スラウェシ中部地震とロンボク地震の被災地を訪問して

今回のインドネシア滞在中に、11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地のパル市、シギ県、ドンガラ県を訪問し、その後、11月27~28日にロンボク地震被災地の東ロンボク県、北ロンボク県を訪問しました。
日本でもインドネシアでも、これらの地震に関するメディア報道はずいぶん少なくなりました。そうなると、復興が順調に進んでいるかのような雰囲気が出てきますが、やはり、実態はそんな単純なものではない、というのが今回訪問しての印象でした。
現場を歩きながら、「世の中から忘れられていく」という現場の人々の気持ちを強く感じていました。
スラウェシ中部地震被災地への訪問記は、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の第34号と第35号の2回に分けて書いていきます。第1回は、以下のサイトをご参照ください。
小見出しは以下のようになっています。
 ●被災地を訪問した意味
 ●津波に襲われたタリセ海岸を歩く
 ●液状化で街が沈んだペトボ地区にて
 ●政府と住民の微妙な関係
 ●外部者の被災地利用
詳細については、内容をぜひお読みいただきたいのですが、かなり強く政治ファクターが入り込んでいることもあり、復興へ向けてのプロセスは予想以上に難しいものになるのではないか、と感じました。
次号(第35号)では、今後の復興プロセスにおいて起こってきそうな諸問題、我々が外部者としてどんな取り組みに対して支援するのが良いのか、ロンボク地震との比較を踏まえたうえでの考察、などについて、書いてみたいと思っています。
ロンボクも含めた今回の訪問では、被災した友人・知人たちの消息や活動状況を知ることも個人的な目的でした。幸い、今回お会いした仲間は皆、元気でいてくれて、再会を喜び合いました。
ロンボク島の被災地も、その後に起きたスラウェシ中部地震との関連で、様々な影響を受けていました。多くのロンボクの被災者は、スラウェシ中部地震の被災地のほうがずっと大変な目に遭っていると思っている様子でした。
それは、東日本大震災の時、福島の被災者が「岩手や宮城の被災者は津波で実際にたくさんの方が亡くなって自分たちよりも大変なんだ」とか、逆に岩手や宮城の被災者が「福島の被災者は原発事故の影響も加わって自分たちよりも大変なんだ」と思ったことを想起させました。
今回ロンボク島も訪れてみて、表面上の明るさの陰で、被災者の地震への恐怖や将来への不安が強くある様子がうかがえました。仮設住宅の建設など生活を取り戻す過程は始まっていますが、急ピッチで復興が進んでいる、というようなものではないという印象でした。
それでもなお、ロンボクでは「自分で何とかしていく」という態度を見ることができました。自分たちの村を自分たちでなんとかするっきゃない!という、いい意味での開き直りというか、援助を待ち続けるという態度はほとんど見られなかったのが印象的でした。
よりどりインドネシアに「ロンボクだより」を連載してくださっている岡本みどりさんのお宅も訪ねました。可愛いお嬢さんにも遊んでもらえました。
岡本さんの周りのおじさんやおばさんたちは、皆さん、互いに笑い、話をすることで、気を紛らせ、やるべきことをやれる範囲でやるという、当たり前の態度で日々の生活を少しずつでも取り戻していこうとしていました。そんな人たちに温かく囲まれながら、岡本さんも、周りの皆さんの生きる力を感じていらっしゃるのだろうなと思いました。
マカッサルで仲間と話し合ったときに出てきた大事な言葉が、「生きる力」でした。
「生きる力」を持っている人々や社会は、再生への強さを内に秘めているのだと思います。それを肯定するような、「生きる力」を強くしていけるような、被災地や被災者へのリスペクトやポジティブな働きかけを、外部者としての私たちは適切に行なって行けるとよいな、と思いました。
そして「生きる力」とそれを強くしていけるようなプラスの働きかけは、今の日本にとっても必要なことでもあるのだ、と感じるのです。

未来の祀りカフェで熊本と福島を結ぶ

先週は体調がすぐれず、昼間でも寝たり起きたりの毎日でしたが、何とかしのぎ、2月17日、フォーラム福島で開催された、第4回未来の祀りカフェ「めぐる春の祈り 〜熊本のいま、ふくしまのいま〜」に参加しました。

一連の「未来の祀りふくしま」の活動については、以下のページをご覧ください。

 未来の祀り ふくしま 2017

2016年4月14日に熊本で起こった連続地震。福島や東北からもたくさんのボランティアが駆けつけました。そして1年経った現地を、未来の祀りカフェを主宰する福島の詩人・和合亮一さんが訪れ、イベントで連帯を示したことが、今回の第4回カフェのきっかけとなったようです。

