阪神淡路大震災から25年

2020年1月17日、阪神淡路大震災が起こってしまってから25年が経った。25年、四半世紀という区切りがつけやすいこともあってか、メディアの取り上げ方が、例年に比べて多いように感じる。

いまを生きていらっしゃる被災された方、大事な人やものを失われた方にとって、25年目といっても、その365倍の毎日の積み重ねでしかない一日であろう。

ごく普通の変わらない、あたりまえの明日が来ることが、あたりまえではなく奇跡かもしれないことを教えてくれたあの日。そしてあの後、東日本大震災をはじめ、あたりまえの日がやって来なかった経験が幾度も繰り返されてきた。

いまをまだ生きていることへの感謝。たとえ求められていなくとも、他者の悲しみを少しでも和らげてあげたいという気持ち。様々な思いを持った様々な人々がいるということの理解。忘れてしまいたいことと忘れてほしくない気持ちとの葛藤。それらをすべてまるく包含できるやわらかな世の中をつくっていくこと。

1月17日は、自分にとって、3月11日とともに、それらを忘れてはならない、と肝に命じ、改めて自覚させる日。生きている者、生きたかった者、生きることに希望を失いかけている者、なんとかして生きたいと願う者、そうした人々への想像力をより鋭敏に高めることを、改めて自覚させる日。

未来の祀りふくしま2019、オーストラリア・チームとの3日間

8月8日朝、インドネシア出張からの帰国早々、東京の自宅にしばし寄った後、福島へ移動し、詩人の和合亮一さんと合流して、今年の「未来の祀りふくしま2019」を構成する二つのアーティスト・グループと会いました。

二つのアーティスト・グループですが、オーストラリア・チームとシアトル大学チームの二つです。実は、2018年12月28日、大雪の日、和合さんの誘いを受けて、この両チームの関係者とお会いし、福島でどのようなアート活動を行うのか、一緒にブレーンストーミングをしておりました。

そして、8月10日にはいわき市立美術館、11日には飯舘村の山津見神社で、オーストラリア・チームと和合さんとのコラボ・イベントに参加しました。これら一連の流れのなかで、地域とのアートの関わり方について、自分なりに色々と考えることができました。

今回は、オーストラリア・チームとの3日間について書きたいと思います。

8月11日、飯舘村・山津見神社でのコラボレーション・パフォーマンス

オーストラリア・チームは、和歌山大学の加藤久美先生、サイモン・ワーン先生、アダム・ドーリング先生が中心となり、ブリスベーンからパフォーミング・アーティストのジャン・ベーカー・フィンチ(Jan Baker Finch)さんとパーカッショニストのジョイス・トー(Joyce To)さんの2名を招聘しました。

チームは8月2日から9日まで、主に飯舘村に滞在して、どのような表現を作っていくかを練っていきました。飯舘村という地に根差した様々な場所(ひまわり畑、御影石加工所、製材所、廃材置き場など)を訪れ、関係者の方々から色々な話をお聴きし、その話とその場所にある音、色、匂い、風などを感じ踏まえながら、その場にて即興でパフォーマンス+パーカッションを試みました。

飯舘村での経験を踏まえ、それを咀嚼したうえで、8月10日、いわき市立美術館で「福島ー新しい光をさがして」と題するアートイベントに結実させました。このイベントは、ブリスベーンからの二人に和合さんを交えた3人によるもので、いわき市立美術館は、「人々が自然とともに生きる音や風景をテーマにした、ダンス、音楽、詩によるコラボレーション。三人のアーティストが、福島の風景、歴史、伝統、人々の暮らし、そこに込められた思いなど、『福島の美しさ(光)』を再発見し、表現します」と紹介しています。

 いわき市立美術館の紹介チラシ

パフォーミング・アートを含む現代アートを重視するいわき市立美術館の通路などの空間を利用して、このイベントが行われました。

美術館の入口から始まり、徐々に中へ中へ通路を移動し、その後、再び、入口のほうへ通路を戻り、最後は、階段の上で詩を詠む和合さん、そのすぐ下の通路で踊るジャンさん、階段の入口で音を奏でるジョイスさん、という動き。

観客が場所を移動する、という動きは面白かったのですが、実はいわき市立美術館では割と普通のことなのだそうです。

この3人、事前に大まかな流れを確認したのみで、入念な打ち合わせもリハーサルもなく、即興で演じていきました。

日本語が全く分からないジャンさんは、和合さんの詩の抑揚や声の大小、間の取り方から何を表現しているかをつかむ。そのジャンさんの動きが和合さんの詩の朗読のしかたに影響を与える。それを把握してジョイスさんのパーカッションが奏でられ、3人があたかも一緒に呼吸しているかのような、感じ、感じられる、誰かが誰かにただ合わせるのではない、3人の間の何とも形容しがたい緊張と共鳴の1時間が演じられていきました。

