そんな関係が生まれていくのです。
余談ですが、今回のツアーでは、そんな農家さんのなかに、ただカカオを作るだけでなく、他の農家へ発酵のしかたを技術指導したり、他の農家さんに代わって発酵を手伝ったりする農家さんと出会いました。その彼は、「ダリケーのTシャツを着ている農家は、高品質の発酵カカオを作れる農家と見なされるので、皆、ダリケーと取引をしたいと言ってくるんだ。ダリケーのTシャツを着ることは誇りなんだ」と何度も繰り返しました。
理由4.カカオツアーはカカオだけではない!
このツアーは、カカオだけではありません。カカオ以外にも、スラウェシの地域社会や人々との交流に重きが置かれています。
そのため、カカオ農園を訪問した後も、様々なアクティビティが詰まっています。カカオに詳しくなるだけでなく、その地域の人々とも存分に触れ合う内容になっています。
たとえば、地元の市場や小学校を訪問するのですが、ただ訪問するだけではありません。そこでは、ツアー参加者にとって忘れられない数々のアクティビティが行われます。また、地元の驚きの伝統芸能を体感する機会もあります。
そして、このツアーの隠れた評判は、実は食事です。この食事の美味しさは、歴代のツアー参加者も絶賛しているものです。ツアー参加者の全員がお代わりをするほどです。それはどんな食事なのでしょうか。どこで誰が作っているのでしょうか。
あんまり細かく書くとネタバレになってしまうので、この辺で留めておきますが、毎年参加していただいても、マンネリにならない工夫を常にしています。
なお、本ブログの過去記事でもこのカカオツアーの話を書きました。あえてリンクは載せませんが、そちらをさがして読んでいただければ、ツアー内容についてのヒントが分かるはずです。
マンネリを避けると同時に、時間に追い立てられることなく、参加者の皆さんに、ゆったりといい時間を過ごしていただくことも重視した、スケジュールを組んでいます。たとえば、フィールドへ出るのは、日中の日差しが強く暑い時間帯を避ける、といった点をもちろん考慮しています。
このツアーは、日本からの参加者以外に、インドネシアや外国在住の方々も、現地(マカッサルまたはジャカルタ)集合の形で参加することが可能です。
筆者も、今回で6回目のツアー引率を務めましたが、毎年、進化を遂げるツアーだと感じています。来年はどんなツアーになるのでしょうか。
今、このブログを読んでいらっしゃるあなたと、必ずや来年ツアーでお会いできることを楽しみにしております。
2019年8月29日、朝から大工さんとトビの方々が入って、作業をしていたと思ったら、夕方には、棟上が終わって、上棟式となりました。
設計士の先生、建築会社の方々、大工の棟梁、トビの皆さんにお赤飯とお茶を振る舞い、お祝いのお酒をいただいて、新しい我が家の上棟式は無事に終わりました。
これから少しずつ、中身が埋められていきます。来年初めには、完成する予定です。
ここ数日、体調がすぐれず、今日は医者に行って抗生物質も処方されました。明日までゆっくり休養します。
先週のダリケー・カカオ農園ツアーの様子は、元気になったら書くことにします。ご容赦ください。ブログもぼちぼちと書いていきます。
In 18-25 August 2019, I was a coordinator of Dari K Cacao Tour with 25 participants in Sulawesi (Polewali and Makassar), Indonesia. This tour has been annually organized by Dari K Co., Ltd., a chocolate producer in Kyoto with cacao from Sulawesi since 2014.
In 15 August, 2019, we had a meeting with local government of Minakami town to discuss about preparation of JICA grass-roots program on agrotourism.
Pada tanggal 15 Agustus 2019, kami mengadakan rapat dengan Pemda kota Minakami untuk diskusi tentang persiapan program JICA tentang wisata agro.
2019年8月15日は、みなかみ町を訪問し、JICA草の根事業の準備について、町役場と話し合いを行いました。
2019年8月9~11日, 福島を拠点とする詩人の和合亮一さんの招きで、福島の飯舘村を訪れ、地元の方々と一緒にパフォーミング・アートの作成を試みてきたオーストラリアのアーティスト・チームと一緒に過ごすことができました。
Pada tanggal 9-11 Agustus 2019, dengan undangan dari Mr. Ryoichi Wago, seorang penyair yang berbasis di Fukushima, kami mendapat kesempatan untuk bertemu dan berkomunikasi dengan tim seniman pertunjukan Australia yang mengunjungi desa Iitate, Fukushima, untuk menciptakan seni pertunjukan mereka bersama masyarakat setempat.
