【インドネシア政経ウォッチ】第63回 国際収支安定のための外資規制緩和(2013年11月14日)

今年は3年に1度の投資ネガティブリストの改訂が行われる年である。しかし、当初、10月ごろと見られていた改訂リストの発表は遅れ、年末になりそうだ。外資規制を緩和したい経済調整大臣府や投資調整庁と、外資規制を強化して国内企業の育成を目指したい各省庁との間で、さまざまな駆け引きが行われている様子である。

昨今の厳しい経済状況で、改訂リストはより規制を緩和する方向へ向かいそうだ。何よりも今、政府に求められるのはマクロ経済の安定であり、軟化する通貨ルピアのしなやかな防衛である。そのためには、国際収支の安定が不可欠であり、経常収支の赤字を埋め合わせる資本収支の黒字が必要になる。そして、出入りの素早い証券投資よりも直接投資の増加が最重要になる。国際収支の安定のためにこそ、外資規制緩和が必要となるのである。

先週、ネガティブリスト改訂の内容が一部明らかにされたが、大きく2つの注目点がある。第1に、事業効率化のために外資を活用するという点である。なかでも、空港・港湾の管理運営に100%外資を認めるなど、なかなか進まないインフラ整備・効率化で外資を活用する意向が示された。インフラ投資に参入したい外資は多く、歓迎されよう。

第2に、輸出指向型外資をより重視したことである。消費活況の続くインドネシア国内市場を目指す外資よりも、インドネシアを生産拠点とし、輸出することで国際収支の安定に寄与する外資を求めている。輸出指向型外資への優遇策は、1980年代後半~1990年代前半に採られ、労働集約型産業が発展したが、その後競争力は低下した。今後の輸出産業としては二輪車・自動車と油脂化学が期待される。

早速、識者からは経済における外資シェア拡大への危惧が現れた。しかし政府は、外資への依存度を高めるというより、国内企業に外資との競争を促そうとしているようである。インドネシアの自信の表れといえるが、国内企業がその意図を汲み取って行動できるかが課題である。

【インドネシア政経ウォッチ】第62回 暴力的社会団体の復権(2013年11月7日)

暴力的社会団体を政府・軍高官が擁護する発言が相次いでいる。たとえば、10月24日、ガマワン内務大臣が「イスラム擁護戦線(FPI)は国家の財産である」と発言して政府との協力関係を促して以降、FPIの活動が活発化している。それまで、暴力的社会団体は社会悪として取り締まる方向だったのが、急反転した印象である。

10月27日は、インドネシア独立の源泉である「青年の誓い」が発せられた記念日である。この日、陸軍戦略予備軍(コストラッド)のガトット司令官は、パンチャシラ青年組織(プムダ・パンチャシラ=PP)に対してパンチャシラ(建国5原則)擁護の前線に立つよう求めた。同時に「多数意見が常に正しいとは限らない」として現行の民主主義への疑義を示し、「軍は政治に口を出さず」という原則を破ったとして物議を醸している。

PPは1981年にスハルト大統領(当時)と国軍の後押しで設立された自警武闘集団である。愛国党という自前の政党を持つ一方で、組織の上層部はゴルカル党幹部でもある。

PPは早速、事件を起こした。「青年の誓い」の日の数日後、EJIP工業団地で最低賃金引上げを求める金属労連のデモ隊と衝突し、8人が負傷、バイク18台が破壊される事態となった。工業団地では、エスカレートする労働組合デモに対抗する自警団を企業側が組織しており、そこへPPが入ってきた。廃棄物処理業者の多くはPPに属しており、デモによる工場の操業停止は彼らにとって死活問題となるのである。

組合側は経営者側がPPを用心棒にしたと批判するが、そう言われても仕方がない。実際、労働組合連合体のひとつ、全インドネシア労働組合(SPSI)は分裂し、その一方のトップをPPのヨリス議長が務める。ヨリスは「SPSIはインドネシア経営者協会(Apindo)と協調し、過激な労働組合デモに対抗する」と2012年11月に宣言している。

ゴルカル党はPPを通じてSPSIの動員力を手に入れた。来年の総選挙・大統領選挙を前に、暴力的社会団体の利用価値が再認識されている。

【インドネシア政経ウォッチ】第61回 鉱石輸出、条件付きで延長へ(2013年10月31日)

エネルギー・鉱物省のタムリン鉱物石炭局長は10月23日、条件付きで鉱石輸出許可を2017年1月14日まで延長する意向を明らかにした。

政府は、鉱石・石炭採掘法(法律09年第4号)と実施規則である政令12年第24号において、同法施行後5年以内、すなわち14年1月までに、未加工・未製錬鉱石の輸出を禁止し、国内に製錬工場の設置を促して、鉱業部門の川下産業を育てる計画だった。しかし現実には、14年中に建設が完了する製錬工場はなく、川下産業育成という方針を堅持しつつも、現実的な対応を取らざるを得なくなった。

鉱石輸出許可の条件には、製錬工場建設に関する事業化調査を終了していること、製錬用鉱石の備蓄が30年分以上あること、製錬工場建設の投資額に応じた保証金を国内銀行口座に置くこと、などが想定されている。仮に製錬工場が建設されなかった場合、政府が保証金を没収し、製錬工場の建設に充てる。これらの条件は、政令12年第24号の改訂およびエネルギー・鉱物大臣令で定める。

タムリン局長によると、国内で鉱業事業許可を持つ企業は数千社あるが、上記の輸出許可の条件を満たす企業は125社。うち97社はすでに製錬工場の建設に関する事業化調査を行っており、28社は工場建設に着手済みである。

実業界はこの発表を歓迎している。発表の前日、インドネシア商工会議所(カディン)は、川下産業育成方針を支持しつつも、早急な鉱石輸出禁止は貿易収支の悪化を招くとして、製錬工場の建設を進める企業に鉱石輸出を認めるべき、との見解を表明しており、結果的に政府が即応する形になった。

