【スラバヤの風-32】トロヤ・カフェに集う若者たち

数か月前、知り合いの若者から「カフェを開いた」との知らせが届いた。場所は、スラバヤ市の中心部にあるロイヤル・プラザという、ちょっと古めのショッピングモールから歩いて数分のところ。ふらっと散歩がてら、その「トロヤ・カフェ」へ行ってみた。

ちょっと広めの庭のある普通の民家を使い、その屋外に机と椅子を出してカフェにしている。民家の一階は映画や音楽のDVDやCDをレンタルしたり販売したりするスペースになっている。カフェで飲むコーヒーは1杯5,000ルピア(約45円)、ネスカフェでなく、ちゃんと粉に挽いてお湯を足し、上澄みを飲むインドネシア式のコーヒーが飲める。

このリラックスした空間に様々な若者たちが集まってくる。学生、アニメーション制作者、音楽家、日本オタク、NGO活動家などのほか、「アヨ・レック」という街歩きを通じてスラバヤを記録に残すグループなども集まって、自由闊達に情報交換や談笑をしている。

トロヤ・カフェでは、定期的に様々なミニ・イベントも開催される。よく行われているのは、昔のスラバヤを題材にした映画の上映会や新刊書の出版発表会などである。映画が上映できる部屋の収容人数は約30人であり、イベントは小ぢんまりと行われている。

ここはスラバヤの有名なカフェではない。午後のお茶を静かに楽しむような冷房の効いた空間でもない。いつも若者たちが集まって、ガヤガヤと談笑する空間である。儲け主義に走る様子は全くなく、ただ単に、若者たちが集い、新しい何かを生み出すきっかけを作る場になっている。ここに来た者は誰でもその輪に入ることができる空間である。

数は少ないが、スラバヤにはこうした空間がいくつかある。特筆すべきは、歴史的建造物でもあるインドネシア銀行スラバヤ支店図書館がそうした空間を提供していることである。スラバヤの歴史についてのセミナーや小学生向けの講習会などが頻繁に開催される。

都市では、こうしたゆるい公共空間が住民主体の様々な文化活動を生み出す場となる。筆者は、マカッサルに住んだ際、自宅をささやかな公共空間として提供した経験を持つが、そこから地元の若者グループが育ち、今も活動を継続・発展させているのが嬉しい。

偶然にも、「アヨ・レック」などスラバヤでの若者の活動が、マカッサルでの若者の活動から影響を受けていることを後で知った。トロヤ・カフェに集う若者たちにマカッサルの若者たちの姿をダブらせている。

 

(2014年9月5日執筆)

 

【スラバヤの風-31】ジャワ以外の資源依存成長に陰り

2014年のインドネシアの経済成長率は、2013年を下回る5.5%前後と予想される。しかし、2014年第1四半期が5.21%、同第2四半期が5.12%に留まったことから、10月に発足する新政権のもとで、年後半にどれだけ挽回できるかが注目されるところである。

ところで、中銀は地域別の経済状況を四半期ごとに報告書として発表している。これを見ると、地域別の経済成長の色合いが2013年と2014年ではかなり異なりそうである。

2013年までの数年間で最も成長率が高かったのは、実はジャワではなく、ジャワ島の外にあるスラウェシ、マルク、パプアを含むインドネシア東部地域であった。ジャワの6%前後に対して、東部地域は9%近い成長率を達成していた。スラバヤの華人実業家の間でも、東部地域のビジネス・チャンスが熱っぽく語られていたものだった。

しかし、2014年になると様相が変わる。中銀によると、東部地域の成長率は6%台へ大きく落ち込む見込みである。ちなみに、ジャワの成長率も5%台半ばへ下がるが、東部地域ほどの落ち込みではない。ただし、東部地域を細かく見ると、中スラウェシ、パプア、西ヌサトゥンガラなど、特定の州のみが大きく落ち込みそうなのである。

それらの州は、いずれも鉱産物の産出州である。国際市況の軟化に加え、インドネシア政府による未加工鉱石輸出禁止の影響がすぐに反映され、外資系鉱山会社などの生産が大きく低下することが予想される。なかでも、西ヌサトゥンガラは2014年にマイナス成長となる可能性さえ指摘されている。

石炭輸出の中心であるカリマンタンは、ここ数年、国内で最も低い3.5%前後の成長率に留まっている。最大の輸入国である中国での石炭需要の減少により、大きな伸びが期待できなくなっているためである。スマトラも5%前後の成長率で、オイルパームの国際市況の影響を受けている。

ジャワ以外の地域経済は資源に依存している。これまでは比較的国際市況が好調だったため、東部地域などジャワ以外はその恩恵を受け、輸出好調が国際収支を黒字基調とした。そして、そのために製錬などへの転換が遅れた。ジャワでは輸入依存が進み、付加価値の高い製造業への転換が進まなかった。

2014年は、ジャワ以外の落ち込みをジャワが支える構図へ状況が変化した。未加工鉱石輸出禁止・製錬化を進めるとともに、ジャワでの製造業の競争力強化が待ったなしとなっている。その陰で、ジャワ以外の資源依存経済の回復はしばらく置き去りにされる可能性がある。

 

(2014年8月22日執筆)

 

ジャカルタで福島の桃と梨に出会う

9月3日、福島の桃と梨のプロモーション・イベントがジャカルタであるというので、物見遊山的に行ってきた。前日、友人のフェイスブックに情報が載っていたので、「地元出身者としては、これは行かずにはいられない」と行ってきた次第である。

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知人の加藤ひろあきさんの手慣れたバイリンガルMCで、イベントはつつがなく進んでいく。プレゼンはちょっと専門的で細かったかなという印象だが、福島県庁やJA新福島の方々が、実際に持ってきた桃や梨を手に、一生懸命プロモーションしている姿が嬉しかった。口下手でお人よしの福島人は、何かを売り込むときの押しの強さが今ひとつ、なので。

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第2部に移ると、ジャカルタの日本料理店・鳳月の高井料理長が、巧みな語りを入れながら、福島の桃や梨を素材にした素敵なデザートを作っていく。そこには、素材への慈しみが感じられ、きっと、福島の桃も梨も、彼に慈しまれて幸せなのではないか、なんて思ってしまうのであった。

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いくつかのデザート、そして、何よりもはるばる福島からやってきた桃たちや梨たちに、ジャカルタで会えるなんて、本当にありがたく、幸せな気分だった。