後で彼らに訊いたところ、ジャンさんは和合さんの詩の朗読における意図をかなり正確に把握していました。また、ジャンさんやジョイスさんのパフォーマンスの背景にある飯舘村の素材について、和合さんもそれを感じながら朗読をしていたとのことでした。

パフォーマンスの後は、オーストラリア・チームが飯舘村でどんな活動をしてきたか、映像を交えて紹介され、観客の皆さんと対話が行われました。

8月10日のいわき市立美術館のイベントについては、以下のような、いくつかのメディアで報じられました。

 鎮魂と再生願う「祀り」 詩、ダンス、音楽で表現 いわき(福島民報)
 福島第1原発事故 鎮魂と再生祈り 詩朗読とダンスコラボ いわき(毎日新聞)

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翌日の8月11日は、同じくこの3人で、飯舘村の山津見神社の社殿にて、コラボレーション・パフォーマンスを同神社へ奉納するアートイベントが行われました。

山津見神社は虎捕山津見神社とも呼ばれ、1051年に創建された伝統のある神社です。産業の神、交通安全の神、海上安全・豊漁の神、良縁結びの神、安産祈願、酒造、狩猟の神など多くの神徳があり、地元の人々から信仰を集めてきました。山頂の本殿は、海上の漁船にとっての道標にもなったといいます。また、山神の神使としての狼に対する信仰が篤く、社殿の天井には、狼を描いた242枚の天井絵がありました。

震災後の2013年4月1日、社殿が火災により焼失しました。もちろん、天井絵もすべて焼失しました。

その後、地元の方々の深い思いを受けて、山津見神社を再建することになるのですが、天井絵の再現は不可能と思われました。しかし、天井絵が写真で残されていることが分かりました。

その写真は、焼失の数日前にたまたま神社を訪れた、前述の加藤先生とサイモン先生によって撮られていたのでした。二人は、写真をもとに天井絵を復元させたいと動き、東京芸術大学保存修復日本画研究室の荒井経先生に働きかけ、荒井先生と学生たちが「山津見神社オオカミ天井絵復元プロジェクト」として取り組みました。

そして、2015年6月、山津見神社の社殿は再建され、天井絵の復元作業も進められ、2016年8月11日、オオカミの天井絵242枚が神社へ奉納されました。

そうなのです。2019年8月11日は、復元されたオオカミの天井絵がや山津見神社へ奉納されてからちょうど3年目なのでした。加藤先生とサイモン先生は、天井絵が奉納されてから3年間実施してきたアートプロジェクトの集大成として、この日に、ブリスベーンからの二人と和合さんの3人によるコラボレーション・パフォーマンスを奉納したのでした。

加藤先生やサイモン先生の招きで、今回お世話になり、オオカミの天井絵の復元に注力してきた飯舘村の方々が社殿に入り、オオカミの天井絵の下で、パフォーマンスを観賞しました。

和合さんの締めくくりの詩は「狼」。彼もまた、山津見神社の焼失、再建、オオカミの天井絵復元の一連の流れをずっと注視してきました。人と自然とのつながり、人々を結びつける力、震災によって帰らなかった命、翻弄された人々の思い、残された自分たちの故郷への思い。そんな様々な思いを胸に、山津見神社の狼をイメージして作られた「狼」。和合さんは、ずっと前から、この山津見神社で「狼」を朗読したいと願ってきました。

この「狼」、実は2018年5月、和合さんをインドネシア・マカッサル国際作家フェスティバルに招待したときに、夜のメインイベントで、壇上で日本語のまま朗読し、会場で大反響を呼んだ詩でした。私が聴くのはそのとき以来2度目でした。

彼ら3人は、ここでも即興ベースで演じました。ジャンさんのまるで何かが乗り移ったかのような舞、ジョイスさんの絶妙なパーカッション、そして、復元されたオオカミの天井絵の下で和合さんが朗読する「狼」。

ものすごかった・・・。

場の力・・・。まさしく、ここで、この場所で演じられなければならなかったのだ、と実感しました。和合さんの「狼」はここで朗読されなければならなかったのでした。

天井絵のオオカミたちが3人に乗り移っていたのかもしれません。3人の間の緊張と共鳴に加えて、即興なのに、何かが彼らを導いていたような、そんな不思議な気分になりました。

いつの間にか、自分の左目から、すうっとひとすじの涙が・・・落ちていきました。

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即興と即興のせめぎ合いが、緊張と共鳴と結合を生み出す。あらかじめ作られた何かではなく、そのとき、その場所だからこそ作られた、奇跡のパフォーマンス。