ただし、鉱石の国際市況が低迷する中で、製錬工場建設への資金調達が難しくなり、それが事業化調査に影響を与える可能性もある。逆に、市況がよくなれば、製錬工場建設よりも鉱石輸出が再び選好され得る。インドネシアにとっては、多少遅れても、今が川下産業育成の好機といえる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第60回 ついにバンテン「帝国」へメス(2013年10月24日)

10月2日にアキル憲法裁長官が逮捕された汚職事件で、バンテン州レバック県知事選挙結果への異議申立に絡み、新たな贈賄疑惑が発覚した。贈賄したのは同州のアトゥット州知事の実弟ワワンで、事件発覚前にアキル、アトゥットとシンガポールで密談したとの証言が飛び出し、アトゥットを頂点とするバンテン「帝国」の縁故主義と癒着にもメスが入り始めた。

バンテン州の政治は、アトゥットの父親である故ハサン・ソヒブが仕切ってきた。彼は、伝統的武術(プンチャック・シラット)に秀でた特殊能力を持つ者から成る「ジャワラ」という暴力集団のトップに長年君臨し、イスラム教の高僧(キアイ)とともに、ゴルカル党の伸長に貢献してきた。そして、娘のアトゥットを2001年に州副知事、06年に州知事に当選させるとともに、親族を重要な政治ポストに配置させた。

現在、南タンゲラン市長がアトゥットの実弟ワワンの妻であり、別の実弟がセラン県副知事、義弟がセラン市長、息子が州選出地方代議会(DPD)議員、その妻がセラン市議会副議長、義母がパンデグラン県副知事、といった具合である。アトゥット一族に反旗を翻すのは困難な状態だった。

アトゥットの父・故ハサンはもともと実業家でもあり、1960年代からさまざまな政府プロジェクトを受注して富を蓄え、州商工会議所会頭も務め、州内の有力者だった。その影響は今も続き、州内の主な公共事業はアトゥット一族によって担われる傾向がある。

インドネシア汚職ウォッチ(ICW)によると、2011~13年に、アトゥットの親族企業10社と親族の関係会社24社が州内の175事業(総額1兆1,480億ルピア=約100億円)を担当したとされる。これらをめぐる汚職疑惑にもメスが入る可能性が出てきた。

バンテン州に限らず、地方首長を頂点とした「帝国」支配は全国各地に見られる。今回の件については、2014年総選挙をにらんだゴルカル党つぶしという面も否定できないが、「帝国」を脱した新たな政治への一歩となるかどうかが注目される。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第59回 投資殺到のバンタエン県(2013年10月17日)

南スラウェシ州にバンタエンという名の県がある。面積395平方キロメートル、人口18万人という小さな県で、農業が主産業である。ジャカルタなどでは知られていないが、このバンタエン県に今、外国投資が殺到している。

10月のAPEC首脳会議に合わせて来訪した中国の習近平総書記とユドヨノ大統領との間で、さまざまな協力協定が締結されたが、そのひとつが、中国のYinyiグループによるバンタエン県のニッケルおよびステンレス精錬所への投資である。総額23兆ルピア(約2,000億円)で、300ヘクタールの工業用地に2015年から精錬所を建設する。Yinyiグループ以外にも、中国系2社を含む5社がニッケルやマンガンなどの精錬所への投資を計画している。

バンタエン県はニッケル鉱やマンガン鉱の産地ではない。しかし、南スラウェシ州北部から東南スラウェシ州北部にかけてニッケル鉱床があり、これまで主にブラジル系ヴァーレ・インドネシアや国営アネカ・タンバン(アンタム)が採掘し、日本向けに未精錬のまま輸出してきた。政府がインドネシア国内での加工を義務づける政策へ転換したことで、精錬所への投資が注目され、投資家は南スラウェシ州内で立地先を探していた。

バンタエン県が選好されるのは、県レベルでの投資許可がわずか1日で終了し、費用も無料だからである。電力も州都マカッサルに次ぐ37万キロワットを確保し、課題の港湾整備も急ピッチで進める予定である。約2万人の雇用機会が生まれることになる。

積極的な投資誘致は、ヌルディン県知事の功績である。九州大学で博士号を取得、日本語の堪能な実業家出身の彼は、日本との広い人的ネットワークを駆使し、日系の水産品・野菜加工工場を誘致し、すでに日本向けに輸出している。高品質の水と標高差を生かした農業で、低地では米作、高地では野菜、イチゴ、アラビカコーヒーなどの栽培を進めている。日本から中古消防車・救急車の受け入れも積極的に行ってきた。

地方でもやり方次第でいろいろできる。投資殺到のバンタエン県は、他の地方政府へのよい刺激となるはずである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第58回 憲法裁判所長官逮捕の衝撃(2013年10月10日)

10月2日、反汚職委員会(KPK)がアキル・モフタル憲法裁判所長官を贈収賄の現行犯で逮捕し、現場で28万4,040シンガポールドル(約2,210万円)および2万2,000米ドル(約210万円)の現金を押収するという事件が起きた。

憲法裁判所は、スハルト政権崩壊後、独立・中立の立場から違憲審査を行う機関として新設され、その判断は最終決定となる。憲法裁はKPKと並んで、民主化への国民の期待を一身に集めてきただけに、今回の事件が社会に与えた衝撃は極めて大きい。

憲法裁は、地方首長選挙の結果をめぐる不服申立に対して、それを認めるか否かの最終判断を下す役割も持つ。今回は、現職が再選された中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙で別候補が不服申立を行い、現職側がそれを認めないよう、アキル長官に働きかけたという話である。捜査の過程で、バンテン州レバック県知事選挙に関しても同様の贈収賄疑惑が明らかになり、バンテン州知事の関与が取り沙汰されている。