In 9-11 August 2019, by invitation from Mr. Ryoichi Wago, a poet based in Fukushima, we have a chance to meet and communicate with a team of Australian performing artists who visited Iitate village, Fukushima, to create their performance art with local peoples.
8月8日朝、インドネシア出張からの帰国早々、東京の自宅にしばし寄った後、福島へ移動し、詩人の和合亮一さんと合流して、今年の「未来の祀りふくしま2019」を構成する二つのアーティスト・グループと会いました。
二つのアーティスト・グループですが、オーストラリア・チームとシアトル大学チームの二つです。実は、2018年12月28日、大雪の日、和合さんの誘いを受けて、この両チームの関係者とお会いし、福島でどのようなアート活動を行うのか、一緒にブレーンストーミングをしておりました。
そして、8月10日にはいわき市立美術館、11日には飯舘村の山津見神社で、オーストラリア・チームと和合さんとのコラボ・イベントに参加しました。これら一連の流れのなかで、地域とのアートの関わり方について、自分なりに色々と考えることができました。
今回は、オーストラリア・チームとの3日間について書きたいと思います。
オーストラリア・チームは、和歌山大学の加藤久美先生、サイモン・ワーン先生、アダム・ドーリング先生が中心となり、ブリスベーンからパフォーミング・アーティストのジャン・ベーカー・フィンチ(Jan Baker Finch)さんとパーカッショニストのジョイス・トー(Joyce To)さんの2名を招聘しました。
チームは8月2日から9日まで、主に飯舘村に滞在して、どのような表現を作っていくかを練っていきました。飯舘村という地に根差した様々な場所(ひまわり畑、御影石加工所、製材所、廃材置き場など)を訪れ、関係者の方々から色々な話をお聴きし、その話とその場所にある音、色、匂い、風などを感じ踏まえながら、その場にて即興でパフォーマンス+パーカッションを試みました。
飯舘村での経験を踏まえ、それを咀嚼したうえで、8月10日、いわき市立美術館で「福島ー新しい光をさがして」と題するアートイベントに結実させました。このイベントは、ブリスベーンからの二人に和合さんを交えた3人によるもので、いわき市立美術館は、「人々が自然とともに生きる音や風景をテーマにした、ダンス、音楽、詩によるコラボレーション。三人のアーティストが、福島の風景、歴史、伝統、人々の暮らし、そこに込められた思いなど、『福島の美しさ(光)』を再発見し、表現します」と紹介しています。
パフォーミング・アートを含む現代アートを重視するいわき市立美術館の通路などの空間を利用して、このイベントが行われました。
美術館の入口から始まり、徐々に中へ中へ通路を移動し、その後、再び、入口のほうへ通路を戻り、最後は、階段の上で詩を詠む和合さん、そのすぐ下の通路で踊るジャンさん、階段の入口で音を奏でるジョイスさん、という動き。
観客が場所を移動する、という動きは面白かったのですが、実はいわき市立美術館では割と普通のことなのだそうです。
この3人、事前に大まかな流れを確認したのみで、入念な打ち合わせもリハーサルもなく、即興で演じていきました。
日本語が全く分からないジャンさんは、和合さんの詩の抑揚や声の大小、間の取り方から何を表現しているかをつかむ。そのジャンさんの動きが和合さんの詩の朗読のしかたに影響を与える。それを把握してジョイスさんのパーカッションが奏でられ、3人があたかも一緒に呼吸しているかのような、感じ、感じられる、誰かが誰かにただ合わせるのではない、3人の間の何とも形容しがたい緊張と共鳴の1時間が演じられていきました。
後で彼らに訊いたところ、ジャンさんは和合さんの詩の朗読における意図をかなり正確に把握していました。また、ジャンさんやジョイスさんのパフォーマンスの背景にある飯舘村の素材について、和合さんもそれを感じながら朗読をしていたとのことでした。
パフォーマンスの後は、オーストラリア・チームが飯舘村でどんな活動をしてきたか、映像を交えて紹介され、観客の皆さんと対話が行われました。
8月10日のいわき市立美術館のイベントについては、以下のような、いくつかのメディアで報じられました。
鎮魂と再生願う「祀り」 詩、ダンス、音楽で表現 いわき(福島民報)
福島第1原発事故 鎮魂と再生祈り 詩朗読とダンスコラボ いわき(毎日新聞)
翌日の8月11日は、同じくこの3人で、飯舘村の山津見神社の社殿にて、コラボレーション・パフォーマンスを同神社へ奉納するアートイベントが行われました。