以下に、新聞記事が出ています。

 福島民報:福島と熊本復興へ前進誓う 未来の祀りカフェ
 福島民友:福島と熊本の復興願う 和合亮一さんら「未来の祈りカフェ」
 熊本日日新聞:被災復興の「今」語る 南阿蘇村の観光業者ら福島でイベント出演

カフェには、映像などで熊本の復興を支援する西村元晴さん、南阿蘇観光復興プロジェクト交流協議会やつなぐ・つながる南阿蘇未来会議の皆さんが駆けつけたほか、地元・福島の土湯温泉の旅館若手経営者でつくる「ふくしま若旦那プロジェクト」の渡邉利生さんも出席、そして、シンガーソングライターの小室等さん・こむろゆいさんもいらっしゃいました。大御所の小室等さんを生で初めて見ることができました!

第1部では、南阿蘇での復興に関連したショートフィルムが3本上映され、それを基に、和合さんの司会で、出席者がトークを行いました。第2部では、熊本で和合さんが読んだ詩に小室さんが曲をつけた作品など、トークを交えながら3曲が歌われました。

会の趣旨としては、震災に見舞われた熊本と福島との間での連帯と交流をこれからも進めていくという面のほかに、両者が迎えているいろんな意味で同じような現状にある、という意識を持っていることの確認の意味がありました。

あの時のことを決して忘れないということ。それを基盤として、当事者意識を持ちながら、子供や孫により良い未来を残せるように、身近なところからできる範囲で活動していくこと。まだまだ苦しくとも、よろよろしながらも、一歩ずつ前へ進んでいくこと。

震災から時が経つにつれ、まだまだ日常を取り戻したとは言い切れないままではあっても、福島が福島のためだけでなく、熊本を含む他者へも思いを馳せ、つながっていこうとすること。もしかしたら、それは、福島がこれから積極的にやっていかなければならないことなのかもしれません。

イベントに参加しながら、私の熊本がらみの友人や知人の顔が思い浮かんできました。

そう、あの地震が起こる前、南阿蘇とインドネシアの東ロンボクとをつなげてみたいと、思っていました。阿蘇山に抱かれた南阿蘇、リンジャニ山に抱かれた東ロンボクの特にセンバルン地区。観光と農業に生きるこれら2つの地域を、いつかつなげて新しい動きを作ってみたい、と。今でもまだ、それを捨てずにいます。

今回のイベントには、マカッサル時代からの友人で、マカッサル国際作家フェスティバルを主宰しているリリ・ユリアンティさんも連れて行きました。彼女もまた、熊本と福島との連帯を深めるこのイベントをとても嬉しく感じていたようでした。

そして、今や、こうした連帯やつながりは、国家の枠を軽く越えて、どんどん進んでいくものなのだとも強く思うのでした。

左から筆者、リリさん、和合さん、落合さん、森さん。

リリさんは、今年5月2〜5日に開催するマカッサル国際作家フェスティバル(MIWF 2018)で福島に関する特別セッションを計画しており、もちろん、私もそれに関わります。様々な条件が叶えば、福島から和合亮一さんをマカッサルへ招聘することを計画しています。できれば、その後、マカッサルからも福島へ文学関係者を招聘したいと考えています。

次は、福島とマカッサルをつなげます。お楽しみに。

トウガラシの花、ジャガイモの花

インドネシア・東ロンボク県センバルン郡の野菜畑を歩きながら、出会ったのは野菜だけでなく、野菜の花たちでした。

トウガラシの花を初めて見ました。小さな白い花でした。

あまり目立たない、白い色の控えめな佇まいでした。質素な感じもします。

周りは、見渡す限りのトウガラシ畑。そういえば、トウガラシのことをロンボクともいうのです。ロンボク島はトウガラシの島、なのです。

続いて、ジャガイモの花。

あの不恰好な形のジャガイモからは想像もつかない、素敵な花でした。

このジャガイモ畑から獲れるジャガイモは、インドネシアの食品大手企業との契約栽培です。かつてはニンニクの第産地として名高かったセンバルン郡でしたが、政府によるニンニク輸入拡大政策の影響で、ニンニクから他作物への転作が必要になったとき、転作作物として、東ロンボク県政府が食品大手企業とのジャガイモの契約栽培の話を持ってきたそうです。