実は、アキル長官をめぐっては、不問に付されたとはいえ、長官になる以前、憲法裁の裁判官のときから、同様の贈収賄疑惑が複数起こっていた。彼はまた、地方首長選挙結果の最終判断だけでなく、多くの地方政府分立の是非の判断にも関わった。『コンパス』紙は、「アキル長官への贈賄相場は1件およそ30億ルピア(約2,530万円)」と報じた。

アキル長官は西カリマンタン州出身のゴルカル党所属の政治家であり、今回の贈収賄を仲介した同党のハイルン・ニサ国会議員と同僚だった。それにしても、なぜ政治家が憲法裁のトップに就くのか。それを問題視する意見は根強いが、今にしてみると、実は内部の汚職を表面化させないためという理由がそもそもあったのではないかと思えてくる。憲法裁には、1回限りの判決が最終判断であることを悪用し、内部で汚職が促される構造があったと考えられる。

今回の事件を通じて、既存の多くの地方首長や分立した地方政府の正統性自体が大きく揺らぐ可能性が出てきた。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第57回 森林保護区で揺れるバタム島開発(2013年10月3日)

シンガポールから最も近く、インドネシアの工業開発先進地域と目されてきたバタム島が今、土地利用問題で大きく揺れている。

それは、6月27日付の森林地の利用目的・機能変更に関する林業大臣決定2013年第463号により、バタム島総面積の64.81%が森林保護区とされていることが明らかになったためである。すなわち、商業センターのナゴヤ地区も、工業団地も、開発の進む住宅地も、バタム運営庁やバタム市庁など行政機関のある場所も、実は森林保護区に含まれており、それらはすべて、土地利用上は違法となってしまうからである。

森林保護区を他目的で利用する場合、林業省の許可が必要となる。林業省での森林保護区の利用目的・機能変更手続がネックとなり、空間計画がなかなか策定できない地方政府は数多い。工業団地の造成や商業地区の拡張が進まない理由にもなる。

バタム市の空間計画は2008年に市議会の承認を経て条例化されたが、現段階でまだ実施されていない。条例化の後で、森林保護区について林業省と協議する必要が判明したためである。バタム市は空間計画に関する判断を林業省に求めていたが、その返答が上記の林業大臣決定だった。

バタム市側は、バタム島開発自体が1970年代の大統領決定に基づくことから、今回の林業大臣決定の撤回を求めつつ、事業者に対しては通常通り事業を続けるよう説得している。そして違法との理由で法的措置が採られるなら、林業省を訴える可能性も検討している。一方、林業省は、森林保護区の制定は現場から所定手続に則って進めたものとし、林業大臣決定の根拠である1999年森林法や2007年空間計画法は大統領決定より上位であることを理由に、撤回には応じない姿勢である。

解決策はあるのか。林業省は乗り気でないが、反汚職委員会、警察、検察、最高裁などが「違法状態だが法的措置を採らないこと」で合意する、という極めてインドネシア的な手法が最終的な落とし所になると見られる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第56回 低価格グリーンカーへの賛否(2013年9月26日)

先週、日系の自動車メーカー各社が低価格グリーンカー(LCGC)を販売開始した。排気量1200cc以下(ディーゼルエンジンの場合は1500cc以下)かつ燃費が1リットル当たり20キロメートル以上の低価格グリーンカー(セダンとステーションワゴンを除く)は、奢侈(しゃし)品販売税が免除され、販売価格が1億ルピア(約100万円)以下の車も現れた。部品国産化率が8割を超える車もある。

通貨ルピアを防衛するため政策金利が引き上げられたが、その影響で、自動車ローンの金利も上がる。自動車販売の減少が予想されるが、低価格グリーンカー販売の滑り出しは好調で、南スラウェシ州マカッサルなどの地方都市でも1,000人以上が予約したと報じられている。

そんな中、低価格グリーンカーへの反対意見も現れた。その急先鋒(せんぽう)は、ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)知事である。交通渋滞に悩むジャカルタでは、低価格グリーンカーの登場で自動車台数がさらに増え、渋滞が悪化するとの懸念がある。さらに、ガソリン需要が高まることで、国際収支の悪化をさらに促す可能性もある。

ジョコウィは「必要なのは低価格グリーンカーではなく、低価格な公共交通機関である」と主張。そのためのインフラ整備が先決との考えを示した。また、中ジャワ州のガンジャル・ヌグロホ知事は、低価格グリーンカーの生産が外国企業によって主導されるのを批判する。ブディオノ副大統領は、ジャカルタの幹線道路に電子道路課金制を導入し、渋滞を悪化させない方策を採るとして、低価格グリーンカー導入への理解を国民に求めた。

インドネシアでは、技術評価応用庁、科学技術院、民間企業などが競って低価格な電気自動車の実用化を目指している。低価格グリーンカーは電気自動車へ至る過渡的段階に位置づけられるが、電気自動車の普及にはまだ時間がかかりそうである。

低価格グリーンカーは、景気低迷への特効薬となるのか。あるいは、渋滞と国際収支をさらに悪化させるのか。いずれにせよ、本格的なマイカー時代の幕開けは近い。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第55回 豆腐・テンペ業者の苦悩の陰で(2013年9月19日)

大豆価格高騰の影響を受けて、国内の豆腐とテンペ(伝統的な大豆発酵食品)の業界が原材料調達に支障をきたし、生産困難になっているとの報道が見られる。9月9日、豆腐・テンペ生産者組合連合会(Gakoptindo)と豆腐・テンペ協同組合(Primkopti)は、原料の大豆の価格高騰への対応を政府に求めて、全国の加盟業者が生産を放棄し、ストライキを行った。ジャカルタや東ジャワ州スラバヤのパサール(伝統市場)では、一時的に豆腐・テンペが店頭から消える事態も発生した。