このイベントには、インドネシアで最も有名な料理研究家であるウィリアム・ウォンソ氏も出席していたので、名刺交換をして、お知り合いになっていただいた。彼は、プレゼンのときから熱心に説明を聞き、実際に福島の桃と梨を食し、その美味しさに驚嘆していた。

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この桃と梨、ジャカルタの高級スーパーであるランチマーケットで9月半ばまで販売されるとのこと。桃や梨という、インドネシアではあまり馴染みのない果物がどのようにマーケットに受け入れられるのか。おそらく、生食のほか、洋菓子などの素材としても注目されるかもしれない。

豊かになってきたインドネシアでは、シェフやパティシエになりたい若者が増えてくると予想される。日本では考えもつかないような、斬新な発想で、福島の桃や梨を使った一品が現れると面白い。

福島人としては、桃や梨に日本の他の生産地との違いを明確に出す戦略が取れればと思うが、それをどのように進めていけばよいのか。桃太郎といえば岡山、のような何かが欲しい。うーん、それは、福島県庁の方やJA新福島の方といろいろ楽しく考えてみたい。

と言いつつ、9月8日に帰国して、今は日本。

 

日系企業でワークショップ実施

一週間前になるが、9月2日、ジャカルタから少し離れた日系企業で、インドネシア人従業員を対象にした1日ワークショップを実施した。

参加したのは、同企業のスーパーバイザークラスの中堅職員24名。同社の日本人幹部からは、近い将来、日本人職員に代わって会社の中核を担ってもらいたい人材である。

今回のワークショップでは、会社経営の観点から自分たちは何をすべきか、それをどう行っていくかというテーマで進めた。

いつものように、会社のなかのよい点とよくない点を挙げてもらって、取り組むべき課題を明らかにしたうえで、その課題解決のために何をするかを具体的に議論する方向で進めようとした。

ところが・・・。というか、予想どおり・・・。

よくない点を挙げてもらったら、結局、会社への不平・不満が噴出した。そのほとんどは、日本人職員の存在に対する不満であった。

しかし、ちょっと議論を促すと、果たしてそうした日本人への不平・不満が事実に基づいたものであるのか、単なる彼らの思い込みによるものなのではないか、ということに参加者が気がついた。彼らが良くないと考える根本が事実でなかったら・・・。そして、事実かどうかを確かめるためには、日本人側とのコミュニケーションを取らなければならないことに気がついた。

ではどうするか。日本人側への要求ではなく、自分たちがどうするか。それを議論してもらった。その結果、彼らは一つのあるプロポーザル案を作り始め、それを人事部を通じて日本人幹部へ提出することになった。

ずいぶんと議論し、整然としたワークショップにはならなかったが、彼ら自身が自分たちで考えたこの時点でのプロポーザル案をまとめられたことで、ワークショップとしての一つの形を保つことができた。

後は、彼らのプロポーザルが社内でどう扱われるか、である。個人的に楽しみである。

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Dari K カカオ農園ツアーに同行

8月22〜27日、京都のチョコレート会社であるDari K主催のカカオ農園ツアーに同行した。日本からの参加者は45名、2台のバスに分乗して、南スラウェシ州マカッサルを出発し、Dari Kの提携カカオ農家のある西スラウェシ州ポレワリ県へ向かった。

ポレワリ県では、カカオ農園を訪問して苗木を植樹したり、カカオの実を割って中の果肉を味わったり、カカオ農家から栽培の苦労談を聞いたりした。また、カカオの接ぎ木の仕方、カカオの発酵や天日干しの様子、集荷と分別の作業、農家と商人との取引状況なども観察した。

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カカオの実を取った残り滓(カカオポッド)を利用したバイオガス発生装置も見学し、今後はバイオガスから電気を作り、チョコレート製造機械やカカオ農家へ配電する計画がある。

ほかにも、カカオ農家のお宅で心づくしの食事を振る舞われ、郷土菓子作りの体験もあった。

島まで渡って海遊びもした。

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地元の郷土芸能「踊る馬」に参加者の女性6人が挑戦したり、伝統楽器の体験・演奏もあった。

ポレワリ県にとっては、外国人観光客が一度にこんなに大勢で来ることは滅多になく、県観光局を中心に県をあげての歓待となった。

ポレワリ県からマカッサルへ戻り、マカッサルの夕日を拝むことができた。

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通訳兼コーディネーター役を担った同行で、最後には声が枯れてしまったが、このツアーが今後一層中身の濃いものとなるための材料も色々と得ることができた。

日本のチョコレート愛好者たちが原材料のカカオを作る農家を訪ねる旅は、参加者にとってチョコレートやカカオをより深く知る機会となった一方、カカオ農家にとっても、日本からお客さんが来ることで、自分たちのカカオが美味しいチョコレートになることを改めて感じて、質の良いカカオ作りに意欲が湧く、という話があった。生産者と消費者の信頼関係は、国を超えてもしっかり作ることができる可能性を強く感じた。

45人の参加者の満足度が気になるところだが、彼らは自ら「ダリケーキラキラチョコ大使」を名乗り、ツアーの経験とDari Kの良さを発信する役目を果たすと勝手に動き始めた。

次回のツアーは、さらにパワーアップした内容で臨みたいと今からワクワクしている。興味のある方は、是非、次回のツアーへご参加を。

 

Kemerdekaan Ada di dalam Diri Kita Sendiri

DIRGAHAYU INDONESIA Ke-70. Selamat Hari Kemerdekaan Indonesia.

Pada 70 tahun yang lalu, atas nama Bung Soekarno dan Bung Hatta, kemerdekaan Republik Indonesia dinyatakan. Kemerdekaan dari penjajahan militer Jepang.

Namun, Republik Indonesia harus mengalami perjuangan keras untuk terus mewujudkan kemerdekaan riil selama 4 tahun lebih dengan perang dengan pihak Sekutu setelah pernyataan kemerdekaan pada tanggal 17 Agustus 1945.

Saya menghormati perjuangan tersebut dan menghargai masyarakat Indonesia yang mewujudkan kemerdekaan Republik Indonesia dengan kekuatan sendiri. Benar, kebangaan masyarakat Indonesia terhadap Republik Indonesia begitu kuat.

70 tahun berlalu. Republik Indonesia sudah diakui sebagai negara terbesar di Asia Tenggara dan pemimpin ASEAN. Republik Indonesia berhasil berubah dirinya ke negara demokrasi dari rejim Orde Baru.