それは、どうやっても、二度と同じには再現できない。その瞬間に立ち会うことでしか得られない、はかなく消え、しかし、ずっと心にのこるもの。

あれはいったい、なんだったのだろう。ずっとそれを思い続けています。

ブリスベーンからの二人が飯舘村での滞在から得たものがあるからこそ、それがいわき市立美術館や山津見神社でのパフォーマンス表現に結実し、だからこそ、飯舘村の方々にとってもよそよそしくない、自分たちのどこか深いところに、心地よく突き刺さってくるような、言葉にならない何かを感じていたのかもしれません。

そこではもう、演じる人と観る人という垣根がいつのまにか溶けて、両者とも同じ時間、同じ場所を共有して一緒に何かを創っている、という感覚になるのではないかとさえ感じました。

一緒に何かを創る。地域とのアートの関わり方の神髄もまた、そこにあるのだということを実感した3日間でした。

スラウェシ中部地震とロンボク地震の被災地を訪問して

今回のインドネシア滞在中に、11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地のパル市、シギ県、ドンガラ県を訪問し、その後、11月27~28日にロンボク地震被災地の東ロンボク県、北ロンボク県を訪問しました。
日本でもインドネシアでも、これらの地震に関するメディア報道はずいぶん少なくなりました。そうなると、復興が順調に進んでいるかのような雰囲気が出てきますが、やはり、実態はそんな単純なものではない、というのが今回訪問しての印象でした。
現場を歩きながら、「世の中から忘れられていく」という現場の人々の気持ちを強く感じていました。
スラウェシ中部地震被災地への訪問記は、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の第34号と第35号の2回に分けて書いていきます。第1回は、以下のサイトをご参照ください。
小見出しは以下のようになっています。
 ●被災地を訪問した意味
 ●津波に襲われたタリセ海岸を歩く
 ●液状化で街が沈んだペトボ地区にて
 ●政府と住民の微妙な関係
 ●外部者の被災地利用
詳細については、内容をぜひお読みいただきたいのですが、かなり強く政治ファクターが入り込んでいることもあり、復興へ向けてのプロセスは予想以上に難しいものになるのではないか、と感じました。
次号(第35号)では、今後の復興プロセスにおいて起こってきそうな諸問題、我々が外部者としてどんな取り組みに対して支援するのが良いのか、ロンボク地震との比較を踏まえたうえでの考察、などについて、書いてみたいと思っています。
ロンボクも含めた今回の訪問では、被災した友人・知人たちの消息や活動状況を知ることも個人的な目的でした。幸い、今回お会いした仲間は皆、元気でいてくれて、再会を喜び合いました。
ロンボク島の被災地も、その後に起きたスラウェシ中部地震との関連で、様々な影響を受けていました。多くのロンボクの被災者は、スラウェシ中部地震の被災地のほうがずっと大変な目に遭っていると思っている様子でした。
それは、東日本大震災の時、福島の被災者が「岩手や宮城の被災者は津波で実際にたくさんの方が亡くなって自分たちよりも大変なんだ」とか、逆に岩手や宮城の被災者が「福島の被災者は原発事故の影響も加わって自分たちよりも大変なんだ」と思ったことを想起させました。
今回ロンボク島も訪れてみて、表面上の明るさの陰で、被災者の地震への恐怖や将来への不安が強くある様子がうかがえました。仮設住宅の建設など生活を取り戻す過程は始まっていますが、急ピッチで復興が進んでいる、というようなものではないという印象でした。
それでもなお、ロンボクでは「自分で何とかしていく」という態度を見ることができました。自分たちの村を自分たちでなんとかするっきゃない!という、いい意味での開き直りというか、援助を待ち続けるという態度はほとんど見られなかったのが印象的でした。
よりどりインドネシアに「ロンボクだより」を連載してくださっている岡本みどりさんのお宅も訪ねました。可愛いお嬢さんにも遊んでもらえました。
岡本さんの周りのおじさんやおばさんたちは、皆さん、互いに笑い、話をすることで、気を紛らせ、やるべきことをやれる範囲でやるという、当たり前の態度で日々の生活を少しずつでも取り戻していこうとしていました。そんな人たちに温かく囲まれながら、岡本さんも、周りの皆さんの生きる力を感じていらっしゃるのだろうなと思いました。
マカッサルで仲間と話し合ったときに出てきた大事な言葉が、「生きる力」でした。
「生きる力」を持っている人々や社会は、再生への強さを内に秘めているのだと思います。それを肯定するような、「生きる力」を強くしていけるような、被災地や被災者へのリスペクトやポジティブな働きかけを、外部者としての私たちは適切に行なって行けるとよいな、と思いました。
そして「生きる力」とそれを強くしていけるようなプラスの働きかけは、今の日本にとっても必要なことでもあるのだ、と感じるのです。