9月2日付『コンパス』によると、インドネシアの豆腐・テンペ製造にかかわる業者は11万4,547事業所、協同組合は191組合、従事している労働者の数は33万4,181人である。多くが家族経営などの零細・小規模経営である。実際、市中での大豆価格は、3カ月前の1キログラム当たり8,200ルピアから現在では1万ルピア弱へ上昇した。5月以降、価格抑制のために貿易大臣令が連発されたが、効果は上がっていない。

豆腐・テンペが日常食のインドネシアには、日本や中国と同様、大豆発酵食品文化の長い歴史があり、とくにテンペは日本の納豆と並ぶ健康食品である。古くからジャワ島を中心に大豆が栽培され、スハルト時代に食糧調達庁が流通を制御して価格を安定させた結果、1992~94年に大豆の自給を達成するほどだった。日本も大豆増産支援をかつて行った。

ところが、今では大半が輸入大豆である。2013年の大豆の国内需要見通しは約230万トンで、うち160万~170万トンが輸入である。大半が米国からの、しかもインドネシア政府公認の遺伝子組み換え大豆である。粒が大きい、価格が国産より安い、供給が安定している、味も国産大豆より美味しい、との理由で、豆腐・テンペ業者は輸入大豆を選好する。

今回の大豆の問題は、イスラム教の断食明け大祭(レバラン)前に価格が急騰したニンニクとほぼ同じである。結局、利益を得るのは輸入業者であり、価格操作やカルテルの疑惑が生じる。政治家も利権に群がり、汚職へ走る。国産大豆増産へ戻るのはもはや手遅れである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第54回 国軍司令官の交代(2013年9月12日)

ユドヨノ大統領は8月30日、退役する国軍司令官アグス・スハルトノ空軍大将の後任にムルドコ陸軍参謀長を任命した。国軍幹部人事は、国会承認を得ることが義務付けられており、今回の人事も8月27日に国会承認を受けた。

国軍司令官ポストは、陸・海・空の参謀長が交代で就くのが慣例として10数年前から定着しており、今回、陸軍トップが国軍司令官となるのも順当な人事である。しかし、ムルドコが陸軍副参謀長から陸軍参謀長に就任したのが今年5月22日であり、陸軍参謀長を実質わずか3カ月務めての国軍司令官就任は、異例の速さと言える。

ムルドコ新国軍司令官は1957年、東ジャワ州クディリの貧しい家庭に生まれた。1981年に国軍士官学校を優秀な成績で卒業後、ジャヤ陸軍区(ジャカルタ)参謀長、陸軍戦略予備軍第1部隊司令官、タンジュンプラ陸軍区(西・中カリマンタン)司令官、シリワンギ陸軍区(西ジャワ)司令官、国軍防衛研修所(レムハナス)副所長、陸軍副参謀長などを歴任した。

先週号の週刊誌『テンポ』は、ムルドコ新国軍司令官の持つ資産について報じている。それによると、総資産額は321億8,522万3,702ルピア(約2億8,900万円)と45万米ドル(約4,500万円)であり、ユドヨノ大統領の76億1,600万ルピア(2009年)、前任のアグス・スハルトノ国軍司令官の37億ルピア(2010年)と比べても、破格に多い額である。ムルドコの説明では、建設労働者から成り上がった義父の所有するさまざまな土地の相続、公務で海外勤務した際の手当を貯めたもの、ということである。

かつて、インドネシア政治を分析する際には、国軍幹部人事を抑えるのが鉄則で、陸軍特殊部隊や陸軍戦略予備軍、および東ティモールなどでの野戦経験の有無、軍高官との上下関係・ネットワークなどを細かく見ていた。しかし、もはや軍の政治介入はなく、国軍幹部人事を分析する重要性は薄れてきた。メディアはむしろ汚職の匂いを嗅ぎ回っている。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第53回 現職優勢の東ジャワ州知事選挙(2013年9月5日)

東ジャワ州知事選挙は8月29日に投票が行われ、30政党以上の推薦を受けた現職のスカルウォ州知事=サイフラー・ユスフ州副知事のペア「カルサ」が当選確実の情勢である。

同選挙には「カルサ」のほか、闘争民主党推薦のバンバン=サイド組、民族覚醒党の推薦を受けたコフィファ=ヘルマン組、独立系のエギ・スジャナ=シハット組の4組で争われた。民間世論調査会社LSIのクイックカウントでは、「カルサ」が得票率47.91%を獲得し、それをコフィファ=ヘルマン組(37.76%)が追う展開となった。

元女性エンパワーメント担当国務大臣のコフィファは、国内最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ出身の女性政治家である。当初、東ジャワ州選挙委員会は、「カルサ」推薦の2政党がコフィファ=ヘルマン組も二重推薦したとの理由で、後者の立候補を却下した。それに対し、コフィファ側から選挙実施顧問会議に不服申立がなされ、それが認められたため、滑り込みで立候補できたという経緯がある。

不振だったのは、闘争民主党推薦のバンバン=サイド組で得票率はわずか11.05%だった。選挙運動には、ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事も駆け付けたが、彼の応援で勝利した先の中ジャワ州知事選挙の再現はならなかった。その原因は必ずしもジョコウィにあるわけではない。バンバン自身の知名度の低さとともに、スラバヤ市長2期、スラバヤ副市長1期半ばで辞職、という彼の露わな権力欲への批判もあった。本来、スカルノ初代大統領の出身地で闘争民主党の強力な地盤である州中南部のマタラマン地方でさえも、バンバン=サイド組は振るわず、「カルサ」が勝利した。

民主党党首のユドヨノ大統領は選挙運動前の断食期間中、約1週間にわたり、州内をくまなく回った。ジャカルタ、中ジャワと州知事選で闘争民主党が勝利するなか、民主党員・スカルウォ州知事の万全の勝利が、民主党の存続と総選挙への準備に不可欠だったのである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第51回 雇用調整は中進国への試練(2013年8月22日)