Bahkan, Republik Indonesia tetap menjaga Bhineka Tunggal Ika atau persatuan di dalam keanekaragaman. Ada kehormatan terhadap perbedaan dan keanekaragaman. Mestinya Indonesia menjadi contoh untuk dunia yang menghadapi berbagai konflik antara perbedaan dan sulit hidup bersama antara berbagai suku, agama, dan perbedaan.

Tentu saja, ini juga untuk Jepang yang negara satu suku bangsa dan belum biasa menghadapi orang asing yang berbeda dengan masyarakat Jepang. Jepang harus belajar Bhineka Tunggal Ika dari Indonesia untuk mewujudkan perdamaian di Jepang, Asia dan dimana-mana di dunia.

Dengan mengingat Perang Dunia Dua, meskipun belum lahir tapi dengan belajar dari berbagai pihak, masyarakat Jepang masih tetap berusaha ingat apa yang terjadi di dalam Perang Dunia Dua. Kami tidak bisa membenarkan apa pun yang terjadi pada waktu itu, termasuk penjajahan militer Jepang di wilayah Asia dan penjatuhan bom atom di Hiroshima dan Nagasaki atau pemboman sembarangan oleh Sekutu terhadap berbagai kota-kota di Jepang termasuk Tokyo. Kami menghadapi suara-suara musibah perang atau keluarganya.

Siapa yang masih menginginkan ada perang? Saya yakin dan ingin yakin satu orang pun tidak ada yang ingin perang. Mungkin industri alat-alat senjata masih mau ada kesempatan untuk menggunakan produk mereka. Semoga produk ini tidak perlu diproduksi lagi.

Dalam peringatan kemerdekaan 70 tahun Republik Indonesia ini, kita coba retropeksi arti kemerdekaan. Kemerdekaan merupakan kebebasan diri dari penjajah. Berdiri sendiri. Namun, ini tidak berarti semua dilakukan dengan sendiri. Tidak berarti tidak bergaul dengan pihak luar. Kemerdekaan bukan putus hubungan dengan luar. Bukan bersikap eksklusif.

 

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Kalangan masyarakat Jepang saat ini mulai merasa agak dingin dari Republik Indonesia. Misalnya, pengambilan visa untuk orang asing diperketat maka banyak yang putus asa berbisnis di Indonesia. Ada juga teman saya orang Jepang yang dikunjungi oleh beberapa oknum ‘imigrasi’ ke apartemennya pada tengah malam, paksa dibangungkan, lalu mereka periksa pasopor dan visa dia. Tentu saja dia memiliki izin tinggal secara resmi dan merasa was-was. Rajin sekali kerja pengawai jika oknum benar-benar pengawai ‘imigrasi’.

Cerita seperti ini sudah menyebar di kalangan masyarakat Jepang dan banyak pengusaha agak takut berbisnis di Indonesia. Imeji Indonesia saat ini memburuk. Sayang sekali.

Saya tidak mau mengatakan bahwa contoh seperti ini merupakan fenomena ‘kemerdekaan’ Indonesia. Sering dengar bahwa orang asing datang ke Indonesia untuk menguasai ekonomi dan menjajah lagi. Saya merasa sedih. Perasaan zaman kolonial masih kental. Tidak ada pengusaha Jepang yang menjajah kembali Indonesia, hanya mereka mau berbisnis di Indonesia.

Mengapa kami selalu dicuriga? Saya dengar sebagian besar orang Jepang di Indonesia berusaha mengikuti hukum dan aturan Republik Indonesia dan tidak mau lupa bayar pajak yang diwajibkan. Apalagi, jika diminta uang dari pihak oknum, mereka sering bayarnya karena takut dihukum atau dideportasi ke luar Indonesia. Kenapa yang jujur menjadi sasaran oleh oknum? Atau karena jujur jadi sasaran?

Ada yang bilang bahwa Republik Indonesia hanya butuh uang dan dana dari luar tapi tidak perlu orang asing. Presiden Jokowi mempromosi dan investasi dari luar negeri. Tetapi, pengambilan visa untuk orang asing diperketat dan makin uncul aturan yang membatasi aktivitas orang asing di Indonesia. Turis orang asing saja yang diwelcome oleh Indonesia, bukan?

Saya merasa ada suatu keinginan eksklusif Indonesia terhadap pihak luar. Semua orang tahu bahwa manusia siapa pun atau negara mana pun tidak mungkin hidup sendiri saja. Mengapa masih kental rasa curiga terhadap pihak luar oleh Indonesia? Tidak mungkin kami menjajah Indonesia lagi. Pengusaha Jepang diijinkan berbisnis di Indonesia. Maka mereka selalu bersyukur Tuhan dan berkarya untuk win-win antara Indonesia dan Jepang. Tetapi masih tetap dicurigai. Memang, pasti ada juga orang asing yang jahat, seperti ada orang Indonesia yang jahat juga.

Apakah orang asing termasuk kami semuanya orang jahat? Mengapa masih takut terhadap orang asing? Warga asing yang menaati hukum dan aturan Indonesia pun sulit merasa hidup aman di Indonesia jika was-was terhadap kemungkinan ada oknum imigrasi tiba-tiba datang pada tengah malam.

 

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Kemerdekaan negara mestinya terdiri dari kemerdekaan masyarakat pribadi masing-masing. Kemerdekaan pribadi masing-masing berdasar dari kedaulatan, kemandirian, dan kepercayaan diri masing-masing. Ini diciptakan oleh berpikir dan menentukan sendiri dengan berbagai pertimbangan. Pertimbangan berdasar dari pembacaan buku/tulisan, diskusi dengan orang lain, atau pengalaman lain-lain oleh sendiri.

Pribadi yang kokoh. Pribadi yang bertanggungjawab sendiri terhadap apa yang dia lakukan. Dan, pribadi yang menghormati dan respek keberadaan, perbedaan, dan kehidupan orang lain.

Republik Indonesia sudah menikmati kemerdekaan selama 70 tahun. Untuk memperkuat kemerdekaan tersebut, kemerdekaan kita masing-masing juga perlu diperkuat. Kemerdekaan ada di dalam kita sendiri. Ini bukan untuk masyarakat Indonesia saja, tetapi juga untuk masyarakat Jepang dan masyarakat dimana saja senagai seorang manusia yang hidup bersama.

DIRGAHAYU INDONESIA ke-70 ! Semoga Indonesia maju terus dan persahabatan kita berkembang terus !