INSISTネットワークへの第2回目送金報告と緊急向け募金終了のお知らせ

スラウェシ中部地震被災地支援のための募金にこれまで多大なご協力をいただき、誠にありがとうございました。本日(11/8)、INSISTネットワークへの第2回目の送金を行いましたので、お知らせいたします。

募金寄付者リストおよび送金証明書は、以下のとおりです。

募金は、インターネット経由のPolcaと銀行振込の二つの方法で行いました。

Polcaについては、10%が利用料として天引きされ、私の銀行へのPolcaからの振込手数料も引かれますので、実際に送金に含めた額は81,729円となりますことをご了承ください。

また、銀行振込による募金は、総額224,000円でした。

以上を合算し、305,729円をINSISTネットワークの実働部隊であるyayasan Pao Paoの口座へ送金しました。なお、送金手数料1980円は私が負担しました。

なお、INSISTネットワークから、「緊急向けの募金の受付を終了した」との連絡がありました。このような活動を行っていて、「募金の受付を終了する」と言ってくる団体は今まで他に聞いたことがありませんが、誠意をもって透明性の高い活動を行いたいという、彼らの真摯な態度の表れであると受け止めています。

彼らの現時点での活動報告がインドネシア語でFacebookページに発表されていますが、その概略を以下の通りお知らせいたします。

現状:
・現地3ヵ所に設置した詰所とイニンナワ・コミュニティ本部との調整は継続中。
・募金や寄付物品はまだ本部(の口座)へ届けられている。
・第3回目の物資送付以降は、寄付物資の送付は止まっている。
・現地3ヵ所の詰所の物資はこの1週間でまだ十分にある。
・現地3ヵ所の詰所はINSISTネットワーク以外の団体からの支援も得ている。
・避難者への支援方向は、仮設住宅建設や基本サービス改善へ移っている。
・データ分析は、シギ県の詰所からのデータ分析の遅れから、まだ終了していない。

募金・寄付(11月1日時点):
・募金受入総額:2億4810万5003ルピア
・支出総額:1億953万6377ルピア
・残高:1億3856万8626ルピア
・物資による寄付の総額は、概算で5213万5000ルピア相当。
・これら資金から、INSISTネットワークの予備資金として4300万ルピアを取る。

今後の活動について:
・第4回目の寄付物資の配送計画について話し合う。
・アセスメントを継続することが重要。
・復興段階において協力を申し出ている外部団体への回答。
・INSISTネットワークの活動・会計報告を終わらせる。
・寄付や募金の受入れを終了する。
・INSISTネットワークチームの実績評価を行う。
・INSISTネットワークによる緊急対応以外の活動を継続するか否かを議論する。

これまで、INSISTネットワーク向けの支援を続けてきましたが、彼らは今、一度立ち止まって、自らの活動の評価を行ったうえで、次のステップへどう進めるかを考え始めています。このため、彼らへの募金の呼びかけもいったん終了し、次の段階でどのような協力が可能になるか、私としてもしっかり考えていきたいと思います。

いずれまた、次の段階に即した協力への呼びかけをすることになるかと思いますが、当面は、インドネシア側の状況を見守っていきたいと思います。

とはいうものの、スラウェシ島では、10月以降も、各地でマグニチュード5級の地震が発生しており、状況を注視していく必要があると考えます。

また、8月に地震に見舞われたロンボク島でも、住民の多くはまだテント生活を送っており、決して、地震による被害を克服して正常な生活へ戻れているわけではありません。

皆様のご理解とご協力を引き続きよろしくお願いいたします。

INSISTネットワークへの1回目募金送金報告など

本日(10/12)、募金第2弾で対象としているINSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)へ、1回目の募金として、22万4280円を送金しました。

なお、送金手数料1480円は、当方で負担させていただきました。

この額は、本日のレート、1円=134.6ルピアで換算され、3018万8088ルピアとなりました。なお、INSISTネットワークからは、すでに「入金を確認した」との連絡があり、協力してくださった日本の方々へ感謝申し上げます、との言葉が述べられておりました。

今回は、銀行振込と現金手渡しで募金をいただいた方15名の分のみを送金しました。なお、Polcaでの分は今回は含めず、10月末に送付したいと考えております。

今回の送金でご協力いただいた方々は次の通りです。お名前は省略し、イニシャル1文字のみ表記しております。

また、送金明細は以下のとおりです。

●INSISTネットワークの主な活動

INSISTネットワークの活動の様子は、逐次、フェイスブックにて紹介しておりますが、ここで、いくつか要点をかいつまんでご紹介します。

・救援物資を積んだトラックをマカッサルからすでに2台出発させました。

・まずは被災状況と支援対象とすべき地域を調査し、パル市、ドンガラ県、シギ県の支援対象とすべき地域に複数の詰所を設置しました。救援物資はこの詰所に集められたのち、配給されています。

