阪神淡路大震災から25年

2020年1月17日、阪神淡路大震災が起こってしまってから25年が経った。25年、四半世紀という区切りがつけやすいこともあってか、メディアの取り上げ方が、例年に比べて多いように感じる。

いまを生きていらっしゃる被災された方、大事な人やものを失われた方にとって、25年目といっても、その365倍の毎日の積み重ねでしかない一日であろう。

ごく普通の変わらない、あたりまえの明日が来ることが、あたりまえではなく奇跡かもしれないことを教えてくれたあの日。そしてあの後、東日本大震災をはじめ、あたりまえの日がやって来なかった経験が幾度も繰り返されてきた。

いまをまだ生きていることへの感謝。たとえ求められていなくとも、他者の悲しみを少しでも和らげてあげたいという気持ち。様々な思いを持った様々な人々がいるということの理解。忘れてしまいたいことと忘れてほしくない気持ちとの葛藤。それらをすべてまるく包含できるやわらかな世の中をつくっていくこと。

1月17日は、自分にとって、3月11日とともに、それらを忘れてはならない、と肝に命じ、改めて自覚させる日。生きている者、生きたかった者、生きることに希望を失いかけている者、なんとかして生きたいと願う者、そうした人々への想像力をより鋭敏に高めることを、改めて自覚させる日。

自分のできる範囲で動くしかない

このところ、ブログの更新がだいぶ途絶えていました。特に何があったわけでもないのですが、いろいろと考え事をしていました。

例えば、インドネシアでは今も地震が続き、12月22日にはアナクラカタウ火山の噴火に伴う津波の被害が発生しました。

10〜11月にかけて、スラウェシ中部地震被災地支援の呼びかけを行い、協力を呼びかけ、緊急支援向けの義援金を送ったりしたのですが、12月22日のバンテン州やランプン州への津波被災地に関わる支援をまだ呼びかけていないことについて、自問していました。時には、自分を責めていました。

同じインドネシアのことなのに、スラウェシ中部地震被災地のことだけ支援を呼びかけるのは不公平なのではないか。ロンボクに対しても、同じような深さで支援を呼びかけるべきだったのではないか。

日本でも各地で今年もさまざまな災害に見舞われたが、それに対しては、特別の行動を起こしていないではないか。それで良いのか。

そう考えていると、もしかすると、自分は神様にならなければならないのではないか、などと思ってしまいます。スラウェシ中部地震以外の災害に対しては、なぜ同じように動けないのか。そんな批判の声が聞こえてくるような気がしてならなくなります。

だったら、そんなにスラウェシ中部地震のことにのめり込まず、大口の支援団体へ募金するにとどめて、そこそこに対応していればよかったのではないか。

誠に申し訳ないのですが、自分は神様にはどうしたってなれません。インドネシアのすべての、いや世界中のすべての災害支援に平等に関われるような能力は自分自身にはないことをはっきりと認めます。

だから、そのことを批判したり、責めたりする人がいれば、素直にお詫びしたいと思います。そんな能力は自分にはありません。

自分が人生の中で特に関わった、コミットした場所、特別の思いを持っている場所に対する特別な感情。そうした場所と、それほど思い入れのない場所とをどうしても比較してまう自分がいます。

自分が特別な感情を持ってしまった場所に対して、その思い入れから支援を行いたい、と思うことは、間違ったことなのか。そこしか見ていない、と批判されることなのか。

自分がスラウェシに特別な感情を持つように、世の中には、ロンボクに特別な感情を持つ人も、バンテン州やランプン州に特別な感情を持つ人もいることだろうと思うし、日本の災害被災地に特別な感情を持つ人もいるのだと思います。