 

【ビジネス】インドネシア地場リース会社が日系の合弁相手を探しています

インドネシアに多数の支店を持つ地場リース会社が日本企業との合弁の可能性を探っています。

ご興味のある方は、私宛にメール、ツイッターダイレクトメッセージ、Facebookメッセージ、またはLinkedinメッセージにてお知らせください。

なお、インドネシアの2014年投資ネガティブリストによると、リース業については外資が最大85%の株式を所有することが認められています。

2014年投資ネガティブリスト(JETRO訳の日本語版PDF)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第134回 断食明け大祭の朝、パプアで暴動(2015年7月23日)

1ヵ月間の断食期間(プアサ)が明けた翌朝のイード礼拝は、日本で言えば年越し後の初詣に当たる神聖な祈りの儀式で、通常は屋外で行われる。パプア州トリカラ県の県都カルバガに住むイスラム教徒は7月17日朝、このイード礼拝を妨げられた。

トリカラ県のあるパプア州の高地はキリスト教徒が多数を占める。トリカラ県では同県キリスト教団のセミナーが7月15〜20日に開催されており、キリスト教団はイード礼拝がセミナーに支障を与えないよう求めた。当初はイード礼拝自体に難色を示したが、「拡声器を使わない」「イード礼拝をモスクの屋内で行う」との条件をイスラム教徒側に求め、キリスト教団によれば、イスラム教徒側はそれを了承したとされる。

しかし当日、イスラム教徒側はその条件を守らず、イード礼拝を屋外で挙行し、拡声器も使ったらしい。イスラム教徒側によれば、怒った群衆がイード礼拝会場へ押し寄せてモスクに火を放ったとされる。一方、キリスト教団側は、条件を守らないことに抗議する地元民へ警察が発砲し、死者1人、重軽傷者10数人が出た。それに怒った群衆が商店や家屋へ放火し、それがモスクに延焼したという。ともかく、神聖なイード礼拝は妨げられた。

この事件に対して、全国のイスラム教徒は神聖な宗教行為への侵害だとして、異宗教への不寛容に対する批判が一斉に巻き起こった。一方、キリスト教団側はモスクが焼かれたことを謝罪する一方、その引き金になった警察による国家権力の乱用を批判した。パプアの中央への不信感が表出した形である。国家警察は真相究明に乗り出すことを約束した。

実は、トリカラ県では2012年、県知事選挙に立候補した前知事派と当選した現知事派との間で死者の出る激しい抗争があり、商店や家屋のほか前知事宅も焼かれた。パプア州知事の仲介で両者は和解したが、両者の対立は今も根強く残る。次の県知事選挙を控え、今回の暴動の背後に前知事派と現知事派との抗争が反映されている可能性もある。

 

六本木に登場したMIE BAKSOへ行ってみた

8月11日、東京・六本木に登場したMIE BAKSOへ友人とランチに行ってきた。「本場インドネシア屋台料理」と銘打っているが、Mie Baksoはインドネシアの定番軽食なのだ。

インドネシア語でMieは麺、Baksoは肉団子、Mie Baksoは肉団子そばのことである。これをBaksoと略すことも多いが、その場合の主役は麺ではなく肉団子である。

ジャカルタ周辺では、Baksoといえば、肉団子以外に小麦粉の麺とビーフンがちょろっと入っているものが普通だが、スラバヤやマカッサルでは、色んな種類のBaksoが入ったもので、麺は入らない。色んな種類のBaksoには、通常の硬めの肉団子、柔らかめの肉団子、肉団子付き豆腐など4〜5種類が入る。

マカッサルでは、Baksoとは別にNyuknyangという肉団子スープがあり、前述以外に揚げ肉団子も入り、スープが染みて絶妙の味となる。Nyuknyangには、豚肉の肉団子が入ることもよくある。

 

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さて、六本木のMie Baksoだが、基本料金は900円である。

食事はセルフサービス。まず、サラダを取る。これは後でトッピングにしても良い。次にBaksoはエビ団子、魚肉団子、鶏肉団子、牛肉団子の4種類で、基本料金に含まれるのはこのうちから選んだ2個まで。3個目からは1個100円で追加できる。

ほかに、味付け玉子などの追加トッピングをする場合は、基本料金にプラスされる。

次に麺。温かい麺か冷たい麺か尋ねられる。茹で加減は問われない。選んだBaksoをのせた麺が出てくる。これで、お会計。

主役は麺である。茹で具合はシコシコ感が残る日本のラーメンと同様の仕上がり。麺の入る器は大きなラーメン丼で、インドネシアでおなじみの「味の素」や「Sasa」のロゴの入った小ぶりの椀ではない。

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私は冷たい麺、友人は温かい麺をとった。味は美味しいが、やや辛味がある以外は、とくに特徴のある味ではない。インドネシアでMie Baksoをよく食べた人間からすると、麺がちょっと多い。麺とBaksoのバランスがよくない。冷たい麺にサラダを入れて食べてみたら、それはそれでけっこう美味しかった。

給仕をしてくれたお姉さんは、インドネシア人かと思ったらフィリピン人のとても気持ちのよい方だった。店は清潔で気持ちよい。トッピング名の表記の仕方などに改良の余地がありそうだ。

インドネシアの庶民の味Mie Baksoが日本の東京の六本木に来て、精一杯背伸びしているような印象を受けた。それはそれでいいんだけれども。

加えて欲しいのは次の二つ。まず、ハーフサイズのMie Bakso。台湾担仔麺のノリで、飲んだ後の締めにピッタリだろう。次に、麺なしのBaksoスープ。Baksoの種類を増やして、それに合うスープの味を研究してもらうといいかもしれない。これもソウルフードとして気軽に食べられるものになるといいなあ。

ともかく、この六本木風背伸びしたMie Baksoが、いつかジャカルタの高級ショッピングセンターなどへ逆輸入されると面白い。そのときには、Mie Bakso Roppongiとして、もっともっとカッコよく進化しているといいなあ。

 

【スラバヤの風-30】スマラン周辺に2つの工業団地建設

ジャカルタ周辺からの工場移転先として、全国で賃金が最も低い中ジャワ州が注目を集めて久しい。繊維、縫製、その他労働集約関連の工場移転が続いている。

たとえば2014年の同州での最低賃金を見ると、最も高いスマラン市でも142万3500ルピアであり、最も低いプルウォレジョ県(ジョグジャカルタ特別州の西隣)では910万ルピくアである。州内37県・市で最低賃金が100万ルピアに満たないのは9県あり、その多くは州の南部に分布している。