・救援物資の配給に当たっては、乳幼児や妊婦、高齢者など、避難住民の状況に応じて物資を配給するほか、配給を受ける個々人の名前を特定させて、受取人には受取票へ署名をしてもらっています。これは物資配給の際に取り合いになることを防ぐとともに、ここの避難住民の状況に関するデータ収集の意味も持たせています。

・救援物資を配るだけでなく、地域の人々どうしの助け合いを促す活動もしています。たとえば、被害が比較的少なかった山間部の農村などで生産された農産物を購入して都市へ運び、都市の避難住民へ配給する、といった仲介をしています。現在、このプログラムに参加する近隣の農民を募っているようです。

・また、詰所で避難住民が衣服を選んだ後、あるおばさんが、残った衣服を枕に仕立て直して皆に使ってほしい、といった申し出をしたそうです。こうした、避難住民どうしが助け合うことで、今後の中長期的なコミュニティ再生への端緒をも築こうとしています。

決して大規模ではないにしても、また災害救助のプロフェッショナル集団ではないにしても、こうして、一つ一つ丁寧に避難住民と向き合い、彼らの主体性を尊重しながら、中長期のお付き合いを意識しつつ、実のある支援を試みているINSISTネットワークを、私たちも温かく見守っていければなと思っています。

●募金第2弾はまだまだ継続中です!

募金第2弾は、1回目の送金が終わりました。しかし、INSISTネットワークへの募金自体は、まだ継続しております。引き続き、ご協力をお願いいたします。

インドネシア在住の方などは、直接、彼らの銀行口座へ振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

日本からの募金は、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います(現金手渡しもも可能です)。

銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは10月末までの1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

なお、Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を引き続き行なっていきたいと思います。改めまして、引き続き、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

かなしさ、さびしさ、むなしさの2週間、求めていたのは「光」

今回は、ちょっと一息入れて、個人的なことを書いてみます。

このところ、本ブログでは、スラウェシ中部地震被災地支援への協力を呼び掛けていますが、これまでの2週間、実は、ずっと暗い気持ちのままでした。

先週初め、出張先のインドネシア・東ジャワ州バトゥで、空に浮かぶ中秋の名月の光があまりにもきれいで、だからこそ、悲しさの深みに嵌っていきました。
その日の朝、私の大学時代の恩師が亡くなったとの知らせが入ったのです。その恩師なくして、自分がアジアと関わる人生を送ることはなかったといっても過言でない、大きな存在でした。
その悲しみを抑えながら、出張を終えて28日朝に帰国し、一休みしようと思ったときに入ってきたのが、スラウェシ中部地震・津波の報道でした。
当初は、日本ではあまり報道されていませんでしたし、インドネシアでも津波警報がすぐに解除になったので大したことはない、嘘報道ではないか、という程度の扱いだったのです。
でも、これは大変な事態になる、という直感が私にはありました。パル湾は陸地へ深く入り込んでおり、湾の最も奥にあるパルは津波が来たら相当な被害が出ることが予想できたからです。
嘘かもしれないという津波の映像がSNSで流れ、その数時間後に、事実であることが判明し、BBCやNHKが盛んにその映像を流し始めました。
パルやドンガラは、私にとって大事な場所です。1996~2001年及び2008~2010年の在マカッサルJICA専門家(地域開発政策アドバイザー)時代、1~2ヵ月に1回はパルを訪問し、中スラウェシ州開発企画局(BAPPEDA)と定期会合を行い、地域開発政策について議論していました。国立タドゥラコ大学の先生方やパル・ドンガラのNGOにも知り合いが増えました。彼らの安否がすぐに心配になりました。
ドンガラ県のナビ・ビジャ県知事と一緒に村を訪問(2000年4月25日)
現在までも、まだまだ消息の分からない知り合いが大勢います。そして、ほかのスラウェシの私の友人たちが、パルやドンガラへ緊急支援に動き出しました。私がつなぐ形でパルやドンガラの友人・知人と知り合いになった者もいます。現段階でできる私たちの支援は、信頼できる彼らに託すことだけかもしれない。そんな気持ちで、募金を皆さんにお願いしているところです。