経常収支悪化、外貨準備高減少、ルピア安、物価上昇、6%を割った経済成長率。インドネシア経済に黄信号がともっている。こうした中、国内では労働集約型産業での雇用調整が少しずつ表面化してきている。

8月のイスラム教の断食明け大祭(レバラン)を前に、中ジャワ州クドゥスのたばこ製造会社では、解雇を言い渡された従業員1,070人が退職金やレバラン手当の支払いを求めてデモを行った。たばこ産業といえば、多数の低賃金労働者を雇用する典型的な労働集約型産業であるが、昨今の禁煙の広がりに加えて、労働コストの上昇が企業経営を難しくしている。クドゥスのほか、ジャカルタのチャクンやマルンダなどでも、このたばこ製造会社と同様のデモが起こった。

インドネシア経営者協会(Apindo)のソフィヤン・ワナンディ会長によると、製靴業ではすでに少なくとも4万4,000人が解雇されたほか、韓国、台湾、日本、インドなど外資系の労働集約型企業の工場閉鎖や撤退により、約10万人が職を失ったと見られている。ソフィヤン会長は、最低賃金の大幅な引き上げなどを政府が容認し、それに対する労働集約型産業への配慮を怠った結果であると認識し、政府の対応を批判している。

1人当たり国民所得が3,500米ドルを超えたインドネシアの労働集約型産業は、もはや低賃金を武器に輸出を伸ばした1980~90年代のそれとは異なる。本来ならば、生産性や効率性を視野に入れたワンランク上の輸出志向の工業化を目指さなければならないのに、政府はそれを怠り、市況の良かった石炭などの一次産品輸出へ回帰してしまった。この間、中国などから工業製品が流入し、それに対抗できない労働集約型企業は徐々に消えていった。

生産性や効率性を度外視して雇用すれば政府が喜ぶ時代は終わった。地場企業でさえも、機械化や合理化を推進し始めている。雇用調整を迫られる現況は、経済悪化による一時的な話ではなく、中進国へ向かうインドネシアの不可避的な試練なのである。

 

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はじまりの美術館を訪問

5月9日、福島県猪苗代町にある「はじまりの美術館」を訪問した。前々から興味のあった場所で、今回はたまたま10日に郡山で用事があり、その前にふらっと訪れた次第である。

猪苗代駅からひたすら北へ真っ直ぐ真っ直ぐ30分ほど歩いていく。猪苗代の中心街は、駅から北へ少し離れたところにあり、かつては賑わいをみせていたものの、今はひとかげもまばらである。

小雨が降る肌寒い天気の中、歩いて行った。はじまりの美術館の手前にある籐工芸と手打ちそばの店「しおやぐら」に立ち寄って昼食。山菜天ぷらと皿そばを食べた。付け合せは卵・トロロか辛味大根だったので、辛味大根をお願いした。

素朴な美味しいそばだった。盛りが四分の一の小皿そばなら何杯でも食べられそうな気がする。店内には、著名人や小皿そばをたくさん食べた方々の色紙が飾ってある。

そばをササッと食べて、はじまりの美術館へ向かう予定だった。ところが、お話をしているうちに、店を手伝っているご夫妻の娘さんが地元で活動をされていることを知り、ついつい話が弾んでしまった。彼女の活動の一つは、いなかふぇ(猪苗代サイエンスカフェ)で、5月17日にこのしおやぐらで、福島スィーツ会なる催しを企画している。


猪苗代に昔、中の沢まで鉄道が通っていた頃の話や、猪苗代にしかないものってなんだろう、などと尽きぬ話をしていたら、あっという間に1時間 半が経ってしまっていた。メインの目的は、はじまりの美術館だったのに。

そしてようやく、はじまりの美術館に入った。この美術館をつくるにあたって、地元の方々と一緒に作り上げる働きかけをしたのが、3月末にインドネシアで一緒に仕事をしたstudio-Lの山崎亮氏と西上ありさ氏で、二人からも訪問を勧められていた。

開催中の展示は、「陸から海へ:ひとがはじめからもっている力」で、日比野克彦氏ら多数のアーティストが、それそれの思う自らの大事な力の源を表現しようとしているように見えた。作品はなかなかユニークで、見ていて飽きなかった。


はじまりの美術館がその地域の人々に開かれた場となる必要性は、美術館の館長やスタッフには十二分に理解されているようだったが、地元のおじいさんやおばあさんが気軽に立ち寄って、お茶でもゆったりとすすれるような場としても活用される方向性を考えてもいいような気がした。

それにしても、とても居心地の良い空間だった。こんな場所が日本中あるいは世界中のあちこちにできてくると楽しいなと思った。いろんな意味で、筆者が構想する場づくりの参考になる場所であった。

京都、福井、富山(その2)

5月1日は、どこに行こうか迷ったが、チューリップまつりで賑わう砺波や、雪の大谷が見頃の立山黒部アルペンルートを避け、南砺市城端へ行った。何があるのかよく分からないが、行ったらきっと何かありそうという予感があり、果たしてそのとおりだった。

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まず、城端駅前の観光協会でレンタルサイクルを借りる。半日500円。

町の西側の田園風景を眺める。雪を頂いた山々をバックに、農地が悠々と広がっている。水田らしきところには麦が植えられていた。

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城端は河岸段丘の上にできた坂の多い町。街並みを美化したらしく、建物の高さが制限され、色合いも統一されていた。街路には湧水装置の穴が設置されていた。

2015-05-01 12.36.192015-05-01 13.37.01-1城端でのランチは、南幸という鰻屋さんで「なんなんまぶまぶ」という地元の料理を食べた。これは、豚肉にうなぎ蒲焼のタレを使って、ひつまぶし風に仕上げた料理で、南砺B級グルメコンテストで第1位になったそうだ。でも、これはB級というには相当手が込んでいて、豚肉や酢漬けミョウガの細切りがご飯のなかに入れ込んであるなど、小技が光る。