そして、単に賃金が安いだけでなく、労働争議がほとんど起こっていない点が特筆される。一般におとなしく従順な労働力で、現在でもジャカルタ周辺の工場労働者となって働いている者が少なくない。しかも手先の器用な若年女性労働力が多く、それを生かしたカツラ・付け睫毛生産の韓国系企業がプルバリンガ県に20社以上も進出している。

そんななか、州都スマラン周辺で大規模な工業団地建設が開始された。スマランの西のクンダル県に建設中のクンダル・インダストリアル・ パーク(以下「クンダル」)と、東のデマック県に建設中のサユン統合エコ・インダストリアル・パーク(以下「デマック」)である。

「クンダル」は、ブカシで工業団地を運営するジャバベカ社がシンガポール資本と組んで開発中で、全部完成すると2700ヘクタールとなる。スマラン市内のタンジュン・エマス港まで25キロと近いが、さらに工業団地と近接のクンダル港の開発も計画されている。また、許認可手続、労務サポート、警備、物流サービス、工業団地メンテナンスをワン・ストップ・サービスとして提供するとしている。

一方、「デマック」は、携帯電話やタブレットの輸入組立などで台頭したムガン・グループを中心とするジャテン・ランド社が、スマラン市内の既存の国営ジャヤクスマ工業団地と共同開発中で、全部完成すると1600ヘクタールとなる。現在は第1期として300ヘクタールを造成中で、2014年後半までに用地を整備し、2014年末には入居者が工場建設を開始、同時にガスや電力や用水を供給するインフラ整備を進める。

両者とも、スマラン市内から20キロ程度の距離に立地し、交通の便はよいが、近年は大型トラックなどによる渋滞も頻発している。

中ジャワ州知事は、日本企業の誘致を積極的に進めたい強い意向を持っているようである。これら2つの工業団地を始め、中ジャワ州へどれだけの日本企業が進出していくのか。インフラ整備の進行状況とともに、注目していきたいと思う。

 

(2014年8月10日執筆)

 

 

【スラバヤの風-29】大統領選挙とNU内部の分裂

東ジャワ州は、西ジャワ州に次ぐ全国第2位の3066万4958人の有権者を抱える大票田である。今回の大統領選挙では、これら2州の結果が勝敗を決するとも言われる。

東ジャワ州は、初代大統領スカルノの出生地ブリタールを含むことから、スカルノの娘メガワティが党首を務める闘争民主党(PDIP)の牙城である。他方、インドネシアで最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の本拠地であり、キアイと呼ばれる高僧を通じて農村に至る津々浦々へ影響力を誇る。大統領候補にとっては、NUの支持をどれだけ取れるかが勝敗の分かれ目となるが、そのNUが今回は事実上分裂した。

その要因は、NU関係者を主体とした民族覚醒党(PKB)の政治的駆け引きである。当初、PKBは元憲法裁判所長官のマフド、国民的人気ダンドゥット歌手のロマ・イラマ、元副大統領でNU重鎮のユスフ・カラを独自に大統領候補としていたが、PDIPと連立してジャカルタ首都特別州知事のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)を大統領候補とし、先の3名をジョコウィと組む副大統領候補とした。

ところが、最終段階でPKBのムハイミン党首が副大統領候補に名乗りを上げたことから、NU関係者の一部がムハイミンと彼の率いるPKBに反旗を翻した。結局、ジョコウィはユスフ・カラを副大統領候補としたが、副大統領候補になれなかったマフドとロマ・イラマは、傷心のなか、プラボウォ=ハッタ陣営へ寝返り、同選対の中心人物となった。

こうした経緯から、大統領候補支持に関するNU内部は分裂した。NUは組織として特定大統領候補を支持しないと言明したが、ムハイミンPKB党首のやり方に否定的なサイドNU議長はプラボウォ=ハッタ組への支持を表明し、各地のキアイへ影響を与えた。

実際、プラボウォ=ハッタ、ジョコウィ=カラの両陣営の草刈場となったのは、NU地盤のマドゥラ島や東ジャワ州北海岸部であり、ここで両陣営とも「キアイの支持を取り付けた」との報道合戦を繰り広げた。しかし、マドゥラ島パムカサン県出身のマフドの影響力は予想以上に大きかった。ジョコウィを誹謗・中傷するタブロイド紙『オボール・ラクヤット』、SMS、モスクでの説教などを通じて、地元出身の実力者マフドが選対を務めるプラボウォ=ハッタ組への支持が広まった。

スラバヤなどの都市部ではジョコウィ=カラ組が圧勝だが、NU地盤のマドゥラ島や東ジャワ州北海岸部ではむしろプラボウォ=ハッタ組が勝ちそうである。だが、そこでは騒乱の起こる可能性が高いとして、治安当局は厳戒態勢を敷いている。

 

(2014年7月12日執筆)

 

 

【スラバヤの風-28】スラバヤのゆるさ

先日、マカッサル出身の友人たちと都市のデザインについて議論をした。彼らは昨今のマカッサルでの無秩序な都市開発を批判する一方、その対比で、皆がみんな、スラバヤを賞賛するのである。そして、それは実行力のあるスラバヤのリスマ市長の功績という話に落ち着く。彼らと話をしながら一部は賛成しつつも、何となく違和感も抱いた。「スラバヤはゆるい」という印象を持っていたからである。

ちょうど2014年6月18日、予定よりも1日早く、東南アジア最大の売春街と言われたドリー地区の閉鎖をリスマ市長が強行したばかりであった。仕事を失った売春婦やウィスマと呼ばれる売春店には、賠償金とともに転職のための職業訓練などの機会が市政府から与えられたが、彼らのなかにはそれを拒否し、閉鎖に強く抗議して法的手段に訴えようとする者も少なくない。ムスリム人口が9割以上を占めるスラバヤにドリーが存在したこと自体、スラバヤのゆるさを象徴しているように思える。

ほかにも、たとえば、豚肉を出すレストランにムスリムの客がやってくる。もちろん、豚肉の食事を食べはしないが、豚以外のものは平気で食べている。通常、豚肉と同じ場所で調理された食事をムスリムは口にしないと聞いていたし、マカッサルでは実際その辺がかなり厳しかった。ビールを飲むムスリムもよく見かける。ミュージックパブに行くと、ジルバブを被った若い女性たちが退廃的とされるパンクロックをノリノリで聴いている。