自分の出身地である福島も被った東日本大震災と、私にとってとても大事な「故郷」と言ってもいい場所であるスラウェシで起こった地震・津波がオーバーラップしてしまいます。そして、東日本大震災の前年に亡くなった父と恩師の姿とがオーバーラップしてしまいます。
よりによって、自分の人生の中でとても大事な場所のいずれにおいても、大災害が起こってしまうなんて・・・。そんな人生になるなんて・・・。
かなしさ、さびしさ、むなしさ。
もう、とっくの昔に、インドネシアやスラウェシを単なる研究対象としてみられなくなってしまった自分。固有名詞で呼べるたくさんの友人や知人が存在してしまうことになった場所。
東日本大震災のときと同じように、現場に駆け付けられない自分を責める自分。駆けつける時期ではないと自分を諭す自分。
そんな落ち着けない自分にとって、今、なにが必要なのか。
悶々とするなか、ふと、志村真介さんの写真展「感ずる光」のことを思い出し、会場の表参道ヒルズ・ギャラリー同潤会へ行ってみることにしました。
いったんは生死をさまよいながら、奇跡的に生還し、リハビリの日々を過ごしてきた志村真介さんの写真は、物体ではなく、そこの光を撮る作品でした。リハビリをしながら撮ったというその作品には、一瞬一瞬にみせる光、その光の温かさや柔らかさに加え、様々な生を感じさせる作品でした。志村真介さんにしか撮れない作品、だと思いました。
幸運にも、志村真介さんと志村季世恵さんに久々にお会いし、少しお話しすることもできました。なんだか、とてもホッとしました。
やはり、今の自分に必要だったのは、光なのでした。生の光、希望の光なのでした。それは、深い悲しみや寂しさやむなしさからこそ、生まれてくる深い光なのでしょうか。
日曜日の表参道は、たくさんの人でごった返していました。ふと見上げると、並木の上の青空から、今の自分には、やや強すぎる光が差し込んできました。でも、なんだか、そのやや強すぎる光に元気づけられたような気がしました。
その後、新宿で、ロンボク島から一時帰国中の岡本みどりさんのトークライブに顔を出しました。岡本さんには、私が月2回発行する情報マガジン「よりどりインドネシア」に毎月「ロンボクだより」を連載していただいています。
その岡本さんの話の芯は、ロンボクで起こった連続地震に対する地元の人々の強さと明るさでした。いやなことがあっても、落ち込むだけで終わることなく、人と人とのつながりを大事にして、少しずつ自分たちで解決していく能力のすごさ。前向きに明るく生きたほうがいい、という、いい意味での楽観主義が生きることに希望を作り出していく。
岡本さんの話も、今の私のとっての「光」になりました。
かなしさ、さびしさ、むなしさ。
でも、父や恩師、犠牲になった友人たちや知人たちは、自分たちのことを思ってくれるのはありがたいだろうけれども、ずっとそれに浸り続けてほしいとは、絶対に思わないだろう、ということにようやく気づけました。
東京の秋の空に輝く光を見上げながら、自分がやれること、やるべきことを自分なりにやるだけだ、と静かに思えました。

スラウェシ中部地震被災地支援募金、第2弾開始

スラウェシ中部地震被災地支援の第1弾は、インドネシア海洋学士会(ISKINDO)宛の募金でした。この募金は10月3日(水)午後0時で終了し、早速送金いたしました。ご協力ありがとうございました。

第1弾の活動状況は、随時、本ブログやフェイスブックでお伝えしていきます。

第1弾募金受付終了後も、送金していただいたり、協力の意思を示していただいたりする方がいらっしゃり、すぐに第2弾を始めることにいたしました。

本日(10/5)より、募金受付の第2弾を開始いたします。第2弾の支援対象は、INSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)です。

ジョグジャカルタのNGOであるINSISTが中心になり、マカッサルのNGO連合体であるイニンナワ・コミュニティを実働部隊として、中スラウェシ州パル市やドンガラ県で活動するNGOであるBantayaやKarsaと協力し、被災者支援に取り組んでいきます。

イニンナワ・コミュニティについては、以下のサイトをご覧ください。

 イニンナワ・コミュニティ(Komunitas Ininnawa)(インドネシア語)

イニンナワ・コミュニティは、実は私とは15年近くの付き合いがあります。私が2006〜2010年にマカッサルに駐在した際には、自宅の4分の3を開放して彼らに使ってもらい、民間図書館事業、出版事業、アドボカシー活動を行う彼らの事務所が置かれたほか、映画上映会、セミナー、討論会、アート展覧会など様々なイベントが私の自宅で行われました。私も彼らの活動を側面支援してきました。

イニンナワ・コミュニティと私との関係については、過去の私のブログをご笑覧ください。

 イニンナワ・コミュニティと私との関係

私の離任とともに、彼らは自立し、マカッサルの郊外、マロス県バンティムルン近くに本拠を移し、そこに農民・若者向けの教育訓練センターを開設しました。傘下のNGOの一つパヨパヨ農民庶民学校(SRP Payo Payo)は、農民の自立や有機農業化を促し、農民と消費者との関係構築を図る地に足のついた活動をしています。