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一杯目は普通にそのまま食べ、二杯目はネギとワサビの薬味を添えて食べ、三杯目は土瓶に入ったダシをかけて食べる。まさにひつまぶしの味わいである。

善徳寺はちょうど改修中で、中を見ることができなかった。善徳寺は、城端の町の中心をなす寺で、ここから町内の各地へ道が出ている。

2015-05-01 12.29.08自転車で城端の町中を歩いていても、人に会うことがなかった。人の気配が全くしない。これは、日本の多くの地方では共通する現象だろう。しかし、昼過ぎになると、チャリンチャリンという音が聞こえてくる。学校から下校する子どもたちのランドセルに付けられた鈴の音だ。

2015-05-01 13.57.41城端滞在の最後、デザートを食べに訪れたのがナヤカフェ。農家の納屋を改造したカフェで、この経営者は、「薪の音」という名前のフレンチレストラン兼ホテルを近くで運営している。オススメは、干し柿のラム酒漬けアイスクリーム。今まで食べたことのない、甘さ控えめの大人の味のアイスクリームで、細かくされた干し柿が口のなかでアクセントになる。一緒に頼んだ小松菜のスムージーも、その滑らかさが秀逸だった。

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やはり、何もないところなんてない。城端は見るところがいろいろある町だった。

しかし、きれいな街並みを見ながらも、住民がそれをどのように感じているのか。果たして、住民が自ら楽しめるような町になってきているのだろうか。これは何も城端に限ったことではないが、そんなことを感じてしまった。

 

京都、福井、富山(その1)

ゴールデンウィーク前半(4月28日〜5月2日)、京都、福井、富山をまわって、最後に高崎の親戚の家を訪ねて、東京へ戻った。

今回の旅では、東京都区内→東京都区内という乗車券を使った。東京から新幹線、湖西線、北陸本線、北陸新幹線で東京へ戻る、という形(ただし、山科=京都間の往復380円を支払う必要あり)。

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この乗車券を買うときに知ったのだが、金沢と富山の間はJR在来線がなくなって第三セクター鉄道となったので、「金沢から北陸新幹線」にしないと今回のようなグルッと切符は買えなくなっていた。

ちなみに、この運賃は14,200円(13,820円+山科=京都往復380円)だが、東京=山科=京都=山科=(湖西線)=金沢で9,610円、金沢=富山間の第三セクター鉄道が1,220円、富山=東京が6,480円で合計17,690円となる。

京都では、ダリケー株式会社を訪問し、8月に予定しているインドネシア・スラウェシへのツアーの打ち合わせを行った。

京都では、ダリケー株式会社の方々と懇談し、今年8月に予定しているスラウェシへのスタディツアーの打ち合わせを行った。昨年8月、すでにダリケーのスタディツアーに同行させていただき、カカオ農園見学・苗木植え、カカオ農家での発酵プロセス見学、カカオ農家のある農村見て歩き、カカオをめぐる農家や村の人々との討論・意見交換など盛りだくさんの内容だった。

今年はさらに内容をパワーアップさせたツアーを行う予定である。もちろん、私も、通訳兼アドバイザーとして同行する予定である。日程は8月後半という以外は未定だが、すでに希望者が20人程度照会中とのことで、興味のある方は、ダリケーの足立(あだち)こころさん(kokoro.adachi@dari-k.com)までメールで連絡してほしい。

京都からはJR湖西線経由の特急サンダーバードで福井へ。インドネシア・マカッサル滞在時から20年の付き合いになる友人夫婦の家を訪問した。彼らのホームページ(http://www.nouentaya.com/)を是非ともご覧になってもらいたい。

九頭竜川近くの彼らの畑を見せてもらったほか、農村の抱える様々な現実的な問題とそれに地元の人間としてどう関わっていけるのかについて、深い話を聞かせてもらった。合わせて、彼らが毎年受け入れているインドネシアからの農業研修生から「研修終了後、インドネシアでどんな農業をやりたいのか」というプレゼンテーションを聞き、意見交換を行う機会もあった。

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福井からは北陸本線で金沢へ。乗車した特急しらさぎの自由席はほとんど乗客がいなかった。金沢駅を降りたら、たくさんの人が行き交っていて少々驚いた。レンタルサイクルに乗っているのはほとんどが外国の方だった。北陸新幹線効果は相当なものだ。

でも、アマノジャクな自分は、今回、金沢観光はしなかった。駅前の安ホテルに1泊し、前日に夕食に招いてくれた友人(彼ともインドネシア・マカッサルで知り合った)と一緒に、4月30日は富山県中新川郡立山町を訪問した。彼はかつて立山町で地域おこし協力隊員を務めていたことがある。

到着してすぐ、彼が滞在した新瀬戸地区の地域おこしグループの話し合いをいきなり聴講することになった。最初は空家対策がメインだったが、徐々にIターンをどう受け入れて定住させるかという話になった。図々しくも、途中から私も議論の輪の中に入れてもらい、新瀬戸地区の魅力を外から来た方々と一緒にどう発見するかなどの話を楽しくさせてもらった。あー、図々しい。

地域おこし協力隊員の方が立山Craft(http://tateyamacraft.wix.com/tateyamacraft)という素敵なイベントを計画されていることを知った。地元でクラフト活動に関わる有名・無名のアーティストたちが集まり、立山町の魅力を発信する試み。残念なながら筆者は所用で行けないのだけれども、ご興味のある方は是非行ってみてほしい。

実は、立山町新瀬戸は越中瀬戸焼の発祥地である。といっても、筆者自身、ここに来るまで、恥ずかしながら越中瀬戸焼の存在を知らなかった。新瀬戸には町営の陶農館という施設があり、越中瀬戸焼の作品が展示されているほか、陶芸教室も開かれている。