その一方で、スラバヤ市は一般店でのアルコール飲料の販売を禁止したり、ドリーを閉鎖したりと、あたかも厳格なイスラム教の教えを適用するかのような政策を採る。ただ、よく見ると、アルコール飲料の販売禁止は、若者が密造酒をガブ飲みして死亡する事件が相次いでいたことが背景にある。ドリーの閉鎖も、宗教上の問題よりもそこで育つ子どもの将来を思うリスマ市長の真っ直ぐな気持ちが突き動かしたものだ。でも売春婦たちは別の形で残っていくだろう。ドリー閉鎖への反対運動は起こったが、ビール愛好家によるアルコール飲料販売禁止への反対運動も起こっていないし、ビールも普通に飲まれている。そのへんも何となくゆるく落ち着いているように見える。

環境先進都市を目指すスラバヤは、ゴミの少ないきれいな街と言われるが、実はゴミのポイ捨てをよく見かける。他の都市よりも頻繁に清掃しているからきれいなのであって、決して市民の意識が高まってゴミを捨てなくなったからではない。これもスラバヤのゆるさの別の側面と言えるかもしれない。

 

(2014年6月28日執筆)

 

 

【スラバヤの風-27】不動産を中心に変貌するマカッサル

先日、久しぶりにマカッサルへ行った。マカッサルはスラウェシ島唯一の人口100万人を超える都市で、南スラウェシ州の州都である。筆者は、これまでに合計8年半マカッサルに居住した。筆者にとってマカッサルは「故郷」のような大事な場所である。

この街の変貌は、行くたびに凄まじく感じる。南スラウェシ州の経済成長率はここ数年、7〜8%と全国の数字を大きく上回り、しかも州都マカッサルがそれを牽引している。なかでも不動産が活況で、地価は過去15年にわたって一本調子で上がり続けており、市の中心部の地価はジャカルタの一等地と遜色ないレベルの高さにまで跳ね上がった。

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1990年代にリッポー・グループが市西南部の海を埋め立てて開発したニュータウン「タンジュンブンガ」は、1998年の通貨危機の頃には閑古鳥が鳴いていたのに、今や最も人気の住宅地となった。リッポーはまた、市東部の高級住宅地パナクカン地区に高級コンドミニアム「セント・モリッツ」を建設中である。そこにはかつて、筆者も家族とよく行った会員制スポーツクラブがあったが、通貨危機の影響で倒産し、10年以上も放置されていた。

リッポーの競争相手であるチプトラ・グループは、パナクカン地区のさらに東の水田地域を買収し、高級住宅地「チトラランド」を開発した。この「チトラランド」は募集がかかったその日に全戸が売り切れた。また、リッポーと同じく、チプトラもパナクカン地区に高級コンドミニアムを建設した。これらの買い手には、地元だけでなく、スラウェシ、マルク、パプアなど東インドネシア地域の実業家や地方官僚などがかなりいると聞いた。

ホテルの建設ラッシュも尋常ではない。市内の至る所に3〜5つ星のホテルが建設中である。マカッサル市がMICE都市を目指していることや、州内や東インドネシア地域からの政府関係者の会議や研修をホテルで行う傾向が近年急増していることもあり、コンベンション施設や参加者の宿泊収容能力が急速に高まっている。この傾向はマカッサルだけでなく、どの州都でも見られ、いくつもの中級ホテルの全国チェーンが広がっている。

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マカッサルでは、通貨危機後から1階を店舗、2階を住宅にするルコと呼ばれる物件が市内のあちこちに乱立し、「ルコの町」という異名さえあった。今や、それにホテルやカフェが加わり、無秩序さに拍車がかかっている。 経済が上り坂の状況ではやむを得ないのかもしれないが、マカッサルはずいぶんとガサツな町へ変わってしまった観がある。街としての景観への配慮という点ではスラバヤを見習って欲しいが、もう手遅れかもしれない。

 

(2014年6月14日執筆)

 

 

【スラバヤの風-26】アイスクリームとブンクル公園

2014年5月11日朝、スラバヤ市内を行き交う人々は皆がみんな赤い服を着ている。シンボルカラーが赤の某政党のイベントか何かと思ったら、違った。赤い服を着て行くと無料でアイスがもらえるらしい。そんな噂を聞きつけた人々が、イベント会場となるブンクル公園を目指していた。スラバヤ市制721周年を記念して、ユニリバー社が自社アイスクリーム『ウォールズ』を無料配布するイベントが行われたのである。

しかし、予想以上に人が集まったため、主催者は赤い服でも『ウォールズ』のロゴを付けた者のみに配布すると急遽変更した。すると、アイスクリームをもらえない人々が怒り出した。彼らの怒りの矛先は、ブンクル公園やその周辺へ向けられ、あっという間に、大勢の人々によって花壇は荒らされ、草花は踏みつけられてしまった。

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ブンクル公園は、スラバヤ市が誇る名公園である。2013年12月、ブンクル公園は、福岡市に本拠のある国連ハビタットからアジア都市景観賞を受賞した。この賞はアジアの優れた建造物や街並みを表彰するもので、ブンクル公園は、草花のきれいな単なる公園にとどまらず、無線インターネット接続や免許証書き換え出張所など、複合的な機能を持つ公園として評価された。受賞は公園整備に費やした長年の努力の賜物であるが、それがわずか数時間のイベントで台無しになってしまったのである。

環境美化に取り組んできたスラバヤ市のリスマ市長は、メディアを前に、鬼のような形相で怒りを爆発させた。イベント終了後、すぐに主催者へ抗議し、裁判所を通じてユニリバー社へ損害賠償請求をすると息巻いた。そして、職員に予備の草花を至急用意させ、自ら率先して花壇の草花の植え替え作業に取り掛かった。ユニリバー社は正式に謝罪し、弁済費用を負担すると約束した。

このイベントは市長から正式許可を取っていなかったことが発覚し、主催者が主張する許可書の真偽が問われる事態となった。主催者は、州副知事が出席したことで、許可は問題ないと思い込んでいた様子である。

売春街ドリーの閉鎖や動物園管理などの問題を抱え、副市長を始めとする政治家や実業家からのリスマ市長への風当たりは益々強くなっている。彼らにとっては、リスマ市長の評判をどう落とすかが最大の関心事だろう。その意味で、今回のアイスクリーム騒動は、格好の契機となり得たかもしれないが、逆に、リスマ市長の不退転の姿勢がさらに強調される結果となった。

 

(2014年5月29日執筆)

 

[Kue Jepang] Komaru Furai dari Kyoto

Hari ini saya mengunjungi suatu perusahaan kecil, Kowa Kogyo, di Osaka, Jepang. Perusahaan Kowa Kogyo ini membuat mesin pembuatan kue, termasuk extruder yang bubuk apa pun menjadi kue yang kayaknya kerupuk.