それらの場所に特別な感情も関わりも持たない人が、どうしてそれらの場所への被災地支援を呼びかけられるでしょうか。

自分のできる範囲は限られています。その範囲で、自分はこれからも支援の関わりを続け、皆さんに呼びかけていきたいと思っています。

スラウェシ中部地震被災地への今後の支援についてですが、現地の友人たちが、被災者の思いを聞き取り、聞き書きを行う活動を始めつつあります。

インドネシアでは、被災者の声や気持ちを書き残していく作業がほとんどなされていません。とにかく、ひたすら被災者の声に耳を傾けつづけることは、その被災者に対するヒーリングとしても有効かもしれません。ただし、そこでは、聞く側の技術が多少求められます。聞き手が相手を遮ったり、誘導したり、代弁したりしないことが重要です。

そして、震災孤児を中心とした教育支援の可能性を探っていきたいと思っています。これについては、現地で震災孤児に関する正しいデータを収集し、管理運営できる能力を持ったパートナー機関が必要です。候補団体はすでにあるのですが、その能力の見極めをする必要があります。また、長期の奨学金プログラムのようなものを目指すとすれば、その管理運営をどのように行っていくか、など検討すべき課題はまだまだあります。

自分ができる範囲には限りがありますが、様々な方々と繋がっていくことで、より多彩な活動やスラウェシ以外の他の場所での展開も視野に入れていくことができるかもしれません。

そして、被災地同士が助け合う動きをもっと促していくことができるのではないか、という気もしています。すでに、ロンボクの被災者からスラウェシ中部の被災者への支援を行ったり、スラウェシ中部の被災者がバンテン州・ランプン州の津波被害者への連帯を表明する、といった動きが出ています。

日本でも、自治体同士が災害時の協力協定を結び、助け合う関係を作っていますが、そうした関係が国境を越えて作られる時代になってきているような気もします。

日本とインドネシアは、世界で最も地震・津波が頻発し、甚大な被害を受けてきた国でもあります。政府レベルだけでなく、それを補完するような形で、世界の地震・津波対策をリードしていけるような関係を作れるのではないかと思っています。

今時点では、まだまだ雑駁ですが、以上のようなことを考えています。

ロンボク島北部の被災地では、仮設住宅の建設が始まりつつありましたが、復興と言うにはまだまだの状況。
地震はまだ怒っていて、住民のトラウマは私たち外部者の想像以上に大きなものでした。
(2018年11月28日、筆者撮影)

INSISTネットワークから領収証とお礼状が来ました

スラウェシ中部地震被災地支援の第2弾として、10月から11月初めにかけて皆様にお願いして募金の送付先であるINSISTネットワークから、募金の領収証とお礼状が送られてきました。

募金の領収証は、以下のとおりです。宛先は、Jepang Friend via Matsui Kazuhisaとなっており、第1回送金分の領収証です。

INSISTネットワークへの緊急支援向け募金は、11月1日で締め切られ、現在、募金は受け付けていません。第2回送金分は締切後の11月7日に送金しましたが、受け取ってもらっています。

そして、以下がお礼状です。

さらに、INSISTネットワークからは、10~11月の緊急支援に関する詳細な活動報告(インドネシア語)も送られてきました。

ただし、ファイルが17MB以上ととても大きいものでした。以下のサイトから閲覧・ダウンロード可能です。興味のある方は、是非ご覧ください。写真だけでも、緊急支援の様子が伝わってきます。

 Laporan TRK INSIST

この報告書では、11月の私の現地訪問の様子にも少し触れています。

INSISTネットワークは現在、被災地でのニーズ調査を踏まえて、支援物資の配送を必要に応じて続けていますが、復興期における活動の方向性について、現在、内部で検討中です。今後、彼らとどのように協力していくか、どうするか、真摯に考えていきたいと思っています。

ともかく、このたびのスラウェシ中部地震被災地支援募金へ協力してくださった皆様に対して、改めて深くお礼申し上げます。皆様の思いをしかと受け止め、次のステップへの活動を検討してまいります。

スラウェシ中部地震被災地支援のネクストを検討中

11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地を訪問し、多くの友人の安否を確認し、現場で動いている様々な友人・知人と会い、意見交換しながら、次の支援プログラムを考え始めています。