その彼らが10月1日、彼らの指導的役割を果たしてきたINSISTと組んで、INSISTネットワークを結成し、救援物資を募ってすでにパル市へ向けてトラック1台を出発させました。

彼らの活動の様子は、フェイスブックの以下のサイトに随時掲載されています。

 Tim Relawan Kemanusiaan – Jaringan Insist

パル市・ドンガラ県・シギ県などで、彼らは現地で根を張って活動するNGOであるBantayaやKarsaとともに、まずは救援物資の配給に関わると同時に、被災状況を把握するためのデータ・情報収集を行い、今後、中長期的に支援すべき対象地域を定めていきます。その後は、コミュニティの再構築や再生へと活動を継続していくものと思います。

まだまだ若者が中心のNGO主体ではありますが、私が信頼できる彼らを支援の第2弾としていきます。

彼らのインドネシアの銀行口座は以下のとおりです。インドネシア在住の方などは、直接振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

なお、日本からの募金などは、第1弾と同様、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います。銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

(注)Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。


以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を始めていきたいと思います。引き続き、ご協力のほど、よろしくお願い致します。


なお、この第2弾のほかにも、私からお勧めできる支援先がございます。それらについては、別途、皆さんにお知らせしていきたいと思っています。

海洋学士会への募金に対する出帆前のお礼の写真

昨日(10/3)スラウェシ中部地震被災地への支援第1弾として、インドネシア海洋学士会宛に募金を送金しましたが、さっそく、明日の出帆を前に、彼らからこのようなお礼を込めた写真が送られてきました。

救援物資を(船ではなく)トラックに積んでいるところのようです。

「スラウェシを想う日本の人々より」としてあります。今後、彼らの活動の様子を写真で送ってもらうことになっています。

海洋学士会への募金受付終了・送金報告

9月30日から受け付けたインドネシア海洋学士会(ISKINDO)への募金の受付は、10月3日午後0時にて終了させていただきました。

これは、海洋学士会の船が10月5日にマカッサルを出帆し、被災地のパル市、ドンガラ県へ向かうためです。現在、関係者は、救援物資の確保・買付など様々な準備に追われているようです。

インドネシアで海洋学を学んだ大学卒業生からなる海洋学士会は、海洋水産省捕獲漁業総局長(国立ハサヌディン大学海洋学部1990年卒)を会長とし、今回の活動では、(1) ドローンなどを活用した被災状況の地理的情報把握、(2) 医療チーム及び食料、医薬品、飲料水、テント、毛布、生理用品、発電機など緊急に必要とされる物資の提供、(3) 食べ物や食料品を提供する炊き出し、(4) 今後の支援活動に資する的確なデータや情報収集、を目的としています。

さらには、船にバイクを積み、パル市内などをバイクで回り、マカッサルから預かってきた親族への物資や郵便などの提供、親族の消息情報の把握など、クーリエの役割も果たそうとしています。

今回の活動はあくまでも緊急対応であり、この後、どのような活動が展開されるかは未定のようですが、マカッサルの信頼できる友人たちが動く活動としては最初のものであるため、今回はこのような募金を募った次第です。

9月30日午後から10月3日午後0時までのわずか2日半の募金でしたが、50名の方々からご協力をいただき、銀行振込+現金+Polcaで合計37万9020円を集めることができました。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

ご協力いただいた方々のリストと金額を作成しました。氏名はイニシャル1文字とさせていただいております。JPEGなのでちょっと見づらいかもしれませんが、掲載します。ご容赦ください。

本日(10/3)、さっそく海洋学士会宛に送金しました。以下が送金証明書です。

募金総額37万9020円を、本日の円=ルピアレート(1円=130.7円)で換算し、4953万7913ルピアを海洋学士会の銀行口座へ振り込みました。

なお、送金手数料、及びPolca関係の手数料等は、当方で負担いたしました。

皆様からいただいた募金が有効に使われることを願ってやみません。海洋学士会に対しては、活動状況を随時、写真等で知らせてくれるようにお願いしてあります。

改めて、今回の募金へのご協力に対して、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今回の募金は「とにかく早く」という気持ちを込めて動いたものですが、スラウェシ中部地震被災者・地域への対応は、まだまだ中長期的に続いていくものと思います。私の信頼できる複数の仲間たちグループも、支援活動を開始しました。

まだまだ支援を考えていらっしゃる方々もいらっしゃると思います。しかし、どこへ募金や寄付をしたらいいのか分からない、という方も少なくないと思います。

そうした方々のために、今後、本ブログ等を通じて、私の信頼できる仲間たちのグループ及びその活動を紹介していきたいと思っています。彼らの活動にご賛同いただければ、彼らの指定する口座へ直接振り込んでいただいてもかまわないですし、それが難しければ、私の指定口座へお振込みいただき、私から責任をもって彼らへ送金させていただきます。

