リボーンアート・フェスティバルを垣間見る
ずっと行きたくてなかなか行く機会がなかった、リボーンアート・フェスティバルにようやく行くことができました。
開催地は、宮城県石巻市と牡鹿半島で、「アート・音楽・食の総合祭」と自ら呼んでいます。特色としては、小林武史氏を中心とするAPバンクが資金提供し、行政が主導していないことです。それゆえ、アーティストが自由に様々な表現に挑戦することができる、ということのようです。
本当は一つ一つじっくりと作品を味わいたいところですが、そうも言っていられないので、今回は、手っ取り早く、1日ツアーに申し込みました。このツアー、東京から日帰りでくる人を想定し、11:20に開始、18:00に終了します。私も、朝、東京を出て、ツアーに参加しました。
なお、ツアー代は昼食込みで5000円、さらに2日間有効のフェスティバル・パスポートを購入する必要があります。
平日で、ネット上ではまだ定員に余裕があるようだったので、参加者は少ないかなと思っていたのですが、実際には、バスの座席全てが埋まる、25人の満員でした。
今日は天気にも恵まれましたが、8月中は雨や曇りの日が多く、ツアーガイドによれば、こんな天気の良い日は滅多になかったとのことでした。
そのせいか、予想以上の数のアートを効率的に見ることができました。
まず、リボーンアート・ハウス(関係者やスタッフの事務所兼宿泊所。旧病院)で小林武史×WOW×Daisy Balloonの”D-E-A-U”という不思議なアートをみました。
その後、牡鹿半島へ向かい、牡鹿ビレッジで、昼食をとりながら、フェスティバルのシンボルにもなっている白い鹿のオブジェを見学。なぜか、ドラゴン・アッシュのメンバーの一人が、トランペットの音色に合わせて、白い鹿の周りで踊る、というパフォーマンスもありました。
白い鹿の近くの洞窟には、牡蠣漁のブイを縄で結びつけ、その縄がはるか森まで結びつき、牡蠣の生育には森の健全な成長が不可欠であることを訴えるアートがありました。
白い鹿の後は、牡鹿半島の南端、ぐるっと海を一望できる御番所公園へ行き、草間彌生のオブジェを見ました。この場所でこれを見ると、なんとも言えない力強さを感じました。
さらに、ホテルニューさかいの屋上へ出る前に怪しげな看板が。
屋上では、金華山を見ながら、カラオケを楽しんでいました。これもアート!?
ホテルニューさかいの後は、のり浜という海岸へ行き、海岸に打ち上げられた倒木や石などを立てる、というアートを見ました。ツアー参加者もその行為に参加することで、「起きる」「起こす」という意味をそこに見出す、ということのようでした。
のり浜の後は、旧桃浦小学校跡にある幾つかの作品を見ました。40年前まで、この場所に小学校があり、子供がいたことを思い出させる「記憶のルーペ」と、りんごが先に付いたけん玉とのアート。
そして、ここに住みながら、自然との共生を肌で感じながら制作した、住居のアートもありました。
今回のツアーの特色は、広域に散らばったこれだけの作品を効率よく回れることのほか、かなり歩くツアーである、ということです。アート作品はそれが最も強調される場所に作られるため、バス道路から15分程度の山道を上り下りするような場所にあります。短時間で何度も結構な上り下りをすることになりました。
というわけで、予想よりもずっと充実感のあるツアーでした。ただ、一緒に参加した方々は、アート作品には興味があるものの、その作品を作品たらしめている石巻や牡鹿半島の風景や人々には、あまり関心がない様子でした。石巻や牡鹿半島の人々からすれば、どのような動機であれ、域外から人が来てくれるのはありがたいことでしょうが、もう少し、土着のものとの連結を考えた方が良いのではないか、と感じました。
私自身、このツアーでアート作品を見て回りながらも、今ここで生きる人々の関係者であの震災で犠牲になった方々が、今もこの空気の中に存在しているかのような気配を感じていました。その方々の気配こそが、リボーン(Reborn)の背景にあるものだと感じたのです。
そんなことを思いながら、フェスティバルの公式ガイドブックを購入して、パラパラめくっていたら、このフェスティバルに深く関わっている人類学者の中沢新一氏が、似たような感覚について指摘していて、ちょっと驚きました。
その中で、中沢氏は、東北でリボーンアート・フェスティバルを行う意味として次のように語っています。
元々東北は・・・亡くなった人や見えない物を日常に感じながら作られていく世界でした。そこでは四次元の世界が生きている。(中略)そういう場所にあの大震災が起こったものだから、ますます東北は、「東北らしさ」が強まったと感じています。(中略)グローバルな経済活動に巻き込まれていないということは、別の意味では経済的に貧しいということでしょうが、(中略)むしろ、貧しいことの中に価値を見出していくことが、東京オリンピックが終わる2020年以降、不況がやってくる状況の中で日本が全体で抱える課題になると思います。(中略)その時にこそ大切になるリボーンの原理を見ておこう、作っておこう、というのが「リボーンアート・フェスティバル」の目的です。
今までとは違う新たな価値観を「リボーン」の名の下に提示したい。日本のリボーンの出発点は東北ではないか。そんな問題提起がこのフェスティバルの根底にあるのでした。
その意味では、今、日本のあちこちで、「リボーン」の芽は現れ始めていると感じます。いや、世界のあちこちで、それが現れ始めているのではないか。そのあちこちこそが、中心都市ではなく、ローカルであり、地域コミュニティであり、それらが繋がっていくことで、今までとは違う「リボーン」を実現していけるのではないか。
これもまた、私たちが目指す方向性に勇気を与えてくれるようなアートフェスティバルだった、と改めて確認したのでした。