Di perusahaan ini, saya menemu suatu kue Jepang yang bernama “Komaru Furai”, buatan Miyata Sweets Production Company in Kyoto. Miyata Company pakai mesin extruder buatan Kowa Kogyo.

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“Komaru Furai”. Enak sekali.

“Komaru Furai” ini sepertinya kerupuk lunak dengan kacang. Rasanya gurih dengan mentega dan kacangnya sedikit asin. Kombinasi kedua rasa ini sangat cocok.

Menurut Kowa Kogyo, tamu-tamu orang Indonesia suka makan “Komaru Furai” ini dan sulit berhenti makan ini. Maksudnya, mereka makan terus kue snak ini.

 

Saya yakin “Komaru Furai” ini pasti memuaskan lidah orang Indonesia.

Sayang, kue ini tidak dijual di toko-toko suvenir di Kyoto dan Osaka, tapi dijual di supermarket lokal biasa. Kue ini punya sejarah lama namun masyarakat Jepang mulai lupa keberadaannya.

Jika ada yang mau coba, silahkan kontak Miyata Company yang berikut ini.

 

Miyata Sweets Production Company: 16 Uzumasa-Morigamae cho, Ukyo-ku, Kyoto. Phone: +81-75-861-0924

 

【インドネシア政経ウォッチ】第133回 内閣改造に潜む様々な思惑(2015年7月9日)

6月末になって、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領周辺から内閣改造を示唆する発言が頻繁に聞かれるようになった。メディアによる世論調査で政権への支持率が35%前後へ落ち込み、ジョコウィ大統領が焦っている様子がうかがえる。

大統領の批判の矛先は経済閣僚に向けられた。通貨ルピアの下落が止まらず、物価上昇が続き、経済成長率が4%台へ低下して、国内の経済活動が減速し始めた。マクロで見れば、これは、中国の経済成長低下などによる世界的な景気後退の影響をインドネシアも受けているに過ぎないのだが、インドネシア国内での対策が遅れていることは否めない。

支持率の低下を背景に、ジョコウィ大統領は、何らかの成果とともに自身の指導力も国民に見せる必要があることだろう。各閣僚の実績評価に基づき、評価の低い閣僚を新閣僚に入れ替える内閣改造は、その格好の機会と言える。

もっとも、ジョコウィ大統領による各閣僚の実績評価が客観的かは疑問である。各政党や業界団体などは、気に入らない閣僚を落とすための情報リークとともに、自薦他薦の閣僚候補を大統領周辺にささやき始めている。

一例を挙げると、「大統領を無能呼ばわりした」との理由でリニ国営企業大臣の更迭が噂される。リニ大臣は国営企業幹部人事で自身に近い人物を配置したことで、それらポストを欲する与党各党などから痛烈に批判された。とくに、リニ大臣に近いとされた闘争民主党のメガワティ党首や他の党幹部は、彼女を裏切り者呼ばわりしている。

一方、闘争民主党など与党との軋轢に悩むジョコウィ大統領側には、野党から閣僚を入閣させて自身の政治基盤強化へ動き出そうという思惑もある。すでに、国民信託党や民主党などからの入閣を示唆し始めている。

ジョコウィ大統領が批判する経済閣僚にはプロフェッショナル出身者が多い。彼らが内閣改造で更迭されれば、プロフェッショナル重視の「働く内閣」の看板が色褪せ、政党以外の大統領支持者からの批判が高まることは間違いない。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第132回 ジャカルタで複数のLRT建設計画(2015年6月25日)

ジャカルタの渋滞解消のための次世代交通輸送システム(LRT)建設計画が、中央政府と州政府からそれぞれ発表された。

6月15日、国営建設会社アディカルヤ社が発表した計画は、第1期として東ブカシ〜チャワン〜クニンガン〜ドゥクアタス間とチャワン〜チブブール間を建設し、2018年開業を目指す。第1期工事の総工費は12.56兆ルピア(約1,170億円)である 。

その30%(3.77兆ルピア)を自社株で、2.09兆ルピアを2015年の新規株式発行で、1.68兆ルピアを政府資本注入または他のパートナーを組む国営企業から調達する。国営企業省はすでに1.4兆ルピアの政府資本注入に同意した。

一方、ジャカルタ首都特別州のアホック州知事は6月8日、州が計画するLRT7路線のうち、クラパガディン〜クバヨラン・ラマ間(1号線)建設のため、2015年度州補正予算から5,000億ルピアを投じることを明らかにした。

州のLRTは、ほかにタナアバン〜プロマス間、ジョグロ〜タナアバン間、クラパガディン〜プシン間、プシン〜スカルノハッタ空港間、チュンパカプティ〜アンチョル間など6路線が計画され、上記アディカルヤ社のLRTと接続する。

LRT建設計画で懸念されるのは、資金調達である。アディカルヤ社のLRT建設の資金計画では、まだ5.02兆ルピアの調達先が未公表である。国営企業省の支持を受けたが、運輸省が未承認のため、現時点では大統領まで上がっていない。

また、ジャカルタ首都特別州の計画でも、州議会への説明はこれからで、州予算で賄うにしても今後継続的に資金調達が可能かどうかは明らかではない。アディカルヤ社が州のLRT建設も担う可能性もある。

資金計画に不安を残すなかで、LRT事業に中国からの資金を活用する可能性が示唆されている。3月のジョコウィ大統領の訪中時に、国営企業が担うインフラ関連16事業へ中国開発銀行が238億ドルの融資を行うことに合意したが、アディカルヤ社はこの国営企業のなかに含まれている。

ジャカルタのLRT建設は本当に着工するのか。やはり中国に頼ることになるのか。

 

 

【スラバヤの風-25】国内唯一のリンゴの運命は?