それにしても、こうした花が咲くからこそ、実がなるのだ、という当たり前のことに気づかされます。そう思うと、野菜の花の可憐さが愛おしく感じられます。

今週は、とにかく報告書原稿を仕上げなければなりません。そんな合間に、こんなブログも書いてみたくなります。

センバルンの夜は寒かった

東ロンボク県のセンバルンは、このブログでも取り上げたように、標高1000メートル以上の高原に立地しています。高原野菜の産地で、あらゆる野菜が栽培されています。

とくに盛んなのは、トウガラシ、ジャガイモ、シャロット(赤ワケギ)、ニンニク、キャベツ、レタス、ナス、トマト、ブロッコリー、スイートコーンなどの野菜。イチゴ、メロン、オレンジなどの果物。

メロンとスイートコーンは、BSDのイオンモールで売られていますので、きっと見たことのある方も多いことでしょう。センバルン産とはどこにも書いてありませんけれども。

センバルンは、リンジャニ山への登山口でもあり、土日ともなると、登山の観光客などで賑わいます。観光客が帰る前に、畑へ行くと、実は、そこで野菜や果物を直接買うことができるのです(土日のみ)。

畑への入場料として15,000ルピアを払い、好きなだけ摘み取って、キロ当たりいくらで買うことができます。観光農園ではないのですが、フツーの畑でそれをやっています。

センバルンの農地は火山灰土で水はけが良く、土中に病原菌がないというニュージーランドの専門家の調査があるようです。ジャガイモもニンニクも、インドネシア各地で病気にやられていたときに、センバルンでは病気が発生しなかったということです。

ジャガイモの大半は大手食品メーカーのインドフードと契約栽培していますが、インドフードはこの病気フリーのジャガイモというところに目をつけたものと思われます。

畑地では、次々に栽培する作物を変えながら連作障害を避ける工夫をしています。

もっとも、有機栽培というわけではなく、化学肥料をけっこう使用していました。かつては肥料も農薬も使わなかった、ということなのですが。

それはそうと、今回は、初めてセンバルンに泊まりました。センバルンには、何軒か宿泊できる宿があり、意外に清潔で新しいところがあります。私が泊まったのは、Pesona Rinjaniという宿で、コテージで1泊50万ルピアでした。

宿の前には広い敷地があり、コテージがいっぱいになると、そこにテントを張ってお客さんに泊まってもらうこともあるのだそうです。

宿の目の前には、リンジャニ山がドーンとそびえていて、雄大な眺めです。

しかし、センバルンの夜を侮っていました。夜の気温は、おそらく10度前後まで下がり、部屋にある毛布1枚ではとても寒い。長袖のウィンドブレーカーを着ていても、夜風が冷たく、寒くて仕方ありませんでした。

お連れした兵庫県の方々も、「まさかロンボクでクーラーなしでもこんな寒い経験をするとは思わなかった」と言っておられました(怒っていたわけではないので助かりましたが・・・)。

そして、朝8時過ぎになると、急速に気温が上がり、汗ばんできます。この昼夜の気温の差がまた野菜栽培に適しているのかもしれません。

インドネシアで涼を求める方には、センバルンでの宿泊をお勧めします。ただし、寝袋や温かいオーバーなどを忘れずに。

今年2回目のセンバルン訪問

リンジャニ山の東側に広がるセンバルン地区。今回は2回目の訪問でした。

標高1000メートル以上の高原地帯で、涼しい気候を利用した高原野菜・果樹栽培が盛んです。肥沃な火山灰土のおかげで、ほとんどの種類の野菜を作ることができ、しかも、病気フリー。それに目をつけたインドフードなどの大企業が契約栽培を手広く行っています。

ここで栽培されたメロンは、ジャカルタ近郊のイオンモールでも販売されているとか。甘い、です。

酸っぱくないイチゴ、甘さはイマイチですが。アメリカ原産の苗で栽培。

センバルンは、リンジャニ山へ登る登山者たちの中継地点でもあり、土日ともなると、登山を終えた人々が帰る前に畑に寄って、直接、野菜や果物を買う光景も見られるといいます。そうした畑では、入場料1万ルピアを払ってもらい、自分で摘んでキロ単位いくらで購入し、お土産にするのだそうです。

センバルンで宿泊できるゲストハウスのようなところがいくつかあります。設備の面からはホテル並みとは言えませんし、Wifiがあるわけでもないのですが、意外にとt乗っている印象でした。最近できた小ホテルの部屋はこんな感じです。

まだまだ設備は貧弱ですが、あと10年もすると、ゲストハウスがたくさん道沿いに現れていくのでしょうか。

東ロンボク県の県都セロンからセンバルンへ向かう途中に、ロンボク植物園の看板があります。この植物園は国立ではなく、東ロンボク県政府が音頭をとって、小スンダ列島の植生を研究するセンターとして育てたい意向です。開業は2017年です。