現段階では、まだおぼろげな状況ですが、今週から来週にかけて、何人かの同志的仲間と会い、話し合い、より明確になった段階で、再び、皆さんに呼びかけを行いたいと考えています。

もう少し、お待ちください。

それにしても、という思いがあります。

2011年の東日本大震災の後、故郷・福島を含む東北地方は今もいろいろな意味で厳しい状況に置かれています。だからこそ、福島から、東北から、古きを敬いながらそれを踏まえた新しい動きを創っていきたい、という気持ちが、法人登記を福島市にさせた一つの要因でした。その後、福島で何が起こっていったか、プラスもマイナスも、私なりに観察し続けてきています。そして、福島の正負両方の経験を次に生かしていかなければならないと思っています。

そして、JICA長期専門家(地域政策アドバイザー)として過去に計7年以上関わり、今もその深い絆を意識し、たくさんの仲間が活躍しているスラウェシで、今回、地震・津波・液状化という災害が起こりました。

自分の人生のなかで、まさか、自分が最も大切に思っている福島とスラウェシの両方で、甚大な災害に見舞われ、そこからの立ち直りをどうしていったらよいか、考えることになるとは思いもよりませんでした。

自分の関わりの度合いの深さが、自分の行動を決定づけている面があります。福島以外の日本各地やスラウェシ以外のインドネシア各地の災害に対して、決して無関心であるわけではないのですが、どうしても、自分にとって思い入れの強いところに傾いてしまうのは、やむを得ないことです。すべて平等に、と、雲の上から鳥瞰的にみられる神様のような存在に自分はなることはできません。

ですから、「他はどうでもいいのか?」という批判は受けますが、もはや雲の上の立派な存在ではあり続けられないということを正直に吐露したいと思います。それは、私の能力不足なのかもしれませんが、自分が超越したすばらしい人間でなければならないとも思えませんので、正直に申し上げるしかない、というのが実状です。

きっと、他の地域には、そこへの思い入れのある方々が同じように動いていることでしょう。それでいいのだと思います。

私も関係している「スラウェシ研究会」という自主的な勉強会があります。この会には、かつて戦時中、マカッサルに置かれた日本軍政下の民生部で働いておられた90歳を超える方や、過去に在マカッサル日本総領事を務められた方、JICA専門家でマカッサルに派遣されたのをきっかけに太平洋戦争前後のスラウェシでの日本人の足跡を丹念に追い続けている方など、マカッサルやスラウェシに特段の思いをもって、自分の人生経験のなかの大事な場所と位置づけ、関わり続けている方がいらっしゃいます。

そうした方々も、今回のスラウェシ中部地震被災地支援では、何度も何度も、募金と温かい言葉をお送りくださいました。彼らの脳裏には、自分たちがかつて経験したスラウェシやマカッサルの具体的な人々の名前や出来事があり、スラウェシのために何としても役に立ちたい、という気持ちが込められていたのだと思います。もしかすると、それは、スラウェシへの恩返しをまだ十分にしていないという気持ちを含んだものなのかもしれません。

私は、実はそうなのです。これだけ関わってきたスラウェシに対して、恩返しをまだ全然行えていない、と。

スラウェシの人々への思いを生前に語ってくださった尊敬できる先輩方も多くいらっしゃいます。今回、支援活動を試みながら、そうした方々の声が再び聞こえてきたような気がしました。

長年スラウェシに関わってこられた方のスラウェシへの思い。それをちゃんと受けとめたうえで、しっかりと腰を据えた支援活動を行っていく責務がある。そんな気持ちが、11月に、たとえ自腹でも、被災地訪問を決意させた理由の一つでした。

こんなことを思いながら、スラウェシ中部地震被災地支援のネクストを考えていきます。引き続き、よろしくお願いいたします。

大学生主催のイベントでスラウェシ中部地震について講演

2018年12月2日、東京・東小金井で開催された「パルに寄り添う~Thinking of Indonesia」と題する小さなイベントで、スラウェシ中部地震について講演しました。