山津見神社は虎捕山津見神社とも呼ばれ、1051年に創建された伝統のある神社です。産業の神、交通安全の神、海上安全・豊漁の神、良縁結びの神、安産祈願、酒造、狩猟の神など多くの神徳があり、地元の人々から信仰を集めてきました。山頂の本殿は、海上の漁船にとっての道標にもなったといいます。また、山神の神使としての狼に対する信仰が篤く、社殿の天井には、狼を描いた242枚の天井絵がありました。
震災後の2013年4月1日、社殿が火災により焼失しました。もちろん、天井絵もすべて焼失しました。
その後、地元の方々の深い思いを受けて、山津見神社を再建することになるのですが、天井絵の再現は不可能と思われました。しかし、天井絵が写真で残されていることが分かりました。
その写真は、焼失の数日前にたまたま神社を訪れた、前述の加藤先生とサイモン先生によって撮られていたのでした。二人は、写真をもとに天井絵を復元させたいと動き、東京芸術大学保存修復日本画研究室の荒井経先生に働きかけ、荒井先生と学生たちが「山津見神社オオカミ天井絵復元プロジェクト」として取り組みました。
そして、2015年6月、山津見神社の社殿は再建され、天井絵の復元作業も進められ、2016年8月11日、オオカミの天井絵242枚が神社へ奉納されました。
そうなのです。2019年8月11日は、復元されたオオカミの天井絵がや山津見神社へ奉納されてからちょうど3年目なのでした。加藤先生とサイモン先生は、天井絵が奉納されてから3年間実施してきたアートプロジェクトの集大成として、この日に、ブリスベーンからの二人と和合さんの3人によるコラボレーション・パフォーマンスを奉納したのでした。
加藤先生やサイモン先生の招きで、今回お世話になり、オオカミの天井絵の復元に注力してきた飯舘村の方々が社殿に入り、オオカミの天井絵の下で、パフォーマンスを観賞しました。
和合さんの締めくくりの詩は「狼」。彼もまた、山津見神社の焼失、再建、オオカミの天井絵復元の一連の流れをずっと注視してきました。人と自然とのつながり、人々を結びつける力、震災によって帰らなかった命、翻弄された人々の思い、残された自分たちの故郷への思い。そんな様々な思いを胸に、山津見神社の狼をイメージして作られた「狼」。和合さんは、ずっと前から、この山津見神社で「狼」を朗読したいと願ってきました。
この「狼」、実は2018年5月、和合さんをインドネシア・マカッサル国際作家フェスティバルに招待したときに、夜のメインイベントで、壇上で日本語のまま朗読し、会場で大反響を呼んだ詩でした。私が聴くのはそのとき以来2度目でした。
彼ら3人は、ここでも即興ベースで演じました。ジャンさんのまるで何かが乗り移ったかのような舞、ジョイスさんの絶妙なパーカッション、そして、復元されたオオカミの天井絵の下で和合さんが朗読する「狼」。
ものすごかった・・・。
場の力・・・。まさしく、ここで、この場所で演じられなければならなかったのだ、と実感しました。和合さんの「狼」はここで朗読されなければならなかったのでした。
天井絵のオオカミたちが3人に乗り移っていたのかもしれません。3人の間の緊張と共鳴に加えて、即興なのに、何かが彼らを導いていたような、そんな不思議な気分になりました。
いつの間にか、自分の左目から、すうっとひとすじの涙が・・・落ちていきました。
即興と即興のせめぎ合いが、緊張と共鳴と結合を生み出す。あらかじめ作られた何かではなく、そのとき、その場所だからこそ作られた、奇跡のパフォーマンス。
それは、どうやっても、二度と同じには再現できない。その瞬間に立ち会うことでしか得られない、はかなく消え、しかし、ずっと心にのこるもの。
あれはいったい、なんだったのだろう。ずっとそれを思い続けています。
ブリスベーンからの二人が飯舘村での滞在から得たものがあるからこそ、それがいわき市立美術館や山津見神社でのパフォーマンス表現に結実し、だからこそ、飯舘村の方々にとってもよそよそしくない、自分たちのどこか深いところに、心地よく突き刺さってくるような、言葉にならない何かを感じていたのかもしれません。
そこではもう、演じる人と観る人という垣根がいつのまにか溶けて、両者とも同じ時間、同じ場所を共有して一緒に何かを創っている、という感覚になるのではないかとさえ感じました。
一緒に何かを創る。地域とのアートの関わり方の神髄もまた、そこにあるのだということを実感した3日間でした。
弊社は、石川県庁訪問団に同行し、インドネシアの農業の現況を見るために、南スラウェシ州(ワジョ県、マカッサル市)及びジャカルタを訪問しました。石川県は、今後、ワジョ県を中心とする、農業開発に関する長期的な協力関係の構築を提案しました。
石川県はとくに、農業機械化、農民を対象とする研修、農業面の所得向上に貢献したいと考えています。