今後も、フェイスブック、ツイッター(@daengkm)等で、スラウェシ中部地震関連の情報を発信していきたいと思います。引き続き、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。

スラウェシ中部地震の被災者支援に船で向かう海洋学士会への支援呼びかけ

スラウェシ中部地震の被災者支援に
船で向かうインドネシア海洋学士会への支援(呼びかけ)
9月25日頃から群発していたスラウェシ中部の地震は、28日午後、マグニチュード7.4の大地震を引き起こし、沿岸部は最大6メートルの津波に襲われました。
9月29日現在、中スラウェシ州パル市だけで死者384名、行方不明者29名、負傷者540名と報じられていますが、通信手段が途絶したため、隣のドンガラ県や西スラウェシ州北マムジュ県の被害状況は不明のままです。30日午後4時時点で死者832名と発表されましたが、2004年12月のスマトラ沖大地震・津波の時のように、今後、被害状況はますます大きくなることが予想されます。
パル市のムティアラ空港もパントロアン港も施設が崩壊し、機能不全に陥っているほか、ドンガラ県やパル市へ向かう陸路も、東方のポソからも南方のマムジュからも、土砂崩れ等により、車が通行できない状況が続いており、救援物資や人員の派遣を大きく妨げています。
こうしたなかで、私の真に信頼できる友人たちが関わっている、海洋学を学んだ大卒者の団体であるインドネシア海洋学士会(ISKINDO)とマカッサルの地元NGOであるYayasan Makassar Skalia(YMS)より、マカッサルから救援物資とボランティアを乗せた船でドンガラ県・パル市へ向かう準備を始めた、との連絡がありました。彼らの計画の詳細は、以下のサイトで公表されています。
彼らは次の4つのチーム活動を予定しています。
(1)ドローンにより被害状況を地理的情報として把握し、他団体の救援・復興活動に提供できる情報を収集するチーム。
(2)医療チーム、及び食料、医薬品、飲料水、テント、毛布、生理用品、発電機など、緊急に必要とされる物資を届けるボランティアチーム。
(3)食べ物や食料品を提供する炊き出しチーム。
(4)今後の支援活動に資する的確なデータや情報を提供するチーム。
彼らは10月5日早朝、マカッサルを出発して現地へ向かう予定です。彼らの活動はあくまでも初期段階のものであり、今後、支援活動が長期化するなかで、次の段階に沿った新たな支援活動が行われていくことが予想されます。
インドネシアではすでに、国軍やインドネシア赤十字が迅速な救援業務を進めているほか、クラウドファンディングを通じて多額の寄付が集まっています。また、様々な社会団体が募金活動を進めており、私自身もどのように協力すべきか、色々と考えてきました。
また、被災地であるパル市やドンガラ県にも信頼できるNGOや団体があります。しかし、通信手段が遮断され、彼ら自身も被災者である現状を鑑み、まずは、信頼できる外部者が被災地を支援する活動に協力すべきではないかとの結論に至りました。すなわち、今後、被災地の信頼できるNGOや団体が動ける状態になれば、今度はそこを支援していきたいということです。
以上の趣旨にご賛同いただける方に、募金のお願いをしたいと思います。彼らの指定した振込先口座(インドネシア国内)は以下のとおりです。
 銀行名:BRI
 口座番号:2136-01-000098-56-7
 口座名義:Ikatan Sarjana Kelautan Indonesia
上記に直接振り込んでいただいて構いませんが、日本国内での振込をご希望の方は、私を信用していただけるのであれば、私の銀行口座へ振り込んでいただければ幸いです。なお、「振り込みました」との連絡を matsui@matsui-glocal.com 宛にご一報いただければ幸いです。
 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ
また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。
以上、皆様のご理解をいただき、腰を据えた支援活動を始めていきたいと思います。ご協力のほど、よろしくお願い致します。
2009年8月26日、当時のパル市長と一緒に、断食明け前の賑やかな特設市場を訪問した時の写真を掲載します。当時の市長には本当によくしていただきました。パルでの恩人の一人でした。
今朝、彼、ルスディ氏が現市長とともに亡くなられたとの知らせがありました。故人の善意を改めて思いつつ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

(訂正)その後、パル市の現市長の生存が確認され、先の情報は間違いであったことがわかりました。ルスディ氏の消息についても、確認情報はまだありません。誤った情報を載せてしまい、大変失礼いたしました。
(訂正2)ルスディ氏については、本日(10/1)、やはり亡くなられたとの情報を受け取りました。見た目はどこにでもいるおっさん風で、庶民的などんな階層の人々とも交わる方でした。改めてご冥福をお祈り申し上げたいと思います。