このイベントは、インドネシアに短期留学したり、たまたまインドネシアに滞在していた大学生有志が中心となって企画し、東京在住のインドネシア人有志やインドネシア愛好者グループなどが協力して開催したものです。

このイベントを通じて、スラウェシ中部地震の犠牲者に思いをはせ、何かできないかという思いを募金などの形で果たす意味も持ち、チャリティーのための物品販売も行われました。

出席したのは61名、小さな部屋だったせいもありますが、立ち見も出る盛況でした。

興味深かったのは、おそらく、主催した大学生の友人たちである留学生が多数出席していたことでした。

このため、講演を始める際に、日本語以外に英語も使うことが求められ、急遽、バイリンガルで講演することになりました。

講演資料はすべて日本語で、日本語=英語バイリンガルの準備はなにもしておらず、しかも、日本語=インドネシア語のバイリンガルよりも日本語=英語のほうが個人的には面倒なので、ずいぶんとひどいバイリンガルになってしまったのではと思います。

来てくださった方々には、この場を借りて、聞き苦しかったことをお詫びいたします。

このイベントでは、友人のティニさんが主宰するインドネシア舞踊グループ「ドゥタ・メラティ」による踊りの数々も披露されました。彼らの演技を見るだけでも、このイベントは意味があったと思えました。

NHKの海外放送「ラジオ・ジャパン」インドネシア語放送の取材もあり、私も少しだけインタビューされました。以下のサイトで、1週間をめどに聴くことができるようです。

 Tamatebako: Penggalangan Dana bagi Korban Bencana Palu di Tokyo

現地訪問を踏まえたスラウェシ中部地震の現状に関しては、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」にて報告していくとともに、必要があれば、日本あるいはインドネシア等での講演依頼にも、積極的に応じていきたいと思います。

INSISTネットワークへの1回目募金送金報告など

本日(10/12)、募金第2弾で対象としているINSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)へ、1回目の募金として、22万4280円を送金しました。

なお、送金手数料1480円は、当方で負担させていただきました。

この額は、本日のレート、1円=134.6ルピアで換算され、3018万8088ルピアとなりました。なお、INSISTネットワークからは、すでに「入金を確認した」との連絡があり、協力してくださった日本の方々へ感謝申し上げます、との言葉が述べられておりました。

今回は、銀行振込と現金手渡しで募金をいただいた方15名の分のみを送金しました。なお、Polcaでの分は今回は含めず、10月末に送付したいと考えております。

今回の送金でご協力いただいた方々は次の通りです。お名前は省略し、イニシャル1文字のみ表記しております。

また、送金明細は以下のとおりです。

●INSISTネットワークの主な活動

INSISTネットワークの活動の様子は、逐次、フェイスブックにて紹介しておりますが、ここで、いくつか要点をかいつまんでご紹介します。

・救援物資を積んだトラックをマカッサルからすでに2台出発させました。

・まずは被災状況と支援対象とすべき地域を調査し、パル市、ドンガラ県、シギ県の支援対象とすべき地域に複数の詰所を設置しました。救援物資はこの詰所に集められたのち、配給されています。

・救援物資の配給に当たっては、乳幼児や妊婦、高齢者など、避難住民の状況に応じて物資を配給するほか、配給を受ける個々人の名前を特定させて、受取人には受取票へ署名をしてもらっています。これは物資配給の際に取り合いになることを防ぐとともに、ここの避難住民の状況に関するデータ収集の意味も持たせています。

・救援物資を配るだけでなく、地域の人々どうしの助け合いを促す活動もしています。たとえば、被害が比較的少なかった山間部の農村などで生産された農産物を購入して都市へ運び、都市の避難住民へ配給する、といった仲介をしています。現在、このプログラムに参加する近隣の農民を募っているようです。

・また、詰所で避難住民が衣服を選んだ後、あるおばさんが、残った衣服を枕に仕立て直して皆に使ってほしい、といった申し出をしたそうです。こうした、避難住民どうしが助け合うことで、今後の中長期的なコミュニティ再生への端緒をも築こうとしています。

決して大規模ではないにしても、また災害救助のプロフェッショナル集団ではないにしても、こうして、一つ一つ丁寧に避難住民と向き合い、彼らの主体性を尊重しながら、中長期のお付き合いを意識しつつ、実のある支援を試みているINSISTネットワークを、私たちも温かく見守っていければなと思っています。

●募金第2弾はまだまだ継続中です!