寒冷な地方で育つリンゴが熱帯のインドネシアでも栽培されているのをご存知だろうか。国内で唯一、リンゴ栽培の行われているのが東ジャワ州バトゥ市周辺である。

バトゥ市は面積202平方キロメートル、人口約20万人。標高2000メートル以上の山々の裾に位置する、平均海抜827メートルの高原都市である。市内には洞窟、温泉、プール、動物園、観光農園、遊園地などのほか、ホテルや別荘が多数あり、週末や祝休日には多くの観光客が訪れる。その数は年間約300万人、国内有数の観光都市でもある。

バトゥ市は2001年にマラン県から分立した。このため、バトゥで栽培されるリンゴは、今も「マラン・リンゴ」(Apel Malang)と呼ばれることが多い。

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バトゥでリンゴが栽培され始めたのは植民地時代の1930年代で、涼しい気候に目をつけたオランダ人が苗木を持ち込んだ。その後、リンゴ栽培は拡大し、リンゴを使ったドドール(日本の羊羹に似た菓子)、クリピック(スナックせんべい)、リンゴ酢などが作られ、リンゴを自分で摘める観光農園も広がった。

しかし、1980年代頃から、他の果物や高原野菜、花卉など、より儲かる産品への転換が急速に進んだ。たとえば、ブミアジ郡では、最盛期に約300ヘクタールあったリンゴの栽培面積が今では60〜70ヘクタールへ減少し、ミカンへ15〜20ヘクタール、サトウキビへ約20ヘクタールと転換し、10年前から宅地化も進行した。

バトゥで栽培される野菜には有機肥料を使うのが一般的で、リンゴもそうだった。しかし成果が上がらず、リンゴだけは再び化学肥料へ戻ってしまった。リンゴの木は剪定されずに空高く伸び、果実は直径約5〜6センチと小さい。価格はキロ当たり2500ルピア(約22円)程度と安く、甘みが少ないため、質でも量でも輸入リンゴに対抗できない。

リンゴはもうダメだ、と地元の人は言う。大量のリンゴ輸入のせいだとする声もある。しかし、厳しい言い方をすれば、これは、付加価値を上げる栽培・加工上の工夫を追求できなかった結果である。国内唯一のリンゴは、果たして復活できるのだろうか。

 

(2014年5月10日執筆)

 

 

【スラバヤの風-24】出稼ぎ送り出し県からの脱却

中ジャワ州南部のウォノギリ県は、水が乏しく農業にあまり適さない山間部にあり、ジャワ島有数の貧困県と見なされてきた。多くのウォノギリ出身者が、以前から建設労働者や家事労働者として、その後は工場労働者として、ジャカルタなどへ出稼ぎに出ていた。ウォノギリ県の人口は120万人、そのうちの少なくとも2割が出稼ぎ人口である。今でも、ジャカルタとウォノギリとの間にはたくさんの直行バスが運行している。

この貧しい出稼ぎ送り出し県を、今では、毎日のように投資家が訪れている。とくに、韓国系ビジネスマンが熱心に通い詰める。ジャカルタ周辺の賃金高騰の影響で、繊維や縫製などの企業が中ジャワ州南部で工場移転の可能性を探っている。近くのボヨラリ県には、韓国政府の資金で繊維・縫製向けの工業団地の建設が始まっている。ボヨラリ県の2014年最低賃金(月額)は111万6000ルピア、ウォノギリ県のそれはさらに低い95万4000ルピアであり、これが投資家を工場移転に誘う要因となっている。

ウォノギリ県では、今年7月までに合板工場と女性下着工場が操業を開始する。いずれもインドネシア地場企業で、両工場を合わせて4100人の雇用機会が生まれる。このうち、700人がジャカルタでの出稼ぎから戻って就職すると見られる。加えて、韓国系の繊維工場やカバン製造工場がウォノギリ県への立地へ向けた最終段階に入っている。

ウォノギリ県ではダナル・ラフマント県知事が先頭になって動く。前述の女性下着工場の用地買収では、36人の地権者を説得し、わずか2週間で用地買収を成功させた。また、県知事自ら村々をまわり、工場で働く女性労働者の募集さえも行なった。

南海岸に建設されるセメント工場と合わせた港湾整備、複数の工業団地建設計画。出稼ぎ送り出し県からの脱却を熱く語る県知事の姿は、まさに、1970年代の日本の高度成長期、企業誘致にかけた地方の熱気を思い出させる。最貧県のイメージを一新するような変化がウォノギリ県で起こり始めている。

 

(2014年4月25日執筆)

 

【スラバヤの風-23】ムルヨアグン村のゴミ処理場

今日もまた、マラン県ムルヨアグン村へ視察者が訪れる。国内ばかりではなく、日本をはじめとする外国からも来る。目的地は、村の中心部からやや離れた、ムルヨアグン統合ゴミ処理場である。この処理場は地元住民グループによって管理運営されている。

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ムルヨアグン村のゴミ処理場

地元住民グループは2010年に結成された。ムルヨアグン村にはブランタス川水系の河川が流れており、それまで20年以上にわたり、1日当たり30立方メートルのゴミが投棄されてきた。2008年、当時の村長が一念発起し、「河川へのゴミ投棄をさせない」と宣言、2009年に住民全員を集めて土地利用計画を話し合って説き伏せた。住民グループ結成後、村は2,000平方メートルの土地を用意し、2010年12月までに国家予算や州予算などを使って処理場を建設し、2011年2月から運用を開始した。今や、広さは8,676平方メートルに拡張されている。

現在、この処理場では、1日当たり64立方メートルのゴミを処理している。これはムルヨアグン村の5,656家屋、7,600世帯のゴミに相当する。ゴミの内訳は無機ゴミが45%、有機ゴミが39%で、前者は、食べかすなどがアヒルや豚の餌となり、その他は洗浄・加工して業者へ売る。分別は細かく、硬質プラスチックが61種類、オモチャが74種類、ガラスが13種類、アルミ缶が22種類、といった徹底ぶりである。

一方、後者は40日かけてコンポストにし、さらに55日かけて有機肥料にする。有機肥料を作る過程では、県畜産局から進呈されたヤギ11頭の糞も混ぜる。これらのゴミ処理で、ハエの発生率が95%減少したという。

住民からは1世帯・1ヵ月当たり5,000〜1万2,000ルピアのゴミ収集費を徴収するので、毎月3,500万ルピア程度の収集費収入がある。他方、従業員の給与や機器の維持管理などの運営コストが毎月8,000万ルピアかかるが、処理ゴミの業者への売却益を合わせると収支は黒字になる。ただし、用地拡張が難しいため、処理能力の拡大には限界があるとのことである。

住民は河川へのゴミ投棄を止め、ゴミ処理場で働くことによって雇用機会が生まれ、収入が上がり、生活が豊かになった。河川も以前よりきれいになった。ムルヨアグン村の挑戦は、インドネシア国内の様々な地方政府から注目を集めているが、政府に頼らず、地元住民グループによって自立したゴミ処理ビジネスを成立させたことが重要なのである。

 

(2014年4月11日執筆)

 

 

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