友人に連れられて、越中瀬戸焼の窯元を2つ訪問した。窯元に属する職人は5人おり、「越中瀬戸焼かなくれ会」というグループで制作活動を行っている。越中瀬戸焼は尾張瀬戸から職人が移り住んだことに由来し、元々は磁器を生産していたが、今は陶器である。2つの窯元とも、ギャラリーがとても素敵で、そこに、飽きのこないシンプルな形状の作品が並べられ、満ち足りた空間を演出している。前述の立山Craftには、これら窯元の作品も展示即売されるそうである。

筆者は立山町の農家から毎月お米を送っていただいているが、今回はその農家も訪問できた。近所の兼業農家から次々に水田耕作を請け負って欲しいと言ってきて、それを請け負っているうちに、約20町歩の水田耕作を行うことになり、その面積はまだ増えそうだという。

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有機栽培にこだわったコメ作りをされているが、地元では少数派だと繰り返しおっしゃっていたのは、ちょっと意外だった。たしかに、コシヒカリのような高い米を売るならば、あえて有機にしなくともそれなりの販路が確保でき、面倒くさくない。この農家の方はそうしたやり方で日本の農業が本当に生き残っていけるのかと問うていた。

金沢から付き合ってくれた友人と富山でわかれ、4月30日の夜は、富山出身でシンガポールを拠点にアジアを股に掛けて活動中の友人と夕食。5月1日には、富山出身の大学時代の友人と夕食。二人から別銘柄の鱒の寿司をいただき、十二分に堪能した。

(その2に続く)

 

 

帰国、5月末まで日本

4月7日に帰国して10日が過ぎた。慌ただしかった3月のインドネシアでの日々とは打って変わって、東京の家族とともに、ゆったりした時間を過ごしている。じと~っとした熱帯の湿気に慣れた肌は、さわやかな春の東京でやや乾燥肌になっている。

帰国した4月7日は真冬日だった。「冬」が再来する前に、ソメイヨシノは終わってしまっていたが、新宿御苑や小石川植物園でヤエザクラを見ながら、今年の花見を楽しんだ。

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今回は、5月末まで日本の予定である。自分なりに活動の区切りをつけるべく、頭を冷やそうと思っている。次のステップへ向けての準備期間でもある。

今後の活動の主拠点は、日本に置く。東京か福島か、どちらをそのメインとするかを思案中であるが、その両方を日本での活動拠点とすることは決めている。

東京の自宅はあまりにも居心地がよく、家族と和んでいると、ついついだら~っとしてしまいがちなので、自宅の近くのレンタルオフィスに仕事場を作ることにした。自宅から徒歩10分、24時間いつでも利用可能。本棚などを入れて、自宅に溜まった本の一部を移動させる。

インドネシアは、今後の活動の副拠点とする。帰国前に、スラバヤとジャカルタに居場所を確保し、引っ越しや家具等の調達も終わらせてきた。インドネシアでの活動拠点は、今のところ、スラバヤとジャカルタだが、マカッサルを追加することも検討している。

5月までに自分の個人会社を設立する予定だが、まだいくつか検討事項があり、ややゆっくりと進めている。すでに単発の仕事の話はいくつか来ているが、昨年度までのジェトロのような長期の契約の仕事はまだない。

今のところ、1年の半分を日本、半分をインドネシアで活動する計画であるが、さらにそれ以外の国での活動も加えたいと思っている。

ローカルとローカル、ローカルとグローバルを結んで、新しい何かが起きていくためのプロフェッショナルな触媒となる。

日本とインドネシアの計4つの拠点を行き来しながら、自分にしかできないような仕事をしていきたいと思っている。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第50回 ジョコウィは「現場」を作らせない(2013年 8月 15日)

ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド知事(通称・ジョコウィ)は、頻繁に現場訪問へ出かける。しかし、どこへ行くかは直前になっても一部の関係者にしか知らされない。メディア関係者が追っかけをしても、現場へ着く前に振り切られてしまう。

通常、地方政府のトップが現場訪問するとなれば、訪問される現場では周到な準備を行う。しかも、多くの場合、トップは部下を何人も引き連れてくる。現場としては、トップから何らかの見返りを期待するので、トップが立腹しないように細心の注意を払う。食事や飲み物を用意するだけではなく、お土産の準備や、対話する住民の選定と発言内容までチェックする。

しかし、ジョコウィの現場視察ではそれが通用しないのである。ジョコウィは何の準備もできていない現場にやって来る。言い換えれば、部下に「現場」を作らせないのである。実はこれまで、政治家が語る「現場」のほとんどは、作られたものであった。そこで語られる住民の声は、すでにチェック済みのものであった。スハルト政権が崩壊して民主化の時代になっても、「現場」を作ることは続いていた。ジョコウィはこうした現状をいとも簡単に壊しているのである。

ジョコウィの頻繁な現場訪問は予算の無駄遣い、という批判がある。しかし、おカネがかかるのは、ジョコウィの乗る公用車のガソリン代よりも、むしろ「現場」を作る費用ではないのか。「現場」を作る側は、そこから汚職まがいの利益を得てはいなかったか。

ジャカルタ市内のタナアバン市場前は路上営業者で埋まり、深刻な交通渋滞となっていたが、ジョコウィはこの問題をわずか数カ月で改善させた。それは、作られた「現場」を前提とせず、本物の現場を把握したからこそである。

上司の心証を良くするために気に入られるような「現場」を作る。このインドネシアに根強い文化を変えていけるのか。日本でも稀なタイプの一政治家が、それへ果敢に挑み始めている。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第49回 コメの輸入は是か非か(2013年 8月 1日)

踊り場に来たと言われるインドネシア経済。経済成長率見込みが下方修正され、予想インフレ率が大きく上昇する中、異常気象に伴う農業生産の減退が心配されている。しかし、コメ生産について言えば、政府は自給を達成できると楽観視している。

2012年のコメ生産はモミ米換算で6,905万トン、精米換算で4,005万トンであった。現在、インドネシア人1人当たりのコメの消費量は年間139キログラムであり、単純に人口を掛け合わせると、コメの年間消費量は3,405万トンとなり、約600万トンの余剰となる計算である。他方、貯蔵米の理想的な比率は全生産量の15%程度とされるが、現在、食糧調達公社(Bulog)が保有する貯蔵米は約200万トン程度にすぎない。

総量ではコメの自給を十分達成しているが、Bulogの保有する貯蔵米は不十分である。コメの輸入を通じて貯蔵米を増やすべきかどうか、政府内でも激しい論争が起こった。

3月、Bulogを監督するイスカン国営企業相は「コメの輸入は不要」と述べたが、ギタ貿易相は4月に、ミャンマーから50万トンのコメを輸入すると発表した。ミャンマーからのコメ輸入は、インドネシアからの肥料輸出とのバーター契約に基づくものである。インドネシアの国営企業はミャンマーへの投資を本格化させようとしており、その一環としての肥料輸出という性格がある。

政府はコメの消費量を減らし、トウモロコシなど他の食糧への転換を促している。同時に、炭水化物主体の食生活を多様化し、タンパク質の摂取を高める方策を打ち出した。日本人の2倍のコメを消費するインドネシア人がそれを10%減らすだけで、十分な貯蔵米を確保できる。コメの自給は決して難しい話ではない。

しかし、コメの輸入は別の論理で動く。様々な利権も絡む。コメの輸入は不要と発言したはずのイスカン大臣は、「輸入するならベトナムからにすべき」とも語ったが、これは不可解である。貿易自由化を錦の御旗に、コメの輸入を継続しようとする動きは続くものと見られる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第48回 FPIと住民の衝突事件(2013年 7月 25日)

イスラム教の聖なる断食月を迎えて、巷では飲酒やカラオケなどを控えるムードが広がっている。毎年のように、白装束の集団が、断食月を尊重しないと見なすナイトクラブやバーなどを襲撃する事件が起こるが、その先頭に立つのがイスラム防衛戦線(FPI)である。この集団の暴力性は以前から問題視されており、先般成立した社会団体法も、こうした団体を法的に規制することを目的のひとつとしている。

そして今年も、断食月にFPIによる暴力事件が起こった。7月17日、中ジャワ州クンダル県スコレジョへFPIが現れ、トゲル(Togel)と呼ばれる賭け事を行っている現場や、陰で女性を斡旋するワルン(warung remang-remang)の摘発を行なおうとしたが、地元住民側が立ちはだかった。そこで翌18日、FPIは、より大勢の人員を動員し、再度現場へ向かったところ、あらかじめ警備していた住民と衝突した。衝突のさなかに、FPI側の運転する車にはねられて住民1人が死亡したことで、住民の怒りが爆発し、逆にFPIを襲い、住民をはねた車を焼打ちにした。結局、地元警察によってFPIは現場から引き離された。

この事件で注目すべき点がある。第1に、FPIは軍や警察と関係を持ち、左翼思想など治安上問題視される勢力へ圧力をかける役目を果たしてきた。また、イスラム教を政治的に使いたい政治家もFPIを擁護してきた。第2に、断食月にもかかわらず、トゲルや女性斡旋を自粛させるべき立場の警察がそれらを見逃していた。実は、トゲルや女性斡旋を仕切る地元のならず者集団と警察とが裏でつながっており、結果的に警察はそれらを擁護する立場にいるからである。すなわち、今回の事件は、警察と関係する異なるグループ同士の争いという側面がある。

民主化したインドネシアでは、結局、襲撃を繰り返すFPIが常に批判される。しかし、トゲルや女性斡旋の広がりもまた、地元のならず者集団を拡張することにつながる。暴力が社会に広まる傾向は、それを擁護する警察や政治家の存在と無関係ではない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第47回 軍にクーデターの伝統はない?(2013年 7月 18日)

7月3日、エジプトで軍の絡む政権交代劇が起こった。合法的な選挙で選ばれたモルシ大統領が政権の座を追われ、軍主導の新政権が発足した。一部報道では「軍によるクーデター」とされるが、日米とも「クーデター」という言葉を注意深く避けている。

このエジプト政変に対して、7月4日、インドネシアのユドヨノ大統領がいち早くツイッターでつぶやいた。ユドヨノは「エジプトにおける軍の役割はインドネシアのそれと同じく、民主化を支持するということだ」「民主化への移行期には軍の役割が決定的に重要であるとオバマ米国大統領に語った」「劇的な政治変化を経験した民族は和解を進めなければならない。反対勢力を一掃すべきではない」などとつぶやき、今回のエジプト政変では民主化を進めるために軍が動いたと肯定し、国民和解への期待を示した。

しかし、インドネシアの民主化運動家やイスラム指導者などは、軍による事実上のクーデターとみなし、民主主義を否定する動きとしてエジプト新政権樹立を批判的にとらえた。ユドヨノ大統領のつぶやきは、あたかも民主化のためならば軍事クーデターを肯定するかのようにインドネシア社会で受け止められる可能性が出ていた。

こうした空気を察知したのか、7月8日、ムルドコ陸軍参謀長は「インドネシア陸軍にクーデターの伝統はない」「合法政権をクーデターのような非合法な手段で陸軍が覆すことはない」と発言した。実際、退役軍人の一部にはユドヨノ大統領への強い不満があり、彼らが軍と結んで政権打倒へ動くことをユドヨノ周辺が恐れる様子もあったのである。

果たして、インドネシアの軍にはクーデターの伝統が本当にないのか。この国には、1965年9月30日事件やアブドゥルラフマン・ワヒド政権末期など、軍が政権交代に関わった歴史があるが、軍のクーデターとはみなされていない。民主化で政治に口出しすることのなくなった軍だが、本当に民主化を進める役割を果たすのだろうか。

 

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