募金第2弾は、1回目の送金が終わりました。しかし、INSISTネットワークへの募金自体は、まだ継続しております。引き続き、ご協力をお願いいたします。

インドネシア在住の方などは、直接、彼らの銀行口座へ振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

日本からの募金は、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います(現金手渡しもも可能です)。

銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは10月末までの1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

なお、Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を引き続き行なっていきたいと思います。改めまして、引き続き、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

一週間前は関西でした

6月18日朝、大阪北部を震源とする大地震が起き、多数の方々が被災されました。被災された方々に対してお見舞いを気持ちを表したいと思います。

都市部直下型地震によるライフラインやインフラの機能不全が生じましたが、行政をはじめ、住民の方々が懸命にそれに対応されているのを見守っています。

同時に、ちょっと失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、あれだけの規模の地震でも、おびただしい数の建物の倒壊が起こったわけではなく、むしろ、災害に強い都市の一面を示したという印象も受けました。

6月10〜12日、筆者も大阪周辺で動いていました。10日に大阪で用事の後、11日は近鉄で天理へ移動して天理大学でゲスト講義。その後、隠れ家イタリアンで友人たちと夕食して奈良泊。12日には、京都でアポの後、京阪電車で大阪へ向かい、大阪で2本のアポの後、夜は鶴橋で知人らと本場の韓国料理(下写真)とディープな商店街を楽しみました。

ちょうど一週間前でした。今回の被災地付近を動いていました。京阪電車のすぐ近くを有馬=高槻断層が走っていたのでした。

昨日(6月17日)は、東北新幹線が長期間にわたって運転見合わせになりました。原因は鳥が衝突したことによる停電と見られていますが、運行開始を待つ間に、ホーム上で宴会になったり、高校生が新体操のパフォーマンスをする、といった出来事があり、イライラした乗客をある程度和ませていたということでした。

しかし、それは、6月18日のように、地震で止まったわけではなかったので、平和だったのだろうと思います。今日のような、いつまた余震が起こるかもわからない状況では、昨日のような余興をしたり見たりする余裕はなかったことでしょう。

6月18日の地震の震源付近には、有馬=高槻断層以外に、上町断層や生駒断層など複数の断層が近くを走り、さらなる地震を引き起こすきっかけになるかもしれないという話も聞こえてきます。これについては、より詳細な調査研究が必要なのでしょうが、やはり備えをしておくに越したことはないでしょう。

6月18日の地震を東京で眺めていた筆者ですが、地理的にやはり遠くで起こったという気持ちをどうしても持ってしまいます。しかし、今日のような地震は、日本中のいつどこでも起きる可能性のあるものだと思えれば、他人事と思うことはできません。

そして、被災したものだからこそ、新たな被災地に対して特別な思いを抱き、支えの手を差し伸べようとします。阪神淡路大震災後の神戸の人々がその後の被災者へのサポートに動く。東日本大震災の被災県が熊本地震の被災者の支援へ動く。そして、今回の大阪北部地震の被災者に対しても、東北や熊本の元被災者が動くことでしょう。

そんな中で、SNSを通じて、何の意味もないデマや嘘情報を流す「愉快犯」がまたぞろ現れています。被災者の不安を和らげる目的で情報をSNSへ流すならいいのですが、匿名をいいことに、無責任にそうした情報を流して個人的な憂さ晴らしをするというのは、理解できません。

初期のツイッターに溢れていた無数の知らない人々の善意に、筆者は随分と励まされ、前を向く力をもらったものでした。それが今では、ずいぶん変わってしまいました。ツイッターをそろそろやめるべきか、とも